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恋愛小説発表会〜時にはノンジャンルで〜

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  • from: エリスさん

    2008年06月19日 12時55分06秒

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    箱庭・1

          序  章


     何故、自分にこんなことが起こったのか――姉に何もかも話せたおかげなのか、それともあの人と二人っきりで話すことが出来たからなのか――今でも分からない。
     そう、あの時から、世界は崩れてしまったのかもしれない。
     四月の上旬、私は更衣室でその事を知らされた。――来目杏子(くめ きょうこ)の結婚のことを。
     「今月の二十日締めで辞めるそうよ」
     女子社員の着替えながらのお喋りは、時に耳障りになることがある。けれど、私は素知らぬ振りをしながらも、その話に聞き耳を立ててしまっていた。
     来目杏子が結婚するということは、当然相手はあの人しかいない。私がずっと片思いをしている、あの人しか。――けれど、彼女たちの会話は全く予想も出来ない方向へ進んでいた。
     「大石さんって、あの人でしょ? 一ヶ月前に大阪支社から研修に来た」
     「そうそう。あの人って凄いやり手で、出世も同期や先輩まで追い抜いて行ってしまった人なんですって。もう課長代理になるのは目に見えてるって話よ」
     「だってほら、社長の親戚だもの」
     「それだけじゃ、出世できないって」
     「流石は杏子さんねェ、そんな人に見初められるなんて」
     私の驚愕は、彼女たちの単なる驚きとは比べることもできなかっただろう。
     そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。
     私が入社した頃から付き合っていたあの人とではなく、別の人と結婚する?
     確かに言われてみると、ここ最近の二人はどこかぎくしゃくしていた。社内で噂されるのが嫌で交際を隠していた二人だったけど、それに輪をかけてよそよそしくて……けれど、きっとそれは私の思い過ごしだと思っていたのに。あんなに想い合っている二人が、分かれられるはずがない。
     しかし、更衣室での噂は真実となり、二日後には社内で公表されたのである。

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コメント: 全100件

from: エリスさん

2011年11月25日 17時09分16秒

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「Re:Re:久しぶりに登場「箱庭」のメンバー」
 携帯からだとちゃんと第1話につながった(^o^;  どうゆう仕組みだ?

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from: エリスさん

2011年11月25日 14時47分13秒

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「Re:久しぶりに登場「箱庭」のメンバー」
>  初掲載は2008年の6月19日です。 >  とりあえず「返信元を表示する」をクリックすると「箱庭」第一話につながるようにしてありますが、もうそんな古い話、読者の皆さんは覚えていらっしゃらない方が多いのではないでしょうか。


すみません、第1話につながりませんでした。最終話につながってしまいますが許してください。

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from: エリスさん

2011年11月25日 14時44分56秒

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「久しぶりに登場「箱庭」のメンバー」
 初掲載は2008年の6月19日です。
 とりあえず「返信元を表示する」をクリックすると「箱庭」第一話につながるようにしてありますが、もうそんな古い話、読者の皆さんは覚えていらっしゃらない方が多いのではないでしょうか。


 私の作品の中で「芸術学院シリーズ」というのがあって、「箱庭」もその一つです。これは神話読書会で連載している「神々の御座(みくら)シリーズ」とも重なります。
 というのも、片桐枝実子(前世は不和女神エリス)と北上郁子と紅藤沙耶、そして崇原喬志も、みんな「片桐家の血筋」ということでつながっているからです。崇原と顔が似ている紅沙耶華こと南条千鶴も実は遠いところでつながっているかもしれない、という裏設定もあります。

 沙耶と崇原は「箱庭」の話の後、沙耶の父親の反対にあいながらも結婚に漕ぎ着け、あの思い出の家で双子の娘たちと幸せに暮らしています。もちろん飛蝶も一緒に。
 百合花とは退職後に、晶子の店で再会しました。同じ趣味を持つもの同士引かれあってのことです。

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from: エリスさん

2009年11月06日 15時09分49秒

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「これにて終了」
 というわけで、「箱庭シリーズ」はこれをもって終了です。
 vol.6を書く前にvol.5を改訂してありますので、まだ読んでいない方は、カレンダーの「前月」をクリックして、10/30の分を読み直してくださいね。

 この話を作っていた当時(平成10年5月ごろ)の私は、かなり重症な失恋を経験した真っ最中で、作品もその影響を受けて、かなり暗い作品に仕上がっていると思います。
 今現在の私は片思いでも幸せなんで、ネットに載せるにあたって多少書き換えたシーンもあり、それなりに闇は払拭できたはずなんですけど........どうなんでしょう? 読者のみなさん、ちゃんと感想くださいね。

 この後、沙耶たちがどうなっていくか.....ですが。
 「箱庭シリーズ」は終わってしまいましたが、大本の「芸術学院シリーズ」がまだ生きているので、キャラクターのその後は決まっています。
 先ず、沙耶と喬志は無事に結婚しまして、双子の女の子の親になります。沙耶は細々と小説家としての活動も続けていますが、基本的には主婦として落ち着きます。喬志の方は「月刊桜花」の編集長を任されるまでに出世し、姉妹誌の編集長である黒田龍弥(草薙建の夫)と組んで、ネット小説の世界から新人発掘に尽力を注ぐようになります。
 来目杏子は夫である大石が三年後に脳梗塞で死去します。実は大石、杏子と結婚してから急激に肥満化していきまして.......杏子なりの復讐なのかどうなのか?.....それはさておき。大石の伯父である社長には子供がなく、大石を後継者にと考えていたのにその希望も潰えたので、大石と杏子の子次の後継者にすべく、彼が成人するまでの間、杏子が社長に就任することになります。――史織が予言したとおり、杏子は強運な人物なのでした。



 さて、次回作ですが........。

 しばらくの間、表題である「恋愛小説」からは離れようと思います。
 それはなぜか.....................ネタがつきました。
 ですが、恋愛小説じゃなくても、皆さんに読んでもらいたい作品はまだまだあるので、このサークルは存続させたいと思います。ですので、しばらく恋愛小説はお見せできなくなりますが、どうかご容赦ください。
 これで読者が減っても仕方ないな、と思っています。

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from: エリスさん

2009年11月06日 14時44分26秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・6」
 「ホント?」
 自信がなかったわけではないけれど、俺は念のために彼女に聞いてみた。
 「はい……こんな私でいいのなら」
 「いいに決まってる。良かった……そこだけ夢の通りにならなくて」
 俺がそういうと、彼女は微笑んでくれた。
 「それじゃ、さっそくだけど君のご家族にご挨拶に行かなきゃ」
 「え!? そ、それはまだ早いです! あの……日を改めてにしてください」
 「そうだね。でも近いうちに行くから。飛蝶が生まれるまでにここに引っ越して来なきゃいけないんだからさ」
 「それなら最低でもまだ二カ月あります。飛蝶は生後二カ月でうちに来たんですから」
 「あっ、生まれてすぐじゃないんだね」
 「喬志さんったら、猫好きの割にはあまり知らないんですね。子猫をもらうときは、生後二か月まで待たなきゃいけないんですよ。その間に、子猫は母猫から独り立ちするための教育を受けるんです」
 「へえ……」
 それからしばらくして、立ち話ばかりしてもいられないから、二人で駅前まで歩くことにした。聞けば、彼女は夕べお姉さんの家に泊まって、そのまま家に帰っていないという。親御さんが心配しているかどうかは疑わしいけれど、それでも早く帰らないことには、また何を言われるか分らない――そうゆう心配もあって、今日は挨拶に来てほしくなかったのか。
 俺たちは歩きながらも、また少し話をした。その時、俺は妹の史織の言葉を思い出した。
 そのこと、思い切って聞いてみるか。
 「ねえ、ところで……うちの妹に、なにかお願い事されなかった?」
 すると沙耶は「え!?」と途端に赤面した。
 そして、恥ずかしそうに答えた。
 「あの……私のママになって……って」
 「ええっと、それってつまり……」
 俺と沙耶の子供として生まれてくるって意味だよな、妹よ。
 「大丈夫だよ、二人目もちゃんと産めるよ……って、言ってくれたの、史織さん。おかげで夢の中の私は、かなり勇気づけられたのよ」
 「……そっか」
 そういうことなら、なんとしても結婚しなきゃな。沙耶の親御さん相手だと、かなり揉めそうな気もするけど……でも、そんな不安も今は払い除けられるぐらい、今の俺は晴れ晴れとした気持ちだった。

                            終


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from: エリスさん

2009年10月30日 14時42分43秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・5 改訂」
 彼女は、しばらく声が出ない様子だった。
 俺からこんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったのだろう。戸惑っているのが分かる。
 そんな時だった。
 足元で、猫の鳴き声がした。
 二人で見下ろすと、そこにお腹の大きな三毛猫がいた。
 「あっ、この猫……」
 沙耶にはすぐに思い至ったようだった。――俺も気付いた。
 「飛蝶の母猫って、確か三毛猫だったよね」
 「ええ。お隣の家の……」
 「だよね、俺も時々見かけてたから……うん、この猫だ」
 俺は身をかがめて、その三毛猫の頭を撫でた……グルグルって喉を鳴らしながら、自分から頭をこすりつけてくる仕草が、飛蝶にそっくりだった。
 「間違いないな。この猫のお腹の中に、飛蝶がいるんだよ。一足先に俺たちに会いにきたのかな? ちゃんと俺たちがここにくるか、心配になって」
 「……ここに来る……?」
 「そうだよ。ここで、俺達……」
 すべて言い終わらぬうちに、隣の家から声がかかった。
 「すいませ〜ん! その猫、うちのですゥ〜」
 お隣の家の一海ちゃんだった。
 「すいませ〜ん、勝手にそっちに行っちゃって……ええっと、確か紅藤さんちのおばあちゃんの、お孫さんですよね?」
 「ええ、そうです。紅藤沙耶です」
 「そうですよね、覚えてます。おばあちゃんにそっくりだったから……あっ、もしかして。こっちに引っ越してくるんですか?」
 「あっ、いえその……」
 沙耶が戸惑っているので、俺が口を出した。
 「まだ検討中です。たぶん、この家になると思いますが」
 「そうなんですか! じゃあ、お隣りになったらよろしくお願いしますね。ミケ! 戻っといで」
 「にゃお〜」
 と、返事をしながら三毛猫が歩き出す。――塀の穴をくぐる前に振り向いて、また一声鳴いてから帰って行った。
 三毛猫が帰ったので一海ちゃんもいなくなり、俺たちはまた二人っきりになった。
 だから、俺は言った。
 「夢を現実にしてほしい」
 その時の沙耶の戸惑いっぷりったらなかった。視線が定まらなくなって、手をもじもじと動かしていた。
 「そんな、どうして? だって……信じられない」
 「信じられないのも無理はないけど、俺の気持ちは先刻言ったとおりだよ。今まで、俺自身も肩肘張って、杏子さんのことに固執して、真実を押し殺してきたけど……俺は君が好きだ。今は素直にそう言える。だから、あの夢を現実にしてほしい」
 俺はそう言うと、彼女の手を取った。
 「君がいなかったら、俺は今頃、犯罪者になってた。君が俺を救ってくれたんだ。だから、これからも俺のそばで、俺を支えてくれ」
 彼女は俺から目をそむけたまま、しばらく考えていた。
 どれぐらい長い時間がたったのだろう‥‥もしかしたら一瞬のことだったのかもしれないけど、俺にはとても長い時間のように思えた。――彼女が首を縦に振るまで。

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from: エリスさん

2009年10月23日 15時48分57秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・4」


 千代田線から直通で常磐線に乗り込み、松戸駅へ到着。
 夢で見た通りで町並みだ……以前、北上郁子先生の原稿を取りに松戸へ来たことがあるので、その時の記憶が夢に反映していたのだろうか?――そういえば、あの夢の通りだとすると、俺はこのあと東海林さんの後任で北上先生の担当になるのか。
 そんなことを思いながら、あの家へ足を向ける。
 まったく迷うことなく着いたのには驚いたが、しかし、庭の植木がまったく記憶していたのと違うのにはがっかりした。
 そうか、あの庭は彼女がここへ引っ越してから作り上げたものだったのか。池には水が張っていないし、藤棚もまだ季節外れだからか寂しいばかりだ。
 俺は試しに門を開いてみた――すると、簡単に開いてしまった。もとから鍵がかかっていなかったらしい。
 見た感じ誰もいない。不法侵入になるかもしれないが、俺はどうしても中に入りたくてどうしようもなくなっていた。
 庭の中に入ると、すぐに気持ちよい風が吹いてきた。
 なんだろう、すごく居心地がいい……。
 ここは紅藤さんのおばあさんが愛した庭だから、その思いが残っているのかもしれない。
 『俺はこの庭に救われたのかな……』
 そう思ったが、すぐに、それだけじゃないことに気づく。
 背後から人の気配がしたからだ。
 「……どうして……」
 その声で、振り向かなくても分かった。
 「どうして、崇原さんがここにいるの?」
 俺が振り向くと、戸惑いで震えている紅藤沙耶が立っていた。
 だから俺は答えた。
 「君が導いてくれたんじゃないか」
 「……それじゃ……」
 動けなくなってしまった彼女を、俺はわざわざ迎えに行って、庭へと入らせた。
 「夢を見たんだ。君とここで暮らしている――いや、正確には通っていた夢を。君と、飛蝶と、三人で」
 すると彼女は顔を背けた。
 「恐ろしい女だと思ったでしょ? 私のこと」
 「どうして?」
 「どうしてって、子供が欲しいからって誘って、あなたを利用してた。あなたにとっては、私とそうゆう関係になることは、妹さんと……」
 「ああ!」
 もう俺の中では決着をつけたことを、彼女はまだ気にしていた。
 「そのことなら、もういいんだよ。君と史織とはまったくの別人だ。それなのに同一視していた俺が悪かったよ」
 「それだけじゃなく、杏子さんのことをまだ好きなのに……」
 「うん、そのことなんだけど……俺の杏子さんへの思いは、弟がお姉ちゃんを大好きなのと同じなんだよ。そのことは杏子さんも気づいてた。だから俺とは結婚できなかったんだよ」
 「え!?」
 彼女は驚いて俺の方を見た。
 「そう……なの?」
 「うん。……あの夢は、かなり君の解釈が強かったね。本当の俺はそんなこと思ってなかったのに、結構きついこと言わされて、もどかしかったよ。特に、君にプロポーズした時」
 「あっ……」
 思い出したのか、彼女は頬を赤らめた。
 「君に、慈悲の心、同情で自分のことを抱いただけだろうって言われて、本当は“違う”って答えたかったのに、夢の中の俺は、“そんなこと初めから分かってたことじゃないか”って……あれは自分で言ってて本当にキツかった」
 「でも……本当のことでしょ?」
 「違うよ」と俺は笑った。「俺が本当に好きなのは、杏子さんじゃない。君だよ、沙耶さん」

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from: エリスさん

2009年10月16日 14時59分40秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・3」


 「どうゆうつもりだ! こんなことして。今まで、俺がどんなに問いかけても答えなかったくせに」
 俺がそういうと、苦笑いを浮かべた史織はこう言った。
 「昨日まではそんなに霊力がなかったのよ。姿を見せることはできても、声までは出せなかった。普通の人間と同じように振る舞うには、それなりの霊力が必要なんだよ」
 「じゃあ、今はどうしてこんなにはっきり見えて、会話までできるんだよ」
 「沙耶さんのおかげよ」
 「沙耶?――紅藤さんの?」
 「お兄ちゃんがさっきまで見ていた夢は、沙耶さんの夢なの」
 史織の説明はこうだった――霊力がかなり強い沙耶は、幾度も俺が杏子さんを殺す夢を見ていて、それが現実にならないように願っていた。その願いが夢になって、俺の夢とつながったのだ。その夢の力に史織も引き込まれてしまい、ついでに力をちょっとだけ借りて俺の目覚まし時計を壊したそうだ。
 「沙耶さんと同じ夢を見ることで、お兄ちゃんは人殺しにならずに済んだんだよ。感謝しなくちゃ」
 「……素直に、感謝できないよ」
 そうだろ? 俺が結婚式に行かれなかったばっかりに、杏子さんはあの卑劣な男と夫婦になってしまったんだ。これから杏子さんがどんな不幸を背負うか考えたら、自分だけのうのうと生きていくことなんか……。
 そんな俺の考えが見えたのか、史織は俺の耳を引っ張り上げた。
 「痛いッ! やめろって!」
 「お兄ちゃんのバカ! 全然わかってない! あのね、杏子さんは自分で選んだんだよ! やろうと思えば、その卑劣な男を婦女暴行犯で訴えることだってできたのに、それをせずに、それどころかそいつの奥さんにまでなったのよ。そんなの普通の神経じゃできないでしょ。それでも杏子さんがそれを選んだってことは、杏子さんなりの強い決意があるからじゃない!」
 「杏子さんの決意?」
 「そうよ。嫌いな男と結婚してでも、叶えたい望みがあるのかもしれない。人生逆転のビックチャンスを掴もうとしているのかもしれない。もしくは……復讐のチャンスを狙ってたりしてね」
 「おい、まさか……」
 「私はいつもお兄ちゃんのそばにいて、一緒に杏子さんのことも見ていたから分かるの。彼女はそれぐらい強い人なの。だから、お兄ちゃんが変な同情をかけることなんかないのよ!――だけど、沙耶さんは違う」
 史織は俺の耳から手を離すと、ちょっと距離を取った。
 「ねえ? もう気づいたでしょ。私と沙耶さん、似ているのは見掛けだけ。中身は全然違うよ。沙耶さんは、私みたいな物言いはしないでしょ?」
 そうだ。紅藤沙耶はいつだって穏やかで、誰かが支えてやらないと折れてしまいそうな儚(はかな)さがある。でも、芯はとても強い女性。普段はそれを隠しているんだ。
 「お兄ちゃんが沙耶さんを好きになったのは、私と似ていたから……でもそれは、ただの切っ掛けじゃない。今は、彼女と私が全然違う人間だって分かってるんでしょ? だったらもう、自分の気持ちを押し殺すのやめなよ。お兄ちゃんが沙耶さんを好きになっても、それを近親相姦だなんて誰も責めたりしない。そんなの気にするなんて、お兄ちゃんは神経が過敏すぎるんだよ」
 「史織……」
 そうかもしれない……いや、そうなんだ。俺が臆病になりすぎていただけで、本当はそんなこと気にする必要もなかったのに。
 今更言い訳になるけど、彼女の真剣な思いが怖くて、そんなことを考えて自分を守っていただけだった。
 「だからさ、沙耶さんに会ってあげて。彼女、自分が見た夢の内容から、自分を責めてるから。心が泣いてるのを感じるんだ、今……」
 そう言っている史織の体が、だんだん薄らいできた。
 「オイ、史織! 消えかかってるぞ!」
 「沙耶さんの影響力が無くなりだしたから、自分だけの力じゃもう限界かも……だから、私もう行くね」
 「行くって、どこに!?」
 「天国に決まってるでしょ。今まではお兄ちゃんが心配で離れられなかったんだよ。お兄ちゃん、私が死んだのが自分のせいだって自分を責めてたから。だけどもう、大丈夫だよね……」
 ますます薄く、ぼんやりとしか見えなくなった史織は、最後にこう言った。
 「また会えるように、沙耶さんに頼んであるから!」
 「………何を頼んだんだよ、バカ妹」
 言いたいことだけ言って、いなくなった。少しは俺の気持ちぐらい聞いてから行けよ。俺が今までどんな気持ちで生きてきたか……。あっ、そうか。あいつは俺のことをずうっと見てきたから、聞かなくても分かるのか。
 だったら、しょうがない。
 「……行くか!」
 ここは一つ、妹の忠告通りに行動してみることにした。

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from: エリスさん

2009年10月03日 14時01分57秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・2」
 『杏子さんが俺を解放してくれるというなら、杏子さんは誰が解放してやれるんだ?』
 そんな風に悩み始めていた頃から、あの夢を見るようになった。
 ウェディングドレスを着た杏子さんを、俺が刺し殺す夢……。
 いっそのこと現実にしてしまいたいと思った。そうすれば、杏子さんは大石から解き放たれる。あんな卑劣な男から。
 その気持ちが固まったのは、大石から結婚式の招待状が届いたときだった。
 奴は、俺と杏子さんの関係を知っていて、見せつけるつもりなのだ。自分が勝ったことを。
 だったら……。

 杏子さんと大石の結婚式を次の日に控えてのこと。
 俺が屋上で煙草を吸っていると、遠慮がちに誰かが上がってくる足音が聞こえた。
 漂ってくる空気で分かった――紅藤沙耶だった。
 「やっぱり来たね」
 なんだろう、来ることが分かっていた。……いや、俺のしようとしていることを止めてほしい、という願いがそうさせたのかもしれない。
 「お邪魔じゃない?」
 「いや、ちょうど話し相手がほしかったとこ」
 それから俺はしばらく紅藤と会話をした。彼女はいつも遠慮がちに、おどおどした感じに喋る。それが彼女の可愛らしさだということは分かっている。いつも明るく元気だった史織とは違う――似ているのは見た目だけ。それは分かっているのに、俺はどうしても彼女を妹とダブらせてしまう。不幸な死に方をした妹と……。
 その時――杏子さんの話題が出てしばらくすると、彼女が苦しみだした。
 「大丈夫!」
 そうだった。彼女は過呼吸症候群だったんだ! あまり刺激する会話はしちゃいけなかったのに、俺ってやつは自分のことばっかり考えてたから、つい杏子さんを弁護することを言ってしまって。彼女にとっては、最近の杏子さんのことは不快でしかならないって言うのに。
 俺はすぐさま彼女の背中をさすってあげた……ぜんぜん肉付きがない、細い背中だった。
 どうしよう……抱きしめたい、今すぐ! そんな衝動にかられながら、なんとか自制心を呼び起こしていた。
 杏子さんを失った絶望感から、この子をどす黒い欲望で汚そうとするなんて、人間として間違っている!――そう言い聞かせながら。
 「ありがとう……もう大丈夫です」
 彼女はそう言って振り返りながら、ニッコリと微笑んで見せた。
 その笑顔も、史織と似てるな、と思わせてくれた。


 その日の夜。
 明日の荷物の中に、俺は果物ナイフを忍ばせた。
 そのせいか寝付かれなかった俺は、浴びるほどの酒を飲んでから、ベッドに横になった。
 明日の早朝には新幹線に乗って、そして……。
 いつのまにか眠りに就いた俺は、それから不思議な夢を見た。

 「……子供が……欲しいんです」
 正直驚いたけど、俺は素直に引き受けた。
 人助けという名目があるなら……いや、君が俺を救ってくれるんだ。だから、罪悪感なんか持たないで。
 これだけで終わりにしたくない。もっと君と一緒にいたい。だから、これからも君のもとに通うよ。週末婚でいいんだ。
 どうして卑下するんだ。君は杏子さんの身代わりでも、ましてや史織の身代わりでもないのに。だから!
 「何度でも言うよ。結婚しよう」
 お願いだから、うなずいて……。
 ホラ、産まれるよ。もうすぐ、俺たちの……。

 そこで、目が覚めた。
 しばらく……寝ぼけていたせいもあったけど、状況が掴めなかった。
 窓の向こうからチャイムが――近所の印刷工場での休み時間を告げるチャイムが聞こえてきて、ようやく状況が分かった。
 ここは俺が住んでいる男子寮。今はまだ四月――杏子さんの結婚式当日だ!
 それじゃ、俺が沙耶と……松戸の家で過ごしたことは、すべて夢?
 枕もとをみると、時計が俺が起きるはずの二分前で止まっていた。
 すっかり太陽も登って、南の空に見える。ということは……俺はテレビをつけてみた。案の定、お昼の番組をやっていた。
 『今さら行ったところで、間に合うはずがない」
 もう杏子さんと大石の結婚式は始まってしまっている。
 どうしてこんなことになったのか。
 その時、気配を感じて、俺は振り返った。
 「やっぱり、おまえの仕業か、史織……」
 すると、初めはぼんやりと見えていたものが、急にしっかりと見えるようになった。紅藤沙耶に似ているが、あきらかにこっちは健康そうな体をした女だった。
 「ご名答です、喬志お兄ちゃん」
 死んでからの妹とちゃんと会話をしたのは、これが初めてだった。

 

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from: エリスさん

2009年09月11日 15時20分17秒

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「雪原の桃花、白夜に十六夜月――「箱庭」異聞・1」
 「あなたを解放してあげる」
 杏子さんはそう言って笑った。
 「今まで縛り付けてて、ごめんね」
 「何言ってるんだよ!」
 俺――崇原喬志(そねはら たかし)は当然怒った。
 「縛られてるとか、そういうこと今まで思ったこともないのに!」
 「でも本当は、私じゃなく、沙耶が好きなんでしょ?」
 そんなの分らない――そりゃ、死んだ史織に似ているから、気にはなってた。だけど……。
 「だからって、杏子さんが大石と結婚する理由にならないじゃないか!」
 すると彼女はため息をついた。
 「……そうね、ごめんなさい。自分が悪者になりたくないから、私、本当の問題から逃げてるわね」
 「だったらちゃんと話してよ。俺と別れて、大石なんかと結婚する理由を! あいつが何したか、忘れたわけじゃないよね!」
 「忘れてないわ……忘れられるわけがない。だから、あの人と結婚するしかなくなったのよ」
 すると杏子さんは自分のお腹に手をあてた。
 「この中に、あの人の子供が宿ったの」
 俺はこのとき、どんな顔をしたんだろう……きっと間抜けな顔をしていたんだと思う。だって、頭の中が真っ白になってしまったんだから。
 「私はクリスチャンなの。望んでいなかったとは言え、宿った子どもを殺すことは許されない」
 「だから……あいつと結婚するの? あなたを傷つけたあいつと? そんな結婚、幸せになれるわけがない!」
 「じゃあどうしろと? この子供は? 生まれてくるからには父親は必要なのよ」
 「だったら俺が! 俺が父親に!」
 その先を言おうとしたら、杏子さんの指がそれを止めた。
 「あなたに、穢れた子供と、その母を抱かせるわけにはいかない」

 杏子さんの意志は固すぎて、変えることができなかった。彼女はそのまま大石との婚約を社内で発表し、寿退社の準備に入った。
 俺は――ちゃんと平静を装っていられただろうか? 時折、紅藤沙耶(くどう さや)が気遣うような視線をくれるときがあったけど。
 杏子さんがいつも恐れていたことは知ってた――いつか、俺が紅藤さんに心変わりしてしまうんじゃないかって。知ってたから、俺もそうならないように努めてた。でもその努力が、結局杏子さんを苦しめていたのかもしれない。
 じゃあどうすれば良かったんだ?
 杏子さんのことは本当に大好きで、尊敬してる。――でもそれは愛じゃない。そう言われてしまえば、それまでなのかもしれない。それでも交際していたかったんだ。だって……紅藤さんがあまりにも、史織に似ていたから。紅藤さんに恋をすることは、史織を汚すことになるんじゃないかって、それがずっと怖かったから……。
 そうだよ、俺は杏子さんを逃げ道にしていただけだ。でもそれは、杏子さんも分かってくれていたのに!

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from: エリスさん

2009年09月11日 14時54分01秒

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「箱庭・87」
 そのあとはあまり覚えていない。
 おそらく、お隣の一海ちゃんがタクシーを呼んでくれ、付き添って病院へ運んでくれたのだと思う。姉は連絡を受けて、すぐに駆けつけてくれた。
 「崇原さんにも連絡したから、すぐに来てくれるよ」
 「……どうして、そんなことしたの?」
 「どうしてって、当然でしょ! 自分の子供が生まれるって時に、駆けつけない夫がどこにいるのよ」
 「……まだ結婚してないわよ」
 「でもするんでしょ?」
 「今は同居してるだ……けよ……」
 陣痛の波が始まって、声が出せない。
 それでも、初めて陣痛を感じた時より、少し楽になっていた。女医も驚いているくらいだ。――きっと、郁子のおかげだ。陣痛の波が始まると、耳の奥から郁子の読経の声が聞こえてくる。彼女の秘術が効いているのだ。
 「……お姉ちゃん」
 「なァに? 大丈夫?」
 「うん……あのね……」
 波と波の間隔が狭くなってきて、姉に言いたいことが言えない。
 私は今、母の気持ちが分かりかけてきた――あまりに難産が続き、私を流産しようとしたり、麻酔を使ったりしたのも、今なら許せる気がしていた。こんなに苦しい思いをするなら、出産を拒否したいのも当然かもしれない。
 でも、やっぱり……。
 分娩室へ運ばれる道すがら、私は女医に自分の意思をハッキリと伝えた。
 「麻酔は使いません――自力で産ませてください」
 女医はしばらく考えていたが、いいでしょう、と答えてくれた。
 「この分なら自然分娩できるかもしれないわ」
 分娩室からは、姉も外へ出されてしまった。
 私は、それから数時間、痛みと闘っていた――女なら、いつかは乗り越えなきゃいけない戦い。
 この戦いが終わった時、私の最後の夢が叶う。
 ――突然、誰かが駆けてくる音が聞こえてきた――その足音で、誰だか分かる。
 「沙耶!! 死んだら許さないからな!」
 ホラ、やっぱり喬志さんだ。
 ………………………………あっ、今…………産声が…………。


     エピローグ

 「シャア! しっかりしなさい、シャア!」
 「――――!」
 目を開けた時、目の前に姉の顔が見えた。
 「お姉ちゃん……私、生きてるのね」
 「恐ろしいこと言わないでよ、当たり前でしょ!……もう、大丈夫?」
 姉が話している間に、私は部屋の中を見回して、状況が把握できないでいた。
 ここは……姉のアパート?
 「どうして、私、ここにいるの?」
 「ちょっと、うなされた後は寝ぼけ? あんたが自分から泊まりに来たんでしょうが。私の仕事を手伝うために」
 「え?」
 当惑している私の目が、壁に掛かっているカレンダーに釘付けになった。――六月のカレンダー。
 それじゃ、今日はまだ一九九七年の六月の第一土曜日?――そうだ、姉の仕事が終わったのが結局今日の早朝で、原稿を届ける約束になっていた昼まで仮眠を取ることになったのだ。――つまり、今までのことは………夢?
 祖母の家に移り住んだことも?
 飛蝶と出会ったことも?
 喬志――崇原の子を宿したことも?
 杏子との和解は?
 母に褒められたことは?
 それじゃ、あの産声はなんだったの!!
 そこまで思って、私は自分の愚かさを知った――今日がその日なら、今頃……。
 「シャア? どうしたのよ。泣いてるの?」
 崇原が、殺意を抱いて新幹線に乗っているころ、私は幸せすぎる夢を見ていた。
 私は、犯罪者なんてものじゃない。人間ですらない……。
 「ねェ、どうしたのよ。シャア?」

 それから二年以上経った今も、姉にこの夢の話をしようか、迷っている。


                           Fine

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from: エリスさん

2009年09月04日 16時01分40秒

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「箱庭・86」
 そして、杖を拾って立ち上がった。「そもそも、おまえは私の娘じゃないんだから、どうなったって構うものか。……その代わり、二度と家の敷居はまたぐんじゃないよ」
 「お母さん……待って、帰るのならタクシー呼ぶから」
 私が立ち上がりかけると、
 「余計なことはしないどくれ。少しでも暖かいうちに足を動かさないと、そのまま固まってしまうんだよ。このまま歩けなくなったりしたら、あの人が戦地から帰ってきたとき、笑われてしまうじゃないか」
 「お母さん……」
 今でも待っているの? 戦死通告の届いた婚約者――夫のことを。
 そうね、だから母はどんな屈辱を受けても、死なないのね。強い人……。
 母は、二、三歩あるいてから、庭を見まわした。
 「以前見た時と――おばあ様が生きていらした頃と、大分変わっているね。……おまえがやったのかい?」
 「ええ……お母さんの庭ほど、綺麗じゃないけど」
 「いや……春が待ち遠しい庭だよ。おまえにしては上出来だよ、沙耶」
 信じられない――母が、初めて褒めてくれた。
 報われた。
 私の苦しみと寂しさは、ようやく報われたのだ。今!
 母の姿が霞んで見えなくなる――それでも、私は完全に見えなくなるまで見送っていた。
 何度も、何度も、母のことをつぶやくように呼ぶ。飛蝶がそばで見上げていることも、誰かが家の中へ入ってきたことも気づかずに、ずっと母のことを考えていた。
 「沙耶さん、今、初老の女の人とすれ違ったんだけど、あれって……沙耶さん?」
 喬志は身をかがめて、私の肩に手をかけ、すぐに離した。
 「うわっ、どうしたんだよ、これ! 皮膚が硬くなって瘤みたいに……沙耶さん? 泣いてるの? やっぱり痛い?」
 「ううん……違うの。……嬉しいの、私」
 「嬉しい? けがしてるのに?」
 「怪我なんていいの……嬉しいの……」
 「……やっぱり、さっきの人……お母さんだよね?」
 喬志の問いに、私は縦に首を振って答えた。
 「そっか……」
 喬志は両手で私の頬を包むと、自分の方へ向かせた。
 「だったら、笑いなよ。嬉しい時は笑わなきゃ」
 「うん……そうね」

 それから、一週間後。
 私は突然に気づいた――石で扇形を描いておいた、桃の種を埋めた所から、小さな突起物が出ていることに。よく見ると、発芽しようと首を延ばしかけている芽だった。
 『桃の種が発芽した……木になるんだ。お母さんの桃の木のように』
 そう、思ったときだった。
 下腹部に痛みが走る――脈動が感ぜられた。
 『まさか……まだ、四月になっていないのに』
 なるべくその場から離れ、池の橋を渡ろうとした所で、足が立てなくなった。
 こんな痛みは経験したことがない。もう、疑いようがなかった。
 飛蝶が気付いて駆けてくる。私を元気づけるように鳴いたあと、隣の家へと駆けていき、大きな声で叫んだ。
 「やっぱりヒチョウちゃんだ」と、隣家の娘さんが出てきた。「どうしたの? そんなに大きな……大変! お母さん! お母さァん! お隣のお姉さんが!」

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from: エリスさん

2009年08月28日 14時55分56秒

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「箱庭・85」
 母の苦しみを完全に理解することは、到底できない。でも、小早川隆司への想いの深さなら、少しだけ分かる。母にとっては世界のすべて、未来のすべてがその人に匹敵するぐらい尊い人だったのだ。愛、というより崇拝に近いのかもしれない。
 中学生の頃に読んだコミック雑誌の中に、源頼朝の娘・大姫と木曽義仲の嫡子・義高の恋物語というのが載っていたことがあった。二人は当時まだ十二、三歳だったそうだが、それは仲睦まじい夫婦として暮らしていた。けれど、木曽義仲が源頼朝に討たれ、二人は引き離された挙げ句、義高は頼朝の家来に殺されてしまう。それを知った大姫は正気を失って、そのまま義高を恋しがりながら衰弱死した。
 同じ雑誌を回し読みした同級生たちは、その話をただの言い伝えとして、本気にしてはいなかったみたいだった。自分たちとそう年が違わない子供が、本気で愛し合えるはずがないと思っていたからだ。けれど、私は母の過去を聞かされているから、読み終わった後しばらく憔悴してしまった。
 伝説などではない。本当にいるのだ、そういう人達が。
 母のこの慟哭が、それらを物語っている。
 母の時間は、六歳のまま止まってしまっているのだ……。
 「お母さん……聞いて。私――私たち三人とも、お母さんのこと大好きよ」
 「気色悪いことを……」
 「お願いだから聞いて! 本当に、大好きよ。尊敬しているの、お母さんのそういう一途なとこ。お母さん、私に教えてくれたわよね。女にとっての美徳は、生涯一人の男性に身も心も捧げることだって。……残念だけど、私には喬志さんの前に千鶴とのことがあるわ。だから、生涯一人、という理屈からは外れてしまう。でも、この子は――生まれてくるこの子には、絶対にその道徳を守らせるから。お母さんみたいに一途な心を持つ人間に育ててみせるから、だからこの子だけは許して。この子だけは産ませて! 私、喬志さんの子供が産みたいの。他の誰とも嫌ッ。あの人の子供だから、自分の命だって投げ出せるのよ。お母さんなら分かってくれるでしょ!」
 すると、母は静かに言った。
 「……勝手におし」

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from: エリスさん

2009年08月18日 14時11分25秒

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「箱庭・84」
 「やめて、飛蝶ッ。この人はお母さんなの。私のお母さんなのよ!」
 よろけながらも立ち上がろうとする母は、私の言葉にますます怒りを露にした。
 「お母さんなんて呼ぶんじゃないよ! おまえなんか、産んだ覚えすらないんだからねッ」
 それを聞き、飛蝶がまた飛びかかろうとする。
 「飛蝶、駄目!」
 私が止める間もなかった。立ち上がりかけていた母の首元に、飛蝶は襲いかかったのである。母はまた倒れて、そのまま意識を失ってしまった。
 「飛蝶の馬鹿! なんてことするのッ」
 私が怒っているので、シュンッとなってしまった飛蝶だったが、彼も私のことを守りたい一心でしてくれたのだ。幸い、噛みついたのは首そのものではなく、服の襟だったらしく、母に怪我はない。だからそれ以上は怒らないことにした。
 「先に家へ上がって、縁側にクッション運んでおいて、飛蝶」
 私の言いつけどおりに彼が行動している間、私はなんとかして母を縁側へ運んだ。意識は失っているが、一時的なものだったらしい。飛蝶が運んでくれたクッションに頭を乗せて横にすると、唸り声をあげて目を開いた。
 「お母さん、大丈夫?」
 「……ふん、流石に紅藤の娘だね。使えるものは猫でも使うかい」
 「お母さん……」
 起きてすぐに厭味が言えるぐらいだから、心配はなさそうね。
 「足、まだだいぶ酷いんじゃないの? それを無理して歩いたりして。お姉ちゃん、今ごろ心配してるわ」
 「おまえ達に心配なんかされたくないよ、気色悪い……それより、産むつもりなのかい」
 「もう臨月なのよ。堕胎しろって言っても、無理ですからね」
 「いったい、どこの物好きだい。おまえを孕ませるなんて、おぞましいことを。どうせ、そこらの行きずりの男だろうね。さすがはあの男の娘だよ。ふしだらなところはそっくりさ」
 「違うわ、お母さん。私、好きでもない人と、そんなこと出来ない。喬志さんのことは本当に、命を賭けて愛してるの。あの人の子供だから産みたいのよ」
 「……タカシ?」
 「そう……偶然なんだけど、お母さんの婚約者と同じ名前なの。字は違うけど」
 母は起き上がると、縁側に腰かけた。
 「……いやな因果だこと」
 「そんなに嫌? 私が愛した人の名前が、お母さんの婚約者……」
 「婚約者じゃない! 夫だよ!! 私はタカ兄様と――小早川隆司と結婚したんだ! 戸籍は入れられなかったけどね」
 戦中は良くあったことらしい。戦地へ赴く恋人と、仮の祝言を挙げてから送り出すということが。母もまだ六歳ではあったが、婚約者が戦地へ赴く前日、一日だけ夫婦として暮らしたと聞く。
 「そりゃね、私は子供だったし、本当の意味での妻にはなれなかったさ。それでも、私は誰よりもタカ兄様を愛しているんだよ! タカ兄様以外の殿御など、絶対に考えられなかった! 私のすべてだったのに!! それを、あの男――おまえ達の父親が、金と権力で私を自分のものにして、私を辱めるだけでは飽き足らず、タカ兄様のことまで――妾の子だから他家へ婿養子に出されるんだとか、たった六歳の小娘を手に掛ける畜生だとか、会ったこともないくせに侮辱して! おまえには、そのあいつの血が流れているんだよ。非道な紅藤家の血が!!」
 「お母さん……」
 「お母さんなんて呼ばないどくれッ。おまえを産んだ覚えはないって言ってるだろう!」

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from: エリスさん

2009年08月18日 13時04分52秒

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「箱庭・83」
 「お母さんは、私の産声を聞いてくれたの?」
 自分が産んだ、という自覚があるのなら、あんな仕打ちはしないだろう。だから恐らく……。
 私は池の橋を渡って、家の中へ戻ろうとしていた。そんな時だった。
 カツン、カツンと硬いものが触れ合う音がする。私は音のする方へ振り向いた。すると、そこには……。
 私はそのまま動けなくなった。
 母が――杖をつきながら、ゆっくりと歩いてくる母の姿が見えた。絶対にこんな所へ来るはずがないと思っていたのに――いや、それよりも、もう歩けないと言われていた母が、歩いている!?
 母は、私の姿を目にして、怒りの形相になった。――私の腹部を見ている。
 逃げられない――走って、隠れなければ殺される、と分かっているのに、足がすくんで動けない。母の睨みは、蛇の呪縛のように冷たく、苦しい……。
 母は自分で門を開けて、中へ入ってきた。
 「実沙子(みさこ)が最近、やけにソワソワしていると思ったら……こうゆうことだったのかい」
 「……お母さん……」
 「こっちへ来な! そんなところに立っていないで!」
 今度は、不思議と足が動く――操られているかのように、ゆっくりと母の方へ歩いていた。
 どう足掻いても、勝てる相手ではない。私は、物心付いた時からこの母の奴隷なのだから。
 母は私に向かって杖を振りかざした。
 「この! 阿婆擦(あばず)れ!」
 左の肩に杖が打ちつけられる。二発、三発と……。
 「淫売! 恥知らず! いったい、どこのどいつと!」
 「やめて!」と、思わず叫んでいた。「お母さんがそんな汚い言葉を口にしないで! 元は華族の令嬢だったあなたが!」
 「この子はァ! このうえ説教まで! いったい何様のつもりだ!! 私が華族だったからなんだと言うの。そんなもの、紅藤の家に売られた時から溝(どぶ)に捨てたさ!」
 杖が、私の頭上に来た時だった。
 母の眼前に灰色の影が飛び込んできて、母はバランスを崩して後ろへ倒れてしまった。――飛び込んできたものは……。
 「飛蝶! やめなさい!」
 飛蝶は私の前にはだかるように陣取ると、まだ倒れている母に向かって威嚇の声をあげていた。

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2009年08月07日 14時54分02秒

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「箱庭・82」



 月末近くなるにつれ、産婦人科の女医が出産についての心構えをそれまで以上に熱心に話してくれるようになる。胎児は順調に育ってくれているようだ。
 そして、女医は私が驚くべきことを口にした。
 「無痛分娩?」
 「そうです。あなたが出産するにはそれしかありません――自分の体のことは、分かってるでしょ?」
 「あの……先生のおっしゃっている無痛分娩って、精神的に落ち着かせる方ですか? それとも……」
 「麻酔の方です。その方が痛みを感じませんから、あなたでも楽に出産できます」
 「その時、母体の意識は? あるんでしょうか。それとも……」
 「眠っていますよ、もちろん。目が覚めた時には産まれています」
 ――恐ろしくて、それ以上聞けない。
 病院から帰ってきた私は、虚ろな気分のまま庭造りをしていた。もうすぐ花開こうとする鉢植えの蕾たちを見ても、少しも癒されはしない……。
 以前「もしかしたら予定日より早いかもしれない」と言われて、それなりに覚悟はしていたのだ。姉にも「出産の方法はお医者さんに任せるんだよ」と諭されている。私が嫌がったところで無駄な足掻きなのかもしれない。けれど……。
 『この子も、私と同じ方法で生まれてくる……』
 その結果、私――母は、どうなった?
 気づかぬうちに、私は声に出して呟いていた。
 「お母さんは、私の産声を聞いてくれたの?」

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from: エリスさん

2009年07月23日 16時48分12秒

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「箱庭・81」
 「うん。君はこの庭から離れられないだろ。だから、俺が居候する形になるけど。……結婚は、まだ決めてくれなくていいから」
 私はしばらく黙ったまま考えていた。様々な思いが頭の中を巡る――天の声と地の声が囁き合っているのを、私は冷静になって受け止めた。
 「……一緒に住めば、あなたに何があっても、そばにいることができるのよね」
 「うん……俺も安心できる」
 「……飛蝶の部屋を、二階に移しましょう。あなたがそこの部屋を使ってください。それから書庫の本を私とあなたの部屋に分けて、開けておかないと。この子が生まれてきたら、日当たりのいい部屋が必要になりますから」
 私がこんな風にすらすらと話したので、彼は少し驚きつつも、微笑んだ。
 「こうゆう話、嫌がらなくなったね」
 「私も考え方が変わりました。私、愛し合えないのなら、結婚する意味はないと思っていたんですけど、周りの皆から〈子供に父親は必要だ〉って言われ続けて、そうかもしれないって思えるようになりました。……子供は両親の不仲を敏感に感じるものです。自分がそうだったから分かります。そんな両親に育てられた子供は、自分の存在意義に疑問を持ち始めるものだけど……たぶん、父親があなたなら、そんな疑問を持たずに済むんじゃないかと、今は思えます。愛し合わなくても、互いを理解し、尊重し、信頼しあっている両親なら、子供は不安がらないんじゃないかしら……甘い考えだと思う?」
 「そんなことないんじゃない?」と、喬志は答えた。「正直、子供のために結婚するって偽善的な考えには、自分自身も悩んだんだよ。そんなことしたところで、不幸になるのは子供じゃないかって、君も言っていたからね。……君に指摘されたとおり、俺が想っているのは杏子さんだ。別れ方が別れ方だったから、なかなか忘れることなんかできない……でも、君のことも嫌いじゃない。これも素直な気持ちなんだ。たぶん、妹の史織とダブらせてるんだと思うんだけど……」
 「嬉しいわ、そんなふうに言ってもらえて」
 「ホント? だったら、尚のこと君となら上手くやっていける――これは確信だ。今までの実績があるからね」
 「うん……そうね」
 「じゃあ、同居に賛成してくれる?」
 「でも、結婚はやっぱりもう少し考えさせて……一生の問題だから」
 「構わないよ……でね?」
 喬志は頬杖を突きながら、軽い口調で話しかけてきた。「たまには、してもいい?」
 「え?……な、なにを?」
 「うん……だからさ」
 喬志は私の方に身を乗り出してきて、先刻まで頬杖を突いていた右手を、私の顎の下に添えてきた。
 そのまま、唇が触れあった……私はきっと赤面しているに違いない。
 「赤ちゃんできてから、沙耶さんって素気ないんだもん。さびしかったんだよ」
 「えっ、そっ、そんな!? だっ、だって!」
 恋人でもないのに、そんなこと……。
 「俺、思うんだけど。沙耶さんがもっと積極的に俺のこと口説いてくれてたら、杏子さんのことだってとっくに忘れられたはずなんだ」
 「そんな、私のせいですか!」
 「もちろん、俺自身の問題もあるけどさ……でも実際、君が身重の体じゃなかったら、俺も歯止めが利かなかったと思う」
 喬志さんたら、本当に正気なのかしら??? 想像だにしなかったことばかり話してるんだけど。
 「本当のことだよ。今までこんなに君のそばにいたのに、子作りのとき以外に欲情しなかったわけがないだろ? それだけ俺も我慢してたの。だから、もう今日からは我慢しないし……あっ、出産がすむまでは今まで通りだけど……だから君も、我慢しないでくれよ」
 「わ、私はそんな!?」
 欲情なんてしてません! と言おうとしたら、喬志に言われた。
 「言いたい言葉、我慢してただろ? 俺への気持ち」
 あっ、そっちね……。
 「うん……じゃあ、私も我慢しません」
 「うん、そうしてくれ」
 こんなに幸せでいいのかしら……私はつい考えずにはいられなかった。本当は杏子こそが喬志の傍にいるべき人物なのに、と。
 でもこの幸せは、いずれ来る苦しみと対になっていたのだと、私が気付いたのはずっと後のことだった。

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from: エリスさん

2009年07月17日 15時18分38秒

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「箱庭・80」
 「これ、ようやく見つけたよ」
 そ、それは!? 〈月刊ミルフィーユ〉の二月号! ああ、よりによって、お正月に合わせて読者サービスをした……。
 「いやァ、驚いたね。君がこんなに激しいシーンを書くなんて。それにしても、君のマザーコンプレックスは理解しているつもりだったけど、義理の母娘の禁断愛を描けるほどだったとは……」
 ああ……もうお仕舞い。
 「あ、あのね、喬志さん……」
 「正月に実家帰っただろ? その時、従姉の姉ちゃんが持ってきてたんだ」
 「いえ、あの、そうではなく……」
 「分かってるよ。新人作家なら一度はやる、読者集めの過剰サービスだろ?」
 「……おっしゃるとおりです」
 「俺だって編集者の端くれ。それぐらい心得てるさ。……で、問題はそこじゃないんだ」
 喬志はパラパラとめくっていた手を止めて、雑誌を脇へ退けた。
 「主人公の友人で、会社の妻子持ちの先輩と不倫してるキャラが出てきただろ?」
 「ええ」
 「そのキャラが言っていたことが、君に重なってしまって……好きな人が病気になっても、看病はおろか、見舞いにも行けない。どんなに寂しくても電話もできない――以前、杏子さんから君がそう悩んでるって聞いてたから」
 「あっ、でも別にそのキャラは……」
 「君がモデルになってるなんて言ってるんじゃない。でも、君の気持ちが反映してるのは事実だろ? そうやって、我慢されてるの辛いんだよ、こっちが」
 「……ごめんなさい」
 「それで、考えたんだけど……今日は怒らずに聞いてくれ」
 と、言うことは、あの話と関係することなのね。
 「今月の下旬には新人さんが入ってきて、寮も混んでくるんだよ。場合によっては、歳が上の順から出て行かなきゃならない。だから……いっそのこと、一緒に住まない?」
 「……ここで?」

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from: エリスさん

2009年07月10日 14時22分14秒

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「箱庭・79」

 三月三日。すっかり全快した喬志は、午後からは書庫へ籠もるのをやめ、居間の炬燵で寛いでいた。
 「おいで、飛蝶」
 彼に呼ばれて、嬉しそうに駆けてきた飛蝶は、彼の膝の上で丸くなった。
 「私も休もうかしら……なにか、飲む?」
 「レモンティー、ある?」
 「レモンそのものはないけど、蜂蜜につけたレモンならあるわ」
 「ああ、いいね。それでお願い」
 「はァい」
 私は二人分のレモンティーを作って、居間へ運んだ――そして、いつもどおり向かい合って座る。彼には私越しにひな人形が見えていた。
 「ひな人形ってさ、ひな祭りの日の夜に仕舞うんだよね」
 「ええ……そうしないと、そこの家の女の子の婚期が遅れるんですって」
 「じゃあ、それ仕舞うのを手伝ったら、帰るよ」
 「……ねえ……どうして?」
 それだけで、私が何を言おうとしているかが分かったらしく、喬志は微笑んだ。
 「小説の仕事、進んだ?」
 「ええ、まあ」
 「君さ、俺がいる時って、書かないじゃない。俺に合わせて無理してるのかと思ってたんだけど、ここ数日泊まってみて分ったよ。土曜日はたまたま書かないだけなんだなって」
 「そりゃね、週に一度はお休みが必要ですもの」
 それもあるが、あの連載の原稿を見られるのが嫌だから、というのが一番の理由である。でも昨日あたりはそうも言っていられなかったし、彼が私の仕事に干渉しないと分かったから、安心して書き始めたのだ。
 「俺がいることによって、君が仕事できないんじゃ困るなって思ったから、それが確かめたかったんだ。そのために休暇まで取ったのに……風邪なんか引いて、かえって君に迷惑かけてしまって、ホント、ごめん!」
 「そんな! いいのよ、そんなこと」
 「うん……あとさ、もう一つ確かめたいことがあって」
 喬志は体を伸ばして、部屋の隅に置いてあった自分のバックを手に取った。そして、中から一冊の雑誌を取り出したのだった……。
 

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from: エリスさん

2009年07月03日 15時37分29秒

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「箱庭・78」
 その日の夜。
 一日中読書をしていたせいなのか、それとも風邪薬が効いたせいなのか、喬志は早々と眠りに就いた。
 私もそれを見届けると、安心してお風呂に入って、そのまま居間で眠ろうと思っていた。
 だけど、誰かが呼んでいるような気がして、やはり喬志が眠っている私の部屋へ戻ってみた。
 案の定、喬志の枕もとに彼女がいた――喬志の妹の史織だった。
 「やっぱり……あなたが居るんじゃないかって、思ったの」
 私はそう声をかけながら、喬志を挟んだ向かい側に座った。
 史織は口を開いた。
 「お兄ちゃんの面倒を見てくれて、ありがとう」
 幽霊とは思えない。普通に生きている人と変わりなく見えて、私も怖いとは思えなかった。
 「大したことはしていないのよ。それに、お礼を言うのは私の方。この三日間、喬志さんがそばにいてくれて、本当に嬉しかったの」
 「沙耶さんは、本当にお兄ちゃんが好きなのね」
 「好きよ……あなたも、お兄さんが大好きなのでしょう?」
 「うん、大好き」
 「だから、成仏しないでいるのね」
 私がそう言うと、彼女はキョトンッとした顔をした。
 「お兄さんが大好きだから、そばを離れずにいるのでしょう?」
 「う〜ん」
 史織は口元に人差し指を当てて、考え込んでから答えた。
 「それ、少し違う。私はお兄ちゃんが大好きだし、ずっとそばに居られたらいいなって思うけど、でも、私をこの世に縛り付けてるのはお兄ちゃんだよ」
 「え? そうなの?」
 「私は何度も天国へ行こうとしたの。でも、私の足に何かが絡まってしまっていて、全然昇れないのよ。その絡まっているものが、お兄ちゃんとつながってしまっているの」
 「そうだったの……」
 それはきっと、喬志の悔恨の思い。史織を助けられなかったこと、自分だけが大人になることへの罪悪感が、かえって史織を縛りつけてしまっていたのだ。
 「でもね、その絡まってたやつ、今日取れたんだ」
 「え? ホント?」
 「うん。これで私、天国へ行けるよ」
 「そう、良かった……って、言っていいのかしら?」
 「うん。よかったと思う。このままじゃ、お兄ちゃんは幸せになれないもん。……私ね、お兄ちゃんが私を解放してくれたのは、沙耶さんのおかげじゃないかって思ってるんだ」
 「そんな……」
 「ホントだよ。お兄ちゃん、きっと吹っ切れたんだと思う。今まで、私のことばっかり心配して、他の人とちゃんと向き合ってこなかったから……だけど、沙耶さんとはちゃんと向き合えるみたいなの。だから、お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします」
 史織が頭を下げるので、沙耶も素直にうなずいた。
 「ええ、私にできることなら」
 「よかった」
 そう言うと、史織の体が少しずつ薄くなっていった。
 「待って、喬志さんを起こすから、最後に会ってあげて」
 「駄目だよ。そんなことしたら、またお兄ちゃんの決心が揺らいじゃうかもしれない」
 「決心って?」
 「明日には分かるから……ねえ、沙耶さん」
 「なァに?」
 「私、今度はあなたとお兄ちゃんの子供として生まれてきたいな。っていうか、私のママになってね!」
 「ええ!?」
 「大丈夫だよ、二人目もちゃんと産めるよ!」
 その言葉を残して、史織は完全に消えてしまった。
 二人目もちゃんと産める――その言葉はつまり、今お腹の中にいるこの子は、確実に産まれるってことよね? そう解釈していいのよね? 史織さん。
 なんだかかなり重大なことを任されてしまったような気もするが、私はとりあえず、そのことだけを喜ぶことにした。

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