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from: 岐阜のすーさん
2008年12月14日 05時59分19秒
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可能性を信じる
誰にでもよさがある。そして、そうでない所もある。多くの人がそれをよさと見れば、そのよさに引き寄せられる。逆にそうでない所は、気づかれなかったり、逆に悪い所だと敬遠されたりする。さて、よさやそうでない所を量で見たとき、どちらが多いだろう?きっとそうでない所の方が多いと思う。
そこに可能性がある。よさはよさとして伸ばさなければならないが、そうでない所によさとなる可能性がある。
体験が少ない子どもに体験をさせることで思わぬ力を発揮することがある。しかし、その機会がなければよさは可能性として隠されているだけで、よさとして見えることはない。
リーダーを決めるとき、何かをお願いするとき、係を決めるとき、私たちは、可能性よりも今もっているよさを使って決めることが多い。しかし、本当にそれでいいのだろうか。体験がないために力が発揮できないのかもしれない。すでに力を発揮している子どもに頼っていて発揮させる機会を教師が奪っていて発揮できないのかもしれない。また、学級の人数が多くて発揮させる機会が少ないのかもしれない。子どもたちの中で長年培った固定したその子への見方から機会を与えられないのかもしれない。
もし、「今の状態を維持したい、」「これより悪くならない状態にしたい。」「あの子に任せたらどうなるか不安だ。」などとという教師の意図が今の状態を決めているとしたら、子どもにとって不幸なことだ。
私たちは「立場が人を変える」ことを日常生活で十分体験し、すでに知っている。それと同様、未知なる機会を子どもたちに与える構えが子どもを変える。可能性を信じ、新しいことに挑戦させようとする教師の構えが子どもをその気にさせる。
「やりたい子?」と聞いて、安易にやりたい子に任せていることはないだろうか。聞く前にやりたくなる子にした上で「やりたい子」と問うているだろうか。今の自分ではなく、可能性をもった自分を信じて、新しいことに挑戦しようとする子どもにしているだろうか。
リーダーは誰にでもできるわけではないと言ってよいだろうか。いろいろなタイプのリーダーがいる。支える仲間の協力で立派にやり切ることもできる。すべての子どもにその機会を与えないで教師の固定したリーダー観が子どもの可能性を奪っていることはないだろうか。可能性を信じることはまさに自分自身の価値観を変えることにもなる。そして、その前提として、可能性を信じるためには、それを支える強い意志と深い愛情が必要だ。-
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