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from: 岐阜のすーさん
2009年10月31日 05時47分20秒
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感謝の気持ちが出る時
「ありがとうございました。」とお礼を言われる時に充実感を感じることはよくあることだ。きっと自分のしたことが相手にとって役に立ったのだろう。
初めはそうでなくても、同じことが何度も続くと、この感謝の気持ちも次第に薄れ、当たり前になってしまうこともある。逆に、一度味をしめて何度でもすると、うっとうしと思われることもある。
感謝をしてもらうためだとか、充実感を感じるためだとかというものでなければ、感謝があってもなくても、「あなたのためにできることはするよ。」という気持ちですることだから、それほど気を遣って対応を考えることはない。
「これ以上すると嫌われないだろうか。」「これでは足りないだろうか。」と心を悩ませながらフォローしても気持ちが十分伝わらない。
何も考えず、ただ「あなたの喜ぶ顔が見たい。」という思いであれば、困っている時というのは、いつも同じではないことがわかる。同じことをして感謝をもらおうとしている時には、もうすでに相手の困っている姿が見えなくなっていることがある。相手の姿ではなく、感謝された自分が充実感を味わっている姿を見ているのだ。相手が困っていることに合わせて、できることを精一杯広げていれば、いろいろな場面で手助けができる。
教師のお手伝いを進んでしたがる子どもがいる。一度「ありがとう。」と言うと、そのお手伝いを何度でもしたがる。これは子どもならばいたって普通の姿だ。褒められたいという気持ちが強くてこんな姿になるとすれば、これは、褒められたい自分をイメージしていることに他ならない。
認められることの少ない大人である我々であっても人から認められたいと思うことはある。本当に困っていることなのかとを発見するところから始まる。それが感謝の気持ちとなって返ってくる。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月30日 03時58分58秒
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気づかないことの罪
一生懸命に指導していてもなかなか指導の効果が現れないことは、よくあることだ。効果が上がらないからその指導が悪いということではない。効果を上げるために見落としていることがあることに気づいていないと考えたい。
・指導が全体に行き渡っていないで、一部の子どもの反応だけになっている。
・指導したことへの意欲をもたせるための手だてが不十分で、その気にさせていない。
・指導した後の見届けが不十分である。
このことに気づいていないために指導の効果を上げていないとすれば、もったいない。そればかりか、子ども側からすると、指導されたことを一生懸命にしようとする子とそうでない子が混在するため、「しても、しなくてもいいのかな。」「せっかく真面目にやっているのに、馬鹿らしい。」「みんなしないからやらなくてもいいんだ。」などと教師の指導への不満が出てくる。これは罪だ。
つまり、指導したことを徹底するということは、自分の言ったことに責任を取ることになるのだ。だから、「指導したのに、しない子どもが悪い。」というのは、教師のおごりと考えたい。指導しきれていないから子どもたちの中に矛盾を作り出しているのだ。効果がある指導かどうかを判断するのは、徹底した上で考えることだ。まずは、徹底しているかどうかが重要になる。一度言えば済むという問題ではない。
・指導したことを意識しているかどうか、何度確認しただろうか。
・指導したことの意味をどの子も説明できるだろうか。
・真面目にやった子を紹介したことが、他の子の意欲化につながったか確認しているだろうか。
・指導されたことが子どもの会話の中で話題になっているだろうか。
・指導したことについてできていない子がいることを訴える子どもはいるだろうか。
それでも広がらなければ、子どもたちに問う必要がある。
「どうして、みんなで取り組めないのか?」と。
その答えを元に、指導したことを撤回したり、修正したりする手続きが必要だ。これが、自分の言ったことに責任を取ることになる。
実態に合わない指導をしたからできなかったのだとすれば、子どもたちに謝ることもできる。指導した時期が悪ければ、時期を変えて指導し直すこともできる。自分の指導に限界を感じたり、不安を感じたりしたときこそ、徹底すべきだ。それをしないと自分の指導の問題点に気づくことはない。曖昧さが矛盾を作り出していることにもっと気づくべきだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月29日 03時16分02秒
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関われば関わるほど
一人の人でも本当に理解しようと思えば、かなりの時間を要する。時々違う顔を見せると、どれが本当の姿なのだろうと疑ってしまう。新しい顔を見つけると、そんな顔もあったのかと嬉しくなる。いろいろな顔を持っている。関われば関わるほどいろいろな顔が見えてくる。
好きな顔、嫌いな顔・・・いろいろ見せてくれるようになると関わりが深くなってきたことになる。
迷っているときの顔が一番面白い。どちらを選ぶか、その人の生き様が見えてくるからだ。苦しんでいる、悩んでいる時に、何それ?と思うかもしれないが、共感したり、同情したりする立場ではなく、生き方を見極めることが必要なことがあるときは、至って冷静に見なければならない。一緒になって苦しんだり、悩んだりする人を頼ろうとすることはない。光を出して輝いている人を頼りたくなるのが私たち人間だ。それは、不安定でいるときには、安心や安定を求めているから、安定している人の方が頼りになると感じるからだ。何かにすがろうとして、迷っているときは、必死になって生きている。その生き方を応援したくなるのも、その必死さに共感できるからだ。だから、どんな道を選ぼうと必ず支える覚悟はできている。その覚悟があるから、面白いと言うのだ。
これは、愛かもしれない。相手次第だ。我はない。
・親の趣味で服を着せたり、パーマをかけたりする姿
・親の都合で、遅くまで起きていなくてはならない姿
・体裁を気にして、子どもの願いを無視する姿
・子どもは、子ども。私は私と割り切っている姿
親の都合で使われている子どもを見ると可愛そうに思う。そこには、愛が見えてこない。見栄が見えたり、エゴが見えたりする。子どもが巣立つまで見届けるのが親の仕事だ。この姿からは、それが見えない。親ばかりではない。教師の中にもそれが見えてくる時がある。
・保護者の訴えに振り回されて、大切なことを伝えられないでいる姿
・意図もなく「決まっているから。」と平気で子どもに話す姿
・責任を取らず、上司が言ったからと説明する姿
ここには、どんな道を選ぼうとも子どもを支える覚悟ができていない。関われば関わるほど愛おしくなる。そんな思いになるまで、子どもの傍にいていろいろな顔を見つけたい。教師ならば誰もが必ず教育愛をもっているはずだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月28日 16時59分59秒
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使命感が自分を鍛える
教師としての生活に慣れてくると、段々薄れてくるのが使命感。教師になった頃は、夢と希望に燃え、子どもへの願いも強く、使命感をもち、意欲的に無我夢中になって子どもたちに立ち向かっていた自分がある。経験を経る毎に夢と現実とのギャップの中で次第に教師になった頃のあのエネルギーが薄れていく。
夢をあきらめたわけではない。ただ、経験をすることで多くの学びを経て自分なりに教師としての生き方が決まってきたからだ。
したい仕事のためならば、余分に時間を使ってでもしようとする。これが、使命感をもっていれば、かなり強い力となって働く。忙しいからできないのではない。使命感の強さが事の順序を変えたり、事の重要性を判断したりすることになる。教師の仕事に限界はない。これは、職人の技に似ている。磨けば磨くほどよりよい指導ができるのだ。これに掛ける時間は、長ければ長いほど磨かれていく。しかし、自分の生活もあり、自分の力を磨くことだけに縛られることはない。ここが折り合いの付けどころとなる。
ただ、見方を変えることで、時間をうまく利用することができる。自分の生活の中にも教育者として大切にしなければならないことや、教育に生かせる内容はたくさんある。
つまり、仕事と自分の生活を分けて考えるのではなく、同じものとして考えることだ。自分の生活をどのように作っているのかを見直してみるとかなり生かせるところが見えてくる。教師の生き様がそのまま子どもの教育に反映するため、これを生かさない手はない。
・時間の使い方はどうか。
・人との関わり方はどうか。
・お金の使い方はどうか。
・身の回りのものの扱いはどうか。
・地域との関わりはどうか。
・趣味への取り組みはどうか。等
これらを鍛えることで、無駄な動きは少なくなり、効果的な指導につながる。
例えば、時間の使い方がうまくなれば、子どもの時間の使い方への指導が充実し、時間を無駄に使っている子どもの姿が気になってくる。
また、整理整頓でも同様だ。子どもと同様、美しいものをより美しくする感覚は、学校生活だけでは身に付かない。
一見遠回りになるように思うが、長い教員生活をする上でとても大切なことになる。長年勤めていると「やっぱり、教育は人なりだ。」と強く感じることがある。つまり、子どもをよりよく育てたいと思いながら、自分の生活を豊かに生きている人が子どもを豊かに育てることができると感じる。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月27日 04時07分15秒
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本当に子どもが好き?
教師として、子どもが好きであることは前提となる。しかし、本当に子どもが好きなのかなと疑問を感じる姿を発見することがある。
・自分のしたいことを先にして、子どもの要求を後回しにする。
「ちょっと待って。」「これが済んでからにして。」「今忙しいから。」等の声かけが多い。
・子どもの思いを聞かないで、自分の思いを貫く。
「わかった?これが大事なんだ。」「こうすべきだ。」
・目の前の子どもに気を取られ、いない子の存在を忘れる。
「○○さんがいないけど。」等と子どもに言われる。
・子どもとの会話を楽しめない。
「うるさい。」「面倒だ。」などと感じる表情を見せる。
・困っている子どもを見つけられない。
「先生、○○くんが・・」といつも子どもから言われる。
「どうしたの?」「大丈夫?」などの声がかけられない。
・子どものつまずきに付き合えない。
じっくり子どもの話を聞くよりも、自分の思いを説明をする。
・子どもの好き嫌いが会話の中に現れる。
教師同士の会話で子どもの好き嫌いを平気で使う。
・子どもの大事な時間を奪う。
休み時間を保障しないで、平気で延長授業をする。
授業中に物を取りに行かせる。
授業の始まりに平気で遅れる。
・きまりや時間を優先して、子どものつまずきや遅れを無視する。
「きまりだから、守るのが当然。」「あなたが悪いからだ。」「早くしなさい。」等と子どもの都合や事情を無視する。
「子どもに申し訳ないな。」「子どもたちはどう思うだろう。」「困っている子はいないだろうか。」「つまずくことはないだろうか。」等と子どもをいつも目の前において物事を考える姿勢は、教師をしていれば自然と芽生えてくるものではなさそうだ。「あれを」「これを」とすることを仕事にしていると子どもが目の前から消えていく。
そして、効率よくできなければ、仕事の邪魔を子どもするように見えてくる。これでは、子どもが育たない。どんな仕事であっても、子どもを育てるための仕事だ。「この仕事をしたらどんな素敵な子どもになるのだろう。」「この仕事をすると子どもにどんな影響を与えられるだろう。」と子どもを目の前にしている自分を忘れたくない。子どもがいつも輝いている姿をイメージしながら仕事をしたい。子どもが好きだと素敵な子どもが浮かんでくる。目の前から子どもが消えたら、教師の仕事にはならない。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月26日 04時22分19秒
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仲間と共に
インフルエンザの影響で、学校を休む子どもが増えている。子どもだけではない。教師も休むことがある。
教師が休むとそのカバーを全職員でする。空き時間がある教師が代わる代わる学級に入って指導をする。当然授業の内容は、担任の指導と比べると遅々たる歩みとなる。子どもの宿題や提出物も見る機会が不十分となる。休み時間まで子どもにつくことは、なかなかできない。こんな時、子どもたちにどんな声をかけるだろう。
「先生がいない時が、君たちの本当の力が試される時だ。」と、子どもたちに声をかける。学級で作った決まりやみんなで取り組んでいることを大切にしながら、その取り組みが切れないようにフォローする。そして、先生がいなくても頑張る姿を褒める。
「すごいね。きっと先生も喜ぶよ。この頑張りを先生に伝えておくからね。」と担任とのつながりを作る。休んでいても子どもたちに影響を与える力があるのが担任だ。
困ったときには、「いつも先生は、こんな時どうしてるの?」と尋ねる。よく教師の願いや行動を見ている子どもが必ず学級にはいる。だから「いつも、こうするよ。」と答えが返ってくる。こんな時、教師の考えや思いを知る機会にもなる。わかれば、それを使ってできる限り取り組んでみる。
子どもたちにとって担任の教師以外に授業を教えてもらうことは、ある意味新鮮だ。また、担任との比較をする機会にもなる。いつもよりも張り切って授業に向かう子どももいる。しかし、どんな担任であっても、担任をフォローする立場でいたい。子どもとの信頼関係が教育の根幹にある。それを崩すようなことをすれば、子どもが犠牲になる。いくら力がある教師であってもフォローに入る時は、子どもと担任との関係を崩すことは許されない。子どもたちを主役にして、フォローに入る気持ちを持ち続けたい。
そして、子どもたちの頑張りを担任に伝える仲間でいたい。「先生、留守の間、子どもたちはよく頑張っていましたよ。○○さんは、こんな姿でした。素晴らしですね。」などと話をする。休んだ事で負担をかけたと思っている担任が、子どもの頑張りを褒めてもらえることほど嬉しいことはない。互いに助け合って、学校の子どもたちを育てようとする構えが、この姿を作る。いずれは我が身だ。自分が休んだ時に誰かにフォローしてもらうことになる。助けてもらったり、助けたりしながら仲良く子どもを育てる雰囲気は、必ず子どもたちにも伝わる。仲間が休んだときこそ、職場の仲間としての本当の力が試されるときなのだ。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月25日 04時41分10秒
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みんな仲良し
子ども同士が仲良く生活できるようにしたいと思いながらも、なかなか難しい。
子どもを見ていると親しくなればなるほど、相手を独占したい気持ちになり他の子と区別をしたくなる。そのため、他の子とはちょっと違った扱いをし、それが助長すると「好き嫌い」ができる。
誰にでも好き嫌いはあるから、それは自然なことだと言えばそうだ。しかし、これを放っておくと仲のよい学級は作れない。
子どもが互いに相手を大切にし、認め合える関わりをもっていると子どもは安心して生活ができる。
一番嬉しいのは好きだと言われることだ。逆に嫌いだと言われると落ち込んでしまう。例えば「そんなことをしていると嫌われるよ。」などという言葉は子どもには、かなりきつい言葉だ。自分の行動に制約が生まれて、安心した生活はできない。また、相手にされず無視されている状況でも同じで、安心した生活は送れない。
人の好き嫌いを作り出すと、この感覚が学級に蔓延し、自分の居場所が不安定になる。グループができ、そのグループに入れるか入れないかという思いにさせてしまう。遊びのような趣味が合う、合わないということならば、自分の意志で入る、入らないを決めることができるが、人の好き嫌いで作られたグループでは、そうはいかない。自分では決められない。決定権は相手にあり、好かれるために相手に合わせる生活となり、次第に自信が失せていく。
誰にでも長所や短所はある。「あんな所は好きだ。」「嫌いだ。」ということならば、誰にでも当てはまる。この場合は、どの子も対等でいられる。しかし、「あの子は好きだ。」「嫌いだ。」となると、扱いに違いを生むことになる。そのため、対等ではいられなくなる。つまり、人の好き嫌いが差別を生むのだ。これでは、仲のよい学級ができるはずがない。
誰もが安心できるためには、人の好き嫌いで判断させるような取り組みを見逃さない鋭い観察と指導が必要になる。少しでもそれを見逃していると知らぬ間に「好きな子、嫌いな子」が生まれていく。
<こんな姿は見落としていないだろうか。>
・消しゴム忘れをした時、隣の子でなく、親しい子に借りる。
・机を微妙に離して座っている。
・隣の子を避け、後ろを見て質問している。
・話しやすい子を見つけて話をしている。
・指名に偏りがあり、同じ子が何度も指名される。
・黙々と活動をし、関わりを作ろうとしないでいる。
・仲間のよさを紹介できずにいる。
「仲良ししなさい。」と言って仲良くできるものでもない。仲良くするための行動の仕方や仲良くするための考え方を教えないと子どもはできるようにはならない。
「こうすることが仲良しなんだ。」
「仲良しだからできることだ。」
「仲良しだとこんなこともできるようになる。」
「こう考えることが仲良しだ。」
「こんな言い方ができるのも仲のよい証拠だ。」
「仲良しの学級は、こんな姿になれるよ。」
などと日頃から仲良しを広げる声かけを続けたい。
そして、「この子は、誰にでも平気で話しかけられる子だろうか。」「この子は誰とでも仲良く遊べる子だろうか。」「この子は、誰とでも一緒に活動できる子だろうか。」等と誰とも区別なく関わりをもてるかどうか考えながら、一人の子どもを見つめてみたい。
手を打たなければ、子ども同士で作る好き嫌いで学級が動いていく。力の強いものが支配する学級になっていく。
「関わり方を教えること。」「関わる機会が増やすこと。」「同じ人(仲間)との見方や考え方にすること。」は、教師の力でどれだけでも指導できることだ。子ども任せにすることではない。もし、仲のよいクラスになっていないとすれば、それは、仲をよくするための手だてが足りないだけだ。-
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2009年10月23日 03時06分32秒
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楽しい職場
今勤めている職場についてどんな思いでいるのだろう?楽しい?それとも辛い?それとも何も感じない?
楽しい職場には、一緒に仕事をしたい仲間がいる。そして、支え合う仲間がいる。辛くても一緒にがんばろうという仲間がいる。
「この仕事、手伝おうか?」「大変だね。大丈夫?」「このことをどう考えたらいいと思う?」などという声が飛び交う。
「この仕事、私がやっておくからいいよ。あなたはあれをしたら。」と声をかけられたり、しようと思った時既にその仕事がしてあったりした時、「有り難いなあ。」と感謝の気持ちで一杯になる。誰だろう?こんな事をしてくれる人は?などと嬉しくなることもある。
居心地がいいと、自分からも動き出すことができる。程度には差があるが、人それぞれ悩みをもったり、辛い思いをもったりして生活をしている仲間だと感じる。そして、その辛さを共感できる仲間になろうとしている自分を感じる。そして、一緒に頑張っている仲間がいることを感じる。これは言葉ではない。口にしないで黙々と働く仲間の姿から感じるのだ。
愚痴が多い職場では、常に誰かを悪者にしている。だから、ぎすぎすした感じがあり、仲間への思いやりも少なくなる。自分を守る事が大事であり、仲間の事まで考えない。どんな職場にするかは、自分次第だ。
どうせ働くならば、楽しい職場にしたい。子どもの笑い声が飛び交う楽しい職場にしたい。そんな思いでいると、子どものために支え合う仲間ができる。一緒に子どもを育てようという気持ちが益々わいてくる。
環境は自らの力で作り出すことだ。待っていても作り出せるものではない。待っているから人のせいにしたくなる。互いの頑張りを認め合い、「○○さん、最近すごいね。」「○○さん、がんばっているね。」などと子どもの頑張りを認め合う職場にしたい。自らの指導で育った子どもの姿を褒められて、嬉しくない教師はいない。それが、遅々たる歩みであっても関係ない。力量の差など関係ない。壁を乗り越えようとする仲間であればいいのだ。その姿勢があるから、助け合う気持ちにもなれるのだ。
子どもの事や保護者の事、そして、同僚の事等で愚痴を言う姿からは、楽しさは生まれない。物事を人のせいにしているうちは変わらない。自分と関わりをもつから変わるのだ。まずは、愚痴を言わないでその代わりに、頑張りを見つけ言葉に出す自分を作りたい。-
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2009年10月22日 05時18分01秒
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話の長さ
子どもに話す話の長さはどのくらいがよいのだろう?長い話だと子どもは飽きてしまう。短い話では十分こちらの意図が伝わらない。
伝えたいことが一杯あるとどうしても長くなる。また、子どもにわかりやすく話そうと思うと丁寧になり長くなる。どの程度がよいのか検討をつけるのが難しい。
ただ、我々も同様であるが、一度にたくさんの話を聞いても、記憶に残らず、忘れてしまうことが多い。話の内容は多くて3つだ。それ以上は難しい。
話し方の工夫として
・話をする前に話す内容を整理しておく。
・結論から話す。
・1つ1つ確認をする。
・子どもの身近な話題とつないで話す。
・話の終わりに再度確認する。
・話題とするのにふさわしいタイミングで話す。
などが考えられる。
この時とばかり、自分の思いをいくら子どもに話しても、受け取る側の器の大きさしか受け取れない。言いたいことを言えば、話す側は、すっきりするが、受け取る側からすると迷惑な話だ。感情をコントロールし、常に聞く側の立場になって話す努力が必要だ。
子どもを叱るときでも同様だ。この時の方が難しい。どうしても感情が先に出てしまう。叱るときほど、話の内容を絞らないと何で叱られているのかがわからなくなる。「前にも同じことがあった。」「ついでにこんなこともあった。」などといくつも例を出してもくどくなるだけでわかり辛くなり、叱る効果は上がらない。叱られるとわかった時点から子どもは覚悟している。だからこそ、何が悪いのかをはっきりさせて、「このことで叱られた。」とわかるようにしたい。本質を突く適切な話ならば、例を挙げる必要はないし、同じような場面があった時に話をすればよい。だらだらとお説教をして1時間をつぶすようなことは避けたい。無限に時間があるわけでもない。他にしなければならない時間を割いて今この時間を使っているのだという思いを常にもっていることが必要だ。「それよりも今は、このことが大事だ。」というのは、ひょっとすると傲慢な考えかもしれない。「本当にそうなの?」と疑ってみたり、「それだけの時間をかけないとできない指導なの?」と自分の指導を見直してみたりしながら、より効果的な指導を考えてみたい。-
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from: 岐阜のすーさん
2009年10月21日 05時21分17秒
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校外学習
日ごろの生活とは異なる校外での学習は、それだけで楽しみであり、意欲的になる。意欲をもっているから、指導もしやすい。そのため、逆に指導すべきことへの配慮が欠けてしまうことがある。活動への興味関心が強い分、逆に願いやねらいを忘れがちになる。
この活動を通して、どんな自分になるのかが明らかになっていないと、楽しかった、面白かったという感想だけになり、こんな姿になったとか、これを頑張ったという思いにさせずに終わってしまうことがある。
活動のイメージを事前にもたせるときに、日ごろの自分の行動からどんな取り組みができるのか、そして、新たに挑戦すべきことはないかをじっくりと考えさせ、あるべき姿を自分で決めることが重要となる。
こんな自分になりたい。
・そのためには、どこで、どんなことができるといいのだろう。
・そのためには、どんなことを考えて行動すればいいのだろう。
・みんなにどんな働きかけをし、どんな姿にしようとすればよいのだろう。
一人では達成できなくても、仲間と一緒だから達成できることもある。校外学習は、今まで培った力が本物かどうかを確かめたり、本物にするために、郊外を挑戦したりする場となる。
校外学習でも、あいさつ、集団行動やグループ行動、話の聴き方等様々な視点で力を伸ばすことができる。また、本当にできているかどうかを評価することもできる。これは、日ごろの指導の成果を検証することになる。学習内容だけに目を向けていると学び方を育てることを忘れてしまう。校外学習は、教師の手から離れた時にどんな姿になっていればよいのかを教師自身が明らかにする大切な機会なのだ。-
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