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from: 岐阜のすーさん
2012年12月25日 04時58分07秒
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幸せな時間
世の中、クリスマスのにぎわいを見せています。一緒にクリスマスを祝う人がいる人がいて幸せを感じる人もいれば、一緒に祝う人がいないと悲しんでいる人もいます。また、全くクリスマスとは無関係に生活をしている人もいます。いろいろな人が幸せを感じたり、不幸せを感じたりしながら、今日という日を生きています。
幸せな人生ってどんな人生なのでしょう?
一緒にいることで安心したり、一緒に活動することで喜んだりするのも、私たちがもち合わせた欲求です。
その一瞬の楽しみを共有することで幸せを感じることも、幸せな時間になります。
でも、幸せが持続するかといえば、そうではありません。
趣味をもって生活をしている人は、その趣味を生かして活動している時間はきっと幸せを感じるでしょう。
また、嗜好品に興味がある人がその嗜好品を手に入れた時には、かなり幸せを感じる時間になります。
また、地位や名誉を大事にする人は、自分の地位や名誉に敬意を払う人がいてくれると嬉しくなります。その時に幸せを感じるでしょう。
これらは、いずれも自分の欲求が満たされたときに幸せを感じていることになります。
欲求を満たされるかどうかは、自分の外との関わりが強く、状況によって変わってきます。
欲求が満たされないときには、つまらない時間であったり、不幸な時間であったりします。
幸せな時間とそうでない時間と比較するとどちらが、長いのでしょう?
また、他にも
あの人よりも幸せだ・・・などと人と比較することで幸せを感じる人がいるとすれば、常に不幸な人を探すことになります。
自分より幸せな人を見つけることと不幸な人を見つけることとどちらの機会が多いのでしょう?
いずれにしても、幸せな時間と不幸せな時間を持ち合わせることになります。
私たちにとって、どちらの時間が多いかということによって、幸せかどうかが決まります。
つまり、幸せを感じる時間が長い人ほど幸せだということになります。
また、幸せな感じは、自分の外側ではなく、内側にあるものだということは確かです。
幸せを感じるその感覚が大事になります。
比較を基盤に幸せを求めているうちは、比較する対象が消えない内は、不幸せを感じることになります。ですから、幸せになる時間が限られてきます。
しかし、比較せず、結果がどうあれ、納得できるところに、幸せを感じているのならば、それはかなりの確立で幸せを感じる時間が多くなります。
こんな話をききました。
野菜作りに趣味をもっている人が、土作りから肥料、雑草取りなどをしながら、「野菜作りは、子どもを育てることと同じだ。世話をしただけ育つ。」ということを学びました。どれだけの世話をしたのかその結果が食卓に出る野菜となって現れます。誰から責められるわけでもなければ、誰に褒めてもらうわけでもなく、ただ、結果がそうなっただけなのです。世話をしても世話をしなくてもいいのです。それで満足できる自分がそこにいるのです。
このように趣味は、成果を期待しなければ、趣味としていつまでも自分とともにあるので、幸せな時間が長くなります。
また、人と一緒にいること、生きていることそのものが幸せだという考えならば、かなりの高さで幸せを感じる時間が多くなります。
例えば、孫と一緒にいられるだけで嬉しいという人がいます。どんな様相を見せる孫であってもいいのです。特別に何かができなければならないというわけでないのです。ただ、ただ、傍にいるだけで嬉しいのです。
これは、かなりの高さで幸せを感じる時間が長いことになります。
当たり前にしていることの中にひょっとすると幸せを感じることがあるのかもしれません。
そして、それは、なくしたときに初めて幸せだったと感じることがあるのかもしれません。
ひょっとすると、私たちは、生まれたことそのものが幸せなのかもしれません。
欲求をもち始めるから不幸を感じるようになったのかもしれません。
新しい年を迎える前に、もう一度幸せって何だろうと考えて見たくなりました。
新しい年を感謝をもって迎える準備ができそうです。-
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