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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年12月21日 05時13分20秒

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    子ども自身の価値と能力とは別

     通知表をもらう子どもや保護者の姿が目に浮かぶ時期になりました。
    評価する側と評価される側は必ずしもその思いが一致するとは、限りません。
    伝えたい内容を受け取るのは受け手次第です。
     通知表では、子どもの能力やその子らしさを評価し、保護者に伝わりやすく表や所見を使って伝えることが多いと思います。

     受け取る側は、日頃の子どもを観察して、ある程度の予測をしながら、今学期は、きっとこうなるだろうと考えています。
     その判断の基準からみて、上がった、下がったという見方をするのではないでしょうか。
     素晴らしいと評価された○の数を数えて、判断したり、教科事の素晴らしいと評価された○の数を数えたりする姿が浮かびます。
     ○の数では表せないことはわかっているため、所見で補足をしたり、別の角度からコメントを加えたりします。
     中には、○では洗わせられないその子のよさや可能性を教師は伝えたいと思っている教師もいます。

     でも、その所見をあまり大事にされない保護者が多いように思います。

     通知表をもらった後に

     「よくがんばったね。」
     「努力が足りなかったね。」

     などという言葉が飛び交っている様子が目に浮かびます。

     当然子どもの能力を評価することは重要です。

    しかし、それがその子ではありません。

     能力は、その子の一部であって、すべてではありません。

     家族の一員として、兄弟関係の兄なら兄として、地域で生きる一人として、学校学級の一員として欠くことができない大事な一人の人間です。

     その子がいるから今のその子の生きる社会が成り立っています。どの子も同じです。どの子も独特で素晴らしい存在です。

     発揮されている能力は、ほんの一部です。その一部に振り回され、一喜一憂することは、その子を十分に評価していないことになります。

     能力は社会の中で生かされてこそ、能力として発揮できます。それを支えるのがその子らしさです。

     もし、仲間が受け入れないその子だったら、決して能力は十分に発揮できません。

     当然回りの影響も大きいのですが、子ども本人が集団の中で生きようとするかどうかの方がもっと重要です。

     集団の仲間から認められる体験や経験が多ければ、多いほど仲間のために頑張ろうとする気持ちも高まってきます。

     この通知表のもたらす効果は、絶大です。

     学校という集団の中で、どんな役割を担っているのか、どのように能力を発揮しているのかを通知表を通して教師が語っているのです。

     わが子の能力だけを見て、安心したり、残念がったりしているだけでは不十分だということです。

     その事を保護者が自覚できるように伝えるのが私たち教師の仕事でもあります。

     賢い保護者ならば、その子自信の価値と能力を区別して、子どもに語りかけることができます。

     しかし、そんな保護者ばかりではありません。

     どの保護者にもわかるように説明する必要があります。通知表では十分に伝わらない部分をどのように補っているのかがとても重要になります。
     通知表の見方やその読み取り方について説明することで多少は理解が進みますが、それだけでは不十分です。

     それが、通信であったり、保護者との会話であったり、伝える方法は様々です。どんな方法であれ、伝える必要があります。

     子どもの能力をそのままその子だと判断しては、子どもは生きづらくなります。

     私たちが生きる社会でも同じです。能力の優れている人ばかりで構成されているわけではありません。
     能力を生かす人
     能力を引き延ばしてくれる人
     能力を評価してくれる人
     能力を大事にしてくれる人
    様々な人がいるはずです。
     
     そういう人がいて、自分が生かされているのです。

     子どもがどんな役割を担っているのか、家庭であっても、学校であっても場が違うだけで同じです。

     家庭に通知表をもって帰るその家庭で子どもは、どのように生かされているのでしょう。
     お前はだめだという烙印を押される道具として通知表をもって帰るとしたら、子どもは家族の一人として生きづらくなります。
     学校でも家庭と同じように頑張っているという言葉がもらえたら、子どもは家族の一人として認められることになり、子どもにとって、家庭が安心できる場になります。

     評価をしたら、その見届けが大事になります。だからといって、通知表によい所をかけばよいというものではありません。私たちは、その子の可能性を伸ばさなければなりません。

     家族のみんながその子を応援したくなるように伝えることで、その子が救われます。

     家に支えられ、家族の一員として頑張ろうとする子どもであれば、そのエネルギーを学校に持ち込むことができます。

     私たちは通知表を通して、とても大事な情報を家庭に伝えているのです。
    その自覚が、評価に関わる丁寧な扱いができる教師を生むのだと思います。

     評価をする側が評価の影響を自覚することで評価観が変わります。

     子どもに幸せを運ぶ、通知表にしたいものです。

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