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from: orimasaさん
2008年08月01日 10時49分04秒
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日本周遊紀行(131) 「横浜」(1)
山下公園界隈と横浜みなとみらい21地区
日本周遊紀行(131) 「横浜(1)」
横浜ベイエリア・・、
<font size="2" color="#0000FF">首都高速道の湾岸線から、美景な横浜ベイブリッジを渡る・・。
「ベイブリッジ」は、横浜港湾口部の航路を、本牧ふ頭から大黒ふ頭を全長860mを横断するもので、支柱を立てて、そこからワイヤーで両方から突っ張る「斜張橋」という工法で世界最大級といわれる。
この橋は上下2層の道路橋で、上層は首都高速湾岸線と下層は国道357号線になっている。又、大黒ふ頭側の「スカイウォーク」といわれる海上50mからは、片道320mの展望遊歩道になっていて、海上の様子や山下公園、横浜の新しいシンボル、「ベイエリア」などが見渡せる。
昭和期における横浜の顔といえば、日本で始めての臨海都市公園として完成した「山下公園」であろう・・、そして、その一角にある展望塔の「横浜マリンタワー」や氷川丸、新大桟橋などであった・・。
ところで、マリンタワーは、横浜港開港100周年記念行事の一環で建てられ、本年(2004年)横浜マリンタワーが45周年を迎えるという。 高さ106m、円形の灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っていたらしい。
しかし、このタワーも老朽化が進み、本年末をもって目出度く引退することになったといいい、5年後の開港150周年には、リニューアルオープンする予定であると・・。
2009年の横浜開港150周年まで、しばしお別れである。
マリンタワーは、市ではなく「氷川丸マリンタワー」という会社が経営していたらしい。 この度、マリンタワーのリニューアルに併せて、会社は解散する事になり、マリンタワーは横浜市へ、「氷川丸」は日本郵船(株)、又はその関係先に譲渡する予定だという。
氷川丸は、元々、日本郵船で活躍していた豪華客船で「北太平洋の女王」と呼ばれ、喜劇王チャーリー・チャップリンや秩父宮夫妻乗船したことでも有名である。
太平洋戦争時には病院船、、終戦を迎えた後は復員輸送に従事し、再び改装工事をして、シアトル航路で再度活躍した。 そして、1960年(昭和35年)、70年の現役生活を引退し、横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、1961年(昭和36年)生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されたのである。
建造したのはすぐ隣に在った、三菱横浜造船所(横浜ドック)で、1930年に竣工、ただちにシアトルに向け、処女航海の途についている。
日本郵船に譲渡され、リニューアル保存される見通しだが、再公開の詳細は決まってないという・・。
この「三菱横浜造船所」は横浜再開発の要望を受け、昭和58年(1983)に、この地を離れている。
この跡地に出来つつあるのが、「みなとみらい21」といって、今や横浜の新しい顔とも言える「ベイエリア」になっている。
日本一高いタワー棟・ランドマークタワー(高さ296m・70階建てで69階に展望台がある)を中心とするオフィス、ホテル、ショッピングモールを核に、展望フロアや多目的ホール、さらには復元活用した赤レンガ倉庫広場など、多彩な施設を併設し、魅力ある一つの街を形成している。
次回は、「横浜開港」
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