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from: 岐阜のすーさん
2011年09月26日 05時00分43秒
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絆
私たちの仕事は、一般の会社と比べると一人に任されることの多い仕事になります。小学校のように教科担任制でなければ、一人で多くの子どもと一日を過ごすことに
私たちの仕事は、一般の会社と比べると一人に任されることの多い仕事になります。
小学校のように教科担任制でなければ、一人で多くの子どもと一日を過ごすことになります。
また、教科担任制であっても、多くの場合、1時間の授業を一人で多くの子どもを指導することになります。
大人一人と多数の子どもで生活する場になります。
力関係で見ると、低学年ほど大人である教師が大きな力をもち、高学年に向かって行くに従って、多数の子どもの方の力が強くなっていくという傾向があります。
学校という社会で生きていくためには、何もわからない低学年の子どもにとって、キーパーソンとなる担任がある程度方向を決め、その方向に従って生きていく方が生きやすいはずです。ですから、教師の力が強くなっているこということになります。
それが、学校生活に慣れてくると次第に子どもの個性が発揮される社会となり、高学年になれば、子ども同士で物事を決めて、動くことができるようになり、次第に多数の子どもの力が強くなっていくことになります。
学校生活でこのような健全に過ごすことができる環境があれば、子どもの自我の発達に合わせて、個性の生かし方を学ぶ大きな機会を得ることになります。
ですから、子どもが生きやすい社会を作るためには、高学年になるに従って、仲間との関わりを深めるような指導性を発揮することが重要になります。
しかし、子どもに任せっきりになるとそれぞれが自分の生きやすい社会を目指すためにぶつかり合うことになり、方向性がはっきりと見えずにばらばらの社会になってしまいます。このような状況では、子どもは十分に個性を発揮することができません。子どもの中の力関係によって、生かされる子、生かされない子が生まれてしまいます。
逆に、高学年になっても、教師が出過ぎて、教師のの願い通りに子どもを育てようとすると必ず子どもたちから反発を買います。子どもの発達を無視した形になり、教師の方向性になじめないからです。
力が強く、子どもをねじ伏せてしまうような教師であれば、教師の願う方向に進むことができますが、子どもは我慢していることになり、どこかで爆発したり、別の場で反動となって現れたりします。
こういう力で作り上げられた学級の子どもたちは、自己を発揮できないために我慢をしている場合が多くなります。
我慢することは、大事なことですが、その我慢の方向が仲間の幸せにつながるものならば、我慢のし甲斐があります。
そうでなければ、我慢することで、ごまかしたり、嘘をついたりすることを学びます。
目の前の子どもの姿だけで判断しているとこうした子どもの動きをとらえられないで過ごしてしまいます。
これが子どもの裏表を作ってしまうことになります。
ですから、この我慢している姿の方が、まとまりはなくても自由奔放に育てられた姿よりも厄介です。
裏表を作ってしまうと、個性を見分けるのに時間がかかったり、見誤ったりしやすくなります。これでは、子どもの力を十分に力を伸ばすことはできません。
少なくとも自由奔放に育てられた方が自分の個性を発揮するという点から見れば、我慢することが少なく、ごまかしたり、嘘をつく機会が少なくなり、個性を見分ける時間も短くなり、見誤ることも少なくなります。
私たちは、子ども一人一人の幸せを願って指導しています。
自分の経営のしやすさで、子どもを育てる訳ではありません。この点に注意を払う必要があります。
ある教師が、経営のしやすさを押し通すと、次に引き継いだ教師が苦労をします。これは、振り子の揺れ幅に似ています。大きく揺れれば、戻りも大きくなります。小さな触れならば、戻りも小さくなります。
この振れ幅を小さくできるかどうかは、教師の力量になります。
より質の高い、多くの仲間が幸せになるような方向になるように仲間関係に注意を払い、支援することのできる教師の力量が必要になります。
これは、個性が強く目立つ教師ではありません。9年間を見通して、地道にすべきことをきちんと指導し、子どもの状況に合わせて柔軟に対応できる教師です。目立つ存在ではないかもしれませんが、教師が出ない分、子どもが出てきます。
あくまでも主役は子どもです。子どもが仲間とのつながりを深め、子どもの力を強め、あたかも自分自身の力で、それを生み出したかのように取り組ませる縁の下の力持ちとなって働く教師こそ、本当に子どもの力を伸ばす教師だと思います。
当然、最初から子ども同士がうまく関わることはありません。これも繰り返しの中で学びます。教師が焦っても子どもにその気がなければ、伸びるはずがありません。強引に関わりを作っても学ぶ意志がなければ、学びません。ここが振れ幅の問題になります。
常に子どもを観察し、子ども任せにしないで、適切に刺激を与えながら、仲間とのつながりを深めていく、そんな教師でいてほしいと思っています。
現実の社会に出てから学んでいては遅いのです。現実の社会に出る前に、学校という社会の中で学んだ生き方を現実の社会で使うのが子どもです。経験のない生き方はできません。
今回の大震災で「絆」という言葉が注目を集めています。
これを実現するのが、学校教育の大きな役割だと思います。
そして、強い絆で結ばれた子ども同士の関係を築くのは、教師である私たちの使命だと思います。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年09月21日 05時19分00秒
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安心と不安
人と違っていると不安になります。違っていいのだろうかと心配になります。これは、誰でも経験することです。違いがあると「なぜ、違うのだろう。」と違いに焦点
人と違っていると不安になります。違っていいのだろうかと心配になります。これは、誰でも経験することです。
違いがあると「なぜ、違うのだろう。」と違いに焦点が当たります。そして、みんなと同じにしたいと思います。違っていいとは、なかなか思えません。
これは、脳がいつも安心を求めているからです。
体験や経験はそれぞれ違うため、違うことは、当たり前なのですが、集団で生活すると、自分と他人の違いが違和感となります。同じ仲間だから、似ていることや揃っていることが多い方が安心です。これは、自分だけでなく、誰もが同じように感じています。
ですから、違っていると違和感を排除したいという気持ちが強くなります。そのため、集団の中に居づらくなります。
違うことは、恥ずかしい。
違いがあると辛い。
違いを認めたくない。
違いを作り出したのは、何か間違いを犯したからではないか。
等と様々な思いを感じてしまいます。
つまり、違いを違いと素直に認めることができず、違いに自分の価値観をくっつけている状態になっています。
一旦価値観とくっついてしまうと、それを解消するためにかなりのエネルギーが必要となります。ですから、堂々と「違う」と言うには、勇気というエネルギーが必要になります。
本来違っていることは当たり前ですから、勇気など必要ないはずなのに、どうしてこんなことにエネルギーを使わせてしまうのでしょう。
それは、違いに焦点が当たっているからです。
なぜ、違うのだろうと違いを探求し始めてしまいます。つまり、原因の追求を始めるのです。違いを認めたくないからです。
違いがあって当然。その違いがあった上で、その違いを新たな視点とし、課題解決できないかという視点が必要なのです。
違いがあったから、
こんな素敵なことが起きた。
こんなに深く見つめることができた。
と違いがあることで、みんなが新しいステージに立てたと実感した時、違いのあることが素晴らしいということになります。
「誰もが違っていい。」と言われても、違うことのよさを実感しない限り、素直にこの言葉を受け入れることは、できません。
それが人間なのです。
「誰もが違っていい。」と言われても、安心できません。
「誰もが違っていいんだ。」と実感した時に、安心できます。
私たちは、違いをよさとして実感させる場面をどれ程用意しているでしょう。
「違ってもいいから、言いなさい。」・・・・これでは、違いは言えません。
「違いから、何が学べるかが、楽しみだ。」・・・これなら、違いを言う価値が生まれます。
安心して、「違う」(わからないも含む)と言える学級にするには、「違う」(わからない)と言ったことが仲間の役に立つ場面をどれだけ、保障したかによります。
100回、「違っていい。」と繰り返すより、1回の「違っていてよかった。」と実感させる方が効果があります。
「違うと言ってくれた○○さんのお陰で、今日は、こんなことが学べたね。」
「聞き手の○○さんが、わからないと言ってくれたから、話し手の話し方がうまくなったね。」
安心と不安は、常に隣り合っています。
不安にさせるのも、安心させるのも教師の構え一つで決まります。
違いを常に生かそうとする教師でいてほしいと思います。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年09月14日 05時22分48秒
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力みすぎないで
一つのことに一生懸命に打ち込んでいると、どうしても力が入ってしまいます。誰もが経験することだと思います。車の運転でもそうですが、力を入れすぎてハンドル
一つのことに一生懸命に打ち込んでいると、どうしても力が入ってしまいます。誰もが経験することだと思います。
車の運転でもそうですが、力を入れすぎてハンドルを切ると急ハンドルになり、危険を伴います。
少し速度を落として、周りの状況を確認しながら、ゆっくりとハンドルを切ることが確実にできるようになれば、安全な運転ができます。
一生懸命に打ち込んでいると、どうしても目の前の事だけに集中してしまい、周りが見えなくなっていることが多いように思います。
確実に回りの状況を見るためには、少しスピードを落とすことが必要になります。
これは、一生懸命に打ち込んでいることから離れることではなく、一生懸命に打ち込んでいることの状況を少し離れて見つめ直すということになります。
つまり、今一生懸命に打ち込んでいることの状況を確認したり、その意味をもう一度確認し直したり、周りへの影響をどのように及ぼしているのかを見てみたりすることになります。
思いは、常に一生懸命に打ち込んでいることの中にあります。他の事をして、それを忘れたり、消したりすることではありません。
ただ、ちょっと外側からそれを見つめてみるということです。
この時に役立つのが次の8つの視点からの見つめ直しです。
1 あなたは、どんな自分になりたいのですか。
2 それが実現している自分を想像してみましょう。(できる限り具体的に)
3 それが実現するのは、いつですか?(具体的に、○月○日、誰が、何を)
4 実現したら何が変わるでしょう。(人間関係、周りの環境等への影響)
5 実現させたいあなたがすでにもっているリソースは?(資源、役に立つ要素)
また、さらに必要なリソースは?
6 実現するのを止めているものは、何ですか?
7 実現することは、あなたにとってどんな意味がありますか。
8 では、何から始めますか?最初の行動を教えてください。
さて、今一生懸命に取り組んでいることを少し離れた所から見てみるとどんな自分が見えてくるのでしょう。
一生懸命にしていることが、本当に大事なことだと気づくことができるかもしれません。まだ、しなければならないことが見つかるかもしれません。至らなかったことに気づくかもしれません。
いずれにしても、力を入れすぎていないかを見つめる機会になるように思います。
周りをよく見て安全運転ができるのも、行き先がはっきりしているからできるのです。
途中で事故を起こしては、大変です。
夢の実現のためにも、独りよがりにならないで、周りの状況を確認しながら、そして、自分の状態もチェックしながら、確実に一歩一歩前進させたいものです。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年09月14日 05時16分03秒
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大事にしていること
様々な体験を経て、生きていく上で大事にしたいことを私たちは見つけていきます。そして、それに人格を与え、大事にしたいことに関わることが目の前に現れてきた
様々な体験を経て、生きていく上で大事にしたいことを私たちは見つけていきます。
そして、それに人格を与え、大事にしたいことに関わることが目の前に現れてきたり、扱われたりするととても敏感に反応します。
大事にしていれえば、大事にしている程、その影響を強く受けます。
同じ思いでいる人がいれば共感し、逆に軽く扱う人を排斥したり、嫌ったりします。
このことがどれ程大きく自分の人生に良くも悪くも影響を与えているかを知ることは、その後の人生に大きな影響を与えます。
気づかずにいる人は、それがあまりにも自然に行われるので、当たり前のように反応し、喜んだり、悲しんだりします。時には、葛藤が生まれ、自分を苦しむことにもなります。
自らが作り出したにも関わらず、他人を巻き込み、次第に問題を複雑にしていきます。
例えば、時間厳守を大切にしている人は、時間に関わってかなり敏感に反応します。
待ち合わせをしても、待ち合わせの時刻に間に合うように必ず自分の行動を制限します。他人に対しても同じ気持ちでいるので、待ち合わせの時間が迫ってくるとイライラし、待ち合わせの時間を過ぎると腹が立ちます。反対にあまり時間へのこだわりがない人ならば、多少時間遅れてもそれ程気にはなりません。待っている時間を自由に楽しむことができます。
どちらがいいかという判断ではなく、個々に違うということをとらえられるかどうかが問題です。
時間厳守の人は、時間に間に合って次の行動ができることをイメージします。逆に時間に間に合わない相手だとイメージができず、脳に空白ができ、何とかしなければならないという状況になります。これがストレスとなります。そして、イライラし始めます。
これは、相手との関係の中で起きているのではなく、自分の中で起きているものです。いくら相手のせいにしても、このイライラ感は消えません。
自分が大事にしていることだから、そういう状態になるのです。
これは、自然に起きることです。相手が誰であろうと時間厳守の自分だからそういう状態になるのです。
必ず感情が動きます。自分が大事にしているからこそそうなるのです。
ということは、感情の動きをつかめば、自分が大事にしていることがわかるということになります。
腹が立ったり、怒りが沸き上がったり、感情的になってこだわったりすることは、大事にしていることを見つける機会だということになります。
そんなとき
・過去に何があったのだろう。何を大事にしているのだろう。
・どういう過程でそれを大事なことにしたのだろう。
・そのことが、今の自分や周りの人々にどんな影響を与えているのだろう。
・もし、手放すことができたならば、どんな可能性が生まれてくるのだろう。
などと自問してみたいと思います。
今の自分よりももっと素敵な自分になれる可能性が生まれてくると考えることができたら、感情的にならず、穏やかに対応する努力ができます。
大事にしたいことは、人それぞれ違います。同じであると楽ですが、違いを認めることが、より多くの幸せにつながります。強引に自分の方に引き寄せれば、必ず反発も大きくなります。それは、必ずしも互いの幸せにはつながりません。
違いを感じた時を学びの機会ととらえ、引き寄せるのではく、理解するという視点で見てみたいものです。
何がその違いを生み出したのか、相手を今以上に深く理解することができれば、感情的になることは、少なくなるはずです。
子育ても同じです。感情的になったとき、子どもに問題があるのではなく、自分自身の大事にしていることが感情を奮い立たせたのです。
子どもを責めている自分があるとすれば、子どもを見失います。じっくりと子どもを観察し、目の前の子どもに合った支援が必要です。感情的になって叱っても、伝えたいことが間違って伝わることにもなりかねません。
もう一度言います。
感情的になったとき、子どもに問題があるのではなく、自分自身の大事にしていることが感情を振るい立たせたのです。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年09月09日 04時43分46秒
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可能性を引き出す
子どもたちは、無限の可能性を秘めています。しかし、その無限の可能性を秘めていると感じることは、どれ程あるでしょう。子どもならば、この程度できればよいと
子どもたちは、無限の可能性を秘めています。しかし、その無限の可能性を秘めていると感じることは、どれ程あるでしょう。
子どもならば、この程度できればよいとか、これは子どもには無理だろうと制限を加えているうちは、無限の可能性はなかなか見えないものです。
つまり、子どもの可能性を引き出す側の私たちが、その可能性に制限を加えていることで、子どもの可能性が奪われているということになります。
これは、日頃の構えによって違ってきます。
できない所に焦点を当てることは、日常茶飯事です。特に躾に関しては、できるようにしたいという願いが強いため、できる姿をイメージがはっきりしているため、子どもにできていない現実を示すことが多くなります。
そのため、子ども自身は、できない自分を何度も味わうことになります。
例えば、努力しても中途半端になっていることについて、次のような言葉かけをされた時の自分の感じ方を見つめてみましょう。
・なぜうまくいかないのですか?
・それはどうしてですか?
・何(誰)がうまくいくのをじゃましているの?
・その状態は、いつからなのですか?
・なぜ、行動を起こさないのですか?
・本当に向上しようという気持ちはあるのですか。
・他にできなかった事はないですか?
・それは、なぜですか?理由は何ですか?
さて、どんな気持ちになったでしょう。これは、できないことに焦点を当てた質問になります。
次に次のような言葉かけをされた時の自分の感じ方を見つめてみましょう。
・今のところで、できている事は何ですか?
・その中で比較的うまくできていると思う事は何ですか?
・どのくらいまでうまくなりたいと思っていますか?
・うまくいったら、どんなことが実現しますか?
・うまくいくことは、あなたにとってどんな意味があるの?
・何があれば、今よりうまくできると思うの?
・他にうまくできたことはないですか?何がよかったの?
・助けてくれる人や喜んでくれる人はいますか?
さて、どんな気持ちになったでしょう。こちらは、可能性に焦点を当てた質問になります。
繰り返し当てられた焦点によって、それが次第に強化されていくのを感じることができます。
できない自分に焦点が当たると次第にやる気も失せてきます。
逆にできるかもしれない自分に焦点が当たると次第にやる気も高まってきます。
子どもの可能性を信じているからこそ、この言葉かけができるのだろいう言葉かけがあるということです。
日頃何気ない言葉の裏に、教師がイメージしている子どもへの思いが現れてくるのです。
ただし、その根元には、教師自身の自分への思いが現れています。
自信のもてない自分ならば、可能性を感じないで過ごしています。内省している時に、可能性を引き出す言葉は生まれてきません。常にできない自分を振り返る言葉になっています。
内省する言葉の中に可能性を引き出す言葉がなければ、外に向かって吐く言葉に可能性が見える言葉が少ないのは、当たり前です。
自分に制限を加えていることが、子どもの可能性に制限を加えていることになるのです。
ですから、まずは、自分の可能性を信じることから始めなければなりません。
自分の可能性をどこまで豊かに感じているか、日頃の自分見つめがとても重要になります。
制限をはずすことは、私たち教師にとって、子どもを育てる上でとても重要な課題です。可能性を引き出すためには、制限をはずすための柔軟性が問われることになります。-
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from: 岐阜のすーさん
2011年09月05日 04時39分57秒
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「だめだ。」と決めつけている自分
自信がもてない事の1つや2つは誰にでもあります。そして、その自信のなさは、多くの場合比較によって生まれます。「〜よりできていないから、私はだめだ。」「
自信がもてない事の1つや2つは誰にでもあります。そして、その自信のなさは、多くの場合比較によって生まれます。
「〜よりできていないから、私はだめだ。」
「なかなか上達しないから、私はだめだ。」
というように、自分と他人と比べたり、現在の自分と過去の自分と比べたり
します。
本当は、この「私は、だめだ。」・・・というこの言葉が、自分の能力を発揮できないようにしています。
この部分を別の言い方に変えてみるだけで、ちょっと違った感覚になります。
例えば、
「〜よりできない(なかなか上達しない)のは、△△をしていないからだ。」
「〜よりできない(なかなか上達しない)のは、□□を考えていないからだ。」
などにするのです。
こうすると、自分の中にできる可能性が生まれてきます。
実は、「私はだめだ。」と決めつけた瞬間に自信が消えていきます。
これは、誰のせいでもありません。時間がないせいでもありません。
自分で自分をできない自分に決めただけなのです。
努力をしないでできるようになることは、ほとんどありません。多くの場合、繰り返しをしながら身につけていきます。強烈な刺激によって変わることがありますが、そういう機会は少なく感じます。
ただ、常に発見をしようと刺激を求める人は、強烈な刺激をうける機会は多くなります。
ですから、努力し続けるからできるようになっていくと考えた方がよいでしょう。
その努力の最中に「自分はだめだ。」と言えば、それは、できる可能性を自ら奪っているようなものです。
ひょっとすると、その努力をやめたい自分がそう言わせているのかもしれません。早く諦めてすっきりしたいと思っているのかもしれません。
また、別の事にとらわれているから、目の前の努力にかけるエネルギーをっ別の事に回したいと思っているのかもしれません。
いずれにしても、今努力しなければならないことにしがみつかない限り、できるようにはなりません。
「私はだめだ。」と諦めた瞬間から、できない方向に向かっていることは確かです。
知らないからできないのかもしれません。諦めることはまだ早いのです。
知らない状況を乗り越えるために、仲間がいます。気づかせてくれる大切な仲間です。
一人で悩むことなく、「教えてね。」と常に学びのチャンスを作っておくとよいでしょう。
気づかないと、変化させることはできません。
受け入れる構えを作ることで「私はだめだ。」という自分から「私はできるかもしれない。」という自分になっていきます。
自分を生かすも殺すもすべて自分次第です。
受け入れるのを拒んでいるとすれば、そこにも抵抗する何かが自分の中にあるということです。
ひょっとすると無意識のいたずらかもしれません。見栄だったり、虚栄心だったり、邪魔する心は様々です。
そんな自分があることに気づけば、新たな自分を創造することができます。
すべて、自分を見つめることから始まります。
「だめだ。」と決めつけている自分・・・何がそのように決めつけているのでしょう。一度探ってみたいものです。-
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2011年09月01日 04時59分29秒
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決意を形に
いよいよ新学期が始まりました。夏休みを有効に利用し、充電してこの2学期を迎えることができた人がいるかもしれません。子どもも同様で、概ねやる気をもって2
いよいよ新学期が始まりました。夏休みを有効に利用し、充電してこの2学期を迎えることができた人がいるかもしれません。
子どもも同様で、概ねやる気をもって2学期を迎えようとしている子が多いと思います。
このやる気は1週間ほどは続くと思います。そして、この1週間で何とか生活のリズムを取り戻し、新たな歩みを作ることになります。
多くの子どものやる気をいかに形にするかが教師の腕の見せ所となります。
これには、学級目標が役に立ちます。
学級の仲間として、どの子も共通の問題として扱うことができるのが、この学級目標です。
個々の頑張りをこの学級目標とどのようにつなぐことができるかをじっくり考えることが集団として取り組めることになります。
それには、まず1学期からどのようにこの学級を成長させるかを確認することになります。
みんなで1学期よりもいい学級にしたいという思いに立たせ、1学期の暮らしを振り返らせます。
1学期を取り出すことで、子どもたちは、イメージを具体的にすることができます。
よくしたい点はどこなのか、学習、生活の両面から考えます。
子どもたちのやる気がここで生きてきます。やる気がある時には、活発に個々の思いが出されます。
様々な視点が子どもたちから出てくることが予想されるが、それをまとめていく作業が必要です。
自分の願いがどこかに位置付くとやる気が増します。
そして、その取り組みに順番をつけて、時系列に配置します。
どのような取り組みをいつ頃までにできるようにするのか、見通しをもって取り組めるようにします。
ただ、欲張りすぎて、目標倒れになることがあります。
多くの取り組みをすることではなく、まずは、1つの取り組みを学級全員でやり抜くことを大切にします。
このみんなで一緒に達成したという充実感が次の取り組みのエネルギーになります。また、達成するに至る過程での学びが次の取り組みの役に立ちます。
成功体験の積み上げが自信につながります。仲間と一緒に頑張った体験が仲間との信頼関係を深めます。
学級は、この体験の積み上げで作られていきます。
一人一人かけがえのない大切な子どもたちです。その子どもを生かし、充実した生活にするきっかけがこの節目のこの時期なのです。
具体的な内容になれば、取り組みの評価もしやすくなります。みんなですることがはっきりすれば、励ましの声もかけやすくなります。
この時期だからこそ、大切にしたい取り組みになります。
夏休みの課題の処理は、できる限り早く済ませ、子どもたちの視点を夏休みから2学期に向けさせるためにも大切にしたいと思います。-
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