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from: 岐阜のすーさん
2009年03月30日 07時03分01秒
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癖をつかんで事を進める
いよいよ新年度が始まる。次年度の自分の姿をイメージする一番いい時期になった。今年度やり残したことを悔やんだり、次年度に向けての願いや夢を掲げてやる気を高めたりしているところではないだろうか。新しい出会いもあり、自分なりに変化を求めている自分もある。
その構えを生かし、具体的に動くためには、自分のあるべき姿を具体的にイメージするところから始まる。
・したいことを増やしている自分
・人との関わりをちょっと変えている自分
・周りの変化した姿に目を向けている自分
・ちょっと違った視点から情報を集めている自分
変化している自分をイメージできたならば、
・いつそれを作り頃までに出すのか。
・どのように作り出せばよいのか。
・それをするにはどんな力が必要なのか。
・その姿になるには、誰と関わればよいのか。
・それにはどのような考え方をしたらよいのか。
・その姿になるのを止めているものはないだろうか。
・その姿になると周りにどのような影響があるのだろうか。
・まず、何をすべきなのだろうか。
など具体的になるように考えを巡らす。
しかし、この考えを巡らす自分に癖がある。努力はするが、その努力の仕方に癖があることに気づいていない。例えば、「いつまでに」「周りへの影響は」などと考えないで目標を達成しようと努力し続けていることもある。逆に「すべきこと」だけでことを意識していて、大事な考え方や姿のイメージを忘れてしまうこともある。
目標が達成しないのは、その癖に気づいていないことが多い。どんな癖をもっている自分なのかを知ることで、目標達成が可能になる。
考えを巡らす今、自分の癖をつかみ、足りないところに焦点を当ててより具体的にしてみるとちょっと動きが変わる。
さて、私の癖は、何だろう。「周りへの影響をもっと意識するべきだ。」ということになりそうだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月29日 05時15分08秒
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受け入れる準備
学校を去っていく子どもたちや先生方との別れを経て、いよいよ新しい出会いを待ち遠しく思う今日この頃。
どんな出会いができるのか、第一印象がとても大切になる。印象ということは、感じることだ。自分が受け入れられるという感じをもったときに心を開き、安心して一緒に生活しようという気持ちになるだろう。
まずは、環境作り。受け入れられると感じてもらえる環境を整えておくことだ。
・受け入れやすい場
美しく、整っている。
受け入れるメッセージが見える。
・不安を解消できたり、安心できたりする言葉かけ(構え)
あなたを待っていました。
あなたは大事な人です。
あなたの願いが実現できるように応援します。
あなたの力が必要です。
あなたが何をされるのか楽しみです。
・身近に感じる対応(構え)
「知っていますよ。」と集めた情報から話しかける。
「困っていることはありませんか?」と質問する。
「一緒に〜しませんか?」と誘う。
「これは、こうですよ。」と教える。
「素晴らしいですね。」と承認する。
新年度まで、わずかとなったが、できる限りのことをしよう。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月27日 07時29分59秒
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感謝の気持ち
離任式が行われた。今まで関わった人との別れはとても悲しいものだ。別れることの辛さは感じやすいが、感謝の気持ちをもつことは、なかなか難しい。別れの際に相手に対して感謝の気持ちが持てるとすれば、どんな心の動きがあるのだろう。
自分を中心に考えてみると自分にとって相手が「役に立つか立たないか」「損か得か」「私のためになるかならないか」などという判断をすることができる。私のために役立った人、私に利益を与えてくれた人、私のことを大切にしてくれた人などという気持ちがあると、別れる人は、私にとって有り難い人ということになる。そこで、「ありがとう。」と感謝の気持ちが生まれてくる。自分との関わりがなければ感謝の気持ちは当然生まれてこない。自動的に別れる人に感謝の気持ちをもつことは少ない。相手との関係が密になっている子どもでも、別れの辛さが先に立ちなかなか感謝の気持ちをもつことはない。
となると、子どもたちに「感謝の気持ちを伝えよう」ではなく、まず、関わりを想起させ、自分と別れる人との関わり方をイメージすることから始まる。イメージができれば、有り難い人だという思いに立たせることは容易となる。「あなたのためにいろいろしてくれた人だったんだよ。有り難いね。」と感謝の気持ちをもたせることができる。
ただ、感謝の気持ちは、これだけではない。相手の存在そのものへの感謝がある。より深い関わりができあがっているときにそれが見えてくる。互いに信じ合う関係ができていると、互いに相手のために何かをすることが喜びとなる。子が親の喜ぶことをしようとするのもそのためだ。相手が喜ぶ姿を見て一緒に喜べるという姿は、自分の利にはない。相手がいること、相手と関われたことそのものが大事になる。
だから、「私のそばにいてくれて、有り難い。」ということになる。「あなたが私のそばにいてくれたから、こんな楽しい時間を過ごすことができた。本当に有り難いことだ。もし、あなたがそばにいてくれなかったらそれはなかっただろう。あなたを失うことはとてもつらいことだ。」となる。
有り難うの言葉が単に言葉だけになっているのか、心から有り難いと思っているのかがとても重要になる。相手の心に伝わる「ありがとう。」は、関わりを深くイメージさせることなしには生まれてこない。 別れの辛さをこらえている子どもたちの中どんな思いをもたせることができただろう。失うことの辛さを感じられる子どもに育てたかどうかが今までの関わり方なのだろうなと強く感じた。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月26日 05時21分38秒
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どの学年でも
新年度が近づくと次の担当する学年はどこになるのだろうと気になるところである。希望した学年になれるかどうかわからないが、構えとして、どの学年でも持てる教師でいたい。
持ちやすいとか持ちにくいと思う判断の基準の多くは、子どもの実態のようだ。落ち着いた学級なら持ちやすいが、問題行動が多い学級は持ちにくいとよく話される。当然問題行動が多い学級での指導は苦労することはわかる。もし、持ちにくいと考えているのならば、それは、自分の力量が子どもの姿を変えるに至らない力量だと自分で決めていることになる。本当はその実態を変化させる力があるにも関わらず、自分で自分の力量を過小評価しているところはないだろうか。
教師の力が伸びるのは、壁に当たったときだ。その壁を乗り越えるだけの力があるかどうかを見極めるためには壁を避けられない。
今までに経験したことのない実態に出会ったときに自分の指導の幅を広げることができる。特に問題行動が多い学級は、必ずその問題が生まれてくる背景があるはずだ。自信をなくしていたり、仲間関係が希薄であったり、実態に合った指導がなされていなかったりと問題が生まれる背景がわかるとそれに合った手だてを講じることで問題が解消されていくことは多い。
子どもは育てられたようにしか育たない。問題行動が多いとすると、必ず、どこかに育て足りないところがあるはずだ。何が足りないのか、目の前の今の子どもの姿を見るだけではわからない。過去に戻るとその育てられ方がわかる。子どもの発達に合った指導になっていれば、多くの問題は解消される。育てたりないことに目を向けたり、子どもが育とうとする方向に目を向けたりすることで、発達に合った子どもの育ちが期待できる。
様々な学年を経験することは、その子どもの発達の過程を体験的につかむことができるということだ。経験することで指導の幅も広がる。
低学年の子どもたちと高学年の子どもたちと同じように指導はできない。同様に中学年の子どもたちと同じようにも指導はできない。
それぞれの学年の発達に合わせた指導が重要になる。それを体験するチャンスが新たな学年への挑戦となる。
低学年では、自己中心的で「僕は」「私は」という子どもが多い。
中学年では、集団を作り始め、集団とうまく関わることに慣れ始める子どもが多い。
高学年では、自我が目覚め始め、対等に扱われないと不満をもつ子どもが多い。
それぞれの子どもの学年発達に目を向けて、それぞれの学年の子どもに合った指導のできる自分にすると、実は、子どもの行動が本当は問題行動ではなく、発達からみて当然の行動だったとみることもできることがある。そうなれば、指導にゆとりももてる。知らないために、余分な問題を作っていることもある。
○人の話を聞かない→実は、興味がない(わからない)から聞か(け)ない。
○友達とよくけんかをする→実は、友達との関わり方を知らない。
○暴力を振るう→実は、うまく自分の言葉で説明できない。
指導不足によって問題が引き起こされていることに気づかないでいると問題がさらに別の問題を起こすことにもなる。
さて、次年度はどの学年に挑戦しようとしているのだろう。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月25日 05時21分10秒
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大切な存在として認める
子どもが好きでなければ、教師は務まらない。当たり前のことだけれど、なぜ好きでなければならないのか?
人間であれば、誰でも好き嫌いがある。だから、嫌いな子がいても自然ではないかと思う人がいるかもしれないが、好き嫌いは、私たちが体験した人との関わりの中で作り上げてきた価値観でしかない。それは思い込みであって、真実ではない。私が嫌いな人は誰にとっても嫌いな人なのだろうか?そんなことはない。つまり、ある視点から私が見ているから嫌いだということであって、その人そのものねうちではない。あくまでも私がある視点で見たときの好き嫌いなのだ。
子どもが好きだということは、個人的な私の好き嫌いとは違う次元の話になる。ここがとても重要だ。わがままでなかなかこちらの意図が伝わっていかない子であっても、好きだと言える自分かどうかなのだ。
子どものもつ純粋性や可能性は、私たち以上のものだ。そして、子どもは、私たち以上に変化しやすい存在であり、守ってあげなければならない存在だ。そんな子どもが私の傍にいてくれるのだ。純粋性を失い欠けている私であったり、変化を嫌って今を大切にしようとしている私であったりする・・・・そんな私の傍にいて、刺激をくれるのが子どもだ。その刺激のおかげで自分を高めることができるし、自分自身を認めることもできる。また、思いやりをもったり、自分の至らなさに気づいたりすることもできる。これも子どもが傍いいてくれるからだ。
欠くことができない存在として子どもが見えたとき、どの子も大切にしたい大事な存在となる。大事な存在だからこそ、好きになれる。(人を好きになるのは、その人が自分にとって大切な存在だと感じるからだ。反対に、自分にとって邪魔な存在ならば、排斥しようとするか、避けようとする。これは、日常的に自然に私たちがしていることだ。)
好きな子や嫌いな子がいては、どの子にも同じように接することはできない。だからこそ、教師ならば子どもが好きでなければならないのだ。
どの子も私にとって大切な存在として認めることができれば、子どもは大切にされる。逆もしかり。本当に子どもが好きな自分なのか見つめてみたい。そして、ここで大事にしたいことは、好きというのは、理屈ではなく、あくまで感情ということだ。感じることなのだ。子どもの前で立つと自然と微笑んでしまうのは、子どもが好きだからだ。子どもがそんな先生を見れば、好かれていると感じる。子どもに教師の好きだという感情が伝わるのだ。子どもそのものの存在を認め、子どもが好きだと心から言えるそんな教師でありたい。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月24日 04時34分58秒
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子どものために
完璧な仕事をしているつもりでも、他から見ると至らないことがある。そんな時、任せた仕事だからと言って至らない点に気づいていながら助けないで見ている仲間では、寂しい。
これには、相手との信頼関係が欠かせないが、見方を変えることで手助けすることができる。
つまり、「任せて見守ることよりも、今、手助けをすることの方が子どものためになる。」と判断することで手助けができる。手助けすることが迷惑だととらえられないかと躊躇していて、事が済んでしまっては、手遅れになる。子どもにとってそれはよくないことだ。そして、子どものためになるとわかっていながら、動かないで見過ごしてしまうとすれば、子どもを大切にしている自分とは言えない。
子どものためだから、我慢をすることもあるし、子どものためだから、差し出がましいことをするのかもしれない。助ける相手からどう思われようと、子どものためだからと思えば、動くことができる。
私たちが協同して仕事ができるのもこのためだ。だから、「子どものために」と言い出せば、歩調がそろうことが増えてくる。「本当に子どものために動いているのだろうか。」という目で見てみると、必ずしもそうでない仕事をしていることがある。習慣というものは、怖いもので、「いつもしていることだから。」「みんなしていることだから。」と言って、子どもをないがしろにして仕事をしていることに気づかないでいることがある。そんな仕事をしているときに「子どものために」と気づかせてくれる仲間がいれば、その方がありがたい。仕事に対する考え方も深まってくる。互いにいい仕事をするために足りないことを補い合えるのも「子どものために」が合言葉になっている。
卒業式を成功させようと、互いに補い合い、自分の持ち場を超えて助け合えるのも「子どものために」があるからだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月23日 04時28分45秒
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今年度も残りわずか
次年度に向けての準備は終わっただろうか。成績処理に追われて、なかなか次年度の事に目が向かないかもしれない。
4月に入ってからで十分と思っていると、取り組みが遅くなる。大事なことは、今、構えを作っておくことだ。異動の対象となっていれば、なかなか次年度をイメージすることはなかなか難しいと思われるかもしれない。しかし、今年度の取り組みと同じことを繰り返しても自らの成長は期待できない。今の自分よりもちょっと素敵な自分を作るための準備は職場が違っても同じである。職場が変われば逆に変えやすいかもしれない。
つまり、目先の自分ではなく、長い人生を考えたときの新しいページを作るための構えだ。今年度の自分の取り組みを振り返り、至らぬ点を見つけたり、より高い自分を作り出すための視点をもったりすることが大切になる。
いろいろな立場にいる自分を見つめ直して見ると新たな視点が見つかる。
・教科指導をする自分
・生活指導をする自分
・組織に影響を与える自分
・子どもや保護者との関係を築く自分
・教師としての自分
・地域の一人としての自分
・家庭の一員としての自分
・人としての自分 等
自分一人で自分を立たせているわけではない。周りには、多くの人が自分と関わり、今の自分を生かしてくれていることを考えることで、もっと自分を大切にし、自分を生かすことの重要さに気づくことがある。見つめ直しには、周りとの関係を意図的に考えることが必要だ。
教師は人なり。自分の人間性を磨く努力をすることが、教師としての自分を高めていくことにもなる。そのために、自分のもっている顔を全部登場させて、自分を振り返ってみることが必要となる。
人としてのあり方や人として生きていく上で大切にしたいことなどを明らかにしてみると、それぞれの顔がこれでいいのかが見えてくる。
私たちは常に変化している。その変化を作り出すのは自分。どんな変化を望むのかは自分でしか決められない。人が作ってくれるわけではない。自分が周りに影響を及ぼしている大切な存在としての自分。価値ある自分としてこれからどうあったらよいのかを今決める。この時期だからこそできることだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月21日 06時31分26秒
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別れに思う
いよいよ卒業式も間近となってきた。この時期になると、「やり残したことはないだろうか。」「このまま別れてしまっていいのだろうか。」「最後に何か言っておくことはないだろうか。」などといろいろ頭に浮かんでくる。
どんな別れ方をするのがよいのかわからないが、納得ができる別れ方などないだろう。今までの思い入れが強ければ強いほど、何か足りなさを感じるのが人情だろう。
若い頃はこれからも関わりを作っておこうといろいろ考えていたが、それでは、子どもたちにとって不幸なことだと思うようになった。私たちは、新しい出会いの妨げになってはいけない。離れた子どもが一人立ちをしていく姿を見守るだけでいいのだ。
私たち教師は、子どもたちには、前を向いて歩いてほしいと願っている。過去にしがみつくのではなく、未来に向けて歩み出してほしいと思っている。そして、新しい出会いがあれば、その出会いを通して自分を精一杯生かしてほしいと願っている。
今までの関わりの中で、培ってきた力がきっと新しい出会いがあっても役立つはずである。そういうものを培ってきたはずである。その力があれば、過去はすべて今別れようとしている子どもの中にある。だから、いつでも過去を取り出すことができる。あえて振り向かなくてもいい。自然に過去の経験が力となって出てくるのだ。そういう力を私たちは培ってきたはずなのだ。
逆に、教師との関わりが消えたら消えてしまうような力だとしたら、子どもに役立つ本当の力を身につけることができなかったということになる。しばらく経ってから子どもの情報をもらったとき、「あの時は、あれだけ、がんばっていたのにどうして?」と、もし思ったとしたら、それは、関わっていたときに役立つ本当の力を身につけさせていなかったと考えたい。
目の前のことさえうまくいけばよいのが教育ではない。子どもが生きていく上で役立つ力をつけるのが教育だ。教師の都合で子どもを変えただけだとしたら、それは長続きはしない。新しい環境の中でも力を発揮できる力を身につけて、別れたのだ。だから、別れた後の子どもの姿に私たち教師が培った力が本物かどうかが試されることになる。だから、別れた後の子どもの姿には、関心をもっていたい。それは、人情とは別に自分の力量を見極めるためにもなる。子どもたちが活躍していてくれれば、嬉しいものだ。誇らしく思うのもどこかで、自分が関わったことへの思いを感じるからだ。
別れは、私たち教師にとって試練なのだ。手放した後は、子どもたちに託すしかない。いつまでも傍にいて助けることもできない。
「安心してがんばりなさい。先生から離れても頑張れる力はついているからね。」と子どもたちに声をかけてあげられるだろうか、振り返ってみたい。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月20日 05時57分47秒
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強い衝撃
一瞬にして雰囲気を変える強い衝撃が体育館に走る。子どもたちの浮いた気持ちを一括する厳しい声。普段とは違う緊張感が生まれた。
子どもたちが行動を変えるきっかけにはいろいろある。強い衝撃を受けたときに行動が変わるのもその一つだ。叱られたときの強い衝撃は、かなり心に響く。
自分の行動を振り返り、何が悪かったのか、どうして悪かったのか。何が欠けていたのか等自分の至らない考えや行動が今の姿を作り出していることに気づき、新たな自分作りに挑戦しようとする。
そんな機会になれば、叱られたことは子どもにとってプラスとなる。しかし、叱られた内容を継続させることが本当は大切なことなのだ。叱られたその時の行動は変わるが、その後にも影響を与えるためには、叱られて変わった行動をよい行動だと認め、繰り返し褒め続けなければならない。そして、子ども自身がこの行動がよい行動だと言い切ることができたときに子どもから手を離すことができる。ここまでこだわるのは、叱ったことがそれほどねうちのあることなのだという思いが叱る側にあるからだ。
日頃から叱れば動くという状況は、本当ならば避けたい。なぜならば、余程のことがないと叱らないという状況を作らないと、叱ることが強い衝撃にはならないからだ。いつも叱られていると叱られることに慣れてしまい、衝撃が弱くなる。これでは指導の効果は上がらない。たまに叱るから効果があるのだ。
もし、叱らないと動かない状況を作り出していたとしたならば、それは、今までの指導の中に認め、励ましが少なく、子ども自身が自信をもって、行動を決めさせるまでの取り組みに甘さがあったと反省しなければならない。子ども自身が自分の行動に自信をもっていれば、教師が言わなくても子どもは勝手に行動するはずである。教師の目の色を伺って、行動しているから「先生、どうするの?」と尋ねるのは、自分の行動に自信がないためだ。聞かれたら「私を頼っていてくれる。」などと喜んで答えている場合ではない。自立を妨げている指導をしていたのだと強く反省をし、指導を見直してみたい。
一年が終わろうとしている今、自立している子どもを本当に育ててきたのかどうかが問われている。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年03月19日 07時06分03秒
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ゴールを意識して
場当たり的な指導は、効果を上げないばかりか、すべきことを増やしていく。目的をもって計画的に事を進めていくことが体に染み込み自然とできていくことが先生の力量を上げていくということを痛感している。
ある面、子育ては目の前の状況に合わせて臨機応変に事を進めていくことは大事であるが、どこを目指しているのかがはっきりしていないと共同で子育てはできない。
つまり、ゴールが明確でないと、それぞれが勝手なゴールに向かって歩み出す。一緒に関わっているから、それは言わなくてもわかるだろうと思うのは大きな誤解だ。話してみるとよくわかるが、それぞれのゴールのイメージは全く違っている。それも、具体的になればなるほど違っている。だから、揃えるためには意思の疎通を欠くことはできない。
共通理解、共通行動と言われるが、まさにこれは、ゴールのイメージを揃えて、一緒に子育てをしようとする構えになっている。
このことは、子どもへの指導も同様になる。教師が進む方向をきちんと具体的に決めることで子どもも安心して進む方向に向くことができる。具体的にどの子にもわかるように示されていれば、いるほど進む方向が揃ってくる。そして、目指す方向からずれていなければ、歩みが遅くても、めざし方の違いはそれほど問題にはならない。試行錯誤でもゴールを目指すのであれば応援できる。ゴールを目指す道は1本だとは限らないし、ゴールまでの道のりは人によって違うと誰もが納得できる。
だから、ゴールを意識することはとても重要なことだとわかる。この重要さが体に染みこむまで身に付いているのがベテランなのだろう。
どんな些細な場面でも、必ずゴールを示してから事を進めることができる。そして、ゴールを明確にして取り組んでいる子どもかどうか見分けることもできる。また、集団をみて、その集団の目指すゴールがそろっているかどうかもわかる。わかるというより感じると言った方がよいかもしれない。ゴールを意識しながら、一緒に子育てができる仲間にしよう。-
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