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創造目的学会

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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月30日 07時14分12秒

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    「ダ・ビィンチコードとイエスとキリスト教」

    ダ・ビィンチコードは、イエスの結婚とは何かを考える上で、センセーショナルなトンデモ本でしたが、多くの人が考えさせられ、また、知的好奇心の旺盛な人は、それを通じて反証本などを読み、キリスト教の正当性はどこから来るものかを学んだ人も多かったと思います。

    この結果わかったことは、

    ①ユダヤ教は、創世記二章の「男女は一体となる」を根拠に男性は結婚を原則とし、神聖なものとしていた。

    ②預言者エレミヤなどは神から命じられ結婚することを禁じられていた。エッセネ派やパブテスマのヨハネも結婚しなかったが、パブテスマのヨハネは預言者として尊敬されていた。

    ③四福音書は初期キリスト教のころから信奉されており、現在の信仰形態はイエス死後の復活の後の数年間の信仰告白を元に形成され、それが初期キリスト教の教義となった。

    その後2〜3世紀以降に多くの異端文書が出現したが、それらは正当と認められることはなく会議にて圧倒的多数で正統派が勝った。

    ということです。

    福音書の正当性は認められるところですが、十字架に対する信仰告白が福音書以上に正当性を決める根拠となったと思われ、ここに私は問題を感じます。

    イエスと死海文書という下記のアドレスの本は、参考になりそうな文献で、そのうち買いたいと思っている本です。

    「イエスと死海文書」
    http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/134-5.html


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月28日 07時32分19秒

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    「ダ・ビィンチ・コード」

    ダ・ビィンチ・コードは、二性性相的神観、血統に対する問題、イエスの結婚と、ある意味、必要な内容で、正当なキリスト教にはない考えさせられる内容を含んでいたと言えると思います。

    調べてみると主要な根拠となった伝説や組織や事件はどれも実体のないものばかりでしたが、どうしてそのようなものがそのような実体のない組織や事件から、さまざまな伝説が結び付き、体系化されていったかを思うときに、これはやはり単なる小説の問題ではなかったと思うのです。

    イエス様の結婚と子孫の魅力とそれを支持する価値観の存在、これが人々の心を動かし、膨大な人々に読まれるベストセラーとなったのではと思います。


    ダ・ヴィンチ・コード - Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月25日 06時20分20秒

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    「陰陽と統一原理の陽性と陰性」

    統一原理では、性相と形状を、主体と対象、また、天地という立場から、次元は異なりますが、陽性と陰性と理解します。
    これは、非常にわかりやすいすっきりとした考え方です。

    ところが、東洋の陰陽思想は見た目で陰陽を当てはめるので、ここでは主体と対象の立場が逆転して陰陽を当てはめます。

    そこへ、唯物思想が入ってくるものだから、話はややこしくなります。

    ここらへんを整理したら、易学や東洋医学はどれほどわかりやすくなるかと思うのですが、
    今は、陰陽のこのような特殊な感覚が理解できないと東洋の思想に基づくこのようなもの(易学、東洋医学)は理解不能ということになります。

    (時と場合や流派の立場によって見方が違うのだから、師につくか同じ流派の書物を何冊か読んで相対的に理解しないと、理解できないのです。
    専門家にもなるのが当たり前です。)

    しかし、これを本気で整理しようとしたらそれだけでライフワークですね。


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月23日 06時57分00秒

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    「Re:Re:Re:即事而真 ( そくじにしん)」

    龍樹によって、空海密教の理論的な
    支柱ができたと私はおもっております。
    空海が、龍樹を、どうみていたか
    凄く関心があるところです。

    弁顕密ニ経論では、龍樹の
    著作がたくさん引用されて
    ますね。

    ▽▽▽


    原理的に解釈すればロゴスなどになるのですが、太極の背後に隠れた存在がある(霊的なものがある)という意味だと思います。

    これは、神道の隠身にも通じますね。
    これを陰陽論から陰(-)ととらえるのですが、天地の概念から統一原理的に見ればむしろ陽性(+)(主体)です。
    陰陽は何を中心としてみるか視点で変わるので表現としては難しいですね。


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月22日 06時38分50秒

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    「Re:Re:即事而真 ( そくじにしん) 妙有とは」

    I様
    Sです。
    いつも、お世話様です。
    御返事、ありがとうございます。
    大変に参考になりました。
    これからも、よろしくお願い申しあげます。

    ▽▽▽


    S様いつもお世話になっております。


    引用
    -------------
    仏陀は自覚の三極(0―-―1)に当るものを縁起の理法として立てた。

    竜樹の中観はその1が0に帰し(有(う)が空ぜられ)、さらに0が自覚して(空が亦復空ぜられて)-妙有(無我を超えた実相))と顕はれるといふ理法を確立した。
    -------------

    自己の1の由来を完全に0に帰する所にするところに、空を越えたところに-の世界である実相が現れるという理法を竜樹は確立したということだろう。

    ととりあえず書いては見ましたが、


    私は、1が空ぜられるということは、1は相対的なものであるということと解します。そして、相対的関係の背後にロゴスがあります。

    1(1個体)だけが書かれているのでわかりにくいですが、すべてはペアで現れてこそ存在を保つことが出来るので、ここでいう妙有とは空の背後にある実相、すなわちロゴス、あるいは、そのロゴスと一体となった性相のことであると思います。

    ここでの空と実体との関係だけでは説明がわかりにくいのですが、ロゴスに伴った性相があって、それが相対的関係で形態として表されます。
    竜樹の中観にはこのようなニアンスがあると思います。

    竜樹の思想のことももう少し調べれば、もっと深い世界があるかもしれませんが・・形状の背後にある性相やロゴスというものを中観の空の中に見出したのではと思います。


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月20日 07時33分37秒

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    「Re:即事而真 ( そくじにしん)」

    I様、投稿ありがとうございます。

    質問ですが、即事而真は
    どこの経典に出てくる言葉ですか。

    あと竜樹については原理から見た
    場合、何を解明したのでしょうか。

    ▽▽▽


    即事而真は真言密教でよく使われる言葉らしいですが、空海の性霊集の最初の部分にもその宗旨が載っています。

    また、注法華経などにもその言葉はありますが、どの経典で最初に言われた言葉かは私は知りません。


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月19日 07時19分00秒

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    「即事而真 ( そくじにしん)(2)」
    [536]の続き

    引用
    -------------
    「即事而真」は、もと天台宗に現はれた句であり、華厳宗にも同じ思想が流れてゐるが、華天[華厳と天台」では題の顕はれとしての事に即して題を見ようとするのに対し、真言では事が法爾本有(ほふにほんぬ)の法性にほかならぬ点を重く見る故、題を事の外に求めず、「即事而真」事本題末を以て自宗の立前とする。その事とは心身の当住にほかならない。

    自覚の第一極と第二極との絶対(「真―実」すなはち「法―性」)は挙げて第三極なるこの現身に具はるのである。

    「それ仏法は遥かにあらず。心中にして即ち近し。真如外にあらず。身を棄てて何くんか求めん。迷悟我れに在れば、発心すれば即ち到る。明暗他にあらざれば信修すれば忽に証す」(弘法大師『般若心経秘鍵』)
    -------------

    ここで、心の空とは、心の中の真如であるということは、良心(本心)のことを意味するのだろう。良心にたずねれば真理に至るということであろう。


    引用
    -------------
    しかも真言宗は「即事而真」を談ずるのみならず「即真而事」も「即真而真」も「即事而事」も、すべて真義を示すとなすから、ここに自覚の三極の高度な融合が成立することとなる。

    父母の絶対が、子を生むといふ現実の事に基づいて始めて具体化されるやうに、0と-(すなはち真と実)との絶対も、1といふ現の位の事に基づいて始めて具体的となる道理である。従って真言宗の哲理は自覚の論理をその底辺において捉へたものと言ってよい。

    その際「真実」を担ふとされる「現」は、悟りの眼を以て見直された現である故、すでにもとの現から三百六十度転回して実に転換して了ってゐる(九節)。従って現は、真実を担ふのみならず、それ自体が真実そのものである。
    --------------

    ここでの自覚は絶対的な良心(神)のマイナス(対象)の立場に立ったときに絶対的プラス(主体)が生じるという原理を言っているような気がします。


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  • from: from POCS MLさん

    2008年03月17日 06時31分49秒

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    「即事而真 ( そくじにしん)」

    即身成仏に関連する内容として「仏教哲理 佐藤通次著」から即事而真(そくじにしん)の内容を引用します。


    引用
    -------------
    仏陀は自覚の三極(0―-―1)に当るものを縁起の理法として立てた。

    竜樹の中観はその1が0に帰し(有(う)が空ぜられ)、さらに0が自覚して(空が亦復空ぜられて)-妙有(無我を超えた実相))と顕はれるといふ理法を確立した。
    -------------

    自己の1の由来を完全に0に帰する所にするところに、空を越えたところに-の世界である実相が現れるという理法を竜樹は確立したということだろう。


    引用
    -------------
    天台には諸法の実相を見て「1=-=0」とし、華厳はこのやうな1の無限重層(重々無尽)に法界の実相を見た。
    -------------

    空は無でなく無限の1が重なった世界が実相であると見たということであろう。


    引用
    -------------
    次にわが国で大成せられた真言宗(詳しくは真言陀羅尼(だらに)宗)は、現実当面の有(う)(1)が妙有(無我を超えた実相)(-)であることの洞見に立って、1の背後の空を括弧に納めてしまふ「1=-(=0)」「即身成仏」また「父母所生身に大覚位を証す」るのがこの宗の面目である(弘法大師『即身成仏義』)。
    -------------

    1は空であり、実相でもあるという立場であろうか。


    引用
    -------------
     右のことを原理的に表現して「即事而真」といふ。
    それは「1=0」といふことであるが、0と一如となった1こそが-であるから、「1=-(=0)」又は「(1=)-(=0)」といふに等しい。

    そしてこの二つの式のいづれにおいても括弧に入れられる0は、無視され又は消去されるのではなくて、わが心のハタラキとして生かされるのである。いな、心の本性が空である故、心が空そのものとして生きるのである。すると、顕現するものとしては1のみとなり、その1は0によって裏打されてゐる故に(すなはち自覚に貫かれて有る故に)-となる。
    「色即色」である。
    -------------

    空は1を捉える心の働きであり、1はまた空によってなり、実相であるという立場であろう。
    この空が心の働きと捉えるところが、単なる1=1でないところなのだろう。


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    2008年03月16日 06時27分13秒

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    「両部不二に見られる陽陰の一体性」

    胎蔵が体というのは間違えだと思いましたが、あながちそうでもないと、ふと祈ってみると感じました。

    胎蔵は、大日如来の心情あるいは慈悲という観点から見ると確かに原因でより内的なのですが、悟りという観点でみると環境圏というか、地上世界を意味しているような側面もあると感じました。

    母なる大地をさらに広げたイメージですね。
    そういう意味では胎中のような神様(大日如来)の体の中のような感じがします。

    それに対して、金剛は積極的に人間のほうが悟るという男性的な面があり、そういう意味において心という意味合いもあります。

    ただし、大日如来を中心とした見方をしないと本来の胎蔵の大切さが見えなくなってしまいます。

    また、胎蔵=女性原理、金剛=男性原理でなく、実は、胎蔵は大日如来という主体(男性格)があっての女性原理であり、この女性原理があっての金剛は男性原理である、という理解が必要と思われます。


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    2008年03月15日 06時54分46秒

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    「第二重、第三重(2)」

    (3)第三重〈方便=究境の世界〉日本版

    ここでは私たちの生活に身近な「大黒天」や「弁財天」などのさまざまな仏や神様の姿が描かれている。

    多くは異教(とくにヒンドゥー教)の神々から借用したものである。ある意味この世的なご利益の神(仏)と、もう一方で、その中には野原に無造作に転がった人間の遺体や骸骨が描かれている。

    一見これは虚しい世界であるが、その終局の向こう側に仏の世界を見つめなければならないことを説いたと思われます。

    親族や知人の死に接して、私たちはこの世をどう生き、どう終わって、仏の世界に向かうのか、を考えさせられる、そこから何かを学び取る。

    このような形で大日如来の意図を伝えようとするのが、日本でのこの「第三重」の役割なのである。

    日本では、最後にこのような人間の抱えている現実的な課題を突きつけて今どう生きるべきかを考えさせる構造となっている。


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