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from: 岐阜のすーさん
2010年10月27日 06時30分35秒
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問題に出会ったら
幸せを感じる時の感覚を常に持ち続けたいと思います。しかし、問題が起きるとすぐにその感覚が消えてしまいます。
消えていくのは、問題を困った事だと考えているからだと最近気づくようになりました。
もし、問題が新しい発見の機会だと考えれば、これは楽しみの一つになります。楽しみならば、わくわくし、決して幸せな時の感覚が薄れることはありません。
困った事にしているのは、自分自身なのです。
でも、問題が起きたその時に学びの機会だとはなかなか言い難いところです。どんな意味付けができるとわくわく感が薄れないで問題解決に当たることができるのでしょう。
これは、人それぞれ異なると思います。取り組みの意欲を高めるためのきっかけは様々です。
・いい出会いを作る機会なのかもしれない。
・関係を深める機会になるかもしれない。
・物事の本質を見抜く機会になるかもしれない。
・技術を磨く機会になるかもしれない。
・状況を整える機会になるかもしれない。
・時間を有効に利用できる機会になるかもしれない。
・お金を稼ぐ機会になるかもしれない。
・力を試す機会になるかもしれない。
このかもしれないと思うことで、取り組む意欲につなげることができます。下心があるからよくないと思われるかもしれませんが、大事なことは、わくわく感を持続することです。
取り組むきっかけはどうあれ、取り組んでいるうちにいろいろなものが見えてきます。それが現実です。
その現実を受け入れるための意味づけがあれば、意欲をもって取り組めるのが人間です。
子どもを育てることも同じです。問題が発生したときに何を考えているのでしょう。
困ったことにすると、問題はなかなか解決しません。困ったことが次から次へと発生します。
何とかなると思えば、何とかなるものです。悲観的にならず、楽観的になっても、事は進みます。
問題の中に自分を放り込む前に、問題の外に自分を起き、構えを作ってから飛び込むことが冷静に判断できる自分を作るように思います。
水に溺れるのは急激な変化に対応出来ず、動揺するためです。
急激な変化の真っ直中にいる時、水の中にいる自分を冷静に見る自分があれば、溺れないための手だてを打つことができます。
問題解決も同じです。子どもの目の前の問題にすぐに飛び込むことなく、冷静に問題を見つめ、問題の本質を見極めてから飛び込むようになればきっと問題解決も早くなると思います。
一歩進めば、問題にぶつかる私たちです。問題に放り込む前の自分を作るためのチャンスが一杯あると考えることができます。繰り返しながら、次第に対応がうまくなる自分を目指したいと思います。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月26日 05時34分35秒
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先頭を歩くだけが仕事ではない
子どもの活動には、安全を配慮することは当たり前です。
しかし、その配慮がどの程度できるのかは、教師によってことなります。
例えば、遠足で子どもを引率する場合
道路を歩く時、危険の度合いを考えながら、引率をしているかどうかでその教師の配慮が見えてきます。
目的地に向かって、常に先頭を歩く教師がいますが、安全への配慮を考えると疑問を感じます。
いくら長い道のりであっても、安全を確認しながら、少しずつ前に進むという感覚が大事になります。
危険度の高い場所を見つけ、必ず安全を確認するという姿勢で臨みます。低学年であれば、あるほど、その配慮は多くなります。
危険の予知ができるように現場での指導をしながらの引率になります。
交差点が一番危険度が高いことは誰もが知っています。ここでは、子ども任せにしないで、必ず教師の見届けをします。
つまり、教師が一旦止まって、全員を安全に渡してから、先頭まで急いで進みます。人数が多ければ、交差点で引き継ぎをし、先頭まで進みます。
これが、常に安全を確保しながら、少しずつ前に進むという姿になります。
ですから、教師の歩くペースは、一定にはなりません。歩いたり、止まったり、走ったりと常に変化します。これも安全を確保するためです。
いつも子どもの先頭に立たねばならないと考えるのは、思い込みです。子どもに任せても安全に前に進むことができます。
このとき、大切になるのは、どこまで子どもに任せるかということになります。よく利用するのは、交差点や電柱です。「あの交差点まで進んでね。」「次の電柱まで進んでね。」などと危険を感じない所まで子どものペースで進めるようにします。この方が子どもは自分のペースで歩くので、楽に前に進めます。
また、集団全体については、出来る限り固まって動くことを大事にします。この方が危険な場所に関わる時間が短くて済むからです。
前を歩いている子から離れないようにつめて歩くことを子どもたちに求めます。話に夢中になっているとつい前を歩く子から離れてしまうことがあるのが、子どもたちです。つめて歩くことも能力です。先頭を子どもに任せることで、指導が可能になります。前に詰めて歩く子どもを褒めたり、間隔が広がった時に指導したりすることができます。
子どもを引率する時に、安全への配慮ができる教師が年々減っているように思います。先輩教師が伝えていないために気づいていないのかもしれません。
でも、じっくり考えれば、当然だとわかることではないでしょうか。
自分一人でも全員を安全に引率する能力を身につけていないと、すぐに補助の支援者を要求します。一人でできなければ、活動の制約も受けます。
もし、万が一の時に一人では対応できないから必要だという前に、一人で安全に引率する能力を身につけることに全力を尽くすことが先のように思います。
教師はわかっているから先頭を歩きたがるように思います。これは引率だけではありません。授業も同じです。先頭を歩きたがっている自分があるとつまずく子どもの気持ちが見えません。先頭を子どもに譲る勇気も時には必要です。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月25日 06時20分43秒
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幸せのエネルギー
私たちが何か事をする時、それを成し遂げる意志の強さが必要となります。すぐに達成できるようなものであれば、強制的にでもさせることができますが、やや困難な事となるとそれは無理です。
意志が弱ければ、やり続けることができず、途中で挫折することが多くなります。
する事に対する意志の強さは、一人一人異なります。
親が子どもに話す言葉に、「勉強しなさい。」「部屋をきれいにしなさい。」「自分の事は自分でしなさい。」「人には優しくしなさい。」「けんかをしてはいけません。」などがあります。これは、いつ終わるともなく投げかける言葉かけではないでしょうか。
させなければならないと思う根底には、何があるのでしょう。
これらは、端的な言葉で表現することができます。
そして、それは、嬉しさ、愛しさ、苦しみ、楽しさ、気持ちよさ、恥ずかしさ、怒り、恐れ、憎しみ、ねたみ、焦り、優越感、不安感、劣等感、満足感、充実感、空虚感など今感じている感情になってきます。
つまり、わたしたちの意志の裏にどんな感情があるとやり続けることができるかということになってきます。
これらの感情は、理屈(意志)ではありません。無意識に働く感情がそれをすべきことに立ち向かわせているということになります。
でも、感情をうまく説明することはできません。体験を通して感じるしかありません。
それでも、言葉で説明しようとするのが私たち大人です。する事に意味をもたせ、ねうちがあることをしていると思うことで事をする子どものする事への意志を強くさせようとします。
充実感や満足感がもてるまで、続けることになります。しかし、この裏には、今は、空虚感があることになります。
「〜ができない」からできるようにしたいと考えるのは、正にこれです。
できないという前提があるから、今取り組むことになります。
これでは、いつまで立っても終わりません。反対にできて当たり前だと感じていれば、求めることはありません。
もし、「〜ができる」からできて当たり前という考え方であれば、ちょっと違ってくるということです。
できることが前提としてあるので、できないことに不安はありません。きっとできるようになると思えるので、心配はしません。
どんな思い方をするかは、今の心の状態できまります。
プラス思考がよいと言われますが、これも理屈です。実感してプラス思考をしている人と理屈でプラス思考をしている人は違うということになります。
プラス思考の人は、今の感情がよい状態になっているので、常に快として物事を考えます。しかし、プラス思考をしなければならないと思っている人の今はよい状態ではありません。(空虚)
私たちの今の状態が未来を創り出すのです。
幸せを感じながら生きている人は、幸せな人生です。不幸を感じながら生きている人はいつまでも不幸を感じながら生きていくことになります。
このように視点を変えるだけで、見えるものが違ってきます。ということは誰もが幸せな人生を歩むことができるということになります。
繰り返しすることで実感してプラス思考する生き方ができるようになります。
今の幸せを探して、それを土台にして生きてみませんか?誰でも、必ずプラス思考で物事を見ることができるようになります。
子どもに幸せな人生をプレゼントできるのは、今幸せを感じているあなたしかないのです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月22日 04時22分28秒
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どんな教師になりたいか
教師を目指す教育実習生の方にどんな教師になりたいかを尋ねてみました。いろいろな答え方があります。
「子どもたちには、お姉さんのように映ってしまうので、褒めることはできても、叱ることはできません。だから、叱ることができる教師になりたい。」
「子どもが話したことを生かしながら、上手に授業を進めたいので、私は、子どもの考えにそった授業のできる先生になりたい。」
などと答えが返ってきました。
この2人の共通点は、どちらも教師の能力をさしています。これも大切な教師の一面ではありますが、全体ではありません。
そこで、「それができる先生というのは、どんな先生なのでしょう。」と問いかけをしました。
すぐには答えが見つかりません。じっくり考えた上で、「子どもを温かく包む先生」「優しくも厳しい先生」「愛情溢れる先生」などの答えが返ってきました。
これは、ある価値観をもった教師像になります。
「こんな価値観をもっているから、こんな能力が発揮されることになるんだね。」と話しました。
能力は、その裏にある価値観に支えられて力を発揮します。ですから、どんな教師になりたいのかを明確にするということは、どんな価値観をもって子どもに対峙する教師なのかということになります。
その価値観にあった能力、行動、そして環境作りが日々なされていきます。現実には、これがはっきりわかる先生とわかりづらい先生がいます。
それはなぜでしょう。
それは、価値観が一つでないからです。大切にしたい価値観は他にもあります。それらが、混在しているからわかりづらくなります。
これをわかりやすく整理し、子どもたちに伝えていくことができる教師が、「しっかりした教師」「骨のある教師」などと言われる教師として子どもや保護者に映っていくのでしょう。
整理するということについて、学級目標を例に考えてみます。
学級目標を3つ程の価値観を並列にして掲げてある学級をよく見かけます。
私たちの脳は、一度に3つを扱うことができません。当てた焦点にしか目が向きません。ですから、私は、この並列に掲げた価値観を一度に具現するのは、難しいと考えています。
3つあれば、その教師の味を出して、1つに絞り込むことが必要だと思います。
つまり、どれか1つを幹にし、他の2つを枝として扱うという考え方です。
具体的な例を挙げます。
自主性 連帯性 健康性を目標に掲げる学級があります。
これを自主性を幹にした場合は、「自ら」をキーワードにします。
・自分から進んでなかよくなろうとしているね。(連帯性が枝)
・仲間のことを真っ先に考えられるね。(創造性が枝)
・進んで大きな声で挨拶できるね。(健康性が枝)
これを連帯性を幹にした場合は、「仲間」をキーワードにします。
・仲間を作りたいという気持ちがあるから進んで出来るね。(自主性が枝)
・互いに知恵を出し合う仲間は素晴らしいね。(創造性が枝)
・一緒にいるとやる気がわいてくるね。(健康性が枝)
この例のように何を幹にするかがはっきりわかるように子どもに伝えることで「うちの先生は、よく〜という。」というようになります。
学習は繰り返しによって身に付くので、常に意識するものは、印象として強く子どもの心に残るからです。
つまり、様々な価値観を自分が一番大事にしたい価値観を幹にして、意図的に言葉を選びながら、結びつけていくことで、伝えたい価値観が子どもたちに浸透していくということになります。
この方が伝える教師側にとっても伝えやすいと思います。
意識することで、言葉は変わります。言葉が変われば、子どもの反応も変わります。
育てたい価値観は明確になっているでしょうか。どんな教師になりたいのかという問いは、自分自身の生き方を見つめ直す機会になります。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月21日 04時06分49秒
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本質が見えない
物事の本質が見えてくると、すべきことに無駄がすくなくなります。その本質が見えないために私たちは、試行錯誤するのだと思います。
今、目の前に抱えている問題の本質はなんだろうと探ると見えている問題の裏に影となって潜んでいる厄介な問題が見つかることがあります。
見えている問題は、ほんの一面でしかないこと
見えない問題の方が根深く、扱いにくいこと
見えない問題を扱うだけでは、見える問題は解決しないこと
関連つけて両方を一度に扱わないと問題が解決しないこと
例えば、子どもが登校を渋るという問題があったとします。
・目に見える問題
登校をいやがって駄々をこねる。
部屋から出てこない。
食事に時間がかかる。
起きようとしない。等
・目に見えない問題
友達関係で悩みを抱えている。
学習についての抵抗がある。
先生を嫌っている。
親と離れることに不安を抱えている。
もっと親の側にいたいと思っている。
親を困らせようとしている。
人間の脳は、安心・安全のためにはたらいています。問題の本質は、この安心・安全から考えるとわかりやすくなります。
この場合、学校と家とを天秤にかけたとき、家の方が安心・安全だと考えられます。
ところで、危険だと感じた時、私たちは、どのような対応をするでしょう。
・危険から逃げる。
・危険に立ち向かう。(解消する。)
危険度が低ければ、自分で解消するように動くことができます。
しかし、自分で解消できなければ、逃げるしかありません。
我慢しなさいと言われても危険だと感じている以上なかなか我慢はできません。手助けが必要になります。
・助けてほしいから登校を渋るのかもしれません。
・裏の問題に気づいてほしいから登校を渋るのかもしれません。
何かのサインだと考えると、ただ、「学校へ行きなさい。」「わがままだ。」などと子どもの尻を叩いて目の前の問題を解消しようとしても解決できません。
ですから、登校を渋ることのよさは何だろうと考えてみます。つまり、危険を避け、自分を守ろうとしていると考えるのです。
学校に問題がある場合
・学校にある問題から逃げようとしている。
・学校にある問題に気づかせようとしている。
家庭に問題がある場合
・安心・安全が確保されるように立ち向かおうとしている。
・立ち向かえないので、自分を責めて解消しようとしている。
・別の弱い所に当たろうとしている。(物、人、事)
(登校渋りにはならなくても、家庭での不満が解消されないために、学校で解消する行動を取ることもある。)
問題が複雑になれば、簡単には解決出来ません。絡んだ糸を一つ一つ取り上げてほどくしかありません。複雑になる前に出来る限り早くこのサインに気づくことが大切だということになります。
学校での暴力行為の原因が家庭の不安定さになっていることもあります。これは複雑に問題が絡んだ時に発生します。この場合、問題は根深く、目に見えることだけを扱っていると問題は解決しません。モグラたたきのようにすぐに形を変えて、問題を作り出します。
子どもは自分を守るために必死になっているのです。暴力的になるのは、最後の砦のようなものです。自分を守るために必死になって抵抗しているのだと解釈すると、「やめなさい。」とは言えません。
「止めることが出来ないほど辛いのです。止められないのです。」という子どもの必死な思いが伝わってきます。
「ごめんね。サインに気づかず。辛い思いをさせてしまったね。」と子どもに頭を下げるしかありません。サインに気づくのは、親だけの仕事ではありません。子どもと関わる教師の仕事でもあります。
子どもの変化に敏感になり、問題を共有して解決に当たらないと問題の早期解決にはなりません。
サインを見つけてもそれが、子どもの本質の問題からずれていると、子どもは「わかってくれない。」という気持ちが強くなります。
これは、わがままではないのです。子どもが必死になって訴えているのです。
本質の問題からずれているかどうかは、こちらの対応に対する子どもの反応で見ることができます。子どもの感情に触れることでそれがわかります。感情は、子どもの表情や姿に現れます。ですから、子どもの変化に鋭敏になるしかありません。
現象的な問題が解決したように見えても隠れた問題を扱っていないとまた別の形で問題を作り出します。ですから、常に本質を見ようと探り続けることがとても大切になります。
「思い込みで子どもの問題に当たっていることはないだろうか。」「問題のとらえ方はこれでいいのだろうか。」と自問自答しながら、子どもと対峙する姿勢をいつまでも忘れないでいたいと思います。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月19日 05時44分08秒
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違っていてはわからない。
「一人一人みんな違ってみんないい。」・・・この言葉を聞いて、何となく自分は自分でいいのだと思う人がいるかもしれません。それは、それで、自分を生かすことができるので、よいのでしょう。
しかし、人と関わる時、相手の気持ちをよくわかっていないとトラブルになることがしばしばあります。
ここには、「あなた」と「わたし」は違うと自分と他人を分けた考えをもっているとなかなか相手の気持ちがわかりません。
似ている所を探し、共感することなしには、トラブルは、減りません。
・自分の正当性を主張し、相手を非難する。
・間違いを極端に嫌い、間違うことは恥だと思っている。
・ミスがあったら、他人に転嫁する。
これらは、すべて自分と他人を分けているから起きることです。
誰にでも、欠点はあります。誰もがミスをします。人は、本当は一緒にいたいと思っています。一人では居られないと思っています。
なぜ、そんな自分なのに自分と他人を分けたいと思うのでしょう。
・根底的に自分に自信がない。
・区別することが自分を守ることだと信じている。
・複雑な時代に対応できないでいる。
様々な要因があるように思います。
私たちは、みな同じ人間なのです。体験や経験の違いはあっても同じ人間なのです。互いに理解しあうことで、関係性がよくなります。
もし、同じ体験や経験をしたなら、自分もそうなるかもしれない。
もし、その体験や経験がなかったら、やっぱりそう考えるかもしれない。
などと思うことができたら、相手を非難したり、自分と区別したりすることはないでしょう。
子どもと大人、上司と部下、親と子、教える側と教えられる側・・・・すべて分離して相手を見ています。そして、自分をそれらしい自分に創り上げています。相手の立場になれば、わかるはずです。違いを作ることでトラブルが増えるとしたら、どんな立場に立てばよいのかを考える自分が必要だと思います。
これには、互いの立場を超えた立場になることではないでしょうか。どちらの立場も見える第三の立場が必要です。
一度その立場から自分のあり方を眺めてみるとまた違った自分が見えてくるはずです。
違っていてはわからないことが、わかってくるように思います。-
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from: はまちゃんさん
2010年10月16日 11時51分07秒
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月16日 02時59分01秒
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新たな挑戦
いくつになっても新しいことを始めると胸がときめきます。ただ、若い頃とは違って、自分の思いだけでまっしぐらに進むことはありません。
・自分が信じてやろうとすることに制限を受けたくない。
・まずは失敗してでもやってみたい。
・どんな結果になるのか、見てみたい。
若い頃の私の気持ちの中にこんな気持ちがありました。
しかし、今はこれだけでは動きません。周りへの配慮も考えながら、周りの人々を巻き込みながら始めようとすることが多くなりました。
それは、何故かと考えてみました。
・周りを巻き込まない代わりに成果もそれ程大きくなかったこと。
・失敗ではなく、学びがあったということ。
・多くのことを学んで、より大きなことを始めたくなったこと。
・周りを巻き込んだ方が大きな影響を生むこと。
・やり甲斐が回りの人にも生まれること。
・一緒に取り組む仲間がいると心強いこと。
・巻き込んだ仲間にすでに思いが伝わっていること。
・一人でも多くの理解者が増えることの方が新しいこと以上に意義があると感じるようになったこと。
ここに至るまでの努力があったから、今の自分があると思っています。
いきなり今の自分になれたわけではありません。
すると不思議なことに感謝の気持ちが沸いてきます。
・思い通りにさせてもらえた人が身近にいてくれたこと。
・失敗をしても、影で支えていてくれた人がいたこと。
・常についてきてくれた家族がいたこと。
私より一日早い誕生日を迎えた妻へも感謝の気持ちを花束に添えて送りました。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月15日 05時17分05秒
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可能性を信じて
他人にできることならば、自分にもできると考えているか、それとも、自分にはできないと考えるかによってかなり前向きさが違ってきます。
当然のことですが、制限を加えれば、その制限以上のことはできません。制限を加えなければ、可能性はどんどん広がります。
その可能性を決めるのは、自分しかありません。
本当に可能性があるの?と疑い始めると可能性に限界を加えることになります。
決して諦めず、常に可能性を追い求めることで可能性はどんどん広がっていきます。
・50の手習いを始める人
・200本安打を9年連続更新続けるイチロー
・アースマラソンに挑戦している間寛平
私たちの周りにも様々な挑戦者がきっといるはずです。
自分の可能性を信じている人には、限界がありません。常に新しい課題を作って前向きに生きています。
これは、技術だけのことではありません。
・場を広げること
・情報を集めること
・人との関係を広げること
・考えを深めること
ノーベル賞を2人の日本人が受賞したニュースも入ってきました。化学の分野で挑戦し続けた結果がこの受賞につながったのでしょう。
1つの道を究めることは、まさにこの限界を感じない努力の成果ではないでしょうか。
教育も同じです。私たちが次代を担う子どもを育てる道を究めるための努力に限界はありません。常に挑戦し続ける私たちの生き方そのものが教育ではないでしょうか。
これは、ノーベル賞を受賞する以上に価値ある生き方だと思います。教師になった以上、極める努力をしたいと思います。
努力をし続ける人々を見ると意欲が沸いてきます。-
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from: 岐阜のすーさん
2010年10月14日 05時29分56秒
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何を信じて
いろいろな事が目の前に起きて判断を迷う時が誰しもあります。そんな時に頼るのは、何でしょう。
助言や他人の動き、規範など様々な情報を得ながら、最終的には自分で決断しています。
「○○さんが言ったから」とよく聞きますが、○○さんが言わなかったら、決めないかと言えばそうではありません。自分なりにそれがいいと判断した根拠を明らかにしただけで、言う言わないに関係なく、よい情報だと判断し、決定したはずです。
責任を取らなければならないという状況は、誰もが避けたい状況です。できれば、責任を取りたくないと思っています。自分自身に影響が及ばないようにしたいと思うのは、無意識の働きによるもので、決してあなたが、意図して避けようとするものではありません。自然なことです。
失敗したら、少なからず誰もが隠したいと思います。これも同じです。失敗も自分自身を責める材料になるからです。
もし、これらを学びの機会ととらえたら、どうなるのでしょう。
判断し決定したことや失敗したことからは、必ず学べることがあると信じることができたら、結果を受け入れることができるでしょう。
自分が下した決断は、間違いはない。今できる自分にとって精一杯の努力の結果なのです。それ以上の決断も、それ以下の決断もないのです。常に私たちは全力で事に当たっているはずです。
また、失敗についても同様です。初めから失敗しようとして失敗する人はいません。結果として思い通りにならなかったというだけです。自分なりに精一杯努力した結果です。何かが足りなかったからその結果になったのです。そこには、必ず学べる何かがあるはずです。
それでは、決断や失敗を恐れるのは、何故でしょう。奥深く自分を探ってみましょう。
・自分をよく見せたいという見栄があるかもしれません。
・恥をかきたくないという思いがあるかもしれません。
・評価が下がることを恐れているかもしれません。
・関係が崩れることを恐れているかもしれません。
これらは、よい判断をしようと精一杯努力するエネルギーを奪いとるものになるとは思いませんか?
今の自分を信じて、精一杯事に当たることが自分にとって一番よい結果になると思います。
誰もが完璧ではありません。一人ですることに完璧なことはありません。必ず足りないことがあるはずです。
学びしかありません。常に学びながら成長している私たちではないでしょうか。
もし、精一杯取り組んでいることに、手を差しのべる人がいたとしたら、あなたは、受け入れるでしょうか。それとも受け入れを拒否するでしょうか。受け入れることは、恥でもありません。評価が下がることでもありません。事がうまくいくためにあなたの無意識が求めていた支援だと考えてみてはどうでしょう。
あなたが必死になっている時に差しのべられる手は、その時それが必要だから現れたと考えた方があなたにとって負担が少なくなります。一緒に歩もうとする仲間がいてくれることに感謝しながら、事がうまく進むように努力します。そして、一緒に喜びを分かち合います。その方が力になります。
あなたの周りにあなたと一緒に歩もうとする仲間がいることは、あなたの財産です。
常に私達は全力で事に当たっています。それは、自分を生かそうと無意識が働いています。自分を信じることは、正にこの無意識の力を借りることになります。
自分を信じて全力で事を進めている時は、必死になっている自分があります。これは、子どもが無我夢中で動き回っている時と全く同じです。
そんな自分を愛おしいと思うのは、私だけでしょうか。-
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