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from: orimasaさん
2008年07月09日 09時55分34秒
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日本周遊紀行:温泉と観光編(34) 松島-Ⅴ「瑞巌寺の高僧」
「法身窟」:北条時頼が諸国行脚中この場所にて法身和尚(真壁平四郎)と出会った岩屋
日本周遊紀行:温泉と観光編(34) 松島-Ⅴ「瑞巌寺の高僧」
真壁平四郎について・・、
瑞巌寺には歴代高僧の内、四大高僧がいたといわれ、鎌倉期の「法身禅師」という禅僧もその一人であるという。
俗名を「真壁の平四郎」といい、今でも語り人となって登場している。 講談 の「伊達政宗より真壁平四郎のくだり」や浪曲「真壁平四郎伝」 でもお馴染みである。
<font size="2" color="#0000FF">「平四郎が政宗の中間(ちゅうげん:中世の公家・武家・寺院などに仕える従者で、侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人で、雑役に従事、足軽と小者との中間に位する)として働きながらも、ちょっとした誤解から政宗の怒りを買い、その無念を晴らすために長い苦労の末に立派なお坊さんになる・・、」というお話である。
出身地は、常陸国真壁郡(茨城県真壁郡細野町)でその名が付いた・・。
若年の頃、城主の下僕を勤めていたが或る宴のあった冬の日、履物を懐で温めて城主を待っていたところ履物を尻に敷いていたと誤解され、額を割くほどに撲られた。 これをきっかけに平四郎は伊達政宗のもとを去り、出家して後に高野山や中国・宋に渡って修行を積んだ。 帰国後、京都・妙心寺の住主となり、更に諸国遍歴の旅中、松島の延福寺(瑞巌寺)に滞在し、岩窟にて修行していたといわれる。
その時、鎌倉執権・北条時頼が東国遊行中、延福寺に立ち寄り、時頼が岩窟に入って休息していた時、岩窟には先住の修行僧がいて二人は意気投合し、法談問答などで時を重ねたという・・。
この岩窟での出会いから10数年後、縁あった「執権・時頼」に援助を戴き、法身禅師による臨済宗・円福寺を再建したという。
あの時、法身禅師が禅修業した岩窟を「法身窟」といい、今でも参道脇に現存している。 その後の円福寺は隆盛を極めたという・・。
次回は、 松島-「湯の原温泉と斉太郎節」
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