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  • from: orimasaさん

    2009年01月22日 10時40分40秒

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    日本周遊紀行(134)由布院 「湯平温泉」



    写真:鄙びた石畳の坂道・「湯平温泉通り」(木造の四階建てに注目)と最上部の「金の湯」



    石畳の、鄙びた、歴史ある、温泉・・、

    湯布院町(由布市)の三番目の温泉場・「湯平温泉」へ向かう。
    駅前から11号線、更に南由布院駅辺りから国道210号線(大分・湯布院道)を行く。 山峡の地に久大本線が並行して走り、谷底に大分川の清流が光る。 辺鄙な山間地なのに意外と車の数は多い、やはり別府市、大分市という大都市に近いせいもある。 
    「湯平」の文字が出てくる案内に従って、右折すると間もなく温泉地らしい町並みに来た。 湯平地区は、昨日訪れた九重方面への“まなみハイウェイ”へ通じるのルートでもある。湯平温泉は山間の川沿いの狭いエリアに開けた温泉地らしく、一寸、車の置き場に困るようなところでもある。 車を下りて今度は“ツッカケサンダル”で歩くことにした、草履サンダルより下駄が似合う町並み、否、路地である。
    温泉街は石畳の坂道通り沿いを中心に約30軒程の温泉宿が並ぶ、小ぢんまりとした湯街である。 シンボルともいえる石畳をゆっくり歩を進める、歩くうち意外と坂が急なのに驚く、“湯平温泉”ならぬ“湯坂温泉”であろうと皮肉りたくもなる。 道脇に、石を刳り貫いて造作したと思われる石灯篭が石畳の道筋に等間隔に設置してある。ボンヤリ灯りで、夜の温泉情緒を盛り上げようというのだろう。

    「石畳の坂道」、この石畳には約300年の歴史があるという。 
    江戸後期に湯町の篤志家(工藤三助)が現在の石畳を作ったのがきっかけで、凡そ500メートルも続く石畳の急な坂道である。 尤もであるが何故、階段にしなかったのかかなと素人的疑問も生じるが・・?、雪の日は大変だろうな、足腰の弱い人は階段に腰掛けて休みながら上れるのに、だが階段にすると施工が大変か、などと感じながらも個人の「志」で行ったとすれば納得でもある。
    石畳は300年の経過があるが、湯平温泉そのものは由布院同様、鎌倉時代より開けたといわれ古い歴史のある温泉場である。 江戸期に温泉地としての骨格が出来上がり、それ以来、湯治場としての発展をつづける。貴重で豪華な木造四階建ての旅館が建ったのもこの頃で、今もその建物が一部残っている。
    大正から昭和初期にかけて一時代を築き上げた湯平は文人・墨人も多く訪れている。
       
    『わたしゃ湯の平 湯治のかえり 肌にほんのり 湯のかほり 』
    と詩人の野口雨情が詠っている。
    また、山頭火は地元の人情に触れた様子やその思いを

    『 しぐるるや 人の情けに 涙ぐむ 』
    という句に残し、真新しい石碑が石畳に入り口に建つ。
    最近では、1982年(昭和57年)に湯平で『男はつらいよ 第30作 花も嵐も寅次郎』がロケ撮影されてもいる。

    温泉といえば観光地としてのイメージが強いが、湯平では昔から熟年層を主とした湯治場としての伝統をかたくなに守っているようで、客層も「癒し」や保養を目的とした利用者が多いという。 周囲を大自然にひっそりと抱かれて湧きつずける湯の里・湯平は、昨今では由布院の奥座敷としても知られ、訪ねる愛湯人が次第に増えているという。 温泉は薬効も充分あり、飲めば胃腸に良いともいわれて湯平の旅館ではお茶のかわりに温泉のお湯が客に出されるという珍しさである。
    石畳通りに入ったすぐ右側に「銀の湯」があった、格子戸の引き戸が感じいい。他にも湯平には五つも共同湯があり、下から「橋本湯」、「銀の湯」、「中央温泉」、「中の湯」、「金の湯」とある。 中でも中央温泉はごうごうと勇ましい音を立てて流れる花合野川(かごのがわ)沿いの川原にあり、渓谷の美景が堪能できるという。 川沿いにあるため度々建物が流されたともいうが、今でも川が増水すると川水が溢れて浴槽に入ってくることがあり、時には湯船の中に魚が入り込むこともあるという。 魚と混浴・・、これ以上の風流はないが地区の人はその度に掃除をして大切に温泉を使っていると。

    坂の一番上にある「金の湯」を訪ねてみた・・、
    急坂を上りきってやっとこ辿り着き、最上部に架かる明治橋を渡り、階段を少し川沿いに下りるとコンクリートの白壁のガッシリした建物が「金の湯」であった。 100円の入湯料を受け箱に入れて入室する、他に客はいなかった。 浴室は大して広くはないがスペースの半分くらいが湯舟になっていて、長方形のタイル張りに蛇口から少しづつ湯が注がれている。 湯の色は薄い赤茶色というか、如何にも効能が有りそうな湯で、少々熱い加減であるが何とか浸かれる。 奥に湯揉み用であろうか、木の板が立て掛けられているのが面白い。 板に寝っころがってお湯を腹に掛ける、「掛け湯」といわれる温泉療法もあり胃腸病に効くともいう。 源泉はすぐこの上にあり、直接こちらへ引き湯しているという。 
    ここの温泉は胃酸過多、慢性胃炎や腸炎などに効用があるという弱食塩泉で、飲めば胃酸の分泌を促し胃腸の働きを良くすることから「胃腸の湯」と古来から言われている。 
    湯平温泉は、医療温泉の西の横綱ともいわれる天下の名湯ともいわれ、フランスのヴィシー鉱泉と並ぶとも称されているようだ。 「ヴィシー」とはフランスの温泉療養の町で、国中からこの温泉療法を求めに方々からやって来るという。

    湯平温泉を満喫して、家路(双葉荘)を辿った。 それにしても今日は朝から色んな温泉に浸かったが、これぞ温泉三昧とも云うんであろうか・・、鉄輪温泉に戻ってからも勿論一風呂浸かるつもりである。

    次回は、「大分」方面へ

     

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