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脚長裕子の華麗な冒険

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公開 メンバー数:24人

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  • from: Dr. スリップさん

    2016/11/22 17:12:42

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    日本海海戦大勝利の本当の立役者は誰?(おまけ)


    そして、6時21分、連合艦隊は大本営に向け「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という有名な打電をしたのね。13時39分、南西の針路に共に単縦陣で進む連合艦隊主力の第1・第2戦隊は、北東の針路に進むバルチック艦隊をほぼ艦首方向に視認し、三笠は戦闘旗を掲揚して戦闘開始を命令したわ。連合艦隊旗艦「三笠」に翻るZ旗は、「もう後がない」の意味で、「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という文言が割り当てられていたんだって。14時05分、距離8,000m、東郷は大角度の針路変更を指示したの。これが有名な、トーゴー・ターンね。敵前逐次回頭という敵の盲点を衝くことと、連合艦隊の優速を活かし、強引に敵を同航砲撃戦に持ち込むことが目的だったそうよ。この回頭中は敵にとっては殆ど止まった標的を撃つようなもんで、ほぼ同時にバルチック艦隊は砲撃を開始し「三笠」に攻撃を集中したらしいわ。14時13分、距離6,000m。回頭を完了したとき、バルチック艦隊の先頭の第1戦艦隊旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」と第2戦艦隊旗艦「オスリャービャ」に向かって今度は連合艦隊側がほぼ全部の大砲を使って砲撃を開始したの。そして、たちどころに両艦から火災が発生したのね。そして両艦が落伍したので戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」が先頭に立ったんだけど、こちらも集中砲火を受けて撃破されたわ。14時55分頃、後を引き継いだ戦艦「ボロジノ」が北へ変針したとき、これに対応するため、東郷は第1・第2戦隊に全艦左へ90度一斉に回頭を命じ、第1戦隊は各艦が北東へ変針を行ったんだけど、ここでかの第2戦隊参謀長の藤井較一大佐が登場するの。第2戦隊の上村は、後方をすり抜けようと急に回頭し接近を始めた「ボロジノ」およびバルチック艦隊主力を見て、東郷の命令に従わず、南東にほぼ直進のまま速度を17ノットに上げ舷側戦闘を15時10分まで続けたの。これにより第2戦隊単独で近距離となったバルチック艦隊主力に対し北東から東に先行して回り込んで圧迫・戦闘を行い、大戦果に結びつけたの。ここで上村司令に命令違反するように迫ったのが藤井大佐だったのよ。そして、阿吽の呼吸だった上村長官はすぐに状況を察して従ったのね。藤井大佐はこの実際の海戦でも重要なカギを握ったのね。戦後、藤井大佐は海軍大将にまで昇進するんだけど、この日本海海戦でのタイミングや戦略で重要な役割を果たしたことは死ぬまで誰にも言わなかったんだって。神のように奉られた東郷元帥に汚点を付けるようなことは決してしなかったんだって。凄い男気ね。

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  • from: Dr. スリップさん

    2016/11/15 14:48:40

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    日本海海戦大勝利の本当の立役者は誰?(本論)

    最近、半籐一利って人の戦争を中心とした日本近代史の本を数冊読んだの。半籐さんて、70歳を超えたおじいちゃんだけど、戦争中は戦争に行く直前の少年時代だっただけに、戦争に対し、常識に縛られない次世代の解析者のような気がするわ。今までの戦史家や小説家が書かなかった、あるいは書けなかったことを、この人はいっぱい書いてくれているわ。超有名な日本海海戦にしても、陰ではもっと凄いエピソードがあったんだなあ、よくそれを表ざたにしてくれたなあと感心しちゃった。バルチック艦隊がウラジオストックに入港するためには対馬海峡と津軽海峡と宗谷海峡の3か所を通過する可能性があり、どこで待ち伏せするかというのが当時最大の賭けだったってことはそれこそ有名な話なのね。もとより日本海軍の力量では、3か所に分散して待ち構えて接触した部隊が戦闘をするなんてことは到底勝てるわけがないことは火を見るより明らかで、まとまって掛からなければそれこそ大本営で東郷大将が豪語した"必ず撃滅しもっす!"なんてできっこなかったのね。そこでどこを通過するかを予測することが超重要なことだったのね。頭のいい秋山参謀は地球をほぼ3分の2周して遠路はるばるやってくるバルチック艦隊は燃料や食料の面からも隊員の士気の面からも最短距離の対馬海峡に来るはずだと、早くから結論を出していて、連合艦隊の大方針になっていったんだって。でも予測した決戦の日を超えても敵艦隊は姿を見せず、みんなが焦りだしたのね。頭のいい秋山参謀などは落ち着かず、夜は靴を履いたまんま寝てたんだって。そしていろんなことが考えられるだけにいてもたってもいられな無くなって、"宗谷海峡へ急行しよう!"なんて言い出すのね。そこへ行くと東郷司令長官は肝が据わっていて、"今更動いたところで敵の尻を追いかけることになり、取り逃がすのは必定だからここで待つ"とがんばったのね。でも、その流石の胆力の東郷司令も敵の行動があまりにも遅いのに業を煮やし、参謀長以下大多数の参謀の意見具申に従って、明日、宗谷海峡へ移動する旨の命令を発令すると約束しちゃうの。これが海戦の2日前、ここで動いていたら、完勝のチャンスは無かったんだわ。この沈痛な決断をしていた連合艦隊旗艦・戦艦三笠の司令室に血相を変えて飛び込んできた人がいたの。この人こそ第2艦隊参謀長の藤井較一大佐で、大将や中将や少将など偉いさんがいっぱい集まっている中で、東郷司令に"決してここを離れてはいけない"って直談判したの。彼は当時としては天才的な数理シミュレーションをやって、絶対に対馬海峡を通るっていう結論を出していたのよ。秋山参謀も頭がいいけど、彼の場合は直感的ひらめきよるものだけど、藤井大佐の場合はサイエンスだったのね。そして、東郷司令はついに"良く分った、ここで待とう"と言ったの。そうしたら、何と27日の未明、哨戒中の信濃丸から有名な「敵艦見ユ」の無電が飛び込んできたのね。

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  • from: Dr. スリップさん

    2016/11/14 14:18:22

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    日本海海戦大勝利の本当の立役者は誰?(序)


    1905年5月27、28日に発生した日本海海戦ってみんな知ってるかな? 100年ちょっと前、明治時代の後期に日本とロシアの間で起こった日露戦争ってのは知ってるよね。2年続いた戦争で、陸軍の満州大陸や203高地をめぐる戦いでは勝ち続けていながら、発展途上国の日本の国力は疲弊しきっていた時に、この海戦が起こり、パーフェクトにロシアの大艦隊を撃滅できたことで、和平交渉への道が開かれたんだって。この大艦隊はバルチック艦隊と言って戦艦7隻を含むロシアの持てるほとんどすべての軍艦で構成されていて、ロシア本国から喜望峰を経て遥々やってきたのね。ちなみに、日本には戦艦が4隻しかなかったそうよ。裕子は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読破したから、この大海戦での色んな有名なエピソードはたいてい知ってるんだぞ。例えば、ごっつ頭のいい秋山真之中佐っていう連合艦隊第1艦隊参謀が作戦の隅々まで考え抜いたとか、東郷平八郎連合艦隊司令長官の肝っ玉が太く、多くの反対を無視してじっと対馬海峡で待ち続けたことが勝機を掴むことになったとか、バルチック艦隊と遭遇したとき、相手に横腹を晒すような東郷ターンというのをやって、T字戦法でバルチック艦隊の進行方向を押さえて砲撃戦を有利に展開させたとか、作戦戦略に関することはたいてい裕子の頭には入ったわ。また、下瀬博士によるピクリン酸ベースの新火薬の発明が間に合って、煙に妨げられないで有効な射撃ができるようになったとか、気象の担当者が必死に海戦当日の天気を予想したとか、衛生担当者が砲戦での負傷者が破傷風にならないように直前入浴、ふんどし取り替え、軍艦全域消毒を徹底させたとか、関係するすべてのエキスパートが、自分の守備範囲で最大限の努力をしたことも知ることができたわ。この頃はすべての科学が日本では"事始め"だったわけだけど、みんな超まじめに取り組んで最大の成果物を出したのね。陸軍の児玉源太郎参謀長が、"ロシアと戦ったら今の日本では必敗する。よく戦っても4:6で負ける。これを何とか5:5まで持っていけないものか?これを更に6:4までもっていけないものか?"と言っていたんだけど、みんなしていろんな分野の人が頑張りぬいたのね。坂の上の雲はロマンチックな爽快感をもって一気に読破できわ。でも、裕子が言いたい本当のことは、日露戦争の総論ではなくって、もっと深く勉強すると、もっと深い真実が分るってことなの。このことは次回のお楽しみにね。

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