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from: jun_zoさん
2007年03月16日 23時23分46秒
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女性観(第7回)
さて、久しぶりに「西洋絵画に描かれる女性はなぜ豊満体形か」という問いから出発した拙文の続きです。
実は、原稿は今回の分までしか書いていません。今後、この文につていは、掲載のピッチがぐんと落ちるのみならず、プッツリおしまいになってしまうかもしれません。何とか、根気良く続けてみたていとは思っていますが・・。
では、以下、第7回目です。誤りや書き足したほうが良い点など、お気づきの点についてご指摘いただけると助かります。
もう一度、「豊かな体形」に話をもどそう。イタリアからオランダへ…。北方のヴァザーリと呼ばれた野心家ファン・マンデルとその流れを汲むレンブラントへと話題を続けたい。
ファン・マンデルは、1548年にネーデルラントで生まれた。フィレンツェのヴァザーリ(1511〜74年)がメジチ家の治世のもとでアカデミア・デル・ディセーニョ(素描アカデミー)を設立して芸術家列伝を記したのに対し、マンデルはハールレム・アカデミーの設立にかかわるとともに「絵画の書」を著した。
このハールレム・アカデミーの実態はあまり明らかになっていないが、実物写生をするために設立されたとされる。
西洋絵画で、人体の表現がどう変化していったか知るためには、こうした美術アカデミーの活動について知っておく必要がある。
まず、ヴァザーリのアカデミーだが、これはその設立目的が若い芸術家の養成というよりも芸術家、そして芸術そのものの地位向上に主眼があった。コジモ大公にとって、フィレンツェの統治強化には芸術支配が重要な手段になっていた。
コジモ大公とヴァザーリは、それぞれの思惑のもとにお互いに相手を利用し合う関係にあった。
さらに進んで、画家や彫刻家の養成を目的に設けられた機関としては、1582年にボローニャに設立されたカラッチ一族によるアカデミーが知られている。ここでは、第一段階として手本となる巨匠からの模写、第二段階として彫刻の模写、第三段階として写生やヌードデッサンという養成カリキュラムが組まれていたという。
最終段階が人体デッサンというわけで、実際に描いてみるとわかるが、人体、とくに裸体の描写には風景や静物とは違った難しさがある。まず、デッサンの狂いが現れやすい。目や耳、鼻の位置などは1ミリ位置がずれても不自然さを感じさせることがある。全身像を生き生きと描くとなると、かなり修練が必要とされる。
イタリアで絵画を学んだマンデルが、そこでどのような修行を積んだか確かな証拠は明らかにされていないようだが、ハールレム・アカデミーの実物描写の考え方がイタリアのアカデミーから影響を受けたという説は正しいと考えてよさそうだ。
すでに述べたように、西洋絵画で最高の表現とされたのが歴史画であり、絵の出来不出来の決め手となるのが人体表現となっていた。マニエリスムの時期、画家は人体を徹底的に研究しながらもそれを写実のままに描くのではなく、あくまでも想像力を働かせて歴史物語の舞台に立たせていた。
これに対し、バロック期は人体の表現がより自然に描かれるようになる。実際にモデルを置き、じっくり観察して絵画技術を習得するという方法がより斬新な表現につながっていく原動力になっていたことは間違いないだろう。
(以下、続く・・)-
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