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from: orimasaさん
2009年05月15日 10時36分38秒
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日本周遊紀行(188) 米子 「大山と孝霊山」
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伯耆大山の孝霊山(高麗山・・?)伝説・・・、
日本海沿岸を連ねる国道9号線を行く。
米子の西はずれの淀江町(合併して現在は米子市域)辺りが、山陽道と連絡している米子自動車道、米子バイパスと合流していて車の数も多く、一段と賑やかである。
無論、これから先は伯耆富士と呼ばれる「伯耆大山」(ほうきだいせん)の裾が、一気に日本海に落ち込む裾野を行くことになる。 進むほどに大山の大斜面が実感できるが、山腹、頂上付近の山並みは濃いガスに覆うわれて、残念ながら望むことは出来ない。
すぐ手前に緑豊かな大山の前衛の山とでも言おうか、「孝霊山」が峰を並べていて、頂上付近には数ほんの中継アンテナなども微かに見て取れる。
9号線沿いの道の案内板には、孝霊山やその麓に在るのだろうか・・?、妻木晩田遺跡などの紹介板が目に付く。
ところで、小生の住む相模の国(神奈川県)には、丹沢山塊の一角に同字語の「大山」がある。こちらは素直に「おおやま」と呼んでいるが、こちらの伯耆の国の「大山」は、「だいせん」と読む。 山陰地方では、御馴染みの氷ノ山、扇の山など、何れも「セン」といい、この地方独特の呼称だという。
「大山」は深田久弥氏の撰した「日本百名山」の一つでもあり、その冒頭に・・、
『 伝説的に言えば、大山はわが国でも最も古い山である。 昔、出雲にいた神様が、余り自分の国が小さいので諸国の余った土地を縫い足そうとして、国来、国来(くにこ、くにこ)と綱で引き寄せた。その引き綱の杭の一つが、火神山(大山)であると「出雲風土記」が伝えている。・・・』と記しいる。
この出雲・島根半島の「国引き伝説」のことは前項でも記したが・・、
山好きの小生でもあるので、「大山」のことは後にチョット詳しく述べたい。
さて、「大山」の裾野から頭を出している独立峰・前衛の山が窺がえるが、「孝霊山」(コウレイサン:751m)といい、別名を韓山又は瓦山ともいわれ、朝鮮半島、高麗(こうらい)にまつわる伝説などが残されているという。 この孝霊山頂に立つと、大山の北壁から島根半島まで360度のパノラマが楽しめるともいう。
この孝霊山は、第七代天皇・孝霊天皇にまつわる名称だともいわれる、そして、この地方に孝霊伝承と云われる一群の伝承群がある。 記紀が記す第七代・孝霊天皇、もしくはその皇子を主人公とした伝承群で、吉備国(岡山、広島)から南北に延ばした線上に沿って分布しているという。
北の孝霊山(山麓を含む)界隈の溝口町から、概ね日野川に沿って吉備の国(現在の岡山県全域と広島県東部と香川県の島々および兵庫県西部にまたがる古代有数の地方国家の一つである)へ向かい、吉備一の宮・吉備津神社を結ぶラインである。
孝霊山の名の由来は、孝霊天皇が行幸したからと云われているが、以前は高麗山(韓山)と表され、所在する村の旧名は高麗村であったという。 その山麓に鎮座する「高杉神社」には孝霊天皇を祀っていて、こちらにも「吉備」が発祥とされる「桃太郎伝説」があるらしい。 この伝説は、次回に譲るとして、高麗山、高麗村は別の角度からの伝承もある。
孝霊山について・・、
鳥取県は、神話から派生した伝説や地元民の間で代々語り継がれている昔話、民話がたくさん残っているといい、その内の一つに「大山の背比べ(だいせんのせいくらべ)」というのが有る。
『 昔々、韓の国の神さまが、日本の国の山と背くらべをしようと、自信たっぷりに「韓山」を舟に乗せて日本海を渡って来たことがあります。 やがて、伯耆大山の雄姿が見えて来ました。 神さまはびっくり仰天して、「とてもこれにはかなわない」として、慌てて韓山を置き捨てて帰って行きました。 大山の手前に聳えているのがこの山で、韓の国にちなみ、高麗山と呼ばれています 』
今の山名が高麗山から孝霊山に変わったのは何時の頃からか定かでないし、又、高麗村が孝霊村に変わったかどうかも定かでない・・?。
さて、本来の伝承である。(伝承に本来も古来も無いが、強いて言うなら面白さ、懐かしさであろうか・・、) 先ほど渡った、皆生温泉のすぐ横を流れる「日野川」に沿って溝口町には楽楽福神社(ささふくじんじゃ)、その奥の日南町には東楽楽福神社、そして西楽楽福神社もある。 いずれも日野郡内において孝霊天皇とその一族を祭った神社だそうで、日野郡三楽々福神社ともいわれている。
面白いのは、溝口町の「楽楽福神社」を取り囲むように「鬼」のまつわる、又は鬼と名の付く名称や施設がやたら多いことである。 山陰線の伯耆溝口駅の西側には「鬼住山」なるものが聳え、駅舎には鬼の町を象徴するように鬼の像や鬼トイレが迎える。 又、日野川沿いに鬼のモニュメント、鬼っこランド、鬼ミュージアム、鬼の館、果ては鬼の電話なるものもある。
これはまさに、鬼い纏わる伝承の地、鬼が住んでいたとする孝霊天皇の鬼退治の物語でもある「桃太郎伝説」の地そのものなのである。
次回は、「桃太郎伝説」
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