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脚長裕子の華麗な冒険

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  • from: Dr. スリップさん

    2016/11/14 14:18:22

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    日本海海戦大勝利の本当の立役者は誰?(序)


    1905年5月27、28日に発生した日本海海戦ってみんな知ってるかな? 100年ちょっと前、明治時代の後期に日本とロシアの間で起こった日露戦争ってのは知ってるよね。2年続いた戦争で、陸軍の満州大陸や203高地をめぐる戦いでは勝ち続けていながら、発展途上国の日本の国力は疲弊しきっていた時に、この海戦が起こり、パーフェクトにロシアの大艦隊を撃滅できたことで、和平交渉への道が開かれたんだって。この大艦隊はバルチック艦隊と言って戦艦7隻を含むロシアの持てるほとんどすべての軍艦で構成されていて、ロシア本国から喜望峰を経て遥々やってきたのね。ちなみに、日本には戦艦が4隻しかなかったそうよ。裕子は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読破したから、この大海戦での色んな有名なエピソードはたいてい知ってるんだぞ。例えば、ごっつ頭のいい秋山真之中佐っていう連合艦隊第1艦隊参謀が作戦の隅々まで考え抜いたとか、東郷平八郎連合艦隊司令長官の肝っ玉が太く、多くの反対を無視してじっと対馬海峡で待ち続けたことが勝機を掴むことになったとか、バルチック艦隊と遭遇したとき、相手に横腹を晒すような東郷ターンというのをやって、T字戦法でバルチック艦隊の進行方向を押さえて砲撃戦を有利に展開させたとか、作戦戦略に関することはたいてい裕子の頭には入ったわ。また、下瀬博士によるピクリン酸ベースの新火薬の発明が間に合って、煙に妨げられないで有効な射撃ができるようになったとか、気象の担当者が必死に海戦当日の天気を予想したとか、衛生担当者が砲戦での負傷者が破傷風にならないように直前入浴、ふんどし取り替え、軍艦全域消毒を徹底させたとか、関係するすべてのエキスパートが、自分の守備範囲で最大限の努力をしたことも知ることができたわ。この頃はすべての科学が日本では"事始め"だったわけだけど、みんな超まじめに取り組んで最大の成果物を出したのね。陸軍の児玉源太郎参謀長が、"ロシアと戦ったら今の日本では必敗する。よく戦っても4:6で負ける。これを何とか5:5まで持っていけないものか?これを更に6:4までもっていけないものか?"と言っていたんだけど、みんなしていろんな分野の人が頑張りぬいたのね。坂の上の雲はロマンチックな爽快感をもって一気に読破できわ。でも、裕子が言いたい本当のことは、日露戦争の総論ではなくって、もっと深く勉強すると、もっと深い真実が分るってことなの。このことは次回のお楽しみにね。

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