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from: orimasaさん
2009年03月06日 11時24分19秒
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日本周遊紀行(163)宮崎 「グッバイ・ファミリー」
宮崎F・Tの岸壁には、既にマリンエキスプレスが接岸していた・・、
宮崎自動車道から宮崎市内へでる・・、
今夜、ここ宮崎フェリーターミナルから最後の航海と言われる「マリン・エキスプレス」が出航するとのことで、我等の家族もこの船で帰路出航することになっている。出航が午後8時頃とのことで、先ず、宮崎のF・Tを出向いて下見と出航手続をすることになる、手続といっても乗船券に交換するだけだあるが。
未だ、たっぷり時間があるのでお土産や夕食をとる事になったが、さてどちらへということになり、結局、かって知ったる宮崎空港へ行くことになった。 大淀川を渡り返して空港へ向かう、やはりフェリー埠頭とは違って空港ターミナルは賑やかであり、お土産屋も食堂、レストランも充実していた。
夕闇が迫り、町の明かりが灯る頃、一時を過ごしたエア・ターミナルから再びF・Tへ戻る。 空港とF・Tは、宮崎市街の中心を流れる大河・「大淀川」を挟んで其々対岸に在り、一ツ葉道路という宮崎道と直結した湾岸を通る道路で、空港やF・Tを結んでいる。
宮崎 F・Tは、白の四角い事務所の手前が駐車場になっていて、(乗船用ではない)その横つまり事務所の正面の海側に、岸壁をつなぐ大きな道路が走っている。 つまり、ターミナル事務所とフェリ-船は直結されてなく、乗船の際はこの大幅の道路を横断して勝手に乗り込めということらしい。 しかも、事務所玄関から船着場までは、そこそこの距離があり、お年寄りやヨチヨチ歩きの子供は大変だろうことが想像できる・・!、車優先の人間無視の造りである。
岸壁には既にマリンエキスプレスが接岸していた。 人の気配も先ほどより、さすがに多く、孫たちに「あの、大きい船に乗るんだよ・・」と言うと、既にハシャギ回っている。 乗船の客は、既に土産の大きな荷物を抱えて各自待機しているようで・・、その内、乗船の合図があり、各自、一目散に船へと向かう、元気のいい人は駆け足である。 実は急ぐ必要があったのだ・・、二等船室はフリースペースの部屋なので、より良い場所を確保するためである。 我等も幼時三人と80歳の老婆を引き連れて、それでも、急ぎ足で向かったが、やはり思ったとおり最悪の状態になったようである。
指定された二等船室のスペースは、既にコーナーなどの良場所は人が満ちて、中程の中途半端なスペースのみが残されていた、心配していたことが的中してしまったのである。 小生は娘に、駄目を承知で「空き個室」の有無を確認するように言いつけた。 早速、娘と上さんが、実際の交渉に出かけたようだ。 我らは、孫の為にデッキへ出て見物と洒落こんだが、余りの船の大きさに孫たちはピンときてないようである。 「ジジはここでお別れだから、元気でお家へ帰るんだよ・・」、孫達はキョトンとして「ジジ、どうして帰っちゃうの、どうして船から下りちゃうの・・、」と怪訝そうである、父親が説明に躍起であった。
ところで、カーフェリーは、昨今の交通網の発達や原油高騰などの煽りを受け業績が悪化し、分社化や廃止を余儀なくされている。 宮崎カーフェリのマリンエキスプレスは、2005年6月の川崎港発の宮崎港行き(京浜航路)の最終航海をもって、航路は全て休止となっているらしい。 今回の乗船は最終航路の記念として、特別に旅行会社がツアーを企画したものであった。「マリンエキスプレス」は、総トン数・12000t級、全長200m弱で速力25ノットの仕様らしい。
因みに現在、船の大きさは総トン、排水トン、載貨重量トンなど、船の容積や重量であらわされている。 総トン数とは、船の大きさを表すもので「トン」という呼称が付くが、船そのものの重さを表しているわけではなく、船の容積を基に算出したものである。 数字が大きいほど、その船は大きく、商船や漁船などでもっとも広くつかわれている。 他に載貨重量トンとは積める貨物、燃料、清水などの重さをあらわし、おもに貨物船や原油タンカーなどでつかわれている(積載総量)。 又、排水トン数は船の重さをあらわし、船を水に浮かべたときに押しのける水の総重量で表され、主に軍船などでつかう。
日本では昔、船の大きさを五百石船とか千石船というように、積むことができる米の石数で表していた。 当時の日本経済は、米を基準の物指しとしてたので、石数であらわすほうが便利だったからである。明治時代になり、貿易がさかんになると国際化が進み、トン数であらわすようになった。
船や飛行機の速度単位は「ノット」と称して、国際標準の速度の単位であり、時速何海里かということである。 つまり、1ノットは1時間に1海里進む速さと定義されている。 1海里 = 1852メートルなので、1ノットは1時間に1.852キロメートル進む速さとなる。 ところで1海里は、地球上の緯度1分(地球の円周:約40000Km÷360度÷60分)の長さに等しいとされ、航空機や船舶は地球上を長時間航行するので、地図上では非常に判りやすい単位となっている。 因みに、毎時25ノットを換算すると、25ノット*1.852km=46.3km/時である。
航海の無事を祈って皆々と別れ、小生は下船した。
かなりの高位にあるデッキから可愛い孫たちが、絶叫に近い声で別れを惜しんでいて、何かジーンとくるものがある。 天候は良さそうなので、きっと、いい船旅ができるだろう、それを祈るばかりである。 別れを惜しみながら、レンタカーを返却するため再再度、空港方面の大淀川の一ッ葉大橋を渡り返す。
大淀川は、河口に近いこともあろう、1kmにも及ぶ川幅一杯に満々と水を湛えて、滔々と流れ下る。川は、九州でも五番目に大きい川で、その源を鹿児島県に発し、各支流を合わせつつ都城盆地を貫流して宮崎平野を潤し日向灘に注いでいる。
往時、陸上交通の未発達の頃、大淀川は流域で生産された物資などを舟を使って河口まで運ぶ行路であった。 河口部に位置する赤江港(河口の南側地区)からは更に千石船に積み替え、江戸や大坂へ運んだという。 特に、内陸に位置する「都城」は日向地方の中心地であり、交通路は大淀川の船便に頼ったという。 しかし、この川には難所が在った、都城盆地の北部「轟」地区というのがあり、その名の通り「白浪、厳に轟く」と言われるほどで、船を止めてしまうほど「瀬と滝」があったという。 江戸期、都城領主であった島津久倫(しまずひさとも)は、激流のなかで開削の難工事を三年がかりで完成させ、都城から大淀川河口まで舟の通行を可能にすることができたという。(寛政の開削工事)、
空港近くのレンタカー事務所で車の返却手続中、娘から電話で「個室の申し込みは首尾良く『特等室』が二部屋取れました・・!」と喜びの連絡が入った。 小粒の孫三人と年寄りを抱えての船旅なので、何よりもホッとしたところである。
レンタカーの事務員に温泉施設の有無を確認したところ、幸いにすぐ近くに「がらっぱの湯」というスーパー銭湯が在るとのこと。 「がらっぱ」とは、日向、薩摩地方で「河童」のことらしい。 早速、その「河童の湯」を訪ねると、自前の温泉ではないが、岩風呂には霧島温泉の湯を直送しているとの事であった、ご苦労さん・・!。
心身サッパリしたところで、今夜の泊まり場は久しぶりに愛車内とした。
次回は、佐土原-
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