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from: エリスさん
2008年06月19日 12時55分06秒
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箱庭・1
序章何故、自分にこんなことが起こったのか――姉に何もかも話せたおかげなのか、それともあの人と二人っきりで話すことが出来たからなのか――今でも分からない
序 章
何故、自分にこんなことが起こったのか――姉に何もかも話せたおかげなのか、それともあの人と二人っきりで話すことが出来たからなのか――今でも分からない。
そう、あの時から、世界は崩れてしまったのかもしれない。
四月の上旬、私は更衣室でその事を知らされた。――来目杏子(くめ きょうこ)の結婚のことを。
「今月の二十日締めで辞めるそうよ」
女子社員の着替えながらのお喋りは、時に耳障りになることがある。けれど、私は素知らぬ振りをしながらも、その話に聞き耳を立ててしまっていた。
来目杏子が結婚するということは、当然相手はあの人しかいない。私がずっと片思いをしている、あの人しか。――けれど、彼女たちの会話は全く予想も出来ない方向へ進んでいた。
「大石さんって、あの人でしょ? 一ヶ月前に大阪支社から研修に来た」
「そうそう。あの人って凄いやり手で、出世も同期や先輩まで追い抜いて行ってしまった人なんですって。もう課長代理になるのは目に見えてるって話よ」
「だってほら、社長の親戚だもの」
「それだけじゃ、出世できないって」
「流石は杏子さんねェ、そんな人に見初められるなんて」
私の驚愕は、彼女たちの単なる驚きとは比べることもできなかっただろう。
そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。
私が入社した頃から付き合っていたあの人とではなく、別の人と結婚する?
確かに言われてみると、ここ最近の二人はどこかぎくしゃくしていた。社内で噂されるのが嫌で交際を隠していた二人だったけど、それに輪をかけてよそよそしくて……けれど、きっとそれは私の思い過ごしだと思っていたのに。あんなに想い合っている二人が、分かれられるはずがない。
しかし、更衣室での噂は真実となり、二日後には社内で公表されたのである。
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from: エリスさん
2008年08月22日 12時57分15秒
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「箱庭・16」
「……ありがとう、お母さん」
私は、涙を堪えていた。母が泣いている子供を見るのを煩(わずら)わしく思う人だから、必死に堪えていたが……やっぱり出てきてしまう。母が私に背を向けて座っていることが唯一の救いだった。
「なにを礼なんか言っているんだい、気色悪い。さあ、さっさと出ておいき。おまえが居なくなってくれてせいせいするよ」
「はい……今日まで、ありがとうございました」
母の部屋を出て、自分の部屋に戻ってショルダーバックを手にすると、私は玄関から外へ出た。
表には、兄の車が停まっていた。
「乗りなよ、送るから」
「いいのに、お兄ちゃん。せっかくのお休みなんだから……」
「いいんだよ。僕も松戸の方に行く用事があるんだ」
兄は私を助手席に押し込めるようにして乗せ、自分は運転席へと回って車を走らせた。
しばらく走ってから、兄はボソリと言った。
「姉ちゃんの時は、膝かけだったよな」
「……うん」
姉が家を出る時も、母は冷え症の姉に膝掛けを贈ったのだ。もちろん、非情な言葉も添えて。
「それ、シャアのために作ってたんだ……なんか意外だけど、うなずけるよ。母さんは、いつもそうだ。僕達のことを愛そうとしないくせに、変な時に慈悲を見せる。最初から最後まで冷酷でいてくれれば、変な期待もしないのに、そんなだから……諦めきれないよな」
「私は……それでも嬉しいの」
私がそう言うと、兄はチラッと私の方を見た。
「それでもいいの。ほんの一瞬でも、愛されてるんじゃないかって思えれば、毎日の冷たい仕打ちなんて、帳消しになるわ」
「……そんなに好き? 母さんのこと。親父も言ってただろ? おまえのこと、流産しようとしてた人だよ。姉ちゃんもそれ見てたって……」
氷をいっぱい入れた水風呂に入ってみたり、重たい荷物を抱えたり、階段からわざと落ちようとしたり――そのたびに、紅藤の祖母や家政婦たち(その当時は祖父の家にいた)に止められて、私は生き延びた。
私は望まれない子供。それでも、
「お母さんは“お母さん”ですもの」
すると、兄は苦笑いをした。
「おまえのように、達観できればな」
姉はよく、私のことを紅藤家の犠牲者だと言う。でも、一番犠牲になっているのは兄の方だわ。姉以上の画力と、私など足元にも及ばないほどの文章力を持ち、子供のころは「いつか手塚治虫のようになってやるんだ」と言っていたのに、銀行員になることしか許されなかった人。そしていつか、父のように気に染まぬ妻を向かえなくはならない。
私は、そんな家から逃げ出した。
いつかその報いは来るだろう。それでも構わない。私は自分の家と、庭と、家族が欲しいのだ。
――新居に着くと、縁側で飛蝶が待っていてくれた。
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