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恋愛小説発表会〜時にはノンジャンルで〜

恋愛小説発表会〜時にはノンジャンルで〜>掲示板

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  • from: エリスさん

    2012年07月27日 13時06分58秒

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    「夢のまたユメ・60」
     朝――二人は5時に目が覚めた。
     百合香の仕事がお休みだと分かっても、ゆっくり寝てなどいられなかったのである。寝ている間も余震はあるし、朝早くから訪ねて来る人はいるし、で。
     「おにぎり作ったんだけど、食べるゥ?」
     「私はサンドウィッチ……」
     百合香の幼馴染の静香と千歳だった。
     「ありがと……」と、まだ眠い目をこすりながら百合香は言って、ハタッと気付いた。「お水、もう大丈夫なの?」
     「水道の濁り水なら、もう昨日の夜から大丈夫だったでしょ?」
     と静香が言ったので、
     「そうなんだけど、心配だからお風呂に入るだけに止めて、お米はとがなかったの」
     「ユリは心配し過ぎだよ。でも安心して、このおにぎりは今朝お米といで炊いたご飯で作ったから」
     「しいちゃん、早起きだね」
     「いや、寝てられなかった、というのが正直なところ」
     「だよね(^_^;)」
     「でも、ユリちゃんは……」と、千歳が言った。「ちゃんと眠れたみたいね。お兄さん、帰ってこられたの?」
     「いや、お兄ちゃんは帰ってこれなかったんだけど……」
     そこへ、まだ浴衣のまま洗顔をしていた翔太が、百合香の部屋に戻ろうとしていたのが見えたので、目ざとく静香が見つけて声を掛けた。
     「あら、ユリの彼氏さん? どうも初めましてェ〜!」
     なんとなく『逃げられない(-_-;)』と感じた翔太は、おずおずと姿を現した。
     「どうも、初めまして……ご近所の方ですか?」
     「ハ〜イ、ユリとはちっちゃな時から仲良くしてまして」
     なので百合香が補足した。
     「幼馴染で同級生なのよ、二人とも」
     「……同級生!?」
     この時、翔太は『同い年に見えない……リリィ、どんだけ若いんだ?』と思ったのだが、口には出さずに堪えていた。
     とは言え、一言だけ発した言葉で、静香と千歳にはその気持ちを察することは出来たようだが。
     「ユリちゃんは二十歳ぐらいから、全然、歳とらなくなっちゃったから。昔はユリちゃんのが年上に見えたものなんだよ」
     と、千歳は言ってニコッと笑って見せた。「ところで、ユリちゃん。ユリちゃんところは、今日は営業してるの?」
     「ううん。ファンタジアは休業だってメールきたわ」
     「やっぱり」と、静香は言った。「うちもお休みだって。今、SARIOはとんでもないことになってるみたいね」
     「私たち、三人そろって昨日はお休みで良かったわね」と、千歳は言って「でも、うちは営業するんですって」
     「え!? そうなの?」
     静香はSARIOのおもちゃ売り場の店員で、千歳は食品売り場のレジ係だった。
     「さすがに食品売り場は開けないと、ご近所の人たちが困るからでしょ。食べる物が手に入らないもの」
     「確かに……ペットショップは開いてないのかな? 食品売り場と同じ階にあるけど……」
     「どうだろね。行ってみないと分からないよね……」
     静香と千歳が帰ってから、百合香は猫部屋に行って姫蝶の食べる缶詰の数を確認した。
     「今晩の分までしかないなァ……」
     百合香が困っている隙に、姫蝶は百合香の膝の上に乗って、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
     「キィちゃん、甘えてる場合じゃないわよ。あなたのご飯の危機なんだから」
     そこへ翔太も顔を出した。
     「姫蝶は普通の魚は食べないの?」
     「お刺身だったら……切り身で売ってる魚は、人間用に味付けしてあるから、猫には食べさせてはいけないのよ。味付けしてなくても、脂分が多かったりするし……」
     「猫缶なら、どこのメーカーでもいい? 俺が良くいくホームセンターなら、猫缶も売ってるから、俺、買ってこようか?」
     「ホント!? あっ、でもホームセンター自体が営業してるかどうか……」
     「こんな時だから、むしろ防災グッズを買い求めるお客さんのために営業してると思うんだ。懐中電灯とか、ラジオとか、キャンプ道具とか……」
     「そうよね……じゃあ、頼んでいい?」
     「任せろ! それより、リリィも顔洗いなよ。もう水道は大丈夫だから」
     「うん、そうする」
     百合香は姫蝶を膝からおろして、立ち上がった。


     結局、百合香も翔太が行くと言うホームセンターに連れて行ってもらって、二人で買い物をすることにした。するとお店には、この非常時に困らないようにと、水やお茶のペットボトル、米、トイレットペーパーなどをショッピングカートにいっぱい乗せた家族連れが、レジに行列になっていた。
     「やっぱり二人で来て正解だったな」
     と、翔太が言ったので、百合香も頷いた。
     「お店に入ったら、確かにあれこれ必要な物が見つかるから、一人じゃ持って帰れないところだったわ。あっ、紙コップ……」
     「断水で食器洗えないとか、想定できるよな。買っとけば」
     「うん……」
     お店のレジ横には、すでに《懐中電灯、単一乾電池は売切れとなっております》という案内板が出ていた。――この頃、福島の原子力発電所がかなり危険な状況で、いつ停電が起きてもおかしくない状況だったのである。後に「計画停電」というのも行われ、懐中電灯は絶対必需品となっていた。
     二人は買い揃えたものを、百合香の自転車の籠に乗せて、入れ切らない物は翔太が手に持った。百合香は自転車には乗らずに、自転車を押して翔太と一緒に帰って来た。
     時間はもうすぐお昼になろうとしていたが、一向に恭一郎が帰ってくる様子はなかった。
     携帯はもうスムーズにつながっているというのに、今朝、百合香が送ったメールの返信すらなかった。
     「そのまま仕事してるんじゃないの?」と、翔太は戸棚にトイレットペーパーを仕舞うのを手伝いながら言った。「恭一郎さんのお店でも、懐中電灯とか売ってるんだろ? それこそ、災害時の便利グッズとか」
     「う〜ん……聞いたことないけど、電気屋さんだものねェ」
     恭一郎が担当しているのはゲームソフトやDVD・CDを販売しているアミューズメント館ではあるが、一階でアキバ名物を販売しているとも言っていたので、全然関連なさそうなものでも、今日は急きょ売り出している可能性もある。その販売員として、帰宅しないで出勤させられているのかもしれない。
     「どうしようかな、今日の夕ご飯……お昼は、まだおにぎりもサンドイッチもあるけど……」
     「今晩は帰ってこられるよ、きっと。ちゃんとしたもの作ってあげなよ」
     「そうよね……あとで食材の買い物も付き合ってね」
     「おう、もちろん」
     そんな時だった――玄関のチャイムが鳴った。
     「あっ、噂をすればかな?」
     「どうかしら。ハーイ!」
     百合香が多少期待しつつ、明るく玄関のドアを開けると、そこには……。
     「ユリアス〜! 遊びに来たよォ〜!」
     「リリィさァん! 無事でしたか!」
     「リリィ! あっそぼ〜」
     ファンタジアのフロアスタッフの面々が集まっていた。(ちなみに、上から、ユノン、ナミ、ぐっさんの台詞である)

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  • from: エリスさん

    2012年07月19日 17時33分27秒

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    「夢のまたユメ・59」
     翔太の後ろには車が止まっていて、その運転席から紗智子も降りてきた。
     「翔太……それに紗智子さんも、良く神田から帰ってこられましたね(二人が勤めている秀峰書房は千代田区の神田にある)」
     「当たり前だろ」と、翔太は前髪を格好よく掻き上げた。「愛の翼で飛んできたのさ」
     「なにをシェイクスピアみたいなこと言ってるの」と、紗智子は弟の後頭部を叩いた。「私がこの大渋滞を運転してきてあげたんじゃないの、会社の車で」
     確かに、見れば車の扉部分に「秀峰書房」と書いてある。
     「い、いいんですか? それって職権乱用……」
     「いいのよ。ついでに同じ方向の女子社員も家まで送ってあげたから」
     「あっ、それなら……」
     「それより!」と、翔太は恋人と姉との会話に割って入った。「リリィのところは大丈夫だったの? お兄さんは?」
     「私はこの通り大丈夫なんだけど……兄は帰れなくなりました」
     「ああ、やっぱり」と紗智子が言った。「電車止まってるものね」
     「そうなの(^_^;)」
     すると翔太は、
     「じゃあ、姉ちゃん。そういうことだから」
     と、家の中に入ってきた。そして紗智子の方も、
     「はいはい、迷惑かけちゃ駄目よ」
     「え? どういうこと?」と、付いていけていない百合香が言うと、
     「俺、明日は仕事休みだから、泊まっていくよ。一人じゃ心細いだろ?」
     「え? いいの?」
     なので紗智子が言った。「私がそうしろって言ったの。たぶんお兄さんが帰れなくなってるから、女がこんな非常時に一人でいるのは危ないんじゃないかと思って」
     「ええ〜、ありがとう! 本当にいいの? あっ、でも、今うち水道水が濁ってて、食事が……」
     「夕飯なら、車の中で食べたよ。ホラ、おにぎり」
     と、翔太はレジ袋に入ったおにぎりや菓子パンを見せた。「リリィも食べる?」
     「ううん、私も夕飯は済んでるから……」
     「そう、じゃあ冷蔵庫に入れとくな」
     「うん……」
     翔太はそう言ってさっさと台所に行ってしまうので、百合香は外へ出て紗智子の方へ行った。
     「紗智子さんも上がって、お茶でも飲んで行って――ペットボトルのだけど」
     「ありがとう。でも、私は帰るわ。母が心配してるだろうし……そうだ。今日、母に会った?」
     「ううん、会ってないわ」
     「そう……」
     「どうして?」
     「……今日だったのよ」と紗智子は言った。「例の話、切り出すの」
     それだけで、何のことか分かる。
     「きっと、出掛ける前に地震が来たのね。だから、あなたに会いに来られなかったんだわ」
     「お母様に何かあったとか……」
     「ううん。単純に、それを口実にして会いに来なかったのよ。お母さんだって、あなたにそんな話したくないの。お母さん、あなたのこと気に入ってるから。でもそれで良かったわ。あなたにその話をした後じゃ、こんな非常時でも、あなた、翔太を家に上げることなんてできなかったでしょ?」
     「ええ……そうね」
     皮肉なことだった。地震のおかげでみんなが大変な目に会っている時に、自分は恋人との別れがしばし先延ばしになってくれたのである。
     『いつか罰が当たりそうね』
     それでも、今は……この幸福を手離したくない。
     「リリィ、そろそろ寝る時間だろ? お風呂って入れるの?」
     「あっ、うん。辛うじてそれは大丈夫。でも、水は飲まないようにしてね」
     「分かった。じゃあ、着替えだしといてね」
     「はいはい」
     長時間、車に乗っていたせいか、疲れたのだろう。翔太はもう寝る気満々だった。
     さて、翔太が家にいるとなると……。
     「キィちゃん……」
     姫蝶が焼きもちを焼いて翔太に意地悪をしないように、猫部屋に入ってもらわないといけないのだが……。ちゃんとそれを分かっているのか、姫蝶は、
     「みにゃあん」と鳴いて、自分から猫部屋に入った。そして、クッションの傍まで行くと、「うにゃあ〜ん、ぐるぐる〜」と甘えた声を出して、クッションには乗らずその前で箱座りをした――背中を撫でてほしいときの体勢である。しかも、喉をゴロゴロと鳴らしているところを見ると、すでに満足度100パーセントということだから……。
     『まだ、あそこにお母さんがいるのかしら?』
     百合香の代わりに母・沙姫が姫蝶の面倒を見てくれている?――いや、むしろ可愛い物が大好きな沙姫が自分から姫蝶と遊びたがっているのかもしれない。
     とりあえずここは、ありがたく猫部屋のドアを閉めさせてもらった。


     お風呂から出た翔太は、真っ先にお布団に倒れ込んだ。
     「ああ〜、疲れた……」
     「お疲れ様」
     隣に横になりながら、百合香は掛布団を掛けた。「会社も大変だったんでしょ?」
     「うん。本棚が倒れて、書籍が全部落ちてきて……それでもオフィスはまだいい方で、倉庫なんかめちゃくちゃになってたよ。ひどい揺れたものな……しかも長時間」
     「場所によってはそうなんですってね。私もかなり経ってからテレビで見て知ったんだけど」
     「ん? ってことは、リリィがいた場所はそんなに揺れなかったの?」
     「レンタルショップの地下にいたのよ」
     「ああ、地下か……俺はビルの7階にいたから」
     「揺れの大きさも、時間も、倍になるのね」
     実際この震災の時、高層ビルなどは地面の揺れが止まっても、ビル自体が揺れ続けている映像が残されている。中にいた人は相当な恐怖を味わったはずである。
     「でも、地下だったら」と、翔太は寝返りを打って、百合香の方を向いた。「建物が潰れたら閉じ込められたかもしれないんじゃん! レンタルショップってあそこだろ? 駅の傍の」
     「ええ、そうよ」
     「あそこって、昔はデパートだったんだろ? うちの母さんが言ってた」
     「ええ、そうよ」
     「それから建て直してないって言ってたから、相当古い建物なんじゃ……」
     「確かに、私が幼いころからあるから、ざっと見積もっても築40年ぐらいね。まあ、リフォームぐらいはしてるはずだけど」
     しかし、百合香が外に出た途端、外壁が崩れて砂粒が落ちてきたのは確かだ。それを考えると、やはり百合香も危険だったのかもしれない。
     そのことは翔太に話さなかったが、それでも翔太は感じ取ったのか、百合香に覆いかぶさるように抱きしめてきた。
     「良かったァ〜、お互い無事で」
     「……ホントね。良かった……」
     百合香が翔太の頬に頬ずりをすると……翔太が百合香の浴衣の帯を解こうとしてきた。
     百合香はその手を止めさせた。
     「今日はしないわよ」
     「え? なんで!?」
     「こんな大変な時に、不謹慎でしょ。今晩はお布団で寝られない人だっているのよ」
     「そうだけど……だからこそ、一緒に居られる時間を大事にしたいじゃん」
     「理屈はわかるけど……もし、その最中に地震が来て、家具とかに押しつぶされて死んじゃったらどうするの」
     「つながったまま死ぬるなんて最高だろ」
     「私たちはね(^_^;) でも、救出に来てくれた人は気まずいったらないわ」
     「そんなことまで気にしなきゃならないの?」
     「そうよ」
     「俺は嫌だね、そんなの……」
     翔太は、百合香に何も言わせないために、彼女の唇を唇で封じ込めた。
     そんな時――余震が起こった。
     結構な揺れ方で、一瞬唇が離れた隙に、百合香は顔を背けて、言った。
     「離して……」
     「やだ」
     翔太は百合香の左肩を押さえつけるようにして、百合香を離さなかった。
     「地震が起きてるのよ、避難しなきゃ……」
     「すぐに納まるよ」
     百合香が無駄な抵抗をしている間に、たしかに地震は納まった。
     翔太が押さえつけていた左肩のあたりから、浴衣が脱げかかっていた。帯はすでに解けている。それでも翔太はまだ、百合香にキスしか迫らない。
     「お願い、離して……」
     呼吸のために唇が離れた途端に百合香が言うと、翔太は少し体を起こして百合香を見下ろした。
     「俺と死ぬのは、嫌なの?」
     「そうじゃないわ」
     「じゃあ、どうして……」
     「だって……私だけ、こんな幸せでいたら、罰が当たるもの」
     こんなことを言われてしまうと、大人として引き下がるしかない。――確かに、不謹慎なことをしているという自覚もないわけではない。
     翔太は百合香の上から退くと、彼女の横で胡坐をかいて、ため息を吐いてからうなだれた。
     『どうしよう……気持ちは分かるんだけど……』
     抵抗してくる百合香があまりにも色っぽくて、もう、体の方が制御できないところまできていた。
     『またシャワーでも浴びてくるか……』
     と、翔太が立ち上がろうとすると、
     「あの……翔太……」
     と、百合香が声をかけて来た。
     「やっぱり……して?」
     「え?」
     と、翔太は振り返った。
     「あのね……あの……」
     百合香が恥ずかしそうに、目も併せられないほど頬を紅潮させている様子で分かった。百合香も、体が制御できなくなっていたのだ。
     翔太はバッと上半身だけ浴衣を脱いだ。
     「皆まで言うな! やっぱり俺たち相性バッチリだ!」
     「…………うん(*^_^*)」



     その音は、二人がすっかり寝入ったころに鳴り響いた。
     寝ぼけてながら起きた翔太は、鳴っているメロディーからこう言った。
     「ガンダムの……ティーエムの……なんだっけ……」
     百合香は浴衣で胸元だけを隠して、自分の携帯電話を手に取り、決定ボタンを押した。
     「T. M. RevolutionのINVOKEよ。メールだわ……」
     百合香はファンタジアのメンバーからの着信はT. M. Revolutionの曲を使っていた。
     時刻は午前1時――完全に夜中である。
     「こんな時間に誰からだよ」
     と、翔太は浴衣をちゃんと着ながら言った。すると、
     「ナミとジョージとかよさんから」
     「はい?」
     「いっぺんに三人分届いたのよ。あっ!」
     「どうした?」
     「私、明日……じゃない、今日お休みだわ」
     「へ??」
     「臨時休業よ。明日、ファンタジアは営業できないんですって」
     それは、ファンタジアおよびSARIOの館内がかなりの被害を受けたため、明日はSARIOのほとんどの店舗が営業できなくなったことを知らせるメールだった。最初の発信はナミからで、ジョージとかよさんはそれをコピーして転送する形で、フロアスタッフ全員に連絡が行き届くようにしたのである。だから、文面は3通とも同じだった。
     「私の携帯が圏外から脱出できたのが、ちょうど今だったのね。みんなは8時ぐらいに送ってるわ」
     と、百合香は携帯を翔太にも見せて、かよさんのメールで何時に発信されたかを示すところを指でさした。
     「ああ、ホントだ。……そういや、リリィの部屋って圏外になりやすいんだっけ」
     「そうなの。すぐ傍が陸橋のせいなのか、それとも私の部屋の前の金木犀の樹のせいなのか。とにかく、電波が届きづらいの。そこへきて、昨日の震災でしょ?」
     「そっか……とりあえず、明日お休みなら、少しゆっくりできるな」
     「だといいんだけど……」
     と、百合香が言った途端に、また百合香の携帯が鳴った。――今度は「あずまんが大王」というアニメの主題歌「空耳ケーキ」の着メロだった。
     「あら、お兄ちゃんから……」
     と、百合香は携帯を開いて、決定ボタンを押した――届いたのはメールだった。
     「結局ネットカフェには泊まれなかったから、みんなと一緒に会社の休憩室でごろ寝することになった。おまえは一人で大丈夫か?」
     という内容だった。――発信時間はたった今だった。
     「あっ、お兄ちゃんまだ寝ていないんだ」
     「ああ……きっと、寝泊まりできるところを探して、歩き回ったんだね。相当な帰宅難民が出てるみたいだし」
     と、翔太は気の毒そうに言った。
     「そうね。それでも、会社に泊まれただけマシなのかしら……」
     百合香はそういうと、恭一郎に返信打った。
     「私は大丈夫だよ。翔太が泊まりに来てくれたから」
     それを横から見ていた翔太は、
     「え!? それ送っちゃ駄目!」
     と言ったが、時すでに遅かった。
     「あら、どうして?」
     「恭一郎さんはリリィの上を行くお堅い人だから、こんな時に俺がお泊りしてるなんて知れたら……」
     と、翔太が心配していると、今度は翔太の携帯が鳴った――仮面ライダーWの「W-B-X」の冒頭部分の着うただった。
     「あっ、恭一郎さん……」
     恐る恐るメールを開くと、文面はこうだった。
     「ありがとう!\(^o^)/」
     ほっ、と翔太は安堵した。「良かった、怒ってない……」
     「お兄ちゃんは怒らないわよ」と百合香は言った。「あなたのこと信頼してるもの」
     「そっか、良かった……あっ、なあ?」
     「ん?」
     と、百合香は素肌に浴衣を着つけながら答えた。
     「リリィの携帯は、届く相手によって着うた替えてるんだね」
     「そう。曲を聞いただけで、だいだい誰から届いたか分かるでしょ?」
     「俺からのは、何の曲にしてるの?」
     「試しに送って見て、空メールでいいから」
     「ん。」
     言われた通り、翔太は百合香に空メールを送った。すると……、
     百合香の携帯から「W-B-X」のサビ部分の着うたが流れた。
     「私たちの共通の趣味でしょ?」
     百合香がそう言って微笑むので、翔太は照れ笑いをするのだった。



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  • from: エリスさん

    2012年07月13日 10時38分51秒

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    「夢のまたユメ・58」
     それから夕暮れ時になるまで、百合香たちは外にいた。
     その頃になると余震が来る間隔もかなり空いてきたので、もう大丈夫だろうと判断し、みんな家の中に戻ったのである。
     幸太にずっとなだめられていた姫蝶だったが、やっと家に入れると分かると、真っ先に自分の部屋に戻って、クッションの上でぐったりとしてしまった。
     「キィちゃんたら、よっぽど外が嫌だったのね」
     「みにゃあ……」
     「でも、カッコイイ彼氏が出来たじゃない」
     「み?」
     「幸太君よ。外に出なかったら知り合えなかったでしょ」
     「にゃあ……」
     姫蝶は「そんなこと、どうだっていいもん」と言いたげに身体中を伸ばして、またクッションの上で脱力した。
     「はいはい、ゆっくり休んでなさい。お姉ちゃんは洗濯物を取り込んでくるからね」
     「みにゃあ」
     百合香は洗濯籠を持って二階に行き、仏間から兄の部屋に入ろうとして…………絶句した。
     兄・恭一郎の部屋の壁や棚に飾られたコレクションがほぼ全部落ち、そして床に平積みを通り越して山積みになっていたオタク系雑誌や漫画の数々が雪崩を起こしていたのだった。
     「……と………通れない。(・_・;) 」
     しかし、ベランダに行くには、この兄の部屋を通るしかない。仕方なく、仏間に置いてあった空の段ボール箱(恭一郎が宅配で何か取り寄せた時の箱)を持ってきて、フィギュア類はその中に入れ、雑誌や漫画は無理矢理にでも壁際に寄せた。それでなんとか通路を作ったのだが……。
     『お兄ちゃんが帰ってきたら、もう少し片付けるように言わなきゃ……そう言えば、お兄ちゃん大丈夫なのかしら?』
     携帯電話はまだ不通のままだった。
     携帯電話は使えなくても、家の電話なら通じるかもしれない。だったら、恭一郎が勤めているお店に電話をすれば通じるだろうが……そんなことをすればお店の人に迷惑だ。
     『だいたい、ここの地震で関東全域の人がきっと、携帯が使えなくなってるはずだから……家族に連絡を取りたくても取れない人は、相当な人数になってるはずよね……』
     洗濯物を取り込んで一階に戻ってきた百合香は、そもそも震源地はどこだったのかと思い、帰宅して初めてテレビを付けた。
     そこでようやく、地震が関東だけではなく東北にまで及んでいたことを知った。しかも、関東なんかより何十倍も被害がひどい!
     『津波って!? え…………えと、お父さんがいる新潟は日本海側だから……』
     百合香が心配していると、家の電話が鳴った。
     慌てて百合香が出ると、
     「ゆ……ゆゆ……」
     と、なかなか声の出せない父・一雄の声が受話器の向こうから聞こえてきた。
     「良かったァ! お父さん無事だった\(^o^)/」
     「お父さんは大丈夫だよ、それよりそっちは大丈夫だったのか? 恭一郎は?」
     【作者注・一雄は吃音症だが、この作中では意訳して表記している】
     「お兄ちゃんとは連絡が取れないの。携帯がつながらなくて」
     「そうなのか。お父さんから連絡してやろうか?」
     「私の携帯だけがつながらないわけじゃないよ。きっと地震の被害にあってる地域の人はみんな携帯が使えなくなってると思う。電波がパンク状態なんだよ。お父さんの携帯は大丈夫なの?」
     「お父さんのは家にいる間はいつも使えないよ。山の中だから圏外になるんだ」
     一雄が言う通り、一雄が住んでいる所は新潟の山の上の方で、しかも森だらけのところなので、携帯の電波が普段から届かない地域だった。だから一雄が携帯を使用するのは山から下りて町に行く時か、東京に帰ってきている間だけである。
     「恭一郎と連絡が取れないんじゃ心配だが……別にビルが倒れたりとかはしていないんだろ? 秋葉原は。だったらきっと大丈夫だ」
     「うん、そう思いたい」
     「それじゃ、恭一郎と連絡が取れたら、お父さんの所に電話くれな」
     「分かった」
     「それじゃ……」
     「あっ! ちょっと待って!」
     一雄が電話を切りそうだったので、百合香は慌てて止めた。
     「どうした?」
     「あのね、お母さんが来たんだよ!……ううん、もしかしたら、まだいるかも。見えないだけで」
     百合香は、母・沙姫が姫蝶を守ってくれていたことを話した。柿沼のおばあさんにも見えたことも。
     すると感慨深く、一雄はため息をついた。
     「そうか。お母さんが来てくれたか」
     「うん……」
     「良かったな。きっと、百合香がこれ以上寂しい思いをしないように、キイを守ってくれたんだな」
     「うん、きっとそうだよ」
     「だったら、恭一郎のこともきっと守ってくれているよ」
     「そっか。そうだね……」
     「じゃあ、そろそろ切るぞ」
     「うん、またね」
     百合香が受話器を置くと、足もとに姫蝶が来ていた。
     「みにゃあ!」
     「うん、そうだね。お腹すいたね。ご飯にしよう」
     「にゃあ!」


     味噌汁を作ろうとお鍋に水を入れた時だった。
     「……おおっと!」
     水道から茶色い水が出てきて、百合香は慌てて水道を止めた。
     「え? 今日って濁り水のお知らせ来てたっけ?……あっ、キィちゃん!」
     今まさに水の器から水を飲もうとしていた姫蝶から、水の器をひったくるように百合香は奪い取った。
     「みにゃあ?」
     「ごめんね、キィ……あっ、キィちゃんのは濁ってないや」
     自分のご飯より先に姫蝶のご飯を用意したのだが、姫蝶の器の水は濁ってはいなかった。それでも念のため、百合香は器の水を捨てて、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、それを器の中に入れて姫蝶に出した。
     「これも地震の影響か……どうしよう、お米もとげない」
     外はまだ夜と言うほどではない。これぐらいなら買い物に行ける! と思った百合香は、急いで近所のコンビニまで自転車で出掛け、お弁当を二人分とペットボトルのお茶を4本買ってきた。――ミネラルウォーターは売り切れだった。
     「濁り水が今晩だけで済むならいいんだけど……どうしよう。明日仕事だから、お風呂入りたいなァ」
     この時はまだ、明日は普通に仕事に行けると思っていた百合香だった。なにしろ、今日のファンタジア――ないし、SARIOの状況を見ていないので、レンタルショップのように「片づければ営業できる」ぐらいにしか考えていなかったのである。
     水道の濁りは2時間後ぐらいには収まり、それでも飲むには怖かったが、百合香は思い切って入浴と洗髪を済ませた。
     明日はフロアスタッフの中で一番早く出勤することになっていたので、朝は4時に起きなければならない。兄・恭一郎のことは心配だったが、明日のことを考えれば、そろそろ寝なくてはならない時間だった。
     テレビを点けて、秋葉原の様子を映しているテレビ局がないか、リモコン片手にチャンネルを変えてみたが、電車が止まって帰宅難民が出ているニュースとして他の駅周辺は映し出されるのだが、どこも秋葉原は映していなかった。あとは東北の様子ばかりである――無理もない。
     どうしよう……と、困っている時、家の電話が鳴った。
     「百合香! 無事か! キィは!?」
     恭一郎からだった。
     「お兄ちゃん! 良かった、無事ね! キィちゃんも元気だよ」
     すると姫蝶が、百合香の足もとから元気よく「みにゃあ!」と鳴いてみせた。
     「ほら、キィちゃんが“大丈夫だよ”って鳴いたよ」
     「おお、聞こえた! 良かった、無事だな。父さんから連絡はあったか?」
     「あったよ。お父さんも無事だって。ところでお兄ちゃん、この電話って……」
     「公衆電話だよ。昔と違って、公衆電話の数が減っちゃってるから、すごい行列になってて、ようやく俺の番になったんだ。みんなこの非常時だから、10円玉一枚分しか通話しないで交代してるんだ。だからそろそろ俺も切るぞ」
     「うん、とにかく無事で良かった。電車止まってるから、今日は帰れないんでしょ?」
     「おう。でもアキバはネットカフェの宝庫だから心配するな!」
     「うん! 心配しない!」
     そこで通話は切れたが、百合香はもう安心していた。
     『そうだ、お父さんに電話しなきゃ』
     百合香がもう一度電話を手にしようとすると、今度は玄関のチャイムが鳴った。
     百合香はインターホンで外に声を掛けた。
     「はい、どなたですか?」
     「リリィ! 俺だ!」
     「え!?」
     百合香はインターホンを戻すと、急いで玄関に出て鍵を開けた。
     そこに、翔太がいた……。

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  • from: エリスさん

    2012年07月06日 14時16分06秒

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    「夢のまたユメ・57」
     「キィちゃん。お母さんにお礼言いに行こうか?」
     百合香はそう言いながら、2階の仏間に姫蝶を抱っこしながら上がって行った。仏間も棚の上のぬいぐるみや、兄のコレクションの食玩が倒れたり落ちたりしていた。そして百合香は姫蝶を床におろすと、仏壇の扉を開いた。すると、母の位牌が転がり落ちてきた。
     「……お母さんったら……」
     自分の位牌も落ちかけていたのに、そんなことより、自分が生きていた頃はまだ家族の一員ではなかった姫蝶を守っていてくれていたとは。
     百合香は位牌を元通りに仏壇に戻すと、正座して手を併せた。
     「姫蝶を守ってくれて、ありがとう、お母さん……ごめんなさい」
     最後の「ごめんなさい」は、破談の理由を母の所為にしようとしていたことへの謝罪だった。
     百合香が長いこと手を併せていたので、姫蝶は百合香の膝の上に乗ってきた。
     「みにゃあ?」
     「ん? お母さんにお礼言ってるんだよ。キィちゃんもお礼して」
     百合香は姫蝶を抱き上げると、何となく前足を併せるような格好をさせた。
     玄関から声を掛けられたのは、そんな時だった。
     「ユリィ! 無事ィ?」
     「ユリちゃァん!」
     百合香はその声ですぐに誰だか分かって、姫蝶を抱っこしたまま下へ降りた。
     「しいちゃん! ちいちゃん! 良かった、無事だったのね」
     二人とも近所に住んでいる百合香の幼馴染で同級生である。
     しいちゃん――荒岩静香(あらいわ しずか)は斜め向かいの家に住んでいて、高校1年生の長女を筆頭に5人の子供のお母さんで、実はこの一帯の土地を所有している地主の一人娘。ゆえに旦那さんは婿養子である。
     ちいちゃん――福田千歳(ふくだ ちとせ)は2軒隣に住んでいて、旦那さんが事故で他界したので、小学生の息子を連れて実家に戻ってきていた。
     「自転車出しっ放しになってるから、家の中でなんかあったんじゃないかと思って、声かけたのよ」
     と静香が言うので、
     「ごめん、でも大丈夫。キィの無事を確認したくて慌ててたら、自転車のことなんて忘れていたわ」
     「だよね」と千歳も笑った。「それより、まだ余震続いてるから危ないよ。外にいた方がいいから、今みんなでそこに集まろうってことになったの」
     静香の家の隣は空き地になっていた。宝生家の向かいの藤木さん家のおばあさんが一人で住んでいたのだが、10年前に亡くなったので、更地にして荒岩家に土地を返していた。そのまま何に使うでもなく……静香の子供たちが遊び場にしたり、プランターで野菜を作ったりしていた。
     「いやあ、誰にも貸さないでおいて良かったよ、この場所」
     荒岩家の大旦那・荒岩剛士(あらいわ たけし。静香の父親で、ここら一帯の地主)は豪快に笑いながら、キャンプ用のベンチを孫たちと一緒に運んできた。
     「ガスとか電気とか止まったら、ここで飯盒で飯作れるからな」
     「お父ちゃん! 不謹慎なこと言わないでよ(-_-;)」
     と、静香はたしなめたが、そんな剛士の豪快さを快く認める人もいた。
     「いいんだよ、しいちゃん。こんな非常時にはね、それぐらいの方が……」
     静香の家と千歳の家の間に建っている柿沼家のおばあさんだった。
     「あっ、おばあちゃん。どうぞ、こっちに座ってくださいよ」
     剛士がキャンプ用のベンチを勧めると、柿沼家からクッション付きの椅子を持って出てきた女性――柿沼木綿子(かきぬま ゆうこ)が言った。
     「大丈夫、おばあちゃんの椅子は持ってきましたから。おばあちゃん、こっち座って」
     「ありがとよ……」
     どんどん近所の人が出てきたので、百合香も姫蝶を連れて外に避難することにした。先ずは自転車を片づけて(^_^;)
     「玄関しめない方がいいよ。地震で家が傾いたら、ドアが開かなくなって中に入れなくなるから」
     と千歳に言われて、
     「だ、だよね……」
     と、百合香は玄関の戸を開けたまま外に出た……すると、姫蝶が百合香の肩をよじ登って、家の中へ逃げてしまった。
     「あっあれ………あっ、そうか……」
     姫蝶は男の人が嫌いだった。しかも、完全室内飼いの姫蝶は荒岩剛士にも、千歳の父にも、静香の子供たちにも会ったことはない。
     「キィちゃ〜ん! 大丈夫だよ、お姉ちゃんと一緒にお外にいよう!」
     百合香が家の中に向かって言うと、奥の方から、「みにゃあ〜ん!」と姫蝶が返事をするのが聞こえた。
     「なに? 怖がってるの?」と、静香が聞くので、
     「ごめん。うちの子は男性恐怖症で……」
     「うわァ〜、飼い主そっくり……」
     「面目ないです(-_-)」
     「え? でもでもォ〜」と千歳が割り込んできた。「ユリちゃん、最近彼氏できたよね?」
     「な、なんで知ってんの!?」
     百合香が驚いて後ずさると、静香は、
     「なになに? それ初耳なんだけど!」
     「毎週土曜日に来る男の人がいるんだよ。私、仕事帰りが同じぐらいの時間だから、良く見かけるんだ。すごく若い人だよね?」
     「若いって、いくつ!???」
     と、静香が食いついてくるので、百合香は恐怖を覚えながら言った。
     「……に……26……」
     「14歳も年下って、あんただけ若作りだからって何やってんのよ!!!!」
     その間、姫蝶のことも、ご近所のおじさんおばさんたちも放って置かれていたのだが……柿沼のおばあちゃんが何かに気付いて、誰もいない方を向いてニコッとした。
     「沙姫さん、帰って来てたのかい」
     それを聞いて、木綿子と剛士がギョッとした。
     「沙姫さんって、宝生さんとこの?」
     と剛士が言うと、木綿子も言った。
     「ちょっとおばあちゃん、何言ってるのよ。沙姫さんは5年前に……」
     「だから、帰って来たんだよ。見えないのかい? ……ん? この子かい?」
     おばあちゃんは膝の上でおとなしくしている茶トラの猫の背を撫でながら、誰もいないはずの右側を向きながらしゃべっていた。
     「この子は幸太(こうた)と言うんだよ。そう、子供のころに死んだ木綿子の弟の名前なんだよ。幸太の命日に家に迷い込んできてね……いいよ、貸してあげるよ」
     「ちょ、ちょっとォ……」
     木綿子が躊躇っていると、おばあちゃんの会話に気付いた百合香がこっちに来た。
     「すみません、実は……本当にうちの母、帰って来てるみたいなんです。私もさっき見えて……」
     「え? そうなの?」
     どうやら猫の幸太にも見えているようだった。幸太もおばあちゃんが向いていた方をじぃっと見ていて、「にゃあ!」と鳴くと、膝の上から降りて、宝生家の家の中へ入って行った。
     中から、姫蝶と幸太の会話の声が聞こえてくる。そして……。
     幸太が先頭に立って、姫蝶が恐る恐る外に出てきた。
     おおう……と、誰もが感嘆の声をあげた。
     「ありがとう、幸太君!」
     百合香がそう言いながら幸太の頭を撫でると、「にゃあ」と一声だけ鳴いて、幸太は気持ちよさそうに目を閉じていた。
     余震が起きたのはそんな時だった。
     姫蝶はダッシュで家の中に戻ってしまい、それを百合香と幸太が追いかけた。
     「キィちゃん! 今は外に居なきゃダメ!」
     「みにゃああん!」
     完全に「嫌ァ!」と言っているのは分かる。そんな姫蝶を、幸太が大きな声で怒鳴った。
     「ニャアーー!!」
     幸太がなんと言ったのかは分からないが、それで姫蝶が完全に動きを止めたので、百合香は咄嗟に抱き上げて、外へ連れて出た。
     百合香たちが外へ出てきたころには、揺れが収まっていた。
     百合香の腕の中で、姫蝶が震えて怖がっているのが分かる――姫蝶にとっては、地震も、人間の男も同じくらい怖い物なのだ。
     すると、宝生家の玄関先にある郵便受けのあたり――ツユクサなどが生え始めている雑草地に幸太は行って、姫蝶に声を掛けた。
     姫蝶も返事をしている。――確かにそこなら、建物からもやや離れているし、皆が集まっている空き地からも離れている。
     「キィちゃん、あそこなら居られる?」
     百合香は姫蝶をそこまで連れて行って、そうっと姫蝶を降ろした。
     すると、幸太が姫蝶の頭をなめて毛づくろいを始めてくれた。
     「幸太君が一緒にいてくれるの? ありがとう……」
     それを見て柿沼のおばあちゃんが言った。
     「大丈夫だよ、ユリちゃん。猫は猫同士に任せておきなさい」
     「はい……そうですね」
     百合香はまだちょっと心配そうに……それでも、みんなが集まっている空き地の方に行った。


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