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2007年04月30日 07時19分59秒
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「中立進化論についての質問 」
「遺伝子とゲノムの進化」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31625929
の著者である、国立遺伝学研究所の斉藤成也先生
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientist/saito-n/
に質問のメールをお送りいたしました。
(Sent: Sunday, March 04, 2007 2:01 PM Subject: ご質問)
> 中立説では「淘汰的に中立な遺伝子」を考えています。
> そこで、3つ質問があります。
>
> 淘汰的に中立である突然変異遺伝子は、他の遺伝子と確率的に見て同等ですから、当然、それが残存する確率も突然変異しなかった他の遺伝子と同じで、有性生殖生物で集団の個体数をNとすれば1/2Nであると思います。
> その突然変異遺伝子が全体を占めるようになると結論するのは、確率論的に言って非常に無理があると思いますが、いかがでしょうか。
>
> さらに、そのように他の遺伝子と残存率のまったく変わらない突然変異遺伝子が幾重にも重なりあって、ある新しい未知なる環境に対応しうる何物かができたというのは、いったいどういうことだと理解したらよろしいのでしょうか。
>
> また、木村資生先生の4段階説で、これまで淘汰上中立だった突然変異が新しい生活環境において生存上有利となり正の淘汰となる、と言っていますが、これは、時間を短縮して考えるとダーウィン流の正の淘汰と同じことになってしまわないのでしょうか。
>
> 以上、不躾な質問でたいへん申し訳ありませんが、なにとぞご教授くださいませ。
>
> よろしくお願いいたします。
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2007年04月29日 06時42分14秒
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「Re:不可避性と現代物理学 最高精神」
> 「不可避性という考えは、選択肢を消し去ることでこの問いに答える。
> 不可避性という考えによれば、宇宙には別のあり方はありえなかったことになるからだ。」
これは実に科学者らしい態度ですね。
> (ここで、選択肢がなければ選択したものはいなくてよいという話になってしまっている)
>
>
> では、選択肢のない絶対的世界が成り立つ理由があるのか、
> それをなぜ人間が認識できるのだ、という問いに対して、
> 実は何も答えていないし、不可避性はやはり答えにはならないし、
> この論理展開はおかしいと思います。
そうですね。
選択肢がなかったとしても、それがこの世界の存在している理由にはなりえませんね。
先日ご紹介した「一般相対性理論(アインシュタイン方程式)」
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity105.html
の[次ページへ]をめくっていくと、
「アインシュタイン・ロマン NHKエンタープライズ 1991年」
の内容が出てくるのですが、面白いですね。
神を究極の第一原因とする考え方を嫌うと思ったら、
結局、バラモン教の「宇宙の始まり」という考え方を経て、
物質より精神が先だとなり、
最高精神がどのようにして宇宙を創造したかということも理解できるかも知れない、となるのですね。icon
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2007年04月28日 06時56分38秒
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「Re:Re:Re:不可避性と現代物理学」
私が否定的内容と受け止めたのは下記の部分でした。
「それは、この宇宙を設計するうえで無数にあるように思える選択肢のなかから、誰が、あるいは何か選択をおこなったのかをめぐる謎だ。」
(インテリジェントデザインではこういったアプローチでデザイナーを肯定する)
「不可避性という考えは、選択肢を消し去ることでこの問いに答える。不可避性という考えによれば、宇宙には別のあり方はありえなかったことになるからだ。」
(ここで、選択肢がなければ選択したものはいなくてよいという話になってしまっている)
では、選択肢のない絶対的世界が成り立つ理由があるのか、それをなぜ人間が認識できるのだ、という問いに対して、実は何も答えていないし、不可避性はやはり答えにはならないし、この論理展開はおかしいと思います。icon
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2007年04月26日 07時12分20秒
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「Re:Re:Re:不可避性と現代物理学」
> 私はこの部分はとても肯定的に受け止めました。
> 神様がこの世界をおつくりになったとしたら、これしかない
> という絶対的価値基準でおつくりになっただろう、というのは
> 統一原理と合致すると思いました。
> 愛の直短距離を通る道筋は一つしかないことにつながると思います。
そのような見方もなるほどと思いました。
ただ、宇宙のデザインは様々な可能性を秘めていますから、これしかないという内容だけでないと私は思ってはいます。
ただ、基本的な4つの力のようなものが本当に矛盾なく成り立つ解は一つしかないかも知れませんね。
> 神様が対象世界を創造しようと思わなければ、
> この世界が出現することもなかったわけですから、
> 成り立つこともなかったと思います。
> そういう意味では、これしかあり得ないことは、それが成り
> 立つ理由には成りえないと思います。
> しかし、もしこの世界が出現したならば、それしかあり得な
> かっただろうと思います。
>
> ということは、この宇宙のほかにも違った物理定数の宇宙が
> 無数にあるということはないと思います。
>
たぶん、そうですね。
むしろ、私は常に法則が変わる世界でないのが不思議だと思っています。
> そうすると、私は、重力を及ぼしあう物質があって初めて
> 言える空間幾何学をおかしなふうに解釈しているのではないか、
> と思うふしがあります。
私はひもと同じ大きさにあらゆるひもの振動パターンが収められているということがカラビーヤウ図形の意味ですし、
それからあらゆる反応がとなると、これは通常の空間を占めている物理的なものとは言えないのでないかと思うのです。
ですから性質の相である性相そのものといっても問題ないという言及を何度かしました。
>責任分担は人間だけのもの
なるほど、そうですね。
> 愛が出てきますね。
> ここで絶対愛、真の愛について論及できるかもしれないですね。
絶対愛で創造したから絶対的に法則が維持されている。それはある意味、責任分担と自由性を持った人間だからこそ認識できるものかもしれませんね。
何かすごく良い議論が出来た気がします。(^-^)icon
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2007年04月25日 06時33分36秒
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「Re:Re:不可避性と現代物理学」
> アインシュタインは、統一理論を長い間、探し求めるなかで、
> 「神は異なる仕方で宇宙をつくることもできたのかどうか。つ
> まり、宇宙は、論理的に単純でなければならなくても、自由に
> つくれるのかどうか」について深く考えた。
>
> アインシュタインはこの言葉で、当時生まれつつあり、そして
> 現在では多くの物理学者が共有しているある見方を明確に表現
> していた。それは、自然の最終理論があるとしたら、その理論
> の最も説得力のある論拠とは、最終理論には他のあり方はあり
> えないことだ、という見方である。
>
> 究極理論がある形態をとるのは、それが、いかなる内的矛盾に
> も論理的不合理にもぶつからずに宇宙を記述することのできる
> 唯一の枠組みだからであるべきだ。事物が現にあるようなあり
> 方であるのは、そうでなければならないからだ。究極理論はそ
> のように宣言するだろう。
私はこの部分はとても肯定的に受け止めました。
神様がこの世界をおつくりになったとしたら、これしかないという
絶対的価値基準でおつくりになっただろう、というのは統一原理と
合致すると思いました。
愛の直短距離を通る道筋は一つしかないことにつながると思います。
> 成り立つにはそれしかあり得ない。
> そのことが成り立つ理由になるか?
> また、物理的な基本的な力のみがこの世界を支配している
> と言い切れるのか?
> ここでの問題はこの点だと思っており、これは神学でも
> 神様が絶対で全知全能ならば全てが予定されているのではないか?
> と言う問題につながります。
神様が対象世界を創造しようと思わなければ、
この世界が出現することもなかったわけですから、
成り立つこともなかったと思います。
そういう意味では、これしかあり得ないことは、それが成り立つ理由には成りえないと思います。
しかし、もしこの世界が出現したならば、それしかあり得なかっただろうと思います。
ということは、この宇宙のほかにも違った物理定数の宇宙が無数にあるということはないと思います。
> 私は責任分担論を信じていますし、
> 相対的関係の中に厳然とした秩序はあるけれど同時に
> 自由性を備えていると言う統一思想の理法の説明が
> 正しいと思っています。
> 科学者の不可避性と言うようなこれでないといけない道
> が存在しながら同時に選択肢は存在するというのが原理的観点
> であると思っていますので、
> 科学者の探求を満足させ同時に神様は存在していると言う内容
> を提示するために
> 「方程式は原因とはなり得ない」と言うこと
> (これは私も似たようなことを何度かいままでの書き込みで
> 主張しています)
> の議論を深めたいと思います。
そうですね。
人間の責任分担は、神様が子供として祝福するために与えたもので、
人間にしかない特権だといえると思います。
もし責任分担がなかったら、人間は万物と同じ価値しか持ちえません。
人間が神の子となるためには責任分担がどうしても必要です。
責任分担はこのような特殊なものなので、物理現象には入ってこないと思われます。
なので分離して考えていくのがよろしいのではないでしょうか。
> 結論はたぶん同じなのですが、科学者の不可避性を求める心情
> の行き先は今後どういう方向性が最終的に考えられるかという
> ことを議論したいのだと思います。
> 超ひも理論においては宿命的に多くの解が存在するのですが、
> M理論は膜に展開する状態の変化とみなすことにより5つの
> 理論を統合し一つの解に近づくのかも知れないと
> 見られているようです。
> ただ、4つの力のレベルが一つの解で解かれたとしても、
> この宇宙のあり方は一つと言えるのか、実際今も変化しています。
> 私は、物理学者がいう何十万という宇宙がどういうものか
> はっきりはわかりませんが、物理的な完全な不可避性が
> 全てに適用できることはあり得ないと思います。
カラビーヤウ空間の解が10万個もあるということだと思いますが、
とね日記 カラビ-ヤウ空間を見てみよう!
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b3ab2b9875e9a2b81b055153c078439b
このカラビ-ヤウ空間なるものがどこから出てきたかというと、
一般相対性理論による空間幾何学のゆがみをどんどん大きくしていったときの話ですよね。
一般相対性理論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96
一般相対性理論(アインシュタイン方程式)
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity105.html
そうすると、私は、重力を及ぼしあう物質があって初めて言える空間幾何学をおかしなふうに解釈しているのではないか、と思うふしがあります。
> 神様の御旨は絶対であるというように不可避性はある意味、存在する。
> それは神様の愛の下で結ばれているはずです。
> そういう意味でも「方程式は原因とはなり得ない」ということを
> より深く追求したいと思います。
愛が出てきますね。
ここで絶対愛、真の愛について論及できるかもしれないですね。icon
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2007年04月24日 06時31分15秒
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「Re:不可避性と現代物理学」
成り立つにはそれしかあり得ない。そのことが成り立つ理由になるか?また、物理的な基本的な力のみがこの世界を支配していると言い切れるのか?
ここでの問題はこの点だと思っており、これは神学でも神様が絶対で全知全能ならば全てが予定されているのではないか?と言う問題につながります。
私は責任分担論を信じていますし、相対的関係の中に厳然とした秩序はあるけれど同時に自由性を備えていると言う統一思想の理法の説明が正しいと思っています。
科学者の不可避性と言うようなこれでないといけない道が存在しながら同時に選択肢は存在するというのが原理的観点であると思っていますので、
科学者の探求を満足させ同時に神様は存在していると言う内容を提示するために
「方程式は原因とはなり得ない」と言うこと
(これは私も似たようなことを何度かいままでの書き込みで主張しています)
の議論を深めたいと思います。
結論はたぶん同じなのですが、科学者の不可避性を求める心情の行き先は今後どういう方向性が最終的に考えられるかということを議論したいのだと思います。
超ひも理論においては宿命的に多くの解が存在するのですが、
M理論は膜に展開する状態の変化とみなすことにより5つの理論を統合し一つの解に近づくのかも知れないと見られているようです。
ただ、4つの力のレベルが一つの解で解かれたとしても、
この宇宙のあり方は一つと言えるのか、実際今も変化しています。
私は、物理学者がいう何十万という宇宙がどういうものかはっきりはわかりませんが、物理的な完全な不可避性が全てに適用できることはあり得ないと思います。
ですが、神様の御旨は絶対であるというように不可避性はある意味、存在する。
それは神様の愛の下で結ばれているはずです。そういう意味でも「方程式は原因とはなり得ない」ということをより深く追求したいと思います。icon
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2007年04月23日 06時53分48秒
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「不可避性と現代物理学」
>> エレガントな宇宙ではM理論のところで「不可避性」と言う言葉でこれを科学者は片付けようとしていると書いてあります。
>> それは、そこから導き出されることは究極理論があって解が一つだけならそれは機械的にそのように循環して動いているだけの現象に過ぎないと言う世界観です。
>「エレガントな宇宙」の該当する箇所の前後は、どういうふうに書いてあるのか、私も確認してみたいです。
私が書いた内容は少し誇張であったかもしれませんが、下記の内容からのものです。
---------------
アインシュタインは、統一理論を長い間、探し求めるなかで、
「神は異なる仕方で宇宙をつくることもできたのかどうか。つまり、宇宙は、論理的に単純でなければならなくても、自由につくれるのかどうか」
について深く考えた。
アインシュタインはこの言葉で、当時生まれつつあり、そして現在では多くの物理学者が共有しているある見方を明確に表現していた。それは、自然の最終理論があるとしたら、その理論の最も説得力のある論拠とは、最終理論には他のあり方はありえないことだ、という見方である。
究極理論がある形態をとるのは、それが、いかなる内的矛盾にも論理的不合理にもぶつからずに宇宙を記述することのできる唯一の枠組みだからであるべきだ。事物が現にあるようなあり方であるのは、そうでなければならないからだ。
究極理論はそのように宣言するだろう。理論のあり方が少しでも変化すれば、「この文はうそである」という文のように、自滅のたねをまくことになる。
このような宇宙の構造の不可避性を証明すれば、歴史上最も深い問いのいくつかに答えを出すうえで大きく前進することになる。
こうした問題は一つの謎を際立たせる。
それは、この宇宙を設計するうえで無数にあるように思える選択肢のなかから、誰が、あるいは何か選択をおこなったのかをめぐる謎だ。
不可避性という考えは、選択肢を消し去ることでこの問いに答える。
不可避性という考えによれば、宇宙には別のあり方はありえなかったことになるからだ。
第一四章で論じるように、宇宙がそんなにきっちりと組み立てられているという保証などない。しかし、自然法則のそのような厳格さを追究する営みが、現代物理学の統一プログラムの核心にはあるのである。
--------------
そして、次の第二次超ひも理論革命の要約のようにM理論にその不可避性を求めていると言う話しの展開になっています。
--------------
第二次超ひも理論革命の要約
第二次超ひも理論革命の最も重要な洞察は、図12―と図12―2に要約されている。ひも理論を分析するのに従来用いられてきた近似的方法を乗り越えることができるようになったのは最近のことである。
図12―1に示したのは、それ以前の状況で、五つのひも理論はまったく別々のものと考えられていた。ところが、最近の研究により、今では図12‐2に示したように、五つのひも理論すべてが一個の包括的な枠組みをなすものと見なされるようになった。
すべてを包含するこの枠組みは、暫定的にM理論と呼ばれている。
--------------icon
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2007年04月22日 06時40分02秒
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「物理法則と呼ばれるもの」
> その研究成果が述べられているに過ぎないということであります。
>
> にも関わらず、科学者の中には、この法則こそが問題を根本的に解決してくれる、と思っている人が少なくないのではないでしょうか。
エレガントな宇宙ではM理論のところで「不可避性」と言う言葉でこれを科学者は片付けようとしていると書いてあります。
それは、そこから導き出されることは究極理論があって解が一つだけならそれは機械的にそのように循環して動いているだけの現象に過ぎないと言う世界観です。
始まりから終わりまですっきり矛盾がないという点ではエレガントかも知れませんが、意味のないところに美しさがあるでしょうか?
科学者は本気でこんな世界観を追い求めているのでしょうか?
それにそのような世界を我々が認識している事実に対してそれが単なる機械的運動と言うことはできないと思います。
この「不可避性」があるとしても私は何かを土台とした限定された範囲内であろうと思います。
完全な不可避性があるならばなんらの自由もなく、生きて努力することも無意味です。
「不可避性」があるとするならそれは何に対してあり、何に対して不可能なのか?
これを見出してはっきり主張していく必要があると思います。icon
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2007年04月21日 06時37分14秒
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「Re:Re:物質循環の原理 2 物理法則と呼ばれるもの」
> > (1)エネルギーの供給がないとき
> > 上でも述べたように,一般に化学反応は,化学反応によって
> > 作り出される化学物質の自由エネルギーの総量が,反応に使わ
> > れた化学物質の自由エネルギーの総量よりも小さくなる方向に
> > 向かって進行する.
>
> ここの部分で思ったのは、
> 「化学反応によって作り出される化学物質の自由エネルギーの総量が」
> というのは反応が起こる前、
> 「反応に使われた化学物質の自由エネルギーの総量よりも」
> というのは反応が起きた後、
> どうして、反応が起きた後の結果が、反応が起きる前あるいは反応
> 自体を左右するのでしょうね。
>
> 科学者は、成り立つ公式だけを追い求めて来ましたが、
> 公式は結果について述べたもので、
> それが反応の直接的な理由だとは言えないですね。
この問題を、私はとても強調したいのですが、
物理法則と呼ばれるものは、現象の結果について数式的に記述したものであって、これが現象の理由とはなり得ない(原因ではない)ということです。
現象を簡単に説明するために「こういう法則があるのだよ」と経験的に述べることは出来ますが、実は、これは、現象の説明ではありません。
すでに現象のありさまがどのように現れるかが研究によって解明されていて、その研究成果が述べられているに過ぎないということであります。
にも関わらず、科学者の中には、この法則こそが問題を根本的に解決してくれる、と思っている人が少なくないのではないでしょうか。
私は、ここの点をとても強調したいと思っております。icon
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2007年04月20日 06時59分46秒
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「原始スープから 化学進化・細胞進化より」
進化学シリーズの方から引用します。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31412100
・・まず、進化論者たちの発想ではアミノ酸は原始スープでしか実験上では生じないからそういう環境があったはずだとなります。
3 原始スープから
「原始大気中では,雷(電気放電)や宇宙から降り注ぐ放射線などのエネルギーによってアミノ酸などの生物材料となる物質が合成された.オパーリンの考えによれば,原始の海は濃厚な有機化合物のスープ「原始スープ」となったはずであった(オパーリン,1969).
前節で述べたように,原始の地球環境についてははっきりとはわかっておらず,ことによると酸素がかなり高濃度にあったかもしれない.こうした前提の変化があると,本当に原始の海に大量の有機化合物が蓄積したのかどうかははっきりしない.
しかし,地球に生命が誕生したからには,おそらく濃厚な有機化合物のスープが地球のどこかには蓄積したと考える他はない.」
・・私は物理化学的条件を崩さないで起こせる創造に対しての合理的奇跡があるとするなら、単に物理条件のみならず、神様はそういった関与はされて必要な条件を整えられたかも知れないと思います。
ことによると神様には原始スープほど濃厚な条件は必要でなかったかもしれません。物理化学的に必要な条件を考えること自体は無意味ではないし、そういった環境が起こりにくいからそういった環境はどこにもなく神様の奇跡だけだというのでは確かに科学の発展を妨げるであろう。
これらは同時に考えていけるのは相対的授受相関対応という観点で考えなければ真理にはいたらないと思います。
「ただし、その場所は原始の海全体である必要はない.むしろ局所的な暖かい小さな地,あるいは陸地に閉じこめられた海から乾燥によって縮小してできた濃厚な湖がその場所かもしれない.あるいは粘土や雲母、硫化鉱物などの鉱物結晶の表面に有機化合物が吸着され濃縮したところが生命誕生の現場だと考える研究者も多い.
いずれにしても,蓄積しか有機化合物,アミノ酸や核酸は重合して高分子の有機化合物をつくった.
とりわけアミノ酸の重合体は水溶旅中で数μmの大きさのミセル(球状の凝生体)をつくることができる.オパーリンは,さまざまなタンパク質(天
然のものではあったが)をアラビアゴムなどさまざまな有機化合物と混合することによってミセルをつくり出すことができることを実験的に示した.これはコアセルベート(5章図2参照)と名づけられた.」
・・アミノ酸レベルは栄養素としても必要ですし、通常の化学実験で神様が簡単に作れるようにしていることは不思議でもないですね。アミノ酸入りドリンクはスポーツ飲料として定着していますね。
「その後,原田馨とフォックス(S.W.Fox)によってアミノ酸を熱重合してできるプロテイノイド(タンパク質もどき)も水に溶かすと数μmのミセルをつくることが示され,プロテイノイド・ミクロスフェア(5章図3参照)と命名された(オパーリン,1969).
さらに,柳川弘志らはアミノ酸を塩水溶旅中で高温で熱することにより,やはり重合して同様のミセル(マリグラヌール)ができることを示した(1993,5章図4参照).
こうしたミセルは,外界から有機化合物を濃縮したり,ごく弱いながらも有機化合物中の化学結合を分解する触媒活性ももっていた.
こうした系は外界と相互作用し,動的安定性をもつという意味で一歩進化した系と考えることができる.彼はこのように一歩進んだコアセルベートをプロトビオントと名づけた.
そして,その後の進化はより効率のよいプロトビオントが選択される過程として進行したと考えた.
たとえば,鉄,銅,その他の重金属がとり込まれることによって,ブロトビオントは触媒活性を獲得したとする.
そのとり込まれた囚子は,ポルフィリン環やカルボキシ基など他の官能基や原子団と相互作用することによって触媒活性を飛躍的に増大させた.より複雑な効率のよい代謝系をもつに至ったプロトビオントが他のプロトビオントよりも速く増殖し,優先していった.
さらに,プロトビオントの中で核酸の複製系やタンパク質合成糸が何段階かの中間的段階を経て形成され,自己複製糸をもつ細胞に進化していった.」
・・Mさんが指摘されるように細胞には死があるし単純に進化していたと考えるより違う生物原理が創造的に働いたとこで考えるべきであると思います。
「オパーリンの考えた細胞の誕生への上述の基本的なシナリオは現在もその価値を失っていない.ただし,殼初にできたミセルはやはり,現在の天然のタンパク質とは異なるプロテイノイドであると考えたほうがよい.」
・・形式的には化学反応と無関係で神様が奇跡だけで創造されることは材料の下ごしらえをしておきながら、下ごしらえしない材料をなべに放り込んで料理するようなもののような気はします。
ですから、ここでも相対的授受相関対応を用いられていると思います。icon
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