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from: エリスさん
2009年10月30日 14時42分43秒
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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・5 改訂」
彼女は、しばらく声が出ない様子だった。
俺からこんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったのだろう。戸惑っているのが分かる。
そんな時だった。
足元で、猫の鳴き声がした。
二人で見下ろすと、そこにお腹の大きな三毛猫がいた。
「あっ、この猫……」
沙耶にはすぐに思い至ったようだった。――俺も気付いた。
「飛蝶の母猫って、確か三毛猫だったよね」
「ええ。お隣の家の……」
「だよね、俺も時々見かけてたから……うん、この猫だ」
俺は身をかがめて、その三毛猫の頭を撫でた……グルグルって喉を鳴らしながら、自分から頭をこすりつけてくる仕草が、飛蝶にそっくりだった。
「間違いないな。この猫のお腹の中に、飛蝶がいるんだよ。一足先に俺たちに会いにきたのかな? ちゃんと俺たちがここにくるか、心配になって」
「……ここに来る……?」
「そうだよ。ここで、俺達……」
すべて言い終わらぬうちに、隣の家から声がかかった。
「すいませ〜ん! その猫、うちのですゥ〜」
お隣の家の一海ちゃんだった。
「すいませ〜ん、勝手にそっちに行っちゃって……ええっと、確か紅藤さんちのおばあちゃんの、お孫さんですよね?」
「ええ、そうです。紅藤沙耶です」
「そうですよね、覚えてます。おばあちゃんにそっくりだったから……あっ、もしかして。こっちに引っ越してくるんですか?」
「あっ、いえその……」
沙耶が戸惑っているので、俺が口を出した。
「まだ検討中です。たぶん、この家になると思いますが」
「そうなんですか! じゃあ、お隣りになったらよろしくお願いしますね。ミケ! 戻っといで」
「にゃお〜」
と、返事をしながら三毛猫が歩き出す。――塀の穴をくぐる前に振り向いて、また一声鳴いてから帰って行った。
三毛猫が帰ったので一海ちゃんもいなくなり、俺たちはまた二人っきりになった。
だから、俺は言った。
「夢を現実にしてほしい」
その時の沙耶の戸惑いっぷりったらなかった。視線が定まらなくなって、手をもじもじと動かしていた。
「そんな、どうして? だって……信じられない」
「信じられないのも無理はないけど、俺の気持ちは先刻言ったとおりだよ。今まで、俺自身も肩肘張って、杏子さんのことに固執して、真実を押し殺してきたけど……俺は君が好きだ。今は素直にそう言える。だから、あの夢を現実にしてほしい」
俺はそう言うと、彼女の手を取った。
「君がいなかったら、俺は今頃、犯罪者になってた。君が俺を救ってくれたんだ。だから、これからも俺のそばで、俺を支えてくれ」
彼女は俺から目をそむけたまま、しばらく考えていた。
どれぐらい長い時間がたったのだろう‥‥もしかしたら一瞬のことだったのかもしれないけど、俺にはとても長い時間のように思えた。――彼女が首を縦に振るまで。icon
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from: エリスさん
2009年10月30日 11時23分30秒
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面白い映画が目白押し(*^_^*)
今ごろ職場では、「マイケル・ジャクソン This Is It」のお客間様でごった返しているんだろうな。
そんなわけで、小説をアップする前に私の雑談にお付き合いください。――おはようございます、エリスこと淮莉須 部琉です。
普段は映画館で働いています。ありがちですが、映画自体も大好きです。おもに邦画ですけど。
秋に入ってから見たい映画がいっぱい待ち構えています。今一番見たいのは「のだめカンタービレ 最終楽章・前編」ですね。12月19日の公開日が待たれます。――なんかありきたりなことを言ってるように思われるかもしれませんが、これには理由があるんです。
仕事の時、映像チェックのために上映中のシアターに入るんですが、その時、「のだめ」の予告編が流れているんです。
これはうちの映画館の戦略なのか、それともどこの映画館でもこの順番なのか……先に赤西 仁主演の「バンテイジ」の予告が流れた後、「のだめ」の予告が流れているんです。そうすると相乗効果なのか…………………(この長い点線の間に、本当に言いたいことを封印しました)………………とにかく! 「のだめ」の予告が格好良く見えるんです。あの交響曲第八番の曲に乗せて指揮棒を振る千明真一役の玉木 宏さんがすっごく素敵に見えて!
あっ、誤解のないように言っておきますが、私は堂本光一のファンであって、玉木さんのファンというわけではありません。
でもファンじゃない人間が見ても「格好いい」と思わせてしまうあの予告編が、すごく魅力的に思えたんですね。それで今後見たい映画の筆頭に名前を挙げたわけです。
あと気になる作品は「曲がれ!スプーン」です。
これは初めに予告編を見たときに、
「あれ? あの話に似てる……」
と思いながら見ていたら、長澤まさみの役名が「桜井 米」と知って、
「やっぱり『冬のユリゲラー』じゃん!」
と、仕事中なのに驚きを隠せなかったという……もちろん心の中で叫んだんですよ。声には出してません、お客さんの迷惑になりますから。
ところでこの『冬のユリゲラー』とはなんぞや? ということを説明いたしますと。もともとは「ヨーロッパ企画」という劇団が上演していたお芝居で、それをフジテレビの夜中の番組「劇団演技者。」がドラマ化していたんです。二〇〇五年の八月のことです。この時の主人公は透視能力者の筧で、今井 翼が演じていました。ここでは「桜井 米」はキーパーソンではありますが、主人公ではなかったんです。でもこの役名だけはよく覚えていた。どうしてかと言うと、ストーリーの中に「桜井を透視した筧が、桜井の上着の内ポケットに蜘蛛が潜んでいるのを見つける」というエピソードがあったんです。そのエピソードのオチが、「名詞に書かれていた“米”の字(蜘蛛に形が似ている)」だったんですね。
映画では筧が脇に回り、桜井が主人公になるわけですね。そうなるとストーリーも私が知っているものとは大分変わるんだろうな……ということで、これも楽しみの一つ。
あとは「大洗にも星はふるなり」「レイトン教授と永遠の歌姫」「ウルルの森の物語」「よなよなペンギン」「カールじいさんの空飛ぶ家」「ゼロの焦点」「笑う警官」「なくもんか」「トワイライト・サーガ ニュームーン」ときて……。
兄貴の影響で仮面ライダーを見るようになってしまった自分としては、「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」も見ると思う、たぶん。
迷っているのは「宇宙戦艦ヤマト復活編」です。もう松本零士原作じゃないんだよね。でも主題歌がアルフィー……ちょっと惹かれる。
こんだけあると、たぶん仕事が休みの日に全部見るのは難しいだろうな、と思う。だから今のうちから優先順位をつけておかねば。
ご静聴ありがとうございました<m(__)m>-
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from: エリスさん
2009年10月23日 15時56分35秒
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最近、どうゆうわけか
もう一つの小説サークル「神話読書会」より、こっちの方がアクセス数がいいんですよね。
なにがあったの?
原因として考えられるのは、今「神話読書会」はヘーラクレースの伝説を書いているので、萌え要素である“百合的恋愛”がないこと、かな?
それとも単に「ヘーラクレースなんてごっつい男の話なんか読みたくないよ」という女性読者のみなさんが、こっちに流れてきたとか。
結局のところ、私が皆さんに求められているのは「男っ気の少ない恋愛小説」なんでしょうかね。なんせこっちの崇原喬志は「女装をさせると似合う美男子」という設定ですから。
いいんです。私もアマチュアの百合小説作家だということは自覚してますから。皆さんにそういう風に見られても。
でも「神話〜」の方も頑張って書いてますので、あんまり見捨てないでね(^_^;)-
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from: エリスさん
2009年10月23日 15時48分57秒
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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・4」
千代田線から直通で常磐線に乗り込み、松戸駅へ到着。
夢で見た通りで町並みだ……以前、北上郁子先生の原稿を取りに松戸へ来たことがあるので、その時の記憶が夢に反映していたのだろうか?――そういえば、あの夢の通りだとすると、俺はこのあと東海林さんの後任で北上先生の担当になるのか。
そんなことを思いながら、あの家へ足を向ける。
まったく迷うことなく着いたのには驚いたが、しかし、庭の植木がまったく記憶していたのと違うのにはがっかりした。
そうか、あの庭は彼女がここへ引っ越してから作り上げたものだったのか。池には水が張っていないし、藤棚もまだ季節外れだからか寂しいばかりだ。
俺は試しに門を開いてみた――すると、簡単に開いてしまった。もとから鍵がかかっていなかったらしい。
見た感じ誰もいない。不法侵入になるかもしれないが、俺はどうしても中に入りたくてどうしようもなくなっていた。
庭の中に入ると、すぐに気持ちよい風が吹いてきた。
なんだろう、すごく居心地がいい……。
ここは紅藤さんのおばあさんが愛した庭だから、その思いが残っているのかもしれない。
『俺はこの庭に救われたのかな……』
そう思ったが、すぐに、それだけじゃないことに気づく。
背後から人の気配がしたからだ。
「……どうして……」
その声で、振り向かなくても分かった。
「どうして、崇原さんがここにいるの?」
俺が振り向くと、戸惑いで震えている紅藤沙耶が立っていた。
だから俺は答えた。
「君が導いてくれたんじゃないか」
「……それじゃ……」
動けなくなってしまった彼女を、俺はわざわざ迎えに行って、庭へと入らせた。
「夢を見たんだ。君とここで暮らしている――いや、正確には通っていた夢を。君と、飛蝶と、三人で」
すると彼女は顔を背けた。
「恐ろしい女だと思ったでしょ? 私のこと」
「どうして?」
「どうしてって、子供が欲しいからって誘って、あなたを利用してた。あなたにとっては、私とそうゆう関係になることは、妹さんと……」
「ああ!」
もう俺の中では決着をつけたことを、彼女はまだ気にしていた。
「そのことなら、もういいんだよ。君と史織とはまったくの別人だ。それなのに同一視していた俺が悪かったよ」
「それだけじゃなく、杏子さんのことをまだ好きなのに……」
「うん、そのことなんだけど……俺の杏子さんへの思いは、弟がお姉ちゃんを大好きなのと同じなんだよ。そのことは杏子さんも気づいてた。だから俺とは結婚できなかったんだよ」
「え!?」
彼女は驚いて俺の方を見た。
「そう……なの?」
「うん。……あの夢は、かなり君の解釈が強かったね。本当の俺はそんなこと思ってなかったのに、結構きついこと言わされて、もどかしかったよ。特に、君にプロポーズした時」
「あっ……」
思い出したのか、彼女は頬を赤らめた。
「君に、慈悲の心、同情で自分のことを抱いただけだろうって言われて、本当は“違う”って答えたかったのに、夢の中の俺は、“そんなこと初めから分かってたことじゃないか”って……あれは自分で言ってて本当にキツかった」
「でも……本当のことでしょ?」
「違うよ」と俺は笑った。「俺が本当に好きなのは、杏子さんじゃない。君だよ、沙耶さん」icon
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from: エリスさん
2009年10月16日 14時59分40秒
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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・3」
「どうゆうつもりだ! こんなことして。今まで、俺がどんなに問いかけても答えなかったくせに」
俺がそういうと、苦笑いを浮かべた史織はこう言った。
「昨日まではそんなに霊力がなかったのよ。姿を見せることはできても、声までは出せなかった。普通の人間と同じように振る舞うには、それなりの霊力が必要なんだよ」
「じゃあ、今はどうしてこんなにはっきり見えて、会話までできるんだよ」
「沙耶さんのおかげよ」
「沙耶?――紅藤さんの?」
「お兄ちゃんがさっきまで見ていた夢は、沙耶さんの夢なの」
史織の説明はこうだった――霊力がかなり強い沙耶は、幾度も俺が杏子さんを殺す夢を見ていて、それが現実にならないように願っていた。その願いが夢になって、俺の夢とつながったのだ。その夢の力に史織も引き込まれてしまい、ついでに力をちょっとだけ借りて俺の目覚まし時計を壊したそうだ。
「沙耶さんと同じ夢を見ることで、お兄ちゃんは人殺しにならずに済んだんだよ。感謝しなくちゃ」
「……素直に、感謝できないよ」
そうだろ? 俺が結婚式に行かれなかったばっかりに、杏子さんはあの卑劣な男と夫婦になってしまったんだ。これから杏子さんがどんな不幸を背負うか考えたら、自分だけのうのうと生きていくことなんか……。
そんな俺の考えが見えたのか、史織は俺の耳を引っ張り上げた。
「痛いッ! やめろって!」
「お兄ちゃんのバカ! 全然わかってない! あのね、杏子さんは自分で選んだんだよ! やろうと思えば、その卑劣な男を婦女暴行犯で訴えることだってできたのに、それをせずに、それどころかそいつの奥さんにまでなったのよ。そんなの普通の神経じゃできないでしょ。それでも杏子さんがそれを選んだってことは、杏子さんなりの強い決意があるからじゃない!」
「杏子さんの決意?」
「そうよ。嫌いな男と結婚してでも、叶えたい望みがあるのかもしれない。人生逆転のビックチャンスを掴もうとしているのかもしれない。もしくは……復讐のチャンスを狙ってたりしてね」
「おい、まさか……」
「私はいつもお兄ちゃんのそばにいて、一緒に杏子さんのことも見ていたから分かるの。彼女はそれぐらい強い人なの。だから、お兄ちゃんが変な同情をかけることなんかないのよ!――だけど、沙耶さんは違う」
史織は俺の耳から手を離すと、ちょっと距離を取った。
「ねえ? もう気づいたでしょ。私と沙耶さん、似ているのは見掛けだけ。中身は全然違うよ。沙耶さんは、私みたいな物言いはしないでしょ?」
そうだ。紅藤沙耶はいつだって穏やかで、誰かが支えてやらないと折れてしまいそうな儚(はかな)さがある。でも、芯はとても強い女性。普段はそれを隠しているんだ。
「お兄ちゃんが沙耶さんを好きになったのは、私と似ていたから……でもそれは、ただの切っ掛けじゃない。今は、彼女と私が全然違う人間だって分かってるんでしょ? だったらもう、自分の気持ちを押し殺すのやめなよ。お兄ちゃんが沙耶さんを好きになっても、それを近親相姦だなんて誰も責めたりしない。そんなの気にするなんて、お兄ちゃんは神経が過敏すぎるんだよ」
「史織……」
そうかもしれない……いや、そうなんだ。俺が臆病になりすぎていただけで、本当はそんなこと気にする必要もなかったのに。
今更言い訳になるけど、彼女の真剣な思いが怖くて、そんなことを考えて自分を守っていただけだった。
「だからさ、沙耶さんに会ってあげて。彼女、自分が見た夢の内容から、自分を責めてるから。心が泣いてるのを感じるんだ、今……」
そう言っている史織の体が、だんだん薄らいできた。
「オイ、史織! 消えかかってるぞ!」
「沙耶さんの影響力が無くなりだしたから、自分だけの力じゃもう限界かも……だから、私もう行くね」
「行くって、どこに!?」
「天国に決まってるでしょ。今まではお兄ちゃんが心配で離れられなかったんだよ。お兄ちゃん、私が死んだのが自分のせいだって自分を責めてたから。だけどもう、大丈夫だよね……」
ますます薄く、ぼんやりとしか見えなくなった史織は、最後にこう言った。
「また会えるように、沙耶さんに頼んであるから!」
「………何を頼んだんだよ、バカ妹」
言いたいことだけ言って、いなくなった。少しは俺の気持ちぐらい聞いてから行けよ。俺が今までどんな気持ちで生きてきたか……。あっ、そうか。あいつは俺のことをずうっと見てきたから、聞かなくても分かるのか。
だったら、しょうがない。
「……行くか!」
ここは一つ、妹の忠告通りに行動してみることにした。icon
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2009年10月03日 14時01分57秒
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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・2」
『杏子さんが俺を解放してくれるというなら、杏子さんは誰が解放してやれるんだ?』
そんな風に悩み始めていた頃から、あの夢を見るようになった。
ウェディングドレスを着た杏子さんを、俺が刺し殺す夢……。
いっそのこと現実にしてしまいたいと思った。そうすれば、杏子さんは大石から解き放たれる。あんな卑劣な男から。
その気持ちが固まったのは、大石から結婚式の招待状が届いたときだった。
奴は、俺と杏子さんの関係を知っていて、見せつけるつもりなのだ。自分が勝ったことを。
だったら……。
杏子さんと大石の結婚式を次の日に控えてのこと。
俺が屋上で煙草を吸っていると、遠慮がちに誰かが上がってくる足音が聞こえた。
漂ってくる空気で分かった――紅藤沙耶だった。
「やっぱり来たね」
なんだろう、来ることが分かっていた。……いや、俺のしようとしていることを止めてほしい、という願いがそうさせたのかもしれない。
「お邪魔じゃない?」
「いや、ちょうど話し相手がほしかったとこ」
それから俺はしばらく紅藤と会話をした。彼女はいつも遠慮がちに、おどおどした感じに喋る。それが彼女の可愛らしさだということは分かっている。いつも明るく元気だった史織とは違う――似ているのは見た目だけ。それは分かっているのに、俺はどうしても彼女を妹とダブらせてしまう。不幸な死に方をした妹と……。
その時――杏子さんの話題が出てしばらくすると、彼女が苦しみだした。
「大丈夫!」
そうだった。彼女は過呼吸症候群だったんだ! あまり刺激する会話はしちゃいけなかったのに、俺ってやつは自分のことばっかり考えてたから、つい杏子さんを弁護することを言ってしまって。彼女にとっては、最近の杏子さんのことは不快でしかならないって言うのに。
俺はすぐさま彼女の背中をさすってあげた……ぜんぜん肉付きがない、細い背中だった。
どうしよう……抱きしめたい、今すぐ! そんな衝動にかられながら、なんとか自制心を呼び起こしていた。
杏子さんを失った絶望感から、この子をどす黒い欲望で汚そうとするなんて、人間として間違っている!――そう言い聞かせながら。
「ありがとう……もう大丈夫です」
彼女はそう言って振り返りながら、ニッコリと微笑んで見せた。
その笑顔も、史織と似てるな、と思わせてくれた。
その日の夜。
明日の荷物の中に、俺は果物ナイフを忍ばせた。
そのせいか寝付かれなかった俺は、浴びるほどの酒を飲んでから、ベッドに横になった。
明日の早朝には新幹線に乗って、そして……。
いつのまにか眠りに就いた俺は、それから不思議な夢を見た。
「……子供が……欲しいんです」
正直驚いたけど、俺は素直に引き受けた。
人助けという名目があるなら……いや、君が俺を救ってくれるんだ。だから、罪悪感なんか持たないで。
これだけで終わりにしたくない。もっと君と一緒にいたい。だから、これからも君のもとに通うよ。週末婚でいいんだ。
どうして卑下するんだ。君は杏子さんの身代わりでも、ましてや史織の身代わりでもないのに。だから!
「何度でも言うよ。結婚しよう」
お願いだから、うなずいて……。
ホラ、産まれるよ。もうすぐ、俺たちの……。
そこで、目が覚めた。
しばらく……寝ぼけていたせいもあったけど、状況が掴めなかった。
窓の向こうからチャイムが――近所の印刷工場での休み時間を告げるチャイムが聞こえてきて、ようやく状況が分かった。
ここは俺が住んでいる男子寮。今はまだ四月――杏子さんの結婚式当日だ!
それじゃ、俺が沙耶と……松戸の家で過ごしたことは、すべて夢?
枕もとをみると、時計が俺が起きるはずの二分前で止まっていた。
すっかり太陽も登って、南の空に見える。ということは……俺はテレビをつけてみた。案の定、お昼の番組をやっていた。
『今さら行ったところで、間に合うはずがない」
もう杏子さんと大石の結婚式は始まってしまっている。
どうしてこんなことになったのか。
その時、気配を感じて、俺は振り返った。
「やっぱり、おまえの仕業か、史織……」
すると、初めはぼんやりと見えていたものが、急にしっかりと見えるようになった。紅藤沙耶に似ているが、あきらかにこっちは健康そうな体をした女だった。
「ご名答です、喬志お兄ちゃん」
死んでからの妹とちゃんと会話をしたのは、これが初めてだった。
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