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from: エリスさん
2013年01月25日 13時37分58秒
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夢のまたユメ・76
「そろそろ仕事どうするか、決めた方がいいかもな」
兄の恭一郎に言われるまでもなく、百合香もそれは考えていた。
40歳にして初産、しかも映画館は激務である。せっかく授かった子供を流産で失ってしまう危険性は大いにある。
しかし、仕事をしていない百合香がどんなに鬱になってしまうか――震災でシネマ・ファンタジアが休業に追い込まれた時、恭一郎は目にしてしまっている。
「ネット小説を仕事と思い込むしかないかなァ......」
と、百合香は言ったが、
「だけど、おまえ。この間まで書いてたのは最終回を迎えたんだろ? 何か新作は考えてるのか?」
「う~ん、それなんだけど......しばらくは百合百合な短編でお茶を濁そうかと......」
「つまり"エロエロなH系"の話で逃げる気だったな」
「長編を書くには、ちょっと資料が足りないのよォ、まだ」
「まあ、とにかく映画館の仕事を続けるわけにはいかないからな。何とかそれで頑張ってくれ......」
そんなわけで、先ずはファンタジアに退職する旨を伝えなければならないのだが――正社員と違ってパートタイマーなので、OLの時のように退職願を出せばいいというものではない。
百合香は土日の出勤日は避け、月曜日にその話をしようと、朝から野中マネージャーに約束を取り付けた。
「勤務が終わってから相談事ね。いいよ、16時からちょうど時間が空くから」
野中はパソコンに何やら打ち込みながら答えた。
「ありがとうございます」
「何か心配事?」
「それは、その時に......」
「あっ、そう......分かった。じゃあ、その時に」
「はい、よろしくお願いします」
百合香はそう言うと、フロアが必要な道具一式を入れたケースを持ち直して、部屋から出て行った。
その時「あれ?」と野中は思った。
「なんか、今の宝生さん、いつもと違ってなかった?」
野中が隣のパソコンを使っている榊田玲御に言うと、榊田は、「さあ......?」と首をひねった。すると、分厚いファイルを胸の前で抱えながら歩いてきた大原美雪が言った。
「荷物の持ち方が違ってましたよ」
「あっ、それだ!」と、野中も納得する。
すると榊田は「荷物の持ち方?」と大原に聞いた。
「宝生さんはいつも、大きな荷物を持つ時は、こうやって前に持つのに、さっきの宝生さんは横腹にくっつけるように持ってたのよ。男っぽく......だからいつもの宝生さんらしく見えなかったんですね」
「なんでまた、そんならしくないことを???」
と、榊田が悩んでいると、
「まあ、たまたまそうなっただけなんだろうけど......」
と、野中は話を納めてしまった。
「......というわけで、今日、話をすることになったわ」
ナミが出勤してから百合香がそう話すと、
「やっぱり、そうするしかないですよね」
と、ナミはため息をついた。「妊婦にこの仕事は無理ですし」
「うん、重たい物も持つしね」
「それは言ってくれたらカバーしますけど、それ以外にも色々と」
「そうね。とりあえず、みんなにはまだ黙っててね。退職する日が決まってから話すから」
「了解です!」
その日は平日にも関わらず、朝から来客数が多かった。この近隣は商店街で店を構える人や、その従業員も多く、月曜日は定休日の人が多いのである。そして、久しぶりに大人も楽しめそうな映画が始まったのも手伝っていた。
朝一のアナウンス担当は沢口さんで、百合香はそのサポート役に付いていた。
「突き当りを左に曲がって3番シアターです」
百合香はチケットの半券をもぎりながら、客にシアターのある場所を簡単に説明していた――フロアスタッフとしてのマニュアルだった。
「宝生さん、次の――何人入ってる?」
沢口はあと5分後ぐらいに入場予定の作品の動員人数を、パソコンの傍にいる百合香に聞いた。なので百合香はパソコンに表示されている人数を見て、
「――は、今のところ5人」
「じゃあ、その次のガリバー旅行記は?」
「うんっと......83人」
「混雑するといけないから、早めに入場しようか?」
「そうですね......」
百合香はそう答えながら、喉元を右の人差し指でマッサージするようにさすった。
「ん? どうかした?」
「ううん、なんでもないよ」
実は、今日は売店から流れてくるポップコーンの匂いのせいで、胸がムカムカしているのである。
『そういや、そろそろ来るよね、悪阻......』
と、百合香は思ったが、考えないようにすることにした。
沢口が入場アナウンスをマイクで喋り出すと、おそらくその作品の客らしい二人連れの男が歩いてきた。どちらも大柄で、右側の男などパンチパーマが伸びきったような髪形をしている。どう見てもその筋の職業の人間である。
百合香の方にチケットを差し出してきたので、百合香は半券をもぎりながら言った。
「突き当りを右に曲がって、4番シアターになります」
すると――その男が百合香の前に立って、体当たりをしてきた。
『え!?』
咄嗟の事で逃げることもできず、百合香は体全体で悪寒を感じた。
そして男はヘラヘラと笑いながら、言った。
「なんだよ、突き当れって言うから突き当ったら、姉ちゃんしか居ねえじゃなえかよ!」
気色悪い!っと思った瞬間、喉の奥からこみあげてきた。
『ヤバイ!』
百合香はすぐに手で口を押えたが、吐き気は納まってはくれなかった。咄嗟に百合香がその場にしゃがむと、沢口さんがそれに気付いて、自分の後ろのワゴンに置いてある紙ナプキンの束を掴んで、百合香の口元に当てた。
「大丈夫? 我慢しないで」
それを見ていた男の客は、
「オイオイ、なんだよ! 汚ねェなァ」
「おまえがちゃんと気持ち良くしてやらねェからだろォ?」
「あはは、そうか」
などと、不謹慎極まりないことを喋り出す。
そこへ、ナミが走ってきて、体当たりしてきた方の男に食って掛かった。
「貴様! 今、彼女になにした!!」
「ああん? それが客に対する態度かァ?」
「何が客だ! 客なら何してもいいのかよ!!」
そこへ騒ぎを聞きつけて、先ず野中が二人の間に割って入った。
「池波君! 何してるの、お客様に対して!」
「こんな男、客じゃない!」
「いいから、落ち着きなさい!」
遅れて榊田と大原も来て、先ず榊田がナミを後ろから羽交い絞めにして抑え、大原はしゃがみ込んでいる百合香の方に駆け寄った。
「大原さん、宝生さんをお願い」
と、野中が言うと、
「ハイ! 宝生さん、立てる?」
と、大原は沢口さんと一緒に百合香をバックヤードに連れて行った。
「オイ! なんなんだ、ここは」と、男は言った。「客に対して暴力を振るうのか? ええ??」
「大変に申し訳ございません、お客様。わたくしどもの教育が行き届かず......」
と、野中が謝罪をすると、ナミは、
「こんな男に謝る必要なんかありません、野中さん!」と、叫んだ。
なので榊田が「池波君、落ち着いて!」と、なだめた。
するとそこで、そばにいた50代ぐらいの女性客が言った。
「そのお兄ちゃんは悪くないわよ! 悪いのはそのオッサンよ!」
「オイ!」と、もう一人の方の男が言った。「なに言いやがるんだ!」
「その男がさっきのお姉さんに体当たりしてきて、卑猥なことを言ったから、お姉さんが気持ち悪くなっちゃったのよ。そんなオッサンに体当たりなんかされたら、普通の女の人は嫌に決まってるわよ!」
それを聞いて、「ほう?......」と、野中の眼鏡がキラリッと光った。
「つまり、うちの従業員にセクハラを働いたと......これは立派に、当劇場からお客様を訴えることができますねェ」
「オイオイ、待てよ......」
「とは言え、こちらの従業員がお客様に失礼なことを働いたのも事実。如何でしょう? お客様がお許しいただけますならば、こちらも法的手段に訴えるのは控えますが......そうでなければ、今すぐ警察を呼びますッ」
語尾を強めて野中が言ったので、流石の男も怖気づいた。
「分かった......今日の所は許してやる」
「ありがとうございます」
と、野中は頭を下げて、男たちを送り出した。そして......。
「榊田君(流石に客前だから「レオちゃん」とは呼ばない)、今の男たちの顔、覚えたね?」
「はい、バッチリ」
「あとで似顔絵作って、チケットスタッフに配布して。あのお客様たちは今後一切、チケットを買おうにも満席で席が取れないことになるから」
「了解しました」
と、榊田は言いながらナミから手を離し――野中は見ていたお客たちから拍手を受けた。
「やるねェ! お兄さん!」と、先ほどの50代の女性が言った。「私、あなたのファンになっちゃったわよ!」
「恐れ入ります。皆様もお騒がせいたしました。どうぞ、ごゆっくりと映画をお楽しみください」
野中はそう言ってロビーのお客様にお辞儀をしてから、ナミに、
「ちょっと来なさい」と、言ったのだった。
百合香は応接室が一番近かったので、そこに連れて来られてソファーに横になった。
吐いた量も少なかったので、すべて紙ナプキンが受け止めてくれて、床はもちろん服も汚れてはいなかった。
「それにしても、これほどとは思ってなかったわ」と、大原は言った。「宝生さんが男性嫌悪症だっていうのは聞いてたけど、嘔吐を起こすほどだなんて。良く、今まで大丈夫だったわね?」
すると沢口が「違いますよ、美雪ちゃん」と含み笑顔で言った。
なので、百合香は言った。「沢口さん、気付いてたの?」
「これでも子供4人産んでますから」
「え? ええ? えええええ!?」
ちょうどその時、野中とナミも応接室の前に立っていた。
「まあ、君は宝生さんと仲がいいから、お姉さんみたいに思ってる人が嫌がらせをされたら、それは怒るのも当然だとは思うが、しかし君はここの従業員なのだから......」
大原の悲鳴はこの時に響いてきた。
「じゃ、じゃあ、さっきのって! つ、悪阻なの!?」
「はい、そうなんです......」と、百合香が答えた時、応接室のドアが開いた。
「き、聞いちゃった......」
野中は眼鏡の奥で目をまん丸くしていた......。
「だから俺は怒ったんですよ」と、ナミは言った。「下手をしたら流産してたかもしれないんですよ」
「あっ、君は知ってたのか!? それは......君の行動が正しい!」
「ご理解ありがとうございます(^o^)」-
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