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  • from: orimasaさん

    2008年06月14日 10時03分02秒

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    日本周遊紀行(120) 「一宮、御宿」


    《一宮:「宮」の訳》

    海岸線の快適な・・とは言っても小雨の中であるが、九十九里道を更に南下する。

    全国に、数字のつく一の宮、二の宮など宮の付く地域名が多い、小生の住む相模の国(神奈川)にも一の宮、二の宮、三の宮、四之宮とある。
    何れも「宮」と付くからには神社に所縁(ゆかり)のある地名であることは確かである。
    神社は昔から一郷一村の人達の心の拠り所であり、日本民族の魂のふるさとでもあった。 又、神社は古来、政事(政治)の中心的存在でもあった。

    平安期、その国(地域)の神社の格式や祭政一致に基ずいて、朝廷(天皇が政治を行っていた場所)がその神社の挌位(序列)を決めたのが、「延喜式(式内社)」といわれるもので、「一の宮」はその国の由緒ある信仰の篤い神社の第1位のものである。 
    国司(中央・朝廷から地方・諸国へ派遣された地方長官)が地方へ赴任したときは、一の宮、二の宮、三の宮と巡拝しなければならないとも規定されている。

    ここ「一宮町」は、玉前神社が上総国の一宮だったため「一宮庄(荘)」の名前が広まり、現在まで「一宮」の名称が使われている。 
    その玉前神社は、上総一宮駅の西側に鎮座している。 「上総の裸まつり」、「十二社まつり」と称されるご例祭は1200 年の歴史があり、房総半島に多い浜降り神事の中でも最古の歴史と伝統を誇るとされ、一宮町指定の無形民俗文化財となっている。

    他のも古い歴史を抱く一宮町には、大小さまざまな神社・仏閣が数多く在る。 
    特に一宮城址の周辺(現在の一宮小付近)には、守護神として神社やお寺が数多く配置されたという。 町内ではそれぞれの地域で、今でも季節ごとに昔からのお祭が伝えられ、賑やかに行なわれている。 
    一宮町は、やはり歴史と文化が漂う香り高い街であった・・!!


    <font size="2" color="#0000FF">《御宿:月の砂漠》


    「岬町」は、広大な太平洋に突き出した太東岬にちなんで命名されたのだろう・・。
    美的に単調な九十九里浜はここ太東岬を境に一変する、一般的にこらから先は「南房総」と称しているようである・・。 
    複雑に入組んだ海岸地形は独特の海岸美を形成していて、ここには観光施設やレジャー施設も多く、歴史や文化の色彩も濃く、首都圏の観光拠点にもなっている。 また黒潮流れる温暖な地は各種花々の栽培が盛んで、海岸道路を”フラワーライン”とも称している・・。

    ようやく雨も小降りになってきて、明るさも増してきたようで、これから拙車はその南房へ向かう。 国道128号の愛称である「外房黒潮ライン」を行く。
    清流・塩田川を渡り、左に大原の港を眺めながら、「御宿」へと差し掛かる・・。 
    その御宿には心温まる逸話があった・・。

    明治35年、猛烈な台風で御宿小学校は全壊した。
    財政難の時代、時の校長・伊藤鬼一郎氏と村長は全村民に同意を得て、学校建設の為、毎日五厘(一銭の半分)の日掛貯金を実施した。 その後、毎戸2倍の一銭とし、実に9年間に亘り一戸の脱落者もなく達成したという。 
    集まった金額3万円余(現在の価値で約1億8千万円)を以って独力で737坪の立派な新校舎を建てたという。 五厘は、儒教の「五倫五常」の五倫に通ずるとして「五倫黌御宿小学校」と名付けたという。  

    「五倫」とは、人として守るべき五つの道、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信、「五常」とは人としての心得、仁・義・礼・智・信を言う・・。
    小学校のすぐ南に歴史民俗資料館がある、ここの一角に教科書を専門に収集した「五倫文庫」なるものが有り、当時の校長伊藤鬼一郎氏が、毎年使用される教科書を保存し比較研究したのがその始まりであると・・。

    氏は、初等教育が次の時代を背負ってゆく少年少女に如何に重要であるかを早くから認識され、 特に世界が平和の中に共存してゆくには、未だ天使のような清い心の幼い時に、正しい教育をすることが不可欠なのだという信念のもとに実行された。
    収集した教科書は国内25000冊、国外50数ヶ国7000冊に及ぶ・・。

    昨今、中高歴史教科書の記載の仕方が問題視されるときがあるようで・・、当の執筆者、関係者は、御宿の教育関係者に問うてみては如何かな・・!!。
    御宿町は文教の街として、その名を千葉県のみならず全国的に知られているという。
     

    御宿海岸は大幅な砂浜に覆われており、同じ海岸線でも九十九里浜とはまったく異なる姿を見せている。   
    白い砂浜が波のようにうねり、海辺を見なければまるで砂漠のようである。 大正期の作家の「加藤まさお」が、病気療養のために滞在していたこの浜で、童謡「月の沙漠」が生まれたという・・。        

    「月の砂漠」 加藤まさを  佐々木すぐる(曲)
    月の沙漠を はるばると     金のくらには 銀のかめ
    旅のらくだが 行きました    銀のくらには 金のかめ
    金と銀との くらおいて     二つのかめは それぞれに
    二つならんで 行きました    ひもでむすんで ありました

    広い沙漠を ひとすじに
    二人はどこへ 行くのでしょう
    おぼろにけぶる 月の夜を
    対のらくだは とぼとぼと

    沙丘を越えて 行きました
    だまって越えて 行きました

    次回は、 合併の町、勝浦、小湊・・・

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