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  • from: orimasaさん

    2008/07/31 10:34:23

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    日本周遊紀行(130) 「川〓(Ⅱ)」、 六郷と堀の内・・、

    日本周遊紀行(130) 「川〓(Ⅱ)」、 六郷と堀の内・・、

    <font size="2" color="#0000FF">江戸時代、東海道を行く者にとって、多摩川の「六郷の渡し」は江戸に入る大切な要であり、常時十数隻程度の舟で旅人や荷馬を渡した。 
    明治元年(1868)、明治天皇の渡御の際には、23隻の舟を横に並べ、船橋を作って渡ったという。 欄干には渡船のモニュメントがあり、当時の多摩川の姿を伝えている。
    川〓の宿場は、六郷の渡しを渡りきると、現在の堀の内町から駅前の砂子、南町地区辺りが旧東海道の道筋である。 

    川崎・堀の内というのは、平安末期に河崎基家がここに居館を構えたのが起源といわれる。
    河崎基家は坂東平氏の秩父氏の末流といわれ、基家がここに知行を受けて、その地名を名乗ったようで、その館は、現在の堀之内の稲毛神社付近と伝わり、神社の案内板にもそういった由来が書かれている。
    多摩川がこの地域のすぐ南側を流れ、「堀の内」はその渡河地点を押さえる重要な立地だったという。


    一般の宿場町も、概ねそうであるが・・、
    江戸期の川崎宿駅は、一般通行者を対象とする旅籠、木賃宿、茶屋、商店などが立並び、飯盛り女の手引きで客を引きながら宿泊、通行、荷物輸送などで利益をあげていた。 
    飯盛り女とは、宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、売春も兼ねた女のことである。
    ところで現在の堀の内地区は、昔の面影というには気が引けるが、男相手の客商売、所謂風俗営業の店が軒を並べ、関東屈指の風俗街と成り果てて、繁盛しているようである。

    余計で私事ながら、この「堀の内」には思い出がある、実は小生が「男」になった所なのである。
    未だ20歳そこそこの頃、田舎の会社、工場勤務より東京大手町の本社へ出向転勤になり、この会社の社員寮のある大田区・六郷土手に居を移した。 
    六郷土手は、京浜急行の「六郷土手」の駅があり、東京よりの多摩川堤のすぐ近くにあり、僅かなところに第一京浜国道(旧東海道)の六郷橋が架かる。
    或る日、先輩に連れられて、六郷の橋を渡り、川〓の堀の内で遊び、男として初めて「筆おろし」をしたのであった。 

    堀の内は、昭和中期頃までは、公の遊郭街として有名であり、近郊の男供を相手に正々堂々と商売し繁盛していたという。 ところが、売春防止法(昭和31年)が発布されて公には出来なくなり、飲食店という形式で内々に行っていたようである。
    小生が始めて訪れた時も、カウンターで飲食をしながら、徐に(おもむろに)意志を確認しながら商談・・?をまとめ、何がしかの金銭を別に払って、二階の特別室で用を済ませたものであった。
    その後も給料日の後などは、下駄履きでカランコロンと六郷の橋を渡り、お馴染みの所で、たまにはお馴染みさんと「筆ならし」を行ったもんである・・。


    次回は、 「横浜」


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