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2008年09月30日 06時23分38秒
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「Re: 利己的な遺伝子 血縁淘汰説」
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
の、6章「遺伝子道」には、血縁淘汰について書かれています。
血縁淘汰説は、働き蜂に見られるような利他的な性質を説明するために、提唱されたそうです。
しかし、ドーキンス博士の以下の文章を読んでみて、気がつくことがあります。
「では、アルビノの人どうしはとくに親切にしあっていると考えてよいのだろうか?
実際にはおそらく答えは否であろう。
その理由を知るために、遺伝子を意識的存在とした比喩を一時捨てなければならない。
この文脈ではそれは明らかに誤解を招くからである。
少々冗長かもしれないが、まともなことばにいいかえねばなるまい。
アルビノ遺伝子は実際に生き続けたいとか、他のアルビノ遺伝子を助けたいとか思うわけではない。
だが、アルビノ遺伝子がたまたまその体に、他のアルビノに対して利他的にふるまうようにさせたとしたら、結果として、いやでも自動的に、遺伝子プール内で数がふえてゆくようになるはずである。」
p.129-p.130
すなわち、利他的な遺伝子がどうして出現したのかとか、
さらに進んで、どうして利他的にふるまうのか、
を進化的に説明したわけではないということです。
利他的な遺伝子があれば、その遺伝子頻度は増えるだろう、と言っているにすぎないわけです。
ですから、
血縁淘汰説/虫の雑学 (社)農林水産技術情報協会
http://www.afftis.or.jp/konchu/mushi/mushi05.htm
にあるような、
「仲間のほかの個体のことなどはどうでもよく、要はそうした仲間を蹴落としても自分自身の遺伝子さえ残せればいいというわけである。」
などという捉えかたは、まったく間違っているということです。
血縁選択説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%B8%81%E6%B7%98%E6%B1%B0icon
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2008年09月28日 06時54分45秒
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「Re: 利己的な遺伝子 進化的に安定な戦略(ESS)はあらかじめプログラムされている(3)」
[673]続き
p.90には、
「遺伝子はマスター・プログラマーであり、
自分の生命のためにプログラムを組む。
遺伝子は、自分の生存機械が生涯に出遭うあらゆる危険を処理するにさいしての、そのプログラムの成功不成功によって裁かれる。
その判事は生存という法廷の情容赦のない判事である。」
とありますが、
プログラムを組むには自然淘汰によらない一定の期間が必要であり、
成功不成功によって裁かれ、結果としてプログラムが改良されていくのは、プログラムが動き出した後だということです。
ここで、タカ派の個体もハト派の個体も、あらかじめプログラムされた個体だということです。
あらかじめプログラムされてタカ派として動作する個体とハト派として動作する個体がなければ、ESSシミュレーションも不可能だと言えます。
すなわち、ESSの論理で、タカ派やハト派に進化するのではない、ということです。
プログラムは状況によって遺伝子配列をタカ派個体にしたりハト派個体にしたりすることが出来ると考えられると言っても過言ではないと思います。
それが、あたかも、ESSが展開されているように見えるということです。
以下、利己的な遺伝子p.101-p.103より抜粋
「メイナード=スミスが提唱している重要な概念は、進化的に安定な戦略(ESS;evolutionarily stable strategy)とよばれるもので、もとをたどればW・D・ハミルトンとR・H・マッカーサーの着想である。
「戦略」というのは、あらかじめプログラムされている行動方針である。
戦略の一例をあげよう。
「相手を攻撃しろ、彼が逃げたら追いかけろ、応酬してきたら逃げるのだ!」
理解してもらいたいのは、この戦略を個体が意識的に用いていると考えているのではないということである。
われわれは動物を、筋肉の制御についてあらかじめプログラムされたコンピュータをもつロボット生存機械だ、と考えてきたことを思いだしてほしい。
この戦略を一組の単純な命令としてことばであらわすことは、これについて考えていくうえでは便利な方法である。
あるはっきりとわからぬメカニズムによって、動物はあたかもこれらの命令にしたがっているかのようにふるまうのだ。
進化的に安定な戦略すなわちESSは、個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると、別の代替戦略によってとってかわられることのない戦略だと定義できる。
それは微妙でかつ重要な概念である。
別の言い方をすれば、個体にとって最善の戦略は、個体群の大部分がおこなっていることによって決まるということになる。
個体群の残りの部分は、それぞれ自分の成功を最大にしようとしている個体で成りたっているので、残っていくのは、いったん進化したらどんな異常個体によっても改善できないような戦略だけである。
環境になにか大きな変化がおこると、短いながら、進化的に不安定な期間が生じ、おそらく個体群内に変動がみられることさえある。
しかし、いったんESSに到達すれば、それがそのまま残る。
淘汰はこの戦略からはずれたものを罰するであろう。
この概念を攻撃にあてはめるために、
メイナードースミスの一番単純な仮定的例の一つを考察してみよう。
ある種のある個体群には、タカ派型とハト派型とよばれる二種類の戦略しかないものとしよう。
(この名は世間の慣例的用法にしたがっただけで、この名を提供している鳥の習性とはなんの関係もない。じつは、ハトはかなり攻撃的な鳥なのである。)
われわれの仮定的個体群の個体はすべてタカ派かハト派のどちらかに属するものとする。
タカ派の個体はつねにできるかぎり激しく際限なく戦い、ひどく傷ついたときしかひきさがらない。ハト派の個体はただ、もったいぶった、規定どおりのやり方でおどしをかけるだけで、だれをも傷つけない。
タカ派の個体とハト派の個体が戦うと、ハト派は一目散に逃げるので、けがをすることはない。
タカ派の個体どうしが戦うと、彼らは、片方が大けがをするか死ぬかするまで戦いつづける。
ハト派とハト派がであった場合は、どちらもけがをすることはない。彼らは長い間互いにポーズをとりつづけ、ついにはどちらかがあきるか、これ以上気にするのはよそうと決心するかして、やめることになる。
当面のところ、ある個体は特定のライバルがタカ派であるかハト派であるかを前もって知る手だてはないものと仮定しておこう。
彼はライバルと戦ってみてはじめてそれを知るだけで、手がかりとなるような、特定の個体との過去の戦いはおぼえていないものとする。
さて、まったく任意の約束事として、戦う両者に「得点」をつけることにする。
たとえば、勝者には五〇点、敗者には○点、重傷者にはマイナス一〇〇点、長い戦いによる時間の浪費にマイナス一〇点というぐあいである。
これらの得点は、遺伝子の生存という通貨に直接換算できるものと考えてよい。
高い得点を得ている個体、つまり高い平均「得点」をうけている個体は、遺伝子プール内に多数の遺伝子を残す個体である。
この実際の数値はかなり広い範囲内でどのようにとっても分析にさしつかえない性質のものであるが、われわれがこの問題を考えるうえでは役に立つ。
重要なのは、タカ派がハト派と戦ったときハト派に勝つかどうかが問題なのではないという点である。
その答えはすでにわかっている。いつでもタカ派が勝つに決まっている。
われわれが知りたいのは、タカ派型とハト派型のどちらが進化的に安定な戦略(ESS)なのかどうかということである。
もし片方がESSで他方がそうでないのであれば、ESSであるほうが進化すると考えねばならない。
二つのESSがあることも理論的にはありうる。
もし、個体群の大勢を占める戦略がたまたまタカ派型であろうとハト派型であろうと、ある個体にとって最善の戦略は先例にならうということであったなら、このことがいえる。この場合、個体群は二つの安定状態のどちらでもよいから、たまたま先に到達したほうに固執することになろう。
しかし、次に述べるように、じつは、タカ派とハト派という二つの戦略はどちらもそれ自体では、進化的に安定ではない。
したがって、どちらかが進化すると期待するわけにはいかない。
このことを示すには、平均得点を計算しなければならない。」icon
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2008年09月25日 06時23分37秒
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「Re: 利己的な遺伝子 進化的に安定な戦略(ESS)はあらかじめプログラムされている(2)」
[672]続き
プログラムが完成するまでの過程がESSの前に出てきます。
「遺伝子もまた、直接自らの指であやつり人形の糸を操るのではなく、コンピュータのプログラム作成者のように間接的に自らの生存機械の行動を制御している。
彼らにできることは、あらかじめ生存機械の体勢を組み立てることである。
その後は、生存機械が独立して歩きはじめ、遺伝子はその中でただおとなしくしていることができる。」 (利己的な遺伝子 p.75-p.76)
これによりますと、
「生存機械が歩き始める前に遺伝子はあらかじめ生存機械の体勢を組み立てなければならない」
ということです。
しかし、自然淘汰説に基づいて考えた場合、こういうことは可能でしょうか?
遺伝子の進化は突然変異と自然淘汰によって可能なのでした。
自然淘汰が起こるには、よりうまく「動かなければ」なりません。
それは、プログラムが動作した後に初めて出来る話です。
プログラムが動作するまでは、プログラマーが苦心してプログラムを完成させなければならないのは当然のことです。
この間、プログラムは動作しません。
ひたすらプログラマーが苦労するだけの期間があります。
これを考えますと、生存機械が動くように遺伝子配列が整えられるのは、自然淘汰が始まる前ということになります。
すなわち、自然淘汰説では、ドーキンス博士がおっしゃっているようなことは不可能です。
そして、プログラムがあらかじめ動作できるようになっているのは、相対的授受相関対応関係が先にあるからだと言うことができます。icon
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2008年09月23日 07時03分23秒
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「Re: 利己的な遺伝子 進化的に安定な戦略(ESS)はあらかじめプログラムされている」
> 昔の配列や突然変異してきた道筋はわからず、
この道筋について、
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
の、p.101には、進化的に安定な戦略(ESS)について述べられており、これが進化の道筋になったと言っています。
例えば、つねに激しく戦う個体群(タカ派の個体)と、
つねに逃げる個体群(ハト派の個体)
があったときに、
両者がどのくらいの割合を占めたときに数値的にもっとも安定するか、
を考えるというものです。
これは、個体どうしの戦略だけでなく、
外の環境の変化との関わりにおける戦略も考えられるでしょう。
フィンチのくちばしが旱魃の年と豊作の年とで変化するのも、これに類することだと言えるかもしれません。
さて、ここで考えなければならないことは、
「戦略というのは、あらかじめプログラムされている行動方針である」
(p.101)ということです。
この本では数多くの戦略例が書かれていますが、
常に、プログラムは「あらかじめプログラムされて」います。
p.139 「動物は複雑な計算をしているかのごとくふるまうように、あらかじめプログラムされているのであろう」
p.182 「そしてこの機械は、その遺伝子のコピーを増殖させるべく、能力の限りあらゆる努力を払うようにプログラムされている」
p.273 「奴隷の身の上とは気づかぬアリたちは彼女らの神経系に組み込まれたプログラムにしたがって仕事を始める。」
少なくとも、私たちが目にし、進化論の研究の題材にしているものはみなすべて、すでにプログラムが出来上がっているものなのです。icon
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2008年09月22日 06時23分05秒
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「Re: 利己的な遺伝子 個体レベルにおける単一の遺伝子のもつ意味」
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
の、p.90には、個体レベルにおける単一の遺伝子のもつ意味が述べられています。
「認めねばならないことは、他の条件が同じであり、かつ他の多数の重要な遺伝子や環境要因が存在しているならば、ある単一の遺伝子が対立遺伝子にくらべて、溺れかけているものをいっそうよく助けてやりそうな体をつくることがありうる」
ある遺伝子(ヌクレオチド)の位置を、違う種類の遺伝子(ヌクレオチド)が占めた場合を考えているわけですが、
そうすると、どちらがより〜〜をしやすいかということを考えることが出来るというわけです。
〜〜には様々な事柄が入ってきますが、
p.90の例では、例えとして「溺れかけている仲間を救うこと」が入ってきます。
さて、ここで考えてみなければならないのは、
「溺れかけている仲間を救う」行動はすでに観察されている行動だということです。
ここでは、具体的な例として、
衛生的なミツバチが、病気にかかっている幼虫を巣から引っ張り出す例を挙げています。
すでにそのような行動がミツバチにおいてなされており、
それは遺伝子の配列も関係しているので、
〜ずっと昔そのような行動をしない遺伝子配列だったのが突然変異によって徐々に変化し、だんだんとその行動に優れてきたのだろう〜
と考えるわけですが、
果たしてこれは正しいと言えるでしょうか?
昔の配列や突然変異してきた道筋はわからず、
すでに観察されていることについて言っているので、正しいかどうかはわからないと思います。
しかし、間違っているとも言えません。
どちらとも言えません。
ただ、始めに「溺れかけている仲間を救う」行動を目標にしたならば、遺伝子配列を少しずつ変えていって、その行動に対してより優れた遺伝子配列をつくることは出来るでしょう。
このことは非常に重要なことです。
すなわち、目標をもたずに突然変異と自然淘汰で進化を説明しようとすることは、正しいとも間違っているとも言うことが出来ないので、元から出来ず、
最初から目標を中心として進化してきたとするのが正しいといえます。
その目標は、どこから来たのでしょうか?
その目標がなければ進化もできないわけですが、
それは生物自体が設定できない未来のものですから、
明らかに絶対者によって与えられた創造目的です。
すなわち、進化は創造目的を中心とした所与の関係においてなされるとする相対的授受相関対応説が正しいということが出来ます。
創造目的論序説 相対的授受相関対応説
http://pocs.info/josetu_text_setu.htm
以下、「利己的な遺伝子」p.90より引用
「私がたとえばかりに「溺れかけている仲間を救うための」遺伝子について述べ、あなたがそのような概念は信じがたいと思ったら、衛生的なミツバチの話を思いおこしてほしい。
複雑な筋収縮や感覚統合、さらには意識的な決断に至るまで、溺れかけているものを助けることに含まれるあらゆることの唯一の原因が遺伝子だといっているのではないことに注意してほしい。
学習や経験、あるいは環境の影響が行動の発達にかかわるかどうかという問題については何もいっていない。
認めねばならないことは、他の条件が同じであり、かつ他の多数の重要な遺伝子や環境要因が存在しているならば、ある単一の遺伝子が対立遺伝子にくらべて、溺れかけているものをいっそうよく助けてやりそうな体をつくることがありうるということである。
二つの遺伝子間のちがいが、じつはある単純な量的変数のわずかな差にすぎないことがわかる場合もあろう。
胚発生の詳細な過程は、興味ぶかいものではあるけれども、進化的な考察には関係がない。
コンラート・ローレンツはこの点をみごとに指摘している。
遺伝子はマスター・プログラマーであり、自分の生命のためにプログラムを組む。
遺伝子は、自分の生存機械が生涯に出遭うあらゆる危険を処理するにさいしての、そのプログラムの成功不成功によって裁かれる。
その判事は生存という法廷の情容赦のない判事である。」icon
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2008年09月20日 06時07分37秒
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「Re:Re: 利己的な遺伝子 進化論の間違った説明」
結局、デザインが生まれる理由は「THE BLIND WATCHMAKER」のアバウトな説明になるのだと思いますが、
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/18891939
あの説明は外的なデザインなら偶然に一つや二つできるかも・・という錯覚を起こさせるぐらいで、まして機能や目的性が生じるなどということはとっても言えない科学には程遠い比喩的?説明ですね。
同時には通常なりたたないいくつかの問題がどうしてもでてくるでしょう。
それを超えるには創造的な四位基台構造を考えなければ不可能であり、そういう発想を持たない限り一歩も進めないと思います。icon
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2008年09月18日 06時53分06秒
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「Re: 利己的な遺伝子 進化論の間違った説明」
> 利己的な遺伝子説は、遺伝子が自分が残ることに有利に働けば残る、という説です。
>
> 〜〜の遺伝子は〜〜をするわけだが、
> これがその〜〜の遺伝子が残ることに有利に働くならば、
> 〜〜の遺伝子は遺伝子プール内に広がっていくだろう、
> という、ごく当たり前のことを述べているに過ぎないのです。
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
の、p.71には、
「このため自然淘汰は、感覚器、つまり外界の物理的事象のパターンをニューロンのパルス信号に変える装置をそなえるようになった動物に有利にはたらいた。」
とあり、これを感覚器が出現した理由としています。
しかし、よく考えてみると、この文章は、
なぜ感覚器が出現したのかについて何も物語っていないことに気がつきます。
もう既にある感覚器に対して、あるほうが有利だった、と言っても、
それは、感覚器のない動物がいてもいなくても関係なく有利だったということができます。
確かに、感覚器がない動物と感覚器がある動物を比較すれば感覚器のある動物が有利かもしれません。
しかし、感覚器がある動物を見ながらそう言ってみても感覚器が出現したことに対しては何の説明にもなっていないでしょう。
逆に、感覚器がない動物ばかりならば、感覚器についての比較は出来ません。
したがって、感覚器がない動物の中に感覚器がある動物が出現した理由は別のところにあります。
感覚器だけではありません。
心臓があったほうが有利だった。
翼があったほうが有利だった。
筋肉があったほうが有利だった。
ただ、有利だった、と言っているだけです。
ですから、この表現は進化の説明としては根本的に間違っています。
「利己的な遺伝子」にはこの表現が非常に多く、ほとんどそうですが、
ドーキンス博士はもちろんこのことには気づいていらっしゃって、
比喩表現として使っていらっしゃるのだと思いますが、
いかがでしょうか?
もし自然淘汰説がこういうものだとすれば自然淘汰説は進化の説明としては根本的に間違っていることになります。
ですから、この表現は使わないほうがいいと思います。icon
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2008年09月16日 07時30分58秒
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「Re: 利己的な遺伝子 遺伝子レベルにおける前適応」
> とくに、巧妙なからくりが、一つや二つのまったく偶然の突然変異で実現されるなどということは荒唐無稽な話でしかありません。
これに対する反論として、「前適応」という考え方があります。
前適応は、複数の器官に同時的な変化が必要だと思われる場合にその説明に用いられます。
たとえば、翼の出現について、羽毛が翼に進化したのだという例がよく出されます。
確かに羽毛と翼はよく似ており、羽毛が少し伸びれば浮力が出てくるかもしれない、とは思われます。
しかし、そのからくりは「羽毛の量を多くする遺伝子」です。
これによって羽毛がいくら増えても、「翼」にはなりません。
羽毛が「翼」になるためには、さらに他の複数の遺伝子が突然変異を起こして新しい相互作用をする必要があると思われます。
いうなれば、「遺伝子レベルにおける前適応」という問題です。
この羽毛と、未知の「翼」の間にある、複数の遺伝子の存在は、前適応では説明できないのではないでしょうか?
そういう遺伝子があったらいいなあという願望と実際にあるかどうかは別問題ということです。
羽毛の量が多くなることだけをとってみても、
ドーキンス博士がおっしゃるように、
「羽毛の量を多くする遺伝子」というものがあるわけではなく、遺伝子間の相互作用によってそうなる可能性もあるということです。
その上に、「翼」にまで発展する遺伝子間の相互作用があることをどうして当然のように受け入れることが出来るのでしょうか?
もしそれが可能だったとするならば、
それは、翼を構成する、遺伝子間の相対的授受相関対応関係が、もともとあったと考えるべきであると思います。
もともとなかったならば、羽毛恐竜から鳥類は出現しなかったでしょう。
前適応 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E9%81%A9%E5%BF%9C
「総合学説によれば、新しい形質は突然変異によってのみもたらされるものである。
突然変異には方向性がないことになっているので、鳥が空を飛べるには、あまりにもたくさんの偶然が積み重ならなければならない。
したがって、爬虫類から鳥に進化する過程で、これらの条件が同時にそろったのだとすれば、それは奇跡に近いと言える。
この困難を避けるために利用できるのが前適応という考えである。
例えば、羽毛は実は地上性の恐竜が既に持っていたと見る訳である。
この場合、羽毛は例えば体温保持の役割を担っていたと考えられる。
そして、そのような羽毛恐竜の一部が樹上生活から滑空へと進めば、羽毛を整えて翼を形成することもさほど無理なく理解できる。
より能動的に飛ぶための適応は、さらにその後に発達したと見ることもできる。」icon
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2008年09月14日 06時10分15秒
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「Re: 利己的な遺伝子 遺伝子進化の原動力の正体「遺伝子頻度」」
> ただ、自然環境にとか、生き残るのに都合が良いからという考
> えで進化を説明することは不可能と言うことですね。そもそも
> 、なぜ、生きるという面倒なことをしないといけないのか?物
> 質ならただ運動しているだけで十分でないか?と言うのがあり
> ます。
http://www.c-player.com/ac55492/message/20080826?format=time
まったくそうですね。
「利己的な遺伝子」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31705938
の、p.63からp.66には、
利己的遺伝子説(遺伝子レベルの自然淘汰説)に基づいて、
生物の進化の概観が述べられています。
ここで<目的>や<発見>に括弧がついているのは、
実際に目的をもっているわけではなく、
また発見したわけでもなく、
結果として、
そういう目的を持っているかのように、
また、発見したかのように、
見えるということです。
本来的に言えば、ドーキンス博士がおっしゃっているとおり、
「個体の死と繁殖の成功がでたらめにおこるのではないため、
長い間には遺伝子プール内の遺伝子頻度が変わるという結果を招く。」
という表現をするべきところです。
これが遺伝子進化の原動力の正体であるというわけですが、
しかし、ここで問題なのは、
果たしてこの原動力が、さらに巧妙なからくりを発達させ、たえず新たな生活方法を開発することに結びつくだろうか、という点です。
新たな生活方法で遺伝子頻度が変わる、ということは確かにあるかもしれません。
しかし、結果的に遺伝子頻度が変わることが予測されても、
それが実際に起きるかどうかは別問題だと言わざるを得ません。
とくに、巧妙なからくりが、一つや二つのまったく偶然の突然変異で実現されるなどということは荒唐無稽な話でしかありません。
ドーキンス博士はこの点について何もおっしゃっていないように思います。
「もしDNAの「目的」が体の構築を指揮することであれば、
そのようなことをしないDNAが大量にみつかるのはふしぎなことである。
生物学者たちは、この余分と思われるDNAがどんな有益な仕事をしているのか考えようと頭をつかっている。
しかし、遺伝子の利己性という観点からすれば、矛盾はない。
DNAの真の「目的」は生きのびることであり、
それ以上でもなければそれ以下でもない。
余分なDNAをもっとも単純に説明するには、それを寄生者、あるいはせいぜい、他のDNAがつくった生存機械に乗せてもらっている、無害だが役にたたない旅人だと考えればよい。」
p.63-p.64
「生きたり死んだりするのは個体であるし、自然淘汰が直接あらわれるのはほとんどいつでも個体レベルである。
しかし、個体の死と繁殖の成功がでたらめにおこるのではないため、長い間には遺伝子プール内の遺伝子頻度が変わるという結果を招く。」
p.64
「進化は、遺伝子プール内である遺伝子が数をまし、ある遺伝子が数を減らす過程である。
利他的行動などのようなある形質の進化を説明しようとするときにはいつでも、端的に次のように問題を提起するくせをつけておくとよい。
「この形質は遺伝子プール内で遺伝子の頻度にどんな影響を与えるのか?」」
p.64
「遺伝子は、死ぬべき運命にある生存機械を次々につくっていくために、遺伝子プールから相ついでひきだされてくる仲間の集団と協力して、生活をたてていることである。
次章では生存機械自体に注目し、遺伝子がどんな意味でその行動を制御するといえるのか、その点に目を向けてみよう。」
p.65
「生存機械は遺伝子の受動的な避難所として生まれたもので、最初は、ライバルとの化学的戦いや偶然の分子衝撃の被害から身をまもる壁を遺伝子に提供していたにすぎなかった。
当初彼らはスープの中で自由に利用できる有機分子を食物にしていた。
この気楽な生活が終りをつげたのは、多大な年月にわたる日光の活発な影響のもとでスープの中に育まれた有機性食物がすっかり使いはたされたときだった。
今日植物とよばれている生存機械の主要な枝は、生存機械自らが直接日光をつかって単純な分子から複雑な分子をつくりはじめ、原始スープの合成過程をいっそう大きな速度で再演した。
動物とよばれるもう一つの枝は、植物を食べるか他の動物を食べるかして、植物の化学的仕事を横取りする方法を「発見」した。
生存機械の二つの枝は、さまざまな生活方法で自己の効率を高めるべくさらに巧妙なからくりを発達させ、たえず新たな生活方法を開発していった。
この二つの枝からは小枝やそのまた小枝が出て、特殊化した生活様式を進化させた。それらはそれぞれ、海で、地上で、空中で、地中で、樹上で、はては他の生物の体内で、くらしをたてることにたけていた。
この枝分かれが、今日われわれを感動させるほどの動植物の多様性を生みだしたのである。」
p.66icon
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2008年09月12日 06時18分26秒
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「Re: 利己的な遺伝子 すべて枠組みが出来ている中での話」
> ドーキンス博士は、果たしてこのような状況のなかで、
> 遺伝子の進化を論ずることが可能なのだろうか?と自問しつつ、
> p.54において、それは可能だとし、
> その根拠として、ボートレースの例を挙げ、
> 次に、草食獣の歯について検討し、
> 続けてゲーム理論を挙げています。
さて、「平たい歯を授ける」遺伝子なるものがあるとすれば、草食動物においては平たい歯を授ける遺伝子が有利になります。しかしながら、肉食動物においては、鋭い歯を授ける遺伝子が有利となり平たい歯を授ける遺伝子は不利になると、
ドーキンス博士は考えていらっしゃるようです。
そこで、ゲーム理論が次に展開されることになります。
このゲームはこちらのカードが同じでも相手の出し方によって点数が変わるというゲームです。
このゲーム理論は、あらゆる段階において適用できます。
個体内のさまざまな特性においても、個体どうし、あるいは環境との関係においても適用されるのです。
(遺伝子どうしにおいて適用されるかどうかは、はっきりと述べられてはいないように思いますが、間接的に述べられているとしていいのではないかと思います。)
ここにおいて、気がつくことは、ボートレースにおいても、歯の形においても、最初に枠組みが出来ているということです。
枠組みが出来ている中で、どちらがよりよいかという話です。
その枠組みがどうして得られたのかについての話はまったくありません。
「あらゆる遺伝子がその仕事を達成するのに数千の仲間の遺伝子を必要とするのであれば、世代を通じて体から体へと不死身のシャモアのように跳躍してゆく不可分の遺伝子、つまり、自由で拘束されない、自己追求的な生命の因子という私の図式とこのこととが、どうして両立しうるのだろうか?
それはすべてたわごとだったのだろうか?
いやそうではない。飾った文句で酔わせた部分もあったかもしれないが、決してたわごとを語ったのではない。じっさい矛盾はないのだ。
これは別のたとえで説明することができる。
一人のボート選手は、自分だけでオックスフォード対ケンブリッジのレースに勝つことはできない。彼には八人の同僚が必要だ。
それぞれの選手はつねにボートの特定部分にすわる専門家だ。
つまり、前オールか整調手かコックスかなにかである。
ボートをこぐことは協同作業であるが、にもかかわらず中には他の者より腕のいい者がいる。
コーチは、前オール専門の選手陣、コックス専門の選手陣など一群の候補者の中から自分の理想とするクルーを選ばねばならない。
彼は次のように選んだとしよう。
彼は毎日各ポジションの候補者を無作為に組合わせて、新たに三組の試験クルーを組み、その三組のクルーを互いに競争させる。
これを数週間続けると、勝ったボートにはしばしば同一人物が乗っている傾向のあることがわかるであろう。
これらの人物はすぐれた選手としてマークされる。
また、中にはいつも遅いクルーの中に顔を出す選手もいよう。そうした者たちは結局はのぞかれる。しかし、きわだって腕のいい選手でもときには遅いクルーにはいっていることがある。
他のメンバーの腕が悪かったせいか、運が悪かったため-たとえば強い向かい風であったためである。
一番すぐれた選手たちが勝ったボートにいる傾向があるというのは、単に平均してのことである。
この選手たちにあたるのが遺伝子である。
ボートの各位置に関するライバルは、染色体上の同一点を占める可能性のある対立遺伝子である。
速くこぐことは、生存に成功する体をつくることに相当する。風は外部環境にあたる。交替要員の集団が遺伝子プールである。
一つの体に関していえば、その体の遺伝子全部が同じボートに乗っていることになる。
よい遺伝子が悪い仲間にはいり、致死遺伝子と一つの体の中に同居することもよくある。この場合、致死遺伝子がその体を子どものうちに殺してしまい、よい遺伝子は他の遺伝子といっしょに滅ぼされる。
しかし、これが唯一の体ではない。同じよい遺伝子が致死遺伝子をもたない他の体の中で生き続けている。よい遺伝子のコピーは、たまたまたちの悪い遺伝子と一つの体に同居したためにそれらに引きずられて滅びることもあるし、また宿った体が雷にうたれるなど別の種類の不運にみまわれて死ぬこともよくある。
ともあれ、定義によれば、運、不運はランダムにおこるものだ。
だから、一貫して負けの側にある遺伝子は不運なのではない。だめな遺伝子なのだ。
すぐれたボート選手の資質の一つは、チームワーク、つまりクルーの残りのメンバーと協調できる能力である。
これは強い筋肉と同じくらい重要である。
チョウの例で述べたように、自然淘汰は、逆位その他、染色体の一部の大規模な移動によって、無意識に一つの遺伝子複合を「編集」し、よく協調する遺伝子を集めて、緊密に結びついた集団にしてしまう。
しかし、物理的にはまったく結びつきようのない遺伝子どうしが互いに両立しうるだけで選ばれる場合もある。ゆく先々の体の中で出会う大方の遺伝子、すなわち遺伝子プールの残り全部の遺伝子の大方とうまく協調できる遺伝子は、有利になる傾向があろう。
たとえば、有能な肉食獣の体には数々の特性が必要である。
その中には肉を切り裂く歯、肉の消化に適した消化管、その他さまざまな特性が含まれる。一方、有能な草食獣は草をすりつぶすための平たい歯と、別の型の消化機構をもったずっと長い腸を必要とする。
草食獣の遺伝子プールの中では、肉食用の鋭い歯をその持主に授ける新しい遺伝子は、けっして成功しないにちがいない。
それは、一般に肉食という着想が悪いためではない。適した消化管その他、肉食生活に必要なあらゆる特性をもそなえていなければ、肉を効率よく食べられないためである。
肉食用の鋭い歯に関する遺伝子が、本来的に劣った遺伝子なのではない。
それは、草食性に向いた遺伝子が優勢な遺伝子プール内では劣った遺伝子であるというのにすぎない。
これは微妙で複雑な話である。ある遺伝子の「環境」が大方他の遺伝子からなっており、他の遺伝子のそれぞれが、さらに別の遺伝子という環境と協力しうる能力によって淘汰されていくため、複雑なのである。
この微妙な点を説明するのにふさわしいアナロジーがあるが、これは日常経験するようなものではない。
それは「ゲーム理論」とのアナロジーである。
ゲーム理論については、個体間の攻撃的なコンテストに関連して5章で紹介する予定である。そこで、この点に関するこれ以上の議論は、5章の章末にゆずることにして、この章の中心課題に話をもどそう。
つまり、自然淘汰の基本単位と考えるのにもっともふさわしいのは、種ではなく、個体群でもなく、個体ですらなくて、遺伝物質のやや小さな単位(これを遺伝子とよぶと便利だ)であるということだ。」
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