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かわたれ美術研究会

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  • from: kanariさん

    2007年06月29日 18時09分45秒

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    神童

    デユーラーについて、ほんの少し考える(その2)

     アルブレヒト・デユーラーが生まれたのは1471年5月21日、ハンガリー出身の同姓同名の父も、そのまた父も金細工師で、父はヨーロッパを放浪した後に自由都市ニュルンベルクに腰をおちつけ、同業の実力者ヒエロニムス・ホルパーのもとで修行を重ねた後に、その娘バーバラと結婚、なんと11男7女を設けた。デユーラーはそのうちの第3子、次男として誕生したのだ。もっとも、その兄弟たちの多くは幼くして亡くなっている。

     父はこの2番目の息子に目をかけ、後継者にしようとして自分の工房で徒弟にした。1483年頃の事である。翌1484年に描かれたのが「13歳の自画像」とよばれているこの作品である。
     銀筆というやり直しの利かない技法、正確な描写力で描かれた早熟なこの作品からは「金細工師よりも画家になりたい」という静かながらも強い意志が少年に芽生えていた事が、はっきりと感じられる。 父はその意志と才能を認め1486年、近隣の画家ミヒャエル・ヴォルゲムートの工房に弟子入りする事を許した。

     この工房で、若い新入りの弟子は、兄弟子たちにしごかれたりしながらも素描、ペン画、模写、油彩画を含む基本的な技術をマスターしていった。なかでも当時、まだまだ初期の発達段階だった木版画の開発に師匠が力を注いでいた事が後々の仕事におおいにプラスになったと思われる。 さらにはデユーラーの名付け親でもあった土地の名士、出版業者のアントン・コーベルガーの印刷工房も、ごく近所にあった。

     父のもと幼くしてビュランを手にしたデユーラーは、自らの強い意志と
    数々の歴史的な幸運にも恵まれて、画家への、と同時に版画家への道を歩み始める。
     

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コメント: 全1件

from: jun_zoさん

2007年06月29日 21時48分46秒

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「Re:神童」
>  アルブレヒト・デユーラーが生まれたのは1471年5月21日

 ・・なるほど、ダ・ヴィンチが19歳のときにデューラーが生まれたことに。ヴェロッキオの工房で「キリストの洗礼」が制作されたのが1475年頃とか。ヴェロッキオ親方も、彫刻に加えて金細工も専門にしていたそうですね。
 この時代、工房の役割がいかに大きかったか。

  では、「その3」、楽しみにしていま〜す!

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