サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: keiさん
2010年11月28日 16時26分23秒
icon
「Re:イメージ」
あるさん、お久しぶりです。
最近、私は仕事のほうである方と出会い
行動観察と分析をしながら
気付かせることで子供たちを指導してく方法を学び、実践しています。
同時に自分自身の思考や行動も分析し
いろいろ気付かされています。
まさに自己観察だなぁと思いながら
あるさんのことを思い出したりしていました。
今回あるさんが書いた記事の
認識よりも早い行動。ということについて考えてみました。
認識よりも早い行動には
過去の経験や習慣から来る条件反射のように
染み付いた癖が動かしているパターンと
真の自分という存在が瞬時にとる最善の行動との二つがあり
後者の行動は分析や気付くことができない領域から来るものではないかと思いました。
それと同じかどうかわかりませんが
最近、自己を客観的に見ているときは
日常が他人事のような感覚になってきました。
これは、普段の自分という存在の認識は過去を参考にした結果の思い込みであり、真の自分というものは存在しないということを知っていえるがゆえの感覚ではないでしょうか。
何気なく過ごしている人々が認識している自分が作り上げた自分。
そして、あるさんのように思考した人だけが気付くどこまでも辿り着けない真の自分。
僕はまだ、他人をありのままの存在として常に先入観なしで見ることは出来ていませんが、自分に関して他人事のように見れているのだから、次は他人を自分のように見える日が来るのだと思っています。icon
-
from: あるさん
2010年11月26日 13時10分31秒
icon
イメージ
最近さぼり気味だった想念観察をまたちょっとやってみました。
特に、心が何かを決断し行動に移すまでの過程を重点的に観察しました。
心は私が認識するよりも速く決断し行動に移っていました。
これじゃあまるで他人じゃないですかと思いました。
その仕組みを分析してみて達した結論は、心に染み付いている癖がパターン化された決断と行動を生み出しているのかもしれないというものでした。
心の様子に気付いている感覚という想念。
さらにその感覚想念にも気付いている感覚という想念。
それが無限に繰り返しており、いつまでもどこまでも心ではない自分というものにたどり着けない。
そこで自分とは何なのかと思考し始める。
そしてどこまでも自分を見つけようとする心が繰り返している。
心はいつも過去に自分が発した想念を認識してはそれに対しての批評をしている。
それとは過去に自分が発した想念をたどって分析してみた結果の、これが自分だというイメージである。
心の中であらゆる情報を元に構築した勝手なイメージに対しての批評。
そのやり方はあらゆる外界の存在に対しても同様です。
誰かや何かを好きとか嫌いとか、甲乙を付けたりしているのは、心が勝手に構築したイメージに対しての感想に過ぎない。
ありのままのその存在を見てはいないのです。