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  • from: かれんさん

    2008年10月23日 13時01分46秒

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    哀愁の「扶余」その3

    皆様、こんにちは。

    「扶余(プヨ)」ほど、「哀愁」という言葉が似合う「韓国の都市」はないように思います。
    昔の栄華が全く残っておらず、今はただ地方の「一(いち)田舎都市」。
    でも、確かに「百済(ペクチェ)」の都があったのです。

    そんな「扶余」ですが、近年、日本人観光客が増えているようですね。
    SBSドラマ、「薯童謠(ソドンヨ)」の影響も大きいようです。
    (「扶余」の郊外に、「ソドンヨ」の撮影場所だったところを「テーマパーク」化したところがあるようです)

    「日帰り」での観光だった今回は、残念ながら全ての見所を回ることが出来ず(「テーマパーク」も行けず)、2〜3箇所を巡るだけとなってしまいました。
    で、こちらは「定林寺址(ジョンニムサジ)」に立つ「石塔」です。


    「サンスクリット語」で「ストゥーパ」と言う、「仏舎利塔」ですね。
    こういう「石塔」が、日本の「三重塔や五重塔」の原型になっているらしいです。


    下のこの部分、はっきり写せていないので申し訳ございませんが、文字が書いてあるのがお判りになるでしょうか?


    こちらは、「百済」滅亡の際に(新羅によって)彫られた文字で、これによって、この石塔が「百済時代」からあるものだと特定できたそうです。
    この「エピソード」すら、「哀愁」漂うものだと思ってしまいますね。(^_^;)



    ところが、この「定林寺」自体が・・・。
    実は、このお寺ですが、本当の名前が「定林寺」なのかどうかも分からないそうなんです。
    なんでも、発掘時に出土した「瓦」に、「定林寺」と書いてあったことが「定林寺址」とした根拠だそうで。
    あぁ、「哀愁」過ぎる・・・。(T_T)




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