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from: 岐阜のすーさん
2011年10月31日 04時16分03秒
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わからないと言えること
言語表現を重視した教育活動を展開している私たちです。
表現となると話すこと、書くことが活動の中心のようにとらえられがちです。
でも、その前提は、「聞く」ことになります。
私たちは、言語を獲得するために、まず言葉そのものを聞くことから始めています。
それは、赤ん坊が、言葉を覚えていく過程を考えればすぐにわかります。
泣くことしかできない赤ん坊が、食べたいという欲求を満足させるために「まんま」を覚えていく時、その裏には、母親の「まんま」の繰り返しがどれほどあったことでしょう。
赤ん坊は、繰り返し、耳にすることで、体験と結びつけて言葉を覚えていきます。
これは、子どもが、学習の中で新しいことを覚えていくのも同じ過程を経ています。
その過程を無視すれば、わからないということになります。
このことから、話を聞いた時に、同じことをオウム返しで言えるかどうかがとても重要だということがわかります。
同じことが言えると言うことは、発せられた言葉をきちんと受け取っていることになります。
但し、それが理解されているかどうかは別です。赤ん坊と同様に、まねをしただけです。
体験と結びつけているかどうかがポイントになります。
学習は積み上げですから、過去の体験や経験の中に発せられた言葉とつながる体験があれば、簡単につなげることができます。
もし、真似できないとすれば、過去の体験や経験がないか、うまくつなげられないかのどちらかになります。
つなげるためには、過去の体験や経験を想起させることが必要になります。ここがポイントになります。
真似をして言えたからOKにするのではなく、それをより詳しく説明することができるかどうかがポイントになります。
そのためには、真似した言葉の意味を聞いたり、つながる体験や経験は何か尋ねたりすることになります。
これが、できたときに、発せられた言葉を理解していると解釈できます。
一斉授業の中で、できる子の発言に頼って授業を進めていると、できない子、わからない子は、どんどん言葉の渦の中に埋もれてしまい、できない事が増えていきます。
表現させたことが本当にわかったかどうかをきちんと見分けることに焦点を当てることが必要です。
そのためには、表現した子以外の子どもに確認を取ることが大事です。
「今、話したこと、わかった?」
「もう一度、言ってご覧。」
などと、聞いている子どもに話をさせる必要があります。
話したくなくて、わかった振りをしている子どもはいないか、ごまかしている子どもはいないか、わからないことを隠したがっている子どもはいないか、子どもの一挙手一投足に着目して、探ってみる必要があります。
わかっていても、話した事とずれていることがあります。
それを修正するためにも、確認が必要です。
でも、これを一つ一つしていると授業はなかなか進みません。
わかったかどうかを常に表現させることに心がけ、わからない時が明確になるように子どもの姿で明確にする必要があります。
挙手は、それを一瞬に見分ける一つの武器になります。
「わかったかどうか挙手でサインをください。」
「本当にわかっているか、確認するよ。」
「わからなかった子がいるね。誰かもう少し、詳しく話してくれないか?」
「まだ、わからない子がいるね。誰かうまく話してくれないか?」
と挙手の反応を利用し、わかるまで丁寧に扱います。
これを年度当初に繰り返し行うことで、わからないことをわからないと言うことが大事であり、先生は、それをちゃんとわかるまで大事に扱ってくれるという学級の雰囲気を作ります。
わからないことをわからないと表現することが、表現力を高めていく上でとても意味があります。
新しいことを学ぶということは、このわからないことの範疇にその内容があるのですから、体験を通してわかるようになっていきます。その体験が不足していれば、わからないままで過ぎていきますから、わからないと言える場ならば、安心して追体験することができます。これを怠ると、わからないまま次へ進むことになっていきます。
話し手の話を真似て話すというのは、その言葉を自分の体験と結びつけようと努力する過程になるということになります。
「これでいいかな。」と不安をもちながら、自分の体験と結びつけ、表現することで、仲間から承認をうければ、自分の表現に自信をもつことができます。
このようにわからないことをわかるようになっていく過程で言語表現を高めることができます。
ですから、学級の中で、「わからない。」と言える子を大事にしなければなりません。
わかる子、できる子で進む授業では、子どもを伸ばすことはできません。
わからない、できないと言う子がいると、伸びるのです。
時間がかかる厄介なことだと考えているうちは、子どものわかる、できる過程を理解していないことになります。
子どもの学びの体験をうまくつなぎながら内容を理解させる努力が授業です。
子どもの思考をつなぐということは、まさに子どもの学びの体験をつなぐということに他なりません。その体験の豊かさが言語活動の豊かさにつながります。
授業が複雑になればなるほど、つながりのある体験が多くなります。子どものつまずきは、その体験不足によるもので、それを発見することに授業のおもしろさがあります。子どもの表現も個々の体験の違いから、豊かになってきます。長い話ができる子どもはこの過程で育っていきます。
「そうか、子どもはこんな所でつまずくのか。」
この気づきが授業の質を上げることになり、教師の授業力をアップさせるせることになります。
そのためにはまずは、どの子もわからないと言える子になっているかを探ることがとても重要になります。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年10月26日 05時48分35秒
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電話で伝える
私たちは、日頃から保護者と連絡を取り、意思の疎通を欠かさないように努力をしています。
家庭訪問まで必要がないという用件の場合は、電話を利用することが多いと思います。
この電話での対応は、直接相手が見えない分、配慮を欠かないように注意が必要となります。
私たちは、子どもたちと直接会話することを日常的に行っています。案外、子どもへの配慮を欠き、ストレートに子どもたちに自分の感情をぶつけたり、自分の思いを強引に伝えたりしていることが多いかもしれません。
そんな体験が多いと、つい保護者に対しても、無礼な対応をしていることに気づかないでいることがあります。中には、親しみを込めて関わっていくうちにそんな無礼も許されていくと思い込んでいる人もいます。
保護者も喜んで対応していてくれるから、これでいいなどと思い込んでいる人もいます。
親しき仲にも礼儀ありと昔から言われていますが、保護者からすると、子どもを人質に取られているようなものですから、その点を念頭に置きながら保護者の言葉を受け止める必要があります。
このことを考えると、電話での対応は相手の顔を見て直接会話するよりも難しいことがわかります。
まず、電話が学校から入るとなると、子どもに何かあったのだろうか、問題でも起こしたのではないだろうかと保護者は心配をします。
これは、多くの場合、学校からの電話は、保護者にとってプラスというよりも、マイナスのイメージが強いからです。
担任の先生ともっと関わりたいと思っている保護者も多いはずですが、それは、助け合って子どもを一緒に育てたいという気持ちからです。
そんな保護者であっても、電話がかかってくると「何事が起きたのか?」と構えることが多いと思います。
けがや病気などの緊急を要する場合ならば、できる限り早く情報を的確に伝えることが必要ですが、そうでないときには、相手に対する十分な配慮を必要とします。
・電話で対応できる状況か確認をする。
電話がかかったときの相手の状況はわかりません。忙しく家事をしている時、ゆったりとくつろいでいる時、子どもに小言を言っている時、疲れて横になっている時等様々な状況があります。
そんな状況の中に入っていくのですから、対応が可能かどうかについての配慮が必要になります。
急ぎではないから、時間があるときに再度電話をしてもいいと思えるようなゆとりをもった対応ができると保護者も安心です。
・保護者と子どもとの関係性を探る。
これから、話題にしたい子どもの問題についてストレートに伝えることは、受け取る構えができていない状況では、なかなか受け取ることはできません。そのためには、家庭での保護者との関係を探る必要があります。
そこで、家庭での子どもの様子を聞くことから始めます。
その様子を聞きながら、保護者と子どもとの関わりを探っていきます。
問題を抱えているのか、今の状況で満足しているのかを探ります。
子どもの事で困っている事とこれから話をしたいことと同じであれば、受け入れやすくなります。しかし、それが異なっていると受け入れにくくなります。
また、困っていない状況であれば、これから伝えたいことが保護者にとって強い衝撃になるかもしれません。
受け入れにくい状況をつかんだとすれば、対応の仕方が分かれます。
・話題にしたいことは伏せておく。
・話題にしたいことと今の状況と関わらせ、話題にしたいことの方向に導く。
・今の状況の改善を優先する。
どれにするのか判断した上で、今度は学校での様子を話します。
ここでは、子どもの学校での頑張りを話します。
家庭での状況に問題があってもなくても、子どもの頑張りを知ることは、保護者にとって嬉しいことです。そして、それが、保護者の努力によるものだと付け加えることで、自信をもってもらうこともできます。
そして、学校の様子を話した後は、先ほどの判断を元に次のように対応を変えます。
・学校での頑張りを伝えたかった、これからも一緒に力を合わせて頑張りましょうと言って、電話を切る。
・学校での頑張りだけでなく、家での様子と同様の事で心配していることがあると言って、話題にしたいこととつないで電話を続ける。
・学校では頑張っているけれど、家ではそんな心配があるのですか、それでは一緒にその問題を考えましょうと電話を続ける。
このような対応に分かれるのは、意識は、一度に2つのことに焦点を当てることはできない、焦点は一つだという考えに基づいています
保護者が子どもとの関わりで進めようとしていることに加えて何かをしなければならないとすれば、保護者からすると余分なことをすることになります。それはストレスにもなります。
同じことを考えていてくれると思えば、支援になります。
保護者にとって、保護者に負担をかけることはできるだけ避け、協力し合いながら子どもを育てるという構えをもつと保護者は頼ってくれます。その構えを伝える事の方が目の前の話題にしたいことを提示することよりも今後の保護者との関わりを円滑に進めることができるからです。
その上で、電話を続ける場合、
どちらにしても、保護者とどのように協力し、合えるのかを一緒に考えることになります。
そして、
・話題にしたいと思っていることに乗ってもらって、家庭での取り組み、学校での取り組みを決めていく。
・家庭での今の状況に合わせて、家庭での取り組み、学校での取り組みを決めていく。
このどちらかで話を進めていくことになります。
話題にしたいことが先になるか、後になるかの違いはありますが、一緒になって取り組もうという姿勢ができた状況では、保護者との信頼関係はふかまっています。
「今後、互いに取り組みの情報を交流しましょう。」という出口を作ることで、今後の関わりを作ることができます。
その中で話題にしたいことが出てくることもあります。家庭での新たな問題もつかむこともできます。
いずれにしても、電話一本で用件を済まそうとするのではなく、保護者との関わりを深めるためのきっかけを作ったと考えたいのです。
ですから、最初の一本の電話が次の電話につながり、電話1本が2本、3本・・・10本とつながっていきます。
この取り組みを通して、保護者の電話で教師と話すことへの思いは、楽しみに変わっていくはずです。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年10月24日 04時39分50秒
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学校と家庭をつなぐ授業
授業作りは、教師の命です。ですから、授業作りに時間をかけることは、当然の仕事になります。
しかし、今日の教師の多忙を生み出しているのは、この授業作りにかける時間を圧迫する様々な阻害要因があります。
子どもの安心安全確保のためにすべきことや制限を受けていることの増加、保護者対応の増加、時代の変化に伴う新たな視点に関わる取り組み等様々です。
昔は、子どもの学力を向上させるために放課後に、居残りをさせる機会がありました。今は、それがしにくい時代になっています。
子どもの安全が保障しにくいという判断だけでなく、子どもの家庭生活を圧迫するという保護者の要望(塾や習い事への影響)などもあります。
子どもの安全確保は学校だけでは難しい状況があり、やむを得ず集団登下校をさせているのが現状だと思います。安心・安全な地域ならば、地域の方の協力を得やすいため学校が子どもの安心・安全に関わる配慮は地域の協力が内場合と比べると非常に楽になります。
昔のように塾や習い事に通う子どもが少ない状況ならば、学校への依存度も高く、保護者の協力も得やすくなります。しかし、保護者の学力も高くなり、価値観も多様化し、昔のようにはならないのが現実です。
このような状況の中で、学力を伸ばすことは、容易なことではありません。
限られた時間の中で勝負しなければならなくなったのは、これも時代に流れなのでしょう。
時間にどれだけ厳しくなれるかが、今の時代、教師に求められている大きな視点だと思います。
効率のよい、効果の上がる授業を展開して、子どもの学力を高めなければなりません。しかし、学習には必ず繰り返しが必要です。繰り返せば繰り返すほど力は定着しますが、それだけ繰り返す時間はありません。必要最低限の繰り返しをするしかないのです。
子どもの能力に合わせて、必要な繰り返しが必要です。
子どもの能力をすべて理解し、その子ども一人一人に合わせて繰り返しの量を決め、個別に対応することは到底無理なことです。
となると出口が見えてきません。
教師が努力できることには、時間的に限界があります。
これを打破するためには、子ども自身の学習に向かう姿勢を変えることだと思います。
つまり、子どもに学習習慣を身につけさせ、子ども自身が勉強を進んでするようにするようにすることが一番の近道だと思います。
これは、単に宿題を出して、やらせるということではありません。
学校だけの学習に終わらず、家庭でも学習する習慣を身につけさせることができたら、学習すべき内容を子ども自身が決めることができます。そんな仕組みを考えていくということです。
つまり、
学校→家庭→学校→家庭→・・・・・
と常に学校と家庭をつなぎながら、学習を進めていくという流れを作る必要があります。これは将来的には、生涯学習につながる大切な考え方にもなります。
学校ですることは、
・家庭につながる学習にすること
・家庭での学習を評価すること
・子どもの学習意欲を評価すること
・家庭との連携を取ること
です。
家庭につながる学習とは、授業の中で家庭学習につながる内容を明確に示すことになります。
例 「今日の勉強でわかったことをおうちでもまとめるともっとはっきりするよ。」
「この学習が身に付いたかどうか、明日確認するからね。」
「この学習は、家でもできる学習だね。」
などと復習が中心であるが、家庭でできる内容を具体的に授業の中で示すことになります。
これを宿題という形にしてしまうとやらせられるということになり、意欲が減少します。子どもに出す宿題は、内容に柔軟性があると子ども自身で決定できるよさがあり、子どもの意志が入るためやらせられる場合と比べると意欲は高くなります。
(ちなみに私は、自由勉強が宿題だと子どもに伝え、その中には、必ず繰り返しの勉強とまとめの勉強を入れることとしました。)
家庭での学習を評価することとは、学習の中で、家庭でするとよいと言った内容を授業で扱うことになります。
例「前回の学習の復習をしてきた子ならば、きっとできるはず。」と言って問題を出す。
「前回の学習とつながりがあります。何かわかるかな?」
「前回の学習をしてきた子は誰?」
「ちゃんと復習をしてきたから、できるんだね。」
などと家庭で学習したことを評価することになります。そして、その中で自分流のわかり方や取り組み方に気づかせていきます。
何回繰り返せばできるようになる自分なのか、どのようなやり方をすると定着しやすくなるのか、子どもの取り組み方を尋ねながら、視点を示し、自分の学習のスタイルを作らせるのです。
子どもの学習意欲を評価するということは、やらされる学習ではなく、自ら進んですることのねうちを評価することになります。
これは、子どもに自分の夢の実現に向けての道筋を作ることになります。
夢がもていない子どもにも、この取り組みが必ず夢の実現につながることを知らせることで、無意識のうちにその視点から家庭での取り組みを見つけることになります。
その子どもは、自分の将来の夢の実現に役立つものだということがわかれば、自ら進んで取り組むことができるようになります。
ですから、家庭で学習をしてきた、してこなかったという評価に終わることなく、必ず夢の実現に結びつけていく評価をします。
例「家庭でもこれを続けているから、○○ができる子になったんだよ。」
「家庭でうまく時間を見つけてできたね。その姿勢が素晴らしい。」
「家庭でやってきたから、できたんだよ。これが続くすごいね。」
「家庭でやってきたことをうまく生かしたね。すごいよ。」
などとしてきたことが価値あることだと子どもの話すことになります。
家庭との連携をとることとは、学習についての考え方を丁寧に話し、保護者の理解を得ることと協力をいただくことになります。
子どもに託す夢をもっている保護者の夢の実現を手伝いすることになることは間違いありません。ただ、その夢の実現に向かう方向にズレがあるのかもしれません。その方向を揃えるための努力は、教師がすべきことです。
家庭の負担が少なくなるための取り組みであることを十分に理解してもらえれば、必ず協力を得ることができます。また、子どもが学校の学習に前向きになれば、それをあえて否定する保護者はいないと思います。
例「目の前のお子さんにとって本当に必要な力は何でしょう。」
「家庭での学習が授業にうまく生かしていますよ。」
「最近、学習意欲が高まってきましたよ。」
「自分の勉強の仕方が徐々にわかってきたようです。」
「最近のお子さんの家庭で学習する様子はいかがですか。」
などと家庭と連絡を取り、子どもの様子や学習に関わる考え方を丁寧に繰り返し伝えることで教師の考え方や子どもを育てることへの協力を得ることができます。
「どの子も幸せになってもらいたい。」そして、「どの保護者の方にも幸せになってもらいたい。」と思っているのは、私たち教師一人一人の願いです。
家庭と学校をつなぐ授業作りに心がけることで、子どもは意欲的になり、学習への取り組みが変わってきます。また、保護者も協力的になり、授業作りが楽しくなるはずです。-
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2011年10月17日 04時12分23秒
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感情の座は一つ
私たちには、様々な感情が身に付いています。その感情があるため、怒ったり、泣いたり、喜んだり、笑ったり、苦しんだりします。
でも、強めたり、弱めたりすることはできても、一度に2つの感情を出すことは、できません。
例えば、子どもが問題を起こしたときには、原因追求と課題解決の2つを扱います。この時に出てくる感情は2種類あると思います。(常に冷静に子どもと接することができる人は別ですが。)
一つは、原因追求するときに生まれる感情です。事によっては、怒りの感情が出てきます。
もう一つは、課題解決する時に出てくる感情です。ワクワクした期待感をもち、応援したくなる楽しみの感情です。
一度に2つの感情を出すわけではなく、この時でもやはり、一つ一つの感情が順番に現れます。
子どもを怒った時には、子どもを責め続けます。
「何でそんなことをしたの。」「いつからなの。」「それでもあなたは、〜なの。」などと次から次へと怒りの感情に合わせた言葉が出てきます。
そして、その言葉への子どもの反応によって、その感情を強めたり、弱めたりします。
指導が長い人、指導が短いの違いは、指導する能力の問題とは別に、この感情のコントロールの違いがあるように思えてなりません。
怒りの感情を沈めないと楽しみの感情は生まれてきません。つまり、原因追求をし続け、課題解決に向けての言葉がなかなか出てこないということになります。
そして、感情が自然と収まるまでの時間の間怒り続けることになります。怒り疲れて収まるということもあります。
疲れるということは、怒ることで、かなりのエネルギーを消耗することになります。
こうなると、子どもは、怒られた内容よりも、「怒られた」という行為が記憶に残り、「怒られないようにしよう。」と本来伝えたいことではない判断を下すことになってしまう。
これから大事な子どもの未来を作り上げる課題解決にエネルギーがどれ程残されているのでしょう?とても心配になります。
いかに早く、「これから、どうするの?」「何をすればいいの?」と未来に目を向け、夢と希望をもたせるような方向にもっていくかがポイントになります。
怒るのではなく、叱れと言われるのは、この感情のコントロールがうまくできない人に対して、いつも冷静でいられる自分になるための支援の言葉だと思います。
怒る行為は、叱る行為よりも多くのエネルギーを使います。そのかわり、怒る行為の方が、叱る行為よりも相手に対するインパクトが強くなります。
ですから、怒ることに問題があるわけではありません。
ですから、もし、怒るならば、できる限り短い時間を使う必要があります。
そのためには、怒っているときの自分を冷静に見ている自分を作るとよいでしょう。怒っている自分を止めてくれます。
「ちょっと怒りすぎかもしれない。」
「事の本質ではなく、子どもの言葉に反応して怒っている自分がある。」
「以前、怒ったことを思い出して、この時ばかりと怒っている自分がある。」
などと自分の対応を見ることができるからです。
この自分を作ることは、簡単ではないと思います。
しかし、「今日も、怒りすぎてしまった。」「あの時、あの言葉に関わらなければよかった。」などと事が終わってから、見つめ直す自分を作っていれば、必ず冷静な自分を作ることができます。
逆に、問題を起こした子どもが悪いのだとすべてを子どもの責任にしているうちは、冷静な自分を作ることはできません。
指導してもなかなか子どもが変わらないとすれば、この感情のコントロールに問題があるかもしれません。もし、そうだとしたならば、自分を見つめることは、指導力をアップさせることにもつながります。
自分を見つめることは、こどもを育てるための努力になります。-
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2011年10月11日 04時28分27秒
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学びの意義
私たちは、時間の流れの中で生きています。その時間は、誰にでも平等に与えられています。しかし、その時間の使い方は様々です。そして、その時間は、幸せになるための時間です。
今よりももっと幸せになりたいと願っている人は多くいます。
子どもたちが学校生活で様々な体験を通して学ぶことは、今後の幸せにつながる大きな力となると考えているから、私たちも一生懸命に教えているのだろうと思います。
ところが、ここに大きな落とし穴があります。
幸せにつながる学びならば、喜んで学ぶはずにもかかわらず、時々、学ぼうとしない姿や楽に生きようとする姿を見つけます。
これは、子ども自身の問題というよりも、環境に問題があったり、子どもの学びに合わなかったり、強制的に学ばされたりするため、学ぶこととに意義が見つからずにいる子どもがいるからだと思います。
心の時代だと言われて久しくなりますが、時代の変化に流され、経済の混迷に振り回され、自信を失い、不安定さが増している今、豊かな心を養うにはとても厳しい時代になっています。
不安定だから今が不幸に見えるのかもしれません。不安を煽る情報が多いため不幸を感じるのかもしれません。
でも、それは間違いです。
多くの人々から愛され、慈しまれ、支えられてる子どもは、それ自体幸せな存在です。いや、幸せでなければなりません。
教える側が「今は不幸だ。」ということを前提に教えるとすれば、子どもは幸せを感じることは少ないのではないでしょうか。
「今が幸せだから、今後も幸せにならないはずがない。」「もっと幸せになるはずだ。」などと考えれば、幸せが前提となります。
このことを「学び」とつないで考えてみましょう。
学校では、わからないことや難しいことに挑戦させることは、いくらでもあります。
その時、「できないから」という思いで取り組ませているとすれば、不幸を前提とした学びになります。
「可能性を秘めているから、できないはずはない。」という思いで取り組ませているとすれば、これは、幸せが前提とした学びになります。
私たちは、後者の立場で子どもを育てているはずです。しかし、困難さが増せば増すほど、子どもに問題があるととらえ、子どもの可能性から目を離し、「いくら努力してもできないのは、子どもが悪い。」と言い放っていることはないでしょうか。
諦めてしまっていないでしょうか。
子どものよさに目を向けることも大事ですが、可能性の方に目を向けることの方がはるかに豊かになります。
よさは安定につながります。これがあるから、可能性に挑戦できるのです。
よさを生かすことは、可能性を引き出すためのきっかけだと考えることができます。
学びは、まさにこの可能性を引き出すための取り組みではないでしょうか。
学ばせる私たち自身が自らの可能性を広げる努力をしていると、子どもの可能性は、より広がりを見せます。
もし、「あなたのよさを生かして、可能性を広げなさい。」と子どもたちに心から言えるとすれば、きっと今、あなた自身が幸せな人生を歩んでいるはずです。
可能性を追いかけている時は、前向きで心が開かれています。常に吸収しようとする姿勢が現れています。だから、多くを学ぶことができます。
子どもたちは、喜んで学び続けているでしょうか。その機会を私たちは作っているでしょうか。
自らの学びを振り返ってみたいものです。-
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2011年10月05日 05時30分59秒
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指導にかける時間
私たちは、子どもがトラブルを起こした時、そのトラブルを解決するために子どもと一緒にトラブルの原因や問題解決の方向を探りします。
その指導の仕方は、教師によって様々で、その指導にかける時間にもかなり差があります。
できれば、効率的に行うのがよいのですが、この時間の差は、どのようにして生まれてくるのでしょう?
指導の仕方がうまいと下手という考え方もありますが、指導をしている時の指導者の感情に着目してみると面白いことがわかります。
例えば、子どもが物を壊したとします。
その事実を知った時、かなり指導者の感情が高ぶります。
その物への思いが強ければ強いほど、その高まりは高くなります。逆に物への思いがなければ、それほど感情は高ぶりません。
この感情の高ぶりが、指導の長さに関係がありそうなのです。
物への思い入れが強ければ、平常心に戻るまでに時間がかかります。
平常心に戻るまで、「なぜ壊したのか。」という言葉を使いながら原因追求をします。その際にその物の重要性、その物と人との関わりなど物の価値や物に関わる思い入れなどを語ることになります。そして、それほど重要な物であるものを壊したことがどれ程いけないことなのかを説明します。その重要性を説明する中で原因を多様に考えたり、深めたりしながら、原因追及させるのです。
そして、その原因を探す姿勢(言い訳をしたり、反省の色を見せない態度を見せたりする姿)や、原因に対する考え方の甘さ(人のせいにしたり、上辺だけで判断したりする姿)などを子どもの中に見つけると、その子どもの姿に反応して、不快感を抱き、平常心に戻るどころか、余計に感情を高ぶらせてしまい、時間が次第に延びていきます。
また、日頃の子どもの姿と物を壊したことと関わらせながら別の内容を持ち出し、日頃の子どもに対する思いをこの時とばかりにぶつけ、共通点を見いだしたりしながら、原因を深く考えさせていきます。そのため、これも時間が延びていく原因にもなります。
しかし、その物に対する思い入れが弱ければ、そこまで、追求することはなく、割と早い時期に「では、これからどうするの?」と子どもに問題解決の方向を探る方向に進んでいきます。
このことは、一体何を物語っているのでしょう。
指導の長さは、物を壊した子どもによるのではなく、教師の物や子どもの姿への思い入れからくる感情に左右されるということです。
感情の高まりが指導を長引かせているということです。何とかこの機会にすべてを一度にこの子のもっている問題を解決しようと力むことで時間が長くなります。
原因追求をする時、子どもは、過去を見続け、自分の失敗の重さを深めていく方向に意識が流れていきます。(いかに自分はだめな人間なのかを見させる時間)
逆に、問題解決の方向を探る時、未来を見、子どもは前向きになり、次の成功(失敗から遠ざかる方向)に意識が向きます。(自らの可能性を追求していく時間)
つまり、子どもの立場から考えると、原因追及をすることは、自己否定をし続ける時間になり、逆に問題解決をすることは、自分の可能性を探り、自己肯定感につながる時間になるということです。
できれば、後者の時間を長く取ることの方が、子どもにとって、前向きになれると思います。
ですから、原因追求を早く終わらせたいと思います。
また、原因追求を早く終わらせることが重要なのは、いくら多くの原因を見つけても、問題解決の焦点は1つにしか向けられないため、次の問題解決が複雑になるだけで解決に時間がかかったり、方向がずれたりすることがあるということもあります。
このことから私は、
「誰でも失敗することはあるよ。それよりも失敗から学んだことを生かして、次にどうするかが大事だよ。」
と子どもに話したいと思います。
これならば、原因追求も長くならず、前向きに原因を追求する子どもになります。
そして、
「この失敗から何を学んだのかな?」
「学んだことが実現したら、どんな自分になっているのかな?」
「学んだことが実現したら、物の扱い方はどうなるのかな?」
「また、その物と関わる人々との関わり方はどうなるのかな?」
「実現するためにあなたがもっている武器は何かな?」
「もし、実現しないとしたら、何が原因だと思う?」
「それなら、実現するために足りないと思う武器は何かな?」
「学んだことが実現した自分になると、どんないいことがあるのかな?」
「それでは、まず、何から始めるの?」
と、可能性を探り、未来を語らせる問いかけをしたいと思います。
子どもは、未来を語り、可能性を探る時の方が楽しいはずです。
指導する時間を「この子にとって何か意味のある、学びの場だ。」ととらえ、一緒に未来を語り、可能性を探る時間にしたいと思います。-
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2011年10月03日 04時28分15秒
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学び続けることは?
一つ失敗すると、だめだなと思います。そして、もう一つ失敗すると、何で同じ失敗をするのだろうと思います。そして、自分の能力を疑います。そして、また、失敗するとこれではだめだと自分自身をだめにしてしまいます。
私たちは失敗を重ねると次第に意識を深い所にもって行き、自分をだめだと決めつけてしまいます。
でも、私たちがしていることは、失敗ばかりではありません。うまくいくこともあります。
これは、どこに焦点が当たっているかという違いだけで、深い所に問題があるかどうかはわかりません。ひょっとすると単に考え違いをしていたからかもしれません。気づかないことがあったために同じ失敗を繰り返したのかもしれません。
成功した時でも繰り返し成功すると、次第に自信をもち、やる気がわいてきます。
これは失敗の裏返しでしかありません。
成功、失敗は、その時の受け止め方です。その結果をどう受け止めているかによって、感じ方が違うということです。
失敗だと思っていたことでも、その時は、失敗かもしれないが、時間を経てから振り返ってみると、その失敗があったために今があるということは、いくらでも経験することです。
ですから、目の前の事に一喜一憂して、失敗、成功を語ることは、それほど意味のあることではないように思います。
どのようにでも意味づけて考えることができるということです。
どうせ結果を考えるのならば、自分の都合のよいように考えた方が生きやすくなります。そして、自分を生かしやすくなります。
失敗を学びの機会ととらえれば、失敗ではありません。
常に学び続けていると考えてみてはいかがでしょう。
ここで大事になるのが、何のために学ぶのかという学ぶことへの意味づけではないでしょうか。
自分が生きている証としての学びとは、どういう意味があるのか、これをはっきりさせることで、学びの質が高まるように思います。
ひょっとするとこの意味を探るために学び続けているのかもしれません。
確かに今の子どもは、勉強しなくなったと言われます。
実際には学び続けているのですが、何のために学びをするのかを明確に教えていないから、継続しないし、場当たり的な学びになっているように思います。
これは、学びの質に目を向けていないからだと思います。
教師自身が学びを止めない限り、子どもも学び続けます。子どもに原因があるのではなく、学ばせていない教師側や保護者側にあると考えた方がよいかもしれません。
先を見通し、今の失敗を学びととらえ、自分を形作るために学び続けているとすれば、これは、目先の学びだけでは済みません。生き方につながる学びを実現させることが学び続ける子どもを育てることになります。
これは、生涯、学習し続けるということかもしれません。生涯学び続けてもいいと思えるような質を子どもたちに伝えているかが重要だと思います。
学校は生き方を学ぶ場だと自信をもって子どもたちに伝えたいものです。
教科の指導の中でも生き方を学ばせるようにしないと単なる知識や技能の習得に終わってしまいます。
生き方を語り合う授業にしないと、目の前の失敗をしないための学びになってしまいます。
次代に合った生き方を学ぶ機会が目の前にあるのです。
一人一人の学び方の違いが認められ、お互いに学び合う関係の中に必ず次代に生きる生き方を見つけ出すヒントがあります。
相手を見つめ、自分を見つめ直す・・・学校をそんな場にしたいと思います。-
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