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2007年11月30日 08時51分18秒
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「Re:Re:スウェーデンボルグの神学思想」
> スウェーデンボルグは人間にあって獣にはない生心というものを捉えていたようですね。
そうだと思います。
原理ほど生心(天)と肉心(地)という区別は明確ではないですが、
動物は外的・感覚的なところから意思を生じ、人間は内的・天的な流入を受けて意思を生ずると言う趣旨のことを言っています。
この流入とは生素にあたると思います。
ただ肉心の流入を地獄に結び付けることが多く、堕落後は確かにそうなのですが、それで自由意志を人間が保っているというような教義があり、その点は少し問題を感じます。icon
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2007年11月28日 06時58分31秒
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「Re:スウェーデンボルグの神学思想」
I さん、スウェーデンボルグの神学思想について
たくさんの解説を加えてくださり、ありがとうございます。
スウェーデンボルグというと、霊界を見てきた第一人者というイメージがありますが、
霊界研究といえばスウェーデンボルグということになりますかね。
ご紹介していただいたホームページを見ていて、
http://www.newchurch-jp.net/index.html
「霊魂と肉体の交流」に興味を持ちました。
その中で、「獣は完全に異なる」
http://www.newchurch-jp.net/ISB_Para/ISB_LJ15.htm
を見てみました。
「人間の理解力は,天界からの光の流入を受け入れ,これを自分のもののように把握し,認め,そしてこれからすべての多種多様なものを完全に自分自身からのように分析的に考えるので,生きていて,それゆえ真の理解力であること,
そしてその意志は,天界の熱の流入を受け入れ,そしてこれから自分自身からのように実行するので,生きていて,それゆえ真の意志であることです。
しかし,獣は逆です。」
とあって、スウェーデンボルグは人間にあって獣にはない「生心」というものを捉えていたようですね。icon
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2007年11月27日 07時50分34秒
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「スウェーデンボルグの神学思想」
スウェーデンボルグの神学思想について、(私の解説だけを鵜呑みにしてもらうのもどうかと思ったので、)どんなものか概要を原典から理解できるページを紹介します。
http://www.newchurch-jp.net/index.html
「新しいエルサレムとその天界の教義」
スウェーデンボルグがイエスキリストによって霊界に導かれ、霊界の天使(善霊人)たちと話し合い、スウェーデンボルグが納得した天界の教えをコンパクトにまとめたもの。
これをまとめたとき、善霊人たちは喜んで天界がばら色に輝いたとスウェーデンボルグは証言する。
「霊魂と肉体の交流」
スウェーデンボルグの主張する霊人体と肉体と神様との関係。
「仁愛について」
スウェーデンボルグが隣人愛の実践とその喜びを独特な教義から解説する。icon
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2007年11月26日 06時04分25秒
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「スウェーデンボルグの聖句の引用から、夕と朝、日の意味を創造目的論的に考察(2)」
[431]より続き
また、日に関しては、「その時」と言う意味で使われるのが普通だと言うことで、根拠の聖句を引用しています。
「エホバの日は近い。 ・・・さあ、エホバの日がやってきた。 ・・・わたしは 天を揺り動かそう。すると地は、その場所から揺れ動く。 ・・・わたしの燃える怒りの日に、・・・その日はもうすぐやってくるが、その日が延期されることはない」(イザヤ13 ・ 6,9,13,22)。
「いにしえの日々には、かれのいにしえがある。 ・・・その日には、ツロは七十年間忘れられる。一人の王の日にちなんで」(イザヤ23 ・ 7,15)。
「日」は、特定の時だけでなく、そのときの状態を意味します。
これはエレミヤ書にもあります。
「われわれは災いだ。日は避けて行った。夕方の陰が広がったからである」(エレミヤ6・4)。
同じくエレミヤ書にあります。
「あなた方は、日にかんするわたしの契約、夜にかんするわたしの契約を無効にした。そのとき、日は存在しなくなり、夜が存在する」(エレミヤ33 ・20,25)。
同じく、
「昔そうであったように、われらの日々を新しくしてください」(哀歌5・21)。
このように、日はその時、状態を意味することも多いことから、
スウェーデンボルグは文字通りの創造とは理解しませんが、
創造という観点から見れば、それぞれの創造目的が達成された状態とその時をして第何日という意味で使っていると言う見解も可能であることがわかります。icon
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2007年11月25日 06時26分15秒
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「スウェーデンボルグの聖句の引用から、夕と朝、日の意味を創造目的論的に考察」
「天界の秘儀」のラテン語原典訳は、前に持っていた英語からの重訳のものよりもわかりやすく、いろいろ聖書の勉強になります。
1巻から4巻は創世記1章から27章までのスウェーデンボルグ神学による注解で、スウェーデンボルグ神学でのイエスに対する見方も書かれています。
聖書の「夕となり朝となった」というところの解釈はとても重要なので、考察していきたいと思います。
夕とは何か、朝とは何かを、スウェーデンボルグは、朝を主の訪れのとき、夕を信仰のない状態や偽り、と解釈しています。
ただ、悪ということに対して神は善であるけれど悪を利用しているというようなニアンスがスウェーデンボルグ神学にはあり、そこは少し問題と感じます。
また、スウェーデンボルグがあげている善霊人の発言の中には、個体目的と全体目的に近い考えで、小さな善、大きな善という考えもあります。
これを創造原理的に見るならば、夕は信仰のない状態や偽りを意味するというよりも、単に神様の創造目的が完全に現れていない状態、すなわち成長期間であると理解するほうが本来的であり、
人間堕落後にスウェーデンボルグが解釈したような意味合いが相対的に成立したと言えるでしょう。
ただ、神様と朝の関係の聖書の例え方を知るのに良い聖句を、スウェーデンボルグはあげています。
その聖句を引用します。
「エホバの霊がわたしに言われる。エホバの言葉がわたしの舌の上にある。イスラエルの神は言われた。イスラエルの岩は、わたしに言われた。 ・・・エホバは、太陽が昇り、雲のない朝、輝かしい雨によって、地から青草が出るときの朝の光のようである」(サムエル下23 ・ 2-4)。icon
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2007年11月23日 06時05分53秒
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「「天界の秘儀」」
私のほうはスウェーデンボルグの霊的新生と象徴という観点と創造目的を絡めて考察したいと考えております。
スウェーデンボルグの「天界の秘儀」という本は旧約聖書のスウェーデンボルグ神学から見た注解書にあたります。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31412356
スウェーデンボルグはイエス受難の路程をマリアの肉体による遺伝悪を神自身が克服し、愛と知恵、善と真理を完全に一体化して、神の愛と知恵(善)の流入を回復させる過程であると理解します。
スウェーデンボルグはそのイエスを信じ、自ら悪を退け、善の流入を受けて善を行い、善は全て神からくるものであると理解するものだけが天界に行くと説きました。
イエスと神を同一視したのは原罪論がなかったためと思います。
ただ、スウェーデンボルグ神学は恵み多き遺産であり、アベル的なものであると思いますので、統一原理によりつながると思っております。icon
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2007年11月21日 19時43分21秒
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「天地創造の第 5 日→新生から見る動物の象徴と統一原理的創造目的(2)」
[428]より続き
鳥は空中を飛び交い鋭く光る眼で獲物を捉えるが、空中を自由に飛翔する特殊な能力は、感覚の束縛を断ち切った自在な思考能力から真理を見抜く能力を連想させる。
そのような能力の発達がなされる状況と対応させて、スウェーデンボルグは理解する。
新生(統一原理では重生)から見るこの段階は、生命の二大原理が「内なる人間」から「外なる人間」に浸透し、「外なる人間」も生動的な生命を帯びてゆくプロセスであり、この生命がさまざまな動物たちによって表わされているのである。
逆に人間は動物たちの行動からこのようなことを学べるということもできるだろう。
すなわち、そのようなことを学べるということを動物の創造目的と考えても良いと思われます。
比喩や象徴という中から人間が成長するための象徴的知恵が自然に隠されていると捕らえることもできます。
スウェーデンボルグは必ずしも創造目的という捕らえ方をしていないが、
このような象徴的な理解ができるのは、人間がそれから学ぶ能力があり、自然を通じて神のメッセージを感じ取れる能力が与えられていると言う理解も可能となるでしょう。
ここの内容は難しいですが、もう少し突っ込んで考えてみようと思います。icon
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2007年11月20日 07時12分00秒
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「天地創造の第 5 日→新生から見る動物の象徴と統一原理的創造目的」
Iです。
動物の創造についてスウェーデンボルグの新生内容から創造目的の考察もしていきたいと思います。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」(創世記 / 1章 20節)
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。(創世記 / 1章 21節)
神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」(創世記 / 1章 22節)
夕べがあり、朝があった。第五の日である。(創世記 / 1章 23節)
創造の五日目に、神は水や海に棲む生き物や空を飛ぶ鳥を創った(「創世記」一章二〇上回節)。
愛と信仰という霊的生命の二大原理によって心の中へ生きた善や真理が豊かに吹き込まれる様子をスェーデンボルグはこの聖句から解釈していく。
動物たちの意味するものは、宗教的な内省や実践によって獲得された知識と理解する。
動物以前の象徴する知識は記憶にのみ属する知識で、この段階でそれは愛と信仰によって生命を帯びるとスウェーデンボルグは主張します。
以前の植物は生長(自律性)という単純な運動しかしない生命を持つのに対して、動物ははるかに多様な生動的な生命(本能)を持っているというところから理解していきます。
たとえば、ここでの魚は、水の中を自由に泳ぐものであるが、水は真理、知識を意味すると説明されるところを考えると一種の初期的な宗教的情愛の動きを象徴すると見ることができる。
やがてこれは、陸上生活もできる爬虫類にもなってゆく。
陸は初期的な宗教的知識の浮上であると捕らえられていたので、爬虫類とは、人間の「感覚的思考」の象徴だとスウェーデンボルグは言うが、愛を知識で求める感覚的指向と理解すべきだろう。
感覚に密着した思考は多くの錯覚や迷妄を有し、事柄の真偽の判断を誤らせることが、よく知られているが、この段階では愛において過ちを犯しやすいと理解できる。
(続く)icon
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2007年11月19日 07時26分02秒
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「天地創造の第4日→人間の「新生」の第四段階との解釈(2)」
[426]より続き
・・・・・引用
新生のこの段階で出現する「大きい光」とは、内なる宇宙に輝く太陽、すなわち「愛」である。
宗教的生活が内面化すればするほど、強制感からなされる行為は減って、内なる心情からなされる行為が増す。これを促すものが愛である。そして愛の内に住まう心は、無限の愛である神の内に安らうのである。
つまり、「大きい光」の創造とは、内なる愛への覚醒を意味すると捉える。もともと、この愛は、霊界の太陽たる神の愛からくるのであるから、なかったわけではなく降り注いでいた神の愛を理解できる状態になったという見方となりより自然なプロセスとなる。
一方、「小さい光」は月である。
スペインの聖人と呼ばれたカルメル会の神秘主義者、十字架の聖ヨアンネス(Juan de la Cruz,1542〜91)が適切に表現したように、新生への途上には「霊魂の暗夜」もある。有限な人間はいつも愛に感動していられるわけではなく、しばしば苦悩し闇の中をさまよう。こういうときに必要なのが、暗夜を照らす月明かり、すなわち「信仰」であり、スウェーデンボルグはこの「小さい光」を信仰と解するのである。
「星」は、スウェーデンボルグによれば、霊的で宗教的な知識を全般的に意味する。
恒星は元来、太陽であるけれども、はるか遠方から来る光のために月よりも小さく見える。それでも無数の星が暗夜の天空にちりばめられている。
星の象徴するものはこの場合、民族であれ個人であれ、万人に対して遠い時代から伝承されている普遍的な霊的知識である。
それは、国や宗教や時代を超えて万人の良心に流れ入る、「神が存在する」「人間は悪を慎み善をなさねばならない」「盗みや殺人は悪い」などといった、ごく基本的な、しかしそれなしでは人間の霊的な生活が瓦解してしまうような知識である。
人間が自己中心性や物質的で感覚的なものへの惑溺、世俗への執着を徐々に脱ぎ棄て、隣人愛や善の実践によって無限の愛である神の愛にめざめるということは、人間が心の奥底に、神が与えた「愛」と「信仰」という二つの光から発する生命的な熱と光を受容することができる状態になったことを意味するとの理解が可能となった。
・・・・・
どうであろうか?
創造に対する見解と霊的なこのような捕らえ方は、このような考え方をするとまったく矛盾がないどころか、さらに深くしっくりする内容となった。
これにより、統一思想の見方を根拠とすることにより、このような思想はより深く本質的となると、私は感じました。icon
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2007年11月18日 07時09分54秒
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「天地創造の第4日→人間の「新生」の第四段階との解釈」
第4日目は一般に創造順序の矛盾と考えられているところです。
統一原理もこの時点で見えるようになったという見解を持ちますが、
ヒューロス氏の意見を参考に、
実際の創造と見ることと霊的な見解が矛盾するか、それとも調和してさらに意味を深化させることが可能か、見てみましょう。
『神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。(創世記 / 1章 14節)
天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。(創世記 / 1章 15節)
神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。 (創世記 / 1章 16節)
神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、(創世記 / 1章 17節)
昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。(創世記 / 1章 18節)
夕べがあり、朝があった。第四の日である。(創世記 / 1章 19節)』
創世記によれば、この時点で太陽と月が「昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるし」となるようになったとされている。
しかし、太陽と月がこの時点で一から創造されたと考える必要はない。また、曇り空であっても光は届かないわけではないが、上記の役割は果たせない(光がわずかでも届いていれば植物は育つ)。
火山灰や大気の条件で曇り空であった可能性は十分にあると、
天文学者ヒューロス氏は述べた上で、この時点で上記のような役割を果たすためのデザインの完成を意味することが可能であるという見解を持っている。
このような立場から、これをありえないとしたスウェーデンボルグの霊的見解であるが、
ヒューロス氏の内容を考慮して実際の創造と照らし合わせるとより深い内容となると私は感じた。
では、「スウェーデンボルグの思想」の内容を引用しつつ、見解が矛盾するかそれとももっと深い意味となるかを見ていこう。(続く)icon
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