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from: あるさん
2009年03月26日 23時36分23秒
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私について
現実とは何か?という疑問が浮かびました。
その瞬間、ただ存在し展開し続ける現実に対して1日中、事細かに反応している自分に気がつきました。
現実は善でも悪でもないのですが、頭の中では常に感想を述べようとし、裁き、褒めます。
そのことに気付いた時、最初のうちは「なんて無駄にエネルギーを消費しているんだろう」と否定的に考えていましたが、「そのお陰で人間は目標を持ったりして成長できるんだ」と思うようになりました。
それに関連して思考というものについての言葉を思い出しました。
“思考というのは選り抜かれた言葉として「話しかけられている」から自分の思考だと感じる”・・・という言葉です。
そう言われると、想念は確かに外側から来るものです。
私の観察によると想念は肉体的な反応であったりします。
“あったり”というのは、それ以外にもあるということです。
例えばある朝懐かしい歌がふと頭に浮かび、そのことを忘れていてその日の夕方何となくテレビを点けるとその歌手がその歌を歌っていたりします。
それはそのテレビ放送があるという情報を想念としてキャッチしたのだと思います。
どれが自分の肉体からの想念かとか判らなくなってしまいますが、仮説として浮かんだのは“私”を動かしているのは外側かもしれないということです。
なぜ仮説かというと“私”を動かせるのは“私”以外には無いと思うからです。
こういうことでしょうか・・・
外側からの働きかけに承諾して“私”は動いている。
そうすると“私”は宇宙の奴隷ということになるでしょうか。
いや、承諾しているのだから奴隷ではないです。
存在し続けるということは常に承諾し続けているとも言えます。
今日はこの辺で終わります。
次回は“外側”とは何なのか?について考えてみます。
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