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恋愛小説発表会〜時にはノンジャンルで〜

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  • from: エリスさん

    2010年06月04日 12時42分51秒

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    しばし花園に百合が咲く・1


     
     その昔、まだ若き帝が急逝したことにより、その姉である内親王が中継ぎの帝に就いたことがあった。その女帝のことを後に「桃園天皇」と称することになるが、当時はまだ「賀茂の帝」とお呼びしていた。なぜなら、その内親王が先帝の御世では賀茂の斎院(賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇族出身の巫女)だったからである。
     斎院もしくは斎宮であった内親王が帝位に就くのは異例のことだったが、この賀茂の帝はもっと異例なことをしてのけた。
     なんと、女御をお傍に召したのである。
     女帝は一生独身を通すのが慣例であった世の中で、伴侶を――それも女人をお傍に召すなど、前代未聞の出来事で、世の人々は度肝を抜かれたのだった。
     そしてその女御に選ばれた姫君は、先月内大臣になったばかりの藤原弘純(ふじわら の ひろずみ)の孫娘・藤原利子(ふじわら の とおるこ)――俗に茉莉姫(まつりひめ)と呼ばれる姫君だった。


     茉莉姫を女御にすると公表されてからも、入内の儀式はその半年後と定めたので、二人はまだ世間一般的に言う「婚約」の状態だった。それでも、茉莉姫の母・忍の君が筝の琴の名手ということで、よく女帝のもとに招かれるので、茉莉姫もそれに同行し、女帝との逢瀬を重ねるようにしていた。
     母親の忍の君も、自分が招かれるのは口実で、帝の本意は娘に会いたいだけなのだと分かっていたので、あまり長々とは演奏をしなかった。
     忍の君が筝から手を離して、「今日はここまでにいたしましょう」と言うと、帝はニッコリとうなずいた。
     「ありがとう、忍の君。あとはゆるりと、叔母上とお話でもなさってください。……茉莉姫、一緒に庭の花でも眺めに行きませんか?」
     帝の言葉に、茉莉姫は恥ずかしくも嬉しそうにお辞儀をした。
     「はい、主上(おかみ)」
     帝が上座から降りてきて、下座に座っている茉莉姫の手を取った。――二人はそのまま紫宸殿の裏庭へと歩いて行った。
     帝と入れ違いに、隣室から帝の叔母である薫の尚侍(かおる の ないしのかみ)が入ってきた。
     「今日も来てもらって、悪かったわね、忍の君」
     薫の君がそう言うと、
     「なにをおっしゃいます」と、忍の君は言った。「尚侍の君(かん の きみ)がお気になさることではございません。娘のために母親が骨を折るのは当たり前のこと。それに、私もこうして尚侍の君にお会いできますのが嬉しいのですから」
     「ありがとう、忍の君……本当はね、こんな面倒なことをしないで、さっさと姫を入内させればいいことだと思うのだけど」
     確かに女御が入内するまでには、いろいろと煩わしい儀式があるので、その日まで最低でも半年はかかるものなのだが、これまで前例など意に介さなかった女帝なのである。茉莉姫と会いたいのなら、儀式など取っ払って早く入内させてしまえばいいところなのだが……どうやら女帝には「ためらい」があるらしかった。

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コメント: 全19件

from: エリスさん

2010年11月26日 12時19分49秒

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「しばし花園に百合が咲く・20」


 小藤が大納言と正式に離婚してから一カ月が過ぎた。
 なんとか桐壷の更衣が起こした不祥事は表沙汰にならずに済み、小藤は無事に更衣の女房として内裏に上がってきた。その初めての日は、女帝も待っていたのだろうか、すぐに桐壷を訪ねて行ったのである。
 忍も今日がその日だと分かっていたので、娘の紫草(「むらさき」と読む。茉莉の妹)を連れて藤壺に参内していた。
 茉莉はまだ小さい妹を大事そうに抱えて、頬ずりするなど、とても幸せそうにしていた。
 『この様子なら、主上が昔の恋人に会っているからと、気をもんだりはしていないようね』
 と、忍が安心していると、女帝からの先触れが訪ねてきた。
 「間もなく主上がお渡りになられます」
 それを聞くと忍は紫草を茉莉から受取り、茉莉の衣服を乱れなく直した。
 こちらの支度がキチンと整ったころ、女帝が入ってきた。
 「おや、こちらにも赤子がおる」
 女帝が言いながら忍に近づき、紫草の寝顔を覗き込むので、茉莉は聞いた。
 「こちらにも、とは……桐壷にも赤子がおられるのですか?」
 「そう。小藤が大納言の娘を引き取ったのよ」
 そういうと、女帝は上座に座った。
 「引き取った――というより、押しつけられた、と言った方が正解かしら。大納言が他の女人に産ませた娘で、離婚の際に引き取ってほしいと懇願されたとか。なんでも、御子のできない主上にせめてものお慰みになるはずだと説き伏せられたそうよ……大きなお世話だわ」
 「はぁ……」
 この問題に関しては、茉莉も言葉が見つからない。それも察して、女帝は苦笑いをした。
 「でもこれで、あやつの狙いが分かったわ」
 「狙い?」
 「桐壷は、東宮(皇太子)の住まう梨壺の隣にあるのよ」
 それでようやく分かった――大納言は次代の天皇に望みをつないでいたのだ。幼いころから次期天皇と自分の娘が顔見知りで、しかも恋仲にまで発展すれば、娘を女御として入内させることも、皇子を授かって天皇の外戚となることも簡単にできる。
 「そのために、無理をしてでも桐壷に自分の娘を入内させたかったのね。まったくなんて男でしょう……まあ、東宮が将来どんな姫君を妻に選ぶか、それは東宮が決めることだけど……ねえ? 茉莉。あんな男に簡単に政権を渡さないためにも、今から競争相手を差し向けるべきではないかしら?」
 「ひかる様!? よもや、紫草を東宮妃にとお望みですか?」
 つい女帝を“二人っきりのときに呼ぶ呼び名”で呼んでしまったことなど気付かずにいる茉莉を、忍は咳払いをすることで制した。
 そして忍が言った。「このまま藤壺に住まわせるのではなく、私が参内の度に連れて参るという条件であれば、我が娘を東宮様に差し上げること、異存はございません」
 「お母様!? よろしいのですか!?」
 茉莉が言うと、忍は微笑んだ。
 「いつかは娘を嫁に出さなければならないのよ。だったら、東宮様に差し上げる以上に喜ばしいことがありますか? とは言え、先はまだまだ分らぬ物。紫草が将来、別の方を好きになってしまった場合は、この話はなかったことにしていただきとうございます」
 その言葉に女帝はうなずいた。
 「もちろんよ。好きでもない男に嫁ぐほど不幸なことはないわ。ただ、選択肢として東宮妃への道を残しておいてほしいのよ」
 「承知いたしました。では以後は、将来お后となっても恥ずかしくない教育を、娘にさせていただきます」


 女帝が東宮に位を譲ったのは、それから十二年後のことだった。
 それまで左大臣だった藤原房成が太政大臣として新帝を補佐することになったため、右大臣だった源彰利が左大臣に、そして大納言だった藤原行尚が右大臣へと昇進した。内大臣だった藤原宏澄は健康面を理由に隠居し、その代わり宏澄の娘婿である利道が大納言に昇進した。
 新帝の女御には、先ず周りの予想通り藤原行尚の娘(小藤が養育していた娘)が立ったが、もう一人予想されていた利道の娘・紫草は女御にはならなかった。その代わり、彰利の孫娘が十四歳になる四年後に入内する予定になっていた。
 上皇となった光子内親王は、三条の源邸の近くに屋敷を構えて移り住んだ。そこには、茉莉はもちろん、元桐壷の更衣である早百合と小藤、そして、なぜか紫草も住むことになった。
 「本当に私も一緒でよろしいんですの? お姉様」
 引っ越しも片付いて、大広間にみんなで集まったとき、紫草は隣に座っていた茉莉にそう聞いた。
 「いいのよ。実家にいるよりは、ここのが気兼ねなく暮らせるはずよ。なんせ、みんな似た者同士なのだから」
 紫苑の生まれ変わりである紫草は、結局、幼いころから東宮と親しく付き合ってはきたが、恋人になることはなかった。それどころか、光子内親王の女房の一人と深い間柄になってしまったのである。とは言え、紫草はまだ十二歳なので、そんな恋を大っぴらにすることもできない。だから、お互いが恋人のもとへ通いあうよりは、二人とも同じ屋敷に住んでしまった方がいいと、光子内親王が考えたのである。
 「世間では女人同士で恋を語るなど、汚らわしいと思う者もいるけど、ここでは、そんな道徳は無用よ。私たちは愛する人とだけ結ばれればそれでいいの。世間がどう言おうとね」
 光子内親王の言葉に、皆がうなずいた時、部屋の外から声がした。
 「忍でございます。上皇さまと皆様に琴の音を献じに参りました」
 「お入り。あなたもまた仲間なれば……」

 今は昔。
 中継ぎの帝であったがために記録に残ることのなかった女帝と、その周りで咲き誇った穢れなき百合たちの物語がありました――。


                             終

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from: エリスさん

2010年11月19日 14時21分22秒

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「しばし花園に百合が咲く・19」
 「お許しください、宮様」と小藤は頭を下げた。「あなた様とお別れし、夫の元に嫁ぎましてからは、まるで日の光を失ったかのような暗い日々でございました。そんな私に、この子は優しく接してきてくれたのです」
 「私にとっても、お母様は一条の光のようでした。実母を失って、父親とは言ってもそれまでほとんど訪ねても来なかった男の所へ引き取られ、不安でいっぱいのときに、同じく不安そうにしていらしたお母様が、私と同類に見えたのです」
 「私たちは互いを拠り所とし、そして、ついには親子の矩(のり)を踰(こ)えてしまいました。でもそのことに、罪の意識は感じておりません。私たちはきっと、運命の掛け違いでたまたま親子にされてしまっただけで、本来は恋人同士として巡り合うはずだったのです。そうでなければ、こんなに愛し合えるわけがありません」
 「小藤……」と、女帝は優しく微笑んだ。「誰もあなた方が恋人になったことを責めたりはしないわ。そもそも血のつながりはなし、あなただって大納言とは無理矢理結婚させられたのですもの。心の伴わない結婚など、初めからしていないも同然よ。でも、あなたが桐壷の更衣と巡り合うためには必要だったのかもしれないわね」
 「宮様……」
 「……さて、だったら話は簡単だわ」と女帝は言うと、薫の方を向いた。「叔母様、私の使者をしてくださいませんか?」
 「もちろんでございます」と薫は微笑んだ。「して、どちらへ?」
 「知れたこと。左大臣邸へです」


 大納言を左大臣邸で更迭したまま、すでに夕刻となっていた。
 大納言は娘の失態に怒りを覚えながらも、ほとんど我が身の保身ばかり考えていた。しかし、何をどう考えても助かる見込みがない。なにせ、桐壷の更衣は女帝を暗殺しようとした(と、彼には伝えられていた)のだから。つまり、自分は反逆罪の黒幕として打ち首になるのは必定。
 『冗談ではない! 早百合(桐壷の実家での呼び名)め、なんてことをしてくれたのだ!』
 また怒りが込み上げてきたとき、左大臣と右大臣が部屋に入ってきた。
 「たった今、主上(おかみ)からの使者が参られた」
 と左大臣が言うと、右大臣が後を続けた。
 「こちらにお招きするので、失礼のなきよう」
 「はっ……」
 大納言が平伏すると、その使者は部屋の上座の、御簾の向こうへ通された――大納言の横を通った時、着物の裾で女人であることがわかった。
 「大納言はそのまま……大臣(おとど)のお二人は頭をお上げください。使者としてでなければ、お二人は私の顔などいつも見ているのですから」
 使者が言うと、左大臣は答えた。
 「そなたが使者に立ったのも、女帝のご意向かな? 薫」
 「ええ、あなた。私ならば、世間には〈宿下がり(内裏から出て実家や夫の家に帰ること)してきたのだ〉と言い訳することができるでしょ?」
 すると右大臣が言った。「いい加減、娘御(むすめご)に尚侍の座は譲ったのですから、引退して帰ってきたらどうです? 姉上」
 この会話で、大納言にも使者が誰か分かった。
 「とりあえず、この話は後にしましょう。――大納言、主上の決定を伝えます」
 大納言はますます頭を低くした。
 「桐壷の更衣の罪を不問に付す代わりに、大納言は即刻、正室の小藤の君と離別するように!」
 「はっ……はぁ?」


 「大納言が小藤と結婚したのは、小藤の父親の財力を当てにしたからでしょう?」と女帝は言った。「でもその財産もほとんど使い切ってしまって、小藤は今じゃ日蔭者扱いと聞いているけど?」
 「はい、その通りでございます」
 と小藤は答えた。
 「だったら、大納言も小藤と別れることに不満はないはず。そして小藤は、更衣の女房として内裏に上がりなさい。大丈夫、女房と恋仲の更衣なら前例があるわ」(梅壷の更衣のこと)
 「でもそんなこと」と弘徽殿の中宮が言った。「大納言が納得するかしら?」
 「大納言自身の死罪を、それで免れさせてあげるのよ? 文句が言えるわけがないわ。それに、桐壷の更衣の地位はそのままなのよ。彼にとっての切札を残しておいてあげるのだから、感謝してほしいほどだわ」


 「……との、主上のお言葉でございます。もちろん、あなたに否やはございませんでしょうね? 大納言」
 「はっ……はあ……」
 確かに妻を愛しているわけではないが、自分のいないところで勝手に決められてしまうことに不満がないわけでもない。しかし、これで死罪は免れる。しかも、これから先の計画に欠かせない――「娘が桐壷にいる」というつながりは残されている。
 「分りました」と大納言は答えた。「主上のお慈悲に感謝いたします、とお伝えくださいませ」

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from: エリスさん

2010年11月12日 14時16分07秒

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「しばし花園に百合が咲く・18」

 早朝。
 薫の君はさっそく使いの者を出して、夫の左大臣と弟の右大臣に昨夜のことを知らせた。
 二人の大臣は女帝の意向を酌んで、大納言を左大臣邸に「招き」、内々に取り調べることにしたのだった。
 そして内裏でも、女帝が妹宮の局である弘徽殿で、親類の方々とお茶会を開いている――という名目で、桐壷の更衣の取り調べを始めたのだった。
 茉莉は、忍と一緒に隣の部屋で控えていた。
 まだ更衣が連れてこられる前に、女帝は斜向かいに座っていた弘徽殿の中宮に聞いた。
 「手荒なまねはしていないわね?」
 「ご心配なく、姉上。彼女も大人しくしていましたから、縄をかけることなく、ただ塗籠(ぬりごめ。今でいう納戸)に入っていていただいただけでございます」
 「そう、それならいいわ」
 そうこうしているうちに、桐壷の更衣が薫の君と数人の女房に連れられて来た。
 女帝とはかなり距離を置かれたものの、前に座らされた更衣は、先ず女帝に頭を下げた。
 「昨夜のこと、どうぞお許しくださいませ。決して、主上に害をなそうとしたわけではございません」
 「ですが実際に!」と薫の君は弘徽殿の中宮の向かい側に座りながら言った。「主上に小刀を向けていたそうではありませんか。そもそも、主上の夜の御殿に小刀を持ち込むこと自体が大罪!」
 「それは……」
 薫の君の剣幕に、言葉を失っている桐壷を見て、女帝はなだめるのだった。
 「叔母上。あれは私を殺すために持ち込まれたものではありません。それは実際に向けられた私だからこそ分かります。あの時の更衣には殺意がなかった。あの小刀は、初めから自決するために持ち込んだのでしょう? 桐壷の更衣」
 すると桐壷は深々と頭を下げて、言った。「ご推察の通りでございます。父の命令で入内することになりましたが、私には……すでに想う方がいるのです」
 それを聞き、茉莉は一瞬で桐壷に同情心を寄せた……。
 「その方以外の人になど、触れられたくはないけれど、父に逆らうこともできず……それで、たった一度だけ、父の望むとおりに更衣としての役目を果たしたら、死のうと……でも、いざその時になったら、やはり触れられるのが嫌で……申し訳ございません、主上!」
 「もういいわ、だいたいそんなことだろうと思っていました」
 と、女帝はため息をついた。「さて、叔母上。どうしたらいいでしょう?」
 「そうでございますね。これは全面的に大納言のせいですから、彼に責任を取らせるのが一番よろしいかと……は、思いますが。このまま彼を辞任させてしまうと、桐壷の更衣殿がますます不幸になるのではないかと心配になります」
 「私も同意見ですわ、姉上」と弘徽殿の中宮も言った。「このたびのことで、桐壷殿が更衣をやめることになったら、今度はどんなところへ嫁がされるか分かったものではない。それよりも、彼女はこのまま更衣の地位にいた方が安全ではないかしら」
 「そうですね。更衣は必ずしも主上のお相手をしなければならない、というものではありませんから。ただ、更衣と尚侍には〈主上の夜の御殿に侍る資格〉があるだけで、それを望まねば拒否してもいいのですから。実際、夫のいる更衣も過去にはいたことですし」
 と、自分も夫がいながら尚侍になった薫が言った。
 それまでの会話を戸惑いながら聞いていた桐壷の更衣は、恐る恐る聞いた。
 「あの……私を、お守りいただけるのですか?」
 「そうよ」と女帝が言った。「事情が分かったからには、あなたを罪人として処罰しようなどと考える者は、この中には誰もいないわ」
 ちょうどその時だった。女帝の最古参の女房が外から声をかけてきた。
 「お話し中、失礼いたします。主上、私を頼って、主上にお目通りを願い出ている者がおりまする」
 「そなたを頼るということは……私も良く知る人物ということかしら」
 「はい、一の宮様。かつてのあなた様の女房……いえ、恋人と申し上げたほうが宜しゅうございますか?」
 それを聞いて茉莉はドキッとした。
 『ひかる様の初恋の! 小藤の君……』
 「通しなさい」と女帝は苦笑いをしながら言った。「娘が心配で来たのでしょう」
 その言葉で桐壷の更衣にもようやく誰のことか分かった。
 「お母様!?」
 間もなく、三十歳前後の女人が現れた……茉莉は忍にとがめられるのも構わず、隣の部屋をのぞいて、その人物を見た。それなりの年はいっているはずなのに、どこか愛らしい女人だった。
 「御無沙汰をいたしております、宮様。この度は娘がとんでもないことをいたしまして、本当に、なんと申し上げてよいやら、謝罪の言葉もございません」
 「頭をあげなさい、小藤。本当に懐かしいこと。あなた、ちっとも変わらないのね」
 女帝が言うと、小藤は恥ずかしそうに、
 「そんな……宮さまこそ、ますます美しくおなりで……」
 すると桐壷の更衣が堪え切れずに、母親に抱きついた。
 「お母様! お母様ァ!」
 「おお、姫! あなただけに辛い思いをさせたわね。許してね……」
 二人は、きつく抱き締めあい、互いの指を絡ませ合いながら手を握った。
 その様子を見て、女帝は――茉莉も気づいた。
 「ああ! そういうことね!」と女帝は言った。「桐壷の更衣の想う方って、小藤、あなたなのね!」

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from: エリスさん

2010年11月12日 11時04分00秒

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「しばし花園に百合が咲く・17」

 薫の君が清涼殿の女房・牡丹(薫の女房の茜の恋人)から受けた報告によると、彼女が寝ずの番として女帝の寝所(夜の御殿)のそばに侍っていると、中からただならぬ物音が聞こえてきたそうだ。危険を察した牡丹は、無礼を承知で戸を開けると、そこで桐壷の更衣が女帝に小刀を向けていたのである。
 それで牡丹は大声で他の者たちを呼び、自刃しようとした桐壷の更衣を取り押さえたのだという。
 「それで桐壷の更衣は?」
 と忍が聞くと、薫は答えた。
 「今は弘徽殿(こきでん)に預けられているわ、見張りを付けてね。とにかく騒ぎにはしたくないって女帝が仰せられるので、取り調べは朝になってから、目立たぬようにやろうと思っているのよ。だからまだ主人(左大臣)にも知らせていないわ」
 「そうですか……それにしても、女帝を暗殺しようとするなんて……」
 「それが大納言の狙いだったのかしら? 調べてみないと分らないけど」


 「いや、私を殺そうとしたのではないわ。私から逃げるために、小刀で私を脅したのよ」
 茉莉との愛を育んだ後、女帝はようやくここへ来た理由を話し、そして茉莉が「更衣がひかる様を殺そうとした!」と思ってしまったので、そう付け加えたのだった。
 「なぜ逃げたのです? 更衣は、自分がどうゆう立場で入内したか分かっていたはずです。なのに、どうしてひかる様の愛を拒もうとするのです?」
 「そこなのよね。叔父上たち(左大臣と右大臣)から聞いた話だと、大納言は〈当家の姫は女色もたしなんでおります〉と言っていたそうなんだけど……大納言がどうしても娘を入内させたいがために、嘘を言っていたのかもね」
 「本当は、女人同士では恋ができない人なのに、父親に無理矢理入内させられたと……そういうことですか?」
 「たぶん。……聞いてみないと分らないけれど、とにかく、朝になったら更衣と話をしてみるわ。妹(弘徽殿の中宮)や叔母様(薫の君)にも立ち会っていただいて」
 「ならば私も!」
 茉莉は体を起こすと、女帝を見下ろす形になった。
 「私も同席させてくださいませ! 隣の部屋でも構いませんから」
 「……いいわ」
 女帝は茉莉の首に両腕を回すと、起き上がって、茉莉の唇に口づけた。
 「あなたが傍にいてくれれば、私も落ち着いていられるから」

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from: エリスさん

2010年11月05日 12時05分00秒

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「しばし花園に百合が咲く・16」
 今宵は桐壺の更衣が女帝のお相手をするために清涼殿に上がるので、茉莉が寂しい思いをしているのではないかと心配した忍の君が、藤壺に泊まりに来ていた。
 思ったとおり茉莉の心は「ここにあらず」だったが、それでも、気丈に振舞おうとしている様子は見て取れた。
 忍は茉莉と同じ褥で寝ることにし、山寺で初めてそうした時のように、茉莉の手をしっかりと握った。
 「あなたも分かっているとは思うけど、いつの世でも天下人となられた方は、多くの妻を持つものよ。それが権力の誇示でもあり、妻の実家と政治的につながるためでもある。主上は帝と言っても、東宮(とうぐう。皇太子)が成人されるまでの中継ぎだから、それほど権力の誇示は必要ないのだけど、だからと言って、まったく何もないわけにはいかないのよ」
 忍の言葉に、茉莉は素直にうなずいた。
 「分かっています……これは、仕方のないことなのですよね」
 「普通の女の子なら、自分の父親に複数の妻がいるのを見て、そういうのが当たり前なんだと思いながら成長できるものなんだけど、あなたのお父様は一途すぎる人だから、あなたのお母様――紫苑姉様しかいなかったから、そういうことをあなたが慣れることができなかったのよね」
 「でもそれは、娘として幸せなことです。両親がそれだけ愛し合っていた証拠ですもの……まあ、それでちょっとお父様には困らされたこともありましたが」
 と、茉莉はニコッと笑って見せた。
 二人は女同士のたわいもない話をしながら、眠りに落ちた……。
 それからしばらくして、誰かが二人を呼び起こした。
 「お起きください、姫様、奥方様!」
 茉莉の乳母代わり(正確には紫苑の乳母)である右近の君だった。
 「どうしたの? いったい……」
 まだ寝ぼけ眼ながら起き上がった忍がそう言うと、右近はこう言った。
 「女帝がお出ましでこざいます!」
 この言葉で忍はもちろん、茉莉も一気に目が覚めた。
 右近の言うとおり、彼女の後ろに女帝が立っていた。
 「ごめんなさい、待っていられなかったから、右近の君と一緒に入ってきてしまったの」
 「これはまた、どうしてこのような刻限に」
 忍は慌てて着崩れを直して、女帝に平伏した。それを見た女帝は、
 「ああ、堅苦しくしないで。無礼は承知で訪ねてきたのよ、茉莉に会いたくて」
 「ひか……主上……」
 茉莉はまだどうしていいか分からないで、そのまま動けなくなってしまっている。そんな彼女の前に女帝は座った。そして、
 「忍の君、申し訳ないのだけど、寝床を譲ってくれないかしら?」
 それは、「茉莉と二人っきりになりたいから、この場を離れてくれ」という意味だった。
 なので忍は一礼すると、右近を連れて隣室へと移動した。
 忍が隣室への簾をまだ下ろしきらないうちに、声が聞こえてくる。
 「ひかる様、どうしてここへ? 桐壺の更衣は?」
 「更衣には振られてしまったわ。だからここへ来たの?」
 「振られた?」
 「そう、女同士は嫌だったらしいわ」
 忍が簾が下ろしきると、その音を合図にしたかのように茉莉の色めいた声が聞こえてきた。
 「ひかる様、ここでは……」
 「お願い、そのために来たのよ。私を慰めて」
 「あっ! ひかる様……」
 『あらあら』と、忍は恥ずかしく思いながらも嬉しくなった。そしてわざと聞こえる声で、
 「右近、女房たちをなるべく遠ざけておきなさい。私は雷鳴の壷(薫の娘の尚侍の局)で休ませていただくから」
 「承知いたしました、奥方様」


 もう遅い時間であったが、薫ならきっと許してくれるだろうと雷鳴の壷へ行くと(薫も今日は泊まっていた)、すでに薫が入り口で待ち構えていた。
 「女帝が藤壺へお出ましになったと聞いて、それじゃあなたの寝所がなくなってしまったのじゃないかと思って、だったら内裏で頼ってくれるのは私のところでしょ?」
 「お気遣いありがとうございます」
 すでに薫の寝所に忍の分の褥も用意されていた。この用意周到さは並みのことではない。そもそも女帝が自身の寝所である清涼殿から出てくること事態が異例のことである。これは何かあってのことではないかと忍が考えていると、案の定、薫が話し出した。
 「実は、桐壺の更衣が女帝に刃を向けたのよ」
 「それはどういう!?」
 「言ったとおりの意味よ。女帝を殺そうとしたのよ」

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from: エリスさん

2010年10月29日 11時31分26秒

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「しばし花園に百合が咲く・15」

 左大将・藤原行尚(ふじわら の ゆきひさ)が大納言に昇格してから三カ月経ち、とうとうその娘が更衣(こうい)として入内することになった。
 茉莉もそのことは承知の上だが、やはり気に掛かるのか、その前夜のお務めは気が乗らないようだった。
 それに気づいた女帝は、茉莉の袴の帯を解きながらも、脱がすのをためらった。
 「……やめる? 今宵は」
 女帝の言葉で我に帰った茉莉は、
 「あっ、いえ……」と首を振った。
 「申し訳ございません、考え事をしてしまいまして」
 「その考え事って、明日のことでしょう?」
 女帝はそう言いながら、自分の着物を全部脱いだ。
 「はい……」
 「だったら」
 と、女帝は茉莉の肩から着物を滑り落とした。「今宵は私の相手をして。私が他の女を抱いても、あなたのことを思い出せるように」
 「ひかる様……」
 茉莉に口づけをした女帝は、そのまま彼女を褥に押し倒し――首筋から肩、胸へと唇を滑らせていく。茉莉は快感に耐えられず、女帝の肩を抱きしめた。
 「忘れないで、茉莉……私が愛しているのは、あなただけ……」
 「ひかる様……」
 「あなたも私を愛してくれている。こんなにも強く私を求めてくれるから、私もそれに全身で答えたくなる。そうやって、私たちの思いは連鎖していくのよ、永遠に……」
 「……はい、ひかる様……」
 女帝が茉莉の秘部に触れたとき、茉莉は堪え切れなくなって声を上げた。それが恥ずかしくて顔を隠してしまうと、女帝は優しくその手を除けさせた。
 「可愛い人……恥ずかしがらないで、もっと聞かせて。あなたの愛らしい声で、私を満たして……そうすれば、私は他の女を抱かなければならない責任感に耐えられる……」
 「ひかる様」
 茉莉は自分から女帝に口づけをした。
 「可哀そうな我が君……どうか私で慰められますように」
 「茉莉……」
 女帝はあまりにも茉莉が愛しすぎて、彼女を強く抱き締めた。



 翌日。
 大納言の長女・早百合姫が更衣として入内した。局は桐壷を賜り、以後は「桐壷の更衣」と呼ばれることになる。

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from: エリスさん

2010年10月15日 11時17分38秒

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「しばし花園に百合が咲く・14」


 忍が女児を出産したのは、それから5ヶ月後のことだった。
 出産の前日まで内裏にいる茉莉のところに通っていた忍は、それだけ健康なのだろうか、母乳の出も良かったので乳母を雇う必要がないほどだった。
 出産祝いが方々から届けられる中、茉莉は贈るだけでは物足りないと、無理を言って宿下がり(内裏に仕えている人が実家などに帰ること)してきた。
 「お母様! おめでとうございます!」
 そこにはちょうど茉莉の弟の太郎君(たろうぎみ)もいて、先触れもなく訪れた姉の姿にびっくりするのだった。
 「姉上!? 女御様がそんな簡単に帰ってきていいんですか!」
 「だって、待ちに待った妹の顔が見たかったんですもの」
 「弟の顔は見に来ないくせに……」
 太郎はまだ赤ん坊のころに実母を亡くしていて、四つ上の姉が母親代わりのようなものだったから、かなりの「お姉ちゃん子」として育った。今は新しい母親である忍にすっかり懐いているが。
 「まあまあ、太郎。分かってあげなさい」と忍は言った。「茉莉はこの家で暮らしていない分、あなたより妹に会う機会が少ないのだから、早く会いたくて仕方がなかったのですよ」
 「そりゃまあ、分かりますけど……」
 太郎が少しむくれてしまうと、忍は茉莉の方を向いて、こうも言った。
 「でもあなたも女御として恥ずかしいお振舞いをなさっていますよ。先触れ(前もって訪ねて行くことを知らせる使者)もなく訪れるなど、他のお宅でなさったら、あなただけでなく私たち家族まで悪評を流されることでしょう。これからは気をつけなさい」
 「はい……お母様……」
 「でも、会いに来てくれて嬉しいわ、茉莉。さあ、あなたの妹を抱っこしてあげて」
 沈んだ顔からパッと明るくなった茉莉は、すぐに忍の方へ行って座り、忍が抱いていた赤ん坊を受け取った。
 まだ小さくて、真っ赤な顔をしているが、それでも茉莉には可愛くてならなかった。
 茉莉が幸せそうな笑みをこぼしていると、それを見ていた太郎は感心したように言った。
 「うん、やっぱりいつもの姉上だ」
 「え? なにが?」
 「いやさ、さっき部屋に入ってきたばかりの姉上は、僕が知ってるころよりも大人っぽくなっていたんで、正直驚いたんだよ。会えなくなってから半年ぐらいしか経っていなかったのにさ、一人だけ大人になっちゃってずるいなって思ってたんだけど……そうやって笑ってる姉上は、やっぱり今までと変わらないんだなって、思って」
 「いやあね、この子ったら。私は何も変わらないわ」
 すると忍が言った。「いいえ、変ったわよ」
 「お母様?」
 「本当にね、この半年で茉莉は大人っぽくなったわ。太郎の前で言うことではないでしょうけど、主上に愛されているおかげで、あなたは綺麗になってきてる」
 その言葉で茉莉は頬を赤らめた。
 「これであとは……あなたに御子が授かれば、もっと幸せでしょうに……」
 忍はそう言ってから、眼の端に浮かんできた涙をぬぐった。
 「ごめんなさい、無理なのは分かっているのに」
 「いいえ、お母様……実は私もときどき考えるの。主上の御子が欲しいって……でも、女同士でそれは無理なのは分かってるから。だから、本来なら子供に向ける愛情もすべて、主上に捧げようと思うの。私にはそれしかできないから」
 「茉莉……」
 「だからね、お母様。これからもお母様は私に会いに来て。お母様がお生みになる子供をみんな連れて! 私は妹や弟たちと触れ合うことで、母親の気持ちを知ろうと思うの」
 「ええ、もちろんですよ。連れて行きますとも。妹たちもあなたに会いたいでしょうからね」
 こうゆうこともあり、忍の内裏参内はますます増えるのだった。

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from: エリスさん

2010年10月01日 13時56分49秒

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「しばし花園に百合が咲く・13」

 「なにを焦っておられる」
 女帝は開口一番そう言った。
 「茉莉の顔が見たくて訪ねたなど、単なる口実です。本当は、忍の君がいつになく茉莉を特訓していると聞いて、心配して見に行ったのです」
 「恐れ入ります、主上(おかみ)」
 「それで? もう一度聞くが、なにを焦っているのです」
 焦っている――と、そう表現するぐらいなのだから、女帝にも察しはついているのだろう……と、忍は思い、正直に答えた。
 「いづれお迎えになる女君に、我が娘が見劣りしてはならないと思いまして」
 忍の言葉に女帝はため息をついた。
 「忍の君、私は茉莉が琴を苦手としていることは知っていましたよ、初めて会った時から――私の母、皇太后が息子を殺されて気鬱の病にいたとき、あなた方が合奏で慰めてくれた。その合奏を私も一緒に聞いて、茉莉姫の琴はまだまだ拙いと思ったけれど、でも、とても一生懸命に弾いてくれて、その健気な姿に私は惹かれて……」
 女帝はそこまで言うと、恥ずかしさに頬を赤らめて、扇で顔を隠した。
 「とにかく、私は茉莉が琴が苦手でもまったく構いません。茉莉にはそれに代わる才能が――笛の技術があるのだから、それを伸ばしてあげてほしいのです」
 「ありがとうございます、主上」
 と、忍は頭を下げた。「主上がそこまで茉莉をご寵愛下されていようとは、母として嬉しい限りでございます。しかし、私の気持ちもどうかお察しください。あの子は、いくつか辛い目にあっております。ですから、あの子には幸せになってほしいのです。そのためには、主上のご寵愛が冷めぬように、あの子自身が成長しなければならないのだと……そう、思いつめてしまったのです」
 「分からないでもないわ。だけどもう、心配はしないで。お腹の子にも障りますから」
 「はい……」
 「それにしても……」
 女帝は扇を閉じて、また顔を見せた。
 「あなたは私より三つも年下なのに、もうすっかり母親なのね。それはやはり、お腹に子がいるせい?」
 「いいえ、茉莉がもともと私の姪だからでございますよ。私の敬愛する姉の子供……だから茉莉を愛せるのです。私もときどき考えます。もし、茉莉と私の間に血のつながりがなかったら、私はちゃんと母親になれたのだろうか、と」
 「それで……その答えは?」
 「まだ出てはおりません。でもおそらく、私と茉莉は出会うべくして出会って親子になったのでしょうから、考えるだけ無駄なのかもしれません」
 「そう……」
 女帝が残念そうな顔をするので、忍は察することができた。
 「主上は子供をお望みですか? 御養女を」
 「私も女ですからね、人の子の親にはなってみたいと思うのよ。でも、私は女人としか恋ができない女だから、自分で子供は産めない。だから、義理の子を育てているあなたの考えを聞いてみたかったのだけど……」
 「そう……でしたか……」
 忍はその時ひらめいていた――だが、口には出さなかった。
 『このお腹の中にいる子を、茉莉の養女として差し出せば、主上にも母親としての喜びを感じてもらえるかもしれない。でも、私はそれでいいの?』
 亡き紫苑の生まれ変わりである我が子を、手放す……。そんなこと、たとえ茉莉や女帝のためでも、できるわけがないと考えていた。

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from: エリスさん

2010年09月24日 14時04分45秒

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「しばし花園に百合が咲く・12」


 その日は忍が午前中から訪ねてきて、茉莉の女御の筝の琴(そう の こと)の練習を見ていた。
 茉莉は実母の紫苑亡きあと、父親である利道が琴の練習を見てあげなかったので(茉莉が琴を弾いているのを見ると、死んだ妻のことを思い出して悲しくなるため)、あまり上手ではなかった。だから忍が二人目の母になったことで、忍が茉莉の琴の師匠になったのである。
 とは言え……やはりまだまだ拙い。茉莉が弾き間違えてしまうと、忍は畳を叩いて茉莉を止めさせた。
 「もう一度、初めからやり直しなさい」
 優しく言ってはいるが、茉莉は恐れすら覚えた。
 「はい、お母様」
 茉莉は初めから弾きなおしたが……また、同じところで弾き間違えてしまう。
 「茉莉、良く見ていて」
 忍は自分の前に置かれている筝の琴に指を置き、茉莉が間違えたところを弾き始めた。同じ曲を弾いているのに、音の響き方からして全く違う。忍のは「心に響いてくる」弾き方だが、茉莉のはそれに比べ「ただ鳴っている」だけだった。それだけ二人の技量に差があった。
 忍は引き終わると、茉莉を見詰めた。
 「分かりますね? 茉莉」
 「……はい、お母様」
 「では、もう一度」
 「はい……」
 茉莉が弾き始めようとした、その時だった。
 「おやめなさい」
 そう言いながら、御簾をあげてくぐってくる人物がいた――男装をした女帝だった。
 「これは!? 主上(おかみ)!」
 忍がすぐに平伏すると、女帝は言った。
 「畏まらずとも良い。先ぶれ(前もって知らせておくこと)もなく訪ねてきた私も不躾(ぶしつけ)なのだから。仕事の合間に来たのよ、どうしてもあなたに会いたくなって」
 と、最後の方は茉莉に言いながら、女帝は茉莉の隣に座った。
 「琴の練習をしていたの? 良かったら私にも弾かせてくれないかしら?」
 「はい、私の琴で良かったら……」
 茉莉が女帝の方に琴を差し出すと、女帝は流れるような指使いで琴を弾き始めた。忍とは力量の差こそあれ、それでも人を引き付ける何かを秘めた音を醸し出していた。
 弾き終わった女帝は、忍に微笑んで見せた。
 「名手と名高いあなたに聞かせるのも恥ずかしいけれど、どう?」
 女帝に聞かれて、忍は笑顔で答えた。
 「はい、とても美しい音でございました。感服いたしましてございまする」
 「ありがとう。ときに、私の琴に笛の音を合わせたらどうなるかしら?」
 「笛でございますか?」
 「ええ。一度合奏をしてみたかったのよ。でも、笛はどちらかと言うと殿方の嗜みでしょう? だから、男子禁制の世界にいた私には、笛と合奏する機会がないのよ」
 「ああ、それでしたら」
 忍は女房を呼び寄せた。
 「誰ぞ、女御様の笛を」
 その言葉に、茉莉の表情がパッと明るくなった。
 「あら、茉莉は笛が吹けるの?」
 「はい、はい! 私、笛は大好きですの!」
 茉莉が嬉しすぎて、その先の言葉が出なくなってしまったので、忍が補足した。
 「この子の父親は、恐れながら笛の名手と讃えられておりまして、それで、この子には琴ではなく笛を教え込んでしまったのです」
 「そう、それは好都合」
 そうして茉莉の手元に笛が届き、女帝との合奏が始まった。
 その音色はとても美しく、仕事をしている最中の者たちもつい手を止めて聞きほれてしまうぐらいだった。なににしろ、合奏している当人たちがとても楽しそうだったので、それが音色にも表れているのである。
 いつのまにか部屋の周りに、藤壺に仕える女房達はもちろん、他の局の者たちもこっそりと集まって、二人の合奏を聞きに来ていた。なので合奏が終わった時には、あたりから感嘆の吐息がこぼれたのである。
 「久しぶりに楽しく演奏ができたわ」
 女帝はそう言うと、琴を茉莉に返した。「もう仕事に戻らなくては。今宵また会いましょう、茉莉」
 「はい、主上」
 二人は忍がいる前だと言うのに、互いに引き寄せあうように口づけをした。
 そうして女帝が帰ってしまうと、忍も帰り支度を始めた。
 「琴の練習はまた今度にしましょうね、茉莉」
 「はい、お母様……あの、またいらしてくださいね」
 自分の拙さに、忍が嫌気をさしてやいないかと心配して言うと、忍は微笑みで答えた。
 「当り前じゃないの。私たちは親子よ」
 忍が女房の小鳩と一緒に藤壺を出ると、途中の渡り廊下で清涼殿の女房(女帝の元愛人)が待っていた。
 「主上が女御様のお母君とお話をなさりたいそうでございます」
 

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from: エリスさん

2010年09月10日 14時14分36秒

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「しばし花園に百合が咲く・11」
 それは数日前にさかのぼる。
 麗景殿の皇太后のもとに、左大臣・藤原房成と右大臣・源彰利が訪ねてきたことがあった。
 皇太后は二人と会うときはいつも、隔てとして下げるべきの御簾は下げずに、直に会うことにしていた。なにしろ彰利は実の弟であるし、房成も妹の婿殿である。
 二人はその日、皇太后に報告と相談を兼ねて訪ねてきたのだ。
 「茉莉姫を入内させるために、その祖父に当たる藤原宏澄(ふじわら の ひろずみ。忍の父)殿には内大臣に昇進していただいたのですが、それでも大納言の職も空位にしておくわけにもいかず、宏澄殿にはしばらく大納言も兼ねていただいておりました」
 房成が言うと、後を彰利が続けた。
 「しかしそれも長きにわたると宏澄殿の負担になってしまうと思いまして、この度、左大将の藤原行尚(ふじわら の ゆきひさ)殿を大納言に昇進させることになりました」
 「左大将を……」
 皇太后はちょっと厄介そうな表情を見せた。
 「そのことは、もちろん女帝にお話しになったのでしょう?」
 「もちろんです」と房成は言った。「そのことを決める会議の場には、当然女帝もおわしましたから」
 「それで姉上にお聞きしたいことがあるのです」
 と彰利は言った。
 「なんです?」
 「女帝と左大将の間には、なにか諍い(いさかい。喧嘩のこと)などございましたか? 左大将の名が出た時、明らかに女帝は嫌そうな顔をなさり、そしてわたしが“左大将を大納言にすることに何かご懸念でも?”と尋ねましたところ、“いや、妥当ではあると思うが……”と、お言葉を濁されまして」
 「さもありましょう」
 と、皇太后は苦笑いをした。
 「お二人とも、知らなかったのは無理もありませんが、ひかる……女帝の初恋の女人は、左大将に嫁いだのですよ。だから、女帝は左大将がお嫌いなのです」


 そこまで聞いて、忍は口を挟んだ。
 「女帝に初恋の女性、ですか?」
 「ああ、そうね……」と、薫は思い出した。「あなたはまだそのことを知らなかったのだわね。でもまさか、女帝の初恋が茉莉姫だとは思っていないでしょう?」
 「それはまあ、女帝も御歳二十六でございますから……」
 「そうでしょ? とりあえず私が知っているだけで茉莉姫の前に四人の女がいるわ。でもそのうちの三人は女帝が賀茂の斎院であられたときに、寂しさをお慰めするだけの存在だったようね」
 「はあ……でもその初恋の方とは、ちゃんとお心を通わせておられたと……」
 「そうよ。でも、相手の女性――小藤の君は、親の勧めで結婚することになったの。その結婚相手が左大将だったというわけ」
 「女帝にとっては、愛する人を奪い取った憎き男、ということですね。その方が大納言に任じられたら、これまで以上に会う機会が増えてしまって、女帝にとっては不快でしかありませんね」
 「そうなの。でも、他に適当な人もいないらしくて……女帝もそれは理解しているようだから、ともかく左大将を大納言にすることは決定したのね。それで、そのことを内々に本人に伝えるために彰利が屋敷に招いたらしいんだけど、その時、左大将がこう言ったんですって。“大納言ならば、我が娘を帝に差し上げることもできますな”って」
 「……えっと……その娘って……」
 女帝の初恋の君である小藤が生んだ娘なのか? それならば母親に似て、女帝好みの娘かもしれない……と忍が思っていると、薫は答えた。
 「小藤の娘ではないわ。左大将の前の奥方の子よ。小藤は後妻なの。でも小藤が養育したそうよ。なんでも左大将ったら彰利に、“我が娘は妻の仕込みですから、きっと女帝もお気に召していただけましょう”と言ったそうだから。お酒に酔っていたとはいえ、失礼な言い方よね」
 「ということは、左大将殿はご自分の奥方がかつて女帝の恋人であったことを知っておられるのですか?」
 「まあ、そういうことよね………ね? あなどれない恋敵が現れたでしょ?」
 「はい……ですが、女帝が左大将からの申し入れをお受けになるかどうかは……」
 どんなに大臣家が娘を入内させたくても、帝の方で拒否すればもちろん入内などできない。だが、大概は受理されてしまうものなのである。帝が拒否するということは、
 「以後、御身とは政治的につながりを持たない」
 という意思表示にもなるからだ(大昔からそういうことになっている)。だから、いらぬ波風を立てぬように、帝は大概の入内申込みは受け入れることになっている。
 とはいえ。
 「そうね、女帝は並の方とは違うから。気に入らなければ入内させないようにするかもね……まだどうなるか分らないから、とりあえず茉莉姫には内緒にしておいて」
 「はい、心得ました」
 同性で結婚することなどなかなか無いから、よもや恋敵など現われぬだろうと思っていた矢先のことだったので、忍は母親として不安をぬぐい去ることができなかった。

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from: エリスさん

2010年08月27日 11時45分34秒

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「しばし花園に百合が咲く・10」

 同じ日の午後のこと。
 茉莉の局である藤壺に、忍が訪ねてきていた。――入内した女御のもとに、そんなに頻繁に母親が訪ねてくるべきではないのだろうが、忍の場合は女帝や皇太后に琴の音を献上する名目もあるので、特別に許されていた。なにより、忍は茉莉が心配でならなかったのである。ただでさえ塗籠(ぬりごめ。おもに納戸として使用する、鍵のかかる部屋)に閉じこもるような生活をしていたのだから。
 だがその心配は無用だったようで、茉莉は明るい部屋でのんびりと過ごしていた。強いて言えば寝不足だったらしく、あくびを噛み殺しもしないで遠慮なくしていたことだろうか。
 「あらまあ、せめて扇で隠したらどうなの?」
 「あっ、お母様。ごめんなさい、いらっしゃると思わなかったものですから」
 茉莉の照れ笑いがあまりにも可愛いので、忍も笑い返した。
 「そんなに眠たいのなら、眠っていてもいいのよ。今宵も主上のお相手をしなければならないのだから、寝ぼけていては役目が果たせないわ」
 「はい……でも、この物語も読みたかったものですから」
 「何を読んでいたの?」
 忍は茉莉の前に座ると、その物語(巻物)を覗き込んだ――「源氏の物語(今でいう「源氏物語」)」の若紫の巻だった。
 「あらこれ、最近も読んでいなかった?」
 「また読み返したくなったんです。なんだか、私と光様のように思えて……」
 「ひかるさま?……源氏の君のこと?」
 「いえ、あの……主上のことを、そうお呼びしてもいいとお許しをいただいたので……」
 「まあ、そうなの」
 親しげな呼び名を許されたことと、また夜通し眠らせてもらえなかったことも考えると、茉莉はよほど愛されているのだと、忍は安心することができた。
 とりあえず、茉莉にあまり無理をさせたくないので、忍は女房たちに申しつけて昼寝の準備をさせた。
 薫の君が訪ねてきたのは、忍が茉莉を寝かしつけた後のことだった。
 「良かったわ。まだ女御様のお耳には入れたくないことだったから」
 薫の言葉に、忍は一気に心配になった。
 茉莉の寝室からは離れたところにある一室に薫を通した忍は、さっそく話を聞くことにした。
 「実はね、女御様に競争者が現れるかもしれないの」
 「……つまり、他にも女御として入内される姫君が現れたと?」
 「ええ……もしかしたら更衣になるかもしれないけど、でも、向こうは女帝の寝所に侍る覚悟はおありのようだから」

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from: エリスさん

2010年08月20日 12時53分17秒

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「しばし花園に百合が咲く・9」


 「まあ、そんな感じで……」と、雷鳴の壺(かみなり の つぼ。薫が尚侍として内裏に上がった時の宿舎)の女房・茜は、少々照れくさそうに話を終わらせた。
 ここは麗景殿。茜の話を聞いていたのは麗景殿の皇太后と、その妹の薫の尚侍だった。茜は二人に、昨夜の女帝と茉莉姫の様子を報告にきたのである。
 「先ずは上々……というところかしら。一の宮(女帝のこと)は本当に茉莉姫を気に入ったようね」
 麗景殿が言うと、薫も言った。
 「茉莉姫は本当に愛らしい方で、心根も素直ですから、あの方を嫌いになれる人はいませんわ、お姉様」
 「そうね、私もあの姫君は大好きですよ。こうして私の義理の娘になってくれたことは、本当に嬉しいわ。これからもずっと一の宮と姫君が仲睦まじくいられるようにと、願うばかりよ。そのためには……二人の障害になるものは取り除いておかなければね」
 「……それが、私をここに呼ばれた本当の理由でございますか?」
 茜がそう言うと、皇太后は満足げに微笑んだ。
 「あなたの恋人の牡丹は、一の宮が賀茂の斎院だった頃のお手付きだと言うことは知っていますよ」
 「恐れ入ります。ですが、心配には及びません。実は私と牡丹とは、女帝が賀茂に参られる前からの仲。人目を忍んでの付き合いであったこともあり、当時まだ一の宮様であった女帝に仕えていた牡丹も一緒に賀茂に行くことになって、私たちは泣く泣く別れていたのです。その間、牡丹は女帝の夜伽を命ぜられるようになりましたが、それもお役目と心得てのこと。心はずっと私と結ばれておりました。ですから、夜伽のお役目を解かれて安堵こそすれ、女御様の恋敵になろうなどとはゆめゆめ思うておりませぬ」
 「まあ、そうだったの……」と、薫は言った。「それは、牡丹にはつらい思いをさせていたわね」
 「そんなことはございません。牡丹にしてみれば、その役目を任されることで、私と会えない寂しさを紛らわせていたようですし……かくいう私も、その間は一夜限りの恋の遊びで紛らわせていた次第。こんな世の中ですから、そこら辺は割り切っております」
 「そういうものなの?……私には分らないわ」
 薫は初恋の相手と結婚しているので、この時代らしい恋の遊びというものを経験したことがないのである。
 「では、他の女人たちはどうなのでしょう……茜なら、一の宮のお手付きになった他の女人たちの話も聞いてはおりませんか?」
 と麗景殿が聞くと、茜は答えた。
 「鈴音の君と、桂の君のことでございますね。この二人とも、やはり役目は役目と割り切っていた節がございます。鈴音の君の方は先日結婚したそうです。桂の君の方は、最近文通を始めた殿方がいるとか……二人とも恋愛対象は男性のようですから、どちらも恋敵にはなりえません。むしろ、もうあの二人はそっとしておいてあげた方がよろしいかと」
 「そうね、蒸し返してはいけないわね」と薫は言った。「そんなことをされては、今の幸せの邪魔になるものね。なのに……どうして、女帝は自分から昔の恋人の話などしたのかしら?」
 「気になったのではございませんか? 茉莉姫の昔の恋人のことが。恋というのはおかしなもので、今が幸せならいいのに、なぜか相手の過去が気になってしまうことがあるのです」
 「う……ん、そうね。それはあるかも」
 薫にも、房成の側室の紅の侍従のことが気になったことがあったから、これは理解できるのである。
 そこで麗景殿が言った。
 「たぶん一の宮は思い出しただけよ」
 「思い出した?」
 「ええ。最近、あの子の初恋の相手の小藤に関することが、話題に上ったものだから」

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from: エリスさん

2010年08月06日 13時42分32秒

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「しばし花園に百合が咲く・8」
 二人はお酒をちょこちょこと飲みながら、子供のころの話などをした。
 それで少し緊張がほぐれたことを見定めた女帝は、思い切って茉莉に聞いた。
 「姫は、初体験は私とでしょうけど……初恋は?」
 茉莉は一瞬で頬が火照るのを感じた。
 茉莉が言葉に困っていると、女帝は溜息まじりの笑顔を見せた。
 「私はね、初恋の相手が初体験の相手でもあるの」
 「そう……だったのですか?」
 「ええ。私が十四歳の時よ。それまでは、彼女に対する気持ちが恋だなんて気がつかなかったの。でも、相手が父親の勧めで結婚すると聞いて……」
 それを聞いて茉莉はハッとした……それに気付いた女帝は、
 「どうかした?」
 「いえ、あの……私もまったく同じだったので」
 「まあ、そうだったの」
 「はい……七重が結婚すると聞いて、それがどうしても嫌で、彼女に泣いてすがりついたのですが……私の思いを受け入れてはくれませんでした」
 「そう……無理もないわ。世間一般は女同士の恋なんて、受け入れてはくれないものよ」
 「はい……」
 「でも、私の場合は受け入れてもらえたの……というか、私も彼女に恋していると気づいたのは、彼女に抱かれている最中だったわ」
 「まあ!?」と、茉莉が驚くと、女帝は面白そうに笑った。
 「小藤と言って、私の乳母の姪にあたる娘で、私より五歳年上だった。つまり当時十九歳……世間一般では行き遅れと言われてもおかしくない年齢だった。それで、彼女の父親が縁談を持ってきて、無理矢理まとめてしまったのね。それで小藤は、私のもとを去る前夜に、私の褥に忍んできた……。それで泣きながら告白してきたの、ずっと私が好きだったって。だから、最後の思い出をくださいって。知らない男に汚される前に。だからね……いいよって、言ってあげたの」
 女帝はそう言うと、茉莉の手から盃を取り上げて、膳に置いた。
 「そうしたら、私に口づけしてきて……」
 女帝は茉莉の唇に口づけをすると、そのまま押し倒した。
 「そして、一枚ずつ、私の衣を肌蹴(はだけ)させた」
 女帝は言いながら、茉莉の夜着の前を開いた――白い、まだ未成熟な裸体が現れる。
 「それから、首筋から指を這わせて……」
 女帝の指が茉莉の首筋から、鎖骨、胸へと滑って行くと、茉莉が思わず甘い声をあげた。
 茉莉が恥ずかしそうに顔を赤らめると、
 「もう大丈夫よ、みんな寝てるわ」
 「……はい、主上(おかみ)」
 「……光(ひかる)と呼んで」
 「光さま……ですか?」
 「私の本名は光子(てるこ)というの。だからその最初の一文字を取って、光……父と母はそう呼んでくれるのよ」
 「院と皇太后さま……お二人だけですか?」
 「そうよ。妹(女二の宮)と弟(亡き帝)は“姉上”と呼んでいたから、この二人だけが呼んでいたわ」
 「そのような大事な呼び名を、私めが……」
 「いいのよ。あなたは私の妻になるのですもの」
 女帝――光は茉莉を横たわらせたまま、彼女の体のあらゆるところに指を滑らせた。そのうちに茉莉の息遣いが激しくなってきて、しまいに茉莉の口から言葉がついて出た。
 「……もっと!」
 「ん?」と光が聞き返す。
 「もっと……激しくしても……」
 茉莉が恥ずかしがっているのが可愛くて、光は彼女の頬と唇に続けて口づけた。
 「あの時の私も、これぐらいでそう言ったの。“女房達が男君ともっと激しいことをしているのを知っているわ。だから、私にもして”って。そしたら……」
 光は茉莉の体を起して、夜着を全部脱がせ、自分も裸になった。
 「あとは……体で話すわね」
 その夜の二人の甘美の声は、明け方近くまで続いた――と、のちに清涼殿の女房達は話すのだった。

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from: エリスさん

2010年07月30日 11時43分56秒

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「しばし花園に百合が咲く・7」

 清涼殿に上がるのは初めてのことではない。
 女帝に身をゆだねるのも……それでも、茉莉は緊張していた。
 初めて女帝に身をゆだねた時から、もう四ヶ月は経っている。あの時は昼間だったので、当然室内は明るかった。だが今はもう夜も更けて、明かりは小さな火のついた灯台だけ。その中に一人で座らされているのである。緊張というより、恐怖感かもしれない。
 胸をどきどきさせながら待っていると、ようやく女帝が奥の間から現れた。その姿がいつもと違ってみえたので、茉莉はドキッとした。――その原因はすぐに分かった。髪を結いあげているのである。
 「髪が長いままだと、政務が遣り辛いこともあって、少し短くして、殿方のように結い上げてみたのよ。どう? 似合うかしら」
 「はい、とても素敵です。……ちょっと、驚きましたが」
 「まるで男に見えたから?」
 「いえ! 男に見えたわけではなく、すぐに主上(おかみ)と分かったのですが……でも、一瞬別人かとも思いました」
 「正直ね」
 女帝は茉莉の両肩を掴むと、顔を近づけてきて、そのまま口づけをした。
 その流れで茉莉を押し倒したが……彼女の胸が高鳴っていることに気付いて、唇を離した。
 「怖いの?」
 「いいえ……ちょっと、緊張を……あの……今日も、いるはずですから」
 「いるって?」
 「……護衛の方たちが」
 「ああ……それで」
 いちいち気にしてはいられないのだと、母の忍や、乳母代わりの右近の君にも諭されてきたのだが、まだ若すぎる茉莉には、閨での一部始終を聞かれてしまうことが恥ずかしくてならないのだった。
 「じゃあ……」と、女帝は茉莉を抱き起した。「少しおしゃべりでもしましょうか。そのうちに、護衛の者たちは居眠りを始めるでしょうから、お楽しみはそれからにしましょう」
 「はい、主上」
 「うん……とりあえず、この髪型にして良かったわ。前のときは、私たちの髪が絡み合ってしまったでしょ? これなら、その心配はなさそうよ」
 女帝が冗談めいて言ったので、茉莉はようやく笑顔を見せた。

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from: エリスさん

2010年07月16日 14時18分17秒

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「しばし花園に百合が咲く・6」

 男どもの心配をよそに、入内の式は滞りなく済んだ。
 藤壺に局をいただいた茉莉は、以後「藤壺の女御」というのが正式名称になるが、まだまだ身内の間では「茉莉姫」と呼ばれ続けることだろう。
 今日初めて会ったこの女性も、できれば茉莉のことは「藤壺様」とは呼びたくないようだった。
 「初めてお目もじ仕(つかまつ)ります。藤原道成(ふじわら の みちなり)の娘、那美子と申します。梅壺の更衣とお呼び下さいませ」
 梅壺の更衣と名乗ったその女性は、すぐ後ろに琵琶を携えた女性を控えさせていた。
 「初めまして、梅壺の更衣殿。藤原利道が娘、利子(とおるこ)でございます。私のことは茉莉とお呼び下さい」
 「茉莉の女御様……で、よろしゅうございますか?」
 「ぶしつけながら、あなたが先代の藤壺の女御様とお親しかったことは聞いております。亡くなられたお友達と同じ呼び名では、やはりお辛いでしょうから」
 「お心遣い痛み入ります。では、遠慮なく茉莉様と呼ばせていただきまする」
 そこで忍が口を挟んだ。
 「茉莉の母の、忍でございます。娘はまだ世間を知らぬゆえ、あなた様にお頼りすることも多々あるとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
 「こちらこそ、大宰府育ちであまり友人がおりませぬので、女御様と早くお知り合いになりたかったのです。どうぞこれを機に仲ようして下さりませ………それでは、私の伴侶を紹介させていただきます」
 「伴侶?」
 と、茉莉と忍は同時に聞いた。
 「はい。我が伴侶、琴音(ことね)でございます」
 その言葉に、梅壺の更衣の後ろに控えていた女性が顔をあげた。
 「琴音は私が、父とともに大宰府に居たころに知り合った琵琶師でございます。琵琶では誰にも負けぬ名手でございますのよ」
 「あの……」と、忍は言葉を濁しながらも聞いた。「伴侶というのは、つまり……」
 「はい、私たちは女同士で夫婦になったのです。そのことは先代の帝も、もちろん藤壺さまもご存知でいらっしゃいました」
 聞いたところによると、梅壺の更衣は先帝のもとに入内しても、一度も先帝の御寝所には上がらなかったらしい。先帝に気に入られていなかったのかと思われていたが、この事実ですべて合点がいった。
 「だからこそ、藤壺さまとは恋敵にならずに済んだのです。あの方にも初めてお会いした日に、このことを打ち明けましたから……彼女になら、私が普通と違うことを告白しても、軽蔑したりしないと感じたものです」
 「そうだったのですか」と、茉莉は言った。
 「でも茉莉様に打ち明けたのは別の意味があります――私にはもう、こうして伴侶がおりますから、今上帝がもし仮に私に寝所に侍れとご命令されても、絶対にお断りしますから安心して下さりませ」
 「あっ……」
 茉莉にとってはまったく思いもよらぬことだった。
 『そうか……内裏というところは、帝の夜のお相手を務める女人が何人も上がってくるところなんだった』
 たまたま帝が女性だから、そのなり手が見つからないだけで、仕来たり自体が変わったわけではない。この先も、女御や更衣に立候補する女人が現れれば、それが茉莉の恋敵になるのである。
 

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from: エリスさん

2010年07月09日 13時59分09秒

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「しばし花園に百合が咲く・5」
 紫苑が利道に憑依しなくなってから三カ月後、忍に懐妊の兆しが見え始めた。薬師(くすし。医者のこと)に見せたところ、間違いなく妊娠3ヵ月だという。
 内大臣家の人々はもちろん、薫の君や左大臣、右大臣も喜んで、忍の周りには祝いの品々が届けられるようになった。あまりにもいっぱい届くので、忍はその中から吟味をして、女御に上がる茉莉の仕度にと回すことにしたのだった。
 「女御様になら、お道具類は有り余るぐらい持たせたところで、損にはならないでしょ? 役に立ってくれた女房たちに下賜することもあるのだし」
 忍がそう言いながら吟味しているのを、そばで見ていた利通は楽しそうにうなずいた。
 「あなたがそうしてあげたいのなら、そうするといい。茉莉は喜んで受け取るだろうさ……いやあ、それにしても。紫苑の思惑がこういうことだったとはね」
 その言葉に忍も手を止めて、夫を振り返った。
 「やっぱり、あなたもそう思う?」
 「思うさ――お腹の子は、間違いなく紫苑の生まれ変わりだよ。その証拠に、あれ以来さっぱり出てこないだろう?」
 ある夜、いつものように紫苑が利通に憑依して、忍を求めてきた……いつもと違っていたのは、それがあまりにも濃厚で激しかったことだ。本当に紫苑なのかと疑ったぐらいである。だが、利道の口を借りて話しかけてくる声は、間違いなく紫苑の声で……。
 《あなたの中に入りたい……》
 そう言った途端、利道は果てて力尽き、忍は全身の素肌から何かがジワリと入り込んでくるのを感じて、恍惚の淵に落ちた。
 ――それ以来、紫苑が現れないのである。
 「お姉さまは、私の子供として生まれ変わるために、あなたに憑依していたのね」
 「でもそれも、なかなか上手くいかないから、最後にはかなり乱暴な手段に出たと……」
 「あら、乱暴とは思わなかったわ。ちょっと濃厚だっただけで。それに、世間一般の夫婦はたぶんあれぐらいが普通なのよ。私たちがあっさりすぎるだけなのかもしれないわ」
 「そ、そう?」
 と、利道は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
 「そ、それより……姫の入内式のことだけどね」
 利通が話を切り替えたがっていたので、忍は素直に応じた。
 「どうかしましたか?」
 「姫が入内する時には、あなたは妊娠5ヵ月になっているわけだけど、どうする? 内裏までの付き添いは辞退する?」
 「あら、なにをおっしゃるの」
 忍は吟味していた道具類を置いて、体ごと夫の方に振り返った。
 「娘の晴れの舞台に同行しない母親がおりまして?」
 「そうだけど、あなたも体を厭わなければならない立場になったのだから」
 「冗談ではございません。どんなにお腹が大きくなっていようと、姫の入内には同行させていただきます。幸い、母親である私は徒歩(かち)ではなく乗物に乗ることができますから」
 忍のこの意思はしばらくして女帝の耳にも届いた。そして女帝は、今まで誰がなんと言っても「入内を早める気はない」と言っていたものを、なんと忍のために予定を一ヵ月早めてしまったのだった。
 こうして、茉莉の入内は来月と決定したのである。

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from: エリスさん

2010年06月25日 14時26分51秒

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「しばし花園に百合が咲く・4」
 「何はともあれ」と、忍は夫にすがりつきながら言った。「良かったじゃないの、教える手間が省けて」
 「複雑な心境だよ……わたしに紫苑が憑依していた時だったんだろ?」
 「そう、だからあなたが父親に――男に見えなかった。そもそも、あなたって髪をほどくと女人のように綺麗だから」
 「ああ、複雑だ……」
 忍と菅原の少将・利道は、もとは同じ女性を愛した者同士だった。それが忍の異母姉であり、利道の妻である紫苑(しおん)の君である。そして紫苑が一番に愛したのは、忍だった。
 だが紫苑と忍は同じ父を持つ姉妹であるため、紫苑は自分の気持ちを隠したまま利道と結婚し、数年後に他界したのである。その紫苑が、忍が利道の後添いに入った直後から、利道に憑依して、忍との情事を重ねるようになったのである。
 「初めは、私が紫苑姉さま恋しさの余り、夢を見てるのだと思っていたのだけど……」
 忍はそう言うと、夫に口づけをしながら、結いあげていた夫の髪を解こうとした。すると、その手を利道が止めた。
 「紫苑に憑依されるのは悪い気はしないけど、今宵はわたし自身があなたを愛したいから」
 髪をほどき、女性のような見た目になったときに紫苑が憑依してくることに気付いていた利道は、ほどくことなく妻を押し倒した。
 今では利道も紫苑も同じくらい愛している忍としては、どちらが自分を抱いても構わなかった……。
 夢見るような目合いの後、忍は利通に抱き寄せられながら、聞いた。
 「茉莉を女御として差し上げることに、周りの批判とかはないの?」
 「ちょっとはあるけど……左大臣様と右大臣様が、一笑のもとに握りつぶしてるよ」
 「一笑のもと、なんだ……だったら大丈夫ね」
 「とにかく今の女帝は中継ぎだからね。東宮が成人するまでの間と決まっているから、権力を欲している人物がいたとしても、この治世よりも、次の治世を狙うだろうね。それに、内親王が天皇になられた場合は独身を通し、御子も産まないのが慣例。普通なら天皇に自分の娘を差し上げて、その娘に次の天皇を産ませて、外戚として権力を手に入れるところだけど、女帝相手ではそれができない。せめて男と密通させて、女帝が生んだ子を抱え込もうと考えたところで、茉莉が女御として召されたことで、女帝が男に興味がないことが証明されてしまった」
 「つまり、女帝相手に政略結婚は不可能ってことよね」
 「そう。だから、狙うなら東宮なのさ。東宮の花嫁候補なら、今から産んでも遅くはないからね。今や宮中は、見目好い姫を生んでくれる女人を求めて、公達たちが慌てふためいているよ」
 「おかしな話ね。そうなると、茉莉の恋敵になりそうな姫は、今のところ現れそうにないわね」
 「当然、姫の独り勝ちさ。ただそうなると、内裏の華やかさが失われてしまうから、先帝に仕えていた女官に声をかけて、戻ってきてもらえないか、大臣たちが頼んでいるそうだよ。女帝の愛人としてではなく、純粋に女官としてね。早速、梅壷の更衣さまがお戻り下されるそうだ」
 「ああ、それは尚侍の君から聞いたわ。尚侍の君も、先々帝のころからお仕えしているから、そろそろ引退したいっておっしゃっていたけど、迷っておられたわ」
 「ああ、迷ってるんだ……わたしは左大臣様から、娘を妻の代わりに尚侍にしようと思ってるって聞かされたんだが」
 「ええ!?」
 忍は思わず起き上がっていた。「尚侍の君の姫君と言ったら、茉莉と同い年の? とても美しいと評判の……」
 「大臣は“女官として”仕えさせるつもりなんだから、茉莉の障害にはならないよ。安心おし」
 利道はそう言うと、妻を再び抱き寄せた。
 「大丈夫だよ。たとえ途中から恋敵が現れても、女帝が茉莉を飽きることはないよ。さっき聞いた話から察するに、本当に茉莉を大事に思ってくれているようだから」
 「そうよね……きっとそうだわ」
 茉莉には悲しい思いをさせてしまったから、これからの人生は絶対に幸せになってほしい――忍はそう思っていた。

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from: エリスさん

2010年06月18日 14時12分37秒

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「しばし花園に百合が咲く・3」
 
 内裏からの帰り道、茉莉姫は牛車の中でぼうっとしていた。
 心ここにあらず、とはこのことね……と思った母親(実際は実母の妹、つまり叔母だが)の忍の君は、しばらくはそっとしておいたのだが、車が揺れて茉莉が倒れそうになったので、咄嗟に受け止めたのだった。
 「もう、気をつけなさい、姫」
 「ごめんなさい、お母様……私ったら……」
 「まあね、無理もないけど。女帝に初めて愛していただけたのでしょ?」
 「はい……」と、茉莉はまた夢見るような表情になった。
 「とっても素敵だったみたいね。私としては一安心だけど、でも、あなたらしくない振る舞いをしたと聞いて驚いてもいるのよ」
 「え? ………えっと、お母様? ……もしかして……」
 「聞いていますよ。あなたから女帝(おかみ)に口づけをしたって」
 それを聞いた途端、茉莉は頬を真っ赤に染めた。
 「やっぱり気づいていなかったのね。良いですか、女帝はこの国にとって大事な御方。だから常に護衛が付くのです。それは、御寝所でも同じこと」
 茉莉は聞けば聞くほど恥ずかしくなって、ついには袖で顔を隠してしまった。
 「恥ずかしがってなどいられないのですよ。女御になられる方は、それも覚悟しなければならないのです。護衛の者が隣室で侍っているからと、帝のご寵愛を拒絶するなどあってはなりません」
 「それは……そうですが……」
 「それにね、大人になれば、多かれ少なかれそういう経験はするものなんですよ。屋敷の女房たちをごらんなさい。同室で、几帳でしか区切りのないところに、それぞれの男君(夫か恋人)が通ってくるのですよ。隣に寝ている人がいるからと男君を拒絶していたら、愛を育むことはできないのですからね」
 「はあ……」
 「私だって初めは恥ずかしかったけど、そのうちどうでもよくなってしまったわ。今では、誰かが覗いてるのなんてお構いなしになってしまったわね」
 忍がそう言うと、茉莉は少しだけ顔を覗かせた。
 「おかしいかしら? でも本当よ。私と少将(前作の少納言・菅原利道のこと。あの後昇進した)が営んでいるのを、若い女房達がのぞき見しているのを知っているけど、今ではもう恥ずかしがるどころか、見せつけてやっているわ」
 「あ、あの……」
 茉莉は顔を隠すのをやめて、忍に面と向かった。
 「覗き見しているのは、女房ではなく、童女(めのわらわ)たちです」
 「あら、そうなの?」
 「それで、その……私も見てしまいました」
 「え?」
 これはいくらなんでも、忍も引いてしまった。
 「見ちゃったの? 私と、お父様のを?」
 「はい……」
 「それで、大丈夫だったの?」
 「はい?」
 「だから、気持ち悪くとかはならなかったの?」
 「いいえ、ちっとも」
 「あら、そう?」
 茉莉は一時期、父親を嫌悪していた。それは、利道が愛する妻・紫苑を失った苦しみから、容姿が似通う娘の茉莉を、紫苑の身代わりにしようとしたからである。今は忍が後妻に入ったことで利道の精神も落ち着き、茉莉にそんな邪道な思いを抱かなくなったのだが。
 『それでも、その父親が、自分とそっくりの私を抱いている姿なんて見たら、おぞましくなりそうなものなんだけど……』
 忍の心配をよそに、茉莉はその時のことを語りだした。
 「童女たちがお母様たちのお部屋を覗いているのを見つけて、咎めようとしたのですが、逆に誘われてしまったのです。とても綺麗だから、一緒に見ましょうって。そしたら、本当に素敵で……お母様がとってもお綺麗に見えたんです。お身体も、お声も……」
 かなりうっとりとしながら語る娘に、母親として忍は聞いてみた。
 「本当に気持ち悪くはなかったの? 相手はあなたに悪さをしようとしたお父様なのよ?」
 「ああ! 全然気になりませんでした。なぜか、お母様が女性に抱かれているように見えたんです。お父様だってことすら、後になって気付いたぐらいで。だってお母様はその時、“お姉様”って相手のことを呼んでらしたから……」
 「ああ……そういう時だったのね」
 「そういう時って?」
 「ううん、いいのよ。私と少将との問題だから……でも、結果的にそれで、あなたは恐怖感を持つことなく“寝間での作法”を覚えることができたのね」
 「はい……というか……おかげで、女帝が恋しくてならなくなりました」
 「ああ、そういうことだったの」
 だから自分から女帝に迫ったのか……と、忍が納得したころ、ちょうど牛車が屋敷に着いたのだった。


 その夜。
 自分が仕事でいない間にどんなことが起こっていたのか聞かされた少将こと利道は、あまりのことに落ち込んでいた。
 「姫にとうとう女帝の手が…………いや、喜ばしいことなんだが……しかも、わたし達の営みをのぞき見……」
 「ああ、もう! これだから男親は!」
 忍はパーンと勢いよく夫の背中を叩いた。

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from: エリスさん

2010年06月11日 14時18分58秒

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「しばし花園に百合が咲く・2」
 「あの……私になにか到らぬ点でもございますでしょうか?」
 茉莉の言葉に、賀茂の女帝はビクッとした。
 「え!? ど、どうして?」
 「それは……あまり、私に触ってくださらないので。距離を取られているような……」
 図星を突かれた女帝は、軽いため息をついた。
 二人は渡殿(渡り廊下)から庭の紫陽花を眺めていたのだが、その二人の間には、こぶし一個分の「空き」があったのである。
 「聡いわね……そうよ。少し距離を取るようにしているわ」
 「なぜです? 私をお厭いですか?」
 「そんなこと!……あるわけないじゃないの」
 女帝は頬を赤らめながらそう答えた。そして、観念することにした。
 「そうじゃなくて……私があなたに嫌われたくなかったのよ」
 「私が主上(おかみ)を嫌うなど!」
 「本当にない? 私たちは女同士。普通に考えて、女同士で恋をするなど“おかしい”ことなのよ。それなのに、私はあなたを好きになってしまった。だからあなたを女御に迎えたい! その要求を、あなたは飲んでくれたけど……それは、私が帝だからではないのかと……」
 「……私の気持ちを、お疑いだったのですか?」
 「親や、周りの人から説得されて、私のものになる覚悟を決めたのかもしれないから……ありえるでしょ? そういうこと」
 「主上……」
 茉莉は衝動的に女帝に抱きつき、そのまま彼女に口づけをした。女帝は驚いていたが、それでも茉莉の柔らかな唇が心地よく、自分からも茉莉を抱きしめたい欲望にかられ、抑えられなくなった。
 二人はしばらく絡み合ったまま、立っていられなくなって、その場に膝をついた。
 ようやく唇が離れると、茉莉は言った。
 「それならそうと、もっと早く言ってくだされば良かったのに!」
 「姫?」
 「私の方こそ、主上に嫌われているのではないかと、ずっと気にしておりました! だから、もっとお傍にいたいのに、そんな我が儘も言えず、我慢しておりましたものを」
 「それじゃ、姫は本当に私と夫婦になってもいいと? 夫婦ということは……私たちの両親のように、営むこともあるのですよ?」
 「私はそれをこそ望んでおります!」
 茉莉はそう言うと、恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めた。
 「いやらしい子だと思わないで。私……主上に、早く大人の女にしてもらいたくて……このごろ、そんなことばかり考えてしまうんです」
 目も合わせられないぐらい恥ずかしがっている茉莉を見て、女帝は可愛いと思った。
 女帝は茉莉の唇に軽く口づけをすると、左肩の着物を少しずらして、首筋にも口づけをした。
 「主上……こんなところで……」
 「誰も来ないわ、大丈夫よ」
 茉莉の、十二単の五つ衣の下に手を滑り込ませた女帝は、そのまま単衣(ひとえ。下着)の上から茉莉の胸に触れてきた。
 女帝の耳のそばにある茉莉の唇から、甘い吐息がこぼれる――その吐息が、演技でもなく、嫌がってもいないことを確信した女帝は、ゆっくりと相手を横たわらせた。
 「……お……か……み……」
 女帝の愛撫で茉莉が恍惚としている。それをとても愛しく感じた女帝は、ゆっくりと袴の割れ目へと手を滑らせた。
 「あっ!」
 一番感じやすいところを触られて、茉莉はつい大声をあげてしまい、途端に恥ずかしさで顔を隠してしまう。女帝はそれを見て、秘部から手を放してやり、茉莉の顔を隠していた袖をどけさせた。
 「もういいわ。あなたも私を望んでくれていることが分かったから……恥ずかしい思いをさせてしまって、ごめんなさいね」
 女帝の言葉に、茉莉は必死に首を左右に振った。そして、
 「あの……まだ体がうずいて……」
 すると女帝はにっこりとうなずいて、姫を抱えあげた。
 「まだ清涼殿には来たことがなかったわね。連れて行ってあげる」


 「一つ困っていることがございます」
 忍の君は碁を打ちながら言った。
 「あら、どんな?」
 対戦相手の薫の君は興味津々で聞いてきた。
 「姫の“夜の教育”のことです」
 「母親としての務めね。姫に嫁入り前に“男女の営みとはどういうものか”ということを教えてあげなくてはならない。とても大切なことね」
 「はい」
 「それでお困りとは? 説明に使う春画が手に入らないのなら、私の秘蔵のものをお貸ししましょうか? 私も最近、うちの娘に使ったのよ」
 「いえ、春画は我が家にもあるのですが……娘にはとても見せられません」
 「どうして? 確かにあまりいいものではないけど……」
 「そうではなく……娘は男性との交わりに嫌悪感を抱いているので、そんなものをお手本にしては、ますます恐怖感を抱いてしまいます」
 「……ああ、なるほどね」
 薫の君も幼少のころに、「夜の営みでの作法」を母親から教えてもらい、恐怖を覚えてしまった経験がある。その恐怖感から脱するまでは、結婚の約束をしていた桜の君(今の左大臣・藤原房成)とも距離を置いていた。
 「なので、どこぞに女同士の春画を描いてくれる絵師はいないものでしょうか?」
 「実践で見せてあげたら? そういう教え方もあるでしょ?」
 「誰と誰がですか? うちの女房たちに女同士で交際している者などおりませんよ」
 「うちにいるわよ。今晩でもそちらに行かせましょうか?」
 「本当ですか? そうしていただければ……」
 その時、外出をしていた女房が帰ってきて、薫の君に声をかけてきた。
 「檀那様、申し上げたきことが……」
 すると薫の君は、忍の君に片目をつぶって見せた。
 「噂をすれば、その当人よ。ついでだから聞いてみるわ」
 薫はその女房の方へ行き、彼女の話を聞き始め……それだけで、帰ってきた。
 「忍の君、どうやら必要ないみたいよ」
 「は?」
 「さっきの女房――茜と言うんだけど、清涼殿の女房と交際しているのね。その清涼殿の女房から聞いてきたそうなんだけど……今、主上と茉莉姫は清涼殿にいるんですって」
 「え?……清涼殿というのは、帝のご寝所ですよね?」
 「そこで、茉莉姫は主上から直接“お手ほどき”を受けているそうよ」
 忍はしばらくその意味が理解できなかったが、ようやく気付いて、「まあ!」と感嘆の声をあげた。
 「入内前に姫に手をつけるなんて、良くないんだけど……まあ、女同士なら子供もできないし、穏便に済ませられるでしょうね」
 「お願いいたします、尚侍の君」
 それでも……茉莉の入内は予定通りの日時で行われることになったのだった。


 

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