新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

日本一周の旅

日本一周の旅>掲示板

公開 メンバー数:5人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: orimasaさん

    2009年02月20日 11時02分11秒

    icon

    日本周遊紀行(154)志布志 「志布志千軒町」



    志布志は、古来より南九州の海運、交易の中心であった・・、

    太平洋、志布志湾沿いの大崎町へ入って間もなく、大隅半島の東の入り口である志布志湾に面した国道220号線沿いにある「道の駅・くにの松原おおさき」へ来た。 入り口に巨大なカブトムシの、つがいのモニュメントが出迎える。大隅半島は「カブトムシ」の採取に適した自然豊かな地域だといい、大崎町は7月に「カブトムシ相撲大会」も開催されことで子供らに人気があるという。
    裏手の志布志湾に面した海岸は「くにの松原」と言われる、数十万本ものクロマツの美しい美林が海岸線沿いに帯を成して美観を造っている。 日南海岸国定公園内に位置し、長さ約7kmにも及ぶその見事な景観は「日本の白砂青松100選」にも選ばれている。この地は神代から日向(ひむか)の国、救仁(くに)の地として栄えたところで、ここから「くにの松原」の名称が付いたという。 古代、ここ内之浦から大崎・志布志に至る大隅国中央部から日向国の南部にまたがる広大な地域を救仁院、救仁郷と称していたらしい。
    志布志町の町並みに入ったが、思ったより小さな町並みに感じられる。 志布志湾というと、九州南部地方では極めて利便性の良い港であり、古来より海運業が盛んだった港町にしては意外と地味に思われた。 尤も、最近になって国の重要港湾・九州唯一の中核国際港湾として指定を受け、コンテナ関連施設の整備が進められているともいう。

    かっての志布志は、藩政時代には密貿易で栄え、「志布志千軒町」と唄われたほどの港町であった。既に、平安時代末期には島津御庄と呼ばれた大荘園(貴族・豪族の私有地)の唯一の水門(港)でもあり、「志布志津」として歴史書の中にその名が記されている。 豪族達が戦略上の重要な地域として、また港の公益による利益をめぐって攻防の歴史をくり返した津でもある。
    又、志布志は過去に“水の輸出”という珍しい地域でもあったという。
    南九州地方は、特有の広大なシラス台地で、長年に渡り自然ろ過された清浄な水が豊潤に湧き出している地帯でもあり、湧水は古来より秀吉や加藤清正などともゆかりが深いという。彼等により、戦国時代以降は海外にもこの清水が運ばれ、味が変わらない名水であるとされて時の権力者達に喜ばれたという。  
    江戸時代の志布志は薩摩・島津氏の外城として麓が置かれ、「麓の港」として南西諸島(琉球、その他)や京阪地方との交易による廻船(江戸時代の定期船のこと)で賑わい更に、江戸時代末期になると密貿易の基地として「志布志千軒町」と呼ばれるほど賑わいを見せたという。 同時期に大慈寺、宝満寺、山宮神社などの数多くの寺社仏閣が建立され、武家屋敷の庭園など多くの歴史的遺産も残されていた。 しかし、これらの遺産も明治期の政策の一つとして寺社分離、廃仏毀釈(寺院をとりこわして神社を大事にする明治政府の天皇制をすすめるための政策)が行われ、特に薩摩地方では激しく、由緒ある寺院や施設が壊されている。
    志布志町役場の一角に大慈寺(県指定所有)がある。 室町期・1340年の創建といれる古刹で、京都の臨済宗妙心寺(拙宅の菩提寺と同じ)の末寺でもあり、江戸期の隆盛時には16の支院と100名以上の僧坊がいたという。 当然ながら明治2年の廃仏毀釈により一時は廃寺となったが、明治12年に一部を再興し現在に至っている。 この寺に克って参道門に石造の立派な金剛立像の呵形(あぎょう)、吽形(うんぎょう)が立っていたという。寺院取り壊しの際、難を逃れるために地下に埋設して隠したとされ、寺の再興の際に再び掘り起こしたものという。だが、据付したのは一体だけで、もう一体は廃寺となっていた同系の寺・海徳寺に据えたという。
    因みに、「呵・あ」、「吽・うん」とは印度仏教・サンスクリット語の“初めと終わり”を意味する、尤もで、日本語の五十音も全く同じである。 「阿・吽の呼吸」というが、口を開く「阿」と、口を閉じて発する「吽」から、そこから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを「阿吽の呼吸」と言うようになった。 又、「あー」と口を開けて吐ききる「呼」と、「ん」と口を閉じて鼻から空気を吸う「吸」が「呼吸」であり、これが正しい呼吸法ともいわれるが・・?。

    現在の志布志港は、日本有数の農畜産地帯への飼料供給など、南九州地域における拠点港として発展しており又、港湾と都市部を結ぶ南九州自動車道や都城・志布志間地域の整備計画が具体化してきており、今後さらに都市機能の整備や産業の振興を図って、世界に開かれた南の拠点づくりを目指しているという。
    志布志町は2006年1月1日に有明町・松山町と対等合併して市制施行し「志布志市」となる。 因みに役所の一部には、鹿児島県志布志市志布志町志布志志布志市役所志布志支所というのがある・・??。 簡単に読めますかな・・、冗談ではなく大真面目である・・!!。
    国鉄・大隈線については前に記したが、ここ志布志が一応の終点であり、志布志からは日南線が連絡して日南方面へ向かっていて、つまりは中継点でもある。そして、志布志湾沿いを志布志街道(R220)が日南線と並行して走っている。

    志布志を抜けると間もなく「宮崎県」である。
    ところで小生は、串間辺りで内陸を抜けて日向灘・日南海岸に面した南郷に到っていた。 ところで、小生のうっかりミスと言ってもよいが、串間市の南端に位置する「都井岬」へ向かう予定であったが、標識を見落としてしまい通過してそのまま南郷まで来てしまったのである。 南郷沿岸の日向道路のT字路の標識へ来て、始めて気が付いたのであり、今更もあって、都井岬へは断念してしまったのであるが・・、

    次回は、その都井岬について述べてみたい。


    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件