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from: 謎のみっしょんすくーるさん
2007/11/20 18:50:54
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11月20日火曜日
3度目はLong good-bye
神戸忠雄
第3章 2度目のgood-bye
(二十四)
気がつけば,レコードは,すべての演奏を終了し,ドッ,ドッ,ドッという針がレコード終端を回転している音だけが部屋に響いていた。
私は,第4楽章の途中から,意識が飛び,オーケストラの中でウロウロとしていたのだった。ピッコロが弦楽器に負けずと気張って音を出し,オーボエが細かなリズムを刻む。そんなオーケストラの中で,団員に気づかれないようにと各人の間を歩いていたのだ。不思議な光景であった。普段なら絶対にありえないことである。そんなことを実感していたのだ。今までには経験したことの無かったことであった。予知夢だろうか。しかし,演奏中にオーケストラの歩くなんて,リハーサルでの指揮者や演奏の指導者などでなければありえないことだ。まさか,先ほどの観ていた情景が,自分の理想なのだろうか。その可能性はゼロではなかった。音楽に関する仕事に就きたいと思い,楽器の演奏を挫折しながらも,学生時代は指揮法や作曲法を学んでいたのだ。結局,自分の音楽に対する才能に限界を感じ,指揮者や作曲者への道はあきらめたのであった。
しかしながら,音楽に関する仕事に就きたいという思いは消すことができず,レコード会社に勤めながら,ゴーストライターとしての作詞の仕事をしていたのであった。その間,名前が出る作詞家になるために,自分の名前を世間に広めるために,現代詩の文学賞などチャレンジしていたのであった。
そんな折に,芸術大学での作詞法の講義が担当できる教員への公募に応募したところ,講師として採用されていたのであった。大学で名前を売れば,そんな意識で赴任したものの,学生を指導するという行為と自分で創作するという行為とにギャップを感じ,結局の所,デビューを果たした彼女だけが胸を張って教え子といえる人材を育てられなかったのであった。
大学の教員として戻ったとしても,また同じことを繰り返すかもしれない。しかし,短い間ではあったが,トンネルでの仕事を経験したことによって,自分でできることと,他人に伝えることの相違が何となく分かってきたのであった。したがって,ひょっとしたら,今なら大学の教員に戻り,学生の演奏するオーケストラか何かを指導することが自分の理想の仕事として考えているのかも知れない。
私は,頭がまだボーッとしている床に足が着いていない状態で,レコード針をホルダに戻し,ターンテーブルを止めた。そしてレコードを静電気防止袋に入れて,指揮者のバーンスタインがアップで写っているジャケットに戻し,レコード棚に戻した。
どんな条件でも,大学に戻ろう。そう決意した瞬間でもあった。
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卒論の実験材料を追加購入。研究費足りるかな?
足りなかったら自腹だな。。。
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