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  • from: orimasaさん

    2009年11月26日 11時45分56秒

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    日本周遊紀行(28)市浦 「十三湖と十三湊」


      十三湖より岩木山の遠望



    日本周遊紀行(28)市浦 「十三湖と十三湊」



    例の「こめ米ロード」の直線道路を北上すると、広大な「十三湖」にぶち当たる。

    十三湖は、海水が入り混じった汽水湖で遠浅の湖岸は、シジミの特産地でもあるとか。 
    美観のある立派な「十三湖大橋」は日本海と十三湖の接点部を跨ぐ。
    もちろん橋の上部からは両方のパノラマが大きく広がる絶景である。 

    この辺りでは、車をユックリ走らせて海岸線から湖面まで伸びやかに広がる景観を楽しむ。 
    海岸も良い、鯵ヶ沢から十三湖辺りまでの海岸線を「七里長浜」といい、平均高さ1〜2mの砂丘が延々と連なっている。 

    志士・「吉田松陰」が竜飛崎への途中、余りの絶景に心を躍らした処でもある。


    「十三湊」について・・、

    この「十三湖」周辺は、以前から「十三湊」(とさみなと)という都市が、中世期の頃存在していたことは古文書などでは知られていた・・が、
    近年まで湊、町または都市としての十三湊は地理上では明確になっていないという。 
    ところが最近になって(1990年以降),砂丘に埋もれた中世の港町・「十三湊」が発掘され、その姿を現しつつあるという。 

    その場所とは主に、日本海と湖とに挟まれた細長い砂上の地域に、領主館や武家屋敷、町屋等が現しつつあるという。 
    まるで火山の灰に埋もれた「ポンペイ」の様である。


    十三湊は、鎌倉期・12世紀後半から凡そ3世紀に亘って隆盛を極めたという。
    当時、十三湊一帯は豪族・安東氏の統治国であった。 
    この安東氏は陸奥の国、安倍一族の子孫といわれ、平安末期「前九年の戦」で安倍貞任(あべのさだとう)が源頼義(頼朝、義経の祖)に敗れ、その子供等が北国津軽のこの地へ落ちのびたとされている。 

    津軽平野の中央に位置する「藤崎町」に、安倍貞任の次男・高星丸(たかあきまる)が逃れ、安東と称して津軽地方を治めたことは、前回、記した。
    安東氏は回船技術に優れ、日本海地域の中心都市として、海外(明・今の中国や朝鮮、極東ウラジオ)との交易を深めて「十三湊」の繁栄を築いたといわれる。 

    特筆すべきは、室町期の頃の国内での日常の食器や生活用品等は、普通、木製品が中心だったが、この地では既に舶来品の陶磁器類を使用していたという。 

    湊としては、当国(日本)の「三津七湊」の一つであるといわれた。 

    三津七湊(さんしんしちそう)といわれる地域は・・?、
    室町時代末に成立した日本最古の海洋法規集ともいわれる「廻船式目」のことで、この中に日本の十大港湾が記されていて三津、七湊の港湾都市の事を指していた。 

    「三津」は伊勢・安濃津(津市)、筑前・博多津(福岡市)、和泉・堺津(堺市)であり、
    「七湊」は越前三国湊(坂井市)、加賀本吉湊(白山市)、能登輪島湊(輪島市)、越中岩瀬湊(富山市)、越後今町湊(直江津→上越市)、 出羽土崎湊(秋田湊→秋田市)、それに津軽十三湊

    (市浦村→現、五所川原市)のことであった。


    さて、十三湊の中世(鎌倉、室町期)の頃は・・、

    朝鮮半島や大陸との交易で栄え、日本海交易が発達していった。 
    その当時の遺物として、今の所、中国や朝鮮からの輸入陶磁、能登の珠洲(すず)焼き、古瀬戸焼きなどの陶磁器類が中心で、日本から中国への輸出商品は、海獣やラッコの皮など北方の産物などとされている。

    又、木簡のような文字史料も含まれており、今後の検出が待たれるという。一方、中世の遺跡としては、城館や城下町の発掘調査が行われ、次第に明らかになりつつある。
    港町も、 例えば博多や堺などのように、その後の都市開発によって大きな面積が調査できない場合が多いといが、その点、いったん幻と化していた「十三湊」は、それだけに十分な調査実施に魅力があり、港町の姿や流通のあり方の解明につながる可能性も秘められているといわれる。


    室町中期以降になると安東氏は、南部氏の台頭によって追われることになり、その力は急速に衰微し、そのため北方との交易地の地位は、野辺地湊や大浜(現在の青森市)に奪われていった。 
    その後、十三湊は時代が下るにつれ自然の影響を受け、飛砂が堆積して水深が浅くなり、次第に港としての機能は低下していったという。

    その最大のキッカケになったのは地震による大津波による被災ともいわれる。 

    この地震・津波は、興国2年(1341)の大津波といわれ、一説によると津軽地方大半が埋没し、死者十万人を超えたともいわれる。


    現在、十三湊の今の姿からは、当時の繁栄の模様を全て伺い知ることは難しいとされる。
    それは大津波によって、軒をつらねた商家も、郡をなす商船も、そして壮大な城塞や湊も一瞬にして湖底に沈められたからであるとも云われる。

    又、次の時代の統治者であった「津軽・南部氏」は回船、交易には全く無頓着であったため十三湊は廃れたともいう。

    それでも十三湊は、近世江戸初期の頃までは北前船の寄港地として川船で岩木川を下って来た農産物、米穀、木材を十三湊まで運び、鯵ヶ沢湊を中継地として大船に乗せ変え、日本海から関西方面へ運ばれる所謂「十三小廻し」というのも行われ、小規模ながら活動していたらしい。 

    明治維新以降は、日本海側諸港の殆どは鉄道、道路の普及で次第に廃れていったという。
    現在は「十三湖」の湖面だけが、キラキラ光って、輝いている。

    次回、更に「十三湊と福島城」



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