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  • from: orimasaさん

    2009年11月14日 10時35分19秒

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    日本周遊紀行(20)岩城 「亀田地区」


    新装成った亀田地区、「天鷺村の天鷺城」


    日本周遊紀行(20)岩城 「亀田地区」


    秋田の南、小京都と言われる亀田地区がある。 

    克っては、亀田藩二万石の城下町であり、近年、歴史と浪漫を語る天鷺村(あまさぎむら)や亀田城が真新しく復元されている。
    江戸期の頃まで亀田城のあった高城山は、かっての平安初期の西暦800年頃には「天鷺速男」という豪族が居を構えていたといわれる。
    最近、この豪族の名をあてて新装なった城域を「天鷺村・天鷺城」と命名していて、観光的史跡名所としているらしい。 


    保存伝承の里とされる「天鷺村」のシンボル・天鷺城は、高さ22m、天守閣から望む景観は遠くに日本海、そして股下に旧城下町の情景が広がる。 城郭の周辺は真新しい武家屋敷をはじめ士農工商の家屋が立ち並んで壮観である。 
    又、新装・亀田城様式はその少し山の上にあり、当時の陣屋を忠実に復元したものであるという。 城内には美術館などがあるほか、広大な敷地内には日本庭園を眺めながら、古き良き日本文化を堪能ができるという。 

    ただ何れも、復元された建物が余りの華麗さに歴史の遺産としての重みは感じられず、ただ単に観光的見世物にしか見えないのは残念である。 

    「亀田」は、現在は由利郡岩城町の町域の一部であり、往時の歴史的中心地であったが、現在、行政上の中枢は沿岸部の内道川地区に移っている。


    それにしても「岩城」という町名は、懐かしい地名であり、快い響きである。 

    小生にとっては故郷、田舎である「いわき」に縁のある町名であることに、後日であるが気が付いたのであるが。
    この亀田藩は、同地名である我が福島県の「いわき地方・岩城藩」と深いつながりが有ったのである。

    その福島県「いわき」について、チョット述べてみよう・・、

    平安後期に岩城氏が東北南部沿岸の「いわき地方」に勢力を得て、中心を「いわきの平(たいら)」とした。 それにしても「いわき」という、「ひらがな名称」は煩わしい。

    「いわき」は、最も古くは古事記、日本書紀、陸奥風土記などには、和訓で「伊波岐」と記されているらしい。 古代から中世にかけては磐城とか岩城とも書くし、岩木とも書くことがあったらしいが、本来は石城(いわき)である。 「続日本紀」(平安初期の歴史書)には陸奥国石城郡と書かれている。 
    そして昭和中期の頃まで福島県石城郡であった。 

    昭和41年(1966)に周辺地域の五市が合併して新たに「いわき市」としたのである。 
    何でも、ひらがな文字の地域行政「市」名としては、青森の「むつ市」についで2番目らしい。(昨今は「平成の大合併」で、増えつつあるようだが)

    その岩城氏は、常陸・平氏 (ひたちへいし:武士の発生の大元と言われる常陸の平将門の同系)の血を汲む名族であり、その子孫が奥州石城に土着したことが岩城氏の始まりであると言われている。 又、石城国造(奈良初期の地域名)の末裔であるとも言われている。

    鎌倉〜室町時代には、源頼朝の奥州征伐にて、数々の功により、岩城氏の本領は安堵され最盛期を迎えることになる。
    ところが岩城氏の戦国期は、小田原城攻めで豊臣秀吉方に味方し謁見して領土は安堵されが、秀吉没後の関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成方に加担して敗れ、徳川家康に降伏した後、所領の磐城十二万石は除封され、お家は断絶となってしまう。

    その後、家康に再興を嘆願した結果、大坂・夏の陣で本多正信等に従って従軍し、戦功を挙げたために、岩城吉隆(いわきよしたか)は信濃・川中島藩に一万石(信濃中村:現、長野・木島平という説もある)の所領を与えられ、大名格としての創設を許され復帰する。 
    更に、川中島から出羽の国・亀田に転封(てんぷう)となって入部し、岩城亀田藩の初代藩主となっている。

    初代藩主・岩城吉隆は、伯父・佐竹義宣(初代秋田藩主)に子供がなかったため、幸運にも養子に迎えられ、秋田藩52万石の第二代藩主となるのである。 その後に「佐竹義隆」と名を改めている。

    岩城氏が現在の亀田に移ってきたのは、今から380数年前の江戸初期の元和9年(1623)、徳川家光(とくがわいえみつ)が三代将軍になった時期である。
    この岩城地域、「岩城町」の町名は、この岩城氏に因んだ地名なのである。
    更に、岩城氏の亀田藩は明治維新まで続いていたが、幕末・明治維新における「戊辰の役」で、官軍の手によって城域は焼かれている。

    いわき地方出実の岩城氏は、この秋田の地で脈々と系統を受け継いでいたのであった。 


    序ながら・・、
    初代・岩城・亀田藩の二万石は「城」のない大名格であったが、江戸末期の嘉永5年(1852)になって、やっと城持・城主格の大名となっている。 
    したがって、岩城吉隆が入部した当時のの藩の政庁は、小規模な「亀田陣屋」といわれるものであった。 
    この初代藩主岩城吉隆は、後に大大名である秋田藩52万石・佐竹義宣の養子となり、2代目佐竹藩主・「佐竹義隆」となって大出世する。
    元々、岩城氏と佐竹氏は隣国同士で(石城と常陸)、相克合い争う仲でもあり、はたまた、姻戚関係のある親密な間柄でもあった。 


    こららが縁で岩城・亀田藩の2代目藩主・重隆(しげたか)、3代目藩主・秀隆(ひでたか)が佐竹家親戚からの藩主となって亀田藩を継ぐことになり、両藩との強い絆の縁戚関係が成立することになる。
    ところが、その後の4代目岩城隆韶(たかつぐ)、5代目隆恭(たかよし)の二代は仙台藩・伊達家からの養子を受けて藩主となり、秋田藩・佐竹家よりも仙台藩・伊達家との関係が強まっていくことになる。 

    これが元で江戸末期の動乱期には、微妙な影響を及ぼすことになる

    明治の維新革命といわれる「戊辰戦争」においては、親藩である秋田藩は積年の徳川家の恨みを覚えつつ反徳川、つまり新政府軍(官軍)につくことになるが、亀田藩は、思惑や苦悩に苦しみながら仙台藩同様幕府軍に属することになる。 
    結果は周知の如く薩摩軍、長州軍らの応援を得た秋田藩等の勢力の前に、亀田藩は敗れる。 直後の慶応4年9月に「明治」と改元され、同年9月21日には亀田城が焼き払われることになる。 
    以上が岩城・亀田藩の顛末のようであった。

    次回は、「秋田」



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