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from: orimasaさん
2009年01月28日 11時15分33秒
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日本周遊紀行(140)出水 「武家屋敷」
写真:出水・石垣と緑に囲まれた「武家屋敷群」と屋敷門
江戸時代にタイムスリップしたかの「出水麓武家屋敷群」・・、
薩摩街道(国道3号線)の熊本との国境を過ぎて間もなく、左折して内陸の出水地区へ向かう、「出水」(いずみ)の出水麓武家屋敷群を訪ねるためである。 市役所前を通って米ノ津川を渡ると間もなく武家屋敷群が現れ、出水小学校の前へでた。 門を見て驚いた、校舎は白の現代風コンクリ-トの建物であるが、校門は武家屋敷にある石垣の屋敷塀に堂々とした門構えなのである。 この学校の敷地は、克っては薩摩藩主・島津氏の宿泊所「御仮屋」がおかれ、その門は「御仮屋門」として今に残っているという。
この一段高い位置の御仮屋の前面に、碁盤の目に区切られた「出水麓武家屋敷群」が広がっていて、生垣に米ノ津川の玉石を施した石垣、武家門、屋敷林の小路の風景が美事である。 其々の小路には名称が付き、御仮屋門(小学校)の前が最も広い通りで「仮屋馬場通り」といい、江戸の頃はここで乗馬の調練をしたという。 すぐ前に、武家屋敷として一般公開されている「竹添邸」がある。
出水の武家屋敷群は、今から約400年前に30年程の歳月をかけて起伏の多い丘を整地し、道路を掘り、川石で石垣を築いて作られたという。武家屋敷群の街路は建設当時から改変されることがなく、屋敷群は今も住宅地として使われている。
江戸時代、薩摩藩では鹿児島城を本城とし、地方行政組織として百余の外城(郷村)を各地に設け、外城の中心には麓(府元)を設けて地頭や家臣を住まわせ外城経営にあたらせたという。 出水麓は島津領の数ある外城のうち最古・最大の外城の中心地で、1600年頃から武家集団の移住を伴う大規模な整備が図られ、地頭が執務にあたった地頭館や島津氏の宿泊所であった御仮屋と一体となった武家屋敷群が出現した。
道路に沿って石垣と生垣か連らなる優れた景観は、旧様態をよく伝えるものとして価値が高く、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。
出水地方は、薩摩の中では国府が置かれた高城地方(現在の薩摩川内市)とともに最も早く拓けた地方といわれ、和名抄(平安中期に作られた辞書)にも薩摩国出水郡の地と記されている。
江戸時代には薩摩藩に属し、特に出水郷の武士団は事実上の薩肥国境地帯の防衛・警備・関所の管理を任ぜされ、出水兵児(いずみへこ)とも呼ばれた。
当地区は、中世の戦国時代の山城であった「出水城」の麓の丘陵地帯を整地して作られた屋敷群で、出水郷に赴任してきた薩摩藩士の住宅兼陣地としての役目があった。 彼等、出水郷に住む武士団は薩摩武士には珍しく、粘り強く常に冷静実直な強兵であったと藩内でも高く評価されていた。特に、江戸期になってこの精神を請継ぎ、同地出身者は全国的に各方面で活躍する優秀な人材を多く輩出する事となる。
武家屋敷とその街並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、古式整然として閑静な佇まいを感じさせる。国の保存地帯に選ばれているこの地区は面積約44ヘクタールの広さを有し、出水市指定文化財である出水仮屋門、武家門、石垣、生垣や竹添屋敷など4軒の建築物がある他、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えている。
さて、いよいよ夕刻も迫ってきた、今夜の宿も考えねばならない。 聞くところ、海岸沿いに阿久根という温泉が在るらしく、訪ねると「クアドーム阿久根」という温泉健康センターがあった。阿久根温泉は大丸・若松・常盤の三温泉の総称で、阿久根海岸をひかえた風光明媚な温泉郷であり、近くには戸柱公園や五色浜などの景勝地や阿久根大島などがあり入湯客も多いという。
クアドーム阿久根は半島に突き出た長島町へ通じるT字路の先に在った。 比較的新しいモダンな建物で、玄関を入るとゆったり寛げるレストルームが結構広い。 浴室は明るく清潔感があり、半円形に配した浴槽に浸かる。お湯はアルカリ単純泉で、ややヌメリがある透明循環湯のようである。打たせ湯、サウナ、ラドン湯もあったが、何といっても露天風呂である、巨石を配した和風庭園にあって雰囲気も良い。
次回は、川内・「新田神社」-
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