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from: 岐阜のすーさん
2006年11月19日 07時18分35秒
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学校が学校らしくなれない
いじめに対する報道について、学校教育がやり玉に挙げられている。また、自殺をしたお子さんの保護者から訴訟の問題も起きている。
学校は、社会性を養う場であり、子どもはその中で守られなければならない。
いじめは、許されないことは当然である。
しかし、一端いじめが発生した場合、加害者と被害者が同じ学校という社会にいるのであるから、その後のフォローがとても重要となる。
「過ちを犯したから許さない。」では、その後いじめを犯してしまった子どもは、生きていけない。
「悪を憎むが、人は憎まない。」ではないが、失敗してもその後の努力で報われなければならない。
いじめについては、本人が「いじめられた。」と思えばいじめが成立する。これは、心の問題でありなかなか見えない。未然に防ぐためには、そのサインを発見する努力をし続けなければならない。
一方で、不法行為となるいじめを「一方的に身体的、心理的な攻撃を集中、継続的に加え、相手に深刻な苦痛を与えた場合」と限定している。
それゆえに、学校の対応が難しいのである。一端学校がいじめを認めたということになれば、この継続性と深刻な苦痛を与えたということを認めたことになるからである。
両者の利益・不利益に関わる大きな問題を学校が決定してしまうことになるから、いじめられた側といじめた側から事実の確認を慎重に進めていかなければならない。
(対応が遅いと言われても、「いじめた。」「いじめられた。」だけではいじめと判断できないのが学校の立場。)
<学校のあり方>
両者を監督する学校であり、両者の人権は守らなければならない立場の学校である。
報道に振り回されず、両者の人権を守る努力を今以上に努力する学校でなければならない。
(自殺は、考えさせてはいけないし、自殺は許さない。どの子も大事な一人だ。)
<報道する方へ>
報道する方々の立場と学校の立場には、いじめに対する認識にずれがあるように思う。
(法的な立場で考えなければ対応できない学校)
監督責任について追求することは当然だが、今後起こりうる「いじめた側」と「いじめられた側」の間にある問題の解決について、無関心でいられるのが今の報道ではないだろうか。
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