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from: 岐阜のすーさん
2009年06月09日 05時32分01秒
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共に歩む
校内で研究課題をもって取り組む学校は、多い。ただ、その研究を自分のものにするか、それとも他人事にするかは、自分次第だ。面倒なことをしなければならないと思うと学びも少ない。一緒に研究を進める同僚からも多くのことが学べる。研究課題を山の頂上に例えるならば、その山へ登る道はたくさんある。それを各自が見つければ、仲間の分だけ道が見つかる。何が正しくて何が間違っているのかは、子どもの姿となって現れるから、まずはやってみることだ。
資質を向上を叫ばれている今、やってみることで余分なことは、何一つない。自ら求めることだけでなく、仲間と一緒にしなければならない共同研究などは、人の土俵で相撲を取らなければならない場だ。これは、自分の思い通りにならないことが多い場でもある。これは一つの試練であるが、自分一人がそう思っているわけではない。共同研究が好きだという人は、それほど多いわけではない。だから、誰もが同じ思いでいると思った方がいい。
授業を通して研究を深めるために、事前に模擬授業をしたり、授業の検討会をしたりと一緒に一つの授業を考えている時に互いの経験が役に立つ。ベテランだけの経験が役立つわけではない。自分が大事にしている考え方や営みを出して、一緒に考えることで、自分の立場も明確になる。そして、話すことで自分の考えや営みに新たな気づきをもたらしてくれる。
共に歩むことは、夫婦と同じだ。互いに考え方は違っていても、子どものために何とか力を合わせて取り組もうとする。これには遠慮はいらない。愛する子どものために自分を精一杯出して確かめ合ったり、至らない点を見つめ合ったりしながら、よりよいものを創り出すのだ。この営みに失敗はない。ただ、学びがあるだけだ。必ず愛情をかけた分、子どもは育つ。そして、その育つ過程で互いに語り合ったことが学びの財産となる。この思いで、多くの子どもたちと関わる我々教師は、まさに子育てのプロだ。共に歩む同僚は、自分を磨いてくれる研磨剤であり、自分を支えてくれる支柱でもある。共に歩む場にいながら、自分の我を通そうとすれば、そこには学びはない。互いの立場を認め合い、補い合おうとする姿勢が同僚との信頼関係を築き、学びを与えてくれる。どんなに頑張ってみても、自分の器以上のことは語れない。無理しなくても今の自分を精一杯出すことが大事だ。逆に遠慮することもない。ただただ、精一杯の自分を出すのだ。これが共に歩む仲間としての礼儀だ。互いに精一杯出し合っていることが分かることで、一緒に歩んでいるという実感を味わうことができる。信じてついて行くこともできる。一緒に歩む仲間が職場にいると思うだけでも楽しくなる。決して一人ではない。仲間と支え合って学校は成り立っているのだ。-
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