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  • from: orimasaさん

    2009年01月22日 10時38分35秒

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    日本周遊紀行(134)由布院 「湯布院」



    写真:平仮名の「ゆふいん駅」、由布岳と駅前通り


    湯布院・・?、由布院・・?、ゆふいん・・?

    一風変わった造りの「ゆふいん駅」へ来た。
    「ゆふいん」と平かな文字の駅名が気になったが、思えば「道の駅」も「ゆふいん」であった。 大分道のI・C名は「湯布院」であり、この地方を「由布院」とも言う。「ゆふいん」は両者の中間を取った「当て字」のようであるが種々あって紛らわしい・・?。
    ところで先般、久住か九重かで物議なる内容を記したが・・、
    こちらは「ゆふいん」という呼称で「湯布院」と「由布院」があった。この表記の違いについては昭和30年、由布院町と湯平村が合併した際に起因するという。 新しい町名、行政上の名称は由布院の「布」と湯平の「湯」を合作し、「湯布院町」が誕生したという訳である。 読みが同じなので、どんなものかと思ったが意外と内容は単純であった。
    湯布院町の北部地区は旧来の地名のまま由布院温泉、由布高原、由布岳といった名が残り、南部地区には湯平温泉、湯平高原といった固有地名詞が存在する。 
    ところが、平成の大合併に併せて本年(2005年)10月1日、大分郡挾間町・庄内町・湯布院町が対等合併して新規に「由布市」(ゆふし)が誕生している。 挾間町、庄内町、湯布院町という地域名は残していて本庁舎は庄内町に置いている。 観光の中心地(由布院、湯布院・・?)と行政機関の中心の本庁(庄内町)を分離した珍しい例でもあろう・・?。 尚、JR久大本線の正式駅名は、「ゆふいん駅」ではなく「由布院」として登録されているらしい。

    ところで「由布院」という地名には古い歴史があった・・、 
    「ゆふ」の名が文献に現れるのは奈良時代に編纂された「豊後国風土記」に柚富郷(ゆふのごう)として記されていて、「常に栲(たく・タク:コウゾの古名)の皮を取りて木綿(ゆふ)を造る」とある。 この地方にはタクの木が群生していたらしく、タクの木は和紙の原料になるコウゾのことで、その樹皮の繊維をほぐして木綿がつくられた。 木綿は「ゆふ」 (紙布地のこと)と呼ばれ、それが由布郷(ゆふのごう)という郷名になったという。 「ゆふ」の名が柚富、木綿、由布、油布などの豊かな農産物、ないしは加工品の名で表され、「院」という名はいろんな意味合いがあるが、主に貴人などが住む別荘などの大きな家のことを指すようで、木綿(ゆふ)が採れ、温泉が湧き出すところに貴人が住まわれていたということになる・・?。
    「ゆふいん」は平安の昔から連綿と続いてきた由緒ある呼称で、呼び名は変わる事なく今日まで続いているのである。 出来れば「由布院市」でも良かったとおもわれるが・・?、これはお節介である。

    駅の観光案内でパンフレットを戴き、温泉、見所、名所などの箇所を親切に説明してもらった。 一寸賑やかな駅前通りを抜けた適当な箇所に車を置いて、湯布院のメインストリートといわれる「湯の坪通り」を散策する。 所々に緑を配した洒落た木造和風の家、アンテーク建物などにカフェ、装飾品、土産店などが並び、賑やかな通りになっている。
    湯の坪通りの中ほどに湯の坪横丁もあり、ここは湯布院の特産品や食べ物のお店が連なっている一画で、中々雰囲気のある横丁である。何処も土産物を探す観光客、茶店で一服する人達で賑わっていた。
    この街はパチンコ屋、カラオケスナック、大衆劇場など風俗店などは一切無く俗化してない。その割に鄙びた田舎臭さ感が無いのもいい。 散策する面々はカップルや2〜3人の女性グループが多く、やはり女性向き(若い女性・・?)にターゲットを絞って町造りされているのが判る。しかも、人力車や「辻馬車」といった「見世物」まである。 いやどうも詰る所、熟年男の一人歩きなどは全く様(さま)にならない通りである。 出掛け際に宿の女将に、些か冷やかされたのを思い出した。
    中間地の横道沿いに「湯の坪温泉」という共同湯があったので、帰路に寄ることにしよう。 通りに面して猫屋敷や犬屋敷があって、店内は猫、猫、猫、猫の猫グッズ、よくもマアここまで集めたと感心しきり、猫好きの娘に是非見せてやりたいと思った。
    金鱗湖へ出た・・、新緑に囲まれた神秘的な美しさの小さな湖だった。 この湖には、それぞれ冷泉と温泉が湧き朝霧の名所としても知られる。晩秋から冬にかけて湯布院は毎朝のように美しい朝霧に包まれるらしいが、水温の高いこの湖が朝霧発生の主要因となっているという。

    ところで「風のハルカ」というタイトルでNHKの朝の連続テレビ小説が本年(2005年)10月から放送されている。舞台はこの「湯布院」であることは既に書いたが、タイトルバックに由布岳やこの金鱗湖が映される。そして、物語の始めの頃、倉田旅館のオーナー宗吉(藤竜也) が若い嫁の百江(木村佳乃)を娶り、花嫁行列が通るシーンでこの湖畔が描かれていた。
    倉田旅館は金鱗湖のすぐ横の「亀の井別荘」がモデルになっているという。物語では倉田旅館の主、倉田宗吉が湯布院の街の活性化、町興しの中心人物として描かれているが、事実、亀の井別荘の主人・中谷健太郎氏(現オーナー)は湯布院にとって神様のような人物と言われる。
    昭和30年、由布院町と湯平村が合併して湯布院町が誕生したが、その「街興し」、「町つくり」の中心的役割を果たし、成功して全国に知名度を上げた話は有名である。
    中谷氏の著書・「湯布院発、にっぽん村へ」の中で「別府、熱海、北陸など有名な先進温泉地が五階建てや八階建てのビルを建てて、巨大な宴席やダンスホールを造って、お客様わんわんという時に、私どもの湯布院は閑古鳥が啼いていました。それでも、地域の振興を常に考え、活性化されても自然を守るということは大切である」と。
    「亀の井別荘」は湖畔の緑の中に隠れるように佇んでいるが、その広大な敷地の中に、暖かさと凛とした気品が漂っていて、超一流旅館といえる高趣な人々には絶大な人気があるという。 国際観光都市別府の生みの親とも言われた「油屋熊八」が、由布院盆地の金鱗湖の美しさに注目し、別府・亀の井ホテルの別荘として建てたもので、(中谷巳次郎との共同建築ともいわれる)油屋氏は別府本館に宿泊した皇族、政治家、文人、アメリカの観光団などを由布院の「亀の井別荘」に次々と案内してきたという。
    2002年、東京・東銀座の新橋演舞場で『別府温泉狂騒曲「喜劇 地獄めぐり:生きてるだけで丸もうけ―」』という長ったらしい題材を、中村勘九郎主演(他、有名俳優出演多数)で公演された。 油屋熊八という「別府観光生みの親」をモデルにした喜劇であるが、亀の井別荘に滞在していた中村勘九郎が、中谷健太郎氏(創業者・中谷巳次郎の孫)から「面白い縁の人物」として油屋熊八の話を聞いたことが公演のきっかけになったそうである。

    引き続き「由布院」です



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