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from: 岐阜のすーさん
2009年11月29日 05時52分28秒
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なぜ教師を続けられるのか
職業を決めるきっかけは、人それぞれ違う。自分に合った職業を人は、天職と呼ぶ。すべての人が天職についているとは限らない。教師も同じだ。この人が本当に教師をしていてもいいのだろうかと疑う教師も中にはいる。その違いは何だろう。教師として採用されたということは、ある面から見れば教師としての資格をもっているという判断があって教師になっている。ひょっとすると、その後の体験が、質を下げてしまったのかもしれない。壁にぶつかって自分の理想としていた教育の世界と現実のギャップに打ち砕かされて自分の夢を捨ててしまったのかもしれない。そして、本当はそうでないのにこの程度でも教師が続けられると勝手に判断してしまったのかもしれない。
はじめから立派な教育観を誰もがもっているはずはない。長年の教師経験を経て、自分の教育観を確立していく。ただ、ある地点で自分で教育とはこれだと決めた瞬間が必ずある。その時の経験が今の自分を作り出している。教師としてふさわしい体験に恵まれた人は、それなりに教師としてふさわしい生活を送ることができる。逆にそうでない体験をすることで自信をなくしてしまうこともある。この瞬間に誰と出会うかが、大きい。
その出会いは、子どもかもしれない。保護者かもしれない。教師として一緒に働く仲間かもしれない。誰とは決められないが、必ず出会う人によるものだ。授業がうまいとか下手だとかという問題ではない。人格者としての教師像なのだ。
・「先生のおかげで、子どもが〜となりました。本当にありがとうございました。」
・「子どもがこんな姿になる。これが教育なのだ。」
・「それで、いいよ。それを大事にして頑張って。」
この言葉は、教師を続ける自信につながる。
しかし、
・「先生なんか嫌いだ。」
・「どうして、〜をしてもらえないのですか?」
・「教師なのに何をしているのだ。」
などと教師としてのあり方に疑問を投げかけられることで自信を失い、収入を得る手段としての教師に甘んじてしまう人になってしまうこともある。
「いや、それでは。」と奮い立って頑張るだけの使命感があれば、こんな言葉に踊らさることはない。しかし、それほど強くなければ、この言葉で自分を苦しめてしまう。これではもったいない。
完璧な人はいない。誰もが失敗を経験しながら、伸びていく。失敗を負としてとらえないで可能性が広がったと思えばまだチャンスはある。 これは、教師としての有り様というよりも人としての生き方そのものだ。複雑になったこの時代を生きぬく智恵をもっている人が教師としてふさわしい自分を作り上げていく。プラス思考で物事をとらえることこそ、その原動力となっている。ここには、可能性が広がっている。だから、よりよい姿を求めて生きていける。そして、天職と呼ばれるように自分を作り上げていく。
誰もがその可能性を秘めている。それをうまく引き出してもらえた人は幸せなのだ。だから、出会いは大切だ。教師を育てる環境にどっぷりとつかっている人は幸せだ。そうでなければ、自らその環境を作り出す自分でいたい。面倒だと思う自分があるとすれば、その生き方がすでにできない教師としての自分の枠を作ってしまうことになる。今の自分を作る場は、同時に長い教員生活を続けていくためのきっかけを築く場でもある。
学ぶ場は見つける気があれば、どこにでもある。情報を得る手段はどこにでもある。本であり、インターネットであっり、直接出会った人であり、それは様々だ。必要なのは構えだけだ。自分を教師として生かそうとする構えだけだ。-
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