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2008年08月31日 06時23分07秒
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「Re:Re: 利己的な遺伝子 生存機械をつくることにおける二性性相」
> DNAが複製される機構は多くのタンパク質や酵素が関与する複雑な機構であり、
> 実際DNAを複製しているのはこれらDNA以外の分子です。
> ここには、DNAと多くの酵素との間に、相対的授受相関対応関係があります。
> 「DNAは別の種類の分子であるタンパク質の製造を間接的に支配していて、
> 自然淘汰は生存機械をつくることのうまい自己複製子に、つまり、
> 胚発生を制御する術にたけた遺伝子に有利にはたらく。」
> これは、生存機械をつくるという目的のもとに、
> 初めから相対的授受相関対応関係があったとしか言いようがありません。
> 自然淘汰では説明できません。
複製においては、酵素とDNAとの間に陽陰の二性性相の相対的関係があり、
胚発生においては、DNA情報が必要なタンパク質の生成を導いていくという性相と形状の二性性相の相対的関係がありますね。icon
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2008年08月28日 06時19分06秒
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「Re: 利己的な遺伝子 生存機械をつくること」
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
のp.31からp.33には、
DNAの出現後、成体が作り上げられる過程について書かれています。
これ以降の記述は、対立遺伝子の中でより生き残りやすい遺伝子が残ってきたという相互作用論ですから、
成体が初めて作られた過程について書かれているのはここだけだと思います。
そこで、考察ですが、
1.DNAが複製される機構は多くのタンパク質や酵素が関与する複雑な機構であり、
実際DNAを複製しているのはこれらDNA以外の分子です。
DNA複製
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/replicat.htm
ドーキンス博士は、DNAにのみ注目し、
「利己的な遺伝子」という比喩表現は、
あたかもDNAがすべてを取り仕切っているような印象を与えますが、
実際のDNAはむしろ、複製してもらう側の受動的な存在で、
生命現象においてDNAを主体と見ることは出来ないのではないか、
と思われます。
少なくとも、DNAだけでは複製は出来ないし、したがって、胚発生も出来ません。
ここには、DNAと多くの酵素との間に、相対的授受相関対応関係があります。
2.ドーキンス博士は、
「DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。」
「DNAは別の種類の分子であるタンパク質の製造を間接的に支配していて、
自然淘汰は生存機械をつくることのうまい自己複製子に、つまり、
胚発生を制御する術にたけた遺伝子に有利にはたらく。」
として、進化を説明しています。
しかし、「自然淘汰によって組み立てられてきた」というのは語弊があって、
そもそも、生存機械にまでたどりつくことが出来なければどちらがよりうまいかという自然淘汰を議論することはできません。
まだ比較すべき生存機械が出来ていないのですから。
では、いったい、生存機械をつくることはいったいどうして出来たのか?
これは、生存機械をつくるという目的のもとに、
初めから相対的授受相関対応関係があったとしか言いようがありません。
自然淘汰では説明できません。
これは、他の条件が同じならばより残りやすい遺伝子が残ってきたという相互作用論を論じ始めるときには必ず必要なものです。
以下、p.31からp.33より引用
「以後、実物を示す用語と比喩とを適当にまぜながら、
建築家の設計のたとえを用いて述べていくことにしよう。・・・。
もちろん「建築家」は存在しない。
DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。
DNA分子は二つの重要なことをおこなっている。その一つは複製である。
つまりDNA分子は自らのコピーをつくる。
この営みは生命の誕生以来休みなく続けられてきたし、
DNA分子は現在実際にこの点できわめて優秀である。
人間は、おとなでは一〇の一五乗個の細胞からできているが、
初めて胎内に宿ったときには、設計図のマスター・コピー一つを受け取った、
たった一個の細胞である。
この細胞は二つに分裂し、その二つの細胞はそれぞれもとの細胞の設計図のコピーを受け取った。さらに分裂が続き、細胞数は、四、八、一六、三二……
と増えていき、数兆になった。
分裂のたびにDNAの設計図は、ほとんどまちがいなく忠実に複製されてきた。
これがDNAの複製という第一の話である。
だが、もしDNAが実際に体をつくるための一組の設計図であるとしたら、
その設計図はどのようにして実行に移されるのだろうか?
どのようにして体の構造に翻訳されるのだろうか?
ここで、DNAのおこなっている第二の重要なことへ話が移る。
DNAは別の種類の分子であるタンパク質の製造を間接的に支配している。
前章で述べたヘモグロビンは、膨大な種類のタンパク質分子の一例にすぎない。
四文字のヌクレオチド・アルファベットで書かれた、暗号化されたDNAのメッセージは、単純な機械的な方法で別のアルファベットに翻訳される。
それは、タンパク質分子をつづっているアミノ酸のアルファベットである。
タンパク質をつくることは、体をつくることとはひどくかけ離れているように思われようが、その方向への小さな第一歩なのである。
タンパク質は体の物理的構造を構成しているばかりでなく、
細胞内の化学的プロセス全般にこまやかな制御をおこない、
正確な時間、正確な場所で、化学的プロセスのスイッチを選択的に入れたり切ったりする。
たしかに、これが最終的に赤ん坊の発育にどうつながるかという問題は、発生学者が解決するのに何十年、いや何百年もかかるであろう。
しかし、それがおこっていることは事実である。
遺伝子は人体をつくりあげてゆくのを間接的に支配しており、そしてその影響は厳密に一方通行である。すなわち獲得形質は遺伝しない。
生涯にどれほど多くの知識や知恵を得ようとも、遺伝的な手だてによってはその一つたりとも子どもたちに伝わらない。
新しい世代はそれぞれ無から始めねばならない。
体は、遺伝子を不変のまま維持するために遺伝子が利用する手段なのだからである。
遺伝子が胚発生を制御しているという事実が、進化の上でもつ重要性は、次のことにある。
つまりそれは、遺伝子が少なくとも部分的には将来の自己の存在に責任があることを意味するからである。
なぜなら、遺伝子の存在は、彼らがその中に住み、彼らがその構築を助けた体の効率に依存しているからである。
昔、自然淘汰は、原始のスープの中を自由に漂っていた自己複製子の生き残り方の差によって成りたっていた。
今では、自然淘汰は生存機械をつくることのうまい自己複製子に、つまり、胚発生を制御する術にたけた遺伝子に有利にはたらく。
しかしこの点に関して、自己複製子はかつてと同様、相変わらず意識的でも意図的でもない。
寿命の長さ、多産性、複製の忠実度によるライバル分子間の自動的淘汰という同じく古いプロセスは、今なお遠い昔と同様に盲目的に避けがたく続いている。
遺伝子は前途の見通しをもたない。彼らは前もって計画をたてることをしない。
遺伝子はただいるだけだ。ある遺伝子は他のものよりたくさんいる。
単にそれだけのことだ。
しかし遺伝子の寿命の長さと多産性を決定する能力は昔ほど単純ではない。
はるかに複雑なのだ。」icon
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2008年08月27日 06時47分07秒
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「Re: 利己的な遺伝子 DNAの出現」
「利己的な遺伝子」の
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
p.30には、DNAの出現について、
「最初の自己複製子はDNAに類縁の近い分子であったかもしれないし、まったく異なるものであったかもしれない。
もし異なるものであったとすれば、彼らの生存機械は、時代がたってからDNAによって乗っ取られたのではないかと思われる。」
と書かれています。
ここのところは、ドーキンス博士に、擬人的な表現ではなくて、科学的な表現で説明をお願いしたいところですが、
1.「DNAに乗っ取られた」というのは科学的にはどのような化学反応を指しているのでしょうか?
2.また、乗っ取ったというDNAは、そもそも、いったいどこから来たのでしょうか?icon
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2008年08月26日 06時40分59秒
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「Re:Re: 利己的な遺伝子 自己複製とタンパク質製造の矛盾」
> したがって、タンパク質と結びついた自己複製子は、自己を複製しないわけですから、数の上で、自己複製に専念した自己複製子に劣り、
> 自然淘汰説に従えば、淘汰されてしまうと考えられます。
ただ自然環境にとか、生き残るのに都合が良いからという考えで進化を説明することは不可能と言うことですね。
そもそも、なぜ、生きるという面倒なことをしないといけないのか?
物質ならただ運動しているだけで十分でないか?と言うのがあります。
創造目的があり、先有条件が準備されて相対的関係によって創造されたと考えなければ、進化論は矛盾だらけ、飛躍だらけにならざる得ないと思います。
すなわち、生命の製造工場が地球であるとするならば、常に進化とは1つの工程が別の工程へと移り、その工程での創造と保護が前工程とは別の流れで与えられなければ出来ないという見方ができると思います。
単なる生物そのものや環境そのものの相互作用がこれを生み出したと言う考え方がもっとも進んだ考えですが、この双方をコントロールする第三者を考えなければ不可能なケースに頻繁にぶつかると思います。icon
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2008年08月25日 07時02分23秒
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「Re: 利己的な遺伝子 自己複製とタンパク質製造の矛盾」
「利己的な遺伝子」では、
自己複製子の進化のあとに、
タンパク質の製造という段階が出てくるのですが、
ここには非常に大きなギャップといいますか、
矛盾があると、私は思います。
なぜならば、タンパク質という異物を製造しても、
自己を複製することにはならないからです。
したがって、タンパク質と結びついた自己複製子は、自己を複製しないわけですから、数の上で、自己複製に専念した自己複製子に劣り、
自然淘汰説に従えば、淘汰されてしまうと考えられます。icon
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2008年08月23日 05時55分29秒
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「Re:利己的な遺伝子 自己複製子間の競争と最初の生存機械の出現(2) 外被をまとうことは自己複製子の死を意味する」
[653]の続き
ここでまず、
「そしてその資源をめぐって、自己複製子のいろいろな変種ないし系統が、競争をくりひろげたことであろう。」
「自己複製子の変種間には生存競争があった。」
とありますが、
ここでいう競争とは、化学反応という意味です。
あくまでも、
「それらの自己複製子は自ら闘っていることなど知らなかったし、それで悩むことはなかった。
この闘いはどんな悪感情も伴わずに、というよりなんの感情もさしはさまずにおこなわれた。」のであり、
純粋な自然現象を意味しています。
壊れやすい自己複製子は時間とともに崩壊し、
複製が崩壊に追いつかなければ数が減っていったでしょう。
環境の変化で複製効率が変わったことも考えられます。
ここで、
「だが、彼らは明らかに闘っていた。それは新たな、より高いレベルの
安定性をもたらすミスコピーや」
とありますが、
安定性がより高くなれば、
それを分割する分子分割子もより強力な分割力を持たなければ自己複製は停止してしまいます。
分子分割子がそのままであるとすれば、
この、より高いレベルの安定性は、同時に、複製効率の低下につながったと科学的に推測することが出来ます。
したがって、ある進化的に安定な点があったと思われます。
それ以上安定性のある自己複製子は出来なかった
ということが、科学的推論から導かれると思います。
「競争相手の安定性を減じるような新しい手口」
「ライバル変種の分子を化学的に破壊する方法」
とは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか。
これについての具体例が必要だと思われます。
「身のまわりにタンパク質の物理的な壁をもうけるかして、身をまもる術を編みだした。
こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。」
とありますが、
化学反応の起き得る範囲で考えれば、確かに、
「最初の生存機械は、おそらく保護用の外被の域を出なかった」ことが考えられます。
しかし、この外被は、外界との遮断を意味しますので、
これ以上の複製・増殖が不可能になります。
現存する細胞において、細胞膜は完全に細胞の一部であり、
様々な相対的授受相関対応関係を細胞内部と結び、
重要な機能を果たしています。
細胞膜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E8%86%9C
これらの機能が最初からなければ、
外被をまとうことは同時に自己複製子の死を意味し、
進化の歴史はここで停止したことでしょう。
したがって、科学的に推測して、
このような化学反応のみで細胞らしきものが出来得ることはない、
とはっきりと言うことが出来ると思われます。icon
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2008年08月22日 06時14分59秒
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「Re:利己的な遺伝子 自己複製子間の競争と最初の生存機械の出現」
「利己的な遺伝子」の
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
p.26からp.28にかけては、
自己複製子間の競争と生存機械の出現について書かれています。
この部分について、考察していきたいと思います。
「この議論における次の重要な要素は、ダーウィン自身が強調した競争である
(もっとも彼は動植物について述べているのであって、分子についてはいっていないのだが)。
原始のスープにとって、無限の数の自己複製分子を維持してゆくことは不可能だった。それは一つには地球の大きさが限られているためでもあったが、
他にも重要な限定要因が存在していたにちがいない。われわれの想像では、鋳型としてはたらく自己複製子は、複製をつくるのに必要な構成要素の小分子をたくさん含んだスープの中につかっていたと考えられる。
しかし自己複製子が増えてくると、構成要素の分子はかなりの速度で使い果たされてゆき、数少ない、貴重な資源になってきたにちがいない。
そしてその資源をめぐって、自己複製子のいろいろな変種ないし系統が、競争をくりひろげたことであろう。有利な種類の自己複製子の数をふやすのに役立った要因については、すでに検討したとおりである。
事実、あまり有利でない種類は競争によって数が減っていき、ついにはその系統の多くのものが死滅してしまったにちがいない。
自己複製子の変種間には生存競争があった。
それらの自己複製子は自ら闘っていることなど知らなかったし、それで悩むことはなかった。この闘いはどんな悪感情も伴わずに、というよりなんの感情もさしはさまずにおこなわれた。
だが、彼らは明らかに闘っていた。それは新たな、より高いレベルの安定性をもたらすミスコピーや、競争相手の安定性を減じるような新しい手口は、すべて自動的に保存され増加したという意味においてである。
改良の過程は累積的であった。安定性を増大させ、競争相手の安定性を減じる方法は、ますます巧妙に効果的になっていった。
中には、ライバル変種の分子を化学的に破壊する方法を「発見」し、それによって放出された構成要素を自己のコピーの製造に利用するものさえあらわれたであろう。
これらの原始食肉者は食物を手に入れると同時に、競争相手を排除してしまうことができた。おそらくある自己複製子は、化学的手段を講じるか、あるいは身のまわりにタンパク質の物理的な壁をもうけるかして、身をまもる術を編みだした。
こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。
自己複製子は存在をはじめただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をもつくりはじめたのである。
生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械を築いたものたちであった。
最初の生存機械は、おそらく保護用の外被の域を出なかったであろう。
しかし、新しいライバルがいっそうすぐれて効果的な生存機械を身にまとってあらわれてくるにつれて、生きていくことはどんどんむずかしくなっていった。
生存機械はいっそう大きく、手のこんだものになってゆき、しかもこの過程は累積的、かつ前進的なものであった。」
(続く)icon
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2008年08月21日 06時56分21秒
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「Re: 利己的な遺伝子 「自己複製子」の論理的矛盾」
ご意見を受けまして、自己複製子について
もう少し論点をはっきりさせて書いてみたいと思います。
「利己的な遺伝子」の
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
p.21からp.22にかけて、原始スープのなかで自己複製子が生まれたときの様子が書かれています。
「大型有機分子は濃いスープの中を何ものにも妨げられることなく漂っていた。
あるとき偶然に、とびきりきわだった分子が生じた。
それを自己複製子とよぶことにしよう。それは必ずしももっとも大きな分子でも、
もっとも複雑な分子でもなかったであろうが、自らの複製を作れるという驚くべき特性をそなえていた。
これはおよそおこりそうもない出来事のように思われる。たしかにそうであった。
それはとうていおこりそうもないことだった。人間の生涯では、こうしたおこりそうもないことは、実際上不可能なこととして扱われる。
それが、フットボールの賭けで決して大当りをとれない理由である。
しかし、おこりそうなこととおこりそうもないことを判断する場合、われわれは数億年という歳月を扱うことになれていない。もし、数億年間毎週フットボールに賭けるならば、必ず何度も大当りをとることができよう。
実際のところ、自らの複製をつくる分子というのは、一見感じられるほど想像しがたいものではない。
しかもそれはたった一回生じさえすればよかったのだ。
鋳型としての自己複製子を考えてみることにしよう。それは、さまざまな種類の構成要素分子の複雑な鎖からなる、一つの大きな分子だとする。
この自己複製子をとりまくスープの中には、これら小さな構成要素がふんだんに漂っている。今、各構成要素は自分と同じ種類のものに対して親和性があると考えてみよう。
そうすると、スープ内のある構成要素は、この自己複製子の一部で自分が親和性をもっている部分に出くわしたら、必ずそこにくっつこうとするであろう。
このようにしてくっついた構成要素は、必然的に自己複製子自体の順序にならって並ぶことになる。このときそれらは、最初自己複製子ができたときと同様に、次々と結合して安定な鎖をつくると考えてよい。
この過程は順を追って一段一段と続いていく。これは、結晶ができる方法でもある。
一方、二本の鎖が縦に裂けることもあろう。
すると、二つの自己複製子ができることになり、その各々がさらに複製をつくりつづけることになるのである。」
ここで、
「あるとき偶然に、とびきりきわだった分子が生じたのが自己複製子」
だと書かれており、その特性として
「自らの複製を作れる」
とありますが、これは、論理的に矛盾しています。
といいますのは、その次に、この自己複製の特性を実現しうる特徴として、
「親和性」と書かれていますが、
親和性だけでは、吸着する一方で、もとの形に分裂することができません。
にもかかわらず、
ここでは、このことについて、
「一方、二本の鎖が縦に裂けることもあろう。」
と、曖昧なことしか述べておらず、
これは親和性とは相反する内容です。
もし、科学的にこれを説明しようとするならば、この分裂がなぜ起きるのかを説明しなければならないと思います。
吸着すれば分子的に安定しますので、このままずっと吸着した状態で何億年も存在することでしょう。
せっかく数億年に一回の、奇跡的な自己複製子も吸着とともに安定化してしまい、
数億年は無に帰してしまうことになります。
ですから、自己複製がスタートするには、
自己複製子とは別に、これを分割する分子分割子が必要です。
親和性による吸着と、この吸着した自己複製子をきれいに分割する分子分割子が、同時に必要だということです。
この2つが同時に成り立たないと自己複製は出来ません。
ここに、自己複製子と分子分割子との相対的関係が、自己複製という現象に先立って存在しているということが出来ます。
ですから、ただの偶然では自己複製は始まりません。
この両者は、この自己複製子にはこの分子分割子という、
相互補完的な関係でなければならないからです。
科学的帰結からは導き出され得ない、自己複製子と分子分割子の相対的授受相関対応関係がここに成立しています。
したがって、これは存在世界における根本原理的関係であり、
存在世界に見られる絶対者による作用だということが出来ます。
そして、ここにおいて、絶対者によって意図された目的とは、
生物という存在を可能にするための基本となる自己複製機能の実現、ということです。icon
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2008年08月19日 06時21分24秒
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「Re:Re:Re:利己的な遺伝子 ドーキンス博士の意図」
> 私は、擬人的な表現には、ドーキンス博士が神を否定しようとする動機が見え隠れしているような気がしてならないのです。
>
> 実際、擬人的にそのように言えるのは自己中心的な論理で世界は基本的には成り立っているのだという主張に思えます。
私もそうとは思います。
しかし、この擬人的な表現のワナにひっかかってしまっては相手の思う壺なのです。
この擬人的表現は、ドーキンス博士の考えたお堀のようなものです。
これまで何人もの人がこのお堀にひっかかって反論に失敗してきました。
ドーキンス博士は、本書の
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
三〇周年記念版への序文の中で、
「私は、遺伝子と個体という二つのレベルで擬人的表現を採用した。
遺伝子の人格化は本当のところ問題になるようなものではない。
なぜなら、まともな人間なら、DNA分子が意識的な人格をもつなどとはだれも考えないし、分別のある人間なら、そのような妄想を著者のせいにしたりはしないだろうからである。」
と述べています。
実際、この本のp.4には
「そこでまず私は、この本が何でないかを主張しておきたい。
私は進化にもとづいた道徳を主張しようというのではない。」
とあって、
これの補注(p.417)には、
「批評家たちはしばしば『利己的な遺伝子』を、
われわれがどう生きるべきかという原理として利己主義を宣伝するものであると誤解してきた!
ほかの人々は、たぶん、タイトルを読んだだけか、
最初の二ページ以上は読まなかったためだろうが、
利己性やその他の意地の悪いやり方は、
好むと好まざるにかかわらずわれわれ人間の本性の
逃れがたい一部であると、私が言っているというふうに考えている。」
とあります。
このように、遺伝子が利己的と形容するにふさわしいものであっても、
人間がそうだと言っているわけではない、
と再三にわたって述べており、
そのような批判をした人々は最初から退けられてしまっているわけです。
また、三〇周年記念版への序文には
「われわれの脳は自らの利己的な遺伝子にそむくことができる地点まで進化したのである。」
とまであるくらいです。
ですから、擬人的表現にひっかかってはいけません。
ドーキンス博士が、たとえば、
かまきりの雌が自分と交尾している雄の頭を食べてしまうとか、
生物世界のいかにも残忍な、
神を否定したくなるようなところに注視するのは、
このような事実から決して目をそむけてはならない、
これが現実なんだという、
生物学者特有の非情なまでの学者魂ということにしておきましょう。
このような観察結果から、
宿命的な「利己的」という言葉が出てきたのでしょうから。
もともと、動物には意識がないという視点に立てば、
かまきりが非情なわけではないのですけれどね。
それを非情だと感じるのは人間だからこそなんですけれどね。
ドーキンス博士が神様をどのように捉えているかといいますと、
ミームのひとつ、すなわち、観念という捉えかたです。
ドーキンス博士がこのように神を観念として捉えている限り、
博士が神や宗教を妄想だと言っても不思議ではありません。
> ですから、個体維持の論理と共生の論理、さらに創造目的観による、神は人間を神の子として創造され、人間の教育の為に万物世界は存在すると言う論理で、このような世界観を整理しないといけないと思います。
>
> 相対的授受相関対応関係は神の存在がなければ科学も宗教もこの世界も成り立たないと言うことを論理的に言うことが出来ます。
>
> では、それはどういう世界かという時に統一思想に基づく創造目的観が必要になると感じます。
まったくそうですね。
創造目的観にたって生物学の研究成果を見ていく見方を提示していく必要がありますね。icon
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「Re:Re:利己的な遺伝子 自己複製子」
私は、擬人的な表現には、ドーキンス博士が神を否定しようとする動機が見え隠れしているような気がしてならないのです。
実際、擬人的にそのように言えるのは自己中心的な論理で世界は基本的には成り立っているのだという主張に思えます。
ですから、個体維持の論理と共生の論理、さらに創造目的観による、神は人間を神の子として創造され、人間の教育の為に万物世界は存在すると言う論理で、このような世界観を整理しないといけないと思います。
相対的授受相関対応関係は神の存在がなければ科学も宗教もこの世界も成り立たないと言うことを論理的に言うことが出来ます。
では、それはどういう世界かという時に統一思想に基づく創造目的観が必要になると感じます。icon
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