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  • from: orimasaさん

    2009年08月02日 12時12分40秒

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    日本周遊紀行・西日本編 【あとがき】(3)

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    日本周遊紀行・西日本編 【あとがき】(3)

    「四国」について・・、
    四国は、古くは奈良時代の古事記に『身一ニシテ面四ツ有リ』と書かれている。
    面四ツとは、阿波(徳島)、土佐(高知)、伊予(愛媛)、讃岐(香川)のことであり、一にして四、四にして一の世界であるとしている。 徳島、高知・・等の県名は明治期以降に付けられたものであるが、それ以前の奈良朝の頃まで遡っても、やはり四つの旧地域名で示されていた。(戦国期の一時期、長宗我部氏によって統一されたこともあった)

    四国で、イの1番に思い起こす事は、やはり四国・霊場のことであろう。 
    今から1200年も前に、弘法大師が人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場である。
    大師は、奈良後期の774年に地元、讃岐国多度郡屏風ケ浦(現75番・善通寺誕生院)に生まれている。 幼少のころより高い教育を受け、歴史や文学などを勉強し、基礎的な力をつけた。 ある時、出家し名を無空と改めて山岳修行者に身を投じ、石鎚山等で厳しい修業を重ねた。 20歳の時、和泉国槙尾山寺(西国四番札所)で得度出家し、名を「空海」と改めている。 延暦23年(804年)、空海30才のとき、時の政府より最澄(さいちょう・延暦寺開祖)らととに遣唐使として中国(唐)へ派遣され、2年間、唐の西明寺で修行している。 42歳で自身の宗教的な体験を一層深めるため、天皇の許可を得て「高野山」に堂宇を建立した。 その高野山の金剛峰寺において、空海は62歳で入定(聖者の死去)している。 延喜21年(921年)、醍醐天皇より「弘法大師」号を贈られた。 大師の教えは、現世に理想の社会を築き、人全てがそのまま仏となって幸わせが得られるという極めて現実的なものであった。

    ところで、四国八十八ヵ所は、弘仁6年(815年)弘法大師42歳のときに開創され、後に大師の高弟が大師の足跡を遍歴したのが霊場めぐりの始まりとも云われる。
    八十八という数字は、八十八の煩悩に由来するとか、「米」の字を分解したことによるとか、あるいは男四十二、女三十三、子供十三の厄年を合わせたともいわれている。
    八十八の寺院めぐりは、不治の病や難病が霊場を巡礼するうちに全快したという話もあり、遍路道をたどる中で大師の「お陰」をいただき、心身の毒素が浄化されていくと言われる。 いわば巡礼地・四国は大自然の病院であるともいう。
    四国の観音霊場の巡拝は、巡礼と言わず一般に「遍路」と言うらしい、「辺路」に通じている。 お遍路さんが着用する白い衣は死に装束といわれ、手にする金剛杖には五輪の梵字が刻まれ墓標そのものであるとするし、菅笠は、弘法大師と共に行くという意味で「同行二人」と記入する慣わしがあるという。 
    遍路は、昔は辺鄙(へんぴ)の地を巡る道、即ち「辺路」で、死を覚悟した厳しい「修行」だった。 お遍路さんは何日も、何十日も懸けて弘法大師のご利益を戴くのである。


    さて神代の国・「九州」である・・、
    紀元前後300年、つまり約600年間は「弥生時代」といわれ、日本列島に日本という国の基礎ともいうべきいろいろなことが起きた時代であった。
    縄文時代の末期には、大陸から九州北部に水田を利用した稲作技術や鉄の製造方法が伝わり、生活様式に急激な変化が現れてきた。 併せて、大陸及び朝鮮半島南部から九州北部への、渡来人の流入が相次いで起こり、北部九州に住む在来の人々と渡来人との間の混血が急速に進んだともされる。
    現代の我々日本人は、この倭人といわれる人達の末裔であるといって良いであろう。
    この新しいタイプの人達が、弥生時代の主役となり、弥生時代文化を花開かせ、「倭人」 といわれる日本人の祖となり、倭国(邪馬台国)といわれる国を形作った。 邪馬台国の北九州説(伊都の国、現在の福岡県前原市を中心とした地域・・?)である。

    「古事記」や「日本書紀」では、高天原から九州に降臨した神々を主題にした物語であるが、高天原とは朝鮮半島(或いは大陸のどこか)を意味し、天孫族とは、朝鮮半島からの渡来人として無理なく解釈できる。 この物語は、この天孫族の神(天津神)が国津神(原住民の神)を征服していく物語である。 
    そして、「天孫降臨」の物語は、九州南部の地より始まる。
    天孫降臨したのは宮崎・高千穂の地(別な見方もある)であり、これ等の神々は天照大神
    の子又は孫とされる瓊瓊杵尊 (ニニギ)の一行であった。 ニニギは、その子である火火出見尊 (ホホデミ・山幸彦)を生み、そのまた子である鵜草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を生むことになる。 この三神は、九州南部の地に各々の山稜(天皇の墓陵)及び神宮に、「神代三代天皇」(歴史上の天皇の祖)として祀られている。 更に、鵜草葦不合尊の子が歴代天皇の初代天皇とされる「神武天皇」であった。 
    その神武天皇は九州から東征のため近畿に遠征し、そして橿原の地に「天皇」として初めて即位することになる。 この即位した年を紀元元年(紀元前660年)とし、即位日の2月11日を紀元節(現在の建国記念日)としたのである。
    九州各地には、これら古代神話に登場する天孫降臨(天津神、天孫族、大和族)の神々の伝承が数多く伝わり、各社殿に祭られているのである。


    最後に「日本海圏・北陸」について・・、
    日本海に面する日本国土は、大陸とは一衣帯水(一筋の帯のように、細く長い川や海峡)の地域で、昔で言う筑紫、出雲、越の国、陸奥、蝦夷であり、何れも大陸と深い結びつきがあった。 縄文期の頃から流通はあったが、特に弥生期、有史期になると大陸文明が一期になだれ込むことになる。 それによって日本の古来の倭人(和人)が駆逐され、静かなる渡来人たちと融合した大和民族が出来上がったと言ってもいい。 ただ逆に古来、日本の文化文明が大陸へ持ち込まれた例は余り聞かない。 
    因みに、一衣帯水の日本が大陸によって侵攻侵略され、植民地化され、征服され、果ては日本国土、国民が、有史以来滅亡するという国家存亡の危機が三度あったとされる。 一つに、飛鳥期の7世紀(663年)に起こった「白村江の戦い」(はくすきのえのたたかい)で朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた倭国(後の日本)と百済の連合軍と唐・新羅連合軍との戦いにおいて日本は完膚なまでに敗れ、その後、唐・新羅軍の大軍が日本に押し寄せるという懸念があった。(これは心配に終わったが・・、実際に、九州各地や中国、近畿には防御城が20箇所も造られている)二つ目は、ご存知鎌倉期の「元寇」である。そして、三つ目が幕末から先の大戦時であった。 しかし、この三回に渡る日本本土侵攻は不発に終わり、幸なことに古代から現在に至るまで、そっくりそのまま現存しているのである。(現在、周辺諸島で不当占拠や干渉はあるが・・!)

    日本海に面する地域、特に九州から越後にかけては「日本海沿岸文化圏」とも言われたが、
    この文化圏と中央圏(大和、京)の交差点に当るのが「北陸」であった。 この北陸(主に若狭地方)と京を結ぶ「鯖街道」(小浜)なるものがあったが、更に面白いのが大和と結んでいたことであった。 それは小浜・若狭神宮寺における「お水送り」と、奈良・東大寺の「お水取り」の古式神事が、地下水脈で連結されていたのである。


    そして「世界遺産」であるが・・、
    西日本を巡っているうち、世界遺産の箇所に数箇所めぐり合う機会があった・・、
    詳しいことは本文にお願いするとして、面白いのは、先ず我等夫婦が北海道旅行をし、「知床」を巡観した直後にその知床が世界遺産に指定された。 又、やはり夫婦で南紀地方(熊野一帯)を旅行した直後に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に認定されたのである。 思えば、世界遺産の奈良、京都の寺社群も全てではないが、そうであった。 そして、今度は小生が日本一周で周遊した後の直後、2007年(平成19年)7月1日に「石見銀山遺跡」が世界遺産に認定されている。


    「旅のまとめ」について・・、
    旅の要素には、三つの段階が有ると小生は思っている、 事前、事中、事後の三要素である。
    何処へ、何時、何の為に、どの様に・・、「事前」つまり思い立った時点、計画、下調べが始まった時から既に旅は始まっているのである。 そして「事中」、実行段階で体感し、感性が刺激され、記憶に留まるのである。 「事後」は、記録、整理をしながら、それらの背景を再度調べてみて再確認する。 これらの事を能動的に行うことによって、旅は一層楽しく、記憶に残るものになると思われ、更に、最近は、ネットやホームページで公開することも出来る。
    この度の外周旅行において、ただ通過しただけの村や町、地域が多数あったのだが、これらの「ところ」がどの様な特性や特色を有しているのか、歴史的建造物、史跡や寺社、これらの歴史や背景は何なのか、等々が気になるのである。 
    これらの「事後調べ」を行うのに、書籍本は無論であるが、インターネットという便利で重宝な手段も有り、ネット情報等を多いに参考に活用させて戴いた。 その為の「整理の時間」に、旅の道中の時間の数倍にも増して期間を費やすことになってしまったのである。

    本文中、出来るだけ自分なりに調査し、考察し、編集し、掲載したが、文中、引用していただいた中には、個別の保護や権利等の問題も含まれるかもしれません。 これらの当事者、関係者に、もしも御迷惑をお掛けしたなら、改めて御礼と御詫びを申し上げる次第であります。

       『渇いた心に、オアシスと清風を求めて、明日も旅たつ・・・』 orimasa・「風」

    『終』


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