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2011年05月31日 11時49分47秒
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日本周遊紀行(135)大分 「高崎山」
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日本周遊紀行(135)大分 「高崎山」 、
猿園の入園料は、当時「子供10円、大人は子供なみ」という不思議な文言であったとか・・ 、
今朝はいつもより早起きして、「双葉荘」滞在中としては最後の入浴も済ませた。
目覚めてサッパリした後はすぐに出発である。
カッチラかしていた身の回りのものは、昨日のうちに片付けていて直ぐにでも出かけられる体勢にはしてあったし、素敵な宿の女将さんにも事情を話して昨夕の内に清算を済ませておいた。
勿論、旅荘で4日も滞在したのは小生にとっては初めてであったが、せっかくの湯治場滞在だったのでゆっくり、ゆったり手足を伸ばして、もっと長期間のんびり湯治生活を満喫したかったのだが、やはり、周辺観光地に気を取られ、あたふたと巡り巡ってあっという間に過ぎてしまった。
今度は是非、内の上さんと同行のうえ、ゆっくりしたいものだとつくずく思った。
本日、出発するには若干の内的の理由(鹿児島で家内と娘家族と合流する)もあった。
まだ、周辺ご近所さん達が活動する以前の、静寂の内に「双葉荘」を後にした。
今日の行動予定は、再び熊本へ戻り九州の西岸地域を訪ねるつもりである。
大分自動車道の別府I・Cより先ず大分を目指す、眼下に見えてる別府の町並みからホンノリ白煙がたちのぼっていた。
別府の市外を抜けると同時に高崎山の要害が競立っている、あの、野生の・・?猿の生息地で有名な。
「高崎山」は既に古文書に書かれていて・・、
「 高崎は多加佐岐とよむべし、名の義は高き山の出埼有るによれり 」とあり、本来「 高き山の崎 」という意味で、高い山が御崎(岬)に突き出ているという意味でもある。
中世には高崎山山頂に大友氏の城が築かれ、併せて、麓に万寿寺別院も建立されている。
高崎山のサル(猿)については、400年ほど昔にはニホンザルが棲んでいたと「豊府紀文」にも記されている。
1952年(昭和27年)、当時の市長・上田 保氏は、地元住民による高崎山周辺農家へ農作物被害を及ぼしていた猿を狩猟しようと試みたが失敗したことを聞き、逆に猿を集めて観光資源として活用することを発案した。
アイデアは、「池の鯉」で手を叩くと集まる鯉の姿を見て、猿を寄せることを思いついたと云われている。
その当時の大分市は、戦災により商人のほとんどが疎開していたため税収が無い時代であり、高崎山の猿たちは厄介者から一転し貴重な観光資源、収入源となったのである。 発想の転換、「 災い転じて福と成す 」を地で行ったのである。
猿園は、高崎山自然動物園として発足、入園料は当時「 子供10円、大人は子供なみ 」などと不思議な料金設定であり、そして当の上田元市長はホラ貝を吹いて猿を呼んだという。
高崎山の自然サル園は宮崎県の幸島(宮崎の最南端である都井岬の近く、日向灘に面する小さな島で、この島には昔からサルが住んでいた)と並んで「日本のサル学発祥の地」とされ、「群れの中で最も序列が高い個体を指す呼称を『ボスザル』から『α(アルファ)オス』に改める」と発表した際にはテレビニュースや新聞で報道され、現在でも群れの動向については地域ニュースや話題になることが多いという。
2004年(平成16年)、高崎山の入り口から猿寄せ場までを4分で結ぶ定員40名で2両編成の小型モノレールが運行を開始し、山を登る手間が省けたという。
次回は、大分 「豊の国」
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
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2011年05月30日 10時30分34秒
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日本周遊紀行(134)由布院 「湯平温泉」
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日本周遊紀行(134)由布院 「湯平温泉」 ,
写真:鄙びた石畳の坂道・「湯平温泉通り」(木造の四階建てに注目)
最上部の「金の湯」(共同湯)と浴槽(男湯)
石畳の、鄙びた、歴史ある、温泉・・!! 、
湯布院町(由布市)の三番目の温泉場・「湯平温泉」へ向かう。
駅前から11号線、更に南由布院駅辺りから国道210号線(大分・湯布院道)を行く。
山峡の地に久大本線が並行して走り、谷底に大分川の清流が光る。
車を下りて今度は“ツッカケサンダル”で歩くことにした。 しかし、草履サンダルより下駄が似合う町並み、否、路地である。
温泉街は石畳の坂道通り沿いを中心に約30軒程の温泉宿が並ぶ、小ぢんまりとした湯街である。
シンボルともいえる石畳をゆっくり歩を進める、歩くうち意外と坂が急なのに驚く。
“湯平温泉”ならぬ“湯坂温泉”であろうと皮肉りたくもなる。
道脇に、石を刳り貫いて造作したと思われる石灯篭が石畳の道筋に等間隔に設置してある。
ボンヤリ灯りで、夜の温泉情緒を盛り上げようというのだろう。
「石畳の坂道」、この石畳には約300年の歴史があるという。
江戸後期に湯町の篤志家(工藤三助)が現在の石畳を作ったのがきっかけで、凡そ500メートルも続く石畳の急な坂道である。
尤もであるが何故、階段にしなかったのかかなと素人的疑問も生じるが・・?、
何故なら雪の日は大変だろうな、足腰の弱い人は階段に腰掛けて休みながら上れるのにと。
だが階段にすると施工が大変か、などと感じながらも個人の「志」で行ったとすれば納得でもある。
石畳は300年の経過があるが、湯平温泉そのものは由布院同様、鎌倉時代より開けたといわれ古い歴史のある温泉場である。
江戸期に温泉地としての骨格が出来上がり、それ以来、湯治場としての発展をつづける。貴重で豪華な木造四階建ての旅館が建ったのもこの頃で、今もその建物が一部残っている。
大正から昭和初期にかけて一時代を築き上げた湯平は文人・墨人も多く訪れている。
『 わたしゃ湯の平 湯治のかえり 肌にほんのり 湯のかほり 』
と詩人の野口雨情が詠っている。
又、山頭火は地元の人情に触れた様子やその思いを
『 しぐるるや 人の情けに 涙ぐむ 』
という句に残し、真新しい石碑が石畳に入り口に建つ。
最近では、1982年(昭和57年)に湯平で『 男はつらいよ 第30作 花も嵐も寅次郎 』がロケ撮影されてもいる。
温泉といえば観光地としてのイメージが強いが、湯平では昔から熟年層を主とした湯治場としての伝統をかたくなに守っているようで、客層も「癒し」や保養を目的とした利用者が多いという。
周囲を大自然にひっそりと抱かれて湧きつずける湯の里・湯平は、昨今では由布院の奥座敷としても知られ、訪ねる愛湯人が次第に増えているという。
温泉は薬効も充分あり、飲めば胃腸に良いともいわれて湯平の旅館ではお茶のかわりに温泉のお湯が客に出されるという珍しさである。
石畳通りに入ったすぐ右側に「銀の湯」があった、格子戸の引き戸が感じいい。
他にも湯平には五つも共同湯があり、下から「橋本湯」、「銀の湯」、「中央温泉」、「中の湯」、「金の湯」とある。
中でも中央温泉はごうごうと勇ましい音を立てて流れる花合野川(かごのがわ)沿いの川原にあり、渓谷の美景が堪能できるという。
川沿いにあるため度々建物が流されたともいうが、今でも川が増水すると川水が溢れて浴槽に入ってくることがあり、時には湯船の中に魚が入り込むこともあるという。
魚と混浴・・、これ以上の風流はないが地区の人はその度に掃除をして大切に温泉を使っていると。
坂の一番上にある「金の湯」を訪ねてみた。
急坂を上りきってやっとこ辿り着き、最上部に架かる明治橋を渡り、階段を少し川沿いに下りるとコンクリートの白壁のガッシリした建物が「金の湯」であった。
100円の入湯料を受け箱に入れて入室する、他に客はいなかった。
浴室は大して広くはないがスペースの半分くらいが湯舟になっていて、長方形のタイル張りに蛇口から少しづつ湯が注がれている。
湯の色は薄い赤茶色というか、如何にも効能が有りそうな湯で、少々熱い加減であるが何とか浸かれる。
奥に湯揉み用であろうか、木の板が立て掛けられているのが面白い。
板に寝っころがってお湯を腹に掛ける。
「掛け湯」といわれる温泉療法もあり胃腸病に効くともいう。
源泉はすぐこの上にあり、直接こちらへ引き湯しているという。
ここの温泉は胃酸過多、慢性胃炎や腸炎などに効用があるという弱食塩泉で、飲めば胃酸の分泌を促し胃腸の働きを良くすることから「胃腸の湯」と古来から言われている。
湯平温泉は、医療温泉の西の横綱ともいわれる天下の名湯ともいわれ、フランスのヴィシー鉱泉と並ぶとも称されているようだ。
「ヴィシー」とはフランスの温泉療養の町で、国中からこの温泉療法を求めに方々からやって来るという。
湯平温泉を満喫して、家路(双葉荘)を辿った。
それにしても今日は朝から色んな温泉に浸かったが、これぞ温泉三昧とも云うんであろうか、鉄輪温泉に戻ってからも勿論一風呂浸かるつもりである。
次回は、「大分」
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2011年05月29日 11時21分22秒
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日本周遊紀行(134)由布院 「由布院温泉」
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日本周遊紀行(134)由布院 「由布院温泉」 ,
写真:由布院の瀟洒な「湯の坪通り」
共同湯・「ゆのつぼ温泉」
写真:金鱗湖と由布岳(右の茅葺屋根が共同湯・「下ん湯」)
鎌倉期より開けていた由布院は、江戸期には閑散としていた・・? 、
金鱗湖から流れ出る小川に沿って行くと、堂々たる屋敷の門があった。
昔は家老の御屋敷だったそうで、その門構えに「由布院民芸村」とあった。
湯布院の人気スポットで、幕末から明治期の民芸品を収蔵した民芸民具館でいわば資料館のようなものらしい。
帰路、お目当ての「ゆのつぼ温泉」の共同湯へ向かう。
瓦屋根が二重構造の民家風の小さな木造で、引き戸の玄関上に木板で大きく「ゆのつぼ温泉」と書かれてあり、粋な雰囲気を出している。
料金箱に入湯料を入れ扉を開くと右が女湯で、左が男湯になっている、竹を編みこんだ天井など細かいところに工夫がしてあり、木目が鮮やかな木の壁や床が明るく清楚なイメージがもてる。
本日開場したばかりと見えて、洗面具等はキチンと整理されている。
浴槽は中にも藍色の石ダタミを敷くなど、見た目にもその木材と調和していてかなり落ち着いた雰囲気を出している。
湯舟の縁からは惜しげもなく湯が溢れていて、無色透明、無味無臭の単純泉だけれども、触ると温度はかなり熱い、分析表によると泉温は64度とあった。
湯舟の湯はさすがにそこまでは熱くはないものの、かなりの高温ではあった。
熱いので湯船に長く浸かることなく、縁で「掛け湯」を楽しみながら湯舎を出た。
因みに、金鱗湖の湖畔にも「下ん湯」(したんゆ)という妙な名前の半露天の混浴施設がある。
陽光が燦々として眩しいくらいだが、路地の樹木の緑が補ってくれる。
人の群れも一時より増えてきたようで、ツアーの団体客も目に入る。
やはり御婦人方、若い女性、カップルが目立つ。
今日は6月6日の月曜日の平日である、にも拘らずこれだけの人出である、週末の休日などは相当な人出であることが想像できる。
ところで、ここの温泉地の本来の名称は、由布院地区にある「由布院温泉」である。
昨今、観光案内で「湯布院温泉」などと表示される場合があるが、「湯布院」という名称は先にも記したが旧湯平村と旧由布院町が合併した際に作られた町名である。
湯布院温泉とすると由布院温泉と湯平温泉のことで、更に塚原温泉も加わることになる。
従って本来は湯布院町の三つの湯で湯布院三湯が正しい。 現在は、由布市三湯(由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉)である。
尚、現在では知名度の向上に伴い「由布院」と「湯布院」の使い分けについての理解もある程度進んでいるが、その一方で状況は一段と複雑になっているともいい、その為、「ゆふいん温泉」、「ゆふいん」という平仮名表記が用いられることも多くなっているともいう。
この表記は「由布院」なのか「湯布院」なのかという区別を一層曖昧にする結果を生んでいるともいえる。
ともあれこれら三つの温泉群からの湧出量は、別府温泉に次いで全国第二位であるとか。
中でも由布院が湧出量・孔数とも断然多く、なんと740を超える源泉孔からは毎分40KLの温泉が湧出しているという。
江戸時代から使われていたと言う共同浴場は金鱗湖畔に佇む茅葺屋屋根の小さな湯小屋「下ん湯」をはじめ14ヶ所があり、外来観光客は勿論、地元の人たちの憩いの場として利用されている。泉質は主に単純泉で効能は神経痛、筋肉痛、関節痛など。
奈良期には既に開かれ、鎌倉期から効用のある温泉として広く知られていた由布院であるが、江戸時代になって突如としてただの村人だけの行水(ぎょうずい))の湯になってしまったと言うのである・・?。
16世紀頃までは由布院はキリシタンの里であった。 しかし、江戸期になって、この平和な村にキリシタンの弾圧が襲ってきたのである。
全村民がキリシタンだったような由布院は、やむなく一部の信者を除いて殆どが改宗してしまったともいう。(今でもその隠れキリシタンの痕跡が墓石などに残っている)
由布院に対する監視の目は厳しく、キリシタンの疑いを避けるためにも、村人が行水する以外、外部の人は誰も湯治に来なくなっていた。
ここに由布院温泉の陰の歴史が秘められてたのである。
由布院が湯治場として再び活気を帯びるのは明治維新後のことで明治中期、近隣に陸軍の演習場ができ、陸軍のお偉方や兵士たちが旅館や民家に宿泊し、温泉気分を満喫するようになってからである。
湯布院には今も自衛隊の駐屯地があり、日出生台(ひじゅうだい)演習場(湯布院町、玖珠町、九重町にまたがる西日本最大の演習場)からは時折、砲撃音が聞こえるという。
由布院には、更に大分-佐賀を結ぶ佐賀県道が開通し、大分-由布院間に鉄道も走るようになった。
そして何処も同じようにこの町も歓楽温泉地と化していこうとしていたのである。
これを憂いたのが油屋熊八をはじめ、江戸時代からの庄屋たちや医者、外部から訪れた学者たちであった。
油屋は由布院の名勝宣伝文として「 朝かすみ・四季蛍・山のみどり・木々の紅葉・杉の大木・興禅院・八山地獄・蕨狩り・若宮八幡・六所宮・石松公園・倒映湖・人と魚の混浴・下の湯 」を挙げている。
熊八に案内されてやって来た客人たちは、仙郷・由布院盆地の美しさに感動し、その後も度々自らこの自然の素朴な温泉地を訪れたという。
客人は、由布院で遊んできたと言うより、由布院で癒してきたと言ったといい、勇壮な姿で由布院盆地を包み込むように聳える由布岳や美しい金鱗湖、そして変わらない純朴な農村風景、町の人々の生活がそのまま由布院の歴史を伝えている。
次回は、「湯平温泉」
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「白馬連峰登頂記(2004)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hakuba-1.htm
「上高地・明神(2008年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/myuojin.htm
「北ア・槍-穂高(1968年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/yariho.htm
「上高地・岳沢・穂高(1979年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hotaka.htm
「南ア・北岳(1969年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kitadake1969.htm
「八ヶ岳(1966年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/yatu1966-1.htm
「八ヶ岳越年登山(1969年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/yatuhuyu1.htm
「谷川岳(1967年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/tanigawa.htm
「丹沢山(1969年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/tannzawasan.htm
「西丹沢・大室山(1969年) http://www.geocities.jp/orimasa2001/oomurosan.htm
「西丹沢・檜洞丸(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hinokihora.htm
「丹沢、山迷記(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/sanmeiki.htm
「奥秩父・金峰山(1972年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kinpu-a.htm
《山のエッセイ》
【上高地雑感】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kamikoti.htm
【上越国境・谷川岳】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm
【丹沢山塊】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/tanzawa.htm
【大菩薩峠】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/daibosatu.htm
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2011年05月28日 10時27分04秒
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日本周遊紀行(134)由布院 「湯布院」
.
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(134)由布院 「湯布院」 、
写真:平仮名の「ゆふいん駅」、
由布岳と駅前通り
「湯の坪通り」の先にある「金鱗湖」
湯布院・・?、由布院・・?、ゆふいん・・? 、
一風変わった造りの「ゆふいん駅」へ来た。
「ゆふいん」と平かな文字の駅名が気になったが、思えば道の駅も「ゆふいん」であった。
大分道のI・C名は「湯布院」であり、この地方を「由布院」とも言う。
「ゆふいん」は両者の中間を取った「当て字」のようであるが、いずれにしても種々あって紛らわしい・・?。
ところで先般、久住か九重かで物議なる内容を記したが・・、
こちらは「ゆふいん」という呼称で「湯布院」と「由布院」があった。
この表記の違いについては昭和30年、由布院町と湯平村が合併した際に起因するという。
新しい町名、行政上の名称は由布院の「布」と湯平の「湯」を合作し、「湯布院町」が誕生したという訳である。
読みが同じなので、どんなものかと思ったが意外と内容は単純であった。
湯布院町の北部地区は旧来の地名のまま由布院温泉、由布高原、由布岳といった名が残り、南部地区には湯平温泉、湯平高原といった固有地名詞が存在する。
ところが、平成の大合併に併せて本年(2005年)10月1日、大分郡挾間町・庄内町・湯布院町が対等合併して新規に「由布市」(ゆふし)が誕生している。
挾間町、庄内町、湯布院町という地域名は残していて本庁舎は庄内町に置いている。
観光の中心地(由布院、湯布院・・?)と行政機関の中心の本庁(庄内町)を分離した珍しい例でもあろう・・?。
尚、JR久大本線の正式駅名は、「ゆふいん駅」ではなく「由布院」として登録されているらしい。
ところで「由布院」という地名には古い歴史があった・・、
「ゆふ」の名が文献に現れるのは奈良時代に編纂された「豊後国風土記」に柚富郷(ゆふのごう)として記されていて、「常に栲(たく・タク:コウゾの古名)の皮を取りて木綿(ゆふ)を造る」とある。
この地方にはタクの木が群生していたらしく、タクの木は和紙の原料になるコウゾのことで、その樹皮の繊維をほぐして木綿がつくられた。
木綿は「ゆふ」 (紙布地のこと)と呼ばれ、それが由布郷(ゆふのごう)という郷名になったという。
「ゆふ」の名が柚富、木綿、由布、油布などの豊かな農産物、ないしは加工品の名で表され、「院」という名はいろんな意味合いがあるが、主に貴人などが住む別荘などの大きな家のことを指すようで、木綿(ゆふ)が採れ、温泉が湧き出すところに貴人が住まわれていたということになる・・?。
「ゆふいん」は平安の昔から連綿と続いてきた由緒ある呼称で、呼び名は変わる事なく今日まで続いているのである。
出来れば「由布院市」でも良かったとおもわれるが・・?、これはお節介である。
駅の観光案内でパンフレットを戴き、温泉、見所、名所などの箇所を親切に説明してもらった。
一寸賑やかな駅前通りを抜けた適当な箇所に車を置いて、湯布院のメインストリートといわれる「湯の坪通り」を散策する。
所々に緑を配した洒落た木造和風の家、アンテーク建物などにカフェ、装飾品、土産店などが並び、賑やかな通りになっている。
湯の坪通りの中ほどに湯の坪横丁もあり、ここは湯布院の特産品や食べ物のお店が連なっている一画で、中々雰囲気のある横丁である。何処も土産物を探す観光客、茶店で一服する人達で賑わっていた。
この街はパチンコ屋、カラオケスナック、大衆劇場など風俗店などは一切無く俗化してない。その割に鄙びた田舎臭さ感が無いのもいい。
散策する面々はカップルや2〜3人の女性グループが多く、やはり女性向き(若い女性・・?)にターゲットを絞って町造りされているのが判る。
しかも、人力車や「辻馬車」といった「見世物」まである。
いやどうも詰る所、熟年男の一人歩きなどは全く様(さま)にならない通りである。
出掛け際に宿の女将に、些か冷やかされたのを思い出した。
中間地の横道沿いに「湯の坪温泉」という共同湯があったので、帰路に寄ることにしよう。
通りに面して猫屋敷や犬屋敷があって、店内は猫、猫、猫、猫の猫グッズ、よくもマアここまで集めたと感心しきり、猫好きの娘に是非見せてやりたいと思った。
金鱗湖へ出た。
新緑に囲まれた神秘的な美しさの小さな湖だった。
この湖には、それぞれ冷泉と温泉が湧き朝霧の名所としても知られる。晩秋から冬にかけて湯布院は毎朝のように美しい朝霧に包まれるらしいが、水温の高いこの湖が朝霧発生の主要因となっているという。
ところで「風のハルカ」というタイトルでNHKの朝の連続テレビ小説が本年(2005年)10月から放送されている。舞台はこの「湯布院」であることは既に書いたが、タイトルバックに由布岳やこの金鱗湖が映される。
そして、物語の始めの頃、倉田旅館のオーナー宗吉(藤竜也) が若い嫁の百江(木村佳乃)を娶り、花嫁行列が通るシーンでこの湖畔が描かれていた。
倉田旅館は金鱗湖のすぐ横の「亀の井別荘」がモデルになっているという。
物語では倉田旅館の主、倉田宗吉が湯布院の街の活性化、町興しの中心人物として描かれているが、事実、亀の井別荘の主人・中谷健太郎氏(現オーナー)は湯布院にとって神様のような人物と言われる。
昭和30年、由布院町と湯平村が合併して湯布院町が誕生したが、その「街興し」、「町つくり」の中心的役割を果たし、成功して全国に知名度を上げた話は有名である。
中谷氏の著書・「湯布院発、にっぽん村へ」の中で「 別府、熱海、北陸など有名な先進温泉地が五階建てや八階建てのビルを建てて、巨大な宴席やダンスホールを造って、お客様わんわんという時に、私どもの湯布院は閑古鳥が啼いていました。それでも、地域の振興を常に考え、活性化されても自然を守るということは大切である 」と。
「亀の井別荘」は湖畔の緑の中に隠れるように佇んでいるが、その広大な敷地の中に、暖かさと凛とした気品が漂っていて、超一流旅館といえる高趣な人々には絶大な人気があるという。国際観光都市別府の生みの親とも言われた「油屋熊八」が、由布院盆地の金鱗湖の美しさに注目し、別府・亀の井ホテルの別荘として建てたもので、(中谷巳次郎との共同建築ともいわれる)油屋氏は別府本館に宿泊した皇族、政治家、文人、アメリカの観光団などを由布院の「亀の井別荘」に次々と案内してきたという。
2002年、東京・東銀座の新橋演舞場で『 別府温泉狂騒曲「喜劇 地獄めぐり:生きてるだけで丸もうけ―」 』という長ったらしい題材を、中村勘九郎主演(他、有名俳優出演多数)で公演された。
油屋熊八という「別府観光生みの親」をモデルにした喜劇であるが、亀の井別荘に滞在していた中村勘九郎が、中谷健太郎氏(創業者・中谷巳次郎の孫)から「面白い縁の人物」として油屋熊八の話を聞いたことが公演のきっかけになったそうである。
引き続き「由布院」
【小生の旅のリンク集】
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2011年05月27日 10時45分02秒
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日本周遊紀行(133)鉄輪温泉 「双葉荘」
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
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日本周遊紀行(133)鉄輪温泉 「双葉荘」 、
双葉荘と小生の愛車
小生の貸間、庭の向こうは共同湯「地獄原温泉」
薬師仏が見守る内湯
地獄の調理場と利用案内
鉄輪温泉の「双葉荘」は、人のいい女将さんでもっていると言っても過言ではない・・、
目覚めて・・!? 、
否、実際には完全には目覚めてはいない。 半覚半眠の状態で這うように浴室に向かった。
湯船の際に腰をドッカと下ろして湯を浴びようとすると、これが又例によって「熱い」・・!、
蛇口を捻って冷水をガンガン入れる。
熱い温泉水と冷水を程よく混ざり合った適温水を頭からぶっ掛ける。
湯加減が塩梅よくなったところで身体を漬け沈め、ジャブジャブと湯船の湯で顔を洗う頃になって、やっと目が覚めてくるのどである。
この辺りの湯(鉄輪温泉)は、概ね一番湯とはこんなもんであろう、一番方が湯温を調整しなくてはならない高温泉の宿命であろう。
適度に浸かりながら身体の全細胞がすっかり覚醒したところで、棚の「お薬師さん」に一礼して部屋に戻る。
次は地獄釜で朝食を作る、朝食は温泉卵とジャガイモ。
ジャガイモは既に蒸してあったので温めるだけで、お出掛分をも含めてチョット多めに。
玉子は全熟だったら約10分位で出来上がる。
バターならぬマヨネーズを付けて、生キュウリと一緒に食す。
これが非常に美味かった。 地獄釜のお陰である。
軽い朝食の後、早、向かいの共同湯から女性の話し声や洗い場の音が気になったし、お向かいさんに挨拶代わりに、もう一浴びすることにした。
年増のズウズウしさでステテコと肌着姿で出向いた、幸い通りに人影は無かったが。
瓦屋根の和風平屋造りで、外観もなかなかの感じである。
入り口横に石碑がありその横に待合の長椅子が置かれてあったのも良い。
玄関奥にお地蔵さん(一遍上人・・?)が祀ってあり賽銭箱がある、そこに100円玉を一個ソロリと入れて入室する。
無人なので入浴料は賽銭箱に入れるという小さいながらも、きちんと管理されていて素朴な外湯である。
ここは「地獄原温泉」というが、この平穏な温泉街に相応しくない恐ろしそうな名称で、その由来については先に記したが、昨日訪れた「長者原」(ちょうじゃばる)同様、「じごくばる」と仰しゃるらしい。
男女別の内湯の入り口は右が男性、左が女性で入るとすぐ脱衣所があり、広くはないがサッパリ小奇麗な浴室にほぼ正方形の浴槽がある、石作りの床がいい。
普通の銭湯のイメージは湯船の縁が床から高く、足を上げて跨ぐ感じで浸かるというのが多いが、鉄輪周辺では、(宿、渋の湯・・とも)このように床に湯船が埋まってる感じがお風呂の造り特徴の様である、バリアフリー浴槽とでも申そうか。
湯は微かに白濁しているようにも見えるが、やはり透明かな・・?、
湯加減の都合で、投入量はそんなに多くはないが、熱めの湯は肌がスベるようだ。
長湯は遠慮しながら、湯ったりと雰囲気を味わった後、退出した。泉質は含ホウ酸食塩泉(暖和性低張高温泉)
さて、今日も天気が良さそうである。
本日は特に女性に人気のあると言われる「湯布院」を訪れることにした。
湯布院は朝霧に包まれた風景が桃源郷にたとえられる湯の里で、旅行したい場所のナンバー1にもあげられ、特に、黒川温泉と並んで女性に人気のある温泉地だと言われる。
宿の主人(女将さん)に・・、
「今日は湯布院へチョット行ってきます」と言うと、
「お天気もいいし結構だね・・男一人じゃもったいないね 」と冗談を返す。
「何なら、お女将さん一緒に行くかい・・? 」、
「ハハハハ・・・暇ならね・・」
「双葉荘」は独特の温泉施設もさることながら、この女将さんでもっているといっても言い過ぎではない。
小生がこの旅荘を知ったのも、ある単独旅行者の青年が10日余り滞在し、宿のことは勿論であるが人の世話を進んでするこの女将さんの事を御袋さんの様に慕い、その人柄に惚れ込んでいる様子を知ったからである。
ある滞在者の感想文の中に「 貸間の女将さんはとても優しく、短期、長期、分け隔てなく滞在の一人一人を丁寧に気遣っている感じでした。そして、いつもニコニコ穏やかに帳場周辺を漂っています。ダラダラとお世話になってしまった双葉荘ですが、帰る頃には自分の家のような気になってしまい本当に『去りがたし』でした。女将さんにはお土産に浴衣をいただき、おじいちゃんには『電車で食べなさい』と茹でタマゴやミカン、おやつを沢山持たされました。やっぱり双葉荘はいいなぁー、館内に漂う独特の優しい臭いがたまりません。気兼ねなく利用出来る気さくな貸間、長期、短期にかかわらず絶対におすすめです。 また行こう・・! 」・・とあった。
宿のパンフレットにも「 長いお付き合いのお客様が多いので毎年同じ時期に同じ方々がお越しになり、炊事場で、地獄釜で、お風呂で、お友達になられています。 湯治客は皆友達ですし、又、来年会いましょうと1年後の再会を楽しみにお別れします。 私達も同じ気持ちです。また、親子、兄弟姉妹等の集まり、お里に帰られるように泊まられる方もいらっしゃいます。荷物を預けて帰られる方もいらっしゃいます。 」・・と、宣伝文句とは承知しているが、これを100%地で行っているのが、ここの旅荘の女将さんなのであり、女将さんを頼ってくる常連客も多いのである。
鉄輪温泉「双葉荘」
http://www.owl.ne.jp/kannawa/futabaso/
今日は再び、鶴見岳、由布岳の南側を走る九州横断道路(県道11号)を行く。
いやー、それにしても大曲小曲の急坂が多い、漸く峡霧台の展望地まできた。
湯布院の街が眼下に一望でき、山々に囲まれた盆地に沈む湯の町が望める場所として人気スポットでる。
今の時期は初夏で薄い霞がかかったように見受けられるが、秋冬の早朝の頃には、湯布院名物の朝霧が町全体を覆う幻想的な様を眺められるという場所でもある。
一服してヘヤ―ピン状の坂を下ると、既に観光地らしい洒落た造りの旅館やホテルが見受けられる。
案内標識に従って観光案内のポイントにもなる駅へ向かった。
次回、人気の「湯布院」
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2011年05月26日 07時50分35秒
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日本周遊紀行(132)久住 「久住高原」
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
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「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(132)久住 「久住高原」 ,
竹田藩・中川侯の「入山公廟大船山」・・? 、
牧の戸峠(1330m)は別府と阿蘇を結ぶ「やまなみハイウェイ」(県道11号線)で最も高所(標高1,333メートル)に位置する峠で、久住山への登山口でもある。
展望台からは九重連山が眼前に聳え、北側に長者原、飯田高原が広がり、南に久住高原の大草原が広がる。
春から秋には四季折々の草花が山々を彩り、冬にはあたり一面に霧が発生して幻想的な“霧氷”の世界になるという。
それにしても飯田高原、久住高原の両大草原が広がる九重(久住)の山系、遠くに望める阿蘇連峰に広がる大平原と合わせて、九州の極めて特異な山容に感嘆するばかりである。
牧戸峠から急坂を大曲しながら下ったところが瀬の本高原である。 地図上では三愛高原とも記載されている。
大きく波打つ丘陵状の高原地帯で、草原が広がっている側ら所々に密集して杉や桧などの常緑樹が茂っている。
丘陵の合間をぬって、曲がるくねった道が走り交差している。
初めの交差は県道40号線で右方向は有名な「筋湯」や「湯坪」の温泉郷を通り、九酔峡といわれる景勝地から九重の町へ到る。 所謂、やまなみハイウエイの西側、高原の麓を走る温泉と景勝の観光ロードである。
次に十字に交差するのは国道442号線、日田往還道路である。
一昨日、訪れた黒川温泉はこの右方の先にあり小国から日田へ通じ、左は久住から竹田へ到る。
直進はやはり先日通った阿蘇外輪山、城山展望所から一の宮の阿蘇神社から阿蘇山直下の遊興地「仙酔峡」に到る。
又、ここは二県四町がまたがる、行政区域の分岐点でもある。
大分県の九重町、久住町と熊本県の南小国町、産山村と何れもお馴染みで懐かしい地名である。
交通、町域が交差する要となる場所であり当然、土産物売り場やレストランなどがある。
中でも赤い屋根の三愛レストハウスは立地が良く、観光客のよい休憩所となっていて賑わっている。
レストハウスの裏に大規模な三愛高原オートキャプ場もある。
又、このあたりは九重火山帯、阿蘇火山帯のハザマに当たり、地下の高温のエネルギーが存在し周辺各地に温泉も多く湧き出していることは承知である。
実はもう一つの分岐点もあった、有料道路・久住高原ロードパークといい、R442の竹田方面とほぼ並行して走っている。
帰路に、胡散臭そうなおばさんに500円の料金を払って、この有料道路を走ってみた。
普通の何の変哲も無い道路で、しかも7〜8kmの短い距離であった。
どうして有料なの・・?とある種の疑問をもったが、この地は観光要所への分岐点でもあり、一種のR442のバイパスかなと納得もしたが・?、
通行券を見ると発行元が○○産業株式会社とあった。
一足早い民営化・・?などと勘ぐったが高速道路でもなく、私有地に道路を造って有料化しているのである、これって法律的にはどうなの・・?、
走行中、自身の車以外は全く見当たらず、やはり疑問符がついた・・!。
ロードパークを終えて、舗装された立派な道があったので山麓沿いに北へ向かった。
久住高原の堂々たる平原が、相変わらず穏やかに波打っている。
此方は久住町である。
九重山系、久住高原を挟んで北西の地に「九重町・ここのえちょう」と東南方向に「久住町・くじゅうちょう」が存在するのも、又々意味ありげで面白い。
看板によると「大野川上流広域農道」とあり、大野川はその源をすぐ左に聳える大船山、黒岳の山塊が大水源地帯となって麓の竹田市に集合している。
その竹田盆地は豊富な地下水に恵まれており、市内には六つの湧水が点在するという。
湧水河川は更に大野町の中流域から大分市の豊後平野を潤し、市東部の港湾に流れ出る豊後・大分の最大の河川である。
この農道の一端に鄙びた「岳麓寺」(中世の古寺、石塔が多い)があった。
こちらは大船山の登山口として、現在でも山岳愛好家には知られる。
昔(江戸初期)、竹田藩(岡藩)の殿様(3代藩主・中川久清公)は大船山をこよなく愛し、14年間に5回もの登山をしたといわれる。
第3代藩主・久清(織田信長、豊臣秀吉に仕えた中川清秀の孫)は九重連山の一つ大船山をこよなく愛し、藩主の座にあった頃から大船山にしばしば登っており、隠居すると自ら「入山」と号して自分の墓所探しも兼ねて山歩きを楽しんでいたという。
殿様の登山は足が不自由だったため、山麓の岳麓寺(がくろくじ)までは駕篭で来て、「人鞍」と呼ばれる鞍を屈強の男性に担がせて登山したという。
没後、大船山八合目付近、標高1,580mの人里離れた地に墓所を築き、「入山公廟大船山」と称した。(国史跡)
中川久清公は、政治的には熊沢蕃山(くまさわばんざん:江戸初期の陽明学者)などを招き潅漑事業・富国強兵などの指導を受け、藩政の確立と教育の普及に努めた名君であり、岡藩中興の英主とされている。入山時の人鞍や陣羽織、文書などが久住町中央公民館に保存されている。
岳麓寺を過ぎると道が不案内になり、地図、カーナビで確認しながら、県道30号を目指した。既に直入町に入ったようである。
町は久住連山の東麓に人口1000人ほどのこじんまりとしたところであり、その町の中央を貫流する芹川沿いに有名な「長湯温泉」がある。
温泉場は長閑な湯の里といった感じであるが高濃度の炭酸を含み、日本一の炭酸泉として名高く、全国でも十数ヵ所しかないかなり貴重な湯だとか。
古くから湯治場として栄え、訪れた文人墨客も多く俳人山頭火、与謝野鉄幹、晶子、野口雨情等がいるという。 カジカの鳴く芹川沿いには日帰り温泉施設もあり、その名の通りの「ラムネ温泉」や「カニ温泉」といった風流な完全かけ流しの共同湯もある。
直入町は、ごく最近の2005年4月1日に直入郡荻町、久住町とともに竹田市と新設合併して新「竹田市」となり、自治体としての直入町は消滅している。
県道30号は庄内-久住線ともいい、この先、庄内町に至り国道210道、JR久大本線(大分〜久留米)を跨いで別府に至る。
長湯温泉から先は見通しの良かった大草原、大原野と打って変わって山稜が迫り、芹川のダム湖が光る。
その下流域は深いV字峡の渓谷が落ち込む、蛇生渓谷(じょうせけいこく・・?)というらしい。
間もなく庄内町に出た、国道は由布院温泉と大分を結ぶ幹線道路で、さすがに車の往来は賑やかである。
町並みは普通の田舎の街といった感じであるが、ここに由布市の庁舎が在るのには一寸不思議な気もした。
久大本線の小野屋駅前から別府庄内線・県道52号を一気に走り、城島高原の袂からお馴染みの県道11号に乗ると別府鉄輪は直ぐだった。
次回は、再び鉄輪温泉・「双葉荘」
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2011年05月25日 11時01分20秒
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日本周遊紀行(131)九重 「九重、久住・・?」
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(131)九重 「九重、久住・・?」
写真:平治岳のミヤマキリシマとバックは三俣山(1745m)、左奥に硫黄岳、眼下は坊ガツル。(提供者に感謝)
「九重」か「久住」かの、苦渋の選択で「くじゅう」に成ったと・・!?、
「地名」と「呼び名」について、もう一言。
別府周辺には厄介な地名の読み方がけっこう多い。
湯布院と由布院の違いについては後に記すが、別府と湯布院の間に「城島高原」がある。
当然「じょうじまこうげん」と読むものと思っていたが、「きじまこうげん」が本当らしい。
湯布院(由布院市)の北に「安心院」という地名がある。 「あんしんいん」ではなく「あじむ」と読む。
九重町にある「飯田高原」は「いいだこうげん」ではなく「はんだこうげん」と読む。
では、「九重町」はどうであろうか、隣町に「久住町」(くじゅうちょう)があるが、こちらは「くじゅう」でなく、「ここのえ」と読むらしい。
一般的な呼称では大相撲界で「九重部屋」、千葉、内房に「九重」(ここのえ)という地名、駅名がある。
因みに「九重九湯」(ここのえきゅうゆ)であるが、「九重山」は“ここのえさん”ではなく、“くじゅうさん”であるという。
ところで両町の歴史で「九重町」は、1955年(昭和30年)に発足し比較的新しい町名であるが、「久住町」は元々、久住村が前身で、既に1874年(明治7年)には施行している。
尚、久住町は2005年4月1日、直入郡直入町、荻町とともに竹田市と新設合併して新「竹田市」となり、自治体としての町名は消滅している。
「日本百名山」の九重山は、独立した山名ではなく山群の総称を表し、その主峰は「久住山」である。
ここで面白いのは、同じ発音を持つ九重と久住には永い間「山名」についての争奪戦があったという。
それぞれに九重も久住も自己を主張する古い文献を持っているという。
元々、この山域は日本の各地の山岳地にもみられる特有の宗教上の修行の山であって、「九重山法華院白水寺」と「久住山猪鹿狼寺(いからじ)」と二つの寺院が相対峙し、山の名前についても山麓の住民の間で争いがあり、当時の知事が間に入ってお寺の山号が山名に成ったと言われている。
その結果、総称を九重山、最高峰を久住山とすることで落ち着いたという。
「九重山法華院白水寺」は九重連山に囲まれた「坊がつる」の一角に在り、1470年に天台宗の修験場として建立され、修験僧の出入りでにぎわいを見せたという。
江戸期は武運長久、家内安全を祈願する寺であるとともに国境の警備の任にもあたっていたが、明治になって神仏分離政策で藩からの禄もなくなり、支院は山を下りて本坊観音堂(弘蔵坊)だけが残ったという。
現在は「法華院温泉」として後を継いでいる。
この地は標高1300mの四面を深山に囲まれた御存知「坊がつる」であるが、”坊”はその名の法華院を指し、“つる”は山間の平坦地のことで“吊る”にも通じ、「山々を支える御坊である」という意味をもつとされる。
一方、「久住山猪鹿狼寺」(くじゅうさんいからじ)は国道442号線(日田往還)の久住登山口(南登山口)にあり、天台宗の山岳修行地として平安期に創建されている。
久住山に対する 山岳信仰 は古くから山頂の「上ノ宮」をはじめ、久住神社を「下宮・猪鹿狼寺」をもって「神宮寺」としている。
以前は山号を大和山慈尊院と称し、そしてこの地は殺生禁断の霊場であった。
時は鎌倉期の頃であった・・! 、
幕府を開いた源頼朝は武勇奨励のため好んで巻き狩りをし、特に富士山麓の「巻狩り」は有名な話である。 この頃、頼朝の家臣であった大友氏(豊後大友氏;相模の国、小田原大友郷が出実とされる)が九州の豊後国(現大分県:豊後・筑前・筑後など北九州を支配した守護職)に任地され本拠とした。 大友氏は当時の頼朝に倣ってこの久住山一帯で巻き狩り、狩猟をしたといい、この時、夥しい獲物が有ったとされ、併せて霊場を汚したということで畜類供養をすることになった。 大友氏は、将軍・頼朝にこの事を問うたところ、頼朝は供養と同時に従来の「大和山慈尊院」を「久住山猪鹿狼寺」と改名するように命じたとも言われる。
ここまでは寺院山号も山域の名称も、呼び名は「くじゅう」であることに相違はない。
ただ昭和期になって、この山域一帯、山麓、高原帯、その他を阿蘇に含めて「国立公園」になることが決まり、一旦、「阿蘇国立公園」という名称が決まった。
その後、1953年にはやまなみハイウェイの整備を前提に、沿線となる由布岳、鶴見岳、高崎山(高崎山自然動物園)を拡張指定。
1986年には大分県知事および当時の関係7市町村の陳情を経て、「阿蘇くじゅう国立公園」と改称されたという。
では何故平仮名の「くじゅう」なのか・・?、
その名称についてやはりと言うか「九重」にするか「久住」にするかで、其々の主張を繰り返し大論争が起こったと言う。
結局、苦渋の選択で平文字の「くじゅう」と呼ぶことに収まり、1986年(昭和61年)に「阿蘇くじゅう国立公園」と設定したという。
まったく笑い話のような一席である。
この山地の四季の移ろいや、九重山の火山の遍歴を記した「古文書・九重山記」(くじゅうさんき)には「 春は緑色となり、夏は青色となり、秋は赤色となり、冬は白色となる 」と書かれ、地元の山愛好者等には親しく読まれている。
九重の山で育った者にしてみれば「九重山」でなければならず、観光地であればカナ・「くじゅう」でも仕方ないが重みがないと言う。
九州の岳人、山愛好家は「九重に始まって九重に終わる」と言われ、九重山をカナ・「くじゅう」と書くようになってから、山ヤを対象にした本当の意味での九重山は失くなってしまった・・、と嘆いているという。
1955年(昭和30年)町制が布かれてからは「九重町」(ここのえちょう)となり、地域に関連した固有の名称は「九重」に「ここのえ」の但し書きが記してあるという。
そして「久住町」は「くじゅうちょう」(竹田市久住町)である。
次回は、その「久住」へ・・?
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2011年05月24日 11時23分35秒
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日本周遊紀行(131)九重 「寒の地獄温泉」
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(131)九重 「寒の地獄温泉」 、
写真:瀟洒な「寒の地獄温泉」正面入口
「寒の地獄」で、話し好きの美人女将と暫し談笑・・、
長者原へ一旦戻って、昼時期なのでレストハウスで「高原ソバ」を食した。
この後、店員に・・、
「寒の地獄温泉へ行きたいが、どのくらいの道のりですか・・?」と聞くと
「チョウジャバルのはずれに案内板があり、左へ行くとすぐがだよ」と言う
「チョウ・・なんですか・?」と聞きなおすと
「長者原と書いて、ちょうじゃバル・・と言います、・・ハイ」、
「アア、そうですか、・・」と納得して礼をし引きあげた。
そう言えば熊本の有名地「田原坂」を“たばるざか”と読んでいた。
九州には、「――原」を本州のように「はら」や「わら」と読まずに「ばる」、「はる」と読む地名が非常に多いという。
例えば、「前原(まえばる)」、「春日原(かすがばる)」、「西都原(さいとばる)」などである。
「バル」の読みの由来として考えられるのは韓国語で「原」を意味する言葉に「ボル」とよみ、変じて九州の地名を呼ぶパターンとして「――ばる・はる」になったと・・?。 古代九州は朝鮮・百済の民が半島から多数、渡来している地でもある。
稲作文化も中国、朝鮮より九州へ伝来し、田畑の開墾、即ち、「墾る(はる)」が転じたものともいう。つまりは稲作のため開墾された場所、または、「山間部から平野部に“張り出した”場所」を示す。
つまり、「はるばる見晴らしが良い場所」という説もあるらしい。
長者原は、九重九湯の一つである長者原温泉郷(ちょうじゃばるおんせんごう)ともいわれ、九州で一番高地に泉源をもつ星生温泉(ほっしょうおんせん)や牧の戸温泉、冷泉で有名な寒の地獄などがある温泉郷でもある。
その「寒の地獄」へ向かった。
再び「やまなみハイウェイ」から案内に従って行くと、林に囲まれて「寒の地獄温泉」があった。
日本風の粋な造りの宿兼温泉保養所といった感じで、格子戸の玄関を入ると和服装いの美人女将が出てきた。
泊まりの客でなくて一瞬、顔が曇ったように見えたが、すぐ取り直して案内してくれた。
女将さんの話では、冷泉は7〜8月の夏季営業のとのことで、現在は閉鎖中。 以前は冷泉しかない湯治場だったらしいが2年前に改築し、加熱した温泉の浴室も造り、通年営業するようにしたのだそうだ。
新しくできた「温泉」に向かった。
こちらは別棟にあり「互久楽(ごくらく)湯」と名付けられ、浴室、湯船とも木目調で落ち着いた造りである。
大きな浴槽と小さな浴槽の2つがあり、小さい方が冷泉である。小さいながらも冷泉があって良かった・・、と思ったが実は小生は冷水は苦手であった。
湯船には底に石が張られており、無色透明の硫黄泉が惜しげもなく注がれている。
硫黄泉ということでややその香りが漂うが、温泉そのものは実にサッパリとして心地よい。
湯船からはザーザーと惜しげもなく溢れ出しており、まさに天然掛け流しの純温泉で、これぞ互久楽、いや極楽々々である。
ところで、寒の地獄温泉の売りは冷泉で、摂氏14度の恒温は通常の湧き水よりも冷たい温度らしく、2分も浸かっていることシビレがきて、その名前の通り「地獄」のようだという。
この冷泉と温泉を交互に入ると更に効果が上がるといわれるが、冷泉は水着着用(混浴)であり、行ったり来たりが大変だろうなと変な気をまわす・・?。
思案しながら湯上りに冷泉場を覗いて見た、開けっぴろげの湯小屋に大きくて深そうな浴槽に満々と「入れず」の冷泉が溢れている。
それにしてもエメラルドグリーンの透明の冷泉は見とれるほどの美しい冷湯である。
単純硫化水素冷泉、水虫などの皮膚病・リュウマチなどに特効があるという。
浴場奥には薬師如来の祠があり、1857年以来に当時の人がこの温泉に入って不治の病を治したとの銘文があるので、江戸の頃からすでに知られていたようである。
先ほどの帳場へいって温泉タマゴとビールを注文した。
例の美人女将が・・、
「どちらから・・?」と声を掛けられて、今の状況など掻い摘んで話すと
「まあ・・素敵・・」といってオドケテ見せている。
「こちらは日本秘湯の宿の会員らしく、昨日、黒川温泉の新明館に行きましたヨ・・」と言うと、またまたビックリして、
「あたしも知ってますはヨ」といって、「日本秘湯の宿」の本を持ち出してきて話し始めた。
彼女、余ほど話し好きで、更に旅行好きで各地の温泉地巡りをしているらしく、半ば見聞、見学をも兼ねていると言う、イヤー、実に結構な身分である。
小生が既に巡った北海道や東北の名湯を話すと目を輝かせて聞いている。
「あたし、北海道は未だ行ったことないの、是非今度行ってみるわ・・」と羨ましげである。
長野に知人がいてその周辺も承知のようで小生の白馬別宅のことを話すと、その知人宅から白馬へスキーに出かけたこともあるという。
話が盛り上がってしまったところへ、お客がきたので退出したが、帰り際、何故か(商売っ気もあって・・?)宿張にサインをさせられた。
別棟、囲炉裏を施してある休息コーナーで、一味、美味しくビールを飲み干した。
『旅まくら 小沢昭一的こころ』 TBSラジオより
「 寒の地獄は、標高1000メートルの長者原にわく鉱泉でありまして、浴びてよし、飲んでよし、当初は傷ついた猿が入ったのだそうでありまして、不思議に思った土地の猟師が自分でも浴びてみると、実によく効く。 以来、この鉱泉が開かれたと言われております。 硫黄泉でありまして、皮膚病、神経痛、リューマチ、痔、婦人病、胃腸病、ぜんそく、中風、精神病、性病に効能があるとございます。ま、何にでも効くようでありますが、性病は淋から梅、わけても変性梅毒にいいとある。変性の梅ちゃんとはどんな病気か存じませんが、プロデューサーには、なにやらうってつけのお湯でありましょうヨ。それにしても、プロデューサー氏の悲鳴はいったい何なのか。 “小沢さん、こ、これ温泉じゃない、温泉じゃない。 み、み、み、水だ、 チ、チ、チメタイ、 ブルブルブル。” だからご注意申し上げたでしょう。寒の地獄という以上、身を切るような冷たい水に相違ないって。あんた、自業自得だよ。」
(TBSラジオ12時15分頃、全国30曲ネットでオンエア中のラジオ番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』。)より
「やまなみハイウエイ」を更に進めると、山峡のヘアーピンカーブを繰り返しながら上る、ドライブ中に目に入ってくるのが硫黄山である、長者原のシンボルとも言われる。
その途中に、「牧の戸登山口」の駐車場や休憩舎があり、ここからも大勢の登山客が山を目指している。
硫黄山は活火山である九重連山のシンボルで、立ちのぼる噴煙によりその様子を覗える。崩れ落ちる急峻な涸れ沢には何箇所かの堰堤が施してある。
その先は火山性の荒涼たる世界が広がっていて、山頂直下は噴煙が絶え間ない。
その両側の谷間から山肌の斜面にかけては赤と緑の絨毯、花の大競演であった。
赤は勿論「ミヤマキリシマ」の大群落である。
硫黄山は古くは信仰の対象として崇められ、修験道の盛んなところとして知られていた。
近世に入り、産業用火薬の原料となる硫黄の採取地であったが、石油精製の過程で硫黄ができるようになったため、今はその役割を終えている。
近年(1995年)に水蒸気爆発による噴火によって噴火性活火山であることを証明されたが、現在は小康状態を保っているという。
近付くと、迫力ある活動中の鳴動音も聞くことができると。
次回は、「九重、久住・・?」
【小生の旅のリンク集】
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2011年05月23日 10時04分00秒
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日本周遊紀行(131)九重 「坊がつる」
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日本周遊紀行(131)九重 「坊がつる」 、
写真:坊がつる道中の「雨ヶ池」
雨ヶ池付近のミヤマキリシマ
「坊がつる」は、ミヤマキリシマが満開であった・・、
やまなみハイウェイの左手一面は湿原状の草原が広々としていて、その中に木道が整備されている。
この草原状の湿原を「タデ原湿原」という。
2005年11月、山上湿原「坊がつる」と合わせて「坊がつる・タデ原湿原」と名付けて、世界的に重要な湿原、水鳥の生息地として九州で初めて「 ラムサール条約」に登録され保護されることになった。
「坊がつる」は阿蘇国立公園内の山岳地にあり、湿原としては国内最大級の面積で、ヌマガヤ、ミズゴケなど貴重な湿原植物が群生している。
タデ原湿原は白水川沿いにススキやヨシ、ヌマガヤといった通常平地湿原に生える植物で、乾燥化が進んでいるようにも思われ、地元の人たちが行う「野焼き」により維持されているという。
大分県内での登録は初めてであるという。
ラムサール条約とは湖沼や河川、干潟など湿地の保全と利用を目的とする条約で、正式名称は「 特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約 」としている。 1971年イランのラムサールで開催された国際会議で条約が採択され、日本は1980年10月に加盟した。
現在の登録湿地は北海道・釧路湿原など33カ所が登録されている、やはり、大自然の北海道が大半を占める。
その「坊がつる」、「雨池」方面の登山道はタデ原湿原の最奥部にあった。 湿原木道は「自然研究路」、そして、こちらの登山道は「九州自然歩道」とも称している。
始め、平坦な樹林のトンネルを行く。
見慣れた広葉樹のミズなら、クヌギ、ヒノキ、カエデなどの木々が鮮やかな葉緑素をたっぷり溜め込んで輝いている。
歩くほどに次第に勾配が増してくる、応じてゴロ石が多くなる、山屋にとっては毎度御馴染みである。 T字型の指導標が一寸しつこいぐらいにあるが、こらばかりは幾ら有っても安心である。
それにしても人の多さには驚く、次から次と途絶えることなくやってくるようだ、普通の観光客風、ハイカー、重装備登山者と其々、目的に応じて歩を進めている。
小生は軽ハイカーといった感じであろうか、脚には薄いズック靴で、やはりボコボコの悪路は歩き難い。しかし、そこは長年のキャリアで山慣れしているので慎重に足を運ぶ。 ペットボトル1本とチョコ一つにカメラと、殆ど空身で体調も極めて良く、ゆっくリズムの先行者を追越しながら、やや早足で登ってゆく。
高度が上がるに従って次第に樹々の様相も変わってきて、本格的な登山道になってきている。
下山者も時折すれ違う、昨日、入山して坊がつるの「法華院温泉」に宿泊した登山者が多いようである。
情報によると、この先上部の雨ケ池からの周辺、山の端はピンクのツツジ「ミヤマキリシマ」が満開だという。
30分ほど歩いたところで、沢筋のやや開けたところで一服入れる。
斜面岩場に初めて身近で見るピンクのツツジが色鮮やかに花を付けていや。
ここから先はさすがに急登が続く、道程の所々にミヤマキリシマやツツジ科のベニサラサドウダンの花が心身を癒す。
お天気は当初山腹付近でガスが垂れ込めていたが、雲霧の動きも活発になって次第に上方に追いやられ、明るくなってきている。
湿地部やぬかるみには木板の足場が施してあり、歩きやすくなっている。人気がある山とはいえ、さすがに山の管理人達には頭が下がるおもいだ。
ナナカマドやヒメシャラが現れて山の植物相も変わり山全体の様相、雰囲気も大部変化してきている。視界も広がって周囲の山々が見渡せるようになった、「雨ヶ池」は近そうである。
青天井の視界が大きく広がり、歩道横には広大な湿地帯が広がる。前方は平治岳や大船山が見え、すぐ其処に三俣山が控える。 三俣山の裾野に広がる「雨ヶ池」は今は乾いた泥沼であるが(今年は雨が少ない)、その名の通り雨が降ると水が溜まり池になるという。
山道の横、周辺一帯の草付き丘陵地には、ミヤマキリシマの群落やベニサラサドウダン(当地ではツクシドウダンツツジというらしい)をはじめ、多くの高山性草花が咲き競い、登山者の目を楽しませてくれる。
周囲の山並みも所々ピンクに染まっていて実に壮観である。
暫く、周囲の景観、山の霊気とミヤマキリシマを堪能して山を下りることにする。広大な「坊がつる」まで行きたいが他にも予定があるため、ここ雨ヶ池だ引き返すとしよう。
初夏の「九重」はミヤマキリシマの開花とともに始まると言われる。
ミヤマキリシマと言えば九州・火山性高山地帯に産し、霧島、えびの高原のほか、阿蘇山(熊本県)、雲仙岳(長崎県)、九重・久住山など分布する。
本来、鹿児島・霧島を代表する植物の一つで鹿児島の県花になっている。
ミヤマキリシマはツツジ科の植物で深山(ミヤマ)に咲く霧島(キリシマ)の花ということでその名が付いたのだろう。 樹勢は概ね50cm程度の背丈で横に広がる性質をもち、枝先に2、3個づつ散形に2cm程の可愛らしい花をつける。
花の色は紫紅色が一般的で桃色、薄紅色のものも見られ、花期は概ね5月下旬から6月中旬頃。
九重・久住山系では平沼岳や大船山から三俣山、硫黄山が知られている。
ミヤマキリシマは火山活動が生存を支えているといわれる、その活動が完全に治まってしまうと時間の経過と共に草原の森林化が起こり、やがて枯れてしまう運命にあるともいわれる。
『坊がつる賛歌』 唄 芹 洋子
人みな花に 酔うときも
残雪恋し 山に入り
涙を流す 山男
雪消(ユキゲ)の水に 春を知る
みやまきりしま 咲き誇り
山紅(クレナイ)に 大船(ダイセン)の
峰を仰ぎて 山男
花の情けを 知る君ぞ
四面山なる 坊がつる
夏はキャンプの 火を囲み
夜空を仰ぐ 山男
無我を悟るは この時ぞ
次回は、九重・「寒地獄温泉」-
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from: orimasaさん
2011年05月22日 09時41分12秒
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日本周遊紀行(131)九重 「長者原」
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(131)九重 「長者原」 、
写真:長者原と「タデ原湿原」付近
先ず、塚原温泉地獄について・・、
鉄輪温泉「双葉荘」逗留の傍ら好天でもあり、先ず、九重連山の人気の山である「坊がつる」方面へ出かけることにした。
愛唱歌・「坊がつる賛歌」でも知られる山で、地域情報によると5月下旬から6月上旬には、この地帯は「ミヤマキリシマ」の赤紫の花が山全体を染めるという。
今日は、鶴見岳、由布岳の北側を行ってみよう。
県道11号を安心院(あじむ)方面の国道500を行く、グングン高度を増してきたところで大分道とに並行しながら塚原高原の壮大な草原地帯を行く。
高原は湯布院町(由布市)の北端にある伽藍岳(1045m)、別名を硫黄山の麓に広がる草原である。
その硫黄山の山肌からは噴煙を上げていて地獄が垣間見える、塚原温泉地獄ともいい別府温泉の現況がここに見て取れる。
左分岐に「塚原温泉」という標識があり、標高約800mの鶴見岳連山と伽藍岳のコル部(鞍部、山稜上の窪んだ所)の伽藍地獄といわれる直下に在るようで、その塚原地獄へ向かってみた。
途中、林の中を10分ほど未舗装道路を走り、その温泉場は木造の鄙びた造りで、いかにも秘境ムードを溢れる温泉である。
酸性度の高さ、アルミニウムイオンの多さは日本第二位、鉄イオン含有量の多さは日本第一位という変わり種の温泉で、日本三大薬膳湯の一つとして「知る人ぞ知る」稀有な温泉であるという。
時間があれば入浴したいところであるが、先の予定もあるので遠慮した。この先、塚原地獄は通常は関係者以外進入禁止となっているみたいだが、内緒でスタスタ出かけてみた。噴煙を上げている場所は数カ所あり、出来たての湯釜などもあってチョットした迫力を感じる。
さて、由布岳の勇姿が近付く。
穏やかな南面に比して、こちらの北側の由布岳は双耳峰の間から茶褐色のⅤ字峡谷をなした裂け目が山麓まで達していて、荒々しい様相を見せていた。
由布岳北面を大回りしながら快適に進むと眼下に湯布院の町並みが見え、緑の中に静かに佇んでいる。
この辺り一昨日通った道の駅・湯布院(明日訪れる予定・・)を通過して、水分峠から分かれ
て九重方面の県道11号線を行くようになる。通称「やまなみハイウェイ」といい、既に気持ちのいい高原状のよく整備されたスカイラインのハイウェイ・・?であった。
途中、「山下池」とガイド板があったので立ち寄ってみた。 人の気配は全く無く、静寂の一語の環境地であった。 草原状の湖畔に何故か“真紅の楓”が季節外れに印象的である・・!(楓は、「出猩猩」(でしょうじょう)という種類で、新葉の頃は紅色しているが出揃うと青葉に変化する)レイクサイドのホテルもひっそりとしていた。
これより先「朝日台展望地」という高台に出た。
ここに「天皇来訪地」と石碑があったが何時頃、何という天皇だか定かでない、しかし、これも一興か。
何時、何処の天皇が来訪したかは別にどうでもよいことで、天皇が御見えになったこと事態が地元にとっては大事であったのであろう。
ただ、嘗ては良好な展望地であっただろうが、現在は杉の木立ちが育ちすぎて視界を遮っている事は残念であった。 適当なドライブインもあり食事やみやげ物は買えるので休憩所としては敵地として使えそうだ。
快適なロードが続いていて、「九重九湯、長者原へ」と看板が眼を引かせる。
この辺り「飯田高原」と称するらしい。 見通しの良い草原状のスカイラインは、うねる様に延びている。 この頃から次第に車に数が多くなったように感ずる。
「長者原」の駐車場へ着いたが、既に満車状態であった。 とは言ってもナマジの駐車場ではなく1000台ちかくも置ける大駐車場なのである、これが満車状態なのである・・!!。
仕方なしに前車に倣って路駐を決めこんだ。
付近にガイドセンターが有ったので事情を聞いて納得した。
実は今日、6月5日の第一日曜日は九重連山の山開きの日だったのである。
おまけに九重連山の山岳地帯は「ミヤマキリシマ」(雲仙ツツジ)の開花時期の最盛期であると言う。
この付近だと「坊がつる」まで登行するとミヤマキリシマの花が見てとれるという。しかも、本年は例年になく10年ぶりくらいに花付きが良いと言う。
“坊がつる”とは、あの芹 洋子が唄う「坊がつる賛歌」の「坊がつる」であった。
好天に恵まれた本日、愛山者は東西南北の各地からやって来ているのだ・・!。
納得である。
長者原は九重・飯田高原の中心地であり観光案内所、キャンプ場、レストハウス、ヘルスセンター、宿泊施設等、実に賑やかな集積地であり登山者、ハイカー、観光客の拠点にもなっている。
小生始め草原、湿原散策のつもりであったが、山行きの準備こそはしていないが、山慣れはしているので、この恰好で「坊がつる」まで行くことにした。
凡そ、片道2時間の行程だそうだ。
大草原から柔らかく吹き抜ける風に当たりながら、好天の「坊がつる」を目指した。
思わず加山雄三の歌・『旅人よ』を口ずさむ。
『旅人よ』 唄 加山雄三
風にふるえる 緑の草原
たどる瞳輝く 若き旅人よ
お聞き遥かな 空に鐘が鳴る
遠い故郷にいる 母の歌に似て
やがて冬が冷たい 雪を運ぶだろう
君の若い足跡 胸に燃える恋も埋(ウズ)めて
草は枯れても いのち果てるまで
君よ夢を心に 若き旅人よ
ムームム ムームムムムム ムームムー
次回は、九重・「坊がつる」
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