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from: エリスさん
2010年11月26日 14時20分57秒
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夢のまたユメ・1
いつだって気づくのが遅い。
素敵な人だな、気が合う人だな――そう思ってても、すぐには恋愛に結びつかない。だから一目惚れなんかありはしない。
一緒に過ごして、人となりを十分理解してから、その人に恋をしていると気づくから、だいだいこうゆうパターンが待っている。
「俺、好きな子ができたんで、告白しようと思うんですけど、どうしたらいいでしょう……」
告白する前に振られる……。
それでも、面倒見の良いお姉さんを気取って、こんなことを答えたりする。
「大丈夫よ。あんたなら絶対にうまくいくわ。私が保証してあげる」
そうして、助言通り相手はめでたく好きな子と両想いになってしまうのだ。
「というわけで、また失恋しました、私」
宝生百合香(ほうしょう ゆりか)はパソコンに向かって、そう打ち込んだ。すると、パソコンの画面が一段上がって、新しいメッセージが表示された。
〔またって言っても、男性に失恋したのは今の職場に入って二度目でしょ? あとはほとんど女の子に対して淡ァい恋心抱いただけじゃない〕
「いやまあ、そうなんだけど」と百合香は呟いてから、またパソコンに打ち込んだ。「でも、女の子に振られるより、男に振られた方がダメージ強いのよ」
百合香はチャットをやっていたのだ。話し相手は百合香が参加しているコミュニティーサイトで知り合ったネット仲間である。
〔前の女の子の時にも思ったんだけど、どうして思い切って告白しないの? 告白もしないで、相手に彼氏ができた、振られた!って愚痴るぐらいなら、当たって砕けちゃえば、いっそスッキリするよ、ユリアスさん〕
ユリアスというのが百合香のコミュニティーサイトでのハンドルネームである。
「そんな難しいよ。大概の女の子はノーマルなのよ。告白したところで、アラフォーの女が受け入れられる確率は低すぎよ。それだったら、頼りにされるお姉さんとして仲良く接してくれた方のが幸せだわ……相手が女の子の場合はね」
〔で、今回は男の子だったわけだ。それなのに告白しなかったのは、また自分の年齢のこと気にしちゃった?〕
「それもあるけど、相手のことを好きだって気づいたのが本当につい最近だったから、告白する間もなく、向こうから恋愛相談を受けちゃったのよね」
〔間が悪かったわけだ。でも、ユリアスさんの文章からは、そんなに落ち込んでるようには感じられないんだけど(^。^)y-.。o○
もしかして、勝てそうな相手なの?〕
「どうだろ。確かに、世間一般的に見れば“チャラい”見た目で、良いイメージは持たれないタイプなんだけど……。でも、私よりずっと若いし、美人だし」
それから少し間があって、返事がきた。
〔ユリアスさん、見た目の魅力なんてどうにでも誤魔化せるんだよ。結局、人間は中身で勝負なんだからね〕
「ありがとう、ルーシーさん」
それだけ打って、少し考え事をしていたら、向こうから書き込みがあった。
〔それより、来週からの連載って、もう内容決まった?〕
百合香が言葉に詰まったので、話題を変えてくれたようだった。
「うん。二年前に見た初夢をベースにして作ろうと思うんだけど」
〔二年前の初夢って、確か、『現代版源氏物語』?〕
「そう。あのままじゃリアリティーないけど、アレンジすれば結構面白いのが書けると思うんだ」
〔へえ、楽しみ(^_^)v〕
百合香はコミュニティーサイトで小説ブログの連載をしていた。もちろんこれは趣味の範囲をちょっと超えたぐらいのもので、収入にはならない。だから普段は映画館でパートで働いていた。同僚はみな二十代の若い子ばかりで、何人か三十代前半はいるが、三十九歳という所謂アラフォー世代は百合香だけだった。それでもルーシーが言うとおり、同僚たちとの関係は良好で、最年長ということもあって常に頼られる存在だった。ちなみに入った当初から自分がバイ・セクシャルだということは親しくなった人たちに話している。初めは珍しがられたが、今では(勤務四年目)誰も気にしていないようだった。-
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コメント: 全68件
from: エリスさん
2012年10月05日 11時54分51秒
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「夢のまたユメ・68」
「どうして呼び戻したんです?」
勝幸が受話器を置くとすぐ、真珠美はそう言って夫を攻めた。
「あまり長居させるわけにもいかないだろう。ただでさえ、ここ数日入り浸りだったのだから」
「結婚前の恋人同士が一緒にいることに、どこか不都合がありますか?」
「不都合は大ありだ。その結婚は破談にするのだからな。それはおまえも承知のはずだろう」
勝幸は真珠美の方に歩み寄ると、耳元でこう言った。
「ぐずぐずしている間に、百合香さんが妊娠でもされては困る。早くそのことを告げに行ってくれ。嫌なら、わたしが言いに行くまでだ」
「させません……私でなくては、ならないんです」
「だったら……」
「状況を分かってください!」
と、真珠美は一歩下がって、夫と距離を取った。「この地震で日本中が大変なことになっているんですよ。誰もが不安で、先の事も読めなくなっているこの状況で、百合香さんから心の支えを奪えと言うんですか!」
「なにも翔太でなくてもいいはずだ!」
と、勝幸も声を荒げた。「百合香さんにはご家族がいる。友人も恵まれているようだし、翔太と別れたところで、彼女を支えてくれる人はいくらでもいる。だが、わたし達は違う。翔太にはどうあっても後を継いでもらわないとならなんだ。その翔太に、百合香さんは……」
「やめてください!!」
相応しくない――などと、聞きたくない。百合香の人格を認めている人間として、それだけは。妻のそんな思いを察して、勝幸はため息をつくと、こう言った。
「翔太でなければ良かったんだよ、百合香さんには……企業を背負ってる人物とか、政治に携わってるとか、芸能人とか、そうゆう目立つ世界の人物ではなく、一般家庭で育った人物とだったら、百合香さんは出生のことなど問題視されずに、幸せになれる。出会ってしまったのが翔太だったことが、彼女の不運だったんだ」
「もう、黙ってください……」
真珠美が今にも泣きそうな顔をするので、勝幸は仕方なく黙ってその場を立ち去った。
『いっそ、手遅れになってくれれば……』
と、真珠美は思った。『百合香さんが翔太の子を身籠ってくれれば……子供がいるのに見捨てろ、なんて言えなくなるはず……』
真珠美はそんなことを考える自分も、勝幸と同じ卑劣な人間だと思い、悲しくてどうしようもなくなった。
「百合香さん……ごめんなさいね……」
百合香が自分の部屋に戻ると、携帯にメールが届いていた。開いて見ると、百合香が小説を連載しているコミュニティーサイトから、百合香宛てにルーシーから個人レターが届いている、というお知らせだった。
『そうだ、ルーシーさん! すっかり忘れてた』
身近に会える友人の無事は確認したが、ネットの友人の無事はまだ一人も確認していなかったのである。
個人レターは2通あって、初めに届いたものは「チャットしない?」という、いつものお誘いだった。今日は病院に行くということもあって携帯を置いていってしまったから、百合香はメールが来ていることも知らずに返事をしなかった。それで2通目は、普通の手紙をくれていた。
【 ユリアスさんへ
地震は大丈夫でしたか?
私の回りもゴタゴタしているので、なかなかネットの世界には戻ってこれないことは察します。でも、戻れるようになったら、ネット住民に無事であることを知らせてくださいね。待ってます。
私は明日から仕事に復帰するんだけど、こんな状況なので、勤務時間は午後4時までになりました。だから平日でも夕方ならおしゃべりできるよ。
それじゃね。 ルーシー 】
「ごめんね、ルーシーさん。心配させちゃって」
百合香がレターを見ながら独り言を言っていると、部屋のドアを誰かが叩いた。
「リリィさん! 俺です」
「ナミね。入っていいわよ」
百合香が携帯を閉じると同時に、ナミがドアを開けた。
「それじゃ、俺も帰ります」
「うん、ありがとね。お兄ちゃんのお手伝いしてくれて」
「再従兄弟は助け合わなきゃ (^o^)」
「そうね。あっ、お菓子、ちゃんと持った?」
「もらいました、うちの家族分」
「そう。おば様たちによろしくね」
「はい……あれ?」
「なァに?」
「リリィさん、泣いたの?」
言われて、ハッとする――まだ目が赤いのか? ちゃんと洗顔もしたのに。
なので百合香は、炬燵に乗せていた指輪ケースを手に取って、彼に見せた。
「嬉し泣きよ。さっき、もらったの」
「ああ! ……良かったですね」
「うん……ありがとう」
ナミが帰ったのを見計らって、恭一郎が二階から降りてくる。
「寿美礼おばさんの、診察の結果は?」
「……妊娠一か月」
「……そうか」
素直に喜んであげたいのに――恭一郎も複雑な思いだった。
「とりあえず、ちゃんと栄養を取らないとな。軽く食糧難になってるが」
「大丈夫よ、工夫するわ」
「金銭的なことは任せろ。俺がジャンジャン稼ぐ」
「頼りにしてるけど……お兄ちゃんも明日から勤務時間減らされるんでしょ?」
「節電の関係でな。でもそれも、しばらくの間だけだろう」
「うん、そうだね」
百合香も恭一郎も、明るく勤めようとするのだった。
それから五日が過ぎて、木曜日。
百合香は、時折ネットの方に書き込みはするのだが、それは小説ではなく近況報告などの、まるっきり雑談だった。
精神的に小説を書ける環境ではなかったのだ。
なぜか?――仕事に行けないことがストレスになっていたのである。
ネットでルーシーと話したり、たまにユノンが遊びに来たりはしていたが、他の友人は地方に避難したり、学生だから大学に行っていたりで、そんなに会えなくなっている。翔太も会社の事が忙しくて、全然会いに来れなくなってしまった。
気晴らしに買い物に行っても、買いたいものがお店にない。
そんなうちに、花粉症の症状が出始めて……以前から薬には頼らない方だったが、妊娠中は特に頼ることができない。食事療法で抑えたいのに、花粉症に効果のあるヨーグルトが一切手に入らない上に、同じく効果のある紫蘇の葉も、まだ庭で栽培しているものは双葉が出た程度で食べられはしない。
この状態で鬱になるな、という方が難しい。
恭一郎は、百合香の炬燵を片づけてやろうと(もう無くても寒くないから)妹の部屋に行き、その妹が部屋の電気も点けずに、ぶつぶつと何か歌っている異様な光景を目にした。
「ゆ、百合香!?」と、恭一郎は急いで部屋の電気を点けた。「なんで自虐少女隊の自虐ハニーなんか歌ってるんだ!?」
アキハバラ@DEEPに出てきた、某ドラマのリスペクトバンドと、その曲のことだが……とにかく鬱な時には大ハマリする曲である。
「なにもする気が起きない……」
「だったら、映画でも見に行け! 今なら“塔の上の……”……しまったァ! 映画館自体がどこも休業中だったァァァァァ!!」
「そうよ……このまま、うちの映画館も潰れちゃったりして……」
「待て、その思考は危険だ! 胎教にも悪いからもっと明るいことを考えろ! そうだ、キィはこんな時なにしてるんだ?」
姫蝶は、百合香の様子があまりにも怖いので、自分の部屋で丸くなっていた。
「キィ、お姉ちゃんを元気づけてあげなきゃダメだろう!」
「にゃあ〜……」
「なんだ? 手におえないって言いたいのか?」
「にゃお」
「そりゃそうかもしれないが……」
その時だった――百合香の携帯が鳴った。
その曲を聞いて、百合香は瞬時で飛びついた。
『今のって、マクロスの曲だよな?』
恭一郎はアニオタなのでそう思ったが、正確にはTM. Revolutionの曲である。
「ハイ! 宝生です!……お疲れ様です、野中さん! ハイ……ハイ……ハイ! 分かりました! はい?……ええ、いいですよ。それじゃ、これから伺います」
百合香は先刻とは一変して、やる気満々の表情で通話を切った。そして、万歳をしながら、恭一郎に言った。
「お兄ちゃん、ファンタジアが土曜日から営業再開するって!」
「オウ! 良かったな」と、恭一郎も安心した。「え? でも、これから伺いますって言ってなかったか?」
「うん、あのね。出入りのクリーニング屋さんがずっとお休みしてるから、お客さんに貸し出すブランケットが洗濯できずに溜まってるんだって。だから今から、女性スタッフが何人か呼ばれて、家で洗濯できないか相談するんだって」
「そうか。じゃあ、行って来い」
「うん、行ってくる!……えっと、着替えたいんだけど」
「ああ、悪い悪い」
恭一郎は照れ笑いをしながらドアを閉めた。
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from: エリスさん
2012年09月21日 09時17分43秒
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「夢のまたユメ・67」
「自分の部屋の片づけをサッサと終わらせて、こっちの手伝いに来たんだよ」
翔太は百合香の煎れた紅茶を飲みながら、言った。「母さんと姉さんも、行っていいって言ってくれたしさ」
「お家の方は大丈夫なの?」
百合香がナミにもお茶を差し出しながら言うと、
「書庫の本棚が想像通りの状態になってたけどね」
「だ、大丈夫なの?(^_^;)」
「親父とじいさんとでなんとかする――っていうか、させる、って母さんが言ってたから、大丈夫だろ」
「尊敬するわ、真珠美お母さん」と、百合香は両手を握り合わせた。
「そんなわけで、これ。母さんからの差し入れ」
と、翔太は仏壇にあがっている菓子折りを手で示した。「なんか、どっか訪ねて行こうとして買ったんだけど、地震のせいで行けなくなったんだとさ」
それは間違いなく百合香の所のはずだが、翔太はそのことを知らされていなかった。
「しばらく行かれなくなったから、賞味期限もあるし、リリィにあげてくれって」
「助かるわ。今はお茶菓子を買いたくても、買えないのよね」
実際にこの震災のゴタゴタで、スーパーには食べ物と水を求めて買い物に来る人が溢れていて、なのに納品が滞っているから、スーパーは品数不足になっていた。
百合香はさっそく菓子折りを仏壇から降ろすと、みんなのお茶菓子として差し出した。
「ナミ、少しもらって帰ったら?」
「そうしようかな。明日からしばらく実家に帰ることにしたし」
「あら。そうなの?……その方がいいかもね」
とにかく色んなものが不足しているのである。一人暮らしをしているよりは、実家に帰った方が融通がきく。
「ファンタジアが再開するまでは、実家に帰ってます。なんかあったら連絡ください――あっ、うちの母親もリリィさんのこと気にかけてましたよ」
「ホント? じゃあ、近いうちにお電話するわ」
「そうしてやってください」
「ところで、今日来るって言ってたマツジュンはどうしたの?」
「あっ、それなんですけどね ^m^」
ナミが急にニヤついた顔になったので、何事かとみんなが顔を近づけた。
「あいつ、明日からお母さんの実家の九州に避難しに行くそうなんですけど……」
「家族みんなで?」
「はい。なんでも、お母さんが原発の放射能を怖がってるそうで」
この頃は、いつ原子力発電所が放射能漏れを起こすか分からない、危険な状態だった。後に、本当にそうなるのだが。
「無理もないわ。それで?」
「それで、それを俺とか、何人かに話しておいたら、そのことが後藤さんの耳に入ったそうで」
「そこでイキナリ後藤ちゃんなの?」
後藤さんと言うのは、去年の夏に入った、大学一年生の女子スタッフである。
「そうなんです。それで、今日はマツジュン、後藤さんに呼び出されたんです」
「え? ええっと、それって……」
マツジュンが、後藤さんに告白されに行っている、ということなのか?
「ホラ、マツジュンは見た目はあんなですけど、いい奴じゃないですか」
「そうね、あいつはいい奴よ。でも、特撮オタクは普通の女子には……」
「そこは安心してください。後藤さんも特撮オタクです」
「え!? そうなの!」
知らなかった……そんな趣味があったなど、後藤さんはついぞ見せなかったのである。
「まあ、後藤さんが好きなのは仮面ライダーじゃなく、戦隊ヒーローの方ですけどね。だから、リリィさんとか俺とか、マツジュンが仮面ライダーの話をしてても、入ってこれなかったわけですよ」
「はぁ〜……そっかァ〜」
「それで、マツジュンが九州に行っている間に、二度と会えなくなると嫌だと思ったんでしょうね。だから今日告白するそうです」
「そうなんだァ。うまく行くといいねェ」
「いくでしょう。後藤さん、いい子だし。可愛いし」
「確かに!」
「なんだろうなァ。そうゆうの流行ってるみたいだな」と、恭一郎が口を開いた。「俺の周りにもいるんだよ。〈今日、彼女に告りに行く!〉って、ブログに書き込んでる奴が……ネット友達だけでも3人」
「そうなの?」
「あっ、それ分かります」と、翔太が言った。「この震災のせいで、一人でいたくない――独りで死にたくない!って心境に至った人が、かなりいるみたいなんですよ。俺もそう思うし」
「へえ、やっぱり、そんなものなんですね」
と、ナミが感心しながら言うと、翔太は尚もこう言った。
「まあ、俺にはもうリリィがいるけどさ」
「……いいですね」
と、ナミがちょっと不機嫌そうに言ったので、
「ナミにも彼女いるじゃない」
と、百合香がフォローした。すると、
「彼女とは、そうゆう気になれないです」
「……まだ、仲直りできないの?」
「あっ、いや……あの後は納まったんですけど……なんか、もう気持ちがすれ違ってしまって」
「そうなの……」
原因の一端は自分にあることを分かっている百合香は、それ以上なにも言えなかった。
もうしばらく宝生家にいるつもりだった翔太だったが、父親からまた電話で呼び出されて、帰らなければならなくなった。
「明日は早めに出勤しろって言うんだ」
百合香に玄関まで送ってもらいながら、翔太はそうこぼした。
「会社勤めは大変ね」
「ホント。バイトだったころが懐かしいよ」
「じゃあ、気を付けて帰ってね」
「うん……っと、その前に」
翔太はバッグから小さな小箱を出した――指輪のケースだった。
「はい、ホワイトデイのプレゼント。本当は誕生日に渡すつもりだったんだけど、間に合わなくてさ」
「……あけていい?」
「もちろん」
百合香は受け取ると、ゆっくりとケースを開いた――そこに、百合香の誕生石であるアメジストの指輪があった。
誕生石の指輪を贈る――間違いなく婚約指輪である。
百合香は、思わず泣き出していた。
『受け取っちゃいけない……でも、受け取らないと、翔太に事情を説明しなきゃならない。それは、私の役目じゃない……』
長峰家の誰かが、頃合を見計らって二人の破談を離すことになっている――それは百合香も暗黙で了承していることだ。
本当だったら、好きな人から婚約指輪をもらえれば、素直に喜べるはずなのに、百合香には一番苦痛なことになってしまう。
『いや……翔太と別れたくない。私やっぱり、翔太のこと……』
あきらめたくない、と思ったちょうどその時、翔太が声を掛けて来る。
「どうした!? なんで泣いてんの?」
「え?……へへ……」
百合香は、笑ってごまかした。「だって、嬉しくて……」
「あっ、そっか……」
「うん……」
百合香は、精一杯、笑って見せた。
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from: エリスさん
2012年09月14日 11時33分49秒
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「夢のまたユメ・66」
次の日。
日曜日だったが、前もって連絡を取ったら、特別に診察してもらえることになった。
瀬崎産婦人科の院長・瀬崎寿美礼(せざき すみれ)は、母・沙姫の大学時代の学友で、沙姫が医者になることをやめて大学を中退してからも、親しく付き合ってきた間柄だった。
病院自体は震災のために休業を余儀なくされていた。
「診察中に突然“計画停電”とかされたら困るでしょう?」
「そうですよね……でも、計画停電をやるやるって言ってても、実際には実施されていませんけどね」
「そうなんだよねェ……とりあえず、そこに横になってちょうだい」
百合香は言われるままに、診察台の上に横になった――。
結果は……。
「6週目だね」
寿美礼に言われて、百合香は複雑な表情をした――嬉しい、けど、辛い。
「分かりやすく言えば、妊娠一か月、だけど……そういうことじゃないみたいね、百合香ちゃん。子供、産みたくないの?」
「産みたいです。でも……」
「結婚、できないの?」
「……はい」
「沙姫のことで?」
その問いに、百合香は答えられなかった。
寿美礼はその沈黙だけで、すべてを察した。
「これから定期的に通いなさい。あなたは、初産なのにもう40歳で、しかも、気管支に炎症を抱えてる……無事に産めるように、用心をしましよう」
「寿美礼おばさん……」
「結婚できなくても、子供は産むべきよ。あなたの年齢で中絶なんかしてご覧なさい。二度と子供に恵まれない体になるかもしれないのよ――いいえ、どんなに若くてもね、中絶の手術というのは大きなリスクを伴うものなの。だってそうでしょ? 自分の子供を殺すことになるんだから」
「……そう、ですよね……」
もとより、百合香は中絶など望んではいなかったが、改めてその問題を突きつけられると、胸の中をチクチクと針で刺されるような痛みを感じずにはいられなかった。
「それに、あなたの場合シングルマザーになっても、お父さんもまだまだ元気だし、恭一郎君もいるんだから、あなたを支えてくれる人はいくらでもいるわ。きっと、沙姫だってあなたを守ってくれるはずよ」
「はい、それはきっと、間違いなく」
ここ数日、母の霊が現れている事実からも間違いないことである。
「じゃあ、安心して産みなさい。私も全力でサポートするから」
百合香は寿美礼に勇気づけられて、不安から脱することが出来た。
家に帰ると、玄関に三人分の靴が並んでいた。
『お兄ちゃんと、ナミと……この新品の靴はマツジュンかな?』
恭一郎の部屋を整理する約束をしていたから、てっきりこの三人の靴だと思っていた。
だが、二階に上がると、もっと聞き慣れた声が聞こえてきた。
「見つけた!! ダイカイシンケンオーの足!」
新品の靴の主は、翔太だった……。
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from: エリスさん
2012年09月07日 15時25分03秒
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「夢のまたユメ・65」
「本当にありがとう、来てくれて」
百合香が言うと、翔太は言った。
「当然だろ、婚約者なんだから」
なので百合香はクスクスっと笑った。
「婚約って言うのは、結納を交わしてから言うのよ」
「え? そうなの? お互いの親が認めてくれたら、もう婚約成立じゃないの?」
「それは……どうなのかしら」
「作家の北上郁子(きたがみ あやこ)先生っているだろ? あの人は、当人同士が結婚の約束をしたってだけで、周りの人に、結婚する前の旦那さんのことをフィアンセだって紹介してたらしいよ」
「あっ、聞いたことある、沙耶さんから」
「そうそう、リリィは北上先生の再従姉妹の紅藤沙耶さんと友達だったよね。まあ、そうゆう考え方の人もいるからさ(^o^)b 」
「翔太は北上先生の大ファンだったわね。それじゃ、先生に指示するのも当然ね」
「そうゆうこと♪……じゃあ、また明日」
「うん、またね」
翔太は百合香にキスをして、手を振りながら帰って行った。
百合香は、寂しさと、後ろめたさを同時に感じていた。
『婚約者じゃないのよ、翔太……私たちの破談はもう、決まっていることなの……』
その時、下腹部の奥で、チクッと痛みを感じた。
百合香はそこを撫でながら、思う……。
『もし、ここに、あなたの子供がいるとしたら、その子は……』
ユノンが声をかけて来たのは、そんな時だった。
「なにしてるの? ユリアス。寒いのに、風邪ひくよ……」
ユノンの言葉が、止まる……振り返った百合香の顔を見たからだった。
「どうしたの? 何があったの?」
「え? 何が?」
「だって……泣いてるよ……?」
ユノンに言われて、百合香はやっと自分の目から涙が出ていることに気付いた。百合香は慌てて涙を拭ったが、その手をユノンに掴まれた。
「こっち来て」
ユノンは強引に百合香を、百合香の部屋に連れて行った。
「なんで泣いてたの。ミネさんが帰っただけで泣くなんて、ユリアスらしくない! それも、自分が泣いてることに気付かないなんて、何がどうすれば、そんなに傷つくの? ちゃんと私には話して!」
「ユノン……」
「話して! 私は何があってもユリアスの味方だから!」
「……実は……」
百合香は、自分の母親の生い立ちの事で、長峰家に受け入れられていないことを話した。そのため近いうちに破談の話が来ることも。
「そのこと、ミネさんは知ってるの!?」
「知らないわ……知らせてないって、紗智子さが言ってたから」
「どうして!」
「言ったら、彼は家を捨てるって言い出すわ」
「それでいいじゃん! 二人で駆け落ちしちゃいなよ!」
「無理よッ……いいえ、嫌なの、私が。私のせいで、翔太が将来を棒に振るのが」
「そんなの分からないじゃん! 実家を捨てたからって……」
「彼だけの問題じゃない。秀峰書房という、大企業の将来も係っているの。あの会社に勤めている社員たち全員の生活も係っている。だから……」
「そんなこと、ユリアスに関係ある!?」
「関係ないからなんて言えない!!」
百合香が突っぱねたことで、ユノンは言いよどんだ。そのことに気付いて、百合香は済まなそうに彼女の手を握った。
「ごめんね、大声出して。でもね、私は私の身勝手で、一人だけ幸せになんてなれないのよ。翔太にも、辛い選択をさせたくないの。だから……」
「だから、自分が身を引くの?」
「……そうゆうことに、なるわね」
「駄目、そんなの駄目だよ。だって……」
ユノンは百合香のお腹をさすって、言った。「赤ちゃん、いるんじゃないの?」
「まだ、分からない。確かに、月の障りは止まってるんだけど……」
「だったら、居るよ! 出来てるよ、この中に、ユリアスとミネさんの赤ちゃん!」
「そうかもしれないけど……」
「だったら結婚しないと駄目だよ。赤ちゃんのためにも! ユリアスは知ってるでしょ? 私が母子家庭だってこと。私のお母さんも、私の父親と結婚できなくて、一人で苦労したんだよ。私だって、辛い目にあってきてる。今はおじいちゃんたち(母親の両親)が許してくれて、一緒に生活してるけど、それまでは……あまり言いたくないこともあったよ」
「そう……」
今の時代なら、娘がシングルマザーになって出戻ってきても、あまり親も世間もうるさく言ったりしなくなったが、ユノンが生まれた頃なら、未婚のまま子供を産む女性を蔑視する傾向はまだ残っていただろう。だから、ユノンが言いたいことは百合香にも良く分かっていた。
「だからさ、ユリアスの子供には、私と同じ思いさせたくないよ」
「ありがとう、心配してくれて。でもね……無理に結婚して、生まれてくる子がひどい目に会うことだって想像できるでしょ? 説明した通り、私の母の生い立ちが普通じゃないんですもの」
「それは……」
「実際に、私が言われたのよ、親戚に――母の実家の人にね。私も兄も、お父さんの子供じゃないんじゃないかって。母が、父と結婚後も、義理の父親と関係を持って……」
「なにそれ!?」
「もちろん、なんの根拠もない言いがかりよ。私も兄もお父さんの子供――親戚を黙らせる為に、DNA鑑定も受けたわ。間違いなかった」
「そこまでしたの?」
「そうよ。そこまでしなきゃならないほど、母の問題は大ごとなのよ。その、母のことを理由にされているんだから……もう、どうしようもないわ」
「そんな……諦めちゃ駄目だよ……」
ユノンがとうとう泣き出してしまったので、百合香は彼女を抱きしめた。
「ごめんね……私のこと心配して言ってくれているのに……」
「……」
ユノンが返事もできないぐらい泣き出してしまった時、ドアを誰かがノックした。
「いいかな? 俺だ」
恭一郎の声だった。百合香は返事をして、兄に中に入ってもらった。
「おまえがなかなか上がってこないから……話は、立ち聞きさせてもらった」
「そうなんだ……」
「とりあえず、子供がいることを前提に話していたが、まだ分からないんだろ?」
「うん……」
「だったら、明日診てもらってこい、寿美礼(すみれ)おばさんのところ。先ずはそれからだ」
「うん、そうする……」
「それから……ユノンさんでしたね。百合香のネット小説サイトにも登録されている」
恭一郎はユノンの傍に座りながら、そう言った。
「妹のために親身になってくれて、兄として礼を言います。だけど、心配しないでください。妹が未婚の母になったとしても、俺と父がいます。生まれてくる子は宝生家の跡取りとして、俺たちが全力で育てますから、百合香だけに重荷を背負わせることはしません」
「本当ですか?」と、ユノンは涙を拭いながら言った。
「なんなら、俺の養子にしてもいい。俺の扶養家族に入るわけですから、生活にはなんら困りませんよ」
「ホラ、お兄ちゃんがこう言ってくれてるから、大丈夫よ」
と、百合香もユノンの肩をポンポンッと叩きながら、なだめた。
「うん……」
ユノンはすっかり泣き止むと、百合香から離れた。
「でも、辛いことが合ったら、ちゃんと私に言ってね。私、力になるから」
「うん、アリガト。頼りにしてるね」
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from: エリスさん
2012年08月31日 11時42分50秒
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「夢のまたユメ・64」
恭一郎が二階に上がって来たので、百合香はカールに言った。
「ごめん、カール。一つずれて、そこの席を開けてもらっていい?」
「あっ、お兄さんですか? じゃあ、ずれます」
「悪いわね(^.^)」
妹がそういう会話をしている間、恭一郎は自分の部屋を開けて、絶句した。
「……ここまで酷くなったか……」
「アハハ(^_^;) それでも片づけた方なんだよ」
恭一郎の部屋が開いたことで、マツジュンが咄嗟に覗きに行った。
「ひどい、お兄さんのコレクションの数々が……前に見せてもらった時より増えている感じもしますが」
「うん、増えてるよ。オーズのタジャドルコンボとか、あの後買ったし……タジャドルどこいった?」
恭一郎が見ている方向――ベランダに出る窓の上のスペースが、歴代仮面ライダーを飾るスペースなのだが、仮面ライダークウガしか残ってはいなかった(ある意味、クウガだけ落ちずに残っていること自体が凄いが……)。
「ああ、それでしたら、こっちに……」
と、翔太が行って、襖障子の向こう側に置いておいた段ボールを手前に引っ張った。
「拾えるものはできるだけ拾っておきました。ただ、一つ残念なお知らせが……」
「なにかな?」
「ダイカイシンケンオーが……」
と、翔太がロボットを一体持ち上げて見せると、恭一郎は愕然とした。
「み、右足がァ――――――!!!!」
ダイカイシンケンオー――侍戦隊シンケンジャーに出て来る侍巨人(合体ロボ)である。恭一郎のお気に入りの一つだが、この震災で右足が取れて、どこかに行ってしまったのである。
「いや! でも、この部屋のどこかにはあるはずだ! 百合香、窓とかは開いてなかったんだろ」
と、恭一郎に聞かれたので、百合香は答えた。
「もちろんよ。戸締りはきちんとして出掛けたんですもの」
「よし! 明日は発掘作業をするぞ! 翔太君、もちろん手伝ってくれるよな」
「もちろんです!」
「俺も手伝います!」と、マツジュンも言うと、
「いいとも! 見つけてくれた人には、俺の食玩コレクションの中から、好きなのをあげよう」
「本当ですか!?」
「燃えてきたァ!」
「とにかく、今は空腹をどうにかしよう。百合香、メシだ!」
「ハイハイ(^o^) こっちに出来てるよ」
百合香は温め直した豚汁をお椀に入れて、恭一郎のために開けてもらった場所に置いた。――大原と榊田も、開いている席に通されて、先ずはお茶から始めていた。
恭一郎は百合香の隣に座ろうとして、その反対側の隣にいるカールに気付いた。
「あれ?……どこかで、お会いしませんでしたか?」
「え?」と、カールも驚いた。
「お兄ちゃん、カールがうちに来たのは今日が初めてだよ?」
と、百合香が言うと、
「ああ、うちでじゃないよ。もっと賑やかな場所で、会ったような……」
「カールは覚えある? うちのお兄ちゃんと会った覚え……」
カールは混乱したような表情をしていたが、急に何か思い出して、
「そうだ! お兄さん、秋葉原の電機量販店にお勤めなんですよね?」
「はい、そうですけど……あっ、もしかして、お客さんとして……」
「そうですそうです! 僕、今日アキバ行ってたんです。太陽電池を溜めて使う懐中電灯を買いに。もう、この近所は売切れてて。それで、アキバのお店何軒か回って、その時に何人かの定員さんに質問して、どうゆうのがいいのか教えてもらったから。お兄さん、その時の定員さんじゃないですか?」
「ああ、言われて見れば……今日はそうゆう質問ばっかり答えてたからな。これはどうも、ご来店ありがとうございました」
「こちらこそ! 詳しく教えてもらってありがとうございます」
「なに? お兄ちゃん。ゲームソフト担当なのに、今日は家電コーナーにいたの?」
と、百合香が恭一郎に話しかけて、恭一郎の視線が百合香に移っている間に、カールはこっそりと安堵のため息をついた……。
「そうなんだよ。実はそれが朝から連絡を入れられなくなった理由でさ。会社に泊まった従業員、全員が朝早くから起こされてさ……この非常時に、防災グッズを求めて来店されるお客さんがいっぱいいるだろうから、一階店舗を急きょ防災グッズコーナーにするぞ!って」
「それは、大変でしたね」
と、翔太は本当に気の毒に思って言った。
「まあ、会社の方針も分からなくはないしね。それに本当に、朝から一杯4お客さんが来て……なんか、停電になりそうなんだろ? 電子力発電所が使えなくなって」
「そうみたいね」と、百合香が言うと、
「そうなると、太陽光で充電できる装置っていうのはかなり役立つんだよ。懐中電灯だけじゃなくて、携帯も充電できるのとか……あっ、一つ買ってきたから、あとで生活費で落としてくれ」
「いいけど(^_^;)」
「へえ、いいですね。俺も買いに……」
と、翔太が言いかけた時、翔太の携帯が鳴った。翔太は携帯を手に取って、あっ、という顔をした。
「ごめん、家からだ」と、翔太は百合香に言って、携帯を手に廊下に出た。
翔太はしばらく廊下で話してから、すまなそうな顔をして戻ってきた。
「ごめん、リリィ。俺、一端帰るよ」
「そろそろ言って来られる頃だと思ってたわ」と、百合香は苦笑いをした。「昨夜から引き留めてたものね」
「すまない。俺の部屋も地震でごちゃごちゃしてるらしくて。本棚とか……」
「どこも同じよね」
「恭一郎さんも、すみません。明日、お手伝いできないかもしれません」
「俺の方はいいよ。マツジュン君が手伝ってくれるって言ってるし」
「なんなら、俺も来ますよヽ(^o^)/」と、ナミが手を挙げる。
「頼むよ、再従弟殿……まあ、そんなわけだから」
「本当にすみません……あっ、でもちょっとは顔出しますから」
「無理しなくていいのよ?」と、百合香が言うと、
「いや、無理じゃなくて……明日は絶対に来たいんだよ」
「あら、どうして?」
「ホワイトデーだから。忘れてたの? リリィ」
「あっ、ああ!」
ポンッと百合香は両手を打った。――この震災で、恐らく忘れていた人は大勢いたと思われる。
「それじゃ、また明日……」
と、翔太がそのまま帰ろうとしたので、百合香はせめて玄関まで送ることにした……。
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from: エリスさん
2012年08月24日 11時37分14秒
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「夢のまたユメ・63」
「紙コップ買っといて良かったよなァ」
翔太はそう言いながら、紙コップの包装をはがしていた。「こんなに早く使うことになるとは思ってなかったけど……ホラ、一人一個ずつ取って廻しな」
「ハーイ」とマツジュンが返事をして、縦に連なった紙コップを受け取った。そして順々に回して行ったのだが、そこへナミがサイコロステーキとマッシュポテトの山盛りの皿を持って一階から戻ってきて、翔太に言った。
「ミネさん、すっかりこの家の人みたいですね」
「ん? そりゃあ、毎週通ってるから」と、翔太は“チクリッ”としたものを感じながらも答えた。
「リリィさんと結婚したら、この家に入るんですか?」
「いや。俺、跡取りだから、リリィに俺の家に来てもらうつもりだけど」
「へえ……この家の人達、困るでしょうね。こんな料理上手の娘を取られて」
「なんだよォ、ケンカ売ってんのかよォ」と、翔太は苦笑いをしながら言った。「そりゃ、申し訳ないと思うけどさァ、しょうがないじゃん。結婚って……娘を嫁に出すってそういうことだし。一雄おじさんも恭一郎さんも、そういうことはちゃんと分かってくれてるから……」
「……へえ……」
ナミはそう答えて、自分の席に座り……ジョージに肩をポンポンと叩かれてなだめられた。
『やっぱり、こいつリリィのこと好きなのか……』と、翔太は思った。以前、忘年会で会った時も、百合香の隣に座っていて、かなり親しくしていたのを見逃してはいなかった。後に百合香とは再従姉弟(はとこ)であることが分かった、というのは百合香から聞いているが。
『俺がジョージに頼んでリリィとよりを戻さなかったら、こいつがリリィと付き合っていたかもしれないんだな。良かったァ、そうなる前により戻して』
翔太がそんなことを考えているうちに、料理がすべて戻って、翔太の隣に百合香が戻ってきた。
「それじゃまあ、まだマネージャーたちが来てないけど、始めますか。みんな、遠慮なく食べて!」
「いただきまぁす!」
一人500円だけの会費を集めて作ったにしては、結構な料理の量である。飲み物は主にペットボトルのお茶やジュースだが、百合香が冷蔵庫で作り置きをしておいたお茶まで振る舞われた。
「これ、飲んでみたかったんだよォ。いつもリリィが休憩室で飲んでるの見て、おいしそうだったから」
と、ぐっさんはローズヒップティーをコップに注いだ。
「ああ、これジュースじゃなかったんですね」と、シマは言った。「赤いから、てっきり……」
「ユリアスは仕事中に甘いもの飲まないよ」と、ユノンが言った。「いつも無糖の、フルーツティーだかフレーバーティーだか……なんて言うの? ユリアスゥ?」
すると、自分のと翔太のコップに大量に氷を入れてから、ティーポットからお茶を注いでいた百合香は答えた。
「フレーバードティーって言うのよ。紅茶の茶葉にいろんなフルーツとかの味が合わさってるの……はい、どうぞ」
「アリガト(*^_^*) いい匂いだな」
「でしょ?」
と、百合香が翔太とラブラブオーラを発しているので、ぐっさんが言った。
「ああ! そこの二人だけ特別なの飲んでる!」
「みんなも飲んでいいわよ。氷を入れてアイスにしてもいいし、ホットのままでも当然美味しいわよ」
と、百合香はティーポットをぐっさんの方まで廻してもらった。その間、ユノンも自分のコップに注いでみる。
「あっ、ブルーベリーの匂い……」
「どれどれ……美味しい! なにこれ?」
「カシスブルーベリーよ」と、百合香は言った。「ブルーベリーだけのお茶も売ってるんだけど、私はカシスも一緒入ってる方が好きなの」
「今度お店教えてよ!」と、ぐっさんは言った。「自分だけいいお茶飲んでて、ずるいよ」
「じゃあ、今度案内する。他のお茶も飲む?」
「飲む!」
食事も進み、みんなは3グループぐらいに分かれて,震災の時にどうしていたか、などを話し出した。
ナミがマツジュンの家に泊まった下りになって、やはりシマからこう言われた。
「俺んち来れば良かったのに。俺、一人暮らしだから遠慮いらないよ」
「遠慮はいらんが……身の危険がある」
と、ナミは烏龍茶を飲みつつ言った。
「なんだよ、身の危険って」
「おまえ、酔っぱらった時の記憶がないのかッ」
と、ナミが突っ込むと、
「そうだよ!!」と遅番の男子スタッフ・林が言った。「俺、やられたぞ! 辛うじて口じゃなかったけど(ToT) 」
「どこにキスされたんだっけ?」と、かよさんが聞くと、
「ここです、口のすぐ横ッ」
「もう少しで口じゃん!」
「そうですよ。言ってやってくださいよ、先輩!」
「それはァ……駄目よね、シマ君」
と、かよさんに言われて、
「ええ〜、いやァ〜………………どうもすいません」
「って言うか、覚えてるの?」と、ユノンが言うと、
「いいえ、全然覚えてないです。後で話には聞くんですけど」
「駄目じゃん!」と、ナミは言って。「そんなんで、俺が泊まりに行けると思う?」
「ああ……無理ですね」
「シマってさァ、男が好きなの?」と、ぐっさんが言うと、
「いや、女の子が好きですけど」
「じゃあ、どうして酔っぱらうと男にキスするんだよ!」と、林が牙をむき出しにするように言うと、
「いやァ、全然分からない。リンリン(林のこと)が女の子みたいに可愛く見えたのかも」
「そりゃ俺、背ちっちゃいけど、そんなことあるか!!」
「まあ、君を女に見間違うことはないよな」と、翔太が言うと、百合香が言った。
「つまり、シマ君って潜在意識は私と同類ってことでしょ?」
その言葉で、翔太、かよさん、ぐっさん、ユノン、カール、ナミは納得したが、その他の〈去年の4月以降にバイトに入ったメンバー〉は、訳が分からないという顔をした。
「あれ? もしかして、知らないの?」
と、かよさんが言うと、シマは、「なんの話ですか?」と聞き返した。
「かよさん、もしかしたら最近はそうゆう話題出てなかったかも」
と、ぐっさんも言った。「だって、リリィが好きな女の子の話しなくなったから」
「言われて見ると……」
「ユリアスはミネさんに一途だった時期があったからね、好きなタイプの女の子が現れても、心が動かなかったんだよね」
と、ユノンが言うので、
「そうね、確かに」と、百合香も言った。「でも、全然女の子が気にならなかったわけじゃないのよ。可愛い子がいたら、ときめいたりはしてたんだけど」
「恋には至らなかったんだね」
「そうそう」
「な、なんの話ですか? ええ??」
と、林が混乱していたので、翔太が答えを出してあげた。
「こう見えてもな、俺のリリィはバイ・セクシャルなんだよ」
「「えええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜!?」」
驚いている二人を見て、カールが百合香に言った。(ちなみに翔太とは反対側の百合香の隣にいる)
「なんか新鮮ですね、この驚き方」
なので百合香が言った。「あなたは驚くどころか、“素敵です!”とか答えてたわよね、初めて聞いた時」
「だって素敵じゃないですか。性別にこだわらずに恋が出来るなんて」
「そういう風に捉えることができる、あなたもなかなかの大器よね」
翔太もそうなのか、シマと林に自慢げな表情で言った。
「どうだ。ミステリアスでカッコイイ女だろ? 俺の彼女は」
「えっ、ええっと……」と、シマは動揺を隠せず、それでもこう言った。「長峰さんは、それをちゃんと受け入れてるんですか?」
「もちろんだ。そうじゃなかったら、わざわざよりを戻したりなんかしない」
「で、ですよねェ〜〜」
すると「良く言うよ」と、かよさんが苦笑いをした。「あんた、初めてリリィにその話聞いた時、私の所に愚痴りにきたよね。《リリィの凄いカミングアウト聞いちゃいました……》って ^m^ 」
「あの時は!……まだ未熟だったんです。今はもう、大人の男になりましたから (^o^)/」
「ホントかね」
「ホントです! リリィがネットで書いた百合小説も全部読破して、今じゃリリィの総てを理解してます!……そうだよな? リリィ」
と、最後の方は百合香に恐る恐る聞いたのだが、百合香は満面笑顔で答えた。
「うん、あなたが一番理解してくれてるよ」
「ホラ見ろヽ(~o~)/!」
「はいはい、熱い熱い(^_^;)」と、ぐっさんが締めたところで、シマが手を挙げた。
「あのォ……ユリ小説ってなんですか?」
「そうゆうジャンルがあるんだ」と、翔太が答えた。「女同士の恋愛小説だよ。男同士の恋愛小説やコミックを〈BL〉って言うのに対して、〈GL〉って言うこともあるけど、一般的には〈百合〉って呼んでるな」
「一般的なんですか? それって……なんか、エロい、いや、なんて言うか……」
と、シマが言葉に困っていると、
「百合小説は魅惑的なジャンルだよね」と、カールが言った。「僕、百合漫画なら読みますよ」
「あら(^o^) 私も百合漫画好きよ」と、百合香は言った。「どんなの読んでる?」
「森島明子先生のを……」
「〔半熟女子〕の? 私も好きよ。あの先生の描く女の子は、柔らかそうでいいわよねェ」
「そうなんです。触りたくなるぐらい、柔らかそうなんです(^o^)」
「あとは?」
「三国ハヂメ先生とか」
「〔極上*ドロップス〕ね! そっか、カールは見た目で“柔らかそうな体”を描く作家が好きなんだ」(筆者注 *の部分は本来ハートマークが入る。ネットに乗せると文字が化けるため、代字を用いた)
「リリィさんは誰が好きなんですか?」
「私は天野しゅにんた先生と……」
「大人の女同士も描く人ですね、分かります」
「あとは、影木栄貴と蔵王大志のコンビが描いてるのが好き」
百合香とカールがあらぬ世界に行きそうになっていて、ついていけない一同だったが、百合香が出した作家の名前で、あっ、と翔太とユノンが気付いた。
「あの人、百合漫画も描いてたのか?」
と、翔太が聞くと、ユノンも言った。
「総理大臣と女子高生の恋愛漫画なら読んだことあるよ! 私も影木栄貴先生の絵は好きィ〜」
「でしょォ? 女の子がすごい美人で描かれてるのよねェ」
と、百合香がまたそっち方面に行ってしまいそうになるので、ぐっさんが制した。「なに? 有名な作家さんなの!?」
なので代わりに翔太が答えた。
「DAIGOのお姉さんだよ」
「DAIGOって、ウィッシュ! の?」
と、ぐっさんが手を交差させながら聞くと、翔太も同じように手を交差させた。
「そう、ウィッシュ! の。総理大臣の孫が漫画家だったってことで、テレビでも取り上げられたことがあるよ」
「私はそのことを知る前から好きだったのよ」と、百合香は言った。「その頃はDAIGOもDAIGOスターダストって名乗ってて、お姉さんの漫画が原作になってるCDドラマに声優として登場したりしてたわ」
へえ〜っとみんなが感心していると、翔太は言った。
「でも、リリィの本棚にそれらしき本って並んでないよな」
「そりゃだって……隠してあるもん」
「つまり、全部H系か?」
「うん(*^_^* ;) 間違っても家族には見せられない」
「へえ……後で見せてね」
「ええ〜〜」
「いいじゃん……その後、“もえる”よ」
「その“もえる”はどっちの字を当てるのかしら?」
「そりゃもちろん、ファイヤー! の方」
「あら(*^。^*)」
「はいはい!」と、ぐっさんが手を叩いた。「二人だけの世界に入るな、この二人は!」
玄関のチャイムが鳴ったのは、ちょうどそんな時だった。
「今度は誰かな?……あっ、マネージャーか」
と、百合香が言うと、ナミが言った。
「レオちゃんなら、きっと車ですよ」
「そうね。車の置き場所教えてあげなきゃ」
百合香はそう言って立ち上がると、父の部屋の窓を開けて、玄関前を見下ろした。案の定、榊田は車で来ていた。
「ここ、駐車していいですか?」
榊田が車から顔を出して、百合香に言った。
「いいですよ! ふだん、父が車を置いてる場所なんで」
「お父さんは今日は?」
「しばらく新潟から帰ってきませんから、遠慮なく!」
百合香はそう言うと、窓を閉めて、階下へ降りて行った。
すると、百合香が玄関を開く前に、誰かが引き戸を開いた。
「……ただいま」
「……おかえり。もう、今日は全然連絡も寄越さないで!」
百合香は、その人物に抱きついた。
それを見ていた大原は、ドキッとしてしまっていた。
「えっ、えっと……私たちが道に迷ってて、この人が通りかかってくれたんで、道を教えてもらったんだけど……」
そこへ、翔太も降りてきた。
「恭一郎さん!」
「え?」と、大原は驚いた。――榊田も嫉妬しそうなっていたが……。
「申し遅れました」と、百合香を優しく離した彼は、大原と榊田に振り返って、言った。「妹がお世話になっております。宝生百合香の兄、宝生恭一郎です」
「お兄さんでしたか!?」と、榊田は驚いた。「だったら、一緒に車に乗って下さったら良かったのに!」
「いや、自転車に乗っていたので……」
「そんな、これぐらいの自転車だったら、僕の車に乗せられましたよ」
「いやまあ……お邪魔になるといけませんので」
「ああ、大丈夫ですよ、恭一郎さん」と、翔太は言った。「この二人、そうゆう関係じゃありませんから」
「あっ、そうなの?」
「それより、心配してたんですよ。今日は全然連絡がないから」
「うん、いろいろと大変だったんだよ。でも、百合香には君が付いていてくれるから、心配ないだろうと思って」
「恭一郎さん……」
恭一郎の言葉にじわっと感動していると、百合香が急かした。
「とにかく中に入って! 寒かったでしょ、お兄ちゃん。ご飯は?」
「まだだよ。いやぁ、お腹すいた!」
「おにぎりがいっぱいありますよ。豚汁とか、焼き肉とか……」
「お兄ちゃんが好きな唐揚げも!」
「おっ、ご馳走だな」
みんなは家の中に入って行った………。
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from: エリスさん
2012年08月10日 13時13分55秒
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「夢のまたユメ・62」
百合香たちが家に帰ると、ジョージたちが宝生家に着いていた。
フロアスタッフほぼ全員だと、30人近くもいる。これにこの後マネージャーたちも来るのだから、仏間兼居間に全員は入れるか不安になった百合香は、隣の父の部屋の障子を開けて開放することにした。
「いいこと! 父の物には一切触らないように!」
「ハーイ!」
と、返事をした傍から、狸の置物に手を伸ばす遅番スタッフがいたので、
「やめんかい!」という、ぐっさんの突込みが入った。
「でも、この置物すごいねェ」と、かよさんは言った。「本物そっくりに作ってある」
「あっ、それは本物です」
「え??」
「小学校4年生だったかな、まだ。それぐらいの時に、新潟の祖父の家に春休みに遊びに行ったんです、泊まりがけで。そしたら、朝起きたら池に狸が浮いてまして」
「死んでたの?」とユノンが聞くと、
「そう。たぶん、山は雪が深くてまだ食べるものが見つからないから、池の鯉でも取ろうとしたんじゃないかと想像してるんだけど……でも、そう簡単に取れなくて、溺れて死んじゃったらしいのね。それを、うちの祖父が知り合いの剥製づくりの職人さんに頼んで剥製にしてもらったの」
「ええ〜!? 残酷! お墓作って埋めてあげたら良かったのに」
と、ナミが言ったので、百合香は、
「当時まだ子供だった私もそう言いました。だけど、周りはかなりの積雪で、2階建ての家が一階まですっぽり雪に埋まってるような状態なのよ。お墓作ろうにも、雪を掘って地面を出すまでが大変だったから、親たちに止められて……」
「あっ、そうなんですね」
「それに、無傷の狸が手に入ったんだから、これは剥製にするのが一番いいんだって祖父が主張して……で、出来上がったものが、これ。作ったら作ったで祖父も満足したらしくて、気前よく父にくれたのよ」
「結構費用かかったんでしょ?」と、かよさんが言うと、
「たぶんね」
「大盤振る舞いだね」
「で?」と、マツジュンが言った。「売ったらいくらになるんです?」
「知らないよ(^_^;) 売る気ないし。そんなことより、テーブル出すの手伝って!」
百合香は三階の物置から、普段はまったく使っていない家具調こたつを出すことにした。腕力の無い女性では出せないので、体格のいい男性陣にやってもらうことにする。それでも心配だから傍についていると……誰かが兄の部屋の障子を開けようとしている音が聞こえたので、百合香はダッシュで行って、
「開〜け〜る〜な〜と〜言〜ったで、しょォ〜〜〜!」
と、ナミとマツジュンの首根っこを捕えた。
「覗いたっていいじゃないですか……お兄さんの自慢のコレクション……」
と、アニメ・特撮オタクのマツジュンが言うと、イケメン俳優が演じている特撮ヒーローが好きなナミは言った。
「でもなんか、前に見せてもらった時よりごちゃごちゃしてるような」
「地震のせいで、飾ってあったものが落っこちたのよ。でも私じゃ整頓できないから、兄が帰って来るまでそのままなの! だから、絶対に開けないでちょうだい。中に入っちゃ駄目ェ〜〜!!」
百合香が凄んで見せたので、二人ともタジタジになって後ずさった。
「分かりました、もう見ません」
「ホントにお願いね」と、百合香はため息をついた。「あっ、ご苦労さん。そのこたつ、父の部屋の方に置いて」
「オッケーです!」
と、シマが調子よく返事をする……基本的にいい奴だったりするのだが、お酒で失敗するから困ってしまう。
『まあ、今日はお酒出さないから……』と、百合香が思っていると、一階の台所からユノンが呼びかけてきた。
「ユリアス〜! 味見してェ〜」
「ハイハァ〜イ!」
豚汁とおにぎりの調理を女の子たちに任せていたので、百合香は言われるままに味見に行った。
「お味噌、薄くない?」
「そうね……もうちょっと入れた方がいいかなァ……でも、ユノン、お料理うまくなったね」
「エヘッ、頑張ってるでしょ?」
「うん、偉い偉い(^O^)」
「リリィさん、こっちも見てくださいよ」と、後藤が声をかけてくる。「おにぎりもおいしそうでしょ」
「うん、おいしそう……人によって形も大きさも違ってるところがなんとも……」
「リリィさんも握りましょ♪」
「そうね、作ろうかな……」
と、腕まくりをした時だった。――玄関のチャイムが鳴った。
「あっ、誰か来た」
と、百合香が言うと、ユノンが、
「お兄さんじゃない?」
「いやァ……お兄ちゃんならチャイム鳴らさないし」
とりあえず百合香が玄関へ出ると……。
「あら! 久しぶりね!」
「しばらくです、リリィさん」
元ファンタジアのスタッフで、今は保育園で保育士として働いている、カールこと小坂馨だった。
「ジョージに誘われまして。お邪魔していいですか?」
「もちろん♪ 上がって上がって」
そこへ、誰が来たのかな? といった感じで、姫蝶が顔を出した。
「……みにゃあ」
「あっ、キィちゃん。初めてのお客様だけど、どうかな?」
「へぇ……」と、カールは感心そうに言った。「綺麗な猫ちゃんですね。顔も整ってるし、毛並みも綺麗で」
「ありがと。キィちゃん、褒められたよ」
「みにゃあ(^O^)」
「アハハ、褒められたの分かるみたい」
「はい、可愛いですね」
と、カールは身を屈めて姫蝶に手を伸ばした。
『あっ、それだけはヤバい……』と百合香は思ったのだが……。『あれ???』
姫蝶は嫌がりもせず怒ることもせず、カールに頭を撫でさせた。
「すごォい、カール!」と、それらの様子を見ていたユノンは言った。「キィちゃんは男の人には絶対触らせないんだよ」
「へえ、そうなの?」
「そうなのよォ」と百合香は言った。「でも、さっきもナミがちょっとの間だけキィに女だと思われて、触らせてもらってたから、今もカールのことを女性と勘違いしているのかも。ホラ、カールは美人だから」
「見た目で判断しているんですか? 猫って」
「いや……どちらかと言うと、匂い」
「じゃあ、僕は男の匂いがしないのかもしれませんね」
と、カールは立ち上がった。「もしかしたら、僕は女なのかも」
「ありえそうで怖いわね、カールなら」
「確かめてみますか?」
「え?」
百合香が答えに困っている隙に、カールは百合香の右手を取って、自身の胸に触らせた。
「はい、どっちですか?」
「えっと……男の人の割には柔らかい、けど……」
「誰と比べてます?」
「翔太……」
「ですよね。ミネさんはスポーツマンだから胸が筋肉質なはずですよ」
「あっ、そうよね……」
百合香が尚も困っているので、カールは手を離してあげた。
「こんな平たい胸の女はいませんよ」
と、カールが笑顔で言うと、百合香はちょっと安心した。
「そう……よね。ごめん、びっくりしたの。確かめるっていうから、てっきり、あっちを触らせられるのかと……」
「リリィさんにそんなことさせませんよ。苦手なの知ってるのに」
と、カールは満面の笑顔で言った。
「あっ、そうだっけ」
個人的に自分が男性嫌悪症だってことは話していなかったはずだが、噂で聞いていたのだろうか。
ジョージが階段の上から声をかけて来たのは、そんな時だった。
「カール、来てるの? こっち上がってて来いよ!」
「うん、今いくよ!……ついでに、何か上に運ぶものあります?」
と、途中から百合香に言うと、
「あっ、そうね。おにぎり持って行ってくれる?」
「はい、よろこんで」
なので後藤がおにぎりの並んだ大皿を持ってきて、カールに手渡した。
「それじゃ、また後で」
「うん、楽しんでいってね」
カールは階段を上がって行き、「みんな、忘年会ぶりィ〜!」と言いながら居間へ入って行った。
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from: エリスさん
2012年08月03日 15時44分58秒
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「夢のまたユメ・61」
「3階は物凄い被害が出たんだよ」
と、ユノンはポテトチップスを食べながら言った。
なので、百合香も同じ袋からポテトチップスを手に取って、パリッと一口食べてから言った。
「3階だけなの? 他の階は?」
「商品とかは倒れたりしたけど、水浸しになったわけじゃないから、陳列直せば普通に営業できると思うよ」
「水浸し?」
そこへ、三つの紙コップに烏龍茶を入れて戻ってきたナミが言った。「スプリンクラーが誤作動を起こしたんですよ」
昨日の震災で、SARIOの三階のとある飲食店が、すぐに火を止めなかったために、フライパンに引火して、火が天井に届いてしまい、スプリンクラーが作動した。すると、同じ三階にあるすべての店舗のスプリンクラーが誤作動を起こし、三階は水浸しになり、スプリンクラーが設置されていないファンタジアのロビーやシアターに通じる廊下にまで水が流れ込んできてしまったのである。
「お客さんを避難させている間はまだ大丈夫だったんですけど、避難させて戻ってきたら、もうロビーと廊下のカーペットがビチャビチャで、従業員エリアに置いてあった作成中の巨大模型も、水吸っちゃって使い物にならなくなっちゃうし……」
「それってもしかして……」と、百合香がフロアの作業スケジュールを思い出しながら言うと、
「プ○○○アです」
「やっぱり(-_-;) フードコートに陳列するやつよね? 子供たちが喜びそうだったのに……」
「ハイ(T_T) 残念です」
「でもね、何個かは無事だったんだよ」と、ユノンは言って、烏龍茶を飲んだ。「一応それで、プ○○○ア全員はそろうし」
「ああ、それは幸いにも……」
「でも、あの水浸し……特にカーペットが乾いて戻って来るまでは営業できないってことになって。他にも、建物とかに破損が出てないか調べなきゃいけないから、しばらくは休業ってことになるって」
そこへ、姫蝶を抱っこしながら、かよさんが割り込んできた。
「リリィのところには、まだ電話連絡きてないの? 私たち、昼前までにはみんなマネージャーから電話もらって、しばらく休みだって連絡受けてるよ」
「来てないですね、私の所には……キィちゃん、おとなしく抱っこさせてますね」
百合香が姫蝶の鼻先を撫でながら言うと、
「もう、すっかりと私とぐっさんのことは慣れたみたいよ。マツジュンのことは相変わらず威嚇するけど」
かよさんが言うと、翔太とサンドウィッチを食べていたマツジュンが言った。
「そうなんです、俺、まだ嫌われてるんです」
なので翔太は言った。「気にするな、俺もだ」
「そうなんですか?」
「姫蝶は養い親のリリィに激似で男嫌いなんだ。だから仕方ない」
「そうなんですね! 俺だけじゃないんですね」
「ええ〜、でもォ〜」と、ナミはかよさんの手から離れた姫蝶の頭を撫でながら、言った。「俺、平気ですよ?」
「な、なに!?」と、翔太とマツジュンはその光景に驚いた。
確かに一見平気そうに見えたが、姫蝶は鼻面を上げて、自分の頭を撫でている相手の手を良ォく匂いを嗅いだ。その結果、
「シャアッ!」
と、威嚇の声を出した。
「あっ、あれ(゜o゜)???」
「ああ、分かった」と百合香は言った。「ナミ、あなた可愛いから、女の子に見えたのよ」
「ええ〜、そんなァ〜〜!」
それを知り、翔太とマツジュンはこそこそと言い合った。
「男として見てもらえないよりは、まだ姫蝶に嫌われる方が……」
「ですよね」
電話が鳴ったのは、ちょうどそんな時だった。
「あっ、俺が出るよ」
ちなみにここは、二階の仏間兼リビングである。翔太がいたところが一番電話に近かったのと、ちょうど百合香の膝の上に姫蝶が乗ろうとしていたので、翔太が代わりに電話の子機を取ったのだった。
「はい、宝生です。……はい……その声は野中さんですね? お久しぶりです、長峰です。はい、無事です。今、リリィの家に遊びに来てまして……はい、代わります」
翔太は電話の子機をを百合香に渡した。「野中さんからだ」
「ありがとう。……もしもし、宝生です」
「野中です! 良かった、ようやく連絡が取れた」
「え? ようやくって……」
「宝生さんの携帯、何度かけても“電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……”ってガイダンスが流れるんだよ」
「あっ、そうだったですね……」
どうやら、もう普通に使えると思っていたら、まだしょっちゅう圏外に入ってしまっていたらしい。それで野中も仕方なく、自宅の方の電話に掛けたのだった。
野中からの電話は、しばらくSARIOが安全確認に入るため、ファンタジアが休業になるという内容だった。
「いつから再開できるか目途は立っていないので、しばらくは自宅待機で、それでもいつでも出勤できる体勢でいてください」
「分かりました」
「あと、こうゆう非常事態になって、電話では連絡が取りづらくなってしまう場合も……実際、宝生さんがそうでしたからね」
「まったくもってスミマセン(-_-;)」
「いや、電波が届きづらい場所があるってことは、良く聞きますから、それは仕方ないです。それでも、メールなら時差はあっても届くはずなので――iモードセンターが一時預かったりとかして」
「そうですね、確かに」
「なので、今まで従業員のメールアドレスまでは登録していなかったんですが、今日から登録することになりました。今から言うメールアドレスに、件名に自分の名前を入れて、空メールを後ほど送ってください」
「分かりました。――翔太、そこのメモ帳とペンを取って」
相変わらず姫蝶が膝の上に乗っているので、代わりに翔太に動いてもらった。
百合香は野中が言うメールアドレスをメモした。
「あっと、ふぁんたじあ……はい、大丈夫です。では、後ほどメール送ります」
「はい、よろしくお願いします」
百合香は電話を切ると、翔太に子機を渡しながら、言った。
「しばらくお休みになっちゃった……」
「仕方ないよ。こんな時なんだから」
「ねえねえ、それより〜」と、ユノンが言った。「今晩はなに作ってくれるの?」
「はい? (・o・? なに、宴会やりに来たの?」
「ん〜っていうか、疎開?」
「かなり違うよ、それ」と、ぐっさんが言った。「つまり、どこの飲食店も開いてないから、一人暮らしの何人かはまともな食事ができなくなっちゃったのよ。ナミのところなんか断水してるんだって」
「断水!? それは難儀ね……」
「いやァ、そうなんですよォ……」
とナミが言うと、マツジュンが、
「いや、でもこいつ酷いんですよ。昨夜は俺の家に泊まったんですけど……」
「あっ、泊まったんだ」と百合香が言うと、
「電車が動かなかったんで」と、ナミが答える。「でも、朝には帰ったんですよ」
「帰ったけど」と、マツジュンは言った。「2時間もしないうちに戻ってきて、風呂貸してくれ、とか言うんですよ。俺、親や妹と同居してるんですよ。せめて一人暮らしの同僚のところに行けよ!」
「一人暮らしの同僚で男子って言ったら、あいつしか思い当たらなかったんだもん……」
「……ああ、彼ね」
フロアスタッフで、ナミ以外の一人暮らしの男子と言うと――お酒に酔うと男子に対してキス魔になる、シマこと嶋根くんしかいなかった。主に遅番のスタッフなので、百合香と勤務時間が被ることは、1,2時間程度だから、宝生家にも遊びに来たことはない。
「でも、お酒が入らなかったら大丈夫なんでしょ? 彼は」
と、かよさんも言うのだが、
「そう言われてるだけで、しらふでも襲ってきたらどうするんです!」
「ただでさえ、ナミは女の子みたいに可愛いものね」と百合香は笑って、「ああ、だからか」
「何がです?」
「姫蝶が初め、ナミを嫌がらなかった理由よ。マツジュンのところでお風呂借りた時、妹さんのシャンプーを使ったんじゃない?」
「あっ、使いました。でも、妹さんがくれたんですよ」
「俺のがちょうど切れてて」と、マツジュンが言った。「そのこと俺が言ったら、妹が試供品でもらったシャンプーとリンスのセットを持ってきたんです……ハニカミながら」
「あらら(^_^;) ナミ、気に入られちゃったみたいね」
「そうみたいですね」と、マツジュンは不機嫌そうに言った。「うちの妹、女子高から女子短大に行ったんで、男をあんまり知らないんですよ」
「お兄ちゃんとしては、大いに心配するところだね」と、ユノンは言った。「でも、ナミは彼女いるから、妹さんに手を出したりしないから大丈夫だよ」
「そうそう」と、ナミはマツジュンの肩を叩きに行った。「だから、今晩も泊めてね」
「いい加減に断水は直ってるだろう! 今晩は帰れ!」
そんなこんなで、今晩は宝生家で宴会を開くことになった。今この場にいないジョージや、遅番のスタッフにも声を掛け、シマも来ることになったので、
「近隣住民に迷惑がかからないよう、お酒は出しません!」
という、百合香からの御沙汰がくだった。
「それじゃ、材料の買い出しに行ってこようか」
百合香はそう言って、姫蝶を抱き上げた。「キィちゃん、翔太と一緒にお留守番できる?」
「え? 俺、留守番なの」
「この大人数で行くわけにもいかないでしょ? 誰かに残っててもらうとしたら、姫蝶の顔見知りの方がいいじゃない。余震もあるし」
「そうだけど……俺だって懐かれてるわけじゃないから」
「だったら、私が残るよ」と、かよさんが言った。「買い物には、リリィと、ぐっさん、ユノン、あとナミとで行っといで」
「じゃあ、そうします。念のため、姫蝶は猫部屋にいてもらうんで」
かよさんに選抜された四人で買い物に行くことになった一行は、SARIOの食品売り場まで行くことにした。
百合香は母が使っていたショッピングカーを持っていこうとしたが、
「何かあった時、リリィさんだけ先に帰れた方がいいから、自転車持っていって下さい」
と、ナミに言われて、そうすることにした。
SARIOまでは、歩くと25分かかる。途中、百合香が知っているスーパーや八百屋に寄ったのだが、どこもお休みだったので、結局SARIOまで来るしかなかった。
正面入り口まえの駐輪場はガラ空きだった。
「本当にやってるのかしら?」
と、百合香が怪しむと、ユノンがすぐにご案内の張り紙を見つけた。
「食品売り場側の売り口しか開いてないんだよ。だから、こっちの駐輪場が空いてるんだ」
「そして、こんなご案内も」
ナミが見つけたその張り紙には、こう書いてあった。
〈シネマ・ファンタジアに御用の方は、食品売り場側の入口へお回りください〉
その張り紙には、現在地から食品売り場側の入口への簡単な地図も書いてあった。
「これって、間違いなく“先売券の対応”だよね」
と、ぐっさんが言う。
「それしかないよね」と、百合香も言った。
どこの映画館もそうだろうが、映画の指定席券は前日でも購入可能だった。とくに土曜日・日曜日はチケット売り場が込み合うので、前日の金曜日のうちに指定席券を買いに来るお客が多い。とくに今日――3月12日は、前作がかなりの動員数を集めた「SP 革命編」と、ディズニー映画の「塔の上のラプンツェル」の初日だった。
それが、震災のためとは言え、映画館側の都合で見られなくなってしまったのである。当然、払い戻しをしなければならない。
4人は食品売り場側の入口へ行ってみた。すると、長テーブルにノートパソコンと簡易金庫を置いたファンタジアのマネージャー・大原美雪がいた。
「あっ! みゆきちゃんだ!」
と、ユノンが言うと、ぐっさんも大原に手を振りながら言った。
「みゆきちゃーん!」
「コラコラ、二人とも(^_^;)」と、百合香はたしなめた……本人がいないところで、大原マネージャーを下の名前で呼んでいることは知っていたが……。
しかし、そんなことは意に介さず、大原も嬉しそうに両手を振った。
「みんな! 無事だったのね!」
大原も昨日はお休みだったので、ユノンとぐっさん、ナミが出勤していたことは知らなかった。
「みゆきちゃん、入口の外の、こんな寒いところで対応させられてるの?」
と、ユノンが言うと、
「そうなの。目立つところでやらないと、お客さんが気付いてくれないから。それに……入ると分かるけど、自動ドアが開いたところから、もう商品が並んでて」
「ここぞとばかり、いっぱい品物を出してるんですね。みゆきちゃん、災難……」
と、ナミまで言うので、
「もう、あんた達は! マネージャーを友達みたいに呼ぶんじゃないの!」
「ええ〜、いいじゃん。可愛いし」
と、ぐっさんが言うので、大原も微笑んだ。
「いいのよ、今は。他のマネージャーもいないし。それより、みんなで買い物?」
「そうなんです。今晩、うちにフロアの子たちが集まることになりまして……」
百合香は「お酒なしの宴会」をやることを説明すると、
「いいなァ……宝生さんってお料理上手だって評判だし、私も行きたい……」
と、大原は本当に羨ましそうに言った。
「もしかして、みゆきちゃんもまともなご飯が食べられなくなったの?」
と、ユノンが言うと、
「そうなの。なじみのコンビニがお休みで……」
それでもコンビニなんだ(^_^;)と思った百合香は、
「良かったら、大原さんもどうです?」
「え!? いいの?」
と大原が喜ぶと、ぐっさんも言った。
「そうだよ、来ちゃいなよ! 遠慮はいらないよ」
「行く! 絶対行く!」
すると、「僕もいいですか?」と、横から誰かが割り込んできた。
レオちゃんこと榊田玲御だった。
「あら、レオちゃん」と大原は言った。「あっ、交代の時間ね」
「はい、交代の時間です。で、僕も行っていいですか? 馴染みの飲み屋がお休みなんです」
「いいですけど……」と、百合香は言いつつ、この人が来ると翔太が誤解しないかなァ? と心配した。
「飲み屋さんみたいに、お酒は一切出しませんよ」
「お酒はいいです。ご飯がおいしければ」
「でしたら、どうぞ」
『まっ、他の子たちもいるし、大丈夫だろう』と、百合香は割り切ることにした。
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from: エリスさん
2012年07月27日 13時06分58秒
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「夢のまたユメ・60」
朝――二人は5時に目が覚めた。
百合香の仕事がお休みだと分かっても、ゆっくり寝てなどいられなかったのである。寝ている間も余震はあるし、朝早くから訪ねて来る人はいるし、で。
「おにぎり作ったんだけど、食べるゥ?」
「私はサンドウィッチ……」
百合香の幼馴染の静香と千歳だった。
「ありがと……」と、まだ眠い目をこすりながら百合香は言って、ハタッと気付いた。「お水、もう大丈夫なの?」
「水道の濁り水なら、もう昨日の夜から大丈夫だったでしょ?」
と静香が言ったので、
「そうなんだけど、心配だからお風呂に入るだけに止めて、お米はとがなかったの」
「ユリは心配し過ぎだよ。でも安心して、このおにぎりは今朝お米といで炊いたご飯で作ったから」
「しいちゃん、早起きだね」
「いや、寝てられなかった、というのが正直なところ」
「だよね(^_^;)」
「でも、ユリちゃんは……」と、千歳が言った。「ちゃんと眠れたみたいね。お兄さん、帰ってこられたの?」
「いや、お兄ちゃんは帰ってこれなかったんだけど……」
そこへ、まだ浴衣のまま洗顔をしていた翔太が、百合香の部屋に戻ろうとしていたのが見えたので、目ざとく静香が見つけて声を掛けた。
「あら、ユリの彼氏さん? どうも初めましてェ〜!」
なんとなく『逃げられない(-_-;)』と感じた翔太は、おずおずと姿を現した。
「どうも、初めまして……ご近所の方ですか?」
「ハ〜イ、ユリとはちっちゃな時から仲良くしてまして」
なので百合香が補足した。
「幼馴染で同級生なのよ、二人とも」
「……同級生!?」
この時、翔太は『同い年に見えない……リリィ、どんだけ若いんだ?』と思ったのだが、口には出さずに堪えていた。
とは言え、一言だけ発した言葉で、静香と千歳にはその気持ちを察することは出来たようだが。
「ユリちゃんは二十歳ぐらいから、全然、歳とらなくなっちゃったから。昔はユリちゃんのが年上に見えたものなんだよ」
と、千歳は言ってニコッと笑って見せた。「ところで、ユリちゃん。ユリちゃんところは、今日は営業してるの?」
「ううん。ファンタジアは休業だってメールきたわ」
「やっぱり」と、静香は言った。「うちもお休みだって。今、SARIOはとんでもないことになってるみたいね」
「私たち、三人そろって昨日はお休みで良かったわね」と、千歳は言って「でも、うちは営業するんですって」
「え!? そうなの?」
静香はSARIOのおもちゃ売り場の店員で、千歳は食品売り場のレジ係だった。
「さすがに食品売り場は開けないと、ご近所の人たちが困るからでしょ。食べる物が手に入らないもの」
「確かに……ペットショップは開いてないのかな? 食品売り場と同じ階にあるけど……」
「どうだろね。行ってみないと分からないよね……」
静香と千歳が帰ってから、百合香は猫部屋に行って姫蝶の食べる缶詰の数を確認した。
「今晩の分までしかないなァ……」
百合香が困っている隙に、姫蝶は百合香の膝の上に乗って、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「キィちゃん、甘えてる場合じゃないわよ。あなたのご飯の危機なんだから」
そこへ翔太も顔を出した。
「姫蝶は普通の魚は食べないの?」
「お刺身だったら……切り身で売ってる魚は、人間用に味付けしてあるから、猫には食べさせてはいけないのよ。味付けしてなくても、脂分が多かったりするし……」
「猫缶なら、どこのメーカーでもいい? 俺が良くいくホームセンターなら、猫缶も売ってるから、俺、買ってこようか?」
「ホント!? あっ、でもホームセンター自体が営業してるかどうか……」
「こんな時だから、むしろ防災グッズを買い求めるお客さんのために営業してると思うんだ。懐中電灯とか、ラジオとか、キャンプ道具とか……」
「そうよね……じゃあ、頼んでいい?」
「任せろ! それより、リリィも顔洗いなよ。もう水道は大丈夫だから」
「うん、そうする」
百合香は姫蝶を膝からおろして、立ち上がった。
結局、百合香も翔太が行くと言うホームセンターに連れて行ってもらって、二人で買い物をすることにした。するとお店には、この非常時に困らないようにと、水やお茶のペットボトル、米、トイレットペーパーなどをショッピングカートにいっぱい乗せた家族連れが、レジに行列になっていた。
「やっぱり二人で来て正解だったな」
と、翔太が言ったので、百合香も頷いた。
「お店に入ったら、確かにあれこれ必要な物が見つかるから、一人じゃ持って帰れないところだったわ。あっ、紙コップ……」
「断水で食器洗えないとか、想定できるよな。買っとけば」
「うん……」
お店のレジ横には、すでに《懐中電灯、単一乾電池は売切れとなっております》という案内板が出ていた。――この頃、福島の原子力発電所がかなり危険な状況で、いつ停電が起きてもおかしくない状況だったのである。後に「計画停電」というのも行われ、懐中電灯は絶対必需品となっていた。
二人は買い揃えたものを、百合香の自転車の籠に乗せて、入れ切らない物は翔太が手に持った。百合香は自転車には乗らずに、自転車を押して翔太と一緒に帰って来た。
時間はもうすぐお昼になろうとしていたが、一向に恭一郎が帰ってくる様子はなかった。
携帯はもうスムーズにつながっているというのに、今朝、百合香が送ったメールの返信すらなかった。
「そのまま仕事してるんじゃないの?」と、翔太は戸棚にトイレットペーパーを仕舞うのを手伝いながら言った。「恭一郎さんのお店でも、懐中電灯とか売ってるんだろ? それこそ、災害時の便利グッズとか」
「う〜ん……聞いたことないけど、電気屋さんだものねェ」
恭一郎が担当しているのはゲームソフトやDVD・CDを販売しているアミューズメント館ではあるが、一階でアキバ名物を販売しているとも言っていたので、全然関連なさそうなものでも、今日は急きょ売り出している可能性もある。その販売員として、帰宅しないで出勤させられているのかもしれない。
「どうしようかな、今日の夕ご飯……お昼は、まだおにぎりもサンドイッチもあるけど……」
「今晩は帰ってこられるよ、きっと。ちゃんとしたもの作ってあげなよ」
「そうよね……あとで食材の買い物も付き合ってね」
「おう、もちろん」
そんな時だった――玄関のチャイムが鳴った。
「あっ、噂をすればかな?」
「どうかしら。ハーイ!」
百合香が多少期待しつつ、明るく玄関のドアを開けると、そこには……。
「ユリアス〜! 遊びに来たよォ〜!」
「リリィさァん! 無事でしたか!」
「リリィ! あっそぼ〜」
ファンタジアのフロアスタッフの面々が集まっていた。(ちなみに、上から、ユノン、ナミ、ぐっさんの台詞である)
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from: エリスさん
2012年07月19日 17時33分27秒
icon
「夢のまたユメ・59」
翔太の後ろには車が止まっていて、その運転席から紗智子も降りてきた。
「翔太……それに紗智子さんも、良く神田から帰ってこられましたね(二人が勤めている秀峰書房は千代田区の神田にある)」
「当たり前だろ」と、翔太は前髪を格好よく掻き上げた。「愛の翼で飛んできたのさ」
「なにをシェイクスピアみたいなこと言ってるの」と、紗智子は弟の後頭部を叩いた。「私がこの大渋滞を運転してきてあげたんじゃないの、会社の車で」
確かに、見れば車の扉部分に「秀峰書房」と書いてある。
「い、いいんですか? それって職権乱用……」
「いいのよ。ついでに同じ方向の女子社員も家まで送ってあげたから」
「あっ、それなら……」
「それより!」と、翔太は恋人と姉との会話に割って入った。「リリィのところは大丈夫だったの? お兄さんは?」
「私はこの通り大丈夫なんだけど……兄は帰れなくなりました」
「ああ、やっぱり」と紗智子が言った。「電車止まってるものね」
「そうなの(^_^;)」
すると翔太は、
「じゃあ、姉ちゃん。そういうことだから」
と、家の中に入ってきた。そして紗智子の方も、
「はいはい、迷惑かけちゃ駄目よ」
「え? どういうこと?」と、付いていけていない百合香が言うと、
「俺、明日は仕事休みだから、泊まっていくよ。一人じゃ心細いだろ?」
「え? いいの?」
なので紗智子が言った。「私がそうしろって言ったの。たぶんお兄さんが帰れなくなってるから、女がこんな非常時に一人でいるのは危ないんじゃないかと思って」
「ええ〜、ありがとう! 本当にいいの? あっ、でも、今うち水道水が濁ってて、食事が……」
「夕飯なら、車の中で食べたよ。ホラ、おにぎり」
と、翔太はレジ袋に入ったおにぎりや菓子パンを見せた。「リリィも食べる?」
「ううん、私も夕飯は済んでるから……」
「そう、じゃあ冷蔵庫に入れとくな」
「うん……」
翔太はそう言ってさっさと台所に行ってしまうので、百合香は外へ出て紗智子の方へ行った。
「紗智子さんも上がって、お茶でも飲んで行って――ペットボトルのだけど」
「ありがとう。でも、私は帰るわ。母が心配してるだろうし……そうだ。今日、母に会った?」
「ううん、会ってないわ」
「そう……」
「どうして?」
「……今日だったのよ」と紗智子は言った。「例の話、切り出すの」
それだけで、何のことか分かる。
「きっと、出掛ける前に地震が来たのね。だから、あなたに会いに来られなかったんだわ」
「お母様に何かあったとか……」
「ううん。単純に、それを口実にして会いに来なかったのよ。お母さんだって、あなたにそんな話したくないの。お母さん、あなたのこと気に入ってるから。でもそれで良かったわ。あなたにその話をした後じゃ、こんな非常時でも、あなた、翔太を家に上げることなんてできなかったでしょ?」
「ええ……そうね」
皮肉なことだった。地震のおかげでみんなが大変な目に会っている時に、自分は恋人との別れがしばし先延ばしになってくれたのである。
『いつか罰が当たりそうね』
それでも、今は……この幸福を手離したくない。
「リリィ、そろそろ寝る時間だろ? お風呂って入れるの?」
「あっ、うん。辛うじてそれは大丈夫。でも、水は飲まないようにしてね」
「分かった。じゃあ、着替えだしといてね」
「はいはい」
長時間、車に乗っていたせいか、疲れたのだろう。翔太はもう寝る気満々だった。
さて、翔太が家にいるとなると……。
「キィちゃん……」
姫蝶が焼きもちを焼いて翔太に意地悪をしないように、猫部屋に入ってもらわないといけないのだが……。ちゃんとそれを分かっているのか、姫蝶は、
「みにゃあん」と鳴いて、自分から猫部屋に入った。そして、クッションの傍まで行くと、「うにゃあ〜ん、ぐるぐる〜」と甘えた声を出して、クッションには乗らずその前で箱座りをした――背中を撫でてほしいときの体勢である。しかも、喉をゴロゴロと鳴らしているところを見ると、すでに満足度100パーセントということだから……。
『まだ、あそこにお母さんがいるのかしら?』
百合香の代わりに母・沙姫が姫蝶の面倒を見てくれている?――いや、むしろ可愛い物が大好きな沙姫が自分から姫蝶と遊びたがっているのかもしれない。
とりあえずここは、ありがたく猫部屋のドアを閉めさせてもらった。
お風呂から出た翔太は、真っ先にお布団に倒れ込んだ。
「ああ〜、疲れた……」
「お疲れ様」
隣に横になりながら、百合香は掛布団を掛けた。「会社も大変だったんでしょ?」
「うん。本棚が倒れて、書籍が全部落ちてきて……それでもオフィスはまだいい方で、倉庫なんかめちゃくちゃになってたよ。ひどい揺れたものな……しかも長時間」
「場所によってはそうなんですってね。私もかなり経ってからテレビで見て知ったんだけど」
「ん? ってことは、リリィがいた場所はそんなに揺れなかったの?」
「レンタルショップの地下にいたのよ」
「ああ、地下か……俺はビルの7階にいたから」
「揺れの大きさも、時間も、倍になるのね」
実際この震災の時、高層ビルなどは地面の揺れが止まっても、ビル自体が揺れ続けている映像が残されている。中にいた人は相当な恐怖を味わったはずである。
「でも、地下だったら」と、翔太は寝返りを打って、百合香の方を向いた。「建物が潰れたら閉じ込められたかもしれないんじゃん! レンタルショップってあそこだろ? 駅の傍の」
「ええ、そうよ」
「あそこって、昔はデパートだったんだろ? うちの母さんが言ってた」
「ええ、そうよ」
「それから建て直してないって言ってたから、相当古い建物なんじゃ……」
「確かに、私が幼いころからあるから、ざっと見積もっても築40年ぐらいね。まあ、リフォームぐらいはしてるはずだけど」
しかし、百合香が外に出た途端、外壁が崩れて砂粒が落ちてきたのは確かだ。それを考えると、やはり百合香も危険だったのかもしれない。
そのことは翔太に話さなかったが、それでも翔太は感じ取ったのか、百合香に覆いかぶさるように抱きしめてきた。
「良かったァ〜、お互い無事で」
「……ホントね。良かった……」
百合香が翔太の頬に頬ずりをすると……翔太が百合香の浴衣の帯を解こうとしてきた。
百合香はその手を止めさせた。
「今日はしないわよ」
「え? なんで!?」
「こんな大変な時に、不謹慎でしょ。今晩はお布団で寝られない人だっているのよ」
「そうだけど……だからこそ、一緒に居られる時間を大事にしたいじゃん」
「理屈はわかるけど……もし、その最中に地震が来て、家具とかに押しつぶされて死んじゃったらどうするの」
「つながったまま死ぬるなんて最高だろ」
「私たちはね(^_^;) でも、救出に来てくれた人は気まずいったらないわ」
「そんなことまで気にしなきゃならないの?」
「そうよ」
「俺は嫌だね、そんなの……」
翔太は、百合香に何も言わせないために、彼女の唇を唇で封じ込めた。
そんな時――余震が起こった。
結構な揺れ方で、一瞬唇が離れた隙に、百合香は顔を背けて、言った。
「離して……」
「やだ」
翔太は百合香の左肩を押さえつけるようにして、百合香を離さなかった。
「地震が起きてるのよ、避難しなきゃ……」
「すぐに納まるよ」
百合香が無駄な抵抗をしている間に、たしかに地震は納まった。
翔太が押さえつけていた左肩のあたりから、浴衣が脱げかかっていた。帯はすでに解けている。それでも翔太はまだ、百合香にキスしか迫らない。
「お願い、離して……」
呼吸のために唇が離れた途端に百合香が言うと、翔太は少し体を起こして百合香を見下ろした。
「俺と死ぬのは、嫌なの?」
「そうじゃないわ」
「じゃあ、どうして……」
「だって……私だけ、こんな幸せでいたら、罰が当たるもの」
こんなことを言われてしまうと、大人として引き下がるしかない。――確かに、不謹慎なことをしているという自覚もないわけではない。
翔太は百合香の上から退くと、彼女の横で胡坐をかいて、ため息を吐いてからうなだれた。
『どうしよう……気持ちは分かるんだけど……』
抵抗してくる百合香があまりにも色っぽくて、もう、体の方が制御できないところまできていた。
『またシャワーでも浴びてくるか……』
と、翔太が立ち上がろうとすると、
「あの……翔太……」
と、百合香が声をかけて来た。
「やっぱり……して?」
「え?」
と、翔太は振り返った。
「あのね……あの……」
百合香が恥ずかしそうに、目も併せられないほど頬を紅潮させている様子で分かった。百合香も、体が制御できなくなっていたのだ。
翔太はバッと上半身だけ浴衣を脱いだ。
「皆まで言うな! やっぱり俺たち相性バッチリだ!」
「…………うん(*^_^*)」
その音は、二人がすっかり寝入ったころに鳴り響いた。
寝ぼけてながら起きた翔太は、鳴っているメロディーからこう言った。
「ガンダムの……ティーエムの……なんだっけ……」
百合香は浴衣で胸元だけを隠して、自分の携帯電話を手に取り、決定ボタンを押した。
「T. M. RevolutionのINVOKEよ。メールだわ……」
百合香はファンタジアのメンバーからの着信はT. M. Revolutionの曲を使っていた。
時刻は午前1時――完全に夜中である。
「こんな時間に誰からだよ」
と、翔太は浴衣をちゃんと着ながら言った。すると、
「ナミとジョージとかよさんから」
「はい?」
「いっぺんに三人分届いたのよ。あっ!」
「どうした?」
「私、明日……じゃない、今日お休みだわ」
「へ??」
「臨時休業よ。明日、ファンタジアは営業できないんですって」
それは、ファンタジアおよびSARIOの館内がかなりの被害を受けたため、明日はSARIOのほとんどの店舗が営業できなくなったことを知らせるメールだった。最初の発信はナミからで、ジョージとかよさんはそれをコピーして転送する形で、フロアスタッフ全員に連絡が行き届くようにしたのである。だから、文面は3通とも同じだった。
「私の携帯が圏外から脱出できたのが、ちょうど今だったのね。みんなは8時ぐらいに送ってるわ」
と、百合香は携帯を翔太にも見せて、かよさんのメールで何時に発信されたかを示すところを指でさした。
「ああ、ホントだ。……そういや、リリィの部屋って圏外になりやすいんだっけ」
「そうなの。すぐ傍が陸橋のせいなのか、それとも私の部屋の前の金木犀の樹のせいなのか。とにかく、電波が届きづらいの。そこへきて、昨日の震災でしょ?」
「そっか……とりあえず、明日お休みなら、少しゆっくりできるな」
「だといいんだけど……」
と、百合香が言った途端に、また百合香の携帯が鳴った。――今度は「あずまんが大王」というアニメの主題歌「空耳ケーキ」の着メロだった。
「あら、お兄ちゃんから……」
と、百合香は携帯を開いて、決定ボタンを押した――届いたのはメールだった。
「結局ネットカフェには泊まれなかったから、みんなと一緒に会社の休憩室でごろ寝することになった。おまえは一人で大丈夫か?」
という内容だった。――発信時間はたった今だった。
「あっ、お兄ちゃんまだ寝ていないんだ」
「ああ……きっと、寝泊まりできるところを探して、歩き回ったんだね。相当な帰宅難民が出てるみたいだし」
と、翔太は気の毒そうに言った。
「そうね。それでも、会社に泊まれただけマシなのかしら……」
百合香はそういうと、恭一郎に返信打った。
「私は大丈夫だよ。翔太が泊まりに来てくれたから」
それを横から見ていた翔太は、
「え!? それ送っちゃ駄目!」
と言ったが、時すでに遅かった。
「あら、どうして?」
「恭一郎さんはリリィの上を行くお堅い人だから、こんな時に俺がお泊りしてるなんて知れたら……」
と、翔太が心配していると、今度は翔太の携帯が鳴った――仮面ライダーWの「W-B-X」の冒頭部分の着うただった。
「あっ、恭一郎さん……」
恐る恐るメールを開くと、文面はこうだった。
「ありがとう!\(^o^)/」
ほっ、と翔太は安堵した。「良かった、怒ってない……」
「お兄ちゃんは怒らないわよ」と百合香は言った。「あなたのこと信頼してるもの」
「そっか、良かった……あっ、なあ?」
「ん?」
と、百合香は素肌に浴衣を着つけながら答えた。
「リリィの携帯は、届く相手によって着うた替えてるんだね」
「そう。曲を聞いただけで、だいだい誰から届いたか分かるでしょ?」
「俺からのは、何の曲にしてるの?」
「試しに送って見て、空メールでいいから」
「ん。」
言われた通り、翔太は百合香に空メールを送った。すると……、
百合香の携帯から「W-B-X」のサビ部分の着うたが流れた。
「私たちの共通の趣味でしょ?」
百合香がそう言って微笑むので、翔太は照れ笑いをするのだった。
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from: エリスさん
2012年07月13日 10時38分51秒
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「夢のまたユメ・58」
それから夕暮れ時になるまで、百合香たちは外にいた。
その頃になると余震が来る間隔もかなり空いてきたので、もう大丈夫だろうと判断し、みんな家の中に戻ったのである。
幸太にずっとなだめられていた姫蝶だったが、やっと家に入れると分かると、真っ先に自分の部屋に戻って、クッションの上でぐったりとしてしまった。
「キィちゃんたら、よっぽど外が嫌だったのね」
「みにゃあ……」
「でも、カッコイイ彼氏が出来たじゃない」
「み?」
「幸太君よ。外に出なかったら知り合えなかったでしょ」
「にゃあ……」
姫蝶は「そんなこと、どうだっていいもん」と言いたげに身体中を伸ばして、またクッションの上で脱力した。
「はいはい、ゆっくり休んでなさい。お姉ちゃんは洗濯物を取り込んでくるからね」
「みにゃあ」
百合香は洗濯籠を持って二階に行き、仏間から兄の部屋に入ろうとして…………絶句した。
兄・恭一郎の部屋の壁や棚に飾られたコレクションがほぼ全部落ち、そして床に平積みを通り越して山積みになっていたオタク系雑誌や漫画の数々が雪崩を起こしていたのだった。
「……と………通れない。(・_・;) 」
しかし、ベランダに行くには、この兄の部屋を通るしかない。仕方なく、仏間に置いてあった空の段ボール箱(恭一郎が宅配で何か取り寄せた時の箱)を持ってきて、フィギュア類はその中に入れ、雑誌や漫画は無理矢理にでも壁際に寄せた。それでなんとか通路を作ったのだが……。
『お兄ちゃんが帰ってきたら、もう少し片付けるように言わなきゃ……そう言えば、お兄ちゃん大丈夫なのかしら?』
携帯電話はまだ不通のままだった。
携帯電話は使えなくても、家の電話なら通じるかもしれない。だったら、恭一郎が勤めているお店に電話をすれば通じるだろうが……そんなことをすればお店の人に迷惑だ。
『だいたい、ここの地震で関東全域の人がきっと、携帯が使えなくなってるはずだから……家族に連絡を取りたくても取れない人は、相当な人数になってるはずよね……』
洗濯物を取り込んで一階に戻ってきた百合香は、そもそも震源地はどこだったのかと思い、帰宅して初めてテレビを付けた。
そこでようやく、地震が関東だけではなく東北にまで及んでいたことを知った。しかも、関東なんかより何十倍も被害がひどい!
『津波って!? え…………えと、お父さんがいる新潟は日本海側だから……』
百合香が心配していると、家の電話が鳴った。
慌てて百合香が出ると、
「ゆ……ゆゆ……」
と、なかなか声の出せない父・一雄の声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「良かったァ! お父さん無事だった\(^o^)/」
「お父さんは大丈夫だよ、それよりそっちは大丈夫だったのか? 恭一郎は?」
【作者注・一雄は吃音症だが、この作中では意訳して表記している】
「お兄ちゃんとは連絡が取れないの。携帯がつながらなくて」
「そうなのか。お父さんから連絡してやろうか?」
「私の携帯だけがつながらないわけじゃないよ。きっと地震の被害にあってる地域の人はみんな携帯が使えなくなってると思う。電波がパンク状態なんだよ。お父さんの携帯は大丈夫なの?」
「お父さんのは家にいる間はいつも使えないよ。山の中だから圏外になるんだ」
一雄が言う通り、一雄が住んでいる所は新潟の山の上の方で、しかも森だらけのところなので、携帯の電波が普段から届かない地域だった。だから一雄が携帯を使用するのは山から下りて町に行く時か、東京に帰ってきている間だけである。
「恭一郎と連絡が取れないんじゃ心配だが……別にビルが倒れたりとかはしていないんだろ? 秋葉原は。だったらきっと大丈夫だ」
「うん、そう思いたい」
「それじゃ、恭一郎と連絡が取れたら、お父さんの所に電話くれな」
「分かった」
「それじゃ……」
「あっ! ちょっと待って!」
一雄が電話を切りそうだったので、百合香は慌てて止めた。
「どうした?」
「あのね、お母さんが来たんだよ!……ううん、もしかしたら、まだいるかも。見えないだけで」
百合香は、母・沙姫が姫蝶を守ってくれていたことを話した。柿沼のおばあさんにも見えたことも。
すると感慨深く、一雄はため息をついた。
「そうか。お母さんが来てくれたか」
「うん……」
「良かったな。きっと、百合香がこれ以上寂しい思いをしないように、キイを守ってくれたんだな」
「うん、きっとそうだよ」
「だったら、恭一郎のこともきっと守ってくれているよ」
「そっか。そうだね……」
「じゃあ、そろそろ切るぞ」
「うん、またね」
百合香が受話器を置くと、足もとに姫蝶が来ていた。
「みにゃあ!」
「うん、そうだね。お腹すいたね。ご飯にしよう」
「にゃあ!」
味噌汁を作ろうとお鍋に水を入れた時だった。
「……おおっと!」
水道から茶色い水が出てきて、百合香は慌てて水道を止めた。
「え? 今日って濁り水のお知らせ来てたっけ?……あっ、キィちゃん!」
今まさに水の器から水を飲もうとしていた姫蝶から、水の器をひったくるように百合香は奪い取った。
「みにゃあ?」
「ごめんね、キィ……あっ、キィちゃんのは濁ってないや」
自分のご飯より先に姫蝶のご飯を用意したのだが、姫蝶の器の水は濁ってはいなかった。それでも念のため、百合香は器の水を捨てて、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、それを器の中に入れて姫蝶に出した。
「これも地震の影響か……どうしよう、お米もとげない」
外はまだ夜と言うほどではない。これぐらいなら買い物に行ける! と思った百合香は、急いで近所のコンビニまで自転車で出掛け、お弁当を二人分とペットボトルのお茶を4本買ってきた。――ミネラルウォーターは売り切れだった。
「濁り水が今晩だけで済むならいいんだけど……どうしよう。明日仕事だから、お風呂入りたいなァ」
この時はまだ、明日は普通に仕事に行けると思っていた百合香だった。なにしろ、今日のファンタジア――ないし、SARIOの状況を見ていないので、レンタルショップのように「片づければ営業できる」ぐらいにしか考えていなかったのである。
水道の濁りは2時間後ぐらいには収まり、それでも飲むには怖かったが、百合香は思い切って入浴と洗髪を済ませた。
明日はフロアスタッフの中で一番早く出勤することになっていたので、朝は4時に起きなければならない。兄・恭一郎のことは心配だったが、明日のことを考えれば、そろそろ寝なくてはならない時間だった。
テレビを点けて、秋葉原の様子を映しているテレビ局がないか、リモコン片手にチャンネルを変えてみたが、電車が止まって帰宅難民が出ているニュースとして他の駅周辺は映し出されるのだが、どこも秋葉原は映していなかった。あとは東北の様子ばかりである――無理もない。
どうしよう……と、困っている時、家の電話が鳴った。
「百合香! 無事か! キィは!?」
恭一郎からだった。
「お兄ちゃん! 良かった、無事ね! キィちゃんも元気だよ」
すると姫蝶が、百合香の足もとから元気よく「みにゃあ!」と鳴いてみせた。
「ほら、キィちゃんが“大丈夫だよ”って鳴いたよ」
「おお、聞こえた! 良かった、無事だな。父さんから連絡はあったか?」
「あったよ。お父さんも無事だって。ところでお兄ちゃん、この電話って……」
「公衆電話だよ。昔と違って、公衆電話の数が減っちゃってるから、すごい行列になってて、ようやく俺の番になったんだ。みんなこの非常時だから、10円玉一枚分しか通話しないで交代してるんだ。だからそろそろ俺も切るぞ」
「うん、とにかく無事で良かった。電車止まってるから、今日は帰れないんでしょ?」
「おう。でもアキバはネットカフェの宝庫だから心配するな!」
「うん! 心配しない!」
そこで通話は切れたが、百合香はもう安心していた。
『そうだ、お父さんに電話しなきゃ』
百合香がもう一度電話を手にしようとすると、今度は玄関のチャイムが鳴った。
百合香はインターホンで外に声を掛けた。
「はい、どなたですか?」
「リリィ! 俺だ!」
「え!?」
百合香はインターホンを戻すと、急いで玄関に出て鍵を開けた。
そこに、翔太がいた……。
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from: エリスさん
2012年07月06日 14時16分06秒
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「夢のまたユメ・57」
「キィちゃん。お母さんにお礼言いに行こうか?」
百合香はそう言いながら、2階の仏間に姫蝶を抱っこしながら上がって行った。仏間も棚の上のぬいぐるみや、兄のコレクションの食玩が倒れたり落ちたりしていた。そして百合香は姫蝶を床におろすと、仏壇の扉を開いた。すると、母の位牌が転がり落ちてきた。
「……お母さんったら……」
自分の位牌も落ちかけていたのに、そんなことより、自分が生きていた頃はまだ家族の一員ではなかった姫蝶を守っていてくれていたとは。
百合香は位牌を元通りに仏壇に戻すと、正座して手を併せた。
「姫蝶を守ってくれて、ありがとう、お母さん……ごめんなさい」
最後の「ごめんなさい」は、破談の理由を母の所為にしようとしていたことへの謝罪だった。
百合香が長いこと手を併せていたので、姫蝶は百合香の膝の上に乗ってきた。
「みにゃあ?」
「ん? お母さんにお礼言ってるんだよ。キィちゃんもお礼して」
百合香は姫蝶を抱き上げると、何となく前足を併せるような格好をさせた。
玄関から声を掛けられたのは、そんな時だった。
「ユリィ! 無事ィ?」
「ユリちゃァん!」
百合香はその声ですぐに誰だか分かって、姫蝶を抱っこしたまま下へ降りた。
「しいちゃん! ちいちゃん! 良かった、無事だったのね」
二人とも近所に住んでいる百合香の幼馴染で同級生である。
しいちゃん――荒岩静香(あらいわ しずか)は斜め向かいの家に住んでいて、高校1年生の長女を筆頭に5人の子供のお母さんで、実はこの一帯の土地を所有している地主の一人娘。ゆえに旦那さんは婿養子である。
ちいちゃん――福田千歳(ふくだ ちとせ)は2軒隣に住んでいて、旦那さんが事故で他界したので、小学生の息子を連れて実家に戻ってきていた。
「自転車出しっ放しになってるから、家の中でなんかあったんじゃないかと思って、声かけたのよ」
と静香が言うので、
「ごめん、でも大丈夫。キィの無事を確認したくて慌ててたら、自転車のことなんて忘れていたわ」
「だよね」と千歳も笑った。「それより、まだ余震続いてるから危ないよ。外にいた方がいいから、今みんなでそこに集まろうってことになったの」
静香の家の隣は空き地になっていた。宝生家の向かいの藤木さん家のおばあさんが一人で住んでいたのだが、10年前に亡くなったので、更地にして荒岩家に土地を返していた。そのまま何に使うでもなく……静香の子供たちが遊び場にしたり、プランターで野菜を作ったりしていた。
「いやあ、誰にも貸さないでおいて良かったよ、この場所」
荒岩家の大旦那・荒岩剛士(あらいわ たけし。静香の父親で、ここら一帯の地主)は豪快に笑いながら、キャンプ用のベンチを孫たちと一緒に運んできた。
「ガスとか電気とか止まったら、ここで飯盒で飯作れるからな」
「お父ちゃん! 不謹慎なこと言わないでよ(-_-;)」
と、静香はたしなめたが、そんな剛士の豪快さを快く認める人もいた。
「いいんだよ、しいちゃん。こんな非常時にはね、それぐらいの方が……」
静香の家と千歳の家の間に建っている柿沼家のおばあさんだった。
「あっ、おばあちゃん。どうぞ、こっちに座ってくださいよ」
剛士がキャンプ用のベンチを勧めると、柿沼家からクッション付きの椅子を持って出てきた女性――柿沼木綿子(かきぬま ゆうこ)が言った。
「大丈夫、おばあちゃんの椅子は持ってきましたから。おばあちゃん、こっち座って」
「ありがとよ……」
どんどん近所の人が出てきたので、百合香も姫蝶を連れて外に避難することにした。先ずは自転車を片づけて(^_^;)
「玄関しめない方がいいよ。地震で家が傾いたら、ドアが開かなくなって中に入れなくなるから」
と千歳に言われて、
「だ、だよね……」
と、百合香は玄関の戸を開けたまま外に出た……すると、姫蝶が百合香の肩をよじ登って、家の中へ逃げてしまった。
「あっあれ………あっ、そうか……」
姫蝶は男の人が嫌いだった。しかも、完全室内飼いの姫蝶は荒岩剛士にも、千歳の父にも、静香の子供たちにも会ったことはない。
「キィちゃ〜ん! 大丈夫だよ、お姉ちゃんと一緒にお外にいよう!」
百合香が家の中に向かって言うと、奥の方から、「みにゃあ〜ん!」と姫蝶が返事をするのが聞こえた。
「なに? 怖がってるの?」と、静香が聞くので、
「ごめん。うちの子は男性恐怖症で……」
「うわァ〜、飼い主そっくり……」
「面目ないです(-_-)」
「え? でもでもォ〜」と千歳が割り込んできた。「ユリちゃん、最近彼氏できたよね?」
「な、なんで知ってんの!?」
百合香が驚いて後ずさると、静香は、
「なになに? それ初耳なんだけど!」
「毎週土曜日に来る男の人がいるんだよ。私、仕事帰りが同じぐらいの時間だから、良く見かけるんだ。すごく若い人だよね?」
「若いって、いくつ!???」
と、静香が食いついてくるので、百合香は恐怖を覚えながら言った。
「……に……26……」
「14歳も年下って、あんただけ若作りだからって何やってんのよ!!!!」
その間、姫蝶のことも、ご近所のおじさんおばさんたちも放って置かれていたのだが……柿沼のおばあちゃんが何かに気付いて、誰もいない方を向いてニコッとした。
「沙姫さん、帰って来てたのかい」
それを聞いて、木綿子と剛士がギョッとした。
「沙姫さんって、宝生さんとこの?」
と剛士が言うと、木綿子も言った。
「ちょっとおばあちゃん、何言ってるのよ。沙姫さんは5年前に……」
「だから、帰って来たんだよ。見えないのかい? ……ん? この子かい?」
おばあちゃんは膝の上でおとなしくしている茶トラの猫の背を撫でながら、誰もいないはずの右側を向きながらしゃべっていた。
「この子は幸太(こうた)と言うんだよ。そう、子供のころに死んだ木綿子の弟の名前なんだよ。幸太の命日に家に迷い込んできてね……いいよ、貸してあげるよ」
「ちょ、ちょっとォ……」
木綿子が躊躇っていると、おばあちゃんの会話に気付いた百合香がこっちに来た。
「すみません、実は……本当にうちの母、帰って来てるみたいなんです。私もさっき見えて……」
「え? そうなの?」
どうやら猫の幸太にも見えているようだった。幸太もおばあちゃんが向いていた方をじぃっと見ていて、「にゃあ!」と鳴くと、膝の上から降りて、宝生家の家の中へ入って行った。
中から、姫蝶と幸太の会話の声が聞こえてくる。そして……。
幸太が先頭に立って、姫蝶が恐る恐る外に出てきた。
おおう……と、誰もが感嘆の声をあげた。
「ありがとう、幸太君!」
百合香がそう言いながら幸太の頭を撫でると、「にゃあ」と一声だけ鳴いて、幸太は気持ちよさそうに目を閉じていた。
余震が起きたのはそんな時だった。
姫蝶はダッシュで家の中に戻ってしまい、それを百合香と幸太が追いかけた。
「キィちゃん! 今は外に居なきゃダメ!」
「みにゃああん!」
完全に「嫌ァ!」と言っているのは分かる。そんな姫蝶を、幸太が大きな声で怒鳴った。
「ニャアーー!!」
幸太がなんと言ったのかは分からないが、それで姫蝶が完全に動きを止めたので、百合香は咄嗟に抱き上げて、外へ連れて出た。
百合香たちが外へ出てきたころには、揺れが収まっていた。
百合香の腕の中で、姫蝶が震えて怖がっているのが分かる――姫蝶にとっては、地震も、人間の男も同じくらい怖い物なのだ。
すると、宝生家の玄関先にある郵便受けのあたり――ツユクサなどが生え始めている雑草地に幸太は行って、姫蝶に声を掛けた。
姫蝶も返事をしている。――確かにそこなら、建物からもやや離れているし、皆が集まっている空き地からも離れている。
「キィちゃん、あそこなら居られる?」
百合香は姫蝶をそこまで連れて行って、そうっと姫蝶を降ろした。
すると、幸太が姫蝶の頭をなめて毛づくろいを始めてくれた。
「幸太君が一緒にいてくれるの? ありがとう……」
それを見て柿沼のおばあちゃんが言った。
「大丈夫だよ、ユリちゃん。猫は猫同士に任せておきなさい」
「はい……そうですね」
百合香はまだちょっと心配そうに……それでも、みんなが集まっている空き地の方に行った。
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2012年06月22日 10時25分45秒
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「夢のまたユメ・56」
第3章 引き戻された現実
地震だ……と、百合香はすぐに思った。
揺れは少し大きいように思えたが、恐怖心はなかった。だいたい電車に乗っている時はこれぐらい揺れるし、どうせすぐに収まると思ったからである。
しかし、揺れはなかなか収まらなかった。
『長いなァ……』
この時点でも、百合香はまだ呑気に構えていた。
そのうち、百合香からはかなり離れたところにある洋画コーナーのDVDが、棚から崩れ落ちて行く音が聞こえた。
『揺れが収まるまで、棚からは離れた方がいいかな?』
百合香は足もとがおぼつかないながらも、仮面ライダーコーナーから離れて、先ほどの「おまえうまそうだな」の特設棚に近い柱の所に行った。すると、今度は百合香がいるところから割と近い邦画コーナーのDVDが棚から雪崩のように落ち始めたので、邦画コーナーのすぐ裏にあるアダルトコーナー(20未満立ち入り禁止の暖簾がかかっているコーナー)から、50代ぐらいの男性客が飛び出してきた。その男性客は百合香と目が合うと気まずそうに、
「いやあ、かなり揺れてますねェ」
と、照れ笑いをした。
「そうですね、ちょっと長いですね」
と、百合香は返事をして、愛想笑いをした。
『この人、うちの映画館にも良く来る人だ……』
男性客もそれに気付いているのだろう。だからアダルトコーナーから出てきたこともあって、気まずくなったのである。
男性客はそうそうに立ち去り、百合香はまだ揺れが収まるのを待っていた。
『それにしても、長いなァ……』
と百合香が思っていると、すぐ横の「おまえうまそうだな」が棚ごと倒れてきた。
『ええ〜!? うまそう君が!? ……DVD割れてないかなァ』
百合香がこんなに呑気にしていられたのは、前述したが、だいだい電車に乗っている程度の揺れしか感じていなかったからである。これは百合香がいたところが建物の地下だからだろう。当然、建物の上の方はかなりの揺れ方をしており、客も従業員も軽くパニックを起こしていた。
しばらくして、従業員が店内を見回りにやってきた。女性スタッフが百合香を見つけて、
「大丈夫ですか? ご気分などは悪くなっていませんか?」
と、声をかけて来た。
『あっ、災害時マニュアルだ』と、ファンタジアでの避難訓練を思い出した百合香は、
「はい、大丈夫です」
と、すぐに答えた。
「では、揺れが収まりましたら避難いたしますので……」
と、女性スタッフが話している間に、揺れが収まってきた。
「では、足もとに気を付けて、外へ避難しましょう」
「はい、お願いします」
確かに、店の中のこの状況では、すぐには営業を再開できない――百合香はDVDを借りるのを諦めて、スタッフの誘導で一階へ上がった。
見ると、一階のCD・DVDセールスコーナーと、その奥の書店はもっとひどいことになっていた。出口では、男性スタッフが、
「足もとにご注意ください! 階段中央はお通りにならないでください!」
と、言いながら、客を出口の左右の端から外へ出していた。
「では、あちらのお出口から外へお出になってください」と、先ほどの女性スタッフが百合香に言った。「足もとが危なくなっているので、ご注意ください」
「はい……また来ますね」
「はい、お待ちしてます」
たまたま地下のレンタルの客が百合香と、先刻の男性客など数人しかいなかったから、誘導もスムーズに済んだらしいが、一階から上の階の客たちは少々不満もあるらしい。なにしろ、出口が書店コーナーのも併せると2つしかないから、全員が避難するのに時間がかかってしまうのである。
「他の出口はないのかよォ……」
と、他の客が文句を言っている理由を、百合香は自分が出口に辿り着いた時に知った――タイル張りの階段が割れて崩れていた。
そして、百合香が無事に外に出られたとき、上から外壁が崩れて細かい粒が落ちてきた。――それが背中にかかった百合香は、ようやく恐怖を覚えた。
建物が崩れて、地下から出られなくなる可能性もあったのだ!?
百合香たち客が全員外へ出たのを確認して、レンタルショップの店長が、入口のシャッターを閉める。――レンタルショップだけでなく、その両隣の店も、道路を挟んだ向かいのパチンコ屋と薬局もシャッターを閉めていた。
店から締め出された形になった客たちは、一方通行のせいもあってなかなか車が通らない道路に溢れ出していた。みな、どうしていいか分からず、とりあえず携帯電話で誰かに連絡を取ろうとしていた。
『そうだ、お兄ちゃんにメール……』
この時の百合香は地震が日本列島の広範囲に及んでいるとは思いもせず、新潟県にいる父よりも、都内である秋葉原の電機量販店の店員をしている兄・恭一郎に連絡を取ろうとした。手早くメールで「私は無事だよ。お兄ちゃんは?」と入力して、送信したが……すぐに「送信できませんでした」と表示された。
『電波は立ってるのに……』
百合香が戸惑っていると、すぐ傍にいた同い年ぐらいの女性に、
「無理よ、通じないわ」
と、声を掛けられた。「いっぺんに大勢の人が携帯を使ってるから、電話回線がパンク状態なのよ。私も、さっきから子供に連絡を取ろうとしているんだけど……」
「お子さんに……何年生のお子さんですか?」
「もう中学生よ、中2。今頃、下校時間なんだけど……どっか、ほっつき歩いていないでまっすぐ帰って来てればいいんだけどね」
と、その女性は肩のバッグを掛け直して、言った。「早く家に帰った方が良さそうね。あなたも、家にいた方が家族と連絡が取れるかもしれないわ」
「ええ、そうですね。そうします」
『そうだ、帰らなきゃ……キィちゃんが!』
こんな日に、姫蝶を家に一匹だけにしてしまった。どんなに心細い思いをしているか知れない。
百合香は足早に、自転車を置いていたSARIOに向かった。途中、駅前も、商店街も人で溢れていた。どこもかしこも、来ていた客をその場から避難して入口を閉じたからである。そして大概の人が、どうしていいか分からず動けなくなっていたのだ。
百合香がSARIOに着くと、案の定ここも広場と駐輪場に人が溢れていた。外にいてもSARIOの館内放送が聞こえてくる。
「本日は誠に勝手ながら、全店舗の営業を中止させていただきます。お客様にご案内申し上げます……」
この分だと、3階のシネマ・ファンタジアも大変なことになっていることだろう。だが、百合香にはどうすることもできなかった。
『ごめんね、みんな。手伝いに行けない……私には姫蝶のが大事なの!』
実際、入館証を持ってきていない百合香が、この状態で一般客の入り口から入るのは迷惑になってしまう。ここは引きさがって自宅に帰るのが一番の選択だった。
自転車を走らせている間も、どうやら余震があったらしいのだが、百合香はそんなことを気にしている余裕はなく、一路自宅を目指した。
家に着くと、すぐに目についたのは3段の棚に並べた植木鉢の一つが落ちて、割れていたことだった。買ったばかりのチューリップの苗だったが、直している余裕はない。
百合香は自転車の鍵も抜かずに、急いで家の中へ入った。
「キィちゃん! 無事?!」
いつもは玄関で「ただいまァ」を言っただけで、返事をしながら出て来る子が、出て来ない。
「キィちゃん! キィちゃん、どこ!」
百合香は玄関で靴をそろえるのも忘れて中へ入り、そのまま猫部屋へ向かった。……すると……。
「……キィ……ちゃん?」
姫蝶はクッションの上にいた――少し宙に浮いて。
いや、違う。かなり薄くて見えづらかったが、誰かがクッションに正座して座り、その膝の上に姫蝶を乗せて寝かしつけていたのである。その誰かが、顔を上げて、百合香に微笑んできた。
「お帰りなさい、百合香」
声は聞こえなかったが、口がそう動いているのが分かった。その人物こそ……。
「……お母さん」
百合香が言うと、母・沙姫の姿は完全に消え、姫蝶はふわっとクッションの上に落ちた。
その途端、姫蝶が目を覚ました。
「にゃ! みにゃあ!」
姫蝶はすぐに百合香を見つけて駆けてきて、ジャンプして百合香の胸元にしがみ付いてきた。
「よしよし……怖かったね、キィちゃん」
姫蝶をあやしながらも、百合香はまだ驚きを落ち着かせられないままでいた。
死んだ母が、霊になって来ていた――見渡せば、玄関や台所では色んなものが落ちたり倒れたりしていたのに、この猫部屋は何も倒れていない。木を模した猫用の遊び用具も、何もかも無事である。
「お母さん、守ってくれてたの? キィちゃんを。私が留守にしていたから?」
百合香は、翔太との結婚が母・沙姫のことで破談になりそうになっていて、ちょっと恨みたい気持ちもあったのに、そんな自分を恥じたのだった。
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2012年06月08日 11時54分03秒
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「夢のまたユメ・55」
「母がまだ生きているうちに、兄はお見合いをしたのよ。それで、結婚する約束を当人同士の間では決めていたんだけど、その矢先に母が亡くなってね。そうしたら、母の葬儀の時に、母の実家の……義理の母親と異母妹たちが押しかけてきて、母のことをさんざん侮辱していったのよ。母が義理の父親から受けた仕打ちを、さも母が悪いかのように……」
「そんな……」
「理不尽よね。母は被害者なのに……母の異母妹たちは、自分の父親が母を手込めにしていることを、周りに隠すどころか自慢するような人だったから、自分たちも父親に同じ目にあわされているんじゃないかと噂されて、それでなかなか結婚が出来なかったんだと…‥。それで母を恨んでいたの」
「ひどいわ、逆恨みじゃない」
「まったくね。そうやって恨む前に、じゃあどうして母を助けてくれなかったのかと思うわ……誰かが母を魔の手から救い出してくれれば、後々そんな噂を立てられずに済んだかもしれないのに。自分たちの父親の悪事を放っておいたから、自分たちに帰ってきてるのに――因果応報よ」
百合香は当時のことを思い出すたびに、不機嫌さが表情に現れてくるのが自分でも分かって、お茶をガブガブと飲んで気持ちを落ち着かせた。
「それで、その葬儀の時に兄のお見合い相手のご両親も来ていて、騒ぎの一部始終を見ていたものだから、調べたのね、本当のことなのかどうか。それで後日、このお見合いは無かったことにしてくれって言ってきたの」
「……そう……」
そのことに関しては、紗智子は意見できなかった。結局のところ長峰家も同じことをしたのである。
「翔太は?」と、すっかりお茶を飲み干した百合香は言った。「知っているの? 母のこと」
紗智子は、首を左右に振った。
「そう……」
百合香はそれだけ答えて、店員を呼んだ。「アイスのハニーアップルティーください」
「かしこまりました」
メニューも見ずに注文できるのは、それだけこのお店の常連ということなのだが……そんなことは気付かず、紗智子は店員が行ってしまってから、言った。
「翔太には、このこと……言わない方がいいよね?」
「そんなことないわよ」と、百合香は微笑みながら即答した。「翔太には何も隠すつもりはないもの。彼が知りたがることはなんでも教えて来たわ。それこそ、前に付き合っていた彼女に会わせたこともあるわ」
「そ、そうなの?」
「まあ、焼きもちを焼かせてみたかった……っていうのもあったけどね、あの時は。そうすれば、私を手離したくないって、思ってくれるはずだから」
「百合香さん……」
「作戦は成功したんだけどなァ……翔太は、本当に私を独占しようとしてくれたから……」
だんだん悲しくなるのを誤魔化すように、百合香が悪びれて行くのを、理解できない紗智子ではなかった。
「駄目よ、自分を悪く言わないで」
「あら、これが本当の私よ。本当は計算高くて……」
「違うわ……」
そこで店員がハニーアップルティーを持ってきたので、話は中断された。
百合香はグラスを手に持つと、ストローを避けて、直接グラスに口を付けた。ごくごくっと喉を鳴らしながら飲むと、ふうっと大きなため息をつく……。
「うん、甘くて美味しい」
「あっ、甘いんだ」
ガムシロップも何もいれていなかったのに……初めから蜂蜜が入っているから「ハニー」なのだろう。
「一口飲んでみる?」
百合香はストローの傾いている方を紗智子に差し出した。なので、紗智子はストローから飲んでみた。
「……?」
甘……過ぎる。紗智子には蜂蜜が濃すぎる感じだった。
それを察したのか、百合香は言った。「今の私にはそれぐらいがいいのよ。甘いのは頭の疲れを解消してくれるから」
「百合香さん……」
「今日の私はいろいろと考えてしまって、疲れてしまっているのよ。だから、あまり考えないようにするわ。後は、長峰家の皆さんにおまかせします。私は、どんな答えでも受け入れるから」
百合香はそういうと、伝票を手に取った。「出ましょう」
紗智子が家に帰ると、翔太が夕飯を食べていた。
「お帰り、姉ちゃん」
まだ口の中にご飯が残ったまま翔太がしゃべると、紗智子は少し間があってから言った。「あんた、今日は早いのね」
すると、緑茶で口の中の物を流し込んでから、翔太は言った。
「仕事が早く終わったから、定時で上がってきた。だからリリィに連絡取って夕食に誘いたかったんだけど、携帯がつながらなくてさ。仕方ないから家に帰ってきたら、リリィは半日休暇を取った姉ちゃんが映画に誘ってるって、母さんから聞いてさ」
「そうだったの……」
そこへ翔太のお味噌汁を持って真珠美が現れた。
「はい、お味噌汁のお代わり……きっと百合香さんは、映画館の中では携帯電話の電源を切らなければいけないから、そのまま、映画が終わっても電源を入れるのを忘れているのよ」
「だと思うから、姉ちゃんも帰って来たことだし、食事終わったら自宅の電話の方に連絡入れてみるよ」
翔太が言った、ちょうどその時だった。翔太の携帯から「W-B-X(仮面ライダーWの主題歌)」が流れた。
「あ、リリィからだ」
翔太はすぐに電話に出て、席を立って廊下に出た。
「うん、掛けたよ。いや、仕事が早く終わったからメシに誘おうとおもったんだけど……」
翔太の話し声が遠ざかるのを聞いてから、真珠美は紗智子に言った。
「あまり元気がないわね」
「お母さん……」
「例の話が出たの?」
なので紗智子は首を縦に振った。
「そう……」
「もうね、百合香さん、覚悟が出来てるの……」
「そうね。あの方はそうゆう方ね」
「お母さん、私……」
「分かってるわ」と、真珠美は娘の肩を抱きしめた。「大丈夫よ。これからも、お友達としてなら付き合っていけるわ、きっと」
「うん……」
その時、翔太の声で、戻って来るのが分かった。
「うん、じゃあ、また明日行くから。え? 食べたいものは……」
その声を聞き、真珠美は紗智子を自分の部屋へ行かせた。「涙でメイクが崩れてるから……」
「あっ、うん……」
紗智子は翔太が戻って来る前に、廊下に出て、反対側にある階段から自分の部屋へ上がった。
それから一週間、長峰家は――と言うより、真珠美は何の行動も起こさなかった。
土・日・月曜日は百合香がシネマ・ファンタジアの激務をこなしていることを知っていたし、火曜日は……休みであっても、次の日の水曜日・レディースデイのために体調を整えていることも知っているので、この日も邪魔を仕度はない。だから、ネット小説を書くために2連休を取っている木曜日と金曜日のうちの、金曜日の午後だったらお邪魔をしても差し支えないだろうと、真珠美は考えていた。
その間、勝幸には一度だけ急かされたが……真珠美が急ぎたくない気持ちを勝幸も理解していたので、それ以上は何も言わなかった。
そして、とうとう金曜日――3月11日の14時になった。
『約束はしないで訪ねてみよう』と、真珠美は考えた。『会えなかったら会えなかったで、またの機会にすればいいわ』
真珠美は出掛ける仕度を始めた。
一方その頃、百合香はネット小説を更新し終えて、炬燵に向かったまま、グイッと体を伸ばして深いため息をついた。
「さて、そろそろお買い物に行きますか!」
今日はレンタルショップがDVDレンタルを「4枚で1000円」で貸し出してくれる日だった。百合香はまだ見たことがなかった「仮面ライダーブレイド」をこの機会に借りるつもりでいた。
お出かけ用の服に着替えると、百合香は猫部屋へ行って、
「キィちゃァ〜ん、お買い物に行くから、雨戸占めてくよォ」
と、窓辺で丸くなって寝ていた姫蝶に声を掛けた。
「ふにゃ?」と、姫蝶は寝ぼけた声を上げたが、ちゃんと目を覚ます前に百合香はさっさと雨戸を閉めてしまった。
「日向ぼっこしてたところ、ごめんね。お姉ちゃん、お出掛けしてくるから。キィちゃんはお留守番しててね」
「みにゃあ……」
「はい、行ってきます」
百合香は自転車に乗って出掛けた。
自転車に乗りながら、今日のお買いものコースを考えて、最終地はシネマ・ファンタジアが入っているショッピングモール・SARIOのペットショップだと決めた百合香は、自転車をSARIOのペットショップに近い駐輪場に置いた。
先ずは駅に近いレンタルショップへ行った。
レンタルショップと言っても、CDとDVDの販売店もくっ付いている。一階が販売店で、地下がレンタルショップになっていた。
百合香は迷わず仮面ライダーコーナーに行こうとして……その手前にあった特設棚のDVDに目が留まった。
「おまえうまそうだな」のDVDがお勧めとして10枚ほど並んでいた。
『どうしよう……これ、いい話だったんだよなァ。でも新作は三日以内に返さないといけないし……でも、翔太も好きそうだしなァ……明日来るし、どうしようかなァ……』
そこでしばらく悩んで、やっぱり仮面ライダーコーナーへ行って、ブレイドを探すことにした。
そして、またそこで悩んでしまう。
『ディケイドも、もう一度見たい感じが……』
ブレイドなどの初期の仮面ライダーは全巻並んでいるのだが、ディケイドや電王などの最近の仮面ライダーは人気が衰えていないせいか、いい感じに「貸し出し中」になっている。そこが余計に気になってしまうのだった。
『ここは……間を取ってカブトを見るべきか……』
と、変な理屈で悩んでいるうちに、時計は午後2時――3月11日の14時46分を指そうとしていた。
体が、揺れるのを感じる。
え!? と思った時には、DVD棚が音を立てて揺れているのに気付いた。
この時、大惨事につながる大きな地震が発生していたのである。
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from: エリスさん
2012年06月01日 12時23分46秒
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「夢のまたユメ・54」
百合香が初めて友達を連れてきたことで、シネマ・ファンタジアのスタッフ達が興味津々で百合香たちのことを眺めているのが分かった。
注目されて恥ずかしさを覚えた紗智子は、百合香に言った。
「どうして、こんなに注目されるの?」
「私、映画を見るときはいつも一人なのよ。仲のいい友達って今はファンタジアのスタッフしかいないから、一緒に映画を見ようにも大概仕事が入っていたりしてね」
「シフトがみんなバラバラだから、お休みが合わないのね」
「そうなの。たまにお休みが合っても、むしろそうゆう時は映画より他の遊びを選んでるし。だから、映画は一人で見てるんだ」
「学生時代の友達とかは?」
「かなり疎遠になってるわね、卒業してからは。専門学校のころの友人とは手紙やメールで連絡取ってるけど、向こうはもう結婚して自由が利かなくなってるし。――OL時代の友人は、もうこっちからは連絡も取りたくないから」
「退職した時の経緯から?」
「ええ、それもあるし、OLの時は競争社会だったから、表面的には仲良くしてたけど、結局はライバルばっかりで。だから、今でも会いたいって思える人、片手で数えるほどしかいないわ」
「そう……ああ、でも。私も会社で仲のいい人って、そんな感じかも」
「社会に出ちゃうと多かれ少なかれそうなるわよね。その点、ファンタジアでは社員以外はみんなパートかアルバイトの扱いだから、出世するわけじゃないから競争する必要もなくて、みんなと仲良くできて楽しいわ」
「それじゃ、百合香さんが誰かを連れて映画を見に来たって言うのは、それだけ珍しいことなのね」
「そういうこと。あと、誤解されちゃってるかも」
「誤解?」
「私がバイだってことは知ってるでしょ?」
「……え? そういう誤解なの!?」
興信所の調査報告では、当然の如く百合香が過去に女性と交際していたことは書かれていた。そして本人もそのことを隠していないことも――つまり、周りはみんな知っている。
「私がこうゆう人間で、紗智子さんが美人だから、そうゆう妄想が生まれちゃうのよ。大丈夫、すぐに誤解を解いてあげる」
百合香はそう言うと、スタスタと入場口に歩いて行った。今はどこのシアターも入場時間になっていないから、アナウンス担当のぐっさんと、ロビーに並べられているチラシを補充しようと大量のチラシを運んできたユノンしかいなかった。
「お疲れ様ァ(^o^)丿」
「おお、お疲れ、リリィ。なに? 今日はデート? この浮気者(^m^)」
と、ぐっさんが言ったので、
「違うわよ(^_^;) 紹介するね、翔太のお姉さんの紗智子さんよ」
「え!? ミネのお姉さん!」
「あっ、言われて見れば」とユノンも言った。「眼鏡かけたら似てるかも」
「眼鏡なら……」と、紗智子はバッグから眼鏡ケースを出して、青いフレームの眼鏡をかけて見せた。「うちは家族そろって視力が弱いから」
「うわァ……ほんとにそっくり」
とユノンが感嘆していると、ぐっさんが言った。
「これは間違いなくミネのお姉さんだ。初めまして、うちのリリィがお世話になってます」
「こちらこそ、うちの愚弟がお世話になりました」
「今日は何を見るんですか?」
「ナルニアを」
「ナルニアですか……」と、ぐっさんは言ってから、百合香の方を向いた。「3Dならもう上映始まってるけど?」
「知ってるわよ。だから、この後の通常上映版を見に来たの、字幕で」
「どうせなら3D版を勧めなよ、商売っ気ないなァ」
「それは来週の“塔の上のラプンツェル”でね。紗智子さんは翔太と一緒で視力が弱いから、映像が激しく動く映画だと、3Dで見たりしたら酔っちゃうかもしれないから」
「ミネのお姉さん、まだ3Dの経験は?」
「ないの」と紗智子は答えた。「翔太がここでバイトしていた時には、まだ3D上映ってなかったでしょ? だから興味も湧かなかったの」
「そうなんですか……でも、今回のナルニアって動き激しかったかなァ……?」
「予告編を見ている限りでは」と百合香が言った。「不思議な動物たちが飛んだり跳ねたりしてたし、船で荒波を渡ったりもしてたから、紗智子さんでも大丈夫って安心が持てなかったのよ」
「そうだよね」とユノンが言った。「それに、初めて3D見るなら、アニメ作品の方がいいですよ。いろんな仕掛けがしてあるし」
そしてユノンは、手に持っていたチラシが重たく感じてきたので、その場を離れてチラシを並べに行った。
あまり長く入場口に溜まっているわけにもいかなかったので、百合香と紗智子もその場を離れた。
「何か食べる?」
百合香は売店を指差しながら紗智子に言った。
「お勧めは?」
「私はフレーバーポテト(フライドポテトにフレーバー(粉末のソース)で味付けがしてある)が好き。チーズ味ね」
「ポテトもいいわね……ポップコーンでフレーバーはないの?」
「あるわよ。ポテトと一緒で、チーズ味とカレー味とコンソメ味とブラックペッパーベーコン味と」
「最後の凄いわね。ブラックペッパーベーコン?」
「うちの人気メニューよ」
「じゃあ、私はそれにする」
「それじゃドリンクはMサイズにしないと。喉が渇いちゃうから」
二人は一緒に売店に並んだ。
映画を観終わった二人は、下の階の喫茶店に入った。
百合香がアイスのアセロラティーを注文したのに対して、紗智子はホットのミルクティーを注文する。
「百合香さんが冬でもアイスを注文するって、本当だったのね」
と、紗智子が言うので、
「翔太に聞いたの?」
「そうよ。リリィはいつもデートの時はアイスティーばっかり頼んでて、体が冷えたりしないか心配になるって言ってたわ」
「熱いのはゴクゴク飲めないから飲みづらいのよ。私、喉が乾燥しやすい体質だから。でも、味噌汁とかシチューとかは熱いのが好きなのよ。ふうふうしながら食べるから大丈夫みたい」
「飲み物と食べ物とじゃ、好みが変わるってことね。飲み物だからこそ、ごくごく飲みたい」
「そうそう」
「猫舌ってことじゃないみたいね」
「食べ物だったら結構熱いのも大丈夫だもの」
「なるほどねェ〜」
「それより、今日のナルニアどうだった?」
「そうね〜〜〜」
紗智子が答えに迷っているうちに、注文したものが届いた。紗智子はそれを一口だけ飲むと、こう言った。
「まあまあかな」
「そうね、まあまあね」と、百合香は苦笑いをしてから「でも、前作の方が良かったわ」
「それは私も同感」
二人は互いに笑い合って、また一口お茶を飲んでから、百合香が言った。
「まあ、面白い映画は次の“塔の上のラプンツェル”に期待しましょう」
すると……紗智子が口籠って、何も言えなくなった。
百合香は、すぐに事情を察した。
「次は、一緒に来れそうにないのね」
「……うん……忙しいっていうか……」
紗智子のその答えに、百合香は苦笑いをしながらため息をついた。
「私の身辺調査が終わったようね」
百合香の言葉に、紗智子はハッとする。「百合香さん……」
「分かっているわ、母のことでしょ?」
百合香は少し多めにお茶を飲んで、一息ついてから言った。
「兄も、同じ理由で破談になったのよ……」
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from: エリスさん
2012年05月24日 17時01分59秒
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「夢のまたユメ・53」
その日の百合香は、兄を仕事に送り出してから、自室でネット小説の原稿を校正していた。
真莉奈は聡史(さとし)のグラスにワインを注ごうとして、その匂いで吐き気を覚えた。
真莉奈は急いでワインをテーブルに置くと、「すみません!」とエプロンで口を押えたまま、部屋を飛び出して行った。
「……どうかしたのかね? 彼女は」
聡史の問いに、メイド頭の香菜恵が進み出て、代わりに酌をしながら答えた。
「申し訳ございません、旦那様。彼女は今朝から、体調を崩しておりまして」
「なんだ? 風邪か? 医者の家に仕えるメイドが不養生では話にならん。明日にでもうちの病院に来させなさい」
「承知いたしました」
香菜恵がワインを持って一歩下がると、向かい側に座っていた慶子が軽く手を挙げた。
「香菜恵さん、私にもワインのお代わりを」
「はい、奥様。ただいま」
香菜恵が慶子の方へ回ろうとしている間、聡史は慶子に言った。
「君が可愛がり過ぎなのではないかね?」
その嫌味に慶子は苦笑いをして、言った。「昨夜はあなたのお相手をして差し上げたではありませんか」
その切り返しに、聡史も笑った。「そうだな。まるで気乗りしていない、人形を抱いているようだったよ」
「もう止めましょう。メイドの前で」
「香菜恵さんなら構わないだろう? 君が子供のころから仕えている人だ。わたしがこの家に来る前から、君たちのことは良く知っているはずだ。そうだろう? 香菜恵さん」
瓶の中のワインをすべて慶子のグラスに注ぎ終わった香菜恵は、一歩下がってお辞儀をした。
「はい、仰せの通りでございます」
「では、心当たりはないかね。真莉奈が交際しているもう一人の人物に」
慶子は心の内で驚きながらも、表情は平静を保とうと必死に堪えた。
しかし香菜恵は動揺を隠せないでいた。
「旦那様……それはどうゆう……」
「簡単なことだ。うちの奥さんの相手だけしていれば、妊娠などするはずがないのだよ。だから、彼女には別に男の交際相手がいるはずだ」
一方、真莉奈は洗面所で嘔吐したものを、水で洗い流していた。
『どうしよう、私……もう隠しておけない!』
“始末”するなら、慶一郎がアメリカ留学している今しかない。悪阻が治まれば、お腹はどんどん大きくなってくる。
『病院は駄目。人に知られる――慶一郎さまの将来にキズが付く。それなら、自分で……事故を装って……』
洗面室から出てきた真莉奈は、そのままふらふらっと、二階へ上がる階段をのぼった。
『あとは、目眩を起こしたことにして……』
真莉奈は手すりから手を放し、そのまま後ろから階段を落ちようとした。
だが、誰かが真莉奈の体を受け止めて、一緒に手すりにしがみ付かせた。
香菜恵だった。
「なんて危ないことをするの!」
香菜恵は階段の途中であるその場に真莉奈を座らせて、自分は見おろすようにして諭した。
「お腹の子供だけじゃないッ、自分だって死ぬかもしれないのよ!」
「死んだって、いいんです…‥」と真莉奈は言った。「私のせいで、慶一郎さままでが貶められるぐらいなら」
「やっぱり……慶一郎坊ちゃんなの? どうして……あなたは慶子お嬢様の……」
すると、階段の下から声がした。
「私が慶一郎に譲ったのよ」
慶子だった。「あの子が真莉奈を好きだってことは知っていたから」
「お嬢様……」
聡史との夕食を中座するなど、怪しまれるようなことはしない性格なのに、慶子はやはり真莉奈が心配で来てしまったのだろう。
「真莉奈……慶一郎が避妊を怠ったのは、いつ?」
「怠ったなど!?」と真莉奈は咄嗟に言った。「いいえ、これは私の責任で……」
「どっちの責任かなんて、この際どうでもいいの。あなたが受胎した正確な日にちが知りたいのよ」
「それは……慶一郎さまがアメリカへ行かれる前夜です」
「そうなると、ちょうど三月目ね……」
慶子は顎に手を添えながら考えた。そして、何か思いついたのか、二人を見上げて言った。
「二人とも、出掛ける仕度をしなさい」
――慶子が二人を連れてきたのは、都心から離れた一軒の大きな古い屋敷だった。表札に「三条院」と書いてある。
「こちらは、お嬢……奥様の遠縁にあたられる?」
と、香菜恵が言ったので、真莉奈も思い出した。
『慶子さまが聖ヨハネ女学園で姉妹(スール)となられた……』
車ごと屋敷の中に入った一行は、駐車場でこの家の執事に出迎えられた。
「いらせられませ、慶子さま。お部屋でお嬢様がお待ちでいらっしゃいます」
「そう。今日はご主人は?」
「旦那様は出張で、今はフランスにいらっしゃいます」
「それは……私としては好都合だけど……」
執事に案内された部屋は、二階の一番奥にあった。
そこに、一人の女性が天蓋ベッドの中で待っていた。
「慶子お姉様……」
「久しぶりね、静流(しずる)」
慶子の一つ下で、学園の風習により姉妹の契りを結んだ後輩である。真莉奈にはすぐに分かった。
『ただの姉妹ではなかったんだわ。お嬢様ったら、私と言うものがありながら、この方とも……』
と、真莉奈は嫉妬したが、自分も慶一郎に乗り換えたのだということを思い出して、恥ずかしくなった。
そして慶子は真莉奈と香菜恵の方を向いて話し出した。
「静流はね懐妊しているのよ。ちょうど真莉奈と同じ三月目よ」
すると香菜恵は素直に喜んだ。「まあ、おめでとうございます」
「それが素直に喜べないのよ。静流は初産の上に高齢出産で、しかも気管支の発作も起こす。おまけに婿養子のご主人は、あまり静流に関心がなくて放りっぱなしで」
「まあ……」
「だからね、私が静流に勧めたのよ。子供が生まれるまで、軽井沢の空気が綺麗な所で過ごしたらいいって。別荘はうちのを貸すから――その間、私も一緒にいて面倒をみてあげたいけど、そうもいかないから、香菜恵、真莉奈、私の代わりに静流の世話をしてあげて。そうすれば、静流は安心して“双子”を生むことが出来るわ」
「双子?」と、真莉奈は聞いた。「静流さまのお腹には、双子がおいでになるのですか?」
「いいえ」と静流は言った。「私のお腹の中には、一人しかいないわ」
「では、いったい……」
「もう一人は、あなたのお腹の中にいるのよ、真莉奈さん」
「ええ!?」
「そうゆうことよ」と慶子は言った。「静流が双子を生んだことにして、真莉奈の子を三条院家で匿ってもらうのよ。慶一郎の子供であることは隠して」
ここまで校正し終った百合香は、ペットボトルの紅茶をクイッと飲んだ。
「ありえないかしら、この設定」
百合香が独り言をつぶやいた時、目覚まし時計が鳴って昼の12時であることを告げた。
「いけない、時間だわ」
百合香はワープロソフトに入力してあったそのデータを、マウスを使ってコピーして、パソコンをインターネットにつなげた。そして自分のネット小説サイトを開くと、書き込みページにペーストして、データを送信した。
「いいわね! 現実にありえないからこそ小説なんだから」
これで今日のネット小説の更新は終了である。
百合香はパソコンをシャットダウンすると、着替えを始めた。今日は紗智子と映画を見る約束をしているのである。
もう三月に入ってから暖かくなってきたので、春用の紫のチュニックに、コートだけ冬用のダウンコートを選ぶ。
黒いレギパンを履くとき、ベルトを締めようとして、百合香は手を止めた。
『……そう言えば……』
自分も月の障りが止まっている。先月も、今月もまだ……。
百合香は、ベルトの穴をいつもより外側に留めた。
『出来ていたとしても、多分、結果は変わらない……』
百合香はコートを着て、バッグを手にすると、姫蝶に「言ってくるね」と声を掛けて、出掛けたのだった。
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from: エリスさん
2012年05月18日 09時55分53秒
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「夢のまたユメ・52」
「それで榊田さんったらね、駐輪場に着いたら、〈さっき、レオちゃんって呼んでくれましたよね〉なんて言うから、さっきは咄嗟のことだったので、済みませんでしたって謝ったのよ。そしたらね、〈いいえ、これからもそう呼んでください〉なんて言うのよ」
と、百合香がしゃべりながらパソコンに打ち込んでいると、百合香が打ち込んだ文章が一段上がって、ルーシーからのメッセージが表示された。
「それ、絶対榊田って人もユリアスさんのこと狙ってたんだよ」
「う〜ん(・_・;) やっぱりそうなのかなァ〜」
今更ながら、ルーシーとチャットで話している最中だった。
「ユリアスさんって美人なんだね(*^_^*) モテモテじゃない^m^ 」
「どうなんでしょ(^_^;) もう40歳のおばさんなんですが」
「歳は関係ないって。それで? レオちゃんと呼んでくださいって言われて、なんて返事したの?」
「丁重にお断りしたわよ。相手は会社の上司よ。そんな馴れ馴れしく呼べますか」
すると、百合香の横から声をかけて来た人物がいた。
「だよな。俺と言うものがいるんだから」
語らずとも分かるだろうが、翔太だった。毎週土曜日は翔太が宝生家にお泊りに来る日である。
「もう……」と百合香は苦笑いをした。「横から入ってこないでよ。約束通り読みながらチャットしてあげてるでしょ?」
そう。百合香がチャットの文章をいちいち読みながら打ち込んでいるのは、翔太がその間放っておかれるのを寂しがって、せめてそうゆう風にしてほしいと頼んだからである。
「他の男の話されたら、黙ってられないよ」
「もう、嫉妬なんかしちゃって」と、百合香は嬉しそうに笑って、翔太の頬にキスをした。「もうちょっとだから、待ってて」
「早くしないと、お兄さん帰ってきちゃうよ」
「大丈夫よ。今日はお兄ちゃん遅番だから、帰り遅いもの」
百合香はそう言うと、パソコンに向かった。――ルーシーからのメッセージが表示されていた。
「しつこくされたりしない? その人」
なので百合香はこう書いた。「榊田さんって凄いクールなのよ。だから大丈夫じゃない? それじゃ、ごめんね。うちのダーリンが待ちきれないみたいだから」
「あらら(*^^)♪ それじゃまた来週ね!」
「またね★」
百合香はチャットの通信を切って、パソコンをシャットダウンした。
「はい、翔太。お待たせ……」
百合香が炬燵から離れて、寝床まで膝歩きで行こうとすると、待ちきれなかったのか、翔太が百合香の手を掴んで、引っ張り込んだ。
「やだ、ちょっと(^_^;) 乱暴は……」
それ以上言おうとする百合香の唇をキスで止めて、抱きしめながら押し倒してくる。
力任せに浴衣の紐を解かれ、前を開かれると、下着をつけていなかった百合香の白い胸が露わになった。
その胸に、翔太が吸い付いてくる。
百合香は途端に甘い声をあげた――抑えが利かない。
「翔太……ねえ、お隣に聞こえちゃうって……」
「聞かせてやればいい……」と翔太は言った。「リリィは俺だけのものだって、みんなに分からせてやる」
「もう……」
こうゆうところが可愛い……と思いながら、百合香は翔太の肩を抱きしめた。
けれど……。
『お母さんのことを知ったら、きっと、長峰家の人達は……。私、あとどれぐらい翔太とこんな風に過ごせるんだろう……』
考えようとしても、翔太の指使いがそれを邪魔する。
百合香は、今は身を委ねること以外は忘れることにした……。
真珠美が興信所からの報告書を読んでいたのは、ちょうどその頃だった。
「翔太には?」
と、真珠美が聞くと、勝幸は首を横に振った。
「そうですか……」
真珠美は読み終わった報告書をテーブルの上に置いた。
「残念だが、百合香さんには諦めてもらうしかない」
勝幸が言うと、真珠美はキッと目じりを上げた。
「なんて言うつもりですか? あなたの母親が穢れた人間だから、その娘のあなたも穢れているとでも言うつもり?」
「そんな風には……」
「同じことではありませんか。どんなに言葉を飾っても、あなたとお父様が問題にしたいのは、百合香さんの母親が義理の父親――血筋の上では叔父と、性的関係にあったことでしょ?」
「そうだが……こんなスキャンダルを持った人物と、うちの翔太を結婚させるわけにはいかないじゃないか」
「スキャンダルと言いますけどね!」と真珠美は報告書を手で払いのけた。「普通に考えてください! 当時12歳の女の子が、親子ほども歳の離れた男と恋愛関係になれるわけがない。これは確実に性的虐待です。百合香さんのお母様は被害者じゃないですか!」
「そうだ、その通りだ。その通りだが……」
「百合香さんのお母様――沙姫さんに、同情しますわ」と、真珠美は立ち上がって、夫から距離を取った。「望まない関係を持たされて、まだ幼気(いたいけ)な少女でしたでしょうに……だから、沙姫さんは百合香さんを、40歳間近になっても純潔を守っているような、そんな身の硬い女性に育てたのよ。自分が純潔を守れなかったから!」
真珠美はほとばしり出て来る涙を、胸元に入れていた懐紙で拭った。
「わたしだって百合香さんのお母さんのことは、気の毒だと思う。だけど、これとそれとは別だ。うちは多くの社員を抱える会社のトップなんだ。翔太はその跡継ぎなんだぞ!」
「分かってますよ! そんなことは……」
真珠美は勝幸に背を向けたまま、両手を握り締めて感情を抑えようとしていた。そして、一呼吸置くと、言った。
「百合香さんには、私から話をします」
「それじゃ……」
「あなたやお父様では、彼女を傷つける恐れがあります。だから、私が……百合香さんに、お断りをしてきます」
すると、真珠美が寄り掛かっていた障子が急に開いた。
そこに、紗智子が立っていた。
「そんなことさせない!」
と、紗智子は中に入ってきた。「黙って聞いていたら、なんなのよ! お母さんまで百合香さんを切り捨てるなんて!」
「おまえ、立ち聞きしていたのか!?」と勝幸が言うと、
「そんなことは、どうでもいいのよ!!」と紗智子は怒鳴った。「翔太と百合香さんの結婚を止めさせるなんて、私が許さないわ」
「しかしだな……」
「しかしも案山子もない! だから前にもいったじゃない。翔太と百合香さんの結婚に問題があるんなら、私が後継者になるって! それで翔太はこの家を出ればいいわ」
「それで済む問題じゃないんだ!」
「済まなくても済ませてよ! 私、百合香さんじゃなきゃ嫌よ! お母さんだってそうでしょ?」
紗智子は勝幸の前に座った。
「結婚するって――家族になるって、元は他人同士だから、とても難しいことなのよ。なのに、私もお母さんも、百合香さんとはもうお友達なの。お父さんもおじい様も家にいないから知らないでしょうけど。全然気兼ねもしないで付き合える人なのよ、百合香さんは。そんな人、なかなか探せないわよ。だから嫁姑問題なんかが生じる家がいっぱいあるんでしょ? でも百合香さんとだったら、私、姉妹になりたい!」
「紗智子……」
「お母さんもそう思うんでしょ? 翔太が百合香さんを選んでくれて良かったって、言ってたじゃない」
紗智子が真珠美の方を振り返って言うので、真珠美もこちらを向いた。
「ええ、思うわ。百合香さんとなら、私は親子としてやっていける確信がある……私の母は、お姑である私の祖母にいじめ抜かれた人だったから、寿命を縮めて、私がまだ15歳の時に死んでしまった。だから、勝幸さんと結婚するとき、この家に母親がいないことを知って、とても安心したものよ。私は、私の母のようにはなりたくなかったから」
「だったら、翔太と百合香さんとのことを許してあげてよ」
「許したいですよ、私だってッ。でも私は、あなたの母親でもあるんですよ」
思ってもみない言葉を聞いて、どうゆうこと? と紗智子は聞いた。
「ただでさえ、あなたは男性を寄せ付けない気質。そんなあなたが会社の社長になんかなったら、余計に男性とは縁遠くなって、結婚できなくなってしまう」
「そんなこと!」
「そうじゃなくても、長男である翔太がいるのに、女であるあなたが社長になったら、あらぬことを詮索する人たちが現れるんですよ。そうなったら、結局、百合香さんのお母様のことが暴き出されてしまう。傷つくのは百合香さんなのよ!」
その結果を聞いて、紗智子は言葉を失った。
どうにもならない――長峰家がマスコミに通じる出版社を経営している限り、スキャンダルを抱えている人間を身内に入れるわけにはいかない。
「だから……時期を見て、私から話します。大丈夫、百合香さんは分別のある人よ。分かってくれるわ」
「だったら、私も……」
「いいえ。こんな辛い役目、あなたにはさせられない。お母さん一人で行くわ」
「じゃあ、せめてもう少し待って。私、今度の金曜日に百合香さんと映画を見る約束をしたの」
「分かったわ。では、その後にしましょう」
すると勝幸が「できれば……あまり先延ばしにない方が……」と言ったので、真珠美と紗智子はキッと勝幸を睨んだ。
あまり先延ばしにすると、百合香が妊娠でもしてしまったら困るから言ったのだったが、今はこれ以上なにも言えなかった。
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2012年05月10日 19時00分57秒
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「夢のまたユメ・51」
百合香が泣いているのを見て、皆は戸惑っていた。
「えっええっと……宝生さん、どうしたの?」
榊田が声を掛けて、ようやく百合香は平静を取り戻した。
「すみません、お見苦しいところを。ナミの……池波君のお母様ですね。すみません、あまりにも、死んだ母の若いころにそっくりだったもので」
それを聞いて、ああ! と皆も納得した。百合香とナミの母親が似ているということは、ナミの母親と百合香の母親が似ている、というのもあり得る話だった。
「そう、お母様ともそっくりなのね、私は」とナミの母親は言った。「自分と似ている人は三人いるって言うけど、そのうちの二人がきっとあなたとお母様なのね、きっと」
「ねえ! っていうか、親戚なんじゃないの? ホラ!」
と、ナミの姉・琴葉は、母親の腕を掴みながら、目で語った。その気持ちを汲んだ母親は、うんうんっと頷いた。
「ねえ? あなたのお母様の親戚に“久城(くじょう)”って家は、ない?」
「あっ、はい!」と百合香はすぐに思い至った。「母の実家が久城家です」
「お母様のお名前は?」
「沙姫です。宝生……いえ、久城沙姫(くじょう さき)」
「ああ、やっぱり! 沙姫さんの娘さんだったのね!」
「え? 母さんの知ってる人なの?」とナミが言うと、
「会いたかった人よ」と、母親は答えた。「百合香さん、私はね、あなたのお母様とは従姉妹にあたるのよ」
「母の……従姉妹?」
と、百合香は聞き返しながら身構えていた。その理由が分かるナミの母親は、にっこりと微笑んで見せた。
「安心して。久城家の本家の者ではないわ」
かなり深い話になるので、ナミの母親は百合香を廊下の長椅子のところまで連れて行った。他のみんなには遠慮してもらって。
ナミの母親は、満穂(まほ)と名乗った。
「私の父は、いわゆる“妾の子”で、本家に引き取られることなく、分家として久城を名乗ったの。そのせいもあって、私と沙姫さんとは一面識もないのよ。でも……とても会いたかったわ。私の父が、ずっと沙姫さんのことを気にかけていたの」
満穂の父・正典(しょうすけ)は、久城家の先々代の当主が女中に手を出して生まれた子供である。そのため、久城家の奥方に蔑まれ、本家に迎えられることなく育ったのだが、その正典を沙姫の父・秀一朗(しゅういちろう)だけが気にかけてくれ、兄として様々な援助をしてくれたのだった。
その秀一朗が事故で亡くなり、沙姫の母・沙弥子(さやこ)は一族の決定で秀一朗の弟・宗次朗(そうじろう)と再婚することになった(当時の日本では、長男の嫁が夫亡きあと、その弟と再婚することは良くあった)。まだ幼かった沙姫も新しい父親(血筋的は叔父)と一緒に暮らすことになったのだが、一年も経たないうちに沙弥子もなくなってしまい、沙姫は微妙な位置に立たされることになった。
先々代の意志で、将来的な跡取りは沙姫としながらも、現当主に嫁がいないのは不都合だからと、宗次朗は新しい嫁を迎えることになった。その嫁が沙姫を育てることになったのだが、嫁にしてみれば、正妻である自分が産んだ子がいるのに、夫の子供ですらない子供を跡取りとして育てさせられるのが我慢できなかったのか、沙姫を手ひどくいじめ抜いた。
「それを知って、私の父が沙姫さんを引き取ろうとしたんだけど、本家のご当主の猛反対を受けてね、出来なかったそうよ」
と、満穂が説明すると、百合香は頷いた。
「聞いています。かなりひどい邪推をされたって。だから私の母が、自分からお断りをして、叔父様に〈もう会いに来ないでくれ〉って頼んだんですよね。そうしないと、叔父様の名誉を傷つけることになるからって……母が、言ってました」
「そう……」
「でも、母は叔父様に感謝していました。本当は付いていきたかったって。義理の母親にいじめられて、義理の父親に……」
百合香はつい涙ぐみそうになって言葉を切った。
「いいのよ、言わなくても分かってる。父も分かっていたわ。だから、今でも悔やんでいるの。自分が悪く言われることなんか構わないから、無理矢理でも沙姫さんを連れて逃げるべきだったって。だからね、いつか沙姫さんが訪ねてきたら、どんな境遇になっていようと追い返したりせずに、うちに迎え入れてやれって、私が子供の時から教えられてきたのよ」
「そうだったんですか」
「沙姫さんが亡くなったって聞いたのは、沙姫さんの葬儀が終わって三日ぐらい経ってからなの。しかも、葬儀の席で何があったのかも聞いて……ますます、こちらから訪ねて行きにくくなってしまって」
「分かります。私も、あの葬儀の直後に“親戚だ”って訪ねて来られたら、きっと感情的になって追い返していたと思います。そうしたら、今日の私とナミのつながりはなかったです」
「本当ね。だから、今日になって会えて、ちょうど良かったのかも。きっと、沙姫さんがあなたと優典を引き合わせてくれたんだわ。私はそう思うのよ」
「はい……おば様、とお呼びしても大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。私は“親戚のおばさん”ですからね」
話が一区切りついた頃、琴葉が小田切を連れて病室を出てきた。
「お母さん、私、彼女を病院の外まで送って来るけど……優典も大丈夫そうだし、そろそろ帰る?」
「あら、そうね。じゃあ、お父さんと連絡取らないと」
「それは私がやっておく。携帯使うなら病院の外のがいいし」
「そうね、お願い」
琴葉が歩き出したので、小田切は満穂の方にだけお辞儀をして、琴葉の後を付いていった。
『う〜ん、すっかり嫌われたなァ』と、百合香は思っていたら、
「あの子は優典と合いそうにないんだけど……どうして付き合っちゃったのかしらね」
「見た目は今時の子っぽいですけど(つまり「ギャルっぽい」と言いたい)、ああ見えて良く働くんですよ(ナミの前では)」
「そうなの?……まあ、本人の自由だけどねェ」
母親として心配なのは良くわかる――と、百合香は思った。(自分もナミの母親みたいなものだから)
「私ももう一度ナミの顔を見てから帰ります」と、百合香が病室に戻ろうとすると、「待って」と満穂が呼び止めた。
「百合香さん、あなた、縁談が進んでいるのよね」
「はい。ナミにお聞きになったんですか」
「それもあるけど……先日、沙姫さんのことを、興信所の人が調べに来たのよ」
あっ、とうとう……と、百合香は思った。むしろ、母のことが一番あとになった方のが奇跡的と言える。
「私も父も、余計なことは言っていないわ。でも、久城の本家の人は、きっとあることないこと言っているでしょうね。逆恨みもいいとこなのに……」
「はい……覚悟はしています」
「そう……」
それ以上、何も言えない。
百合香が病室の中に入ると、満穂も後に続いた。
中にはまだ榊田もいた。
「それじゃナミ、私も帰るね」
「ええ〜、帰っちゃうの?」
「そろそろ夕飯作らないといけないから」
「そっか……すいません、わざわざ」
「いいのよ。それに、私たちが再従姉弟(はとこ)だって分かって、嬉しかったわ」
「ですよね! いや、びっくりだったけど、でも納得(^o^)」
「私も(*^。^*)」
「じゃあ、レオちゃん」と、ナミは榊田に言った。「リリィさん送って、あんたも帰ったら」
「俺は追い出しかよ、ユウちゃん」
「そろそろ会社に戻れって言ってんの。もう役目終わってるだろ。いい加減にしないと野中さんに怒られるよ」
「いやまあ、そうだけどさ……」
このやりとりを聞いて、
『この二人、仕事以外ではこうゆう感じなんだ……』
と、百合香は思った。もう上司と部下ではない。完全に友達である。
「とにかく、リリィさんは夜道苦手なんだから、ちゃんと駐輪場まで送ってあげてよ。――自転車に乗っちゃえば、もう暗い道は大丈夫なんですか?」
「強めにライトつけてるし、変な人が近寄ってきても自転車で逃げ切っちゃうから」と、百合香は答えた。
「じゃあ、お気をつけて」
「うん………あっ、そうだ」
百合香はバッグを肩にかけながら、急に思い出した。
「さっき、小田切さんが言ってたことなんだけど」
「桂子の暴言なんか気にしないでください」
「ううん、暴言じゃないの。今だから……この際だから言えるけど、私、以前はあなたが好きだったのよ」
「え????」
ナミが言葉を失って呆然となってしまっても、構わずに百合香は続けた。
「あなたのことが好きだって気付いた直後に、あなたから小田切さんとのことを相談されて、だから告白もできずに諦めていたの。そんな時に翔太と再会して、それで今は翔太と付き合っているのよ。でも小田切さんには、私の気持なんかバレバレだったみたいね」
「……それじゃ……今は?」
「今はちゃんと翔太のことだけ好きよ。あなたのことは、家族みたいに思ってる。息子か弟か……とても大切な存在よ。そんな風に思っちゃ駄目かしら?」
「駄目じゃないです!」と、ナミはつい大きな声を出した。「嬉しいです、とっても」
「ありがとう……。だから、小田切さんのこと、怒らないであげてね。ちゃんと仲直りして」
「はい。がんばってみます」
「うん。じゃあ、お大事に。お疲れ様」
「お疲れ様です!」
百合香が病室を出て行き――ナミは、うなだれている榊田の肩をポンッと叩いた。
「落ち込んでないで、俺が頼んだことやってよ」
「いいよな、君は。モテモテで」
「大丈夫。あんたのが美男子だから、そのうち良いことあるって」
「そう願うよ」
榊田が行ってしまった後、満穂は息子のベッドの傍らに腰を下ろして、言った。
「優典、あんた、本当は……」
するとナミはへへっと照れ笑いをした。
「男としては、見てもらえてないと思ってたんだ。歳も離れてるし。でも……そっか……。惜しいことしたなァ」
「だから、大して好きでもない子と付き合ってるの? 彼女を忘れようとして?」
「やんなっちゃうよな。二人して同じことしてたよ……親戚って、そこまで似るんだ」
「優典……」
「でも、いいさ。今は、リリィさんも良い人と巡り合ったんだし……もうすぐ、結婚しちゃうし」
「……そうね」
満穂はそう言うと、息子を抱きしめて、頭を撫でてやった。
「いい男に育ったね。お母さん、嬉しい」
「へへ……」
ナミは、母親の胸の中で、照れ笑いとも泣き顔ともつかない表情を浮かべていた。
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from: エリスさん
2012年04月27日 10時47分52秒
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「夢のまたユメ・50」
それから数日が経っていた。
2月4日の百合香の誕生日は、金曜日と言うこともあって、翔太は残業もせずに退勤し、宝生家を訪ねた。そして百合香と二人っきりで誕生日を祝い(姫蝶もいたが、それは気にせず(^_^;) )、そのまま泊まっていった。翌朝、恭一郎に会っても、もう慣れたものだった。
2月14日のバレンタインデーは、百合香が長峰家を訪れて、翔太の帰りを待っていた。その間、百合香はすっかり真珠美と茶飲み友達となってしまい、翔太が帰って来たときには、真珠美とおいしい紅茶を出す喫茶店に二人で行く約束を交わしていたほどだった。
楽しい日々を過ごしている間も、
『多分、私の身辺調査は続いてるんだろうなァ……』
と、百合香は思ったものだが、翔太はもちろん、真珠美も、時々会う紗智子もそんなことには触れなかったので、なるべく気にしないようにしていた。
そんなうちに2月も下旬に入ったころだった。
しばらく仕事を休んでいたナミと、久しぶりに会った百合香は、彼がすっかり痩せ細っていることに気付いて、びっくりした。
「どうしたの!? なんか病気した?」
「いや、してないです……ちょっと体調悪いぐらいで……」
「その青白い顔が“ちょっと”か?」
どうしてナミが痩せ細ったか、大方の予想はつく。昨日が創作新人賞の締切日だったのである。だからこそ数日仕事を休みにしてもらって、小説執筆に力を入れていて、百合香もメールで添削をしてあげていたのだが、きっと書くのに夢中で食事もそこそこで、あまり眠ってもいなかったのだろう。
「今日は帰った方がいいんじゃない? 土曜日だからスタッフいっぱいいるし、一人ぐらい減っても大丈夫よ。――ですよね? 榊田マネージャー」
チケットスタッフにレジに入れるお金を渡していた榊田玲御は、百合香に声をかけられて、ちょっとだけこちらを向いた。
「僕もさっきそう言ったんだよ。このところ無理していたのは聞いてたから……飲みに誘っても全然来ないし」
同い年のナミと榊田は、ツイッターもフォローし合う飲み友達になっていた。正社員のマネージャーとバイトのスタッフの間でここまで仲がいいのは、ファンタジアではちょっと珍しい。
「ナルニア(ナルニア国物語 第3章 3D)の先売りがかなり売れてるから、(ストアの)パンフレットは大目に出しといてね」と榊田はチケットスタッフに言ってから、百合香とナミの方に歩いてきた。
「オープン準備を宝生さんだけに任せるのは大変だから、それだけやったら今日は早退して、休んだ方がいいよ」
「大丈夫ですよ。二人とも大袈裟なんだから」
と、ナミは笑って見せたが、もうその笑顔が疲れているのである。大丈夫のはずがない。
「ナミ、本当に無理しない方が……」
と、百合香が言うと、それを振り切るようにナミはフロアスタッフの荷物を抱え始めた。
「本当に大丈夫ですよ。ホラ! 時間もったいないから、行きますよ!」
「ちょっと、ナミ!」
ナミがさっさと行ってしまうので、呼び止めた百合香だったが、そんな百合香を榊田が肩を掴んで止めた。
「宝生さん……昨日、池波君がメールでぼやいてたんだ」
百合香はさりげなく榊田の手をどけさせると、「なんて?」と聞いた。
「最近みんなに会ってないから、早く会いたいって。特にリリィさん――宝生さんに。彼、寂しがり屋だから」
「……そう、ですか。本当に……困った子」
「とりあえず様子を見ておいてあげて。午後に……12時に野中さんも出勤するから、そしたら野中さんにどうするか決めてもらうよ」
「そうですね。野中さんの言うことなら聞くでしょうから。12時までなんとか持ってくれるといいんだけど」
「ところで宝生さん」
「はい」
「なんで僕の手をどけたの?」
「はい?」
とうに他のスタッフは階下に降りたので、この場には百合香と榊田しかいなかったのだが……そんなことを聞かれるとは思いもしなかった。
ここは誤解されないように、正直に話すことにした。
「私、男性嫌悪症なんです――以前は男性恐怖症までいったこともあるんですが」
「え? そうなの?」
「フロアの男の子たちはみんな知ってますので、そこら辺は気を付けてもらってるんです。ですから、榊田さんも気を付けてくださると助かります」
「そうなんだ……触られるのダメなんだ。じゃあ、彼氏さんも大変だね」
「彼氏は大丈夫なんです。あと、家族も平気です。かなり親しい人とは大丈夫なんですけど、そうじゃない男性には、触られると悪寒が……」
「分かった、気を付ける」
「それじゃ、失礼します」
百合香が事務室を出てから、榊田がガックリと肩をうなだれていたことは、誰も知る由がなかった。
百合香が劇場に着くと、ナミはアナウンスボックスにいた。マイクや必要書類を用意して、百合香が来るのを待っていたのである。
「あっ、やっと来た。リリィさん、俺、一階のDVD(宣伝用に置いてある)点けてきますね」
「ナミ……」
百合香はDVDのリモコンを持って見せているナミを、優しく包み込むように抱きしめた。
「リリィさん?」
「本当に無理しちゃ駄目よ。辛くなったら、私に言いなさい。いいわね?」
「……はい」と、ナミも百合香を抱き返した。「ヘヘ……リリィさん、いい匂い。名前は百合なのに薔薇の匂いがする」
「薔薇のシャンプー使ってるもん」
百合香がナミを放してやると、心なしか少し元気になったように見えた。
「じゃあ、俺、行ってきます」
「はい、行っといで」
ナミを送り出した百合香は、朝一の上映会の3Dメガネの準備を始めた。
それから30分ごとにフロアスタッフが一人ずつ出勤し、彼らに会うごとに、確かにナミは元気になっているように見えた。病は気からとも言うから、久しぶりに仲間に会えて、気分的に回復してきているのかもしれない。
『この分なら大丈夫かしら?』
百合香が安心したころだった。
一回目の「ナルニア国物語 第3章 3D」の日本語吹替版の上映が終了時間に差し迫り、3Dメガネの回収係だったナミは、回収ボックスを8番シアターの出口前に設置して、お客様が出て来るのを待っていた。
清掃担当は百合香とマツジュンだった。
前もって打ち合わせて、先ずマツジュンが明かりが点く前にシアターに入り、最前列の隅の方に待機する。そして上映が終了して明かりがついたら、スクリーンの下に立ってお客様に一礼し、出口で3Dメガネを回収している案内をする。マツジュンが喋りはじめる声が聞こえたら、百合香がマツジュンの分のホウキも持って中へ入り、後は二人で清掃するのである。
「そんじゃヨロシク!」
「了解です!」
マツジュンが中に入ると、百合香はナミに声を掛けた。
「大丈夫そうね」
「全然問題ないですよ」
「良かった。本当に無理しちゃ駄目よ」
「心配性だなァ、リリィさんは」
「そうよ。だって“フロアの母”ですもの」
最年長だからというだけではなく、百合香の面倒見の良さから付いた異名である。
そんなうちに、マツジュンの声が聞こえてきた。
「じゃ、行ってくる」
「はい、がんばって」
百合香が中に入っていくと、数人の客と通路ですれ違い、その度に百合香は「ありがとうございました」と挨拶をした。すると……。
「オイッ、あんた大丈夫か!」
出口付近で男性客がそう言っているのが聞こえて、百合香は振り返った。出口へ向かっている客たちの足が止まっている……。百合香は客たちの脇を「恐れ入ります、失礼します」と言いながらすり抜けて、出口が見えるところまで戻った。
そこに、ナミが倒れていて、男性客に肩を揺すられていた。
「ナミィ!」
百合香は急いでナミの方へ駆け寄った。
「ナミ! しっかりして!」
百合香は二本の箒を脇に置いて、ナミを助け起こした。
「俺がメガネを渡そうとしたら」と、男性客が話し出した。「受け取ろうと手を出したまま、倒れたんだよ」
「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」と言ったのは、どうやら男性客の奥さんらしい女性だった。
「はい、すぐに……」と言いかけて、百合香は自分が映画館従業員であることを思い出した。
『お客さんの退場に妨げになってはいけない……』
百合香はとにかく気を失ったままのナミを、上体を抱えたまま引きずって、出口から離れたところに横にした。そしてトランシーバーで、
「フロアスタッフ、一人8番シアター前へ来てください!」
と、ちょっと乱暴気味に指示を入れて、自分は回収ボックスの前へ立った。
「大変ご迷惑をおかけいたしました。3Dメガネを回収いたします」
「あれ、そのままにしてていいの?」
と他の男性客に言われたが、
「ご心配をおかけ致します。ただいま他のスタッフを呼びましたので、大丈夫でございます。恐れ入りますが、3Dメガネを回収いたします」
百合香がそう言うので、客は一人ずつ3Dメガネを百合香に渡し始めたが、みな心配そうにナミの方を見ていた。それでも出口が込みだしたので、誰も立ち止まることができなくなって、そのまま通過するしかなかった。
しばらく時間が経ったが、他のフロアスタッフが来る様子がなかった。
『どうして誰も来ないの?』
運の悪いことに、百合香がトランシーバーを入れたとき、他のスタッフが同時にスイッチを入れて喋り出していたので、そのスタッフの声と百合香の声が重なってしまって、百合香の声がかき消されてしまっていたのである。
もう一度トランシーバーのスイッチを入れようにも、メガネ回収の手を止められる状態ではなくなっていた。どうしようかと気持ちが焦っていると、目の端に黒いスーツの人物が見えた。あれは!
「レオちゃん!!」
咄嗟に百合香が呼ぶと、黒いスーツの人物――榊田玲御が走って来た。
「ナミをお願い!」
「分かった。君はお客さんに集中して……池波君、しっかりして」
あとは榊田がトランシーバーでヘルプを呼んでくれて、ナミを抱えて連れて行ってくれた。
救急車を呼んで、榊田が同乗し、ナミは近くの病院に運ばれたのだった。
事務所の方に榊田からの連絡が入り、ナミはもう大丈夫だと、野中マネージャーからフロアスタッフに伝わった。
「過労と栄養失調だそうだよ。まともに食事もしないで小説を書いてたんだねェ」
野中が言うと、百合香は、
「お見舞いに行っても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃないかな。むしろ、様子見てきてほしいぐらい。さっき小田切さんが病院の名前聞いたら、すっ飛んで行ったから、あの感じだと安静にさせなきゃいけないのに、うるさく騒ぎ立てそうだから」
「ええっと……(^_^;) 榊田さんもいるんですよね?」
「レオちゃんに興奮した小田切さんを止められると思う?」
「……行って参ります(-_-;)」
「お願いします」
そんなわけで、本当にすぐ近くにある病院に百合香は見舞いに行った。
野中が心配した通り、小田切桂子が泣きじゃくりながら、ナミを責めていた。
「小説と私とどっちが大事なのよ! この馬鹿ァァァ〜!」
「……頼むから、病院で騒がないでくれよ(;一_一)」
ナミもおちおち眠れないでいた。
「小田切さん、落ち着いて。もう意識も回復しているんだし、あとはゆっくり養生すれば……」
と、百合香が言いながら歩み寄ると、小田切はキッとキツイ目で振り返って、言った。
「適当なこと言わないでよ! そもそも、あんたがいけないんじゃない!」
「え?」
「リリィさんみたいに頑張るんだって言って、ずっと徹夜で小説書いて! 私とは会ってくれないのに、あんたとはメールのやりとりしてたんでしょ! この泥棒猫ォ!」
「ちょっと待ってッ。メールのやりとりって、それはナミの小説を添削してあげていただけで、別に浮気とかじゃ……」
「どうだか! だってあんた、優典のこと狙ってたじゃない!」
翔太と付き合う前は確かにそうだったが……否定も肯定もできずに口をつぐんでしまうと、ナミが小田切に怒鳴った。
「いい加減にしろよ!! 俺が倒れたのと、リリィさんは関係ないだろ!」
「だって、優典……」
「そうやって邪推ばっかして、俺の夢をちっとも応援してくれようとしないんだったら、おまえとは別れる!」
すると小田切はさらに泣き出してしまった。それでも構わず、ナミは話し続けた。
「だってそうだろ。俺のリリィさんに対する憧れは、恋とかそうゆうのとは違うって、何度も何度も説明してるのに、全然理解しようとしない。初めのころは、そうゆうおまえも可愛いって思えたけど、もう今はウザイだけなんだよ。だから、もういい。別れようよ、俺たち」
「ちょっ、ちょっと、ナミ……」
流石に百合香は居たたまれなくなってしまった。「とりあえず、その話はあなたの体調が戻ってからにして……ね? 小田切さんも、ナミを休ませてあげましょう」
『こんな時に、レオちゃんは何やってるのよ!』と百合香が思った時、榊田が誰かを連れて戻ってきた。
「池波君、ご家族の方がお見えになったよ」
「え!? なんで?」
「なんでって、御実家に連絡したからだよ」
「余計なことを……」
「なにが余計なことですかッ」と、ナミの頭を叩いたその女性は、見たところナミの姉らしかった。「だから時々は実家に帰って来いって言ったでしょ。栄養失調で倒れたとか、マジありえない」
「だって姉ちゃん……」
「だってじゃない! お母さんだってすごく心配してたのよ」
「お母さんが?」
「そうよ。今、お医者様から話を聞いてるけど」
「え!? お母さんも来てるの?」
「あたりまえでしょ。お父さんも出張先からこっち向かってるわよ」
「来なくていいのに……」
「馬鹿ッ。みんなが心配してるのが分からないの?」
「……すみません」
「うん、分かればよろしい……」
姉弟の会話が落ち着いたところで、ナミの姉が百合香の方を向いた。
「あなたがリリィさんですか? えっと、確か百合香さん」
「あっ、はい。そうです」
「初めまして。優典の姉の琴葉(ことは)です。お噂は弟からかねがね……本当に、想像していたよりそっくりですね」
「はっ、はい?」
そこへ、もう一人女性が入ってきた――物腰柔らかで、母性に満ちた女性……一目でナミの母親と分かるが、その顔が……。
「どうも、息子がご迷惑をおかけいたしました。……あら、本当にそっくりなのね。あなたが百合香さんね?」
百合香にそっくりだった。
百合香は、なぜか涙を流した。
「……おかあ……さん?」
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icon拍手者リスト
from: エリスさん
2012年10月19日 11時45分51秒
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「夢のまたユメ・69」
シネマ・ファンタジアが入っているショッピングセンターSARIOの中は、節電のために電灯の殆どを消され、また従業員もまばら、当然お客もいないので、鬱蒼としていた。
それでもファンタジアの事務室に入ると、懐かしい顔ぶれが集まっていた。
「宝生さん! 久しぶりィ〜!」
「あっ、リリィだァ」
「沢口さん! かよさん! お久しぶりですゥ!」
かよさんのような主任さんか、主婦の従業員が集められていた。百合香は本来なら独身なので「主婦」とは言い難いが、宝生家は母親が死去して百合香が「主婦代わり」をしていることを上司も知っているので呼ばれたのだろう。
いつもはスーツ姿の支配人も、今日はジャージ姿で、デスクに防災用のヘルメットを置いていた。他のマネージャーたちも動きやすい服装をしている。今か非常事態と言う意識の表れだろう。
「ええ、では皆さん」と、支配人が咳ばらいをした。「誠に申し訳ありませんが、土曜日からの営業再開のために、協力をお願いします。ここにあるブランケットを洗濯してきてもらいたいのです。あと、3Dメガネ用の眼鏡拭きもあります」
支配人のデスクの横に、プラスチックボックスの中に山と積まれたブランケットと、眼鏡拭きがあった。
「ブランケットって……何枚あるんですか?」
と、チケットスタッフの一人が聞くと、
「ブランケットは約200枚、眼鏡拭きは20枚あります」と、大原マネージャーが答えた。「まあ、眼鏡拭きは全部洗わなくてもいいと思います。初日に10枚もあれば……」
「あっ、じゃあそれは、私たちフロアスタッフが手分けして」
と、かよさんが答えると、百合香も沢口さんも、うんうんっと頷いた。
「でも、ブランケットは……今ここに集められているのは10人ですから、一人あたり20枚とか、たった二日では……家族の洗濯物も洗ってるんですよ、私たち」
「もちろん私たちマネージャーも持って帰ります」と、大原は言った。「必ず20枚持って帰ってくれ、なんて頼まないわよ。それぞれ、この枚数なら洗って来られる――という枚数だけお願いします」
「当然、お客様が使用する物だから、柔軟剤とか使った方がいいですよね?」
「無理にとはいいませんが、それが好ましいです」
「そんな……これから電気代だって高くなるかもしれないのに……」
何人かのスタッフから苦情が出始めたので、百合香はフォローを入れてみた。
「そんな、ただでやってくれ、なんて頼みませんよね? 支配人」
「もちろんです。お礼はちゃんと用意しています。野中君!」
「はい、支配人」
と、野中マネージャーが茶封筒を取り出して、中身を出して見せた。
「本社から、皆さんにお礼の品が届いてます!」
それは、3D作品にも使える劇場招待券だった。
「3Dもいいんですか! 普通の招待券は3D使えないのに!」
百合香が食いついてみせたので、かよさんも乗ってきた。
「太っ腹じゃないですか、本社! つまり金額に直すなら、2,100円もお得ってことですね」
「というわけで、皆さん、協力してくれませんかね?」
野中マネージャーが押しの一言を言ったところで、しばらくの沈黙が続いた。
すると、支配人が突然立ち上がって、皆に頭を下げた。
「無理なお願いをしていることは分かっています。それでも、土曜日から無事に営業を再開させるためには、皆さんの協力が必要なんです。ですから、どうかお願いします」
「頭を上げてください、支配人」と、かよさんが言った。「私たちフロアは協力します。なんなら、ここに居ないスタッフに声を掛けても構いません」
「そうですよ」と、沢口さんも言った。「主婦じゃなくても、一人暮らしで、自分で洗濯してる人だっているんですし。そうゆう人になら頼めると思います」
「ありがとう……」
フロアスタッフが協力的なのを見て、売店スタッフが口を開いた。
「あなたたちにばっかり、いい格好させられないじゃない……でも、20枚は無理です。10枚ぐらいなら……」
「私も、それぐらいなら……」
そういうわけで、それぞれ持って帰れるだけの枚数を受け取ることにした。
百合香は25枚受け取った。
「そんなに洗えるの?」
かよさんが聞くので、
「夜に洗濯して、夜風で乾かせば余裕です」
「あっ、なるほど……その手で行けば、私ももう少し持っていけます」
「助かる(^o^)」と、大原は言った。「これで、私たちマネージャーが残りを持って帰れば、全部洗濯できるわ」
「ところで土曜日からって、他の店舗も営業再開するんですか?」
と、百合香が聞くと、
「ええ、全部。営業時間は短くなるけど」
「良かった。そろそろペットショップで買い物したかったんですよね」
「ああ、猫ちゃんのご飯ね」
「はい。ホームセンターで売っているのでも食べてくれるんですけど、やっぱりいつものじゃないと満足できないみたいで」
すると、かよさんが言った。「リリィはキィちゃんに贅沢させすぎなんだよ」
「だってェ〜一人娘なのよォ〜」
「そうゆうのは、実際に自分で子供産んでから言いなさい。ねぇ? 沢口さん」
「ええ? でもそれって……」と、沢口さんは言った。「近いうちに来るんじゃない?」
百合香はちょっとギクッとしたが、支配人が話し出してくれたおかげで、みんなにそれを気付かれることはなかった。
「そういえば、うちの娘も似たようなことを言っていたよ」
「支配人の娘さんって、去年お嫁に行った?」
と、野中が聞くと、支配人は答えた。
「今、こっちに帰って来てるんだよ、子供と一緒に。実家の方が融通が利くと思って帰って来たのに、こっちの方も店が軒並み閉まっているから、おむつが手に入らないって」
「ああ、大変ですね」
と、野中が言うと、大原がポンッと手を叩いてから言った。
「じゃあ、土曜日からSARIOの乳幼児専門店が開いてくれるから、娘さんも助かりますね」
「そうなんだ。まあ、品数は十分じゃないかもしれないがね」
支配人の娘さんは二か月前に出産したばかりなのだが、お産の際に実家に戻ってきて、翌月には旦那さんのもとに帰ったと聞いていたのに、またこの震災で実家に戻って来たのだろうか?――と思った百合香は、こう聞いた。
「娘さんとお孫さんだけ……ということは、旦那さんは?」
「確か宮城県に派遣されたと聞いたが……」
「宮城……ですか?」
もろに震災の被害を受けている地域である。まさか、仕事で宮城に行っている間に被災したのか? と、心配していると、野中が代わりに答えた。
「支配人の娘さんのご主人は、レスキュー隊の隊員なんだよ」
「あ、ああ!!」
当然のことながら、地元のレスキュー隊だけでは人手が足りないので、東京からだけでなく、各地から隊員が集められているのである。
「凄いですね。立派なお仕事です」
「ありがとう。わたしも身内の者がみんなの役に立ってくれているのが嬉しいんだよ。だからこそ、わたしも負けてはいられない……まだ、近隣の映画館はどこも休業している。正直、こんな非常時に映画なんか上映してなんになるんだと、そういう意見も出て来ると思う。だがね、こんな時だからこそ、人々は心の安らぎを求めているはずなんだ。その安らぎに、映画は役に立つと思わないかね?」
「思います」
「うん。だから、わたしはファンタジアを再開させることにしたんだよ。どんな非難を受けようともね」
やっぱりうちの支配人は凄い人だな……と、百合香は改めて思った。
家に帰ってから、百合香はパソコンを開いて、宮城県でのレスキュー隊の記事が載っていないかネット検索してみた。すると、直接的な記事はないが、宮城県で救助された人たちの記事がいくつか出てきて、その救助された時の写真を見ることができた。その中に支配人の娘婿がいるかどうかは分からなかったが……百合香は、ある一つの記事で、マウスを動かす指を止めた。
《津波に遭いながらも、樹に助けられた!》
この見出しで書かれていた記事は、要約すると――袖なしのダウンジャケットを着ていた男性が、津波に流されながらも、そのジャケットの袖口に樹の枝が通り、そのまま樹につるされて助かることが出来た。その際、小学校2年生になる男児が男性の傍に流されてきたので、男性は必死にその男児を受け止めて、一緒に樹につるされたまま救助が来るのを待った。――というものだった。
袖なしのジャケット――それも丈夫なダウンジャケットでなければ、偶然に袖口に樹の枝が通っても、服が破れるかして、また津波に流されてしまったことだろう。加えて、その男性が小柄でなければ、樹の枝の方が折れて、助からなかったはずである。しかも途中で流されてきた男の子をキャッチして、津波が通り過ぎるまで待っていたとは……余程の幸運がなければ無理だっただろう。
そんな奇妙な記事の横に、その男性と男児が救助された後の写真が載っていた。百合香は、その男性の顔に釘付けになっていた。
『……間違いない。これ、伊達さん……』
我に返った百合香は、居ても経ってもいられず、携帯電話を開いた。
電話帳から、ある人へ電話をかける……相手は、5回コール目で出てくれた。
「もしもし?」
と、相手が言ったので、百合香はすぐに言った。
「佐緒理さんですか? 私、宝生です!」
「え!? あっ、百合香!? へえ、あんたもとうとう携帯買ったの?」
まだOL時代は携帯を持っていなかったので、そんな言葉が返ってくる――相手は、朝日奈印刷でお世話になった小林佐緒理(こばやし さおり)だった。
「今、大丈夫ですか?」
「うん。仕事はちょうど終わったところだからね。今、更衣室にいるんだけど……」
本来なら会社業務が終わる時間ではない。朝日奈印刷も節電のために退勤時間を早められているのだろう。
「でも、どうしたの? 急に。会社辞めてからは、こっちの人とは誰とも連絡取ってなかったでしょ? ……あっ、もしかして、結婚の日取り決まった?」
以前、翔太の姉・紗智子が百合香の過去を調べるために、佐緒理から話を聞いたことがあった。だから、てっきりそれに関する話だと思ったのだろう。
「いいえ、それはまたいずれ……それより、伊達さんのことなんですけど」
「伊達君?」
伊達成幸(だて しげゆき)――百合香が朝日奈印刷時代に恋をした男の事である。
「確か今、宮城の実家に帰ってるんですよね……」
「ああ……そうゆうことね。うん、向こうで被災したらしいね。でも、無事だよ。ニュースに出てたから」
佐緒理も百合香が見た記事と同様の物を見たらしい。
「伊達さんと連絡は取れますか?」
「それが取れないんだよ。あいつの携帯、つながらなくなってて。実家の電話も……どうゆうことになってるのか、簡単に想像つくけどね」
「そう……ですよね」
本人が津波の被害に遭っているのである。携帯電話はきっとその途中で落としたか、流されたか。自宅の電話――以前に、実家自体がどうなっているか分からない。
「でもまあ、本人は生きていることは間違いないんだから、そのうち連絡してくるでしょう」
「じゃあ、もし佐緒理さんの方に連絡が行ったら、私にも教えてください」
「分かった、教えるよ」
百合香は電話を切ってから、やりきれない気持ちになった。
『私、伊達さんの方にまで気を配れなかった……宮城に帰ってるって、聞いていたのに……』
自分が恵まれすぎて、辛い目に会っている人たちのことを思いやることができなかった。自分はなんて狭量なんだろう……と、百合香は自分を責めた。
人にはそれぞれ限界があるものだが、そんなこと、今の百合香にはどうでもいいことのように思えていた。
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