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  • from: orimasaさん

    2008年11月25日 12時17分10秒

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    日本周遊紀行(60)徳島 「阿波おんな」



    阿波徳島の川と山、そして阿波女・・、

    国道11へ戻って徳島を目指す、めざすといっても、すぐ其処であるが。
    間もなく秀麗な吉野川の大橋を渡る。 ここ河口近くの吉野川は、さすがにゆったりと、悠然とした動きであるが、日本三大暴れ川の一つと言われ、四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ。他には関東北部の利根川は坂東太郎(ばんどうたろう)、九州・筑後川が筑紫二朗(つくしじろう)であり、暴れ川とは、雨が降るとすぐ氾濫する川のことである。
    四国山地を東西に横切る山並みは日本では珍しい先行谷(せんこうこく・山脈の隆起の開始前に河川流路が決められ、その後に流路を横切って土地が隆起した場合、もとの流路を維持したまま下方侵食を行いながら、これを横断して峡谷が形成されているものを指す。内陸盆地の多い近畿・中部地方に好事例がみられる)を形造り、高知北部の源流域では日本の三奇矯(錦帯橋・山口岩国、猿橋・山梨大月)といわれる「かずら橋」のある祖谷峡や断崖絶壁が続く大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)と呼ばれる観光景勝地を形ずくっている。吉野川は、この地を北上し、池田町で直角に曲がって東へ向きを変え、四国山中を切り裂き、横断して徳島へ流れ出ている。

    ところで池田町とは、阿波池田であり深い山中にある。 深い山中ではあるが、この地は四国各所へ通じている交通の要衝でもある。この町は「やまびこ」が返すような狭地に家々が密集しながら存在している。 この地を有名にしたのが県立池田高校であった。 
    昭和49年選抜高校野球では「さわやかイレブン」とか「やまびこ打線」と銘打って大活躍した(準優勝)のは記憶に新しい。 同57年夏、翌年春には優勝し、更に、61年春・優勝した。球児は全員地元出身であるが、監督はあの「攻めダルマ」と異名をとった名将・蔦文也氏である。蔦氏は、打倒「徳島商業」を合言葉に、部員たちに猛特訓を施し、全国にその名を知らしめた・・!。
    この池田町は来年(2006年)3月に、三野、池田、井川、山城、東祖谷山、西祖谷山の周辺6町村による合併協定で調印され、新しく「三好市」が発足する。例によって著名な「池田町」の名が消えるのは残念であるが・・。

    阿波デルタの向こうに、新緑のなだらかな高原状の山が見えている、眉山(びざん)である。女性の眉型を連想させることから、眉山と名づけられたそうで、ロープウェーで上がると徳島市内が一望でき、広い吉野川や遠くは淡路島まで見渡せる。 徳島をこよなく愛し、阿波女を妻にした「モラエス」、そのモラエス館が山頂に在る。
    モラエスは、日本をこよなく愛した徳島を代表する文化人の一人で、ポルトガル人。 富国強兵の日本に興味を抱き、来日して神戸で副領事、総領事を務め、阿波女・ヨネを嫁にしている。 退職後は、亡き妻・福本ヨネのふるさと徳島に永住し、眉山のふもと伊賀町の長屋で執筆活動をする。 「おヨネとコハル」、「日本精神」、「徳島の阿波踊り」など、明治・大正時代の徳島の風習を紹介した数多くの著書を残している。

    「さだまさし」がこの山を舞台にした「眉山」という小説を最近書いている。
    さだ まさし(佐田雅志)はフォークシンガー、シンガーソングライターとしては超有名人だが、映画監督、噺家、小説家としては余り知られていない。 過去、数冊の小説を書いているが、毎年、徳島でコンサートをする内、徳島の魅力に感動し、愛着と親しみを込めて昨年(2004年)、「眉山」を書き下ろしたという。
    徳島を舞台に書かれた長編小説で、阿波踊り、人形浄瑠璃等、地元・徳島の自然や文化が詰まった内容という。母と娘を中心とした家族の物語で、母・お龍が病院の中で医師に啖呵を切る場面や最後のクライマックス、母がどうしても見ておきたいと車椅子に乗って出かけた阿波踊り会場で・・。
    さだ氏の歌曲同様、独特の家族への思い、優しさ、愛するとは何か?を教えてくれるという。近々、映画化、TVドラマ化されるという。

    古来、「東男と京女」と言うふうに、「讃岐男に阿波女」、「阿波美人」といわれ、阿波女は近隣で重宝がられてきた。
    阿波は、室町幕府のころから京都と関係が深く、足利尊氏の末裔が阿波に住み着き、将軍(14代将軍:足利 義栄:在位1568)も輩出している。この時期に、白拍子などが入り込んで都風の遊芸とともにその優雅な美形を伝え、阿波女の特性をつくったという。 これは、阿波踊りの女連による美雅な踊りにも表れているといわれる。
    讃岐では、「嫁をもらうなら阿波の女性を」というのが讃岐男の願望らしい、たしかに阿波の女性は働き者であるという。朝から晩まで働きづくめでも、何一つ愚痴をいわない。事実、この組み合わせは多く、殆どがうまくいっていると・・。
    又最近、各企業において女性の社長の進出が目立っているが、その割合を県別に見ると阿波・徳島が一位で、県内の主な企業の内一割が女性社長という。 又、県内の世帯収入の内、三割が女性による収入であるとか、阿波女の働く女性として姿が浮かんでくる。徳島県の女性の活躍ぶりは他県の女性を断然引き離しているといい、愛嬌があり、やさしく、尚且つよく働き、それでいて控え目で男性を立てて実に良く尽くしてくれる。  女房にするなら阿波女だ・・、頑張れ、讃岐男、ニッポン男児・・!。 

    次回、徳島名物・「阿波踊り」・・、




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