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from: 岐阜のすーさん
2012年05月28日 04時24分17秒
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命令語を避けたい訳
私たちは、子どもたちに指示をすることが多くあります。その時、「しなさい。」と言う言葉を避け、「〜しましょう。」という言葉を使うことに心がけます。
なぜ、命令語を避けるのでしょう。
人は、誰でも主導権を握りたいと思っています。命令語を使う時、命令語を使う側に主導権があります。
主導権を握られると、反発をしたくなったり、自分の思いが通らないなあと思ったりします。
こんな気持ちがあるとき、子どもは主体的に行動することはできません。
つまり、命令語を避けるということは、子どもが主導権を握り、自らの判断で行動できるようにするための一つの方法だということです。
子どもに主導権を渡すことは、教師が従順になることでもありません。また、子どもに媚びを売るわけでもありません。
子どもを一人の人格者として、判断を任せ、それを支える側に立つということになります。
判断が悪ければ、失敗をします。その失敗は子どもにとって学びの機会になります。
「ほら、私の言うとおりにすれば、失敗せずにすんだのに。」などと子どもに伝えたくなったとすれば、それは主導権を握りたがっている自分があると判断した方がよいでしょう。
せっかくの学びの機会を台無しにしてしまいます。失敗したときに一番苦しい思いをしているのは、本人です。それに輪をかけて非難しても子どもの自信をなくさせることになります。
そんなとき、「何がいけなかったのか。」「何をすれば、うまくいくのか。」と問いかけ、子どもの判断の材料が増えるように支えることが大切になります。
気づかないことは、知らないことと同じです。教えてもらっても、その重要度が低ければ、それは気づくことにはならず、すぐに忘れてしまいます。
失敗したという体験が強ければ、その時の学びは強い刺激となります。
「そうか、〜をすれば、失敗をせずに済んだかもしれない。」という学びをすることで、強い印象をもつことができ、忘れることなく、深く気づくことになります。
この気づきが次の失敗を避ける大きな力となります。
「〜しましょう。」と言ってすぐにこちらの願い通りに動くことができれば、子どもの意図と教師の意図にズレがないこともわかります。
動かないとすれば、子どもに何かそれを止める理由があり、それをつかむことが子どもの心を学ぶことにもなります。
「〜しましょう。」と言っても動かない理由は様々です。
・動く準備ができていない。
・他の事に気をとられ、話を聞いていなかった。
・動くことに抵抗がある。
指示をして動かせば子どもの判断を仰ぐよりも早く動かすことができます。しかし、これらの意図を知ることなく動かすことになります。
子どもが動くためには、教師が思うように簡単に動けないこともあります。
それをつかまないで、動かしたときには、子どもとのズレが生じ、叱る材料を増やしてしまいます。
「何をしているの。動きなさいと言ったでしょ。」と動かない子どもを叱るのです。
もし、「〜しましょう。」と言って動かない子どもを見つけたとしたら、「なぜ動かないのだろう。」と自問します。そして、子どもを観察します。
ここが重要です。
子どもが動かない(動けない)理由を知ることで、子どもが動くためには何が必要なのかを知る機会になります。
そして、
・子どもが動くためには、もう少し時間を与える必要がある。
・子どもが動くためには、意図をもっと明確にする必要がある。
・子どもが動くためには、動かす前の姿勢を鍛える必要がある。
などと、自分の指導の問題点に気づくことができるのです。
常に命令語を使っていると、自分の思い通りに動かない子どもは、叱る対象となり、自信を失わせることになります。教師の思い通りに動く子どもだけが認められることになります。
子どもが自信をもつということと教師の思いとは別です。
思い通りの学級にしたいというと思うと、自分の指示や命令に従順に動く子どもが多い方が学級を動かし易くなるのは、当然です。その場合、子どもがその指示や命令に従わなくてもよいと思った時に、その反動が出ます。
それは、抑圧された分、ストレスがたまり、どこかで発散しなければ、心が安定しないからです。
指示や命令が少なければ、抑圧が少ないということになります。この場合、ストレスが少なくてすみます。
指示や命令がなくても教師の願い通りに動くような学級づくりができれば、楽です。
それには、「実は、教師の願いとみんなの願いが同じだ。」という落としどころをもっていることが重要になります。
つまり、学級目標がそれに当たります。
教師の願いを実現さえる上で、子どもたちが作り上げた学級目標を活かすことが重要になります。
動かないでいるとき、「教師の思い通りにならない。」と判断するのではなく、「その姿がみんなで目指す姿になるのか。」という判断をするのです。
「一緒に活動する仲間として、その姿は許されるのか、どうか。」
「もし、許されるとすれば、他の人はどのような思いをもっているのか。」などとみんなで考える機会にもなります。
怠けを許さない、ゆとりを作りたい、柔軟に対応したいなどと様々な判断をすることで、子どもたちが目指す姿に修正を加えることにもなります。
命令語を使うことは、その機会を奪うことにもなります。
ただ、すべての命令語をなくすということではありません。危険を回避するときには、一刻を争います。その時に子どももの判断を優先させる訳にはいきません。どんな時に命令語を使うかは、教師だからできる判断です。
子どもの人権を大事にしながら、子どもを守り、育てるという私たちの使命感がこの姿を作り出します。決して、教師の思い通りに子どもを動かすことではありません。-
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from: 岐阜のすーさん
2012年05月14日 05時24分05秒
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価値観で裁く
5月も中頃となりました。この頃になると子どもたちは、学級での生活にも慣れ、次第に自分を出し始めます。
そのため、4月には見られなかった、子ども同士のトラブルや学級全体で考えなければならない問題が起きることがあります。
これは、とても自然な事です。安心の場が提供されているから起きてくることです。
これに異常に反応することが、問題を複雑にしたり、解決困難な状況を作り出すことがあります。
つまり、教師の価値観が強く出過ぎて、教師が問題を解決しようと力むと子どもからの反発が出てくるからです。
子どもたちが自分たちの問題だととらえ、自らの力で解決するために教師が知恵を出し、解決の糸口を作るように見守ることができれば、子ども対教師という構造は作られません。
むしろ、教師の支援を望む子どもた増えることになります。
ここが一番教師の力が試される所です。
「子どもの力で、どこまで問題解決できるのだろうか。」「その時に活躍するのは誰なのだろう。」また、「どのような人間関係ができあがるのだろう。」などと子どもを信じて、子どもたちの一挙手一投足に着目し、子どもの可能性を見つけ出すことができれば、問題を解決したときの子どもの自信にもつながります。
これには、多少時間が必要です。
教師の焦りや都合がそれを邪魔しています。つい、「時間がないから。」「すべきことが他にあるから。」「こんな風にしたいから。」などと教師の考えが優先してしまいます。
せっかく力を出そうとしている子どもであっても、「このくらいの時間で解決できないようでは、だめだ。」「他との関わりを考える力がない。」「もっと全体を考えて、効果的な取り組みをしなければならない。」などと教師の価値観で子どもを裁き始めるのです。
失敗から学び、自分の成長につながります。
子ども自身が学ぶ機会を奪い、教師の価値観で裁かれた子どもは、自信を失います。
いくら素晴らしい価値観であったとしても、過剰に反応することは、光と影を作り出します。
子どもを承認し、子どもの言動を活かすための価値判断が必要になります。
学級の目標と結びつけながら、
「今あなたがしようとしていることは、どんな値打ちがあるの?」
「この学級がよりよくなるためにあなたは何ができるの?」
「今の取り組みは、仲間のためにどんな力になったの?」
などと子どもに語りかけながら、知恵を授けたいと思います。
この5月を乗り切ることは、学級づくりの土台を強く、大きくすることになります。
自らの価値観を学級の目標と照らし合わせながら、どのように対応することが子どもを活かすことになるのかをじっくりと考えてみたいと思います。-
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