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from: 岐阜のすーさん
2010/05/25 05:36:44
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発言する、しない
子どもたちの学習への取り組みの一つとして、発言する姿があります。どの子も発言できる子にしたいと思っていてもなかなかその姿にはなりません。
ここで重要なことは、子どもが学習に主体的に取り組むことをどのように捉えているかによって異なってきます。
教師や仲間から教えてもらうという構えでいると、発言はそれほど重要ではありません。教師や仲間が話し、それを聞いて学べば済むので、発言しなくてもよいことになります。
これは、学習の結果としての知識を学ぶことにはなりますが、その知識を作り出す過程では、活躍していません。
発言をすることは、ある意味で危険を冒すことになります。つまり、発言した内容について仲間からの反応に責任を取らなければなりません。
反対に発言しないことは、危険から逃げていることになります。
責任をとらない分、自分で判断することができません。そのため、人に追従することになります。また、人が危険を冒しているのを傍観者としてみている立場になります。
発言しない、発言できないのどちらであっても、傍観者になります。わからないならば、「わからない」と言わなければ、自分の判断はありません。
自分事として、関わろうとする姿勢がなければ、いざ判断しなければならない時に判断できません。なぜならば、判断するためには、いろいろと判断材料を用意しなければなりません。その判断材料を元に自分なりに活付け、意味づけをしながら、どのように考えるのかを決断するのです。この過程を経て判断するからです。
そして、この決断に至るまでの過程で思考力を養うことになります。
その後、この決断に基づいて自分の考えを言葉で表現します。ここには表現力を高めるための様々な要素が隠されています。
例えば、相手に伝えるための適切な言葉を選んだり、自分の言いたいことをまとめたり、話をする順序を決めたりします。これは、発言しようとするから生まれてきます。発言しないという立場からはこの姿は生まれません。
ですから、発言しない、できないということは、この表現力を高める大事な時間を奪うことになります。これでは、表現力を高めることはできません。
表現力を高める要素は日頃の授業にあることがわかります。この積み上げがとても重要になります。
また、別の見方をすると、傍観者でいることは、人の発言に対して責任を取らない事になります。これは、無責任でいられます。この無責任さは様々な形で生活の中に現れてきます。
「私が考えたのではない。」「あの子が言ったことだから。」と常に他人事で物事を判断します。
これは、いじめや差別を扱ったときによく問題となる傍観者の立場と同じです。常に自分事として物事を捉える「癖」が身についているから、相手の立場がわかります。それがなければ、常に他人事で済ませることになり、関わりを作ろうとしない傍観者としての子どもを育てることになってしまいます。
私たちは、仲間との関わりを重視しながら、授業を進めています。発言しない、できない子どもはある面、関わりをもたない傍観者になります。 ですから、人の発言を聞き流している姿を許していることは、仲間を無視する子どもを育てている事になります。これを避けるために何らかの反応をさせ、関わりをもち続ける努力が授業作りには重要だということです。
一人の発言には必ず反応する姿を求めます。これを続けることが、常に仲間との関わりを大切にする意図を子どもに伝えることになります。
傍観者を作らないで、どんな形になってでも関わる子どもを育てたいと思います。-
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