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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月19日 06時09分04秒

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    一人ひとり違っていいと言った責任

     一人ひとり違っていいといいながら、本当は一緒にしたいと思うことはないでしょうか。
     実際に学級経営をするときには、一人ひとりの行動がばらばらでは困ります。皆がそろって初めて学級として成り立ちます。
     それでも一人ひとり違っていいとはいえません。学び方であれ、学級の約束であれ、みんなが一つにならなければなりません。
     となると一人ひとり違っていいというのは、どういうことなのでしょう。

     山登りの例えるとわかりやすいと思います。目指す山は一つです。これが皆揃うということです。しかし、山の登り方は一つではありません。様々な登り方があっていいはずです。この登り方まで揃えようとすると難しいのです。当然登り方が一つならば、教え方も一つで済みます。これがたくさんになるとそれぞれの登り方に合った教え方をしなければならないのです。

     教師にとって、一人ひとりが違っていいと言った以上、個々の登り方を保障していることが前提となっています。

     これを十分理解せず、違っていいと言うと大変なことになります。

     どこかで強引に自分のやり方に当てはめて子どもを導こうとするので、子どもからは「言っていることとしていることが違う。」と不安を感じたり、信頼をなくしたりします。時にはその反動がきます。
     これは当然のことであり、子どもに罪はありません。教師の一人ひとり違っていいと言ったその一言が問題を作ったのです。

     ですから、歩みが遅くても、登り始めた子どもの道を確実に登れるようにフォローする立場でいることが大事になります。
     「それでいいよ。」、「安心していいよ。」、「失敗してもいいよ。」と伝えながら、「ここをもう少し考えたできるはず。」、「こんな見方をしてみたらどうかな。」などと助言を加えながら、子どもを道案内するのです。

     子どもが、生かされていると実感したとき、初めて一人ひとり違っていいとわかるのだろうと思います。
     違っていいと言った以上、その責任を十分とっている教師だけが、子どもを生かすことができるのだと思います。

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