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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年10月21日 04時06分49秒

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    本質が見えない

     物事の本質が見えてくると、すべきことに無駄がすくなくなります。その本質が見えないために私たちは、試行錯誤するのだと思います。
     今、目の前に抱えている問題の本質はなんだろうと探ると見えている問題の裏に影となって潜んでいる厄介な問題が見つかることがあります。

     見えている問題は、ほんの一面でしかないこと
     見えない問題の方が根深く、扱いにくいこと
     見えない問題を扱うだけでは、見える問題は解決しないこと
     関連つけて両方を一度に扱わないと問題が解決しないこと

     例えば、子どもが登校を渋るという問題があったとします。
    ・目に見える問題
     登校をいやがって駄々をこねる。
     部屋から出てこない。
     食事に時間がかかる。
     起きようとしない。等
    ・目に見えない問題
     友達関係で悩みを抱えている。
     学習についての抵抗がある。
     先生を嫌っている。
     親と離れることに不安を抱えている。
     もっと親の側にいたいと思っている。
     親を困らせようとしている。

     人間の脳は、安心・安全のためにはたらいています。問題の本質は、この安心・安全から考えるとわかりやすくなります。
     この場合、学校と家とを天秤にかけたとき、家の方が安心・安全だと考えられます。

     ところで、危険だと感じた時、私たちは、どのような対応をするでしょう。
    ・危険から逃げる。
    ・危険に立ち向かう。(解消する。)
     危険度が低ければ、自分で解消するように動くことができます。
    しかし、自分で解消できなければ、逃げるしかありません。

     我慢しなさいと言われても危険だと感じている以上なかなか我慢はできません。手助けが必要になります。
    ・助けてほしいから登校を渋るのかもしれません。
    ・裏の問題に気づいてほしいから登校を渋るのかもしれません。
     何かのサインだと考えると、ただ、「学校へ行きなさい。」「わがままだ。」などと子どもの尻を叩いて目の前の問題を解消しようとしても解決できません。

     ですから、登校を渋ることのよさは何だろうと考えてみます。つまり、危険を避け、自分を守ろうとしていると考えるのです。
     学校に問題がある場合
    ・学校にある問題から逃げようとしている。
    ・学校にある問題に気づかせようとしている。
     家庭に問題がある場合
    ・安心・安全が確保されるように立ち向かおうとしている。
    ・立ち向かえないので、自分を責めて解消しようとしている。
    ・別の弱い所に当たろうとしている。(物、人、事)
     (登校渋りにはならなくても、家庭での不満が解消されないために、学校で解消する行動を取ることもある。)

     問題が複雑になれば、簡単には解決出来ません。絡んだ糸を一つ一つ取り上げてほどくしかありません。複雑になる前に出来る限り早くこのサインに気づくことが大切だということになります。

     学校での暴力行為の原因が家庭の不安定さになっていることもあります。これは複雑に問題が絡んだ時に発生します。この場合、問題は根深く、目に見えることだけを扱っていると問題は解決しません。モグラたたきのようにすぐに形を変えて、問題を作り出します。

     子どもは自分を守るために必死になっているのです。暴力的になるのは、最後の砦のようなものです。自分を守るために必死になって抵抗しているのだと解釈すると、「やめなさい。」とは言えません。
    「止めることが出来ないほど辛いのです。止められないのです。」という子どもの必死な思いが伝わってきます。

     「ごめんね。サインに気づかず。辛い思いをさせてしまったね。」と子どもに頭を下げるしかありません。サインに気づくのは、親だけの仕事ではありません。子どもと関わる教師の仕事でもあります。

     子どもの変化に敏感になり、問題を共有して解決に当たらないと問題の早期解決にはなりません。
     
     サインを見つけてもそれが、子どもの本質の問題からずれていると、子どもは「わかってくれない。」という気持ちが強くなります。
     これは、わがままではないのです。子どもが必死になって訴えているのです。

     本質の問題からずれているかどうかは、こちらの対応に対する子どもの反応で見ることができます。子どもの感情に触れることでそれがわかります。感情は、子どもの表情や姿に現れます。ですから、子どもの変化に鋭敏になるしかありません。
     現象的な問題が解決したように見えても隠れた問題を扱っていないとまた別の形で問題を作り出します。ですから、常に本質を見ようと探り続けることがとても大切になります。

     「思い込みで子どもの問題に当たっていることはないだろうか。」「問題のとらえ方はこれでいいのだろうか。」と自問自答しながら、子どもと対峙する姿勢をいつまでも忘れないでいたいと思います。

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